ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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説教要素があります。ご注意下さい


セイバーは潔癖症

 自分を信じると言うことは、どういう事だろうか。

 自分など信じなくとも、生きていける。自分を信じたところで、死ぬ奴もいる。しかし、まあ。世間一般的には、自分を信じるという漠然とした行為は、必要であると信じられている。だから、重要ではあるのだろう。どこかの誰かがそれを信じて吹聴し、それを信じるどこかの誰かが生まれる程度には。

 何を信じれば、自分を信じたことになるのだろうか。努力、才能、愛想、筋力、技術、素質、容姿、自信、もしかしたら親兄弟など。どれもこれも、悪くないものではある。信じたものに裏切られるまでは、とりあえず気楽に信仰を貫けるだろう。もしかしたら、そのお手軽さこそが最大の利点なのかも。

 しかし、残念ながら、間桐桜には自分を信じたことになれる何か、というのがなかった。もしかしたら奪われたのかも知れない。

 約一年前のあの日、少女がまだ遠坂であった頃は、存在したように思えるのだ。少なくとも、まだ幸福ではあった。厳しくも優しい姉がいて、優しい母がいて、厳格な父がいる。これは恐らく、誇ってもいいものだった。他にも探せば、ささやかながら誇れるものがあったのではないか。

 間桐に養子に出された事で、まず家族を失った。それから少しずつ、ささやかなものを失っていく。手探っても何にも触れられないと気付いたときには、もうどんな顔をすればいいかも忘れていた。

 何も無い。感じない。ただ暗闇と蟲に包まれる。自覚を繰り返すだけの毎日。

 心は容易く鈍化していった。何かを感じて、それに感情を写す。それだけの人間的活動が、これほど難しいものだと初めて知った。

 少しばかりの人間性をかき集めては、苦痛と恐怖に塗りつぶされ。やがて、それすらも諦めて、桜は人形になった。それからは、楽であったと言って良かったかも知れない。何しろ、何も感じないのだ。日々の生活が、ルーチンワーク以外何でも無くなったのだから。それこそ、苦痛や恐怖すら。

 日々が変わったのは、それからどれほど経過してからだっただろうか。早くはなかっただろう。が、遅かったかと言えば断言できない。なにしろ、全て同じでしか無かったのだから。時間も景色も消え去った思考も、何もかもが。それがいつだと差別化する何かは失われていた。

 館からビルへ。生活場所が変わっただけで、桜の何が大きく変わったわけでは無い。蟲蔵に費やされる時間こそなくなったが、それも、やはり大した違いは見いだせなかった。何もしない時間が多くなる、それが新たな日々のパターンに組み込まれただけ。

 だから、何も感じない筈だった。

 苦悶の声を上げて、ばらばらにされる人。笑いながらそれを行う人。

 ――かつて感じていた、名前も思い出せない感情。それが体の芯からわき起こり、全身を痙攣させる。正体を正確に感じ取る心は、まともに動いてなかった。しかし、明確に思い出された記憶は、体を勝手に動かす。

 気付けば、桜は部屋の隅で丸くなっていた。自分でどうしたかは分らないが、部屋は暗く、電気もついてない暗闇。かつて嫌っていたそこに、ひっそりと身を沈める。手軽であったのだ。闇は簡単に心を恐怖させてくれ、同時に個を薄れさせてくれる。自分を感じ取れなくなれば、恐れるものは何も無い。感じるものもない。そこには耐えるという意識さえ存在せず、渺々と溶けていくに任せる。

 それが終わった、と知れたのは、体を抱きすくめられたからだった。体は自分のものでないかのように動かない。なぜ抱かれているのかも、いつまでも謝罪されているのかも、何も分らなかった。

 理解できることなど、いや、それ以前に意味のある思考など殆どない。ただ、どうしてもその人――蟲蔵から助け出してくれた、アーチャーと名乗った人――の腕の中から抜け出す気にはなれなかった。震える体を、ずっと抱きしめていてくれる手に、忘れたはずの安心感を得る。

 そしてやっと、その温もりがとても嫌いではないものだと、自覚できた。きっと、安らぎとはこういうものだったのだ。

「じゃあ行ってくる。何もないとは思うが、気をつけろよ。遠見のしすぎはしないように」

「……いってらっしゃい」

 最近は、夜になると出かけることが多いアーチャー。少し前までは、もっとずっと家にいたというのに。

 よく分らないが、大変なのだろう。よく分らないが、忙しそうなのだし。やはり、よく分らないが。

 ただ、閉まるドアを眺めながら、桜は思った。今日は早く帰ってくればいいのに、と。

 

 

 

 なんとか桜を大人しくするのになんとか成功して、一息つくまもなく家を出た。時間は、余裕が無いとは言わないが、ゆっくりしていられる程でも無い。

 行きがけに買い物を済ませてから、ケイネス達を拾いに行く。こういう時、王の財宝は便利だ。買ったものを収納しておけるのだから。

 少々疲れているように見えるケイネスに、隠蔽の結界を飛行宝具周辺に展開して貰う。辛いかも知れないが、俺にはどうにもできないので頑張ってくれ。すぐ隣でいちゃつかれては、さらに疲れが溜まるかも知れないが、それも俺にはどうにもできないし、助け船も出さない。恨むなら、婚約者を連れて寝取り騎士などを呼んだ自分を恨んでくれ。……今更だが、もうちょっとマシな選択肢はなかったのだろうか。

 郊外の森まで来れば、あとは楽なものだった。遠目に見ても、木々がなぎ倒され、焼かれている様子が見えるのだ。誰かに見つかれば、宇宙人だなんだと騒がれそうな風景だ。これが教会的にはセーフな理由が分らない。

「……なんて奴だ」

「とんでも無いことをするのね、ライダーは」

 俺の後ろにいる魔術師二人が、呆れた声を出した。

 気持ちは分らなくも無い。無駄にハイスペックな体は、魔術師ではないとしても、強力な結界であれば可視化してくれるのだ。つまり、俺にはこの森に張ってある結界がよく見える。ライダーが通った場所を中心に、無残に破壊されて、無意な数式の塊となってあたりに転がっている。なまじ残っているだけ、完全に破壊されるのより、修繕が難しいかも知れない。

 結界とは、つまり領域の事だ。自分が最も有利に事を運べる陣地、と言い換える事もできる。だからこそ、同じ魔術師でも破壊できないような、堅硬なものを作るのだ。進入を諦めるか、結界内部なのを承知で踏み込むしか無くさせるために。

 それを力業で破られれば、言葉も出なくなるのは当然だろう。

 やる事がむちゃくちゃだ。しかし、それがありがたくもある。いや、はっきり言えば、このむちゃくちゃを期待していたのだ。これだけ暴れてくれれば、セイバー達の注意はそちらに向かわざるをえない。俺、もしくは俺たちが何かするかもと思っていても、明確に何かするだろうライダーより警戒はできない。予想は、いつだって結果に勝ることは無いのだ。そして、警戒度が傾けば、それだけ聖杯の欠片を抜き取るチャンスが多くなる。

 とりあえず、同類とは思われるのは不味いので、ライダーが通った道をゆっくりと進む。いや、不味くなかろうが結界を粉砕して直進する、などという真似はしないが。サーヴァントになってしまったが、常識を投げ捨てた覚えは無い。

 森を抜け終わってついたそこは、丁度二人の王が対峙している所だった。その脇にいるウェイバーが俺――正確に言えば、俺の後ろにいるケイネス――を見て、びくりと肩を震わせる。聖杯戦争に出たり、時計塔という魔窟で権利を主張したり、無茶な行動を繰り返す割りにはチキンが直らない奴だ。いつかさっくり殺されそうだ。

 怯えたのも一瞬で、その後何かに気付くと、ちらりと懐中時計を見下ろした。そして、ぽろりとつぶやく。

「きっかり五分前だ……」

「本当に時間にうるさい奴だのう……」

「当たり前だ」

 宝具から下りながら、きっぱりと言ってやる。俺は時間にルーズな人間が大嫌いなのだ。遅れたりなどされれば、かなり本気でキレる自信がある。

 続いてケイネスが下りてきた。着地すると、すぐに歩みを進める。きっと、エスコートされて下りるソラウを見ないためだろう。他陣営に諍いは見せられない、だからランサーとソラウの事を黙認してるようだ。直視してしまえば堪える事ができそうにないから、視界に入れぬよう勤めている。つくづく、不憫な奴だ。居丈高で高圧的な事以外に、欠点らしい欠点がないと言うのに。

「ランサーまで来ましたか。それに……貴様も来たか、アーチャー」

 言うセイバーの表情は、今にも殺しに来そうだった。マスターが殺されそうになったのだ、そう落ち着けはすまい。そうではなくとも、積極的にマスター狙いをするサーヴァントは、それだけで驚異だ。

「これこれ、落ちつかんか。これよりの戦いは、剣を交えずの戦よ。ここで剣を抜くというのならば、貴様の不戦敗になるぞ」

「……分りました。挑まれた戦いの流儀を反するのは、私も望むところではない。しかしアーチャーよ、次もこうなるとは思うなよ」

「好きにしろ」

 まあ、その時の相手はランサーだろうが。俺は自分の死亡フラグとは、可能な限り戦わない方針なのだ。

「役者も揃ったのだ、案内してもらおうか」

「いいでしょう。こちらです」

 武装をしたセイバー先導の元、歩き出す。ちなみに、ここで武装していないのは俺だけだ。

 鎧を着ていないと言っても、財宝のバックアップは受けている。防御力は折り紙付きだ。少なくとも、いきなりエクスカリバーでもかまされない限りは、死ぬことは無い。戦う気が無いのを、格好で表現しただけで油断してくれれば御の字である。

 と、中庭に付くか付かないかという時点で、予定通り反転する。気付いたセイバーが、鋭く視線を飛ばしてくる。

「アーチャー、どこへ行くつもりだ」

「トイレ」

「サーヴァントが!?」

 やたら乗りが良く突っ込んでくれたのは、意外にもランサーだった。思ったよりも遙かに仲良くなれそうだ、と思った俺は間違ってない。ちなみに、ライダーはげたげた笑っていた。

 唯一冷たいままの、と言うか真面目なセイバーの眼は、さらに冷たくなる。

「ふざけているのか?」

「飛行機しまうのを忘れただけだ」

「そう言えば出しっ放しであったか」

 ふん、と鼻を鳴らして戻るセイバー。最初の一言で、上手く毒気を抜くことに成功していたようだ。

 行き際に、ウェイバーが行かないでくれ、という視線を飛ばしてきた。よほどケイネスと一緒の空間が嫌なのだろう。しかし彼は、俺がケイネスと同盟関係だと本当に理解しているのだろうか。まあ、それすら凌駕するほど苦手だ、という可能性の方が高いが。

 割とゆっくり来た道を戻るのだが、予想された襲撃はなかった。つまり、間桐雁夜による詰問。

 俺がどんな人間であれ、彼にとって大切な人間、桜を確保しているのには変わらない。真意を確かめに来るだろう、と思っていたが、予想を外された。今城にいないか、伏せっているのか。まあ、襲撃を期待していたわけではないので、何も困りはしない。来るパターンと来ないパターン、どちらも考えていたのだから問題はない。

 城の入り口まで戻ると、そこにはアイリスフィールがまだ残っていた。もしいなければ、勝手に城に侵入して探す羽目になっていただろう。ありがたい話だ。

「アインツベルンか」

「っ! アーチャー! なんでまだここに?」

 声をかけられた瞬間、びくりと体を震わせて。振り向くと即座に体を引いて、腰を落とす。いかにも、素人が中途半端に護身術を習いました、な反応だ。何もしないよりはマシ、という意味では同意する。

「な、何か用かしら?」

「マスターでもない奴に用は無い。あと、サーヴァント相手に構えるくらいなら、すぐに逃げた方がまだマシだ」

「っ……どこでその情報を!」

「言うと思うか? まあ、お前がマスターだと言い張るならそれでもいいぞ。俺には関係ないし」

 可能な限り、気丈に振る舞おうとするアイリスフィール。目的どころかやる気も無い俺にそんな態度をしても、きっぱりと無駄だ。疲れるのは彼女だけである。

 そんなことよりも、俺にはやる事がある。右手で、密かに出しておいた宝具、それに触れた。歩きながら、アイリスフィールの死角になる位置で。この宝具も、決して大人しい類いのものではないのだが。出力を絞りさえすれば、起動そのものに気付かれない。わざわざ私服を着ていたのには、こういう理由もあった。現代の服に宝具が組み込まれているなど、予想外も甚だしい。

 顔をしかめて、背筋を伸ばして立ち直すアイリスフィール。すっと深呼吸を一つして、顔をしっかり凛とさせた。この切り替えのうまさは、やはり彼女も魔術師という事なのか。

「ねえ、雁夜さんの代わりに聞かせて。貴方が桜ちゃんを拉致したのはなぜ? 彼女は今どうしているの?」

「俺のマスターにするのに、都合が良かっただけだ。今頃は家でボーとしてるんじゃないか? 他にやる事もなさそうだったしな」

 回答して問題のある事ではないため、しっかりと言う。それは満足するものだったようで、アイリスフィールはほっと息を吐いていた。もっとも、安心できる回答をしたのだから、そうでなくては困るが。

「それと、聖杯戦争が終わったら、あの子をどうするつもりなの?」

 嫌な質問だ。拉致をした犯罪者が回答するのには、一番困る類いのそれ。

 欠片を抜くには、もう少し時間がかかる。それまでは、会話に乗らなければならない。適当な嘘をついてやり過ごそう、そう思って口を開いたのに、出てきた言葉は意図したものと全く別だった。

「俺の都合で勝手に巻き込んだ。だから、可能な限りの償いはするつもりだよ。それが……」

 言って何になる。こんなものは、ただの愚痴だ。しかも一番みっともない、弱音にも似ている。言わなくていいことだ。念じたが、感情の波はすでに、口を飲み込んでいた。

 勝手に開く口。もう止める気にもなれない。

「それが桜の望むことなのか、俺がそれを出来るかなんて、全く分らないがな」

 言い終える俺を、とても意外そうに見るアイリスフィール。きょとんとした顔にまるくした目が、俺のそれと合わさる。

「驚いたわ。あなたって何と言うか、とても人間らしいのね」

「あんたはサーヴァントを特別な何かだとでも思っていたのか? それは、ただの買いかぶりだよ」

 なにしろ、中身はただの人間なんだから。漏れそうになった言葉を飲み込む。言って意味のある言葉では無い。理解されようが、されなかろうが。

 飛行機にたどり着き、蔵の中にしまう。中庭に向かう足は、自然と早足になっていた。

「アーチャーが今まで大人しかった理由が、なんとなく分った気がするわ。英霊って、もしかしたら私が思っているよりも、ずっと私たちに近いのかも」

「そうかい。あんたが遠いと思っていたのは、あんたのもんだ。あんたが近いと思ったなら、それもあんたのもんだ。どっちだろうと代わりはしない。変わらないなら、好きにすればいい」

 振り向いた俺に、彼女の表情は見えない。声もかからず、振り返る理由が無かったのは、幸いと言っていいのか。

 ポケットの中にある、小さな欠片を指先で遊んだ。聖杯の欠片を奪うという任務を、完全に成功させたのだ。目的を達した以上、今日はもう消化試合だ。酒宴など、余興にもならない。

 そのはずなのに、この胸に残るわだかまりは何なのだろうか。もしかしたら、実に下らない事だが……。俺は桜に、許されたいなどと思っているのかも知れない。何一つ、報いること無く、図々しく。

 胸焼けのような不快な熱さが、無いはずの頭痛を思わせる。こんな時は、酒を飲むに限るのだ。酒を浴びるほど飲んで、いつしか酒に飲まれ、最後には罪悪感も何も、忘れてしまえれば。そうすれば、明日桜と顔を合わせても、何事も無かったかのように――自分は悪くなかったかのように振る舞える。

 それでいいのか? 自分の中の良心が訴えた。しかし、それをすぐに蹴飛ばす。余裕が無いという事を言い訳にして、後回しにし続ける。仕方ないでは無いか。何が仕方が無いと言うのだ、結局俺は、自分のことしか考えていない。その分を、彼女に与えればいいだけだ。その程度でどうにかなるものか。あの有様を見て、どうしてそんな楽観ができる。それに――だって、すでに顔向けできるような――

 くらくらとする頭に、しかし足取りだけはしっかりしていた。こんな状態でも取り繕える自分を誉めればいいのか、嗤えばいいのか。

 飲もう。とにかく、死ぬほど。この罪悪感を、酒精で薄めるために。

 

 

 

 アーチャーが戻ってきたのは、それから数分もしない内だった。まあ、彼曰く飛行機を回収しにいっただけなので、当然と言えば当然なのだが。

「おーい、アーチャーよ、遅いぞ」

「……どれほども経ってないだろうが」

 答えた声は、どこか不機嫌というか、勢いがなかった。普段から覇気や気力に乏しい男ではあったが、輪をかけてしぼんでいる。気になると言えば気になったが、とりあえずどうでもいいかと、放置する事にした。機嫌がいいよりは、遙かにマシだった。少なくとも、セイバーにとっては。

「それでは」

「待て」

「……なんだアーチャー。せっかく余が音頭を取ってやろうと思ったのに」

 誰もそんなことは頼んでいない、という生暖かい視線が、三方からライダーに刺さった。が、その程度の事を気に病む男でも無い。酒樽に振り下ろそうとした拳を、今か今かと彷徨わせていた。

 アーチャーが自分の背後に手を伸ばし、揺らめく波紋に埋まる。その瞬間に、僅かに身構えたのはセイバーだけだった。そして、その光景に驚いたのも。アーチャーの引き抜かれた手からは、テーブルが二台に、椅子が十足ほども出てきた。取り立てて特徴の無い、どこでも買えるような代物。実際、これは召喚されてから手に入れたのだろう。一台を自分の前に置いて、もう一台をマスター達の方へと渡す。

「ほう、気が利くのう」

「城の中でやる訳が無いし、外で座り込むのも嫌だったからな」

「それに、それが貴様の宝具か? 便利そうで良いなあ」

 と、ライダーが触れようとしたが、その手は素通りし、後ろの何も無い空間をつついた。それは、アーチャーが任意で発動できるのか。それとも、単純に彼しか触れられないのか。そんなものは可能性でしかなく、考えて答えが出ることでもない。どちらにしても、他人に触らせるわけがないのだし。

「なるほど、貴方のそれは倉庫でしたか」

「予想はしていたんだろ」

 すげなく言ってくる。

 間桐雁夜のもたらした情報は、非常に有用であった。そして、彼の情報整理能力は、それ以上に有力だった。彼を警戒する必要が無い、というのも理由なのだろうが。あの切嗣すら、その力を頼りにしていたくらいだ。

 アーチャーの、恐らく宝具である背後の空間。それがものを出し入れする能力なのでは、というのは、予想の中でも有力なものの一つだった。それが確定したことで、候補に挙がる英霊の数がかなり絞れる。それでもまだ、あの飛行機らしき道具があるため、特定しきれないが。

「では」

 ごほん、と一度咳き込んで、ぐっと力むライダー。今までの遊んだ雰囲気は嘘のように吹き飛び、空間が引き締まる。遊びが過ぎようと英霊、それを知らしめた。

「これより、我らの聖杯問答を始める。酒杯を交わし、各々が格を見せつけ合えば、剣に屈するまでも無く相応しき者を知るであろう。己こそが聖杯に相応しい、と名乗るのであれば。相応の格を我らに、なにより自分自身に刻むがいい」

 言葉と共に、振り下ろされる拳。木製の蓋をたたき割って、あたりに酒気が充満した。

 国を治めるならば、剣より何より、己の格。それは、短いながらも治政の経験で、嫌と言うほど味わった。故に、こうして器を競い合うという行事に、胸躍らぬ訳が無い。例え、セイバー自身が王で無かったとしても、それは変わらないだろう。それを証明するように、ランサーの猛りが感じられる。

 だから、セイバーには理解できなかった。テーブルに頬杖を突き、普段より一層やる気無くだらけているアーチャーが。この男は、気負う所か面倒くさそうですらあった。

「では、これ……」

「それは柄杓。掬うための道具だ。これを使え」

「お前本当に用意がいいのう。未来予知でもしておるのではないか」

「わかりやすすぎる奴がいるだけだ」

 陶器のコップを四つ取りだし、ライダーに放り投げる。こだわりなど無かったのか、それを普通に受け取って酒を注ぐライダー。

「あと、これはついでだ」

 と言い、またしても波打つ空間に手を入れる。取り出されたのは、なぜか料理だった。保存用の器に入れられた各種料理はまだ湯気を上げており、今できあがったばかりのように見える。漂う香りも、サーヴァントという食事を必要としない存在にすら、十分な食欲を促した。つまみとして、頼りがいがある存在だと言えよう。が、それを取り出した意味が全く分らない。

「ほほーう、つくづく気が利く奴よ。こいつが、貴様が格として用意したものか?」

「は? そんな大層なものじゃない。作らせておいたものを、行きがけに取ってきただけだ。まあ、この辺じゃ一番いいもんだとは思うが」

「っくうー、宴会らしくなってきたのう! なんだ、すげない態度をしておいて、貴様も乗り気だったのでは無いか」

「うまい飯も無いのに、貴様の与太に付き合ってられないってだけだ」

 この二人は相性がいいのか悪いのか。喜ぶ巨漢に、犬歯をむき出しにして嫌そうに言う。

 ライダーはぐっと杯を持ち上げて、一気に飲み干す。それに続いて、という訳でも無いが。他の面々も杯を傾けた。言わば、開戦の合図。宣戦布告。それをアルコールと共に体に満たせば、自然と熱く滾る。

 全身に気を充実させながら、これからの『戦争』に備えて。ふと、横目に視線を飛ばした。そこは、言わずもがなマスターの集う卓。そちらでも、セイバーのそれとは別の戦争が起こっていた。誰もが射殺すような顔を(一人だけ、なぜか死にそうな顔をしているが)して、情報戦に望んでいる。

 セイバーは元王であり、当然交渉などの経験もある。故に、分ってしまった。その戦が誰に一番有利に進んでいるかが。アイリスフィールもなんとか食らいつこうとしているが、その男には一歩も二歩も及ばなかった。時代最高の魔術師の一人に数えられる、ランサーのマスター。総本山である時計塔でも、相応の地位を持っているという。下地も、経験も、能力も。アイリスフィールが彼に及ぶところが、何一つ無い。

 この時ばかりは、歯がゆく思っている己のマスター、切嗣の存在が頼もしかった。彼女からある程度の情報を奪われても、全容を知っている者は別にいる。つまり、ここでの争いは、負けて当然勝てれば儲けもの、という程度。負けても、他の陣営と違ってそれが致命的になる事はないのだ。当然、負けすぎるのは宜しくないが。

 どちらにしろ、そちらの戦いは彼女に任せるしかない。セイバーは、自分の戦いに集中しなければならないのだ。

 視線を戻す。偶然目に入ったアーチャーは、なぜか恐ろしく渋い顔をしていた。

「……まずい」

「そうかぁ? なかなか悪くないと思うぞ」

「安酒を適当に買ってきただろう。ああ、くそっ」

 悪態を付きながらも、酒を飲み干す。そして、叩き付けるように杯を置き、また倉庫に手を入れた。取り去れたのは、黄金の瓶。漂う臭いは、ライダーが持ってきたそれよりも遙かに芳醇な酒の臭いだった。

 からの器に酒を注ぎ、一気に飲み干させる。すると、眉間に寄っていた皺が一瞬で解かれ、嬉しそうにつまみに手を出す。あの不機嫌を一瞬で吹き飛ばすほどの酒とは、どれほどのものなのか。

「おいおいアーチャー、酒宴に酒を出しておきながら、まさか一人で飲むつもりではあるまいな」

「飲みたければ勝手に注げ」

 ライダーとは別の意味で自由な人間だ。

「では早速」

 早速、こぼれんばかりに酒を満たし、続いて喉を潤す。一口、たったそれだけで、ライダーは驚愕に目を見開いた。

「なるほど、言うだけの事はある。これは余の完敗だ」

 あっさりと、己の負けを認めたライダーに、今度はセイバーとランサーが目を剥く。間違いを認める、というのはあるだろう。しかし、負けを認めるというのは、およそその男らしくなかった。つまり、それだけぐうの音も出ないほど、大差をつけられたという事だろうか。

 同じように、酒をあおる。そして、驚嘆に思わず杯を取り落としそうになった。

 まるで冗談のような、完成されたそれ。これを一度飲んでしまえば、今まで飲んできたそれを酒と称するのが馬鹿馬鹿しくなる。確実に、この時代で手に入れたものではあるまい。

「酒とは、こういうものだったのか」

「ああ。俺の故郷でも、これ程のものはお目にかかったことなどない。アーチャーよ、つくづく底が知れぬな」

 針の様な何かと、ハンマーの射出。それに飛行機、剣と続いて、今度は冗談のような酒だ。本当に、次は何がでてくるのか想像も付かない。しかし、それだけ油断ならないという意味でもあり。笑ってばかりいられる事ではないのだが。

 静かに、味わいながら酒を干す二人。対照的なのは、ライダーとアーチャーだ。水を飲んでいるかのように、飲んでは注ぎ足しを繰り返す。とは言え、ライダーが大酒飲みに見えるのに対し、持ち主は自棄のようだったが。まあ、自分の持ち物なのだから、文句は言うまい。

「ライダー、もう少し遠慮はできないのか? 酒ばかり飲んでいては話が始まらんぞ」

「何を言うか。この征服王の前にこれほどの酒を持ってきておきながら、まさか征服されぬと思っていまい。のう、アーチャーよ」

「好きにしろ」

「お前、さっきからそればかりだな……。何かあったのか?」

「ほっとけ」

 ランサーの気遣いも意味を成さず、さらに酒に飲まれる。本格的にダメらしい。

「しかし、まあ。セイバーの言う通りよな。酒はあくまで、口をなめらかにするためのもの。それにかまけては本末転倒よ。まず手始めに、そうさな、アーチャーから行ってみるか?」

「意外だな」

 思わず、つぶやきが漏れていた。思いはしても、言葉にするつもりはなかったのだが。ライダーのきょとんとした視線が向く。言うつもりの事ではないが、隠し立てをするような事でもない。続けて言葉にする。

「てっきりお前が一番を名乗るのだと思っていた」

「おう、先頭を走るのも正しく征服よ。しかし、王たらばトリで構えているのも道理である」

「つまり何でもありってのを王道に絡めてるだけだろ」

 杯を積むようにしてゆらしながら、身も蓋も無く。さすがにあの量を飲めば、素面ではいられないのだろう。顔がうっすらと赤い。

「まあいいや。俺の目的は受肉だよ。この世で普通に生きる」

 と、沈黙。

 誰もが、アーチャーの言葉の続きを待った。しかし、彼はまた酒をつぎ始める。それをさらに待っても、今度はつまみに手を出し始めた。沈黙が、闇雲に続く。

 いや、つまみを食べる事を非難する気は無い。セイバーも、この中では一番ハイペースで手を出しているのだから。……非難が無いというは嘘だった。もう少し食べるペースを減らせとは思っている。自分の分け前が減るのだから。それが不条理なものだとは自覚していたのだが、言わずにいられない。それこもれも、酒ほどとは言わずとも、見劣りしないほど鮮やかな味をしたこれらが悪いのだ。美食は人を狂わせると、初めて知った。だから、料理に宿る魔力が悪い。自分は悪くない、多分。

「いや、もうちょっと何かないのか? 貴様とて王なのであろう、そこらの意気込みとか」

「王?」

「そういや、セイバーだけは知らぬか。こやつも王であるらしいぞ」

 これまでも、何度も驚かされた。しかし、此度の衝撃はその遙か上を行く。

 それが王というのであれば、それだけの格が見える。例え隠していてもだ。ライダーとて、かなり奔放だと思ったが、王と名乗られればすんなり受け入れられる格があった。それが、アーチャーからは感じられない。恐ろしく普通というか、自然体というか。それが良いか悪いかは分らないが、とにかく『王』らしくは見えなかった。

 安い挑発でもして、名乗らせてみようか。一瞬考えたが、すぐに破棄した。その程度の事はライダーがしていない訳が無く、秘密主義のアーチャーが答える訳も無い。ついでに言えば、そのやり方は彼女の流儀とはかけ離れていた。

「意気込みも何もないな。俺は過去を見ないんだ、何か思うとすればこの先の事だよ」

「貴様が王であったならば、その治政に思うことはなかったのか? 悔いが……後悔が、あったのではないのか?」

 その言葉は、本当にアーチャーに向けて言ったかどうか、自信が持てなかった。耳の中に残る自分で言ったはずの言葉。それが何度も反芻して、脳で繰り返し再生される。

 ランサーは痛ましげに目を伏せた。そしてライダーは眉をひそめた。今はそんな事はどうでもいい。ただ、同じく王であった者の答えが聞きたい。明確な――どんな答えを聞きたいと言うのだ?

 頭を軽く押さえるアーチャー。やはり面倒くさそうに、しかし、そこには若干の困惑があった。

「何度も言うが、俺が国の行く末に対して思うことは何もない」

 言葉には、あるべき重さが無かった。国という、強大かつ膨大な人の収束点、その中心たる王の自負。そう、自負だ。責任を果たしたか否かでも、先導者たれたかでもない。単純に、自分が王であったという、ただの自信。それが全く感じられないのだ。この男は、本当に自分が背負っていた国を、どうでもいいと思っている。

 それを理解してわき出たのは、怒りでも悲しみでもなく、ただ純粋な困惑。ある一点までは理解でき、それ以上が完全に理解の埒外にある。同じではなかろう、しかし似たような経験は数多くあったはずだ。その上で、相手の考えが全く理解できない。

「死ぬのが怖くないか? 俺は怖い。とても怖い。お前達だって分るだろう、一度死んだんだから。一度死んで、こうして蘇り、そして人生の続きを得る可能性がある。それなりにやる気にもなるさ。少なくとも、積極的に死なず、それなりに苦労しようと思う程度にはな」

 先ほどの言葉には重さが無く、だからこそその言葉の重さが強く伝わる。この英霊は、間違いなくただ『生きる』という事の為に戦っている。理想も、誇りも、何も解さない。極めて原始的な、生存本能、死の回避。それこそが原動力であったのだ。

 だからと言って、王の自負が無い得体の知れなさが明かされた訳では無いのだが。ただ、彼が偏っている事自体は、それよりも遙かに納得しやすかった。

「うーむ、貴様は我らとはずいぶん旗色の違う王だったのだなぁ。この世にはそういうのもいるのか」

 分ったように頷くライダー。実際は、理解できないことが理解できた、という程度だろうが。

「余からも、一つ聞きたい。召喚早々マスターを裏切っていたが、あれは何だったのだ?」

「あー、それは……」

 アーチャーの、杯を持った方の手が上に上がり、ゆらゆら揺れる。彷徨っているようにも見えるそれは、何かを探しているようでもある。張力の限界を超えた酒が、掲げた酒杯からだらだら零れた。いち早くそれを察知したセイバーが、さっと料理の乗った皿を移動した。隣のランサーから、すごく微妙な視線を貰ったが、そんなことは気にしない。美味な料理とは時に、メンツに勝るのである。それを必要ないというのは、恵まれた者の戯言だ。もし非難する者がいたら、口の中めいっぱいに、塩をまぶして焼いただけの肉の塊を詰め込むことも辞さない。

 だらだらと酒を零しながらも、なおアーチャーは悩み続ける。その様子は、言いたくないという風ではなく、どちらかと言えば言い方に困る、という感じだ。

「例えばだ」

 掲げたままの手、つまり杯を持つ手の指をぴんと伸ばす。その先にはライダーがいたが、多分その行為には意味がない。

「召喚されて早々目に入ったのが何か勘違いしたとしか思えない格好をした顎髭だ。頭をたれて、王がどうたらと言ってる。な?」

 何が「な?」なのか、誰一人として理解していない。それどころか、どこに同意を求めたのかすら分らない。

 また、沈黙が訪れた。誰もが続きを期待する。だが、期待されている男は空気を無視して、空になった杯を落とした。顔は、かなり和らいでいる。悪くなった機嫌はずいぶん快調に向かったのか、それとも忘れただけか。

「……え? まさか、それだけなのか?」

「それだけってお前、重要な事だろ。想像してみろよ、寝起き早々上辺だけ貴族を取り繕ったような顎髭が、私は家臣ですとか言ってるんだぞ。これはもう縁を切るしか無いだろ」

「ち、忠義とかそういうものはお前にないのか!?」

 あんまり過ぎる物言いに、ランサーが驚嘆の声を上げていた。セイバー自身も、理由が馬鹿馬鹿しすぎて言葉も無い。

「俺は騎士でも何でもないんだ。忠誠なんざ誓うわけないだろうが。そんなもん理解できるのは、王でも騎士王だけだろうよ」

「まあ、道理ではあるのだがなぁ。余とて、坊主を戦友とは考えても、忠誠を誓おうとは欠片も思わん。余こそが王である、というプライドだけは曲げられんからな」

「そうだろ? もっと言ってやれよ。目覚めに顎髭なんていたら、絶対に引っこ抜いてたって。まったく、そこだけちらちらと生やしやがって。顎髭め」

「貴様は貴様で、どれだけ顎髭が嫌いなのだ。何か顎髭に恨みでもあるのか?」

「ないけど腹立つだろ。それに……」

 完全に酒を楽しむだけの人間になっているアーチャー。

「奴は必ず俺を裏切ってた。土壇場の、重要な盤面でな。そんな奴と仲良く戦ってやるほど、お人好しにはなれん」

 その言葉は、調子自体に何も変わったところが無い。だからこそ、驚きは大きかった。初見――たった一度、一瞬の邂逅で、そんな事を見切れるものなのだろうか。それが可能かどうか、信憑性の程がどれほどかは分らない。しかし、少なくとも彼に取っては、それで決断できる程度には信頼できる見識だったのだ。

「人を測り、見抜き、決断するか。なんのかんのと言って、やはり王であるな」

「んー……あー、まあ、そうかもな」

 否定しようとしたのか、それとも反論か。それすら曖昧な間。つくづく、彼に取ってどこが要点になっているのかが分らない。

「それでも……俺は貴様の『裏切り』という行為に納得出来ん。例えその末に、裏切りが待っていたとしても」

 どこまでも頑なに、口を曲げてうなるランサー。表情には、ただ苦悶だけが残っている。

 ディルムッド・オディナ。フィオナ騎士団随一の騎士であり、同時に呪われた黒子により、その忠義を見失った男でもある。己が狂わせた女の愛に殉じ、その生涯に強い後悔を残した。不幸だ、というのは簡単だ。仕方が無かった、と諦めるのも。しかし、それで全てを諦めるには、彼は誠実で真面目すぎた。

 その無念がどれほどか、セイバーに計ることはできない。ついでに言えば、呪われた性質故に、忠義を誓う者から愛を奪わねばならなかった。それについての苦境など――賛成にしろ反対にしろ――セイバーには論ずる事を許されないだろう。

 ただ、剣を交えれば分ることはある。それは、彼はどこまでも誠実であり、同時に忠義に飢えているという事だった。ならば、どのような理由があれ、不忠を許すはずが無い。例えそれが、過去の自分に対してでも。

「アーチャーよ、そしてライダーよ。俺に貴様らの言う、王の理論は理解できぬし、しようとも思わん。俺は所詮騎士であり、それ以上にもそれ以下にもなれん」

 腕を真っ直ぐに伸ばし、その先端には杯。それは、槍であり剣だ。騎士が忠誠を誓い剣を捧げるように、それを掲げているのだ。

「ならば、俺はこの忠誠を持って、主に聖杯を捧げる。寸分たりとも濁りのない、この世で最も清廉なものをだ。騎士道に殉じ、騎士として勝ち、そして……今度こそ、我が主に」

 見事だ――誰もそれを疑わない。あのアーチャーですら、しずしずと刮目している。

 その通りだ。騎士道とは、曇り無ければこそ、道しるべとなるのだ。輝く栄光、誰もが憧れる姿なればこそ、騎士であるのだ。汚れた道に誰が憧れる? 清濁併せのむ等という都合のいい言い訳に手を汚す者を、誰かが求めるのか? あってはならぬ。栄華の道でなければ価値が無い。誰かが目指す道というのは、つまりそういうものなのだから。

 堂々たる。騎士のあり方。笑いたくば笑えばいい。賢しさを信奉し、後ろ指を指してもいい。上手くやることに、成功することにこそ価値を見いだすのであれば。そのような者達に、そうでなければ意味がない、という事など、一生涯を費やしても理解はできまい。

 そして、いつか思い知るのだ。騎士が粉砕してきたのは、まさにそういう者達なのだと。

 唯一、勝利こそが栄光である戦争に、騎士道はナンセンスであろう。それを否定するつもりは、セイバーには無い。恐らく、ランサーにも。しかし、だからこそ、騎士道を捨てるわけにはいかないのだ。そこでそれを捨ててしまえば、騎士は本当に、ただ勝つだけの存在に成り下がってしまう。

 だからこそ。セイバーは、そしてランサーは。その栄光を守るために、互いを倒さねばならなかった。

「お前の高潔さをもって、捧げさせて貰うぞセイバー」

「それは私とて同じだランサー」

「お前さあ……」

 漏らしたのは、アーチャーだった。酒はもういいのか、もうコップは置いている。その代わりに、器用に箸を使って、料理を楽しんでいた。先ほどに見せた、真剣な表情ではなく。今は呆れたような表情で、ランサーを見ている。何に迷ったのか、箸を迷わせて、テーブルの上に転がした。

「そうやって語ることがあるなら、もっと言葉にしろよ」

 何が言いたいのか、と眉をひそめるランサー。

「今言ったではないか」

「俺たちに言ってどうするんだバカ。お前が本当にそれを主張しなきゃならないのは、お前の主に対してだろうが」

「アーチャー、貴様には分らぬかもしれぬがな、騎士とはそういうものではないのだ」

 主に捧げるのは忠誠たる意思と結果のみ。思想や決断は、胸に秘めておくべきものだ。セイバーもそうして騎士と接してきたし、国に接した。

「一つ忘れてる。お前の今の主は、フィン・マックールじゃなくて、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトなんだよ」

「当然だ。そして、俺は同じだけの忠誠を我が槍に誓った」

 分ってねぇ――アーチャーが頭を抱える。彼以外の誰も、言わんとすることが理解できない。そして、己の憤りを理解している男は、指を力強くつきつけた。

「いいか、お前が黙ってても理解して『下さる』のはフィンだけなんだよ。それはお前とフィンの、主従関係の時間がそうさせたんだ。聖杯戦争の主従関係なんざ、所詮は即席でしか無いって本当に理解してんのか? 言わなきゃ分らないんだよ。だからお前が、いくら忠誠誓ってようが、言うこと聞きゃしないんだから信用されないんだ。思ってる事を伝えれば、納得はされなくても理解する余地が……」

 怒ったように、息を荒らげて椅子から立ち上がりかけていたアーチャー。不意に言葉を止めて、大きく息を吐き、背もたれに寄りかかる。

「つまんない事を言った」

「いや、なかなかの名演説であったぞ。己の部下ではなくとも、その道を違えておれば導く。実に心地の良い王っぷりであった」

 特大の舌打ちが、ライダーを貫く。しかし、その程度でへこたれる男な訳が無く、にやにやと不機嫌そうな男を眺めていた。それを消し飛ばすように、また酒に手を出す。この男、実はかなりのダメ人間なのかもしれない。

 ランサーはその言葉に、立ち上がることはしない。しかし真っ直ぐにアーチャーを見て、すっと頭を下げた。

「忠告、痛み入る。俺は貴公の事を誤解していた」

「うるせぇ、黙ってろ」

「フ……。俺は、一度主と話さなければならぬな」

 国に、興味など無いとアーチャーは言った。今思い返せば、それは自信の裏返しなのではないかと思えてくる。国に尽くしたかどうかは分らないが――人には尽くしたのだろう。今の彼は間違いなく、一国の王であり、誰かに道を示す標でもあった。。見ていたのだ、どちらにも等しく、分け隔て無く、満遍なく。そして、そのすれ違いを苦く思い、言わずにはいられなかったのだ。

 彼の者の国がどうなったかは、真名も知らぬのであれば分りようがない。おそらくは、とっくに滅んでいるだろう。しかし、きっと……人は救われた。王が没しても、彼で良かったと思われるような王だった。

 まるで真逆だ――心に残る澱を自覚して、セイバーは自嘲した。国に尽くした己と、人に尽くしたアーチャー。なのに、どうして――ここまで差が出たのだ。そうだったとして、自分は何を呪えばいいのか、それすら分らない。運命が悪かったのだと、そう思っても諦めきれぬものを抱えているというのに。

 だからこそ、という奇跡に、残りの希望を託した。

「そういやアーチャーよ、なにやら聖杯がおかしいとか言っておったが、それはどうなったのだ?」

「……なに?」

 その言葉に、驚きの声を上げたのはセイバーのみであった。ランサーが同盟関係である以上、当然なのかもしれないが。

 さっと顔が青ざめる。それを求めたが故に、こうして戦っているのだ。それに異常があるかもしれない、等と言われて平常でいられる筈が無い。

「ん、まあ何とかなるだろ。何とかならなかったら、何とかするし」

「うむ、それを聞いて安心したわ。いざ聖杯を手にしても、それが役立たずでは興ざめだからのう。……セイバーなぞ、あからさまにほっとしておるわ」

「ええ、当然だ。私はそのために、聖杯の呼び声に答えたのだから」

 時間も、運命も、あらゆる楔を破壊し奇跡を具現する。それを最も強く願っているのは自分だという自信があった。

 緊張していた手が、テーブルを半ばまで握り砕いていた事に気がつく。引き抜いた指を軽く払って、木片を落とした。じっとりとかいていた汗が、思うように汚れを落とさせてくれない。ざりざりと、いつまでも残る感触が嫌に気になった。

「ほう……聖杯の為にと。そういう意味では、貴様はアーチャーに一番近いのかもしれぬな。余も聖杯は、あくまで過程でしかない」

 眉は自然と、小さく潜められていた。

 目的に対して、文句をつけるつもりは無い。が、それを認めがたいのも事実だった。

「貴様も違うのか」

「おうともよ。余の目的は、アーチャーと同じく受肉。しかし意識はまるで反対よな。征服という行為を成すために必要なのが、余という個に必要な肉体なのだ。まず戦争を楽しむ。強者どもを見極め、剣を交えて、これを屈服させる。聖杯など、所詮はおまけよ。ま、これだけ大層な祭りなのだから、その景品もそれなりのものは期待しているがな。そして、おまけによって肉体を持った余が、世界を制す為の進行を始める。なんとも壮大であり、余にぴったりだ」

 立ち上がり、大仰に両手を持ち上げる姿は、征服という行為がどれほど偉大なものかを表現しているようだ。両手をぐっと握り、脇に構える。アーチャーとも、セイバーとも違う。言わば、覇王としての姿。

 征服王イスカンダルの、原動力そのもの。

「その夢に、騎士達を乗せていたか……」

「なんだ、余の配下に加わりたくなったか? いつでも歓迎するぞ、と言いたいが。貴様は来ないであろうな」

「当然だ。俺は、至らなかった。それを思い知ったのだ。ここから真の忠誠を誓う。そして、必ずや栄光を捧げるのだ」

「惜しいな。貴様ほどの騎士を逃すとは、実に惜しいぞ。しかし、今までよりも遙かに良い顔をしておるわい。それでこそ、征服しがいがあるというものよ」

 互いに威圧し合いながら、その雰囲気は戦のそれとほど遠い。もしかしたらこの時こそが、本当の意味で相手を認識した瞬間なのかもしれない。

 さて、とライダーが振り向いた。その気が無くも、重圧をそのままにして、セイバーを見た。それぞれの宣言で、気を猛らせたのは彼女とて同じ。むしろ気に当てられれば、さらに奮い立つというものだ。

 それぞれ、信じる道は違う。セイバーにも、己だけが信ずる道がある。誰にも負けないだけの道程。もはや誰も酒を飲んではいない。それは、この時点で十分に役割を果たしたのだ。一番酒に飲まれていたアーチャーすら、顔の赤みを引かせて、素面に近いまでに戻っている。

 それは同時に、この宴の終わりを予感させた。

「トリを譲ってしまう形になったな、騎士王よ。さあ、貴様が聖杯を望んで止まぬ理由を、何より大志を聞かせて貰おう」

「言われずとも」

 すっと、大きく息を吸い込んだ。そうすれば、祖国の記憶が、己の歩んできた道が通り過ぎていく。

 苦難の連続であった、決して、人に誇れる事ばかりではないだろう。いや、むしろ至らぬ事の方が多かったかも知れない。それでも、己は全力を尽くしたのだと、胸を張って言えた。王としての、アルトリア・ペンドラゴンとしての生涯。

 確実に滅びへと向かっていた国。悲鳴すら上げられなかった愛する国民達。次々と脱落していく騎士達。何が悪かったのか、何かが足りなかったのか。どれだけ血を尽くしても、手の中にあったものは、こぼれ落ち続けた。誰もが懸命に生きても、なお運命は高い波で飲み込んでいく。

 最後に、死の際に残ったのは、怨念に近い無念の声のみ。それが今も、呪いのように耳元に張り付いている。

 救わなければ。ただそれだけを想って、少女は剣を取った。そして王となった彼女は、再び剣を握り直す。聖杯を手に入れるために。

「私の願いは、祖国を救うことだ。運命を変え、救済をもたらす」

「……なんだと?」

 言ったのは、誰だったのであろうか。ライダーとランサーの気配が、今までの鋭かったそれから考えられぬほど、乱れたのを感じる。

 何だ? 困惑したのは、セイバーも同じだった。受け入れられる事を望んでいたわけではない。しかし、この反応が予想外であったのも事実だった。

「セイバーよ、貴様運命を変えると言ったか? 聖杯の力を持って救済すると、本気で言っているのか?」

「当然だ。私は、国の為に死力を尽くした。しかし、届かなかった……。ならば、最後の義務を果たさなければならない。そうだろう? 国を滅ぼしてしまった私が、救済を望むのに何の問題が……」

「あるに決まっておろう!」

 ライダーの怒声が響いた。悲鳴のようにも聞こえるそれに、言葉は中断される。

 声はマスター達まで届き、細々と続いていた会話を中断して、振り向く。

「王が、己の行いを悔いるだと!? 王とは振り向かぬ者の事だ! そして、先頭に立ち夢を見せ、全てを束ねるからこそなのだ! よもや運命の改竄を望むなど!」

「っ! 貴様とて国が滅んだのであろう? ならば考えたはずだ! 国の滅ばぬ道筋を! 悔いたはずだ! 足りなかった力を! 国に身を捧げて、それでも無くしてしまった場所に後悔があるはずだ!」

「そんなものはないわ! 王とは振り向かず、ひた走るから王なのだ! そうであるからこそ、人は王に夢を見てついてくる! ……悔いて後ろに置いてきた栄光を見るなど、それは王ではないのだ、セイバーよ」

 ライダーの顔は、泣きそうにすら見えた。何を泣くと言うのだ? もしかしたら、それは、哀れみではないのか?

「余は国に尽くしてなどいない。国が余に尽くしたのだ。それを集めたからこそ、余は王たれた。言うなれば暴君よ。しかし、暴君であるからこそ、王であるのだ」

 そんなものが自分に向けられているなど、セイバーには認めたくなかった。

「貴様は、ただの小娘だ、セイバーよ。哀れにも、そんな者が王になってしまったのだな……」

 何故だ。セイバーには分らなかった。祖国の滅びを目前にして、なぜ悔いぬというのか。国を想ったのは同じ筈だ。それを救うことの、どこが――

「セイバーよ、おこがましいかも知れぬが、俺の騎士としての言葉を聞いてくれ」

 ランサーの声。苦しげなそれ。

 何故だ。

 聞きたくない。彼とて、悔いなかった筈が無いのだ。望まぬ裏切りを強要され、忠誠を貫けなかった事を。考えたはずだ、裏切らずに済んでいればと。

「俺は確かに、裏切りを働いてしまった。言い訳のしようもなく、無様に。そして、確かに願ったのだ。もし機会が与えられるのならば、今度こそは最後まで忠誠を貫けるようにと。確かに、裏切りを働いてしまったのは苦しく、最悪の気分であった。幾度も悔いて、幾夜も己の身を呪った。だが、それが無ければ良かったとは、最後まで想わなかったのだ」

 やめろ、言わないでくれ。心が、悲鳴を上げた。

 セイバーの願いなど聞き届けられる事はなく、ランサーの言葉は続く。

「それを願ってしまったら、俺が過去に捧げた忠誠と栄光までもを、偽物にしてしまうからだ。代用が、入れ替えが効いてしまうと、自分で認めてしまうからだ。なあ……頼む、セイバーよ。一騎士として、どうか……。アーサー王という者に仕えた、騎士達の忠誠を、どうか嘘にしないでくれ」

「そん、な……事は……」

 できない。

 分る。分ってしまった。ランサーの言うとおり、彼女の願いはそこにあった全ての想いを、偽りに変えてしまうものだと。彼らの言葉が正しいのも、分ってしまった。

 じゃあ、他の者はどうなるのだ。悲鳴を上げて散っていった臣民達。やせ細っていく、国そのもの。それらも、救いは望んでいないと言うのか。偽物になるから、それで拒絶するのか。自分は間違っているのか。何が正しい。偽物は間違いなのか。真作であれば正しいのか。ならばどこに――自分の想いはたどり着くというのだ。

 体をかきむしりたくなる。全身が熱い。頭が働いているのか、疑いたくなる。正しさが分らない。間違いも分らない。手の中からこぼれ落ちた、最後に残っていた理想。それをつかみ直すために手を伸ばして、どこを目的にしているのだろう。

 自然と、視線がアーチャーに向いていた。それは、他の二人のそれを追ったからだろう。それ以上の意味はなく、ただの反射だ。なぜならば、本当は見たくなど無かったのだから。

 いつも通り、つまらなそうな顔。内にある感情を、崩れかかる精神では捕らえられそうに無い。

「お前らさ、ここはどこだと思う?」

「どこ、とはどういう意味だ?」

「難しい話じゃ無い。今の時代はいつだって話だ」

「現代だろう」

 ランサーの答えを、鼻で笑った。とてもつまらなそうに、下らなそうに。しかし、予想通りだと言うように。

「違うね、ここは未来だ」

「まあ、そういう見方もできるのう。それが、何の関係があるのだ?」

「関係が無いと本気で思ってるのか?」

 アーチャーの言葉は、吐き捨てるようだった。とても忌々しげな仕草。何が、かは分らない。だが、何かは確実に、アーチャーのどこかに触れたのだろう。

「俺たちは過去の存在なんだよ。誰一人として例外は無い、すでに終わった人間なんだ。それが、過去だ未来だ、だと? 変わりはしないじゃないか、馬鹿馬鹿しい」

 例えば、ある存在が過去から現代に飛んで事をなし、それを過去に持ち帰ったとして、それは過去への干渉に当たるのか否か。同時にそれは、未来への干渉に当たるのではないだろうか。視点が問題だと言うのであれば、そもそも自分がいる場所が現代だ。自分が自分である以上、干渉は常に現代である。

 過去とはすでに結果だから、干渉はできないかもしれない。しかし、未来から見れば現代も過去も等価である。現代がすでに結果では無いと、どう証明すると言うのか。どこまでが許されて、どこからが許されないのか。そもそも誰が何を許すというのか。こんなものは、ただの言葉遊び以上にはならない。誰が見ても、誰から見ても、視点の時代は固定されているのだから。そんなことを可能にできると言うのであれば、それこそ『魔法』であろう。

 過去に死んだ存在が英霊となり、現代に蘇る。それと過去改竄の願いに、どういう違いがあるのか。過去は確定、未来は未定。そんな保証は、どこにもない。

「過去に未練はない? 否定できない? 綺麗事抜かしやがって。お前らも俺も未練たらたらだから、こんな所にいて、こんな事してるんだろうが。過去にできなかった『続き』を望んでる連中が揃いも揃って、ご大層な事だ」

「アーチャー、お前は……」

「否定してないだけで、同意もしてねーよ。お前が過去を変えて、生き返る機会がなくなるってんなら俺の敵だけど、そうじゃないなら知らんってだけだ。ああ、現在進行形で聖杯戦争中なのに、敵じゃないとかおかしな話だな」

 言いかけたセイバーの言葉を、ばっさりと切り捨てて。酔いの勢いが残っているのか、さらにまくし立てる。

「違いなんて、過去が許せたか許せなかったか、それだけだ。覚悟や生き様の違いですら無い。ああ……くそったれめ。未だにみっともなく足掻いといて、何「自分は違うんです」みたいなツラしてんだよ。同じ穴のムジナじゃねえか。悔いてねえだ変えられねえだ、本気で言ってるんなら今すぐ自殺でもしてろ。そうすりゃ……誰も巻き込んだりしないだろうよ」

 頭皮に指をめり込ませながら、血を吐くような苦しげな言葉。その目が、どこに向いているのか。少なくとも、ここにいる誰にも向いていない。

 ただ、一つ分ったことがある。彼が悔いているとすれば、それは今であるという事だ。一度死に、そして二度目の生を欲しがりながら、現代で誰かに後悔をして……それでも止まれない。もしくは、止まり方も忘れてしまったのか。正しく、生きる事への未練が引き起こした事態。過去未来という区分で、割り切ることができなかったそれ。

 彼の視線の先には、誰が映っているのだろうか。なぜか、それを無性に知りたくなった。

「セイバーよ……いや騎士王よ。余は謝罪せねばならぬ」

 吐息を吐く音。誰かのであった気がするし、自分のである気もする。ただ、誰がしてもおかしくない雰囲気ではあった。もしかしたら、全員が同じようにしていたのかもしれない。

「未だ、貴様が正しいとは思わんし、これからも思えん。アーチャーについても同じよ。一理あるとは思うが、正しいとは考えとらん。だがな、余はいつの間にか己を過大評価し、器を小さくしていた。許せ」

「受け取ろう、征服王。私も、自分の願いは変えられん。だが、お前達の意思には、確かな正しさが宿っていた。それを気付かせてくれた事、感謝する」

 それで、何かが解決したわけではない。祖国は救われないし、騎士達の意思のあり場も宙に浮いたまま。ただ、見直すにしても、覚悟するにしても。その機会を与えられたことは、喜ばしいことであった。それが、自分をさらなる苦難に追い込むものだとしても。

 胸は透いていた。自分でも不思議なほどに、穏やかに。王としての義務は、重荷などでは無い。それこそが、自分が王で在るという証なのだから。

「ああぁぁぁ……俺はまた余計な事を……しかも、何か、凄く……」

「そう伏せるな、アーチャーよ。お前の言葉、俺の胸にも響いたぞ。いつしか俺も、自分の願いを、都合がいいように考えていたようだ。つくづく、顧みなければならぬと教えられたよ。感謝している」

「やめろーというか本当にやめてくださいお願いしますただの八つ当たりなんです」

 なぜか、一人で勝手に精神ダメージを受けているアーチャーだった。そんな大層なものじゃないから……と、似たようなか細い言葉が、突っ伏した腕の中で消えずにあぶれている。

「認めよう!」

 声を上げて、杯を掲げるライダー。

「貴様ら全員、聖杯を奪い合うに相応しい勇者である! この征服王イスカンダルが、その名において認めよう!」

「元より、貴様に認められずともそうするつもりだ。が……それが賛辞であれば、受け取っておこう。その礼は、この剣で返すがな」

「くくっ、抜かしよるわ。貴様こそ、余の蹂躙に飲まれる準備をしておけ。隙あらば、配下に加えてくれるわ」

 ライダーから当てられる王の圧力に、同質同等のそれで返す。もう、押し巻けるような事は無い。

 迷いはまだある。が、祖国を救済するという願い自体は、絶対に変えられないのだ。それに、何を成すも成さないも、まずは聖杯を手に入れなければ始まらない。迷っているからと言って、剣を置くわけにはいかない。それに、不思議と――この男達を倒せば、答えが見つかるような気がした。

「今日は、これで終わりかね」

 なぜか、最後の最後でやたら落ち込んだアーチャー。気分を引きずったまま、気力に乏しく言う。

「待て待て、まだ酒もつまみも残っているでは無いか。もったいない」

「もう話すこともないじゃないか、とっとと帰りたいんだ。人だって待たせてるし。何かやたら疲れたし……」

「しかしのう、あれを残してお開きというのは、なんと寂しいではないか」

 ちらちらと、アーチャーの出した酒瓶を見ながら、名残惜しそうに言っている。アーチャーはそれを無視して……いや、無視してはいない。凄く鬱陶しそうに、半眼を向けている。酒をしまおうとすると、その手を横から、太い腕が掴んだ。

「ま、待つのだアーチャー。最初に言ったぞ? 余の前にその酒が出た以上、征服される運命を逃れられん、と」

 やたらいい顔をしての宣言。それが無駄にいらつかせる、と思ったのは、セイバーだけではあるまい。アーチャーからすごく大きなため息が聞こえ、それが無性にもの悲しい。

「……もういい。これやるから、お開きな」

「つまみはどうだ?」

「全部もってきゃいいだろうが!」

「待て、アーチャー。それがここで広げられた、という事は、私にこそ権利があるのではないか?」

「ほう……言うものよ、騎士王」

「おまえらで勝手にしろよぉ!」

 かなり本気の絶叫だった。

 セイバーは、目の前のライダーとにらみ合う。強烈な圧力が、己を押し潰さんとした。当然だ、これは遊びではない。求めるものはたかが料理、されど料理。笑うなかれ、食とは生命の基本であり、それを制したならば、無双の軍を手に入れるに等しい。かつて、食など重視していなかったセイバーであったが、あれほどのものを食べた今であれば、それが理解できる。健全な肉体、健やかな精神、安定した成長、それらは完璧な料理あって初めて得られるものだったのだ。

 この料理を得ることが出来れば、セイバーは遙かに強くなる。きっと、たぶん、二倍とかそんな感じに。彼女の体感では、令呪のバックアップがなくとも、片手を封印されたままエクスカリバーを使えるような気がしてくる。だから、これは食欲を満たすためなどでは無い。れっきとした、戦力増強という行為なのだ。誰に文句を言われる必要すらない、実に理にかなっている。

 だからこそ、これを征服王に渡すわけにはいかなかった。

 これは戦争だ。酒宴などというものよりも、遙かに重要で、殺伐とした、しかし言葉での戦い。そう、交渉という場での、己の権利を主張し、相手の権利を奪うのだ。自分が得るべき料理を守るために。

「征服王、貴様は酒をすでに貰っているな? その上で料理も、というのは欲張りすぎだろう。なにより、この場所は私が提供したものだ」

「これはこれは、騎士王ともあろうものが器の小さき事を。酒が余のものなのは、奴と直接交渉して得たのだから当然よ。料理はまた別問題」

「あいつら死ねばいいのに」

「セイバーよ、お前という奴は……」

 やたら悲しそうにランサーが呟いていたが、彼女的にはそれどころではない。

 最終的に、取り分はセイバーが6で、ライダーが4に決定した。その代わりに、セイバーは望んだ料理を優先的に得られる事になっている。満足な、とは言えないが、納得できる戦果ではあった。やはり征服王は難敵であり、易々とはいってくれなかった。

「とにかく、これでお開きな。ライダーも早くしろよ。お前のマスター死にそうな顔してんぞ」

 マスター側の会話も段落はついたのか、初期のような緊張感はない。ただし、ライダーのマスターらしき少年が、ランサーのマスターにいびられているようだったが。本人は取り繕っているのかもしれないが、全身が痙攣するように震えていてはあまり意味が無い。

「坊主も、もう少し気をしっかり持てば良いのだがのう。おいアーチャーよ、貴様もずいぶん良いものを持っているものよ。あとどれだけ所持しているのかと思うと、今から期待に胸が高鳴るわ。いずれ、それも蹂躙し奪い尽くしてくれる。覚悟しておれ」

「…………俺は今ほどお前をひっぱたきたいと思ったことはない」

 長い沈黙。ついで、金髪を掻き毟る。そして最後に、形容しがたい壮絶な顔で言っていた。

「よせやい、今はまだ休戦よ。次に会ったときこそ、余の力を見せつけてくれるわ」

「……もういい。なんでもいい」

 自分本位で自由人、それがアーチャーの印象だった。しかし、通してみれば、人の心が抱える不和に口出しせずにいられなかったり、彼自身も考えすぎたり。人を見捨てきれないあたり、案外苦労性なのかもしれない。損をする性分なのは確実だ。

「おーい、坊主! そろそろ行くぞ!」

「――待てライダー」

「あん? セイバー、貴様もか。今日剣を交えるのは、あまりに風情がないぞ」

 そんな、ライダーの戯れ言を無視して。セイバーは剣を構え直した。油断無く見回す先は、誰もいないはずの場所。慎重に視線を飛ばして、警戒を続ける。何も無い、筈ではあるのだ。しかし、セイバーの『直感』は、未だ最大級の警報を鳴らし続けていた。

 勘に頼ってみたが、やはりどうしても分らない。だから、なんとなししに呼んでみた。クラス適正に差がある以上、セイバーより先に見つけていてもおかしくはない。

「アーチャー」

「いるな。10や20どころではない。おそらく50以上、しかし100には届かないか」

 答えたアーチャーは、すでに武装していた。黄金の鎧を身に纏い、一降りの剣を握っている。

 ただ事では無い、と気付いたのだろう。残る二人のサーヴァントも、武装をした。警戒を続け、少しずつ下がりながら、四人でマスターを囲む。

 ここに来る可能性があるのは、アサシンのみだ。バーサーカーとは同盟関係である以上、襲いかかってくる理由はない。例えそうだとしても、50を超える筈が無かった。逆に、アサシンでない可能性もあるのだが、これはあまり現実的ではない。直感に引っかかるまで、そして引っかかっても発見できない理由が思いつかないからだ。仮にそういう手段があったとして、考慮するだけ無駄だ。それがアサシンでないならば、そもそも驚異にならない。

 サーヴァントとは、言わば超越した存在を扱いやすく制限したものだ。多少弱体化した所で、それが超越存在である事に変わりは無い。手負いであろうが、獅子が人間の手に負えないのは同じなのだから。だからこそ、魔術師は弱体化をした英霊に、さらに令呪という拘束を重ねることを思いついたのだ。

 つまり、単純な戦闘能力で最低値である、アサシンとキャスター。これであっても、人にはどうにも出来ないし、最低でもこの程度の能力がなければ、サーヴァントの相手にならない。

 どう足掻いても抵抗しようのない、単純な力という事実。これがあるからこそ、切嗣はセイバーを使い続けるし、ケイネスはランサーを切れないでいる。誰一人として、サーヴァントをどうにか出来ると思っているマスターはいないのだ。

 サーヴァントは、ただの聖杯戦争参加資格ではない。同時に、生命線でもある。

「ありえない。何が目的だ?」

「今まで逃げ隠れていた暗殺者が、今更顔を見せるか? いや、いずれしなければならない事ではあるが……なぜ今なのだ?」

 両者の会話に、心の中だけで同意する。

 ランサーの言葉には、隠しきれぬ侮蔑があった。が、その程度の事で、情勢を見誤るような事はなかった。対してアーチャーは、最低限だけの意識を残して、ひたすら考え込んでいた。ある意味、最も混乱している。

 ずっ――と、周囲の至る所から仮面が姿を現す。弱い、セイバーは瞬間的に判断した。これならば、倒すのに苦はないだろう。マスターについても、四人のサーヴァントで囲んでいるのであれば、もしもが起こる余地も残されていない。つまり、アサシンには寸分たりとも勝ち目が残されていない。

 ならば、今攻めてくる理由とは何なのか。

「酒宴が終わってしまったのが悔やまれる。しかし、まだ遅いという訳では無いぞ。さあアサシンよ、余の杯を取れ。そして、己の格を語って見せよ」

 回答は、短刀の投擲だった。それは掲げられた杯を割って、ライダーの顔面に直進し、寸前でたたき落とされる。大小の音が鳴る。大は短剣が石畳に転がる音であり、小は固い地面に落ちた陶器が割れた音。

「やれやれ、こいつはまたずいぶんと余裕のない連中よな」

「バカッ、そういう問題じゃないだろ!」

「そういう問題だ。話しもしなければ杯も取らぬ。切羽詰まりすぎておる。ずいぶんと念押しに強要されたみたいだのう」

 令呪で縛られている、その答えに、その場の全員がたどり着く。それは、より疑問を強調する結果にしかならなかったが。

 アサシンのマスターに、彼を消耗するだけの理由がどれほどあるのか。ここで、無謀な作戦に使い切るというのであれば、理由は二つしかない。一つは、考えにくいがサーヴァント以上の切り札を持っているという可能性。もう一つは、何らかの理由でアサシンを消耗もしくは脱落させる理由がある場合。

 馬鹿馬鹿しい。そういう意味では、どちらが正解でも。いくら考えても、想像の域を出ない。どこかに真実はあるのだろうが、少なくとも今この手の中に転がってくる事はない。ならば、今はとにかくこの場を凌ぐしかなかった。

「アーチャー、こいつらはどれだけいる?」

 低い男の声。該当者は一人のみ、ランサーのマスターだ。

「……70と少しだな」

 その会話に、どれだけの意味があったのかは分らない。だが、両者はそれで通じたとばかりに黙り込んだ。

「セイバー、大丈夫なのかしら……?」

「ええ、問題ありません」

 背後から、アイリスフィールの不安そうな声。それを安心させるように、力強く断言した。

 実際、戦闘そのものには全く問題ないのだ。意識をアサシンの他に、アイリスフィールと思考に割り振っても、まだ余裕を持てる程度には。問題は、それ以外の所に問題がある、点なのだが。

「丁度良いわ」

 ライダーはそう言うと、剣を抜いてずんずんと前に出始めた。マスターを囲んでいた防衛網が崩れる。その程度でアサシン達に付け入らせるほど、誰も弱くは無い。だが、怪訝に思う気持ちはある。

「お、おいライダーどこに行くんだよ!」

 慌てた風に、情けない声を上げる少年。声質はともかく、それは皆の代弁であった。

「セイバーよ、貴様の王道、確かに否定はせん。しかし、絶対に認められんとも余は言ったな?」

「ああ、確かに言っていたが……なぜ今になってそれを?」

「これから、その理由をみせてやる、と言っておるのだ」

 ずん、と音がするほど力強く右足を踏み込んで、体を絞る。そして、剣を一薙ぎするのと同時に、声を、天まで轟かせるように張り上げた。

「さあ、呼び声に答えよ! 余と命運を共にした勇者達よ!」

 その言葉と共に――世界が入れ替わった。何の比喩でもなんでもなく、本当に、世界が全く別の場所へと変わったのだ。

 いや、変わったのでは無い。世界は変わらない。絶対にして唯一無二。それだけは、例えどんな存在であろうと否定できない。ならば、これはどういう事だと言うのか。これではまるで、世界が塗りつぶされたようではないか。征服王イスカンダルという存在が、世界を作り上げたようではないか。

 延々と続く砂漠に、容赦なく照りつける太陽。この世において、最も過酷な環境の一つに分類される。しかし、そこからは、何もかもを飲み込むような乾きを感じられなかった。なぜこんなにも飢えた、恐ろしい世界でありながら――そこから、夢と希望が強く胸に刻み込まれるのだ。

「こんな……まさか……固有、結界?」

「その通りよ。これこそ、余の切り札。最も信ずる、宝だ」

「だ、だってお前魔術師じゃないだろ!? それなのに、なんで固有結界なんて使えるんだよ!」

「この世界はな」

 ライダーが、ぐっと両手を広げた。それで、嫌が応にも理解する。この世界の中心は、彼なのだと。

「余がかつて駆け抜けた場所。同時に、余に忠義を捧げ、共に駆け抜けた者達が等しく見た『夢』そのものよ。だから、これが余の固有結界というのは、正しくない。余と、勇者達と――国そのものがあって、初めて存在する心象風景なのだ」

 高々と、真上に伸ばされる剣。それと同時に、ライダーと同じ夢を見た勇者達、その全てが武器を掲げ、咆吼を上げた。

 巨大な一つの世界が、裂帛のうねりに震撼する。当然だ。なぜならば、この世界はどこまでも、彼らの為にある世界なのだから。何の工夫も無く、正面から叩き付けられるそれ。いや、正面からだからこそ、愚直なまでの絆の強さが、強烈に叩き付けられていた、

 死を迎えても、時を超えても、そして、サーヴァントとしてこの世に仮初めの生を受けても。なお、切れることの無い強き絆。一体どれほどの繋がりがあれば、それを可能とするのか。

「分るか、セイバーよ。余がどうしても、貴様の願いを認められなかった理由が」

 今ならば、分る。セイバーが己の願いを否定する声、それに打ちのめされようと、決して引くことが出来なかったように。彼女に聞こえていた、助けを求める無数の声。未だ耳から離れぬ、国の悲鳴。それと、同じものがライダーにも聞こえていたのだ。絆を想い、彼を押し上げ、王たらんとする声が。

「余は、何があろうと、その道筋にどれだけの後悔があろうと、これだけは否定できぬのだ。……アーチャーの言うとおりだ。貴様には、国に別の命運を手繰りたい程の何かがあったのだろう。余とて同じであった。家臣とこうして心を通わせあい、余の言葉に応じ続ける以上、後悔はできぬ。過去を無かったことにするのも許されぬ。振り返ることだけは、どうしてもできぬのだ! 前を向き、進み続けるのよ。それこそが、余も、家臣も、誰もが信じた征服という道なのだから!」

 それは、ある一つの、国家としての理想型。

 ただの群れでも軍でもない、志を一つに束ねた集合体。征服王イスカンダルという、理想そのものの具現であった。

 なんと、雄大な事か。今までライダーが語った事など、矮小に過ぎる。ここに広がる希望の砂漠に比べれば、小さいという言葉すら大きい。それだけの――器。全てを飲み込むような、膨大な熱気の嵐が飲み込まんとしている。

「これこそが、余が持つこの世のどんな至宝にも勝る宝! 世界そのものに並べて恥じることの無い最大宝具! セイバー、貴様の生き方では、どれほど良き王であろうとも独りにしかなれぬ! 祖国が最高の繁栄を迎えようと、貴様は一人にしかなれぬのだ! 余は、確かに良き王ではなかったのだろう。だが! 余は一人ではない! 余に連れ添う、この者達がいる限り、余はイスカンダルたるたった一つの我、たった一人の王を誇れるのだ! 勇者達を隣にして!」

 誰が、残った?

 セイバーは自問した。その問いかけに、偽りを答える事はできなかった。自分の死に様は、完膚無きまでに独りであったのだから。最後には、何もかもが己を裏切り、押しつぶされて終わった。

 しかし――

 ならば、後悔はあるだろうか……ないと断言できる。国を救えなかったことに対する、ではない。最終的に、自分が国という怪物に飲み込まれた事に対するだ。己の結末など、どうでもいい。ただ求めているのは、愛する国を救うこと、それだけなのだ。それが達成できるならば、例え地獄に落ちようとも構わない。

 剣の握りを確かめる。指先まで、しっかりと力が入る感覚。この程度で、力が抜ける事はない。

「腰抜けてはおらぬようだな。それでこそ、征服王の敵だ」

 視線を、前へ――つまり、いつの間にか集められていたアサシン――に向けるライダー。

「さて……待たせたな、アサシンよ。貴様にも事情があるのだろうが、戦端を切られた以上、手心を加えるつもりはない。さあ――進軍せよ!」

 世界いっぱいに満たされる闘気、として吶喊。アサシンは容易く分断され、連携も取れぬまま、易々と各個撃破されていく。これはもう、数の暴力やステータスの違い、などと言う程度では無い。逃げ惑うアサシン達は、すでに戦意を喪失していた。戦う前から挫けている以上、勝機は一欠片たりともない。

 戦闘と呼べるものはなかった。一方的な、彼の名を証明するかのような蹂躙。ものの数分もしないうちに、この場にいたアサシンは全て消滅していた。

 騎士達の勝ちどきと意思そのものを背負った征服王。崩れゆく世界を背にして、一歩一歩確実に歩み、セイバーの前に立った。突きつけられる剣は、まっすぐ少女に向いている。

「これが余の王道よ。さあ、答えよ騎士王。この光景を前にして、なお貴様の王道は余に比すると言うか」

 強すぎる程に、強い視線。しかし、それは弱者を叩き伏せるそれではない。己の全てを見せつけて威圧しながら、なお瞳には期待が写っている。

「当然だ」

 セイバーは剣を振るった。小さく、下に向けて払うようにしたそれは、暴風を四方に叩き付け、光の届かぬ先から黄金をこの世に顕す。刀身を、まるで太陽のように輝かせた、匹敵するほどのものが無いほどの神造宝具。

 エクスカリバー。またの呼び名を、約束された勝利の剣。残念ながら、ブリテンの勝利までは保証してくれなかったそれ。至らぬ自分に、最後の最後まで付き合ってくれた相棒。

 全ての騎士が、騎士道を誇りそうするように。彼女もまた、同じように己の道を誇り、剣を眼前へと掲げた。

「征服王、この剣の輝きが見えるか?」

「応とも」

「この剣は、王たる者の手に渡る運命にある、人の心を反映した剣。この輝きが失せる時こそ、私は王でなくなるのだ。光の照らす先が私にある限り、騎士王とは私である」

 だから。

 例え、その道が間違いであろうとも。救済に至る道を、探し続ける。

 ひび割れた世界が終わる。全てが、元の夜の森に戻った。何事も無かったかのように続く、夜の静けさ。僅かな寂しさが到来する。

「余は、余を中心に皆で国を掲げた。貴様は、たった独りで国を背負うか」

「――宿命だ。痩せ衰え、今にも屈しそうな国を救うための。なれば、それを誇ろう。独りであっても、独りでしかなくとも」

 ふ、と、小さな笑い声。ライダーは踵を返した。

「もし余と貴様が戦うのであれば、それは互いの国の全てをかけた戦いよ。ひとたび油断すれば、一瞬にして蹂躙してくれるぞ。そうなってくれるなよ」

「言われずとも。貴様の絆がどれほど偉大であろうと、我が剣の前では無力である事を証明してくれる」

 ライダーが剣を、縦に振るった。何も無いはずのそこで、しかし空間を両断する。開かれた異空間をこじ開けるようにして、戦車が現れた。馬の嘶きとは別種の声を上げながら、想い音を立てて地を蹴る。

 具現した戦車に、己のマスターを押し込む様にして乗せた。

「アーチャー、ランサー、そしてセイバーよ! 次に見える時は、決着に相応しい場である事を望むぞ!」

 高笑いを残しながら、去って行くライダー。それでも酒とつまみを忘れないあたり、さすがと言えばいいのか、呆れればいいのか。恐らく両方なのだろう。

 いつの間にか、アーチャー達も空を舞っていた。声をかける暇も無く、しかしランサーの強い意志が宿った視線だけは受け取る。アーチャーが視線一つよこさないのも、まあ彼らしくはあった。ある意味、聖杯戦争に対して一番真剣なのが彼なのだから。それでも、今日見せていた言葉――それが強さか弱さかまでは分らないが――からは、多くのものを得た。

 剣と、そして鎧を解除する。戦闘衣だけの姿は、ドレスのようにも見えた。まるでただの少女に見える姿を、密かに自嘲する。覚悟を持っておきながら、このような姿になるのは、何というか、滑稽に思えてならなかった。もしかしたら、真に覚悟を決めていれば、あるいはそれすらどうでも良くなるのかも知れない。

「セイバー……」

 背後から、アイリスフィールの声が届いた。振り返って見る彼女の顔は、どこか力強い。

 彼女に答える多くの言葉を、セイバーは持たない。ただ一言、それに全ての想いを込めて言った。

「勝ちましょう」

「ええ、そうね」

 そして、肩を並べて城へと帰っていった。明日からは、また戦争が続くのだから。


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