ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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ウェイバーは憂鬱

 自慢ではないが、ボクは天才だ。誰かに――あるいは誰に聞かれても、ウェイバー・ベルベットはそう答える。相手が怖い場合は、心の中だけで言いつつ、密かに罵ることもままあるが。まあ、心の中だけでも答えは答えであり、嘘ではない。

 しかし、時計塔ではその才能が認められず、あまつさえ苦労して作った論文をケイネスごとき(やはり怖いから、面と向かっては言わない)に捨てられてしまった。寝不足と、苦労の日々がパアになった瞬間である。

 今、思い返してみれば。

 きっとその時、自分の正常な思考能力もパアになっていたのだろう。少なくとも、とてもでは無いがまともだとは言えない状態だった。

 時計塔の魔術師どもを見返す。これはいい。権威主義の血族主義という、およそ進歩を旨としている魔術師とは思えない退廃者ども。そいつらの眼を冷まさせるには、ガツンと一発、真に優秀な魔術師(例えばウェイバーのような)がくれてやらねばならない。それでやっと、時計塔は正常で、優秀な者が正しく評価される状態に戻る。それを自分が担う。これもいい。どんなジャンルにおいても、優秀である者は先駆者であり、指導者たらねばならない。自分がそうだという自覚があるのなら、その義務を果たすのは当然。進歩とは、後進と先進の融和あってこそ、最大の効果をもたらす。

 では、なんで聖杯戦争に参加したのか。ぶっちゃけ勢いです。参加したこと自体が間違いだったと認めます。

 ――だから、もうボクを、

「下ろしてくれえええぇぇぇぇぇぇ!」

「いきなり喚くな、坊主。今は余が話しておるのだ」

 そこは、キャスターの工房であったらしい場所。なぜ、らしい、になるかと言うと、すでにキャスターは討伐済みであり、その残滓しか感じられなかったから。魔力は淀んでおり、霊的にも不安定。あまりそういった事の感知が得意で無いウェイバーでも、ここがろくでもない事に使われていた、というのは分かる。

 これだけでも、とっとと出て行くには十分な理由だ。

 ウェイバーにプレッシャーを与えているのは、それだけでは無い。工房には先客がいた。まあ、それはここにいる理由を考えれば、当たり前なのだが。

 そもそもの発端は、ライダーが寝ているウェイバーをたたき起こした所から始まる。何事か、と起きてみれば、アーチャーを発見したと言うのだ。

 今聖杯戦争で、アーチャーは最も謎の多いサーヴァントである。極端に露出が少ないのだ。偶然などではなく、本人が努めてそうしている。英霊とは、自分を偽らぬ存在。早い話、自分の力に自信を持って、堂々とそれを開帳し相手に打ち勝つのがサーヴァントという連中なのだ。その中で、アサシンを抜かせば唯一己を隠したサーヴァントだ。おかしい、と思わない訳が無い。

 情報を秘匿し、ここぞという場面で致命的な一撃。戦争において基礎だが、自分の力を信仰しているサーヴァントには理解されない。根本的に、魔術師と英霊は相性が悪いのだろう。

 信仰対象をひた隠して戦うというのは、ウェイバーの知る英霊らしくない。ライダーみたいなのは逆の意味で異常だが。

 そして二つ、出来ることの多彩さだ。ウェイバーが把握している限りの、多くない事柄。マスターとの契約を強制解除。新しいマスターを、自分で作り出す。僅かな時間で、魔術師の工房など相手にならない強度の陣地を構築。そして、ライダーと同等の飛行宝具。その上、ステータスはセイバーに続く二位の高性能。スキルまでは確認できなかったが、これだけでも異常すぎるのが分かる。

 多少の無理をしても、情報が欲しい。そう思うのは、ウェイバーだけでは無いはずだ。

 だから、ライダーにアーチャーの追跡を命じたし、それが間違っていたとは思わない。進んだ先が、キャスターの工房らしき場所なのも、聖杯戦争のルール変更を考えれば予想の範疇内。丁度討伐済みの所に出くわしてしまったのも――許容範囲かどうかは別にして――まあ、仕方がないとは言える。たどり着いた場所が狭かったのも、まあ許せるだろう。ライダーの能力を十全に生かせる戦場ではなかったが、それはアーチャーにとっても同じなのだから。

 唯一の誤算は、そこにランサーも一緒にいたことだった。もっと言えば、ランサーのマスターである、ケイネスが。

 しかも、出た位置が悪い。アーチャーとランサーに挟まれる形で、殺気を向けられているのだ。生きた心地がしなかった。

「じゃあ反転だ! とっとと離脱するぞ!」

「戦車は堅牢な代わりに、急反転に向かんもんだ。いい加減に腹をくくれ」

 悲鳴を上げ続けるウェイバーの頭を、大きな手がばしんと潰した。うぎゅ、というカエルが潰れたような声と共に、体が御者台に沈む。

 殺気と敵意が充満する中で、一人平然としているのはライダーだけだ。他の誰もが戦闘状態に移行している中、彼だけは、当然の様に悠然としている。普段は苛立たしいだけの態度も、緊急時は頼もしく思えるから不思議だ。

 チッ、という鋭い舌打ちは、黄金のサーヴァントのものだった。腕をだらんと垂らしたまま、しかし紅の瞳は鋭く、決してライダーから動かない。

 反対側を見てみると、ランサーはもっと剣呑だった。すでに槍を構え、いつでも飛び出せる体制。戦車の出だしが僅かでも遅れれば、その時は自分の首が飛びかねない。一度自覚してしまうと、体が凍り付いたかのように、筋肉が緊張した。

「で、お前らは何しに来たんだ?」

 アーチャーが吐き捨てた。それは好戦的なようであり、戦闘を回避したがっているようにも聞こえる。

「うーむ」

 剣呑に過ぎる雰囲気に、ライダーは顎に手を当てて悩んでいた。

「とっととかかってきたらどうかね、ウェイバー・ベルベット。まさか、君ごときが、少しばかり私が消耗しているからと言って勝てると思うほどのぼせ上がっているとは、夢にも思わなかったよ」

 消耗している? 何の事かは分からないが、とにかく苛立っているのは分かった。そして、ウェイバー・ベルベットがいくら天才とは言え、彼はインドア派。多少消耗した程度でケイネスに勝てると思うほど、楽観的では無い。そして、その楽観できない状況が、完成しつつあった。

「これ、そこの魔術師よ。余らはただ単に、アーチャーの奴が見えたから追ってきただけよ。別に今貴様らと事を構えるつもりはないわ」

「つまり殺りに来たって事だろう」

「貴様も結論を急ぐ奴よのう。顔すら直接見たことが無い奴と、ちょいと話してみようというだけじゃ。それに、その居住まい、貴様もどこぞの王であろう? 王たる者が余裕をなくしてどうする」

「お前に「王である」って事情があるように、こっちにも急ぐ事情があるんだよ。用がないならとっとと帰れ。見逃してやる。そうじゃないなら構えろ。殺してやる」

「ふむ……。貴様らの用事とは、そこの童どもの事だな?」

 アーチャーの苛立ちも全く気にせず、顎をしゃくって指すライダー。釣られて、アーチャーの背後をよく見てみると、薄暗くて分からなかったが、子供がたくさん転がっていた。服は破れて、血が張りつている。眠っている顔は、恐怖と苦痛に引きつっていた。

「な、なんだよ、あの子供達は……?」

「おおかたキャスターの奴が連れ去ったのであろうよ。ああして保護されているという事は、少なくとも生きておるようだ」

 殺気を飛ばされようが、挑発されようが、全く様子の変わらないライダー。アーチャーはついに、何かを諦めたかのようにため息を吐いた。みるみる殺気がしぼんでいき、比例して感じていた圧力も減る。

 御者台の一部を握りすぎて、白くなっていた手。そして、体は力を入れすぎて、全身がぎしぎし言っている。あの短時間で、どれだけのストレスを与えられたのだろうか。

「分かった。会話でも何でもしてやるから、とっとと済ませろ。俺たちはお前と違って、暇じゃ無いんだ」

「何だ、そんなに忙しいのならば、手伝ってやってもよいぞ?」

「お前が何の役に立つんだよ。いいからとっとと聞くこと聞いて帰れ」

「と言ってものう……。この辛気くさい場所では、そんな気分にならんわい」

 大仰に周囲を見回しながら、ライダー。さんざん文句を出したが、その点に関してはウェイバーも賛成だった。結局、めぼしい情報を得られなかったのは残念だが。こんな不利な場所で、二対一で戦いかねなかった状況を考えれば、十分に許容範囲である。腰抜けと言うなかれ、作戦とは諦めの良さも重要なのだ。

 ライダーは荒唐無稽で破天荒極まりないが、言っている事に何一つ共感できないわけではない。たまには、珍しく同意できる事も言うのだ。今回の発言も、その一つだった。ランサーもアーチャーも、そしてケイネスでさえ、反対の声は出さない。

 アーチャーの背中が波を打ち、そこから飛行宝具が出てきた。

(なるほど、ああやって出現するのか。……ん? って事はもしかしたら、あれは宝具じゃない? 普通、宝具は霧が集まるように現れる。そうじゃなくても、伝承のプロセスを通って出てくるものだ。だから、ライダーの剣も準宝具級の武装ではある。元々アーチャーの宝具が飛行機ってのがおかしいんだ。もしかしたら、あの揺らめいてる何かの方が宝具なのか?)

 これが見られただけでも、収穫はあったと言える。しかし、まじまじと見すぎたのか、アーチャーの鋭い視線と目が合ってしまう。

「ずいぶん、熱心だな」

「いっ、いや……ボクは…!」

 先ほどの圧力が蘇る。出した言葉は、自分でも情けないほど上ずっていた。

「これこれ、あまり坊主をいじめてくれるな。それに、王たる者がちょいとのぞき見をされたくらいで、いちいち腹を立てるでない」

 助けに入ったのは、ライダーだった。丸まっていたウェイバーの背中をばしんと叩き、背筋を伸ばさせる。同時に、得体の知れぬサーヴァントの厳しい視線も、笑い飛ばして見せた。

 その態度に呆れたのか、それとも論ずるつもりは無いと言う意思表示か。視線を翻したアーチャーは、そこに子供達を乗せ始めた。

「それだけでは乗り切らなかろう。余の戦車にも乗せるがいい」

「何のつもりだ?」

 聞いたのは、ケイネスである。いつも深い眉間の皺を、さらに深く刻んで。

「貴様らは余と戦うつもりが無い。余も貴様らと、今事を構えるつもりは無い。つまり、この場だけの停戦協定よ。子供を負担するのは、その証みたいなものだ」

 忌々しげに鼻を鳴らし、視線をそらすケイネス。それを見たライダーは、仕方が無い奴だ、と言わんばかりに肩をすくめた。

 そんなやりとりを全く無視して、アーチャーは子供を戦車に乗せ始めていた。今まであった会話など、全く無視である。我関せずと作業を続けるサーヴァントを見て、もしかしたらこいつは、ライダーに匹敵するくらい我が道を行くタイプなのでは、と考えた。考えただけで、絶対に口には出さない。それに、よく考えてみれば。召喚早々マスターを見限って、他のマスターを探しに行くサーヴァントの我が弱い訳が無い。

 先頭を歩いたのは、アーチャーだった。背後を正確に、飛行宝具がふよふよと付いてきている。さらに後ろに、戦車が走る。最後尾では、徒歩でランサーとケイネス、その婚約者(名前は知らない)が付いてきていた。明らかに、何かあった時、挟撃できるようにした配置である。この状況で鼻歌など歌っているライダー。もうウェイバーには、宇宙人的な何かに思えてきた。

「ときにアーチャーよ」

 答えは無い。しかし、視線だけは面倒くさそうに背後に向いて来た。一応、聞いてはいるらしい。

「貴様も当然、倉庫でセイバーとランサーの対戦を見ていたのであろう。その時の余の呼びかけに、なぜ答えなかったのだ?」

 何言ってんだコイツ――という視線は、ウェイバーとあと一つ。背後のケイネスのものだった。

 聖杯戦争とは。たった七組十四名が基本の少数とは言え、まごう事なき戦争なのだ。真名を隠すのは当然だし、切り札を隠すのも当然。例えば、自分から真名を名乗ったり、知られたからと言って高らかに宣言したり。どっちがおかしいかと言われれば、間違いなく後者がおかしい。むしろ、ランサーは兵士なのだからともかく、何で軍を率いていたライダーやセイバーがそんな真似をするんだ、というレベルの話である。

 顎に手を置き、不思議そうに首を傾げるライダーに非難の色は無い。純粋に疑問なだけなのだろうか、もはやそれを疑問に思っている点が疑問だ。

「見てはいたな。見てただけだが」

「と言うと?」

「声は聞いてない」

「あー、そりゃ仕方がないのう」

 やる気無さげでも、受け答えだけはしっかりしている。案外付き合いは悪くないらしい。

「ちなみに、おぬしの名はなんと言うのだ?」

 視線を前に戻しかけていたアーチャーが、再びライダーに視線を戻した。その色は変わっている。とても面倒くさそうに、嫌そうに。気持ちはとても理解できた。ウェイバーも、そんなことを聞いてくるマスターがいたらとても嫌だ。

「……なんで」

「貴様、王であろう? さっき否定しなかったしな。王であるならば、己が名を名乗りを憚るまい」

「いや、憚るだろう。これそういうルールじゃねぇし。そもそも戦争の基本は、物量で押しつぶす。出来なければ奇襲内応だ。物量と奇襲方法を相手に教えてどうするよ」

 その通りだと、思わず強く頷いたウェイバーは悪くない。ケイネスも同じように頷いていて、ランサーが少なからずショックを受けていた。が、まあ。それは彼らの問題であり、ウェイバーが気を揉むような話ではない。……しかし、ランサーを初戦で投入するケイネスは、人の事はあまり言えないだろう。これも当然、口には出さない。

「なんだ、ケチくさいやつめ。器が知れるぞ」

「広くも狭くも勝手に見てくれ。お前が広い器を見せてくれてる間、俺は確実に聖杯をいただく」

「むぅ……堅い奴め」

「何言ってるんだ、相手の言うとおりだろ!」

「坊主こそ何を言っているのだ。よいか、ただ座して手に入れられる情報など、たかが知れているものよ。真に必要な情報は、自分で動かなければ手に入れられん。特にアーチャーの奴について分かったのは、余の戦車に匹敵する飛行機を持っているのと、ここらを焼いた何かがある、というだけだ。弓兵としての本領すら見せていないのだぞ。多少無茶でも、突っつかねば分からんのだ」

 その言葉に、息が詰まった。

 アーチャーは戦闘らしい戦闘をしていないのだ。キャスター討伐でも、この閉所では本領を発揮していない可能性が高い。してきた事が多彩すぎて、技能とスキルと宝具、どれでどれを行ったのかの判断すらできていない。そして、これからも可能な限り隠し通すだろう。

 やってみなければ分からない。それは、一つの真理だ。ネズミは猫に勝てるのか。夜と朝は交互に巡るのか。ハンバーガーの中に、ピクルスは入っているのか。もしくは、聞いたら答えてくれるのか? 無謀であるかも知れないし、案外容易いのかもしれない。しかし、それを言うのは馬鹿馬鹿しい、という点については、誰もが共通して抱く認識だろう。当たり前の事なのだから、当然だ。当然だから、誰も試さない。意味が無い。

 言うなればそれは、常識と習慣だ。常識だから、当たり前。習慣だから、それで当然。わざわざやるまでも無い、確認するまでもない事柄。答えは聞かずとも、そこに置いてある類いのものだ。それで事が済めば、それでいい。それ以上など余分であり、不必要な事をわざわざリスクを冒してまで、見る必要はないのだから。

 では、それで分からない事のリスクは、どうやって判別すればいいのか。これだけのリスクを負えば、これだけメリットが戻ってくる。そんなことが分かっていれば、それはもはや常識であり習慣だ。誰もが確認し尽くし、使い古されている。

 それでは足りないから、例え馬鹿馬鹿しくとも、試さなければならないのだ。

 誰に憚る事も無い、だからこそ常識など考慮せず、ものを試してみる。その先にこそ、新たな道があると知っているのだ。憚る事がない故の征服王なのだから。

 ライダーの言うとおりだった。何でも試してみなければ、分かることなど何もない。怯え、自重したところで、それで得られるのは自分は常識的だったという満足感だけだ。それこそ、本当に無意味だというのに。

 己の矮小さを見せつけられたようで。言い様のない敗北感を感じた。

「そうだな、それを本人の前で言わなければ完璧だったな」

「何を言う。このイスカンダル、誰に憚る事などない。ゆえに誰かに聞かれて困るような事などありはせんのだ」

 些末だ――と大笑して飛ばす。そしてすぐに、顔を子供のように輝かせ、身を乗り出した。

「で、突っつかれて何か反応してくれるのかのう。余としては、聖杯にかける願いなんぞでも良いぞ?」

 言われたアーチャーは、ふと考え込んだ。珍しい反応である。今までは、自分の中で言っていいラインといけないラインを明確に線引きし、即答していたのに。それでも、どれほども考え込まなかったが。

「受肉だ」

「ほほう、貴様も余と同じか。あれか、この世にもう一度己が帝国を築こうって腹か?」

「そんなもんに興味は無い。普通に生きようってだけだ」

 実際、英霊にとっての普通というのは、想像が難しかった。ただでさえ、言ってしまえば古代人の同窓会のようなもの。それがこんな、狂乱甚だしい宴を開いているのだ。普通に生きる、と言われても、ろくな想像ができないのは、非難されるべきでは無い。恐らくマスターの誰に聞いても、同じような答えが出るだろう。

「とは言え」

 ぼそり、と。小さな声。誰かに言うつもりでは無く、独り言の延長のように。ただ、漏れただけの音。

 いや、漏れただけと言うのは正確では無い。少なくともアーチャーにとっては。それは、漏れただけ、ではなく『漏らしてしまった』だ。

「聖杯が、それを叶えられれば、の話だけどな」

「お、おい! ちょっと待てよ、それってどういう意味だ!?」

 それは、断じて聞き捨てならない台詞だった。それこそ、聖杯に望む願いがあるのではなく、聖杯を勝ち取る、それが目的のウェイバーですら。

 ライダーの笑みが深まった。今までのような、人のいいものでは無い。あえてそれを表現するならば……王のような笑みだった。

「やはり、何か知っておったな。前半、情報収集に徹していただけはあるわい。恐らく全ての陣営中、もっとも聖杯の真実に近いであろうよ」

「ライダー、それはどういう意味なのだ? 聖杯の真実だと……おまえも何か知っているのか?」

 ランサーの声は厳しく、切羽詰まっていた。

「偉そうに言っておいて何だが、余は何も知らん。ただ漠然と、違和感があったというだけよ。だから、そいつを詳しく掴んでいそうな奴に聞こうというわけだ」

 全員の視線が、一斉にアーチャーに集まった。彼の顔は前を向いており、その顔色は窺えない。だが、答えだけは返ってきた。ため息と共に。

「証拠は無い」

「けど、ある程度の確信はもってるんだろ? だったら教えてくれ」

 ウェイバーは御者台から、殆ど体を放るような体制で乗り出した。鋭く閃く、アーチャーの視線、それに恐怖しないわけでは無い。ただ、ここは引けない場所だったと言うだけだ。両足をがくがくと振るわせながらも、しかし維持し続けた。

「聖杯は、自分に望みがある者を呼び込む。足りなければ、近場で素質、この場合魔術回路がある者を数合わせにするわけだが。そいつらの基準は何だ? この広い街の中、魔術回路を持つ者があいつだけと言うこともあるまい。それでも聖杯は、候補の中から殺人鬼のコンビにしたんだ。まるで、そいつらが一番ふさわしい、と言ってるように」

「お、おい、待ってくれよ! それってもしかして、聖杯ってむちゃくちゃな危険物じゃないのか!?」

 もし、言っている事が正解であったのならば。聖杯とは、破壊と殺戮を望んでいる――そういう風に聞こえた。

「しかし、貴様はまだ現界を続けておる。それも、勝つつもりでな。なあ、アーチャーよ、その聖杯とは、何とかなりそうなものなのか? それとも、何とかしなければまずいものなのか?」

「……。両方だ。この聖杯が魔術儀式である以上、魔術師の協力は不可欠だがな」

「ランサーと組んだ裏には、そういう事情もあったわけだ」

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは世界有数の魔術師だ。確かに、ケイネスであれば、聖杯の異常を何とかできるかもしれない。逆に言えば、彼に出来ないのであれば、誰にも出来ないだろう。

「おもしろい、おもしろいぞアーチャー。未だ見ぬ器だ。その上、余と同じく王と来た。その器、比べたくなってくるのう」

 戦車の上で、ぐっと立ち上がるライダー。野獣のような笑顔が、アーチャーを付け狙った。そこには、殺意や闘気は含まれていない。純粋な圧力が、ライダー風に言うのであれば、王の器を発散しているのだろう。

 その隣にいるウェイバーは、思い切り圧倒された。今まで、見たことのない姿を見せる、己のサーヴァント。それは自分を対象にしていないのに、余波だけで屈服しそうになる。そして、それを受けて平然と歩き続けるアーチャー。どちらも異常で、頭のおかしい連中だ。全く持って理解できない。

 ライダーの勢いは、なおも止まらない。顎髭をぐしゃりと潰しながら、節くれ立った指でなで回す。その眼は大きく開かれ、爛々と輝いたままだ。

「しかし、この戦争、王が三人も雁首揃えてただ剣を交えるだけ、というのも面白くない。それぞれの王の器、試してみたいと思わんか? ん?」

「……酒か?」

「く、くくくっ。ただの堅物でもなく、話は分かる、か。いよいよもって貴様の器、覗いてみたくなったわ。ならば、否やはないであろう? それぞれ、自分が掲げる杯を持ち、その内を見せ合うのだ」

 どこまでもぎらつき、今にも吠えそうな、満ちぬ静けさ。戦にして、戦にあらず。それですらなのか、だからなのか。ライダーは、今までの聖杯戦争で一度も見せなかった猛りを見せた。

「ランサーも来るがいい。王でないとて、貴様も騎士よ。それにふさわしい器を示せ。余の誘いを断るならば、余の器に収まりきらぬ、と証明して見せよ」

 心情的には行きたいのであろう。しかし、彼は忠実な騎士としているならば、主の意向を無視することはない。ケイネスの顔を伺うが、考え込んだままで、回答する気配は無い。聖杯について、それほどショックだったという訳でもない様であるが……その内心まではうかがい知れない。

「場所は、セイバーの所だな」

「うむ、そうなる。他にできそうな場所がないしのう」

「……いいだろう。ランサー、参加する事を許可する」

「ありがとうございます、ケイネス様。そういう訳だ、征服王。俺も参戦させて貰うぞ」

 その会話の、何が決め手だったのかは分からないが。とにかくそこに決断する要素があったらしく、考え込む姿勢から顔を上げた。

「それで、何時に向かえばいいんだ?」

「あん? そんなもん、用が済んだら適当に向けばいいではないか」

「嫌だ」

 なぜか。本当になぜか、すっごい真顔で言うアーチャー。

「俺は待つのも待たせるのも嫌いなんだ。時間指定しないなら行かない」

「何と言うか……キャラの分からん奴よのぅ。それなら、あー、酒が入るから、十時過ぎくらいでどうだ?」

「分かった。十時に向かう」

 行きは戦車で飛ばしていたため、一瞬に思えた道も。ゆっくり進めばやたらと長く感じ。やっと、日の光の下へと出ることができた。長時間暗い場所にいたために、日の光が目に痛い。

 休戦は延長される事が決定し、その場で彼らは去って行った。子供達を半数押しつけられる形になったが、それは仕方が無いと諦めるしか無い。

 それよりも、ウェイバーには言わなければならない事があった。何をおいても、とりあえずこれだけは。

「ライダー」

「ん? なんだ坊主」

「時間、マジで守れよ。アーチャーって、時間を破るのも破られるのも絶対に許さないタイプだ」

「……うむ、余もそう思った」

 終始、どこか気のないキャラであったのに。時間を指摘するところだけが、本気すぎて別の意味で怖かった。

 

 

 

 喋りすぎてしまったと言うべきか、喋らされたと言うべきか。ライダーに、ずいぶん余計な事まで知られてしまった。聞かせておいた方がいい話もあったのは事実なのだが。その課程で、別の情報まで奪われたというのは、さすがイスカンダルと言わざるをえないだろう。

 なにしろ、語る雰囲気を作ってるのがやたら上手い。そして、語らなければケイネス達に不信感を与えるような言い方も。恐らく、小細工を好まない性格だから、無自覚なのだろうが。あれを自覚してされていたら、勝てる気がしない所だった。まあ、基本遊び人気質な人間ではあるのだし、そこだけは救いだ。

「それで、そろそろ説明して貰いたいのだがね?」

 子供達の処理を終えて(と言っても、適当な所に転がして、警察と教会に連絡しただけだ)人気の無い街の空白に入り込む。その上に、念のため結界を敷いたケイネスが聞いてきた。言えなかった理由はあれど、聖杯の事を黙っていたのが気に入らず、眉間に力が入っている。

「あの愚か者のライダーの言に乗った理由があるのだろう。そうでなければ、貴様がわざわざ聖杯戦争中に、宴会の誘いになど乗るまい」

 歩数にして、およそ五歩ほど。それが、俺とケイネスとの間にある空間だ。少し開きすぎているため、声が大きい。消音の結界も重ねて敷いているので、それでも問題が無いと言えば無いが。あらかじめ使い魔でも潜りこませておくのでなければ、聞かれたりはしないだろう。

 ちなみに、微妙に距離が離れているのは、ソラウの為だ。彼女は聖杯戦争に対する興味が薄く、大抵はランサーにべったりである。最大の護衛対象が近くにいるものだから、ランサーも迂闊に俺に近寄れない。そうすると、ケイネスがランサーに合わせて距離を置かなければならなくなるわけだ。ちなみに、俺に対する態度がずっと刺々しいのも、隣で婚約者が堂々と浮気しているからである。八つ当たりに文句がある事はあるのだが、哀れで全く指摘する気にはなれなかった。

「聖杯ってのは、どこにあると思う?」

「どこに?」

 はっ、と鼻で笑う。表情はあからさまに、下らない問いかけだと言っていた。

「答えは、この世ならざる場所だ。どこと聞くのであれば、それはどこでもない」

「そうだな。だが、これが魔術儀式である以上、そこに至る前段階の受け皿が必要だ。儀式にて『成った』ものを蓄積して、聖杯に至る為の道筋が」

「……なるほど、それならば明確に、この世にある。そしてそれを……アインツベルンが持っているのか! そうか、だから貴様はライダーの口車に乗ったな?」

「アインツベルン城への侵入、あくまでライダーの主導だ。警戒は当然されるだろうが、俺たちが直接侵入するのとでは比べものにならない。そこで、聖杯の欠片なり術式の一部なり、手に入れれば」

「直接聖杯にたどり着けずとも、観測くらいはできるか。そこから、異常を調べ、対抗手段を練ろうと言うのだな」

「ついでに言えば、敵情視察の目的もある。ライダーが俺たちにやった事を、今度は俺たちがアインツベルンにやってやるわけだ」

 正直に言えば、そんなことはしたくなかったのだが。切嗣と雁夜のつながりがどうなっているのか、確認をしておきたいのだ。特に、雁夜が城で治療に専念していた場合、バーサーカーの能力に関わる。

 これについては、ランサー達が来なくても、俺一人でやるつもりだった。どちらにしろ、アイリスフィールに対する事前調査は必要だからだ。ここで得た情報は、当然ケイネス達に回さない。それを察知したからこそ、付いてくると言う決断をしたのだろう。一蓮托生に近い関係ならば、少しでも俺がやることの成功率を上げた方が、彼らの利益にもなる。

「相手に警戒されないように、となれば派手には動けんぞ。どうやって探しだし、一部を奪うつもりだ」

「目的のものは、恐らくアイリスフィール本人だ。普通の手段では取り出せないが、少しばかり抜き取るだけなら問題ない」

 恐らくどころか、知ってるのだが。

 アイリスフィールの内部にある聖杯を取り出すのは、宝具の力があれば簡単だ。当然、内包する聖杯の全てを取ろうとすれば、確実に気付かれるだろうが。ごく一部分をかすめ取るだけであれば、異常は発生しない。つまり、気付かれるような反応は現れない。

 もはや達観に近いため息が聞こえる。まあ、気持ちは分かる。俺も、逆の立場だったらそうなっていただろう。

「ついでに、奴らに「聖杯に異常があります」と言ってみるのもいいかもしれんが……」

「やめておけ、無意味だ」

 ケイネスが自信に満ちあふれた顔で断じる。聖杯の異常、それを肯定するまでに、彼なりの魔術的ロジックがあったのだろう。それは自分くらいでも無ければ理解できない、という自負が満ちあふれている。

「ああ、一応確認しておく。ランサーと一緒に、お前達も来るんだろ」

「当然だ」

 いくら拠点を手に入れたとはいえ、所詮は急ごしらえ。これから陣地を構築しての防御能力は、よくて二流魔術師の進入を防ぐという程度だろう。良くも悪くも、工房とは主がいて最高の性能を発揮するものだ。俺が宝具でがちがちに固めるのとは訳が違う。

 ランサーだけを向かわせる、というのはあり得ない。もし戦闘になった時、魔力供給に不安が出てくるのだから。最低でも、ケイネスが出向かなければならない。しかし、前記の通りに、工房にソラウだけを残すのは、暗殺の危険が恐ろしく高かった。ケイネスが構築した工房を、ソラウが十全に機能させられる訳がない。実力的も、経験的にも。

 工房攻略にビルごと爆破をするような奴を相手に、その程度で勝負する気にはなれない。ましてや、まだアサシンのサーヴァントが健在ならば、ホテル上階に用意してあった拠点でも、完璧とは言い難かっただろう。

 当然、俺の拠点で保護しておく、というのは最初から選択肢にない。危険から身を守る為に、熊の巣に逃げ込むというのはただの馬鹿だ。

「じゃあ時間になったら迎えに行こう。拠点をどれにしたかだけは教えてくれ」

「これだ」

 一枚の紙を見せると同時に、残りを渡してくる。個人的には、こんなものあっても使い出がないので、貰ってくれても構わなかったのだが。まあ、向こうも余計な事をして、借りを作りたくはあるまい。

 その場で彼らと別れ、背を向ける。

 これから、ケイネスは大変だろう。ただでさえ、徹夜をしているのだ。その上、アインツベルン城と下水、二度の戦闘をこなしている。疲労は限界に近いだろう。サーヴァントへの魔力供給は別人、二度目は補助のみであっても、楽ではない。仮眠をしてから、陣地構築するのか、防衛陣を作ってから眠るのか。どちらにしても、ゆっくり休めるのは大分先になるだろう。そう言えば、教会にも行かなければならないのか。キャスターを倒したのだから、令呪をもらえる。

 俺たちは令呪をもらうつもりがない。利用できれば、少し無理をしても行く価値はあったのだが、使えないんじゃ顔見せ損しかない。

 令呪の一番のキーは、意思によるものらしい。それを励起させるだけの感情の高ぶり、それこそが鋭い指向性と奇跡を作り出すのだ。つまり、感情が殆ど死んでいる桜では、どうあっても令呪は起動しない。あくまで人が使うことを前提に作られているのであり、人形が使えるようには出来ていない。酷い言い方だが、これが一番しっくりくる表現だった。

「ただいま」

 家に帰って、声をかけるが、返事が無い。そして、部屋は真っ暗だった。カーテンを閉め切り、明かりもつけていない。

 一瞬、誰かが攻めてきたのかと思ったが、それは違うと思い返す。警戒の網の隙間を縫うのは、ほぼ不可能だ。武力による強引な攻略であれば、とっくに俺が気付いている。なにより、ラインの流れは正常だ。

 ゆっくり、部屋に入っていく。内部はやはり、暗かった。電気のスイッチを探して手探った所で、ふと小さな音が聞こえた。かたかた、かたかた、という、ものが小刻みに振動するような音。音源はすぐに見つかった。部屋の隅にいる、桜だった。

「お、おい、何かあったのか!」

 駆け寄って、彼女に触れてみる。体温は氷のように落ち込み、反応が返ってこない。いや、反応が恐ろしく鈍いだけで、それ自体はあるのだ。ゆっくりと顎が持ち上がり、視線が交わる。幽霊どころでは無い。完全に、死人の瞳。

 よく見えないが、恐らく青白くなった唇。それが、ちいさく開いた。

「……ひと……あかい……いたい」

「っ! 馬鹿が、見るなとあれほど言っておいただろう!」

 好奇心だったのか、それとも覚えのあるにおいを思い出したのか、または偶然か。何であったにしろ、彼女は見てしまったのだ。かつて、自分が所属していたそこのような、地獄の光景を。

 俺は、この短期間では、桜はどれほども変わらないと思っていた。しかし、それは間違いだったのだ。目に見えなかっただけで、彼女の心は順調に癒やされていたのだろう。そして、癒やされていたからこそ、その光景に強い恐怖を感じたのだ。光にすら怯えて、膝を抱えて蹲るくせに、声すら上げられない程に。涙も出せず、ただ、何かが迫るのを諦めるように、部屋の隅で小さくなっていた。

「もう大丈夫だ、大丈夫だから……。ごめん……ごめんな……」

 空虚なままそこにいるだけの少女を、強く抱きしめた。そうすれば、何かが変わるのだろうか。桜が安らげるようになるとでも言うのか。そういう事にして、彼女に優しくして、そして、免罪符を得たつもりになっている。本当に安らぐのはどちらだ? 彼女に優しくして、抱きしめてあげて、泣いていたならば涙を拭ってやってもいい。そして、したり顔で言う俺。もう大丈夫だ。

 笑える。馬鹿馬鹿しくて、笑いが止まらない。観客のいない三流映画でありそうな、三文芝居だ。金と、自分の愚かさを笑って捨てるならば、丁度いいのかも知れないが。ゴミ箱にたたき込んだパンフレットには、でかでかと『マッチポンプ』の文字が、非難がましく躍っている。

 桜を蟲蔵から助けたのは俺、今トラウマに震えているのを抱きしめているのも俺。そして、聖杯戦争に巻き込んだのも俺、キャスター主催のスプラッタ・ムービーを見せる原因を作ったのも俺。酷い話だ。とても、酷い話だ。

 俺は、あと何回くらい、彼女を痛めつけるのか。そのたびに、こうしてごまかし続けるのか。何度でも、するのだろう。少なくとも、聖杯戦争が終わるまでは。

「わらってた……おじいさま……みたいに……」

 膝を抱えていた小さな手が、俺の背中に回る。保護者を求めて、抱きついてきたのだ。こんな俺に。当然だった。彼女には頼れる人間などいない。彼女を道具のように扱った、俺しかいない。

 どうする事もできない。こうして優しくして、自分が救われた気になるのがせいぜいだ。

 それでも、それだけは出来るのであれば。俺は桜が満足するまで、そうしている。氷のような少女に暖かさを分けるように、その矮躯をしっかりと抱え込んだ。桜の震えが止まったのは、もうすぐ9時になろうかという時間だった。


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