ちょっと意味がわかりませんね。便利すぎて困る遠見宝具を見ながら、俺は心の中でつぶやいた。実際は言葉程度の動揺ではなく、背中が煤けてすらいるだろう。
事の始まりはどこだろうか。少なくとも、俺がきっかけになっているのは間違いないのだろうが。上手く動いていない頭の中を、なるべく整理してみる。
まずは、今日の朝だ。俺は遠見宝具を出しっ放しにしていた。どうやら桜は遠見宝具を気に入ったようで、暇があれば見ている。これは俺ではなくても調整ができる。相変わらず無表情だが、彼女は自分で対象を変え、使用していた。……ストーキング的なウォッチング趣味に目覚めないことを祈るばかりだ。
そして昼頃、聖杯と言うか監督者から招集がかかった。当然、これに応じないという選択肢は無い。こちらが目をつけられるし、情報も欲しかったから。
しかし、連絡手段は問題だった。俺の元が元だけに、目立たず何とかする方法が全くない。仕方が無いので、最低ランク宝具を飛ばしたのだが。最低でも宝具は宝具、目立つことこの上ない。到着した時、言峰なんちゃらにすごいぎょっとした顔をされた。きっとどの陣営も、使い魔の向こう側で同じような顔をしていただろう。
予想通り、かなり詳しく情報公開をしてもらえた。ただ、向こうもアサシンの存在は隠しているのか、見失ったのか。現在地までは教えてもらえなかったが。宝具を撤退させる際、そっと紙を一枚置いていった。あれを言峰が発見していれば、切嗣にストーカーのごとく粘着質さを見せてくれるだろう。そして出来れば出歩かないでくれ。
桜から遠見宝具を返してもらって、町の可能性が高い場所を探したが、やはり見つからない。幸運が低いのだろうか。出向いて探す気はさらさらない。効率は宝具を使うのと大差ないからだ。それに、下手に他の陣営とあって遭遇戦をするのなどごめんだし、共同作戦で戦法を見せるのはもっと嫌である。
ちなみに、宝具を取り上げても、桜からは特に抵抗がなかった。どうやら彼女、見ること自体が楽しみなようで、何を見るという目的はない様子。それはそれで危険な気がしたが。
探索を続けては失敗し、はや夕方。町中で発見は失敗したので、アインツベルン城の森の入り口で張ることにした。しかし、これも問題だ。森はかなり広域に広がっているのだ。つまり、入り口が1カ所な訳が無い。普通に開かれて、徒歩に適した場所で数カ所。道を歩く気が無いのなら、どこから入ったっていい。
この広大な範囲を、限られた場所だけ張る。この時点で失敗フラグだ。それでも俺は頑張った。そして失敗した。もう泣きたくなった。今までの運頼りは全部空振りである。
発見した時はセイバーとキャスターの戦闘がすでに始まっていた。それでも隙あらばばと言うことで、準備だけはしていたのだが。そのうち、セイバーの動きがやたら落ち着き無くなった。
何事だ。まだランサーも到着していない。視点をかえて、原因を探してみると、なぜか予想より遙かに早く言峰が強襲している。なぜだ。俺が余計なことをしたからですね。それでも、この時までは問題ないと思っていたのだ。
ランサーの到着とほぼ同時、なぜかバーサーカーが出てきた。他の二人には目もくれず、海魔をなぎ倒し始める。セイバーはさっさと戦線を離脱して、アイリスフィールの援護に向かった。
訳が分からない。バーサーカーの出現とか、どうやって連絡を取ったとか、疑問が山ほど出てきた。考えられる理由は一つだ。それ以外に考えられない。
どう見ても切嗣と雁夜が同盟を組んでいます、本当にありがとうございました。
「なんでじゃ!」
瞬間、叫んだ俺は絶対に悪くないと言いたい。隣でびくり、と肩を震わせた桜になごんだが、それも僅かな間だけ。すぐに頭痛に戻される。
よく考えてみよう。雁夜が切嗣と、もしくはその逆が同盟を組む理由があるのだろうか。
雁夜が時臣につっかかる理由は、実は殆ど消えている。時臣はサーヴァントに裏切られ、少し溜飲が下がった。桜の安全も、俺のマスターという最低ラインは保証されている。そして、ああして自由に動けるということは、その程度には間桐臓硯が疲弊しているのだろう。つまり、原作よりも多少精神的な余裕がある。彼にあと必要なのは、聖杯戦争後信頼できる預け先だ。
知っている人間からすれば、ウェイバーよりも切嗣を信じるというのは驚く結論。しかし、彼が持っている情報と、魔術師を嫌っているという特徴――魔術なんて知ったこっちゃ無いという態度の切嗣は、一番まともに見えたのだろう。
対して、アインツベルン。雁夜はとても都合がいい使い捨ての道具だ。俺の情報が渡っていれば、多少無理をしてでもバーサーカーが欲しいと思うだろう。桜も、自己主張がないのであれば、殺すまでもないと判断するかも知れない。殺すつもりでも、久宇舞弥を隠しておけばどうにでもなるだろう。
……利害が一致しなくも無かった。
ぶわりと冷や汗が流れる。凄く危険な流れだ。単体ならまだしも、この二人に組まれると死亡率が跳ね上がる。
バーサーカーは対処法が無いわけではないと言うだけで、相性が宜しくないのに変わりない。こいつが武器を持って壁に徹すると、セイバーに余力を持たれてしまう。余力を持たれると、エクスカリバーの危機だ。一人だけならばどうにか出来るだろう。しかし、アロンダイトが一緒に発動したとなると、押し切れる保証が無い。その隙にカリバーを食らいデッドエンド……ありそうで困る。
あの時に、雁夜を殺しておけばよかった。咄嗟であり、そこまで考えが回らなかったとは言え、間桐邸ごとなぎ払う事はできたのだ。後悔が押し寄せる。
こうなると、ランサーがどうでもいいと言っていられない。彼の槍が健在な限り、エクスカリバーは封じられたままなのだ。
今立たないと積む。切嗣勝者で俺があぼんする。そうならない為にも、最低限は横槍を入れに行かないと。
だっと、ソファーから立ち上がる。気合いたっぷりの俺の姿に、桜が反応した。
「ちょっと聖杯戦争に参加してくる」
「……いってらっしゃい」
桜の激励(ではないだろうが)を背中に受けて、窓から飛び出した。
水銀の膜が弾丸と虫の山を弾く。激しいあたりを見せるが、その程度ではロード・エルメロイが作り上げた最高の魔術礼装、月霊髄液は小揺るぎもしない。その圧倒的性能とは裏腹に、使い手であるケイネスの苛立ちは頂点に達しそうだった。
「っぐ、アイリは!」
「はぁ……ぜぇ……っ、セイバーには、連絡を入れた! キャスターにはバーサーカーを向けた!」
「まだ隠しておきたかったが……」
「無茶を言うな!」
「この私を前に、ごちゃごちゃと相談事をする余裕があるのかね?」
攻撃が途切れた瞬間を狙い、圧縮水銀の鞭を振るう。身を隠していた道具が軒並み吹き飛ばされ、獲物はさらに無様に逃げ出した。いい気味だ、ケイネスは思う。しかし、この程度で許してやる気は毛頭無い。
「科学などに頼る落伍者と、この程度の魔術行使しかできん未熟者が……。身の程を弁えろ!」
紙の様に薄い三枚の刃。目隠しの為に展開された虫をあっさりと吹き飛ばす。合間を縫って飛んでくる弾丸も、月霊髄液の自動防御能力があれば問題にならない。
面白くない。全く持って、面白くない。唇を噛みながら、気概の欠片も感じられない獲物を追いかける。
(私の魔術は、このようなつまらない事に使うために高めたのではないと言うのに……!)
つまる所、それが全てだった。
ケイネスが求めたのは、あくまで魔術師同士の闘争。魔術を蔑ろにする愚か者の始末、それ自体が、すでに魔術に対する冒涜だった。
魔術師とはつまり、世界の回答を求め続ける探求者であり。魔術とは即ち、真実を追い求めるための資格なのだ。だからこそ魔術師は、自分の工房に籠もり、追求を続ける。三流魔術師はまだいい。未熟極まりないが、未熟なだけなのだ。分を弁えているのなら、支援してもいいとすら思っている。
しかし、魔術を道具になり下げた愚か者は別だ。百度殺しても殺したり無い。そして、その愚か者を始末するのに魔術を使っている自分も、また腹立たしかった。
気分が悪い。最悪の気分だ。ケイネスの愛する人、ソラウがランサー風情に籠絡された時ですら、これほどの怒りは無い。
激情は、確実に目を曇らせていた。もし普段通りの冷静さを保っていれば、あるいは気付いたかもしれない。己が罠にはまり、着々と死へと近づいていることに。
確実に迫る死、その流れを寸断したのは、彼自身ではなかった。当然、彼の従僕でも、ましてや獲物と見下している連中でもなく。
屑が銃を投げ捨てる。そして、別の銃を構えた。性懲りも無く――鼻で笑い飛ばしながら、月霊髄液は自動防御を開始する。あんなものでは、傷一つつけられないのをまだ理解していない。
戦闘を継続していられたのも、この時までだった。
唐突に、窓ガラスが全て割れた。粉々に砕けたそれは風圧に乗り、雨のように降り注ぐ。
獲物の二人は、咄嗟に体を丸めて防いでいた。それでも、鋭利なガラス片を防ぎ切れず、体中に裂傷を負う。対してケイネスは、そのような手間をかけること無く、魔術が防いでいた。だからこそ、現状を把握するのが一番早い。
窓ガラスを吹き飛ばした原因。外にいたのは、巨大な飛行機に乗った、黄金の男。悠然と見下ろしながら、そこに佇んでいた。
「馬鹿な、サーヴァントだと!?」
唯一、情報が全く入らなかった、最後のサーヴァント。おそらくはアーチャーであるそれ。自陣営に籠もりながら、虎視眈々と漁夫の利を狙っているとは思っていた。しかし、まさかこのタイミングで襲いかかるとは、予想だにしていない。
いや――考えてみれば、絶好の機会なのだ。マスターが三人、サーヴァントを自分から離し、争い合っている。
(~っ、迂闊だったか!)
至極当然に争い、聖杯を欲するサーヴァントであれば、付け入らないわけが無い隙。自分のサーヴァントが正面決戦に固執するあまり、その存在を忘れていた。
アーチャーが剣を手に取り、横に構える。
(受けきれるか!? いや、破魔の紅薔薇のような能力があったら……)
余計な事を考えて、動きが追いつかない。そもそも、体の反応速度が英霊のそれを凌駕するなどありえないのだ。一瞬先にある確実な死、それに最も早く反応したのは、意外にも死にかけの男だった。
「バーサーカー!」
男の右手に宿るそれが一角、弾けて消える。膨大な収束魔力は一瞬にして霧散し、意思に呼応して姿を変えた。光の道筋が一瞬にして構築され、あり得るはずの無い奇跡――つまり瞬間移動を現実のものとし、次なる奇跡は具現した。黒い甲冑の、茫洋とした暗黒騎士。それはアーチャーが剣を振るうよりも早く動き出し、そして、甲冑で剣を弾いて見せた。
「チッ!」
小さな舌打ちが聞こえる。それは、バーサーカーが現れた事に対してか、それともパワー負けをした事に対してか。
押し返される力に逆らわず、アーチャーは飛行機ごと後退。まずい――誰もが感じた。アーチャーは、遠距離攻撃を得手とするからこそアーチャーなのだ。少なくとも、遠距離攻撃ができない間抜けなアーチャーはいない。ただでさえ、有効な攻撃手段がサーヴァントによる攻撃しかないのだ。そのサーヴァントの攻撃すら届かない場所に行かれてしまえば、なぶり殺しにされてしまう。
アーチャーの背後が揺らめいた。陽炎のように、ではない。水面に水滴を落としたように、弧を描いて波紋を作り、それがいくつも現れる。それに恐怖をしたことを、ケイネスは恥じることはできなかった。それに驚異を感じたのは、魔術師的な感覚でも、時計塔の誇る一級講師としての勘でもなく、もっと原始的な生存本能、それが悲鳴を上げたのだ。
がむしゃらになって、自分に出来る最高の防御陣を構築しようとする。それが……その程度で、どれほど役に立つか分からなかったが。人は死を間近にすれば、頭を抱えて背中を丸める。それと同じように、彼は詠唱をした。
集中力の無い術式に、魔術は答えない。それがケイネスの、本日最大の失敗であり、それを必要とする事がなかったのが、本日最大の幸運だった。
それの接近に気付いたのは、アーチャーとバーサーカーだけだった。彼らのみ反応した事こそが、人知を越えた存在の襲来を教えている。
アーチャーが右側に向かって、剣を振るう。いや、それは振ったのではなく、盾にしたのだろう。直後、金色に、巨大な青い弾丸が命中した。分厚い金属を無理矢理引き裂いたような、強烈な異音。接触時に生まれた火花は、アーチャーの姿を隠すほどに大きかった。
飛行機ごと押し飛ばされたアーチャーは、しかし無傷であり。受け止められ軌道を変えた弾丸を目で追った。
城の壁面に、黄金に輝く剣を突き刺しブレーキ代わりに。魔力で編んでいる筈の甲冑を脱ぎ捨てた、剣の精霊が力強くアーチャーの視線に答えていた。倉庫でも見せた風魔術宝具の応用、圧縮風圧を推力にして、一瞬で飛んできたのだ。
体をアーチャーに向け直したセイバーは、剣を後ろ溜めに構えた。切っ先で渦巻いている暴風は、まだ収まっていない。いつでも飛び出せ、かつ致命傷を狙える構え。当然、それにまんまと引っかかるアーチャーではなかろう。しかし、今はその隙を作る役割をこなせるバーサーカーがいる。
一瞬の均衡、それもすぐに破られる。
「主よ!」
セイバーより僅かに遅れて、ランサーが飛び込んできた。黄槍と紅槍を構えて、他の全てのサーヴァントに対応できるよう、位置を取る。
「これまでだな」
最も早く見切りをつけたのは、アーチャーだった。飛行機を浮かせながら反転させ、離脱を計る。
「ここまでされて逃がすと思うか、アーチャー!」
セイバーの怒声に、しかし反論はなかった。その代わり、ずだん、と床に剣が刺さる。そこは、ケイネスが獲物にしていたマスター二人の、丁度中間だった。
「くっ!」
悔しげなうめきが聞こえる。まだ戦うならば、魔術師を集中的に狙う、そう言っているのだ。ただでさえ空を飛べて、遠距離攻撃が出来るサーヴァント。それに加えて、マスターを守るために足を止めながら戦うのでは、勝負にならない。
双方ともが、今よりも自分に有利な戦場がある、そう判断した上での行動だった。
「ケイネス様、失礼します」
言うランサーの撤退も早い。槍をしまってケイネスを抱くと、全力でその場を離脱する。
その時、ランサーが進行ルートをアーチャーに併せて取っている事に気がついた。元々ランサーの俊敏は今大会最高値。普通に追っても追いつけない。しかし、万が一割り込まれた場合、アーチャーを巻き込む事を保険にしたのだろう。一体二ならば躊躇がなくとも、ニ対ニもしくは混戦にされるならば躊躇う。少なくとも、向こうのマスターはそう判断するだろう。ケイネスも同様の判断をする。
撤退自体は、恐ろしく順調だった。途中妨害に遭うことも無く、拠点である廃墟まで何事も無い。
ソラウからかけられた労いの言葉は、あからさまにランサーの方が比率が高い。収まらぬ苛立ちが、さらに加速される。
「主よ、申し訳ありません。キャスターを後一歩の所で取り逃がしてしまいました……」
「セイバーに続いて、キャスターもか」
「恐れながら……!」
「まあいい」
ランサーの言葉を、どうでも良さそうに打ち切った。今、彼の感情が向いているのは、ランサーではない。それが分かったから、ランサーも言いつのりはしなかった。
無言でどかりと、椅子に座り込んだ。思い出すのは、先ほどの戦闘の事。近代兵器に頼り、魔術を道具に貶めた落伍者。あれをあと一歩の所で始末できたのに。それを邪魔してくれたのは、アサシンを始末して以来、初めて戦闘に参加したサーヴァント。
「おのれ、アーチャーめ……!」
「ずいぶん嫌われたみたいだな」
「っ! 貴様、いつの間に!」
ランサーが構えた槍の穂先。明かりすら最小限の、暗い闇の中。漆黒にまみれながら、しかしその輝きを僅かも曇らせない男がそこにいた。
着ているものは鎧でも、魔力に溢れたものでもなんでもない、ごく普通の服。しかしその金髪と、紅の瞳。なによりそこにいるだけで圧倒される存在感を、忘れられる筈が無い。
アーチャーはランサーの威圧に、僅かも怯まない。気負いすらしない。当然と、散歩でもしているかのように歩いてくる。そして、彼の格好と表情は、実際に散歩でしかない、そう言いたげだった。
「いくらロードと言えど、こんな即席の、工房ですらない場所ではまともな防備は敷けないだろう? なら、やり様はいくらでもある」
どうする……ケイネスは思考を巡らせる。魔力はかなり消耗しており、戦闘継続時間はそう長く取れない。ランサーやソラウも、寸前まで戦闘をしていたのだから同様だ。対峙するサーヴァントは、少しばかり漁夫の利を狙っただけで、消耗らしい消耗は無い。
逃げるにしても、位置が悪かった。ランサーの能力を生かせるようにと、不満しか無い場所から選択した廃墟。広い室内ながらも、壁が壊れて外に出られるようになっている。つまり、どう逃げるにしても、あの飛行機ですぐに追いつけるのだ。ランサーが押さえるには、飽いた壁が邪魔すぎる。
「まあ、そう構えるな。今日は戦いに来たわけじゃないんだ」
かつかつと音を立てて、宝具も展開しないまま、ついにランサーの間合いに踏み込む。戸惑いの視線は、己のサーヴァントのものだ。やめろ、と視線を飛ばし返す。それに答えて、ケイネスの一歩前まで引いた。
策を弄するサーヴァントに答えるのは、確かに危険だ。しかし、それ以上に、戦闘をするのは利口では無い。所詮、奴はアーチャーであり、ランサー有利な距離でいきなり押し負ける事はないだろうという下心もある。少なくとも、至近距離でアーチャーの方が早い、という事はあるまい。
サーヴァントは、ケイネスの五歩先で止まった。当たり前であるが、さすがに剣が届く距離まで踏み込んでくるような真似はしない。そこで、アーチャーは何かを投げてきた。魔力も何も感じない、ごく平凡なコピー用紙の束。つまり、ただの書類だ。
「ランサー、警戒しておけ」
「はっ!」
「好きなだけ警戒すればいいさ」
立ち止まったアーチャーは、片足に体重を乗せて、腕を組んだ。一般人が、その辺の道路の上でするような仕草。舐めているのか、戦わないという意思表示か。
反応速度も、魔術強度も。どれをとっても、サーヴァントとして幸運以外のステータスが一級以上であるアーチャーには対抗できない。止めるには、ランサーを信じるしか無いのだ。ならば、開き直って無様を見せない方が、万倍マシだった。
書類を拾い、それに目を通す。数枚もめくれば、眉間に皺がより、全部見きる事なくそれを捨てた。
「何のつもりかね、これは。私の経歴、しかも当然のことばかりを並べて」
鼻で笑う。所詮、このサーヴァントもこの程度なのだと。しかし、アーチャーは全く気にした様子がなく、
「見事な経歴だ。さすがロードと言ったところか。俺にマスターを選べていたら、お前を選んでいただろうな」
当然だ、と胸を張るが、内心悪い気はしていない。少々態度が気になるが、それでもランサーよりはまともだ、と評価を下す。とはいえ、油断ができる相手でない事は変わりない。
「それで、何が言いたいのだ? そんな事を言いに来たのなら、お帰り願おうか」
「単刀直入に言えば、同盟を組みに来たんだよ。どうせ組むなら、一番レベルが高い魔術師だ。違うか?」
――分かっているじゃないか。思わず口元が緩む。ランサーではなく、マスターであるケイネスを見て判断したのはポイントが高い。しかし、それをすぐに厳しく直し、睨み付けた。
「私が頷くと、本気で思っているのかね? 貴様はついさっき、私が敵マスターを始末する邪魔をしたばかりではないか。いや、それどころか私ごと始末しようとしたな」
「勘違いだ、とは言わないさ。戦場ってのはそういうものだ、殺られた方が悪い。……だが、さっきの事に限定すれば、俺はロードに感謝されてもいいと思っているぞ?」
「なに?」
戯けて言うアーチャーに、ボルテージが一気に跳ね上がった。この男は、あろう事か、抹殺しなければならない屑の始末を邪魔しておいて、のたまったのだ。
炎のような怒りを向けられても、やはり男は気にした様子が無い。それどころか、肩をすくめすらした。我慢の限界は、寸前まで近づいていた。
「お前は確かに優秀だが、だからこそ足下をすくわれる。敵対するマスターの事くらい調べておくべきだな」
ふざけた物言いに、大きく舌打ちをする。あのような魔術師未満どもに、情報網を消費する価値などない。しかし、集めようとしたが漏れがあり、情報が足りなくはあったのだ。物言いに、全く反省すべき点がない訳では無いのだ。
次に飛んできた書類は、最初よりもかなり薄いものだった。それが誰のものかは、見る前に分かる。あの、現代兵器に被れた愚か者のものだ。
魔術師殺し。あれはそう呼ばれていたらしい。資料によれば、力ある魔術師を複数名打倒しているらしいが……あの様子では、その内容もどれほどが真実か。実際は名前だけが大きくなった、痩せ犬ばかりだったのだろう。しかも、勝ちの全ては対象魔術師の魔術行使失敗による自爆だ。話にならない。
馬鹿馬鹿しいと断ずる前に、アーチャーの言葉が飛ぶ。
「話一割だとしても、実際に高位の魔術師はいたのだろう。そうでなかったとしても、経験がとても多い魔術師ばかりだ。さあ、ロードの意見を聞かせてくれ。魔道に数十年どっぷり浸かっ者達が、こう都合良く自滅してくれるものなのか?」
そんな訳がない。時計塔の講師の中ではまだ若いとは言え、それでも数年の経験はあるのだ。魔術行使の失敗にはパターンがあり、それを積み重ねて能力を上げていく。大魔術を行使するのであれば、最大限に気を遣う筈だ。そんなものは、未熟者の自爆だ、で済ませていい問題では無い。つまり、考えられるのは。
「魔術に対するカウンターか!」
「その通り。奴は何らかの手段でそれを可能としていた。お前が大魔術を使うのを、虎視眈々と狙っていただろうな」
くっ、と歯がみをして、資料を叩き付けた。彼には自負心がある。魔術師の大家として積み上げ、時計塔で功績を重ね、若年にして一級講師になったというプライドが。そこに付け入られ、あざ笑われていたのだ。あろう事か、魔術師の本懐を忘れたような輩にだ。
今度こそ、油断はしない。あらゆる対策を立てて、再び奴の間に立つ。そして……今度こそ、絶対に殺す。泥のようにうねる殺意を固め、しまい込む。拳は、いつの間にか血が流れるほど握りしめていた。
「君には……感謝をすべきか?」
「いらんな。これは同盟を組む為の前支払いだ。俺は自分の真名を飽かす気は無い。その代わりに、情報と拠点を提供しよう。少なくとも、ここよりはマシな場所をな」
激情は、押さえたつもりだった。しかし、声までは意をくんでくれなかったようだ。低く、震えた声になる。
無理矢理感情を抑制したつもりになる。つもりにさえなれば、今冷静でなくとも、間を置かず冷静にはなれる。魔術師として必要な技能だ。そして、なぜアーチャーが同盟を申し出たか、考えた。
恐らく邪魔だったのだ。同盟を組んだ陣営が。セイバーかバーサーカー、もしくはその両方が邪魔だった。だから自分も同盟を組んで、共同で始末したかったのだ。
「拠点は後で考慮する。役に立つか分からんし、何か仕掛けられていないとも限らん。その代わり、私たちと君の陣営以外の情報を全て開示してもらおう。そうすれば、同盟の話を受ける」
「ケイネス様!?」
「お前は黙っていろ!」
声を荒らげた自らの従僕を、一喝して黙らせた。
がなぜ止められたか、分からないケイネスではない。ようはランサーが最後まで残ったところで、驚異では無いと思われているのだ。それが正しいであろう事も。しかし、それのどこに問題があると言うのだ。
アーチャーについて集められた情報の、数少ない一つ。傀儡をマスターとして、好き勝手振る舞っているというものがある。つまり、マスターはそいつで無くても構わない。例えば――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトでも。残るサーヴァントがランサーとアーチャーになった時点で、自分の勝利は確定するのだ。
それに、ランサーが反対をしている理由も分かっている。奴は、セイバーとの尋常な勝負とやらに、未だ拘っていた。
ふざけるな、というのが、ケイネスの感想だ。上辺だけの忠誠を誓い、妻を籠絡し、あまつさえ聖杯戦争をそっちのけにし、己が望む戦場に立たせろと言う。馬鹿にするのも大概にしろ!
いい気味だ。そう思うと、いままでの怒りが大分和らぐのを感じる。
「その条件で構わない。元より、全ての情報を見せるつもりだったからな。同盟成立、早々脱落されては困る」
「私がやられる、とでも言いたいのかね?」
「お前が手強いなら、お前を狙わなければいい。ランサーでも、離れた位置にいる二人は守れまい」
その予定だった、という言葉に嘘はなく。その場で資料が渡された。そして、思い切り顔が引きつった。
「なるほど、これだけの情報を集めたから、動き出したのだな」
枚数にして数十枚と、五枚。数十枚にまとめられたマスターの情報は、それなり有用だった。しかし、それが霞むほどの、冗談のような情報。たった五枚だが、それには聖杯戦争を攻略するのに必要な、全ての情報があった。つまり、サーヴァントの明細。
全てのサーヴァントの、全ての真名、全ての宝具が、完全に記されている。まるで冗談のような精度。ステータスも、スキルも、何もかもが裸だ。そして、いや、だからこそ、彼がこれを見せたがっていた理由が分かる。例えば、アサシンはまだ死んでいない。今までのようにソラウを置いて戦っていれば、人質にされていただろう。例えば、バーサーカー。紅薔薇の優位を信じて戦っていたら、真の宝具による手痛いでは済まない反撃が待っていた。あまつさえ、ライダーの最大宝具。それが固有結界などと、冗談でも面白くない。しかも、物量で押し込んでくる、という戦い方は、ランサーの天敵と言っていい。最悪の相性だ。
しかし、その全て。知っていれば対策の立てようはある。これらの情報と、後衛を勤められるアーチャーの存在。まさしく、千金に値する。
サーヴァント情報の資料だけを、ランサーに押しつけた。それに目を通したランサーも、大きく目を見開いている。
「すばらしい。予想以上だ。それで、最初はどこに仕掛けるのかね? キャスターか、それともセイバーとバーサーカーか?」
「主よ! セイバーは私が必ずや御首級を……」
「貴様は黙っていろ、と言ったのだ」
今までは、それでもいいようにさせてしまっていた。しかし、これからはそうはいかない。ケイネスは、いつしか自分のサーヴァントよりも、アーチャーの方を信じていた。実際、相性は悪くない。
「ん? 決闘したいならさせてもいいんじゃない?」
「……は?」
とは、誰の声だったか。
てっきり、自分の援護が飛んでくると思っていたケイネス。実際には、やる気なさげに肯定する声だ。思わず拍子抜けする。
「今のセイバーはエクスカリバーを使えない。なら、ランサーが負ける事はまずないな。実は、この二人に能力値の差って殆どないんだぞ」
ほら、とランサーが持っていた用紙から、一枚を抜き出す。出てきたのは、当然セイバーのものだ。殆どAランクが並んだ、壮観なステータス。とても対抗できるとは思えない。
「まず魔力値。宝具発動に関係するけど、ランサーの宝具が常時発動型なのと、セイバーがエクスカリバー使えないから、この差はないも同然。差の大きい耐久力だけど、これは紅薔薇の力で、セイバーのは実質C以下。まあ、耐久に必要ない分、筋力をブーストしてくるだろうが。それでも最終的な差は、筋力の1ランクのみだ」
セイバーが魔力配分によってステータスを変化できるのは確認済み。ランサーの筋力がBであるから、耐久力もそれに合わせたBにしたとして。筋力が1ランク上昇するが、差はそれだけ。
敏捷のプラス補正分は、どれほど優位になるか分からない以上考慮しない。
「……確かに」
高レベルな数値に目が行っていたが、そう言われると、確かに差は出てこない。それとも、これでまだセイバーがやや優勢という事に驚けばいいのか。言われてみれば、納得できる内容だ。
でも、横で「もっと言ってくれ!」という顔をしているランサーが、張り倒したくなるほど腹が立つ。
「あとは戦い方の差だな。セイバーは瞬発型宝具だから、最後に頼るのは宝具の威力だ。それに比べ、ランサーが頼るのは、常に自分の技量。切り札を封じられてて、この差は大きいぞ」
「その通りですケイネス様! 必ずやセイバーを討ち取って見せます!」
「ついでに言うと、バーサーカーのアロンダイトとは相性が悪い。純粋にスペックアップされると、技量で補いきれない可能性があるからな。これは魔力がネックだが、相手に魔術師が複数いると、それだけで解決されかねん」
懇願するランサーに対し、やはりアーチャーは無気力。勝つために同盟を組むという事は、勝てれば何でもいいという事。勝算が高いなら、それで構わないのだろう。
苛立たしく、腹が立つ。そして、気に入らない。……結局、このサーヴァントの求める通りになってしまうのが。
しかし、それで勝利できるのであれば。拒否する理由がないのも事実だった。そしてケイネスは、気に入らないからという理由で、勝利を手放すほど耄碌してはいない。
「……今度こそ、次は無い。よく覚えておけ」
「は……はっ! お任せ下さい! 必ずや、勝利を捧げると誓います!」
恭しく頭を垂れて、礼をする。それも、ケイネスが受け取るには、不快な感情をぬぐいきれなかった。
それでも。勝つためならば――ソラウを取り戻し、時計塔に凱旋する為ならば、堪えられない事ではない。