ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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エピローグ

 一つの戦争が終わった。聖杯という名の万能機、それを奪い合う欲にまみれた血みどろの戦争が。

 高々一国の地方都市で、それも参加人数は三桁に届かないような戦。それの結果がどうであったとしても、世界に大きな影響があるわけが無い。そして、あっていいものではない。人並みの言葉をつけるならば、世界は皆で変えなければ意味がない、という事なのだろう。なんにしろ、待っていたのは当然と続く延長だ。

 冬木市は、その後しばらく混乱が続いた。連続殺人事件に、二度にわたるテロ行為。一度目のホテル爆破は死人こそ出なかったものの、二度目の市民会館破壊の余波は甚大だった。特に、正体不明の毒ガス。これによって未遠川下流の台地南部は完全に壊滅しており、死者は百人をゆうに超える。非難警報が鳴っているにもかかわらず寄っていった人間すら、帰らぬ人となっていた。

 これが、およそ一般的な認識だ。公式発表も、これに肩肘張った程度であり、内容自体はほぼ同じ。

 とても苦しい言い訳だ。そもそも、毒ガスで死亡と銘打っておきながら、遺体の一つも返されていない。屍肉や骨から感染の恐れあり、という事で一括処分された事になっている。少し調べるだけで、粗は大量に出てくるだろう。そして、その粗に気付いた者は、極秘裏に処分されている。

 監督者の不在によって拡大した事件は、魔術関係者を恐れさせるに十分だった。いつどこで神秘が露見してもおかしくなかったのだから、当然だろう。

 まずは、聖杯の解体が決定した。これは魔術協会と聖堂教会双方の同意がある。確かに、魔術協会にとって、聖杯は得難きものだろう。しかし、神秘露見の恐れを放置してまで欲するものではなかった。

 解体にあたり、最後まで抵抗したのがアインツベルン家。現在、正常に機能している唯一の御三家なのだから当然だろう。しかし、いくら歴史があろうとも、所詮は魔術師の家系の一つに過ぎない。魔術協会に抵抗出来るはずも無く、解体品を御三家で分ける事を条件に合意。

 かくして、冬木という偽りの平和があった地。ここに、真の平和が訪れる。もう二度と、聖杯戦争が行われる事はないだろう。

 衛宮切嗣。

 彼は、聖杯戦争終結直後、十日も目を覚まさなかった。魂は摩耗しきり、魔術回路も焼け切れる寸前、おまけに全身が壊れる寸前だったのだ。むしろ、目を覚ましたのが奇跡だろう。

 アイリスフィールの懸命な看護と魔術治療。そのおかげで、目覚めてすぐ立てるようにはなっていた。それは、すぐに動いていいという事ではなく、むしろ絶対安静だ。それでも、衛宮切嗣はすぐに立ち上がった。

 電撃的にアインツベルンへ攻め入り、イリヤスフィールを奪還。ぼろぼろの体を、さらにぼろぼろにする。日本に着く頃には、殆ど動けなくなっていた。

 それから一年以上の休養をとり、やっと普通に動けるようになった切嗣。もう以前のようには動けなかったが、それでも小さく『正義の味方』活動をしている。折れたのか、とも思わせた彼だった。しかし、やはり自分の信念は捨てきれなかったのだろう。しかし、以前にしていたような無茶は、もうない。

 アイリスフィールとイリヤスフィール。彼には守らなければいけない家族にして枷が、二つもある。もう、以前のままで居ることを、許せなくなっていた。

 武家屋敷の縁側で、妻子と共にゆっくりする姿がよく見られる。たまに、思い出したかのように、しばらく居なくなる事はあっても。必ずそこに、帰ってきていた。

 アイリスフィール・フォン・アインツベルン

 現在は衛宮切嗣と正式に籍を入れて、衛宮姓を名乗っている。

 本人はそれをあまり表に出さないが、心臓がかなり弱っていた。欠損だらけの心臓は、治療して一応は完治した事になっている。それでも、今まで無茶した分のダメージが、無くなるわけでは無い。抱えた爆弾は、確実に体を蝕んでいる。既に、激しい運動はできなくなっていた。

 ホムンクルスは、ただでさえ普通の人間よりも寿命が短い。その上に酷使をしたのだから、切嗣同様、体はぼろぼろだった。しかし、彼女に笑顔が絶える事はない。

 そんなアイリスフィールの趣味は、散歩と墓参りだ。町中をふらふらと歩いては、小さな発見をして。それを、家族と舞弥、雁夜に語りかける。辛そうな姿など全く見せず、瞬間瞬間を味わうように。誰よりも、人間らしく。

 彼女があとどれだけ生きられるかは、誰も知らない。

 ウェイバー・ベルベット。

 聖杯戦争終結時、唯一五体満足で存在していた魔術師。そこにライダーの加護が――キュプリオトの剣に込められた想いが無関係だとは言い切れない。

 彼はその後、しばらく日本に残った。と言うのも、最低限の神秘隠蔽をする人間が、彼の他に居なかったからだ。アヴェンジャーが少量ながら、町中まで浸透していたにもかかわらず、それを誤魔化す者が誰も居ない。監督者たる教会どころか、御三家のどこも行動不能に陥っていたのだ。金もコネもなく、魔術も拙いウェイバーにできる隠蔽などたかが知れている。それでも、なんとか最悪の事態だけは止められたが。

 一通り終えて、魔術協会の増援と入れ替わるように、帰国する。その際に、ケイネスの遺体を一緒に持って帰った。

 当主を失ったアーチボルトの混乱は大きかったが、それもなんとか収まった。一つに、魔術刻印が健在であったこと。一つに、ケイネスの拠点から、聖杯に関するデータが得られたこと。一つに、彼が魔術師としてその役割を果たす為に死んだと言うこと。

 没落を免れたアーチボルトは、ウェイバーを迎え入れる。それは、刻印その他を持ち帰った事に対する礼でもあるし、彼を使える人間だと判断しての事でもある。

 名家の後ろ盾を得たウェイバーは、その後精力的に動いた。と言っても、それは魔術師としてでは無い。成長したウェイバーは、教授として働くほかに、遺跡の発掘等もしていた。

 その頭脳を生かして、様々な概念武装、時には宝具を発掘する。教会と当たってしまった時は、その口でねじ伏せて。今では、剣を交えない、協会の最終兵器と呼ばれるようになっている。

 はっきり言って、危険な仕事。しかし、彼にやめろと言う人間はいなかった。常に大きな片手剣を携えて、その技量は執行者を抜けば間違いなく最高。下手な化け物よりも、余程強い。

 教育に発掘に精を出しながら、常に剣を佩いでいる。まるで、己が見たもの全てを見せるように。

 言峰璃正。

 信じる息子に裏切られ、腕を失った璃正は信じられないほどに老け込んだ。表向きの教会の仕事こそこなしているが、裏側からは完全に引退している。まあどちらにしろ、監督者の任務を全う出来なかったので、罷免は免れなかったが。

 当然、聖杯の解体時にも、何かが出来るわけでは無い。ただの立ち会いとして、そこにいた。それでも、アインツベルンとの交渉では、猛威を振るっていたが。

 解体された大聖杯の残骸を巡る話し合い。代表のいない間桐、遠坂の代わりに出たのが、璃正だった。彼からしてみれば、罪滅ぼしのつもりでもあったのだろう。凛と桜、二人の少女から多くのものを奪ってしまった、言峰綺礼。ならば、その償いは親以外にする者が居よう筈も無い。息子の事を全く理解できていなかったと知っても、やはり親子なのだ。たった一人の、愛する息子。

 最終的に、大聖杯はきっちり四等分して分配される事になった。内一つは魔術協会である(さらにその中から何割かがアーチボルト家に入るようだった)。聖杯監督者として、長年魔術協会、聖堂教会の両方を上手く操作していただけはある。

 かくして、故人・遠坂時臣が望む形で決着をつけた璃正。役割を果たしたという安心感からか、この頃よりさらに老け込むのが早くなった。

 外見は、年相応の老人。しかも、片腕が無い。それでも教会の仕事をこなせているのは、昔にずいぶん体を鍛えていたからだろう。

 いつからか、銀髪の小さな少女を連れて歩くようになった。どうやら、綺礼が他国に残してきた娘、つまりは孫らしい。今度こそ間違えるものかと、笑顔の絶えない優しい祖父をしている。

 遠坂凛。

 聖杯戦争に参加していない者の中で、最も大きな影響を受けた者の一人だろう。

 たった数日で、父も、兄弟子も、多くの人が帰らぬ人となった。あまりに急すぎる環境の変化に、涙を流さぬ訳がない。それでも、父の言葉を思い出しながら、強く生きていく決意をする。

 彼女は当然のように、魔術師になる道を選んだ。しかし、魔術師を習う先で苦労することになる。資料や道具はほぼ完全な状態で遠坂邸にあるとはいえ、遠坂の魔術を使える者が全滅。第一関門として、魔術を学ぶ相手を探す、というものが立ちふさがる事になった。

 それで彼女が目をつけたのは、衛宮切嗣だった。遠坂の魔術師として、あの手この手(主に経済的な手)を使い、彼を追い詰めた。最初は断固拒否していた切嗣も、最終的には首を縦に振り、改めて弟子入り。

 とは言っても、弟子でいる期間は短かった。あっという間に、師の腕を超えてしまったのだ。確かに、衛宮切嗣は魔術師としての才能に溢れていたとは言い難い。その上、魔術刻印も不完全な形でしか受け継いでいないのだ。それでも、聖杯戦争に参加していたマスターの中では、間違いなく三位の能力があったのだが。それでも、魔術刻印を完全な形で継承した天才の前では形無しだった。

 衛宮切嗣を超えてしばらくは、アイリスフィールが師匠をしていたが。それも、短期間で終わることになる。

 魔術師として、完璧を目指す少女。体の弱い母を支えながら、今日も家訓を旨に魔術の鍛錬。しかし、宝石と火器を使用する何とも歪な魔術師として、新しい遠坂となっていた。

 間桐桜。

 ある意味、この聖杯戦争一番の被害者であり。同時に、最も救われた者でもある。

 少女は、現在も間桐姓を名乗っていた。当然、本人が好き好んでではなく、大人の事情が絡んでくる。簡単に言ってしまえば、遺産が絡んできたのだ。経済的な面でも、魔術的な面でも。

 当主である臓硯の滅びは、即ち間桐の滅亡と同義。しかし、それで間桐の血筋が無くなったわけでは無い。桜が遺産の権利を主張する為には、間桐である必要があったのだ。臓硯の残していた遺産は、莫大である。数世紀もかけて溜めておいた魔術関連の品は、たたき売りでも小さな街がまるまる買えるほど。

 血族は当然、権利を主張した。だが、それは魔術師としても後を継ぐ、という意味だと言われるとあっさり放棄。持てるだけの金を持って、とっとと日本から出て行ってしまった。

 こうして、分不相応な遺産を手に入れた少女。彼女が日常へと帰るには、長い時間が必要だった。彼女の家族達の尽力があっても、だ。

 普通の日常に浸かっていた、ただの子供。それが、ある日を境に絶望と失望と苦痛のみで構成される地獄に落とされたのだ。見かけは治っていったとしても、齟齬は必ず出た。はっきり言ってしまえば、社会性が完全に失われてしまったのだ。

 それでも、本人が強い意志を持って、少しずつ克服していった。今では、普通に笑えるようにもなっている。

 精神が大分回復してから、彼女も魔術を習い始めた。こちらは衛宮切嗣ではなく、ウェイバーに師事を願って。師匠の力あってか、めきめきと力を伸ばしていく桜。あっという間に凛に追いついたのは、驚いていい事だろう。

 かつて、人である事をやめようとした少女。今は精一杯、人間として生きている。

 その顔には、いつも柔らかい笑顔があった。

 聖杯戦争という、魔術師の欲望が生み出した儀式。関係者にも、そうでない者にも、多くの悲劇を生み出した。

 忘れる事など出来るはずも無く、胸の奥底に隠しながら。誰もが、精一杯前を向いて生きていこうとしていた。

 それが正しいのか、間違っているか。答えは遙か先、誰も見ることは出来なかったが。

 ただ、懸命に進んでいるのだ。

 ああ、それと。

 もう一つ。忘れていた事がある。

 俺についても、言っておかなきゃな。

「アーチャーさん、行ってきます」

「ああ、行ってらっしゃい」

 人が多すぎず、少なすぎず。なんて事はない街の一角。もう少し詳しく言ってしまえば、以前拠点を構えた場所と全く同じビル。俺はそこの主として、未だにそこにいながら。今日もいつもと同じように、桜が学校に行くのを見送っていた。

 静かになったビルの一室で、ソファーにもたれかかる。

 光陰矢のごとし。7年という月日は、長いようで一瞬であった。何故俺がまだ存在していられるかと言うと、それは聖杯戦争終結直後にまで遡る。あの、黒い太陽が破壊された瞬間だ。

 言われてみれば当然だ、と思えるかも知れない。もしくは、そんな馬鹿なと呆れてしまうかも。そんな、あまりにも上手くできすぎた話だ。

 簡潔に言えば、聖杯戦争の勝者は桜だと認定されたのだ。

 アヴェンジャーに集中しすぎて、誰もが忘れていた事なのだが。アヴェンジャーと聖杯を分離した時点で、二つは完全に独立したのだ。そして、小聖杯は行方不明ながら、健在ではあった。

 つまりは、儀式としての聖杯戦争は、分離した事で全て終了していたのだ。それ以降はただの余興。アヴェンジャーの消滅など、ただのおまけでしかない。少なくとも、聖杯にとっては。

 桜はあの時、確かに願っていた。俺に、死なないでくれ、生きてくれと。令呪にその意思を込めそうになるのを、必死で堪えながら。しかし、外部にあった聖杯。それだけは、心の底からの、本当の願いを聞き届けていた。切り札である規格外宝具、エアを使用して消滅しかかっていた俺に、聖杯が降りかかり。本編であった、アンリマユを飲み干した事による擬似的な受肉ではない。魔力すら自分で生産できる、完全な個人としてこの世に存在することを許された。

 その後が大変だった事は、言うまでも無いだろう。

 この世に、あらゆる枷なしに存在してしまった英雄というのは、それだけで驚異だ。それが最上級の英雄ともなればなおさらだ。中身が、元々はただの一般人だなど、誰も知らないし知りようがない話である。

 と言うわけで、連日ご機嫌伺いが来るわ。ウェイバーと協力して、戦争の後始末に奔走するわ。アインツベルンに、切嗣と共にイリヤ奪還に向かうわ。俺と時臣の関係が知られると、凛に大泣きしながら殴られるわ。桜は凛や葵にまで拒絶を見せて一悶着。気絶した葵を介抱しつつ、両者の取りなしをするわ。

 怒濤の日々、という表現に偽りが無い。

 それらが多少落ち着いても、やはり安らぎの日々とは遠かった。と言っても、半ば自業自得ではあったが。

 俺は時計塔に帰ったウェイバーを、アーチボルトより早く支援し始めた。上り詰めるかどうかは進路によったが、少なくとも能力がある事は分かっていたのだ。貸しを作って損は無い。そんなことをしている内に、いつの間にかウェイバーは、俺と魔術協会を繋ぐ窓口になる。

 人となりが広まれば、協力を求める声も増える。特に聖堂教会は、関係を深めようと躍起だった。桜が居たために、そう遠くにまでは行かなかったが。

 ちなみに、教会の窓口には璃正にやってもらった。大人しく余生を過ごそうとしている彼には、悪いと思ったのだが。代わりに、綺礼の娘に関する情報を渡す。身勝手な話だが、それで許して欲しい。

 外部との関係は、付かず離れず、限られた人間との交流のみで。下手に俺が対応するよりも、遙かに上手くできる形にした。

 と、少し話がずれたな。

 桜について。聖杯戦争が終わって直後の、他者に対する拒絶感は凄かった。他人は敵、という考えがこびりついていたらしい。あの幼さで虐待され続けたのでは、それも仕方が無いだろう。

 頭では違うと分かっていても無駄だ。こういう事は、感情の問題である。自分を『捨てた』時臣に、『見捨てた』凛と葵。そうやって印象付いてしまったものは、容易には覆せない。触れようとしただけで全身が震え出す程だった。いや、それくらいで済んでよかったと言えばいいのか。

 反応が返ってくるようになったからと言って、全てが丸く収まる訳が無い。むしろ、そこからが始まりなのだ。虐待の反動が一気に来たことで、極度の情緒不安定と人間不信。そんな桜にとって、唯一の例外が俺だった。

 結局葵は、桜と暮らすのを断念。俺が預かって、少しずつケアしつつ、様子を見ることになった。

 ただでさえ、俺に依存していた桜。それが、基本二人しかいない暮らしに、依存はさらに深まっていった。悪い兆候だったが、止めてしまえば不安定な精神が戻りかねない。

 社会復帰には三年必要だった。それを長いと見るか、短いと見るかは分からなかったが。ただ、俺は精一杯の事をできたと思う。

 他人を拒絶しなくなり、ごく普通に笑顔も見せられるようになって。再度、葵が桜と暮らすことを望んだ。今度は遠坂だけで話しあい、俺は席を外していたので内容までは知らない。だが、最終的に戻らないことに落ち着いた。不謹慎ながら、その結果に喜んでしまう。彼女が俺を必要としてくれていた様に、俺もまた、桜が必要だったのだ。

 魔術を習いたい、と言い始めたのは、その前後だったと思う。理由は分からないが、あって困る技術では無いと了解。教師として、ウェイバーを呼びつけた。

 ずいぶん渋られたが、そんな事は知らん。山ほど貸しを作ってやったのだ、その分はしっかり働いて貰う。優秀な教師を得た桜は、めきめき実力を上げていった。と言うか、魔術刻印ありの凛に近いレベルまで上げたというのがおかしい。余談だが、追い上げに危機感を覚えた凛は、兄弟弟子であるイリヤとより魔術の修行に励んだとか。

 そうして、さらに数年。

 桜も今年で中学一年になった。ついこの間まで、家の中で俺の後を着いてくるしか出来なかった子。それが、今は普通に学生をしている。これほど嬉しい事も無い。

 と、ふと気がついた。テーブルの上に乗っている包み。

 弁当を忘れていったか。俺は立ち上がって、ついさっき出て行った桜を追いかけた。

 ちなみに、これは俺が作ったものだ。家事は基本的に、二人で交代してやっている。桜は全部自分がやると言うが、そうでもしないと、俺には他にやることがないのだ。

 俺は仕事をしていない。と言うか、仕事をする必要がない。一応、投資家ではあるのだが。仕事らしい仕事は、たまにくる教会や協会からの依頼くらいになるだろう。

 考えてみてほしい。普通に仕事をして給料を得て、その数百倍の金が黙ってても入ってくる。はっきり言って、恐ろしく空しい。それに、俺は常に裏世界から見られている、と言ってもいい。下手な仕事をして尊厳を下げるのは、本気で危険である。

 家を出て、桜の後ろ姿はすぐに見えた。ずいぶん成長したが、やはり小さく華奢なのは変わらない。

「桜」

 寸前まで近づいて、声をかけた。

 振り向く桜。その表情は、昔からは考えられないほど、人間味が溢れていた。柔らかい、どこか気の抜けた表情の前に、持ってきた弁当を掲げる。

「忘れ物だ」

「ありがとうございます」

 弁当箱を受け取って、丁寧にしまい込む。そして、通学路を歩こうとしていた桜が、ふと空を見た。釣られるように、視線を追う。そこには、青空に少々の雲がかかった、何の変哲も無い空。

 ただ、なんとなく。昔を――聖杯戦争をしていたあの頃を、思い出させた。

「アーチャーさん、少し歩きませんか?」

「……そうだな」

 小さい桜の歩幅に合わせて、俺も歩き始める。

 並木道。いい景色だ、と言うには、花はもう散ってしまっている。それはそれで悪くない。いや、それだけはない。

 ここ数年、ただの平穏を味わいながら歩いた道。それがすばらしいと感じなかった事など、一度としてなかった。隣に、誰かがいるならば、余計に。

「いい天気ですね」

 言いながら、桜は微笑んだ。とても自然に。

 それを見て、ふと思う。彼女は元の道筋と、どれほど違うのだろうかと。

 下らない考えだった、と己を笑い飛ばす。違うに決まっているから、ではない。そもそも、元の道筋などは存在しないのだ。あるとすれば、それは今のみ。誰もが努力して、勝ち得たり、望まなかったり。そういったものが絡み合ってできた道のみが、あるべき存在の流れだ。

 原作の間桐桜? 笑わせてくれる。そんなものがあるのは、作り物の中だけだ。

 ここは物語の中だろうか。当然、違う。定められた道などありはしない。俺にとっても、桜にとっても、この世界の誰にとっても。紛れもなく、自分で未来を作り選ぶしか無い現実。

 そして、この今を、勝ち取ったものでないなどと、誰にも言わせはしない。

「ありがとうございます」

「何だよ、いきなり」

「いいえ。ただ、言いたくなったんです」

 くすり、と悪戯っぽく笑う桜。

 親子のような、兄妹のような。当人にもよく分からない関係。多分、これだと断言できるものは無い。だが、一つだけ言えることがある。

 俺たちは家族だ。間違いなく。

 当たり前の日常の、つまらない道を二人で歩く。その先がどんな場所であっても、二人であれば耐えられるし、乗り越えられる。そして、喜びは大きくなる。

 だから、この先も。きっとこうして、ただなんとなく歩いて行くのだろう。

 二人で、一緒に。


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