ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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ライダーは駆け抜ける

 とりあえず家の中に入る。玄関から入り込んで段差を上り――そう言えばこの国は、家では靴を脱ぐのだったか、そんなことを思い出したが、結局そのまま上がり込んだ。どうでもいい事だった。

 そして、玄関から居間までの短い廊下で、アイリスフィールは立ち尽くした。こんな短時間で、足の疲労が取れるわけが無い。魔術を使っても。座り込んでしまえば、実際楽なのだろう。それでもアイリスフィールは、意地を張るかのように立ち尽くしてた。立ち尽くして、家の中でも冬の夜空でもないどこかを見る。

 ふと、横を向いてみた。何の変哲も無い、普通の武家屋敷。彼女にこの国の普通がどのようなものか分からなかったが、切嗣が普通と言ったのだ、まあ、普通なのだろう。普通である家の中には、普通で無く何も無い。当然だ。元々長く身を置く予定の無かったここに、たくさんの荷物があるわけも無い。最低限の荷物ですら、一カ所にまとめてあり、今は視界に入っていない。つまり、大ざっぱに掃除だけされて小綺麗なだけの、あとは何も無い殺風景な景色。

 こんな……こんな、生活感の欠片も無い場所でも、切嗣が帰る場所なのだ。誰もいなくなった、ただ一人の寄る辺。娘を差し置いてまで、アイリスフィールが帰る場所。

「さーて、切嗣が帰ってくる前に、料理でも作っちゃおうかしら!」

 出来もしないことを、大きく言った。腕前がどうこう以前に、材料すら無い。近辺に、こんな時間までやっている店もない。

 わざとらしく、振り上げた手。それの下ろし方も忘れた彼女は、腕を上げたまま、顔を言葉に相応しく変化させたまま、どうしていいか分からなくなった。

 そんなことをして、どんな意味があると言うのだろう。

 切嗣を迎え入れるために。日本らしく、風呂でも入れておくのか。晩酌の用意でもするか。笑顔で迎え入れれば、それらしくなるかもしれない。あるいは、他の何かか。探せばどこかに転がっているかも知れない、何かを探してみる。それが有意義が無意義かはともかく、悩んでいる間、時間だけはつぶせるだろう。

 だから、それでどうなると言うのだ? ただ、そんな無意味なことをして、待っていろと言うのか?

 命を賭けにいった夫。共に命を賭けると誓った自分。そして、一人置き去りになったイリヤスフィール。

 腕が、勝手に下りていた。せめていつも通りの表情だけは維持しようとして、えもいわれぬ無様な表情になる。顔が熱い。もしかしたら、泣いているのかも知れない。それでも、俯くことだけはできなかった。それをしてしまえば、敗北を認めたようで、動けなくなってしまいそうで、許せない。無意味な精神論。無意義な主張。それでも、今だけは意味があると信じる。

 切嗣に言われるままに、こんな所で佇んでいる自分。何がしたいのかも、何ができるのかも、まるで分からない。

 手をぐっと握ってみた。しっかりと力が入る腕。キャスターが脱落した時のような、脱力感は全く感じられない。かわりに、心臓が痛み出したが、そんな事は知ったことか。とにかく、力は入る。

(なんで……私は……)

 痛む胸など、どうでもいい。重たい足も、考慮の必要は無い。もしかしたら、まだそれなりに残っている魔力すら、関係ないかもしれない。

 結局の所、それらを動かすのは、意思でしかないのだから。

(あんなにあっさり……諦めてしまったの!)

 心の中で、絶叫した。

 もっと食らいつけば良かったのだ。そして、一緒に付いていけばよかった。そうすれば、盾くらいにはなれたはずだ。少なくとも、こんな所でただ待っているだけなのよりは、よほどいい。

 決めたのだ。アイリスフィール・フォン・アインツベルンの人生は、衛宮切嗣に捧げたのだと。

 どれほど小難しく考えようと、選択肢はたったの二つしかない。理屈は、必要ない。考慮も思慮も、そんなものは全て、後から追いつかせれば良い。今必要なのは、択一の答え。つまりは、行くか行かないか。

 彼女は、足を踏み出した。家の中だろうと関係ない、力強く床を蹴る。廊下から直接外に飛び出して、市民会館まで全力で走り始めた。足は限界を超え始め、心臓の鼓動が遙かに増す。どちらも限界を超えて二度と使い物にならなくなるかも知れないが、知ったことか。道だって選ぶ余裕など無く、人の多さなど無視して全力疾走。夜中に町中を走る回る外人として、都市伝説にでもなるかもしれない。その程度で追いつけるのであれば、構いはしない。

 何がしたいのか、何ができるのか。やはり答えは出てこない。足手まといにならない保証も無い。それでも、動かなければ何も変わらない!

 口の上手くない切嗣が、やはり口では言わず、その生き様で言った事。人の人生は、なるようにしかならない。そして、そのなるようには、いつでも自分以外の誰かの積み重ね。連続した、巨大な積み重ねが生み出す理不尽。それを何とかするならば、やはり誰かがやらなければならない。

 そして、誰かが必要ならば、それは己がやるのだ。例え自分がどうなっても。

 彼はそうだった。いつでも、そして今でも。ならば、その妻であるアイリスフィールも、そうでなければならない。

(ごめんなさい、イリヤ)

 胸に思い浮かべたのは、雪に包まれた愛娘の笑顔。

 娘の事を考えれば、何がなんでも生きるべきだったのかも知れない。けど、やはり駄目だった。切嗣から教えられた人生というのは、そうではないのだ。

 誰かの為の人生。自分の無い生き方。見返りのない行動。もしかしたらそれは、悪徳であるかもしれず、愚かしいかも知れない。怒りを示す者が居れば、指を指して笑う者も居るだろう。しかし、切嗣はいつでも、そういうただの人間の為に、戦い続けてきたのだ。他の誰が否定しても、彼女だけは肯定し続ける。

 愚かしく、無様な生き方。矛盾と綻びだらけの人生。それでも、それが輝いていないなどとは、全く思わない。

 彼の様には生きられないし、生きるつもりもない。ただ、誰よりも近くにいたいだけ。ただの、一人の女としてのわがまま。だから、それだけでいい。

 近づいていく、人の絶望と悪意が集う場所。切嗣の居る場所は、いつもそこにある。

 

 

 闇だ。

 あるいは、黒と言い換えてもいい。とにかく、周りを見回した時に連想する、そんなもの。

 それは、光無くして存在し得るのかと、ふと考える。まあ、常識や科学的にどうなのかは知らないが、存在するのだろう。闇は闇だけで完結できる。逆に、光はどうなのだろう。なんとなくだが、光は闇なくしては存在できない気がした。正確には、成立しない、であろうが。恐ろしく不平等な、対等関係。

 そんなところに居れば、もしかしたら手を伸ばしたところで、何にも触れられない気さえしてくる。実際は、当然そんなことは無い。腕の中には、確かな暖かさがあったし、少し手を伸ばせば、不愉快に蠢く虫に触れているだろう。いや、そもそも宝具に囲まれていて、満足に体を動かすスペースすら存在しない。

 宝具の攻撃で数を減らし、それ以上の早さで増えて居るであろう蟲。魔力を吸い尽くされては収納される防御用宝具。展開は一瞬でも、再度魔力を注入するには、それだけ時間がかかる。武器のように、吹き飛ばせばはい終わりで無いだけ、回転が悪い。もしかしたら、魔力が尽きる前に使える宝具がなくなるかも。そんな心配すら出てくる。

 どれほど虫を吹き飛ばしたところで、光は見えない。それは、決して今が夜だというだけの問題ではないのだろう。攻撃された先から、すぐに蟲で埋める。隙間など作らず。

 完全な闇。五感の内一つを奪われたところで、何が変わるわけでもないようだ。強がりを交えながら、俺はそんな事を考えた。

 実際、いずれ来る破滅を自覚していようと、一度均衡が取れてしまえば、余裕は生まれる。それが、光と闇のような、不平等な対等関係でも。

 足下以外の全方位が、濃い魔力とサーヴァントの気配で包まれている。これでは外の様子も分からない。加えて、たまに守りを抜けてくる蟲から桜を守るため、余裕はあっても暇ではない。希ながら体を抉られつつも、こうしてされるがままになる事しかできなかった。

 左腕が、肩の根元辺りから千切れかけている。上から桜に降るものは、全て肩で弾いていたからだ。最初は恐ろしく痛かったが、今はもう麻痺し始めていた。痛みは感じる、が、思考できない程では無い。それは、逆に危険であるのだろうが……それも、ここで考えて、あまり意味は無いように思えた。

 どうせ、先のあるなしなど分からないのだ。

 とにかく、闇だ。黒でも、まぶたの裏でも、呼び方は何でも良い。区切られた視覚に裂いていた分の容量は、思考に割り振られた。こんな時くらい、集中力に割り振られてもいいようなものだが。

 俺はあまり上手く眠れないタイプだった。と言うのも、寝ようとした時から、余計な事を考えるタイプだったから。今は丁度、そんな状況である。

 自覚して思考しないとき、おおよそ浮かぶのは、その状況に意味の無い事だろう。ただふと思い浮かんだことが、有用であるのならば、それはきっと誇って良い。

 闇の中にうっすらと、月光に照らし出された蜃気楼のように浮かぶ。昔の、かつての光景。

 俺はうんざりとしながら、手に持ったナイフで蟲を払い落とし、刺し殺す。どろりと水に溶けたようなものが、ナイフの魔力を根こそぎ奪っていった。呪いの泥が地面に零れるのとほぼ同時、ナイフが送還される。新しい武器を取り出して、構えた。見えないのでそれが何だかはよく分からないが、まあ、突き刺せるものであれば何でも良い。今手に持っていたものも、便宜上ナイフと言っていただけで、刃がついていたかどうかも分からないのだ。

 思い浮かんだものは、決して見たいものではなかった。蟲を殺した感触と、どちらがマシかと一瞬考えてしまう程に。

 俺の名前はギルガメッシュだ。伝説を紡いだ当人ではなくとも、肉体がそうである以上、そう名乗るしか無い。それ以外を名乗ったところで、俺はそれ以外になれず、ましてや以前に戻ることなどできないのだから。

 もし戻れるのであれば、どんなに気が楽だったか。

 俺は英雄では無い。当然だ。英霊でも無い。これも、当然だ。ただの普通の人間で、何かの拍子に不相応な力を手に入れた、卑賤な存在。

 どこでも誰しもがそうであるように、普通に生きていた。あたりまえに家族がいて、友人がいた。目的もなく何となく未来に必要だからと学校に通い、進学していき、そこそこ勉強してそこそこの学歴を得て。将来も、国民の九割がそうするように、なんとなく就職する。幾度か転職を繰り返すかも知れないし、ずっと同じ会社に居続けるかも知れない。目立つイベントと言えばそれと、あとは結婚に子供くらいか。当然、そこまで行くのに、極めて個人的な思い入れと言うのはあるだろう。だが、それだけ。人に自慢するようなものではない、ただの思い出。

 人はだれでも、夢を空想する。具体的なものではない、指針ですら無い。例えば、ヒーローになりたいだとか、お姫様になりたいだとか。医者やパイロットになりたいだとかでも、具体的な道筋を調べすらしなければ、程度は変わらない。そこに至るまで、もしくは至ってから七難八苦あり、それを乗り越える自分なんてものを空想するだろう。そして、おおよそ夢というのは、現実する事など誰も望んでなどいない。

 波瀾万丈な人生を、誰が求めるというのか。

 年を重ねるごとに分かる、安定という言葉の価値。安定した就職、安定した給料、安定した家庭。それはつまり、平穏という事だ。人生にドラマなど、あって楽しいものではない。とりわけ今の時代は、他人のドラマを娯楽として、いくらでも得られる。フィクションで――対岸から眺めるだけで満足できるし、満足しなければならない。

 苦などいらない、楽だけ欲しい。達成感も、安全と安定あっての物種。右にならうというのは、つまり皆が同じ、普通という事。何か問題が出てきても、それの解決方法は出そろっているのだ。問題の解消だって、右に習える。

 普通を放棄し、苦を自ら背負う、もしくは背負わされる。どちらであっても、必ず生まれるのは後悔だ。そして、それらの行き着く先は二者択一。つまり、のたれ死にか、英雄か。

 イスカンダル王は、制覇をなし得なかった。

 アーサー王は、国を救えなかった。

 ディルムッド・オディナは、忠義を貫けなかった。

 ハサン・サッバーハは、完全なる個体になれなかった。

 サー・ランスロットは、苦悩を捨てられなかった。

 ジル・ド・レェは、理不尽を呪った。

 英雄で無いものなど誰も居なく、後悔を抱えない者もいない。しかし、誰かや何かの為に、命を賭けたヒーロー。

 俺は、そんな風にはなれない。

 自分の命が一番なのだ。誰かの為に、労力を裂く事くらいはあるだろう。しかし、それはあくまで余力、自分の平穏を乱さぬ範囲での話だ。自分に咎があれば、多少の危険があっても、その分の義務を果たそうと思える。そうでもないなら見向きもしない、ただの小市民。卑怯ではあるのだろう。しかし、その卑怯を罵れる一般人が居るはずがない。なぜならば、それはもう一般人ではなく、英雄だ。

 なのに、なぜ俺は、ここまでして桜を守っているのだろう。

 都合が良いだけの存在だったはずだ。人形のような少女で、機械的に魔力を供給してくれる。俺が俺の方針で、好きに動けるからマスターにした。その程度の基準で選んだはずの、相手。そして、下心を言ってしまうのであれば。

 ――いざという時に切り捨てられる、感情が無いならば、それで胸を痛めることが無い。

 当初の方針通りに、ここで桜を見捨ててしまえば良い。令呪だけを奪って、俺だけがここから出るのならば、難しくとも不可能ではない。あとは、令呪を持って、ソラウあたりとでも契約。ダメージはあっても、戦闘能力はさほど減らないのだから、距離にだけ気をつけて戦線復帰する。

 それが、一番効率的な筈だ。正しい、筈だ。なのに……いつからだろう、それができなくなったのは。

「大丈夫だ、何も問題なんてない」

 胸元で、震えを小さくしている体を確認する。言葉は、届いているか分からない。うるさく虫が蠢く中で、それはすぐに消えてしまっただろう。

 それなのに、桜は服を握って答えた。無責任な単語の羅列に、信頼が返される。もしかしたら俺は、彼女の心すら裏切っているというのに。何で、そんなに信じるんだ。俺は英雄じゃ無い。誰かの為に命なんてかけない。ただの、普通の人間でしかないのに。命を預けても、それに答えられるような存在は別だというのに。

 誰かが危険だからと言って、ナイフを突きつけ合う人間の間に、誰が割り込んでいくと言うのだ。

 何度も、強く自分に言い聞かせる。負い目があるからと言って、俺が命を賭ける義理まである筈が無い。ましてや、たった数日一緒に暮らしただけの子供のために。

 やる事は簡単だ。まず左腕を離し、宝具を一方向に集中。防御用の宝具は最小限でいい。ほんの一秒持てば良いのだから。穴が開いたら、そこに体をねじ込んで一気に脱出。多少体を喰われても、所詮は魔力で作られたもの。魔力と時間さえあれば、いくらでも回復できる。簡単な仕事だ。

 さあ、速くしろ。まずは手を解放するんだ。力を抜くだけなんだから、簡単だろう。強く念じる。何度も何度も、自分の命を助ける為に。

 誰だって自分がかわいい! 人のためになんて命をかけられない! 俺が俺を助けるために動く事に、悪いことがあるものか! だから、手を――

 それでも、力は抜けてくれなかった……

 目に見えずとも、体はしっかりと桜の存在を確かめ続ける。じわりと染みるような暖かさ。まだ僅かに震えている体。どれも、彼女が確かにそこに存在し、生きている事を教えてくれている。

 この子を、見殺しにするのか? 自分が自分に問うてきた。

 頷いてしまえば良い。そうすれば、少なくとも俺は助かる、のに。

 気付けば、全身が緊張していた。蟲の対処が散漫になるほどに、体の動きが鈍い。それに反するように、腕は桜をしっかりと抱きしめていた。無様な自分に、ただ悔しさばかりがこみ上げる。その悔しさが、何に向けられているのか――桜を見捨てられないことか、それとも桜を見捨てることを考えている事か。

 脳裏にちらつく影。やめろ、そう絶叫したくなった。

 それらは、何でもない者達だった。家族や、友人や、近所の人や、学校の知り合いや、そんな人たちばかり。もう会うことができない、顔を合わせることができない人。それがどうだと言う訳ではない。ただ、もう顔を見ることができないと言うだけ。

 移ろう風景はさらに続いた。見たことが無い場所、見たことの無い人波、見たことが無い親友。現代ですらない、誰かの記憶。それを見て、俺が何かを思うことなどない。ただ、そこから伝わる感情だけは自分のもののように浮かんできた。羨望、憧憬、望郷、苦難、絶望、感動、そしてやはり、後悔。

 やめてくれ、なくしてしまったものの事なんて、もういいだろう。取り返しの付かないものを置き去りにして、普通の人生を歩もうとしているんだ。一度失ったことで、今まであったなんでもないもの、なんでもない人が、どれだけ貴重であったか知ったんだ。だから、お願いだよ。忘れさせてくれ、なんて言わない。ただ、そっとしておいて欲しい。

 それなのに、最後に浮かんだのは。

 少女だ。どこにでもいそうな、肩口くらいで髪を切りそろえた。ただ、笑った顔をどうしても思い出せない、間桐桜。

 まだ、失っていない人。

 死とは喪失だ。喪失とはつまり、置き去りにされる事、そして置き去りにする事。変えようが無い事実。ただの、過去。それを知っておきながら、本当に桜を過去にできるとでも言うのか?

 それに、思ってしまたのだ。

 憑依でも転生でも、他の何かでも、言い方は何でもいい。とにかく俺は、この世界のこの場所に、俺以外の俺としてそこに居た。誰に望まれた訳でも無く、俺だけがそう決めて。

 やり直せる筈だった。聖杯戦争さえ終わってしまえば、憂いを断ち切って。俺はこの世界で、ただの一個人として生きる。少々目立ちはするだろうが、それも些細な問題だ。聖杯戦争などという悪夢など、早々に過去にして、何も無かったかのように生きられた筈。なのに。

 最初は、彼女に罪悪感が湧いた。非道を誤魔化すようにした優しさは、ただ自分を慰めるためだけだったのだろう。どうすれば彼女に報いられるだろうか、そう考える内に、彼女が占める割合が多くなっていった。いつしか、家という安らげる場所で、隣にいるのが当たり前になって。

 家族だと、思ってしまったのだ。

 死は怖い。とても怖い。あの無限の喪失をまた味わうのが、怖くない訳がない。英霊が後悔するのなんて、当たり前だ。だって、死んだのだ。全て失ったのだ! 何も、手元には残っていないのだから!

 誰でもなくなった俺。ギルガメッシュではない。当然、元の俺でも無い。誰も知らない、放っておけばただの数日で、また消えるだけの存在。でも、桜は知ったのだ。誰でも無い誰かじゃ無い、ギルガメッシュになってしまった俺を、彼女だけは、知ったのだ。他の誰でも無く、誰かでも無く。俺を。

 他人だったらいくらでも見殺しに出来る。俺が知らない、俺を知らない誰かの為になんて、命を賭けられない。テレビでニュースを眺めているのと、どれほどの差がある。登場人物なんて、所詮知っているだけの存在。そんなものは、便利ではあっても、身近でもなんでもない。

 でも、家族だけは、見捨てられない。死ぬのが怖い、でも俺が知る人を失うのは、同じくらい怖い。それは喪失だ。

 死ぬのが怖い。家族を失うのも怖い。どちらも怖い。だから、何も選べない。

 ああ――やっと、悔しさの正体が分かった。俺は決断ができないのだ。英霊が、当然のように行っている事を。

 セイバーは、見捨てる決断が出来る。

 ライダーは、見捨てない決断が出来る。

 俺は、そのどちらもできない。決めかねて、優柔不断に、ふらふらとしているだけ。

 元々、ただの一般人なのだ。出来なくて当然……そんな言葉を言い訳にして、どれほど価値がある。英雄だろうが、そうでなかろうが、選択は迫られると言うのに。

 緩慢に、しかし確実に死に向かう中。どうしても、この世界で得た初めてのぬくもりを手放せなくて。

 他のサーヴァントの助けだって、期待できない。俺たちの同盟関係は、利害の一致あってこそだった。俺を助けるメリットが、デメリットを超えれば助けは来ないだろう。いや、それ以前に、彼らが英雄だからこそ、助けるべき人間を間違えない。ランサーが、マスターの元に走ったように。

 ああ、そう言えば。もう一つだけ、選択肢があったな、と思い出す。

 ひたすら無意味なもの。このまま何も出来ずに、死を恐れながら縮こまるだけで、最後の時を待つ、というものが。ただの一般人のように、それらしく、何も出来ずにのたれ死に。

 それは、酷く俺らしい死に方なのだろう。自虐的に笑った。

 はっきりと理解できる、俺という存在の終わり。

 欠損した体の部位から、魔力が流れ失われていくのが自覚できる。自分自身が、体の内側から薄まっていく感覚。それは、桜から供給される魔力の量を上回っている。それが分かってしまえば、諦めきれずとも、悟ってはしまうのだ。

 全英霊中最強と言われている、ギルガメッシュのスペックを持っていても。扱うのが俺では、所詮この程度か。せめて、終わりの時は苦しまないように、そんな事を願いながら。俺は、桜を抱く腕の力を緩めた。

「……アーチャー?」

 不思議そうに、囁く声が聞こえる。雰囲気で、俺を見上げたのが分かった。

 俺が抜いた力に比例するように、桜が鎧の隙間から掴む服が引っ張られる。

「ねえ……アーチャー……いや……」

 それが、悲鳴に聞こえたのは願望だろうか。もしかしたら、その程度には好かれて居るのかも知れないという。

 彼女の声に、俺は応える事ができなかった。代わりに、さらに力を緩める。本当に薄まっているのは、体か、それとも意識なのか。

「やめて……いかないで……」

 何度も服を引っ張り、反応を求める桜。しかし、今更彼女に、どんな言葉を返せばいいというのか。

 報いたい、などと格好つけて言っておきながら、結局は何も出来ていない。おもちゃを与えて、彼女の為になったつもりにでもなっていたのだろうか。本当に求めているものは、そんな事で無いと知りながら。心を失った少女に必要だったのは、ごく普通の家庭にあるような、何でもないぬくもり。しょっちゅう家を空けていた俺が、与えられている筈がないもの。ましてや、彼女との接触が割れ物に触れるようではなおさら。

 心残りがあるとすれば。彼女を助けられなかった事だ。見捨てることすら考慮しておきながら、今更偽善すらならない。

 最後まで泣かせてしまった桜の頭を、そっと撫でる。

「やめて……やめてぇ……行かないで……お願いだから……一緒にいて……!」

 それは、奇跡であった――

 声は、悲鳴でしかなく。そして、悲鳴以外の何者でもなかった。そう、それは『悲しみ』という感情の籠もったものだったのだ。

 光が届くはずの無い場所で、一瞬だけ輝くものがある。体の左下、腰の辺り。正確に言えば、桜が握っている、右手の甲にある――令呪。

 ありえない事だ。令呪の使用に必要なのは、火付けとなる魔力よりも、まず意思なのだ。思いこそが、何よりも力になる。思いを魔力という力に乗せるのが、令呪の仕組みである。ならば、まずは強靱な――普通の人並みの――意思がなければ、それは令呪の機能たり得ない。

 ならば、これは何だと言うのだ。体には力が溢れている。欠損箇所から漏れる魔力も、一時的にだろうが止まっていた。勢いを失いかけていた宝具達が、また勢いを取り戻す。先ほどまで以上にだ。

 桜が受けた心の傷は、たった数日で治療出来るほど浅いわけが無い。ならば、これは――俺のために絞り出してくれた感情に他ならない。何よりも、意思を失っていた少女が俺を思って。

 失い駆けていた腕、その力を強く入れ直した。桜の小さな体を、もう放さぬように力強く。

「何を……諦めかけてんだ俺は!」

 暗闇の中、全力で吠える。蟲の壁を突き破って、外にまで響きそうな程全力で。

 そう、忘れかけていた事。俺は死ぬのがとても怖くて、同時に人生をやり直したくて、ただの日常の続きが欲しくて。そのために、やりたくも無い戦争なんてしてきたのだ。使い慣れない頭を捻って、やりたくない事をたくさんやって、ここまで来られた。今更、ちょっと天敵の蟲に囲まれた程度で諦める? 冗談じゃない! それで本当に諦めきれるなら、ここまで来ちゃいない!

 しかもだ。令呪を発動させられるほどの意思を、桜が見せてくれた。家族がここまで頑張っていながら、俺が先に諦めるなど、絶対にできない。

 俺は英雄じゃない。でも、英雄の様になろうとならばできる。

 桜を胸元にしっかり抱えて、強く足を踏み込んだ。それに意味はなかったかも知れないが、しかし身を屈めたのには意味がある。隙間を埋めようと、僅かに綻ぶ蟲の大岩。それはつまり、包囲が僅かに薄くなった、という事だ。例え、それが数センチなくとも。

「行くぞ桜」

「……はい」

 俺の言葉に、力強くはなくとも、しっかり言葉が返ってくる。それに、俺は笑った。

 いままでは無理であった方法。しかし令呪のバックアップが効いている今であれば、無茶ができる。例えば、宝具の展開量を一時的に倍加して、桜を傷つけさせずに外にでるという事が。

 防御用宝具の最大展開。大部分を正面に回し、背後には申し訳程度。それこそ、3秒あれば食いつぶされて、蟲が雪崩を打ってくるような。もう守る気はないという意思表示。進行方向、体一つ分の小さな空間に、王の財宝の最大展開。隙間を埋め尽くすように、刃の先端が覗いている。

 背後の宝具が食い破られる、一瞬前。地面にクレーターを作るほどの強烈な蹴りが、体を前に突き出した。

 飛んだ瞬間か、その手前だったのか。ふと、俺はなぜか背後を押された気がした。ただ、それに害意があるとはとても思えなくて。背後を見る。

 そこには、誰かがいた。暗闇の中に、はっきりと映る人影。金髪の、赤目の、まがい物の俺とは違う、本物の王者の風格を持った、青年が。恐ろしく不機嫌そうな顔が、とても印象的で。左手だけは組むようにして、右手を突き出している。俺を見て、やはり不機嫌そうな表情で、あざ笑うように鼻を鳴らした。それっきり反転し、蟲に触れるより速く消える。

 それが誰だったかなんて、分からない。そもそも、俺の妄想だったという可能性が一番高いのだ。それでも、俺がそれを事実だったと認めるくらいは、きっと許される。もう居ない青年に対して、笑顔だけを返し。あとは、背後を見るのはやめにした。もう前だけ見ようと、決めたのだから。

 数十という宝具の一点集中に、ひとたまりも無く吹き飛ぶ蟲。突き破られた穴から、初めて外の光が見えた。閉じようとする蟲を、さらに大量の宝具で吹き飛ばす。開いた隙間を防御用宝具で無理矢理こじ開けるのは、簡単な話では無い。触れただけで魔力を吸収する蟲、それに連続して触れれば、枯渇はすぐ。いくら宝具とは言え、力を奪われては満遍なく防御するというのは不可能だ。削りきれない蟲が、体当たりをするように、俺たちに降ってくる。

 降ってくる蟲の量は、内側に閉じ込められていた時の比ではない。耐久力の高い鎧ですら、すぐに効力を失って。ついに、俺の左腕が体から切り離された。

 闇しか無い洞窟の中に落ちていく、ただのエーテル塊になったパーツ。蘇った苦痛も喪失も感じる、が、問題は無い。右腕さえあれば、桜を抱えているのに支障はないのだ。

 体に積み重なるダメージ。急に、右目が見えなくなった。降ってきた蟲がたまたま触れて、分解されたのだろう。桜を助けられるならば、右目くらいくれてやる。

 外の星光が目前に迫ったところで、勢いが急激に衰えた。最初に稼いだ勢いは、蟲の圧力で予想以上に削られている。このままでは、脱出しきる前に、止まってしまう。

 これで終わってなどやるものか! 桜は俺を信じて、摩耗しきった感情を露わにすらしたのだ。それを受け取った俺が、この程度の窮地で負けて良い筈が無い。足を大きく持ち上げた。そんなことをしても、踏み台になる大地は無い。だが、なければ作ってしまえば良いのだ。

 正面に展開する筈だった宝具の一つを、足下に置く。それは空中で踏み台になるほど質量があるものではないが、半ば王の財宝に埋まっていれば話は別だ。足に引っかけたそれは、多少頼りなくとも、十分な感触。一気に踏み出して、足場が転げ落ちていく感触を感じた。代わりに、俺たちは蟲を頭ながらもそれを突破し――ついに、周囲に何も無い、空へと出られたのだ。

 時間にして、数分。少なくとも、数十分は経過していない、短時間と言っていい合間。しかし、体感的には一年にすら感じた、怨念と呪いの澱に閉じ込められていた俺たち。着地し、踏みしめた地面すら新鮮に感じた。

 脱出したとは言え、高さ百メートルに届こうかという蟲山は健在なのだ。気を抜かず疾走を始め、同時に宝具で向かってくるものを吹き飛ばす。

 つまらないことを考えた、と思い返す。きっと、周囲を満たしていたアンリマユの空気にあてられたのだ。だから、俺はあんなに死を意識し、みっともない事を思考していたのだ。それが事実かどうか、考えたくも無いが。少なくとも、言い訳にするには丁度良く、上等なものだと思える。

 情けなく、下らなく、つまらない自分。しかし、それでいい。それが『人間』というものなのだから。きっと、俺はどれだけ望んでも、英雄にはなれないだろう。でも、それでもいい。誰もが思い描くような英雄になれずとも、俺の家族の――桜の英雄にさえなれればいいのだ。ただの、『人間』なのだから。

 俺は後退し終えて、桜を下ろした。令呪のバックアップは、もう切れている。ダメージの分だけ、宝具の展開量が減っていた。それは、決して無視できる量ではない。少なくとも、もう飛行用宝具に割り当てられる魔力はないだろう。

 事態は五分にすら戻っていない。それでも、もう負ける気だけはせず。ただ、桜との確かな繋がりだけを感じていた。

 

 

 

 まずい、そう声を上げる余裕すらなくして、ライダーは空から地上を見下ろしていた。

 眼下にあるのは、高さも幅も数十メートルあろうかと言うほどの、巨大な岩。否、それは無機物などでは無い。時折形を変える様子が、それが生物だと教えていたし、見る者へ与える醜悪な印象が、まともな物質で無い事を伝えている。

 それは、つい数秒前までは存在しなかったものだ。突如現れた、アーチャーのマスター。それを餌にして、蟲の群れが包み込んだもの。言わば、最大火力を持つサーヴァントを殺すための牢獄であった。

 体勢を崩して転がっていたウェイバーが、体を起こす。そして、ライダーと同じように見下ろした。胸元につり下げていた双眼鏡を持とうとして、しかし手を淵へと戻した。下方どれほども離れていない方向にある、ビルよりも遙かに大きい物体。そんなものを見下ろすのに、双眼鏡など必要ない。

 定位置で空しく揺れる双眼鏡、それに気づきすらせず、ウェイバーは言った。

「あれって、アーチャーだよな……」

 唖然とした様子で、無意味な問いをするウェイバー。しかし、ライダーにはその気持ちが、とても良く分かった。それほど、ばかげた光景なのだ。

 最大でも、数センチほどの矮小な蟲。それが、山を作るほどの数など、もういくつだと数を数えるのも馬鹿馬鹿しい。つい先ほどまで、南部に存在した全ての蟲。それを集めたところで、これに比べれば半分にも満たないだろう。

「生きて、いるんだよな?」

「でなければ、奴らはとっくに拡散しているだろうよ」

 標的が居ないのであれば、そこに集中している理由は無い。とっとと食い荒らしに行くなりしてしまえば良いのだ。この場合、ライダーを気にする必要はなかった。なぜならば、あの蟲達にとって、最も問題にならないサーヴァントがライダーなのだから。

 マスターを利用して、アーチャーを引きずり下ろす。それと同時に最大物量で、奴をマスターごと封じる。シンプルだが、アーチャーがマスターを大事にしていればしているほど、有効な手段だった。それは同時に、アーチャーを最強のサーヴァントと認めた上での戦略なのだろう。

 ぎりぃっ、と強く歯を噛んだ。少なくとも、間桐臓硯か言峰綺礼にとって、ライダーの優先順位はアーチャーやランサーに劣るのだ。それを、まざまざと見せつけられている。

 しかし、今はその屈辱も飲み込まねばならない。

「自力での脱出は無理なのか? 例えば、大火力の宝具とかで……」

「無理だな。坊主には分からん感覚だろうが、宝具の真名発動とは魔力も集中力も、恐ろしく気を遣わねばならん。ただでさえ、全方位に宝具を展開し、マスターを守っているのであろう。その上で、大火力の宝具など使ってみろ。あっと言う間に、防衛戦に穴が開くぞ」

 ついでに言えば、と。ライダーは心の中だけで続け、下を見直した。人造の山は頻繁に蠢いており、大人しくなる様子を見せない。

 アーチャーはマスターを守りながらも、大人しくせずに抵抗を続けている。それが、活路を見いだそうとしているのか、それともそうする必要があるのか、そこまでは分からないが。とにかく、大火力で攻撃され、蟲を消滅され続けている以上、あのように動き続ける必要はあるのだろう。

 そもそも、真名発動できる宝具を他に持っているかも分からない。もしかしたら、単発型の使い切り宝具を持っているかも知れないが。だとして、アーチャーは所詮所持者であり、使い手ではない。調整のできない宝具を切羽詰まった状況で使ったところで、待っているのは自滅だ。あの慎重な男が、そんな真似をするとは思えなかった。脱出口を作ったところで、後ろから喰われましたでは話にならない。

「固有結界で蟲だけを持って行って、アーチャーを救出するのはどうだ? あとは適当な所で、結界を解除すれば」

「それも無理だ。魔術師の固有結界ならばいざ知らず、余は所詮仮初めの使い手よ。どこに居るかも分からぬアーチャーを、器用に対象外にすることはできぬ」

「これもダメか……」

 悔しげに、ウェイバーがうめいた。

 アーチャーを救うために、アーチャーまで固有結界の中に封じてしまっては意味が無い。その隙に、街は思い切り食い荒らされるだろう。拡散されてしまっては手に負えない。

 固有結果を展開し、アーチャーを救出してすぐに解除。そんな作戦も一瞬思い浮かんだが、すぐに破棄した。呼び出すサーヴァントは、当然蟲に相性が悪い。救出できる保証がないし、できたとして、ライダーまで消耗しきっては事態がさらに悪化する。ただでさえ、魔力量の少ないウェイバーがマスターなのだ。これで宝具を使ってしまっては、もう二度目が無い。それまで考慮しての作戦だったとしたら、恐ろしい限りだ。

 彼もよく考えてはいたが、如何せん宝具について知らない事が多すぎる。使い手以外に分からないことばかりなのだから、仕方が無いのだろうが。

 ほんの一瞬だけ、顎に手を置いて考え――すぐに、次の言葉を発する。

「そう言えば、聖杯に取り込まれた臓硯の本体はどこにいるか分かるか?」

「あっちだな」

 と、一番サーヴァントの気配が濃い方向を指さした。そこは、アーチャーに群がるほどの数ではなくとも、大量の蟲がいる。そのほかの場所には、殆どと言っていいほど蟲はいなかった。

 広範囲にわけて攪乱するのをやめて、集中攻撃を仕掛け始めたのだ。一カ所はアーチャーに、もう一カ所は臓硯本体への守りに。

「余の戦車で押しつぶすか?」

 分厚い蟲の層を突き破るには、戦車ではほぼ不可能。可能性は低いが、ライダーの死と引き替えにすれば、臓硯を殲滅できるかもしれない。はっきり言ってしまえば、希望的観測以外の何物でもない。しかも、それですら。核である臓硯が蟲をこれ以上生産せず、位置も移動させない、という前提でのもの。

 ただの独り言のつもりであったのだが。しかし、ウェイバーから回答があった。

「臓硯はあくまで、聖杯の泥を使いやすくするためのものでしかないと思う。言峰綺礼は、最低でも令呪の続く限り泥を操れるだろう。アーチャーを包んだ以上、今の形状が蟲であるっていうのは、逆に都合が良いよ。液体じゃあ、もっと防ぎづらい。これで、ライダーが戦闘不能になって、残ったのがランサーだけじゃ、それこそ賭けにならない」

 今回の攻略には、二つの最重要攻略対象がある。一つは間桐臓硯であり、もう一つは言峰綺礼――正確に言えば、綺礼の持つ聖杯。この両方を撃破しなければ、最悪機能し続ける。

 生存が絶望的であるセイバーを頼りにはできない。ならば、ライダーがアーチャーのどちらかを、最後まで宝具使用可能な状態で、生存させなければいけないのだ。

 ライダーは拳で、自分の額を叩いた。ごすり、という音が脳に直接響く。

 急ぐあまり、少々冷静さを欠いていたらしい。そこをしっかりと補ってくれるマスターなのだから、なんとも頼りになる。

「現状では『待ち』しか選べぬか」

「ああ……悔しいけど、相手の作戦に乗って、こっちまで消耗するわけにはいかない」

 この鉄火場にあって、見ているだけしか出来ぬ事に。常に先端を走ってきた征服王イスカンダルが、悔いぬ訳がない。

「全てが計算通り、と言うわけでは無いだろうが……ここまでの采配、外道ながら見事だと言うより他あるまい」

 気付けば、強く拳を叩き付けていたライダー。

 彼とて、常に軍を率いていた身である。それは、軍略というスキルにも、反映されていた。アーチャーはともかく、セイバーも軍を率いていた身。彼女に軍略スキル無く、自分にあるというのは、それだけ自信の上乗せにもなった。言わば、自分の土俵と言っても良かったのだ。

 それなのに、こうして容易く先手を取られ続けると言うのは。屈辱以外の何者でもない。

「気持ちは分かるけど、押さえてくれよライダー」

「分かっておるわ。堪えていれば必ず、もう一度我らに機会が巡ってくる。それまで、何としても耐えねば」

 それでも、激情を抑えきるのは難しく。拳に籠もった力は、そのままだった。

 実のところ、その落ち着きが無いとも取れる姿は、彼の本来の姿に近いのかも知れない。激高し、感情に身を任せても、それを冷静に諫める事が出来る者が近くにいる。それは同時に、ウェイバーをそれだけ信頼しているという事でもあった。マスターとサーヴァントという、この場限りの関係すら超えて。

「ん……? ライダー、あれを見てくれ」

 蟲達が、多少飛べる事は知っている。だからこそ、万が一にも撃墜されぬよう、少々高度を高めに取っていた。そのため、ウェイバーが下を詳しく確認するには、双眼鏡を使うしか無い。二つのレンズから遙か下方を確認するウェイバーに、ライダーが続いた。

 視力に優れたアーチャークラスには及ばずとも、双眼鏡程度には見える。

 そこには、大荷物を背負った一人の男が、巧みに蟲を回避しながら走っていた。それも、災害の中心点へ。この厄災の地で、まさか野次馬ではあるまい。もしそうならば、それは危機感の足りないただの馬鹿だ。

「あれは、セイバーの仲間だったか?」

 ライダーのぽつりとした呟きに、ウェイバーは首を傾げた。双眼鏡の倍率を上げて、男の顔をよく観察する。髪の収まりが悪い、という点以外に特徴が思い当たらない、ごく普通の男。当然、記憶に引っかかる人物も居なかった。

 まあ、ライダーがそうだと言うならばそうなのだろう。悔しいが、注意力というものにおいて、ウェイバーは全く勝てる気がしていない。

 なぜか、彼が一人でここに居る。あの厳格な王が、仲間一人を敵地に突入させるわけが無い。という事は、まず間違いなくセイバーは死んだのだろう。想定の範囲内であるが、同時に惜しい損失。しかし、それ以上に。彼が今ここに駆けつけているというのは、大きな意味がある。

「ライダー!」

「応とも! 転機がやってきたぞ!」

 手綱を大きくふるって、戦車を一気に加速させた。今までの鬱憤を晴らすように、大きく雷が鳴る。ほんの一瞬空を照らすと、そのまま雷を道に変え、誰にも止められぬ閃光と化した。

 高度を下げたことで、飛びかかってくる蟲。しかし、その数はまだ少なく、全て余波の雷で焼き尽くせる程度だ。

「アイツを回収するのか?」

「んな暇あるかい! 奴が真っ直ぐ進むというならば、その方向に道を作ってやるだけよ!」

 いよいよ、男の前に回り込み。地面に下りたって、戦車を全速進行させる。蟲の数は空中などよりも遙かに多い。それもウェイバーが多少無理をして魔力供給すれば、なんとかなる。

 無数の蟲を踏みつぶし、焼き殺し。かなりの区間、道を稼げただろう。しかし、それだけでは駄目だ。雷と踏みつぶしで対処できるギリギリ、それを違えずに、ライダーは見極めた。

 戦車を持ち上げて、再び宙に浮かべる。ライダーを喰らうために集まっていた蟲は、飛んだ彼らを追おうと、地面で蠢いていた。このまま離れてしまっては、男の進路上に蟲を配置しただけで、邪魔にしかならないだろう。

 であれば、これから最も重要な任務。つまり、集めてしまった蟲を引きつける、という仕事が待っていた。

「戦車が荒れるぞ! 頭を上げておけ!」

 跳ねて、飛びかかってくる虫に対処するべく、ライダーは剣を引き抜く。雷撃網の処理能力を超え、くぐり抜けたそれらが、彼らに明確な殺意を持って牙を剥いた。

「ボクだって戦えない訳じゃない!」

 ライダーと同じように、ウェイバーも魔術礼装を取り出す。一言で言ってしまえば、申し訳程度。ないよりはマシだという程度の装備である。聖杯戦争において、通じる相手を探す方が難しい、その程度のもの。しかし、小さく大量の敵を相手するならば、そんなものでも頼もしい。

 接近する蟲を、ライダーが連続して切り伏せた。それは、正確ではあった。しかし、素早くは無い。いかに人知を超えているとは言え、蟲に対処するには、やはり遅いと言わざるをえなかった。

 しかし、ライダーは一人では無い。魔術師として頼りなくとも、この上ない相棒が居る。一人で、全てをこなす必要は無いのだ。

 ウェイバーは、外側から降りかかる蟲を、優先して落としていった。これは、単純にライダーに合わせるだけの技量が無かったからなのだが。しかし、それでも数を減らせば、十分に力になる。拙くありながらも確かな連携は、ついに御者台に一匹の蟲も、進入を許さなかった。

 しかし、その代償に。神牛のダメージは決して小さくなく。体の至る所に抉られた後を残して、血で体を染めている。

(不味いな。戦車のダメージが大きすぎる)

 冷や汗を垂らしながら、剣を大きく振るった。

 動力源たる牛のダメージが嵩めば、速度高度共に削られていく。今ですら、徐々に速度が下がってしまっているのだ。このままでは、戦車を失ってしまう。

「ライダー左だ!」

 その声に、ライダーは咄嗟に舵を切った。左に何があるかなど、確認は必要ない。彼の信頼するマスターがそう言ったのだから、そこに間違いがあるなど、寸分たりとも考えなかった。

 遠心力に体を引っ張られながらも、足の力だけで踏ん張る。ウェイバーが振り落とされぬ事に集中する以上、蟲の対処はライダー一人でせねばならない。急な方向転換に敵への対処、二つの処理を同時に行い、意識が飛びそうになる。

 一瞬にして目に映る景色が入れ替わる。殺風景な、毒蟲に生命力を食い荒らされた平原、それはかつて市民会館だった残骸へと移り変わった。

「そうか!」

 ライダーは叫び、不適な笑いと共に、戦車の高度を上げた。

 囮である以上、蟲の攻撃が届く距離にいなければならない。彼が再設定した高度は、蟲の攻撃能力を超えた場所、である筈だった。本来ならば。

「上手い手だぞ」

「ぅ……これなら、引きつけるのに最適だろ?」

 遠心力に負けて、顔を青くしているウェイバー。口に手を当てて、吐き気を堪えながら言った。

 平地であれば、蟲はどこからでも飛びかかり、攻撃を仕掛けられる。しかし、市民会館が崩壊した後の、高低差の激しい地形ならば。一度に飛びかかれる蟲も、その位置も、かなり制限される。今までよりも遙かに楽に、かつ堅実な囮役が可能だ。

 ライダーの消耗は激しい。特に戦車の格となる雄牛はダメージが深く、能力にしてワンランク下以上下がっていると見ていいだろう。生物型の宝具というのは、普通の武器型宝具に比べて、ダメージの回復が遙かに早い。まあ、その長所の代わりに、防御力が著しく低いという欠点も持っているので、一長一短だが。とにかく、もう少し時間をおけば、ワンランク下くらいの能力にまで回復してくれるだろう。

 能力低下と、ダメージと、蟲の襲撃数。これの釣り合いを完璧に取るのは、ライダーの役割だ。マスターが完璧に仕事をこなしたのだから、それくらいはしなければ、顔が立たない。

 消耗の隙間を抜いて、雷の結界内に入ってくる蟲に剣を突き立てながら。ウェイバーが持ち上げようとした頭を、そっと押し戻してやった。

「ふらふらしておるではないか。少し休んどれ」

 本当に、そっと赤子に触れる様な手つきで、額に触れただけなのだ。それにすら、抵抗できないほど消耗している。これは、戦車の無茶な機動の為だけでは無い。ただでさえ、魔力を吸収し、エーテル分解する蟲の中を突っ切ってきた。ライダーに供給する魔力だけを見ても、通常戦闘の軽く三倍は必要だったのだ。その上、蟲を払うために魔術行使までしている。ウェイバーの魔力は完全に底を尽き、僅かだが、魂すらも削って必要分を捻出していたのだ。

 本当ならば、今すぐ倒れてもおかしくない。

「……お前だけに戦わせて、ボク一人のうのうと座ってられるか」

 力の無い言葉が、ウェイバーから届く。それに、ライダーは笑った。

 まるで別人だ。初めて会ったときの、甘さばかりが目立った彼と。ウェイバー・ベルベットは、現在進行形で進化している最中なのだ。時計塔の魔術師であり、得られぬ権利に、ただ不満ばかりを募らせた小僧。戦を前に強がりながら、その実全く覚悟が無かった子供。

 子供以上になれていなかった男が、いつしか征服王の隣に座って戦略を論じる。その上、咄嗟の視野で言えば、ライダー以上な面すらある。

 そして。今のウェイバーは、間違いなく戦士であった。英霊の隣に並んで、何ら恥ずかしくない。こんな人間がいるから、勇者を束ねる王というのは、やめられないのだ。これが、笑わずにいられようか。

 しかし、まだ甘い。覚悟は決まっているが、勢いばかりが先行してしまっている。それを諫めるのも、また王の役割だ。

「ここは余一人で十分よ。こんなつまらぬ所で力を使うくらいならば、今はしっかり休め。そうすれば、多少なりとも魔力を回復できるであろう?」

「そりゃあ、ここら辺は聖杯の影響か、普通の場所よりもかなり魔力が多いけど。そんなもん、雀の涙にしかならないぞ」

「それで良い。魔力がいくらか回復すれば、疲労も取れるであろう? ならば、頭の冴えが戻るのも当然の帰結よ。まさか、これからも続く戦いに、鈍った頭で挑むつもりではあるまいな?」

 挑発をするように、ライダー。

 ウェイバーは一瞬むっとして、唇を折り曲げる。しかし、すぐに平常心へと戻った。

「ああ、オマエの言うとおりだよ、ちぇっ。確かに頭脳派のボクが、前線で戦うって言うのはらしくなかったさ。大人しく魔力回復してるよ」

「そうしておけ。ここは余一人で十分よ」

 分かってはいても、やはり納得しきれないのか。あるいは、少しばかり反抗して見せたいのか。すねたようにウェイバーは言って、その後は大人しく座った。

 一度体を休めてしまえば、後から抵抗するのは難しい。本人が思っていた以上に、深く座り込んでしまっていた。

 疲労色の濃い表情を隠しているのは、乱れた髪。それをかき分けるように、ライダーは頭をがしがしと掻いた。

「うわっ、な、何だよ! 全く、子供扱いしやがって……」

(そんなつもりはないのだがな)

 本当に。全く持って。

 それが僅かであろうが何だろうが、ライダーはウェイバーを頼りにしている。能力に信頼を置く相手を、ライダーは子供扱いなどする気は無い。

 しかし、訂正をする気はなかった。

 ウェイバー・ベルベット。大器の片鱗を見せるが、その中身は未だ無色。いや、それどころか、器の形すら定まっていない。これからどんな器になり、どんな中身を納め、どれほどため込むのか。全てが未知数。確かに、今手を加えてやれば、その型を自分好みに変える事も出来るだろう。しかし、そのような無粋な真似はしたくない。器は、自分で作るからこそ面白いのだ。思い通りになるものが、当然のように思い通りの形になって、何が面白い。

 ――もう少しだけ、彼が進む先を見てみたい。

 それを肴にするというのは、どんな宮廷料理にも勝る贅沢だ。

「く、くくくっ」

「な、何だよ。何を笑ってるんだよ」

「いや、ちょいと良いことがあってな」

 訳が分からない、と疑問符を浮かばせるウェイバー。それでいい。彼の成長はあくまで自分だけのもの。彼自身が吸収するのならばともかく、外から影響を与えてはならない。

 寂しい限りの魔力残量。これ以上の魔力供給を望むなら、令呪に頼るしかない。うまく魔力をやりくりするために、出力を一つ落とした。

 戦車上面を覆う雷の幕が、一段下がる。戦車本体が消費する魔力は、ある程度使い回しが可能なのだが。雷撃は打ちっぱなしな上に、元から余波でしかない。蟲に有効な攻撃がそれしかないから、無理矢理強化していたのだが。効率はすこぶる悪いのだ。上面に跳ね飛んできたものだけでも剣で対処できるから、かなりの節約になる。

「さっきの男はもう行ったぞ」

 少しは回復したのか、顔の青みが大分抜けたウェイバーが言った。

「どっちの方に向かった?」

 十分に高度を取り、蟲が届かないのを確認して、ライダーは問うた。

「市民会館跡地の奥の方だ。あんまり移動していなかったらしい」

 する必要がなかったのか、できない理由があるのか、それは分からないけど。そう言外に告げていた。

 高さを稼ぐと、肉眼で追いつかなくなったのか。再び双眼鏡で戦場を確認し始めるウェイバー。こう暗い中で、どれほどの精度が見込めるのか、ライダーにはいまいち分からない。

「追いかけてみるのはどうだ? こう魔力が濃くて、しかもまばらな場所なら、魔術師が接近しても気付かれないと思うんだけど」

「無理だな。余がアサシンのクラスであれば、気配を断つ事もできたであろうが。それで逃げられてしまっては、本末転倒よ。大人しく、我らは我らの仕事をするぞ。丁度、ランサーの奴が復帰したようであるしのう」

 大地を駆ける獣となって、地を跳ねながら。今までの様子とは比べものにならない苛烈さで、蟲の群れを割り裂く。その動きは、最速のサーヴァントだという点を考慮しても、限界を超えている。悲痛さすら見える、圧倒的な速度での制圧だった。

 何かがあった――そう確信させるのに十分な動き。しかし、それを考慮している余裕など、どこにもない。

 戦車を滑らせて、すぐにランサーから少し距離を離した位置まで寄る。接近しすぎれば、蟲と同じように両断されてしまう。そう思わせるほどに、彼の槍捌きは危険だ。

 あたりに雷を撒き散らす。派手に響いた音は、確かにランサーに届いた。かつての美丈夫と同一人物だとは思えぬ、鋭い瞳。

 狂った獣を飼い慣らすように、ライダーは大声を上げた。

「末端をいくら切ろうとも、奴らには痛くもかゆくもないわ! 落ち着くのだ、ランサーよ! 貴様の槍は冷静さを貫き、氷原のような鋭いものであっただろう! 煉獄のようなその槍、貴様の持ち味を殺しているぞ!」

 ほんの一瞬だけ、ランサーの殺意がライダーへと向いた。その威圧たるや、余波だけでウェイバーが息を詰まらせるほど。

(こいつはダメか?)

 ランサーの怒りは、その矛先を変えても、いささかも衰えない。それだけ我を忘れている。この状況で、ランサーの相手までしていられる訳が無く。いざとなれば、すぐに離脱するよう、手綱を強く握る。

 しかし、離脱の準備が必要になる事はなかった。ランサーの瞳の感情は徐々に薄まり、やがて己を取り戻す。平静、とは言い難いが、直前の状態を考えれば十分だ。

「……すまん、迷惑をかけた」

「よい。今は聞くこともせん」

 敵を目の前にして、脇目もふらずに撤退したランサー。そうしなければならないだけの事態など……碌なものである筈が無い。

 重い音を立てて、ゆっくりと戦車を方向転換させる。位置は相変わらず空高くであり、ランサーに近づくような事はしなかった。宝具として機能する限界近くまで消耗している戦車が、下の激戦区などに行けば一瞬で破壊されてしまう。下で槍を降り続けるランサーに、声を張り上げた。

「ランサー、気付いておるか?」

「こいつらの核の事だな。分かるとも、この禍々しくも忌々しい、醜悪な気配が漂って来る」

 視線ですら、射殺してみせる――そう言わんばかりの、殺意の刺突。それは正確に、もう一つの蟲溜まりを見ていた。

「単刀直入に聞く。貴様はあれを抜いて、本体を叩けるか?」

「俺だけで、というならば無理だ。不本意だが、早さで勝ろうとも、数で圧倒される。威力型の宝具で、半ばまで道を開かれれば話は別だ」

「つまり、余の戦車で道を開いてやれば、叩き潰す事も可能、という訳なのだが……」

 言いながら、ランサーが蟲の山を見て、鼻を鳴らしていた。

 それと殆ど同時に、虫の山が膨れ上がった。数が増えた、というのではない。一点に固まっていた蟲達が、一斉に広がったのだ。密度こそ下がっているが、しかし臓硯にたどり着くまでの距離は、倍以上だ。

 あからさまな、ライダーの宝具対策。これで、ランサーが必殺を狙える距離まで近づけない。しかし、これは予想できた事であり、落胆は無い。物量という優位があったとは言え、それを上手く生かして先手をとり続けてきた相手だ。ここに至って、対策を取り間違えるなどという、都合が良い妄想はできない。

「そっちは何とかなるか?」

 次にライダーが指さしたのは、前のそれより遙かに大きな山だった。

「向こうでも歯が立たないのに、明らかに三倍以上あるこっちが何とかなる訳がないだろう。いや、それ以前に、これはもしかして……」

「おう、アーチャーよ。マスターを人質に取られて、脱出する事もままならんようだ」

 蠢く山は、相変わらずうず高い。それでも、僅かに背が低くなっている。アーチャーの攻撃能力が、蟲の増殖能力に勝っているのだろう。しかし、それがアーチャー脱出まで持つのかと問われれば、それはないと言わざるを得ない。それは、つい先ほどまで蟲と相対していたライダーが、一番よく分かっている。

「お前の宝具で何とかならないのか?」

「無理だ」

 今度は、ライダーが否定する番だった。

「余の宝具は、とにかくこいつらと相性が悪い。『体当たり』をする戦車では、自ら攻撃を食らいに行っているようなものよ。軍勢を使ったところで、蟲を処理するのは無理であるし……なにより、それでアーチャーを助け出しても、今度は余が戦えん。火力を持つ二人が戦闘不能になっては、それこそ奴らの思うつぼだ」

 それは、迂遠に。もしもという時は、アーチャーを見捨てるという宣言でもあった。

 ともすれば、甘さとも取れる己の美学を貫くライダー。それが彼を不利にすることは、多々あったであろう。だからこそ、重要な盤面での選択は間違えない。その非情さをも含むからこその、征服王である。

「セイバーが居れば、話は違ったのだろうが……」

「だからこそ、真っ先に狙われたのだろうよ。威力が『ありすぎる』という欠点を除けば、理想的な宝具だからな」

 この時点でセイバーが生存しており、合流まで果たしていれば。その時点で、臓硯らは詰んでいた。大火力を持つ者が三人になれば、一つの攻略目標を撃破するのに、二人まで犠牲にしていい計算になる。それに、セイバーの風王結界。あれを戦車に纏わせれば、ライダーの対蟲攻撃能力が跳ね上がる。かなり安全に、連中を倒し切れた事だろう。

 どこまでが計算で、どこまでが偶然なのだ。全く判断できない。少なくとも臓硯にとっては、自分が喰われた事は計算外であったはず。それを、こうまで修正できるものなのだろうか。

 一つ分かるのは、偶然の要素すら、今は相手の追い風となっている事だけ。

 半ば予想していたが、ランサーが復帰しても事態は好転しない。それを意識すると、ライダーに初めて、焦りが生まれ始めた。しかし、それを断ち切るように、淡々とした声が上がる。

「我が主が、あれを倒す魔術礼装を完成させて、もうすぐここに来る。俺は、それまでの時間稼ぎを命じられて、ここに来たのだ。それまでの辛抱だ」

 無表情を取り繕っても、押さえきれぬ怒りを零しながら。走る槍は、怨敵を断ち続けている。

 ここに来てやっと、願望に頼らない、具体的な打開策が出てきた。希望は、まだある。希望があれば、作戦の立てようだってある。

「休みの時間はもう終わりだ。しっかり頭を起こしておくのだぞ」

「分かってるよ、先生が来てからが勝負、だろ?」

 ライダーの軽快な言葉に、同じく軽快に答えるウェイバー。もっとも、声が掠れている辺り、大分無理をして出したのであろうが。

 どんな機も逃さない。集中し始めた、その時だった。アーチャーを包んでいる山の一部が大きく盛り上がり、強烈な爆発音を立てながら、吹き飛んだのは。

「ぬ、おおぉ!」

「おわぁ!」

 はじけ飛んだ虫の一部が、恐ろしい勢いでライダー達に叩き付けられる。素早く戦車を加速させ、離脱を試みるが。そもそも蟲の飛び散った範囲が広大であり、回避し切れない。振り落とされそうになるウェイバーを掴みながら、自身も手綱を強く握った。

 幸運にも、殆どは雄牛から逸れ、僅かに残ったものも雷撃と剣で対処可能だった。急発進した戦車の上から、爆心地を見下ろす。宙に舞う大量の蟲、それをかき分けるように、金色の影が飛び出た。

 輝いた、と言うには煤けすぎているそれ。鎧は無残にひび割れているし、至る所から血を流し、金を汚している。いや、それ以上に、左腕すら失っているのだ。

 満身創痍と言って差し支えない状態でありながら――しかし、とライダーは彼の懐を見た。そこには、無傷でいる幼子の姿。間違いなくサーヴァントの天敵である蟲に、長時間囲まれて。その上、マスターを助けて脱出を可能とするとは。やはり、能力が頭一つ飛び抜けている。

 すぐに距離をとって、攻撃を開始するアーチャー。それには精彩が無く、宝具の数も囲まれる前に比べて、遙かに少ない。

 しかし、彼が戻ってきた事の意味は大きい。

「ランサー!」

「分かっている!」

 ライダーの声に、すぐに反応して跳躍したランサー。その先は、アーチャーの背後。

 背中合わせになるよう降り立ったランサーは、正面以外から襲いかかってくる蟲を貫き始めた。火力はあっても、細かい制御に向かないアーチャー。消耗しているのならば、それはなおさらだ。全方位警戒しながらでは、十全の能力を発揮できない。しかし、その余分を他者が補うのであれば。全英霊中、最高峰の火力を存分に生かせる。

 分散しようとする蟲を、巧みに牽制しながら。一纏めになっていた蟲に対し、存分に宝具を浴びせるアーチャー。しかし、

「不味いぞこれ……」

 呟いたのは、ウェイバーだ。

 アーチャーの消耗が、激しすぎる。そして、蟲が増えすぎていた。増殖速度が、火力を上回ってしまっている。

 蟲がもう少し少なければ、もしくはアーチャーのダメージが少なければ。正面から押し込めたのだろう。

 間桐臓硯の守りは、相変わらず分厚い。火力と物量の兼ね合いで勝った以上、もう彼に勝負を急ぐ理由はないのだろう。悠然と、布陣を変えぬまま、押しつぶされるのを眺めていた。

「アーチャー、オマエは大火力宝具はないのか!」

 悲鳴の様に、叫ぶウェイバー。それに対する答えは、苦々しい肯定だった。

 宝具自体は、存在する。恐らく、この状況を打開するだけのものが。しかし、魔力不足か、敵の圧力に余裕がないのか、左腕がないためか、使えない状況なのだ。

「令呪は……!」

「使える状況であれば、とっくに使っておるであろう」

 いざという時に、出し惜しみをする男では無い。ならば、既に使い切ったか、それとも――

 ライダーは、視線をアーチャーのマスターへと向けた。彼に抱かれながら、小さく縮こまっている少女。彼女の魔術師としての程度は分からぬが、しかしこの状況で戦えそうな様子は無い。間違いなく、聖杯戦争の用意などしていなかった、急造のマスター。的確な行動など、望むべくも無い。

 そして。

 それは、幸運だったのか、不幸だったのか。多分、幸運で合っているのだろう。

 ライダーの膨大な経験がはじき出した、戦術的行動。勝利への方程式。どんな過程を通ろうとも、目的を達するのに一番可能性の高い道。

 負けて笑えるような戦であれば、それを無視しても良かっただろう。しかし、犠牲になるのはこの地の民だ。イスカンダルが率いる国の者でなければ、聖杯戦争とも縁もゆかりもない。言わば、それぞれが願いを叶えるために、とばっちりを受けた者達。あまつさえ、勝てる道を放棄して、そのもの達が皆死ぬのであれば。

 それを良しとできる者など、もはや英雄でも何でもない。ただのクズだ。

 ゆえに、決断に躊躇はなかった。

 戦車が走り出した。戦場に背を向けて、逆方向に。隣に座るウェイバーから、ぎょっとした雰囲気が見て取れた。

「お、おい! どこに行くつもりだライダー!」

「時に、余らは聖杯戦争の中でも一番の組だと思わんか?」

「それ今言う事かよ!」

 初めてでは無いだろうか。ウェイバーが本気の怒りを露わにして、絶叫した。

 もちろん、今言うことでは無い。それはライダーも、十分承知している。言ってしまえば、そんなものは、ただの雑談の類いだ。あえて言うことに、意味など無い。

 ただ、それでも、口が開いたのは。気付いてしまったからなのだろう。

「他の組は全く駄目だ、全然分かっておらん。個人であれば勝つのは強い者だが、聖杯の争奪は戦争。最も息を合わせられた者達が一番強い」

「いいから戻れって! そんなの後からいくらでも聞いて……」

 掴みかからん勢いで怒鳴っていたウェイバーが、いきなり声を窄めた。視線の先は、ライダーの顔。

 彼は今、笑っていた。いつものように、大きく口を開けて、不敵に笑うのではなく。微笑を称えた表情。ウェイバーが始めて見る表情であり、ライダー自身、自分がまずしない表情だろうと思っていた。

 道は進む者であり、壁は壊すもの、人は懐に入れるものという信条で、いつも行動している。そんな人物に穏やかさは無縁であり、そうであろうともしていた。世界の果てまでたどり着こうと思うのであれば、時間などいくらあっても足りはしない。 振り返り、ゆるりとしている余裕などないのだから。

 しかし、ライダーはそうした。あえて、ウェイバーに向かって。

「な……何だよ」

 うすうす、ウェイバーも気がついたのか。問いかける言葉は、険がなく。そして、言葉に反して、何も知りたくないと言うように、困惑している。

 いや、聞きたい言葉はあるのだろう。今の考えを否定する言葉、それを求めている。

 ライダーは正面に向き返った。頬に浴びせられる夜風が、何故か無性に心地よい。似た所など全くないのに、かつて駆け抜けた、彼の丘を思い出す。

「余とウェイバーこそが、一番優れておる。この盤面であっても、一番余裕を残しているしのう。これも、互いに助け合うからこそよ。反発していたり、片方が力を与えるだけではこうはいかん」

 ライダーは笑った。わざとらしく、大きな声で。今度こそ、普段そうしているように。

 隣にいる相棒は、笑わなかった。俯いて、そして絶対に顔を見せようとしない。

「征服王イスカンダルの召喚者がウェイバー・ベルベットなのが最高であった、そう認めよう。こいつはちょいと、自慢して良いのでは無いか? なにせ、世界に名をはせる大王が、貴様の師より貴様自身を認めたのだからな」

「何が……最高だった、だよ。今まで、坊主としか言わなかったクセに……今更、名前でさぁ」

 精一杯の悪態。震えて、弱々しく、寒々しい。それでも、体中から絞り出して言ったのだろう。

 わなわなと、全身を振動させているウェイバー。それの正体を、ライダーは知っていた。理不尽だ。どうしようもない事、そして覆し得ない事が目の前にある時、人はそういう反応をする。かつて、己が生きていた時代で。幾人もの人間が、そんな姿を見せた。そして、征服王すらも、そうであった事がある。

「そんなの、まるで……遺言みたいじゃないか……」

「――そうだ。余はここで、勝利のために死力を尽くし、そして死ぬだろう」

「なんでだよぉ!」

 ウェイバーは、両手を思い切り叩き付けた。場所など見ていない。右手は御者台の縁に、もう片方は、乗り口に手首を強打して。しかし、それを、そして疲労すら無視して、ただ絶叫した。

 大きく開かれる、両の眼。隙間から、止めどなく涙が溢れていた。髪を振り乱しながら、強くライダーをねめつける。

「オマエじゃなくたっていいじゃないか! そうだ、アーチャーが宝具を使う時間を、ボクたちで稼げばいい! そうすれば、ライダーが犠牲になる必要なんてないぞ。ははっ、軍略なんて大層なスキル持ってるクセに、こんな事も分からないなんて、案外大したことないじゃないか。だからっ! 大人しくボクの指示に従ってればいいんだ!」

 立ち上がったウェイバーは、ライダーの胸ぐらを掴み上げた。ここがどれほど高い位置かも忘れ。

 必死の形相ですがりつくようにする姿は、まるで子供のようだ。服を掴み上げる手には、震えるほど力が入っており――しかし、入りきってはいない。それに、ライダーはそっと手をかぶせた。

「分かっているのであろう?」

 小さな言葉。諭したわけでもない。

 ただ、それだけ。大きな手に包まれながら、ウェイバーの手は、胸からこぼれ落ちた。

 先ほどまでとは戦況が違う。虫の密度も数も、遙かに多い。そんな場所で戦車を使えば、他の二人を援護する余裕もなく、戦車が破壊されるだろう。待っているのは共倒れだし、そもそも勝算がない。

 しかし、もし増殖しすぎた蟲を、一時的にでも、消すことができるのであれば。アーチャーであれば、安定した火力を発揮して、なぎ払う事が出来る。ランサーでも、数が少なければ、卓越した技能と速度でもって、的確に一太刀を浴びせられるだろう。蟲を、消せればの話だが。

 普通は無理だ。しかし、ライダーであればできる。固有結界という、いかさまじみた宝具を使って。

 仕掛けるならば、アーチャーが蟲を一塊に固定している今しかない。それが分からない、ウェイバーでは無い。そう、イスカンダルが認めた、軍略家が。

「こいつを持っていろ」

 腰に吊るした剣を外して、ウェイバーに無理矢理持たせる。ライダーが片手で軽々振るっていたそれも、細身の彼では両手にすら余った。

「形見の……つもりじゃないだろうな?」

 剣を抱えながら、ウェイバーは笑った。ぼろぼろと涙を流して、眉は寄っている癖に、口元だけは必死に笑顔を作ろうと。酷く無様な顔だ――しかし、何よりも力強い。

 とうてい、受け入れられる訳が無い。相棒の死を、誰が受け入れられると言うのか。だが、覚悟だけはできる。それが、今生の別れに対してではなくとも――相棒に、無様な姿を見せない、そういうものであっても。己の背中が、偉大であったと思わせられるでのであれば、それだけで意味がある。残される者は、思い返して力に出来る、と。そう信じられるのだ。

「馬鹿を言え、丸腰よりはマシであろうと、貸してやるだけだ。軍勢の中であれば、武器はいくらでもあるからな。そいつは余が持つ武器の中でも、とっておきなのだ。帰ってきたら、当然返して貰うぞ」

「それまでに、ボクがオマエより上手く使いこなしてなければな」

「ほう、余より剣に相応しくなると! そいつはそいつで構わんぞ!」

 無理矢理に笑いながら、その声もすぐに途切れて。マントが小さく、引っ張られた。

「オマエ……もうちょっと生きることにしがみついたって、いいじゃないか。二度目の人生が欲しかったんだろ?」

 言われて、ライダーは笑った。全くその通りであったのだから。

 自分の命を安売りするつもりは無い。まだ、夢の続きを見ていたい。

 それでも、

「アーチャーの言葉、覚えているか?」

 問われて、ウェイバーは静かに首を横に振った。

「我らは所詮、稀人なのよ。機会があるならば戦うし、肉の体も狙う。しかし、優先すべきはこの時代に生きる者達だ」

 かつて、駆け抜けた場所。国と、丘と、戦場と、友と、あらゆるものと。生まれ落ちてから死ぬまで、輝き続けた一生。ライダーにとっては、もう終わったものであり……ウェイバーにとっては、今がまさにそうなのだ。

 何より、ライダーは生かしたいと思った。誰よりも、まずウェイバー・ベルベットという人間を。

 戦車が地面に下りた。戦場が見通せる程度には近いが、敵が来ない程度には遠い。そんな、絶妙な位置。

「さあ、下りるのだ。ここからの戦場は、余一人で十分」

 ウェイバーに、抵抗の様子はなかった。地面に降り立ち、ライダーへと振り返って。見せた顔は、赤く腫れ上がっている。

 そして、どちらともなく笑った。二人とも、決して上手くはないが、その時にできる精一杯の表情。

 ライダーは背を向ける。もう、彼の姿は瞳に焼き付けた。心残りはあれど、これで安心して――死地に向える。

「では、行ってくる」

 さらばだ――そう言おうとして、言葉にはならなかった。帰ってくると、約束したのだから。ならば、相応しい言葉は違うだろう。

 それを、恐らくは嘘にしてしまう。それが心残りであったが。

「ライダー……」

 すぅ、と息を吸う音。あるいは、それはウェイバーが覚悟をするための儀式であったのか。布擦れの音、腕を持ち上げたのだろう。

「勝て!」

 声と共に、膨大な量の魔力が流れ込んできた。体を満たす充実感は、しかし魔力によるものだけではない。悲しみと、それを乗り越えようとする意思。なによりも、僅かな期間であれど、共に歩んできた行程。それらが一纏めとなって、ライダーの中に流れ込み、力となる。

 奇跡とは、意思無くして成立しない。ならば、今体を包んでいる万能感は、間違いなくウェイバーが令呪によって起こした奇跡。

 勝たねばならない。それが、マスターの意向に反するものであったとしても。だからこそ、彼は戻ってこいとは言わなかった。

「我が朋友よ――我が友よ! 貴様に会うことこそが、余がこの時代に呼ばれた意味であった! なれば、余の発する輝き、その目に焼き付けておいてくれ!」

 戦車が、走り出した。動かした自分自身、驚くほどに速い。とても消耗しきっていたとは思えない、加速と最高速度。

 これが令呪の力だろうか。いや、とライダーは否定した。この膨大な、心の奥底まで踊らせるような感覚が、ただの魔力反応である訳が無い。これは、己が望み、そして相棒に望まれたからこそ生み出されたものだ。向かう先は義務感でも、ましてや罪悪感でも無い。ただの勇気、最初の一歩を踏み出す意思!

 最短距離を最高速度で、一気に駆け抜ける。下方に位置する、蠢く虫。よかった、と安堵する。まだアーチャーは、蟲を逃がさぬよう戦えていた。

 戦車の上に立ち上がって、腕を組み、大きく仁王立ち。そして、聞いているかも分からない宣言を、どうどうと行った。

「間桐臓硯よ。貴様の策は見事の一言、何度も辛酸を舐めさせられたわ。しかし――」

 地面と水平に走っていた戦車が、思い切り傾いた。直角に近いのでは無いか、そう思わせる角度。激しい雷が蟲に触れて、けたたましい鳴き声を上げる。それでも足りないものが内側に進入し、雄牛とライダーの体をじわじわと削る。それでも止まるつもりは、毛頭無い。二つの蟲の山、その中心からややアーチャーらが抗戦しているもの寄りに。つまりは、可能な限り多くの虫を納められるような位置。

 上空、と言える場所から、一瞬にして戦闘圏に潜り込む。一瞬にして雄牛が食い荒らされて、長い時を共にした戦車は、ついに召された。すまぬ、そして感謝する――心の中だけで、消えゆく戦車に、感謝を送った。

 ライダーの身を守るものは、もう何も無い。こんな所に居れば、一秒と断たず死ぬだろう。しかし、もうそんな心配は必要ない。戦車という多大な犠牲を払いながら、しかしライダーはついに、目的の位置にまで、たどり着いたのだから。

「今度は余が、してやる番よ!」

 そして、世界が入れ替わった。

 荒れ地から砂漠へ。夜から昼へ。そして、蟲の支配地から、ライダーの支配地へ。

 固有結界。世界を上書きする秘法。

 それは、別の見方をすれば。持続時間中は、中に閉じ込めたものを絶対に逃がさない、牢獄でもあった。

 大地にしっかりと降り立ったライダーは、ゆっくりと瞳を開いた。その先には、冗談のような大きさの、黒い山。強大な敵を前に、しかし僅かも恐怖心は無い。

 側に控えていた騎士の一人から、剣を手渡された。受け取り、自然体に下げた剣身に、血液が線を引く。キュプリオトの剣と比べれば、なまくらと言うより他ない、ただの鉄器。しかし、自身の技量を考えれば、今手に持つ、ただの剣くらいが丁度いい。それに相応しくなると、宣言した者がいるのであれば尚更。

 染みた滴を弾けさせるように、剣を力一杯天にかざす。

「よくぞっ! 我が呼び声に答えた、勇者達よ!」

 槍が、あるいは剣が。一斉に同じく掲げられ、爆発のような歓声。

「しかし、余は諸君に告白せねばならない……」

 持ち上げた剣を一度下げ、胸元に構え、静々と言う。勇者達は、困惑するように、少しずつ静かになっていった。

「この時間に召喚されて、知ったのだ。世界の果てなど無かった。この大地はただ丸く、あらゆる場所に繋がっている。余が目指したものは夢にしかなく、夢でしかなかった。だからこそ、問いたい」

 王の言葉を、誰もが聞き逃さんと聞き耳を立てる。

 彼らの言葉などお構いなしに、崩れる山。それは無数の敵を確認し、さらに多い無限でもって、進軍を開始する。それでも、誰一人として、音を立てない。

「我らの行いは、無意味であったか……?」

『否! 否! 否!』

 駆け抜けた日々は、それ自体に意味がある。皆が揃って、数多の夢を重ね、王の元で一つになった。たとえ、地の果てなど無かろうとも。たったそれだけの事で、あの日々が色あせていい筈が無い。万の大合唱に、ライダーは笑った。地の果てなど無い、己は道化であった、そう悔いもしたが、間違いでは無い。

 かっは、と。声を上げるのを、止められなかった。全身を食まれている。左腕があるだけ、アーチャーよりはマシかもしれない。その程度が慰めの状態。しかし、気分は最高だった。笑いを止められないほどに。

「その通りだ! 余はこの時代で、二つのものを手に入れた。一つは、天より高く、果ての見えない宇宙という世界の知識! まだ誰も走破した事の無い、完全なる未知! そしてもう一つは、このような大きな世界に圧倒されながらも、己を誇示し、英雄たらんとする新たなる我が友! 我らと同様、世界を制する喜びを知る朋友だ!」

 大きな、大きすぎる歓声が。世界を貫き、ウェイバー・ベルベットへ届けと、大きく上がる。

 再び掲げられた槍が、一斉に斜め前へと突き出された。膨大な闘気の渦が、ライダーの背中を押し飛ばそうとすらしている。一人が皆になり、皆が群れとなり、群れが、やがて国となるこの感覚。国とは、ただ人が住まう場所をさす言葉では無い。意思の揺りかごこそが国であり、その舵を取る者が王である。

 故に、群れでしかない者に、負ける道理は無い。

「新たなる友の門出を祝う! 盛大に戦笛を鳴らせ!」

 より大きくなった夢と、それ以上に大きな朋友を祝いながら。

 そう言えば、とライダーは思い出す。一つだけ、心残りがあった。もう少しだけ、ウェイバーの成長を、見ていたかったな。血まみれの体に力を入れて、剣を構えながら思う。

「いざ、征服せよ! 世界を超えて、宇宙の果てまで!」

 直前まで迫っていた蟲に、やっと軍は動きだし。大きな砂塵を舞わせながら、進軍を開始した。

 万対億の戦争。無謀に過ぎる、最悪の敵を前にしながら。誰一人として、笑わぬ者はいない。

 誰もがそうであるように、ライダーも笑いながら突撃をし。

 そして、黒い波に消えていった。


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