ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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雁夜は夢を見る①

 勘というものは、あまり好きでは無い。と言うのも、ウェイバーにとって勘というのは、外れの代名詞、みたいた所があったからだ。しかし、それについて彼を非難するのは酷というものだろう。普通、勘とは運以外の要素でありえないものなのだから、そもそも頼るのが間違っている。

 そのベルが鳴ったのは、夕食を食べ終えて間もなくの頃だったか。ゆっくり腹を休めていた、という事だけは覚えている。

 魔術礼装と言うのもおこがましいその道具。ただ魔力を通して鳴らせば、別の場所にあるもう一つも同様に音を奏でる、というだけのもの。しかし、その音色は、ウェイバーの背筋を凍らせた。

 ベルは、本来鳴るはずのないものであった。と言うのも、これは本当に緊急用だったのだ。

 アーチャーと休戦した時、一つだけ取り決めをした。この、聖杯そのものに異常がある緊急事態。もしもの為に、連絡くらいは取れた方が良いと。

 連絡を取る余裕がある場合は、直接連絡を取るからいいと言われた。ちなみに、場所も分からないのにどう連絡を取るのだと言ったら、知ってると簡潔に、かつ当然のように答えられた。全身から汗が噴き出たのを覚えている。

 そして、もしその猶予すらなかった時の場合。とにかく『何かがあった』という事だけは伝えたい、という時にどうするかと言う話で。ウェイバーは、自分が持っている道具を渡そうと提案した。とりたてて特徴のない、そして扱いに特殊性のないそれであれば、緊急連絡にもってこいだ。

 あっさりと受け入れられた意見に、ひとりほくそ笑むウェイバー。渡したベルには、密かに探索術式が組み込んであり。それを辿れば、アーチャーの拠点が分かると思ったのだ。

 当然これは意味が無かった。あからさまに拠点と分かる膨大な敷地、それがアーチャーのものだと確定しただけだったのだから。知られていないよりも、攻め込めない事を重視した拠点。確かに、発覚したところで痛くもかゆくもない。ひっそり下唇を噛み、見透かしていたライダーにそれをからかわれ、さらに悔しい思いをした。

 と言うわけで。そのベルは、まず使われない筈のものであったのに。こうも素早く、しかもあっさりと使われるとは予想だにしていなかった。なぜならば、それが使われると言うことは。あのアーチャーから、それだけの余裕を奪っているという事なのだから。

 だからこそ、ここは慎重に動くべきだ。なのに、

「よし坊主、出撃だ!」

「なんで!?」

「勘だ! 余の勘がそうした方がいいと言っておる!」

 しかも、その理由が勘なのだ。ウェイバーの人生の中で、最も信用がおけないものを上げろと言われれば、常に上位に位置する勘。

 お好み焼き屋の一件で、ライダーの勘は無視できないと承知している。だが、勘はただの要素。それを頼りに動くとなれば、話は全く別なのだ。

「あのなぁ……」

「待つのだ。今回はそれなりに根拠もある」

 大きな手のひらで、ウェイバーの視界を隠すようにしながら。

 身長を誇られているようで気に入らない手の平を、叩いてどかす。言葉にどれほど説得力があるのかは分からない。しかしウェイバーは、自分が半ば言葉を信じることに決めているのを自覚していた。何だかんだ言っても、主張の内容がむちゃくちゃでも、最終的に、言葉が正しいことが殆どだったのだから。

「そもそも、ランサーとアーチャーに組まれて、奴らから余裕を奪える存在などまずおらぬ」

「そうだよ。だから、半ば孤立している僕たちは冒険できないんだろ」

「結論を急ぐな。まず居ないが、しかし例外は存在する。つまり余達のような存在だ」

「何言ってるんだよ。そんなのまずいな……いや」

「そうだ。残りの組をあてればいい」

 確かに、セイバーとバーサーカーであれば、奴らの足を止めるのに十分だろう。片方に速攻を仕掛けるか、悪くても一対一の状況を作って、アーチャーに接近できれば。少なくとも、二人に連携を取られるよりは、悪い状況になるまい。

 だが、パワーバランスという問題がある。今のところ、最強の陣営はランサー、アーチャー連合なのだ。そこに攻め込むというのは、控えめに言っても賭である。迂闊に攻め込めない陣営が、亀のように籠もっている。だから、戦線は降着していたのだ。少なくとも、彼らの陣営が何かしら動きを見せるまでは、それが続くと思っていた。

「積極的に攻め込む理由が無い。けど、状況が変われば……いや、誰かが変えたのか? けどどうやれば……」

「馬鹿者。そんなもんは、所詮机上の空論よ。何かあったかもしれない、それを確かめに行くのであろうが」

 ぐ、と言葉に詰まる。

 自分が小賢しいと、聖杯戦争で幾度も思い知らされた。今回のこれもそうだ。しかも、それに腹が立たないのが、また腹立たしい。

 ライダーの弁は、つまり実戦経験者の言葉なのだ。経験は知識を凌駕する。ウェイバーがどれだけ頭を捻ろうと、ライダーに敵うはずがなかった。それでも考えてしまうのは、魔術師の性だろうか。

 大まじめに胸を張っていたライダーが、今度は戯けるような表情をして言う。

「それに、互いが争っているという事は、悪くとも奴らの手札を見られる、という事だぞ? こいつだけでも、出撃する価値はあるというものではないか?」

 ここまで言われて、反対する理由は無い。

 と言うかだ。これだけ理路整然と出撃理由を作れるならば、最初に勘などと言わなければいいのに。そこら辺は、自分が中心になって国を引っ張っていた王である、という事なのだろう。

「十秒で支度せい。時間は敵だぞ」

「ゼロ秒だ! 今すぐ行くぞ!」

「ほう! 渋っていた割には気合い十分ではないか!」

 テーブルに転がっていた双眼鏡だけを掴み(何か遠くを見る機会が多かったので買った。高い買い物だった)駆け出す。

 戦車が夜の闇を切り裂いて、静まり返った街を見下ろした。殺人鬼の後遺症から、未だに回復できぬ街。不謹慎ではあったが、その状況はライダーというサーヴァントに味方していた。

 アーチャー達が戦っている場所は、すぐに見つかった。街の隅でアーチャーとバーサーカーが。人工林、というよりは木を植えた公園でランサーとセイバーが戦っている。人気が少ないとは言え、あまりに派手な戦闘。気にする気がない、というよりも。これは明らかに、気にする余裕を失っている。

「ほう、こいつはまた良いものが見れそうだ!」

「見るなとは言わないけど、そっちばっかり気にするなよ。妨害者だって特定しなけりゃいけないんだ」

 戦車から身を乗り出し、双眼鏡を覗く。偶然映った先は、丘の上に止まっている車がヘッドライトを点灯した時だった。白いベンツが、エンジンを起動し走り出す。

「ライダー、あれ」

「うむ。無関係と言うこともあるまい。恐らくマスター、最低でも協力者だな」

 ライダーは戦車を滑らせた。二つの戦場と、走る車。どれかに集中していても、必ず他の二つから目をそらさない位置。

 ウェイバーも、車を常に意識に置くよう注意しながら。双眼鏡の焦点を、戦場に合わせた。

「くそっ、何だよあれ……。こんなに遠くから見てるのに、姿が全然捉えられないぞ」

「これがランサーの本領か、見事なものよ。倉庫での戦いの数段上を行くぞ。そしてセイバーも、あの時よりも遙かに強い。果断さをそのままに、迂闊さと甘さが消えたな。アーチャーの言葉、しっかりと効いているようだな。どちらも見事だ」

「見事だ、じゃない! あんなの本当に何とかなるのかよ」

「何とかなる、ではない。何とかするのが戦争なのだ。だが、まあ。ありゃ予想以上だ。近づかれてはどうにもならんな」

「そんな……」

 思わず漏れた声は、泣き言のようだった。自分でもやめようと何度も思っているのだが、どうしても出てしまう。

 悲鳴を上げるのがウェイバーの役割ならば、それを止めるのがライダーの役目であり。太い指のデコピンは、しっかりと少年の額を捕らえた。バヂン、という音は、むしろ頭蓋骨から響いてくる。御者台に転がり、続いてじんと熱が広がる。

「余は騎乗兵だ。元より接近して剣を合わせるのが役割では無い。近づかれて勝てぬのであれば、近づかせず勝てばよい」

「っつぅ……じゃあ不安にさせるような事を言うなよ」

 自分でも情けなくなるような声だと自覚して。話をそらすように、別の戦場に目を向けた。そして、瞬間的に凍り付く。

 ライダーも釣られたようにアーチャーを見、むぅと声を漏らした。

「ありゃ不味いなぁ。あ奴、接近戦でバーサーカーと互角にやり合っておる。いざとなれば白兵戦に持ち込んでなんとかしようと思っていたが、当てが外れたのう」

「それどころじゃない!」

 ウェイバーは絶叫した。当たり散らすように。なぜ、これを見て事の重大さが分からないのだ。こんなものを見ては、どんなマスターだろうと冷静でいられる訳が無いのに。理不尽だと分かっていても、やはり、怒声を押さえられなかった。これが分からないなんて、絶対にどうかしている!

「いきなり八つ当たりをされても、余には何も分からんぞ。しっかりと説明せい」

「あ……アーチャーのステータスが……平均A+になってる!」

「はぁ!?」

 これには、さすがのライダーも悲鳴とも取れる声を上げた。

 サーヴァントのステータスなど、そう簡単に上げられるものではない。確かに、魔力量を増やすことによって、より生前の能力に近づけられるのだが。言うは易し、行うは難し。例えば、ウェイバーがライダーのステータスのどれかを、ワンランクアップさせようとすれば、それだけで倍の魔力を注がねばならない。

 バーサーカーのように、狂化で無理矢理引き上げても、まずあり得ない数字。間違いなく今のアーチャーは、全サーヴァント中最高のステータスだ。

「これで合点がいったぞ。アーチャーは、ステータスを上げることで無理矢理バーサーカーに対抗しているのだな」

「そうだけどそうじゃなくて。問題は、どうやってステータスを上げてるかだ」

「気持ちは分かるがな。ここから見てるだけでは、どうやっても分からん。諦めよ」

 その通りではあるのだが。しかし、敵サーヴァントの能力を見切るのはマスターの役割。少なくとも、ウェイバーにはそういう意識があった。敵の能力を見ながら、それに予想すらつけられない。悔しくて仕方が無かった。これでは、本当にライダーの足手まといにしかならないではないか。

 ただ、取り返し様のない無力を味わわされ。それを中断したのは、やはり。大きな手のひらだった。

「そう悔やむな。能力が分からぬのであれば、別の部分で挽回すれば良い。それだけであろう?」

「う……オマエに言われるまでもない! ふん、見てろよ! いまにしっかりと情報を暴いてやる!」

「おう、その意気よ!」

 がしがしと頭を撫でる手を、やはり振り払いながら。精一杯、威勢良く言ってみせる。

「奴らの分析も良いが、車の方も忘れるでないぞ。そっちも注視しておかねば」

「あっちもか? 乗ってるのはセイバー側のマスターだけなんだろ?」

「うむ、勘だ」

「また勘かよ……」

 呆れたと言うか、飽きたと言うか。何度目かに聞かされた単語に、少し嫌気がさしてくる。

「こっちも根拠は一応あるぞ。単純な話で、一番手を出しやすいマスターと言う意味でな。拠点に籠もっているのと、車でサーヴァントから離れたマスター。狙うなら後者であろう?」

「まあそうなんだろうけどさ」

 確かに、黒幕が干渉してくるという意味では、そこが一番可能性が高い。逆に言ってしまえば、他のマスターに干渉されても、彼らにはどうしようもない、という意味でもあったが。車にいるマスターだけが、何かあったときにギリギリ介入できるマスターなのだ。

 どうであるにしろ、けしかけた以上はここで何かしらの動きがある。その予兆は、絶対に捕らえなければならい。……まあ、そのついでに各サーヴァントの能力を、しっかりと解析するが。

 セイバー対ランサーは、相変わらず超速度と超絶技巧の比べ合い。戦闘素人どころか、格闘技の経験も無いウェイバーでは、もうどんな駆け引きが行われているのかも分からない。加えて言ってしまえば、単純に優れている(強い、ではない)ものと正面から戦う場合は、こちらがより優れることでしか勝てない。対策の取り甲斐も取りようもない相手だ。

 それに比べアーチャーとバーサーカーの戦いは、一言で言って野獣的だった。技量という意味では、バーサーカーは前者の戦いにひけを取っていないのだろうが。根本にあるのが、敵を思い切りぶん殴る、という事だとありありと分かるのだ。アーチャーの場合は、戦術的には一番冷静なのだろう。だが、戦い方は本当に暴力としか言えない。場当たり的、と言ってもいい。

 と、アーチャー達の戦況が僅かに動いた。アーチャーが、上手く間合いを詰めさせない事に成功したのだ。そして、背後に揺らめく空間から、無数に現れる道具。

「あ奴、まだあれほどの道具を持っておったか。ますます征服しがいのある奴よ」

「それだけじゃない……あれ全部宝具だ! 馬鹿な、ライダーだって宝具扱いにならない宝具、キュプリオトの剣を持ってるけど、あの数は異常だ! いや待てよ……」

 もしかしたら、思い違いをしていたのかも知れない。あのサーヴァントは、宝具扱いにならない宝具を持っているのではなく。ましてや、状況に上手く対応させて道具を使っていた、のではないとしたら。

 記憶の中にあるアーチャーの情報を、今見たものも併せて一つ一つ整理していった。

 生に対する濃い執着。暴力的な戦闘方法。王であったという経歴。

 最後に、新たに生まれた疑念。それは、あらゆる状況に対応できるだけの道具を持っているのではないか、という可能性。

「なあ、ライダー」

「今、余も思い至った。アーチャーの真名は、恐らく古代ウルクの王。英雄王とも言われる、ギルガメッシュだ。だとすれば、獲物を失った時点でバーサーカーに勝ち目は無くなるぞ」

 話している間にも、戦況は加速し続ける。アーチャーの攻勢を捌いていたバーサーカーの剣、それがついに破壊された。

 吹き荒れる、アーチャーの宝具一斉放火。バーサーカーの儚い抵抗も、秒と持たずに。そのまま圧殺されるかと思ったが、その前に、バーサーカーを包む黒い霧が吹き飛んだ。同時に現れるのは、その力、セイバーのエクスカリバーにすら匹敵するのではないかと思えるほどの宝剣だった。

「あの剣! 曇りなき泉のように静謐な輝き、間違いなくアロンダイト。と言うことは、バーサーカーはサー・ランスロットであったか!」

「バーサーカーのステータスが見えるように……何だこれ! アーチャー以上のスペックじゃないか!」

 平均A+のステータスを誇ったアーチャー。しかし、今のバーサーカーはそれに匹敵し、一部凌駕してさえいる。どこにどう、宝具の力が影響しているのかは分からない。だが、圧倒的技巧を持ちながらも、あのステータス。まともにやって、勝てるわけが無い。そう確信させるだけの、圧倒的な存在だと言うのに。

 アーチャーの攻勢が強まった。飛ばす武器のサイズが大きくなり、比例して威力も上がる。剣を振るい、それらを弾いていくバーサーカー。しかし、圧倒的な手数に間に合わず、攻撃に晒されていく。最後は物量に負けて、呆気なく串刺しになり。宝剣を抜いてから、僅か数秒の出来事だった。

「あのバーサーカーが一瞬で……ウソだろ?」

「相性の問題だ。アーチャーに取っては、最後の切り札よりも、手に持ったものを宝具に変える能力の方が厄介であった、それだけだ」

 それは。

 相性のいい能力を持たねば、簡単に圧殺されてしまう。どれほどのステータスを誇ろうと意味が無い。そういう意味では無いのだろうか。

 対抗する手段が見つからないからこそ、ライダーの声に真剣味しかなかった。そんな、恐ろしい想像が脳裏をよぎる。現に、ウェイバーがどれほど脳を働かせようと。ライダーでアーチャーに勝つ戦略が見えないのだ。最大の優位、物量がアーチャーに通用しない。それどころか、飛行して宝具を撃ち込まれれば、抵抗する手段がない。

 どうにかして糸口を見つけたい。自分の世界に没頭し続けて、しかしそれは唐突に終わりを迎えた。

「坊主、悩むのは後だ。状況が動いたぞ」

 ライダーの指した方向では、車が停止していた。よく見ると、ガラスが割られているのが見える。

「何があったんだ?」

「アサシンだな。どうやら、まだ生き残りが居たらしい。白い髪の、セイバーのマスターを連れてどこかに向かっておる」

「え、拉致したのか? その場で殺したんじゃなくて?」

「うむ。何のつもりだかなぁ」

 絶対に気付かれないよう高度を取って、アサシンを追跡する。

「助けるのか?」

 個人的な意見を言ってしまえば、最低でも契約破棄をさせたいのだが。それは、ライダーが必ず反対をする。そう知っていたからこそ、口にしなかった。

「最終的にはな。しかし、もう少し泳がせる。アサシンが向かうとしたら、それは黒幕の居場所以外ありえるまい」

「そうだな」

 幸いにして、アサシンの動きはサーヴァントとは思えないほど遅い。酒宴の場で、多数撃滅された影響だろう。とは言え、それでも人間の限界を軽く二周は凌駕している。間違っても、ウェイバーが戦っていい相手ではない。

 周囲を観察しながら走るアサシン。気をつけてはいるが、さすがに上空までは対象外だったようだ。気付かれる事なく後をつけて、そしてたどり着いたのは市民会館だった。まだ工事の途中で、所々骨組みが覗いている。

「よし、突入するぞ!」

「わあ! 待てバカ!」

「なんだ、ノリが悪いぞぉ」

「そういう問題じゃない! お前、あの女の人をさらった連中が、あそこのどこにいるかなんて分からないだろうが! 下手に暴れてみろ、見つける前に逃げられちゃうだろ。待ってろ、今使い魔を飛ばして、中を探す。突入は、居場所を見つけたその後だ」

 即席で使い魔を作って、地面に落とす。大したことはできず、持続時間もお寒い限り。だが、建物一つを探す程度であれば十分だ。

 いつも無茶を言い出すライダーへの不満を、ぶつぶつと口角に残しながらの探索。そうしながら、ふと気がついた。あのライダーが、その程度の可能性にも気付かないだろうかと。本当に考えて居なかったという可能性も、無いわけで無いのが恐ろしいのだが……しかし、まず間違いなく分かっていた。

 ならば、なぜそんな事を言い出したのだろうか。もしかしたら、自分に自信をつけさせるため、敢えてそう振る舞ったのかもしれない。

 聖杯戦争が始まって、幾ばくかの時間。正直、お世辞にも付き合いが長いとは言えないだろう。深さで言えば、それなりの自信はあったが。その程度で、何がどう、相手の事が分かったなど言えよう筈が無い。ただ、一つ。最初の頃と関係が変わったのだけは分かった。

 どこが変わったのだ、と詳しくは言えない。本人にも、自覚はなかった。ただ確実に、関係に違いができたのだと、それだけは断言できる。それでも、敢えて言うならば。

 片方が上で片方が下、などという些末なものではなくなったのだろう。

 ちらりとライダーを見る。いつもと変わらぬ、自信に満ちあふれたいかつい笑み。結局どっちだか分からず、しかしどちらでもいい、そんな風に小さな悩みを吹き飛ばす顔だ。いつもそうだ。だから、ウェイバー・ベルベットはいつも通りでいい。

「いつも無茶ばかり言いやがって、ちょっとは考えてから動けよ!」

「そう言うな坊主。余は蹂躙のための道を走り、何かあるのであれば貴様が指摘する。それが『コンビ』というものであろう?」

「ふん、何がコンビだ。苦労ばかりかけやがって」

 何故だろう。その言葉は。

 自分のことを真剣に考えられていたからか。それとも、相棒だと認められたから。無性に嬉しかった。

 当然、そんな姿は見せない。見せて良いのは隙であって、弱みを見せてはいけないのだ。多分、それがコンビというものなのだから。

「見つけた! 東側から回って、二階三つ目の部屋、工事途中の所だ」

「承知した! しっかり捕まっておれ!」

「分かってる!」

 手すりの縁に、しっかりと指を食い込ませる。ライダーに自重と手加減という文字が無いのは、嫌と言うほど思い知らされていた。

 大人しく進入することなど全く期待していなかったのだが。突入はやはり、無理矢理壁を粉砕するという荒っぽいものだ。

 飛び散るガラスとコンクリート片から頭を守り、衝撃を堪えた。気を抜けば、振り落とされそうな気さえしてくる。衝撃が止み、おそるおそる部屋を見てみると。そこには、完全に破壊した方がいいであろう部屋と、二人の人間がいた。一人は、まるで一般人のように怯えた、少女のようにも見える銀髪の女性。もう一人は、その女性とは対照的、惨状に驚愕どころか、眉一つ動かさない神父だった。

 とりあえず、女性を分かりやすく味方と断じた。ここでいざこざを起こし、セイバーと即敵対するのも馬鹿馬鹿しい。

 ライダーにアイコンタクトをすると、口上が上がる。その隙に、ウェイバーはなるべく小さな、しかし相手に届く声を上げた。

「あんた、早くこっちに!」

「え?」

 恐怖に引きつった涙目の女性が、惚けた声でウェイバーに答えた。その表情を見て、僅かに驚く。彼女の顔は、キャスターに拉致され、下水に転がされていた子供達のそれに似ていたのだから。

「逃げるつもりがあるなら速くこっちに! 信じないのは勝手だけど、これ以上手は貸さないぞ!」

「あ……待って!」

 震える足をもつれさせながら、必死に走る女。たった数メートルの距離を走り、戦車に乗り込むだけで、恐ろしく息を荒らげている。

 いや、それは運動の為ではなかった。緊張、恐怖、あらゆるものは、人を実情以上に疲弊させる。それが強烈であればなおさら。

 中に転がり込んだ女性の背中を、ゆっくりをさすって落ち着かせる。敵陣営の人間であり、油断していい相手でもないのだろうが。しかし、少なくとも今の彼女よりは、驚異と見なす相手がいる。

「おのれええぇぇぇ! 何故だ、何故ここにライダーが来る!」

 声を上げたのは神父、ではない。どこからか――少なくとも部屋の中だったが――絞り出すような、老人の声。それと同時に響く、キチキチという、何かをすりあわせる音は、控えめに言っても不気味だ。

「見る限り」

 ライダーは、じろりと視線を巡らせた。部屋の隅から隅まで、余すところなく探索し。一通り見終わって、信じられないものを見るように、それを目を向けた。虫のコロニー、ぎちぎちと不愉快な音を奏でる使い魔とも思えないそれらが、声の主だ。ウェイバーも同じくそれを見て、思わず目を背けたくなった。思わず目を背けたくなる瘴気。常識的にも魔術的にも、明らかにまともでは無い状態だ。

「貴様が黒幕であるな。余は盗人を責めぬし、敵対者も許す。しかし、貴様の様な外道を許してやるほど、優しくも甘くもないぞ」

 月光と、牛から僅かに弾ける紫電、それを反射した剣が、凶悪に輝いた。それは悲鳴であったのだろうか。小さな羽音を立てて、虫が後退する。

 協力者と思わしき、虫の群体。それが追い詰められているのに、しかし神父の男は微動だにしなかった。ひたすら興味なく、まるで他人事の様に、成り行きを見守っている。あからさまに、人間性を欠いた男。なぜか、そこから全く驚異を感じられない。だからこそ余計に、男が恐ろしかった。

 ふと女性の顔を見た。しゃがみ込んだままの女性は幾分落ち着き、余裕を取り戻している。しかし、まだ立ち上がれる程では無い。その顔を見続けて、

(そうだ、確かアイリスフィール・フォン・アインツベルンだ)

 どうしても思い出せなかった名前を思い出し、一つ落ち着く。これから話しかけようと言うのに、名前も思い出せませんでしたは、何と言うかみっともない。

 幾度か名前を反芻してから、女性の耳元に顔を寄せた。一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに意図を察する。

「なあ、あんたアイリスフィールさん? でいいんだよな。あいつらって何者なんだ?」

「一人はアサシンのマスター、言峰綺礼よ。もう一人は多分になるんだけど……御三家の、間桐の実質的支配者である間桐臓硯だと思う」

 聞いたことが無い名前だった。少なくとも、聖杯戦争について調べた時、出てきた名前では無い。間桐、というファミリーネームには聞き覚えがあったが、それはバーサーカーのマスターであり、今はセイバーの陣営にいる。

「間桐臓硯って何者だ?」

「私も詳しくは知らないわ……すごく長い間生きてるとか、化け物とか……あとは、人を食べるとか……それくらいよ」

 震えながら言うアイリスフィールに、小さく頷いた。とにかく、まともで無い存在なのだけは分かった。特に最後のは、恐らく彼女自身が『そう』なりそうだったのだろう。

 問題は、そんな存在がなぜろくなサーヴァントも引き連れず、聖杯に干渉してきたかだ。こうすることで、サーヴァントを引き連れるよりも勝率が高い、とでも言うのだろうか。

「あと少しで、悲願を達成できたと言うのに、なぜ今になって……!」

「愚か者めが。外道を行い、火事場泥棒で栄光を手にしようという事自体が間違いだとまだ分からぬか!」

 ライダーの罵声に、虫がざわりとざわめく。もしかしたら、逃げようとしているのかもしれないが。それは、ライダーが目を光らせている時点で不可能だ。もし虫の一匹でも離脱させようものならば、その前に部屋ごと、ライダーによって焼き尽くされるだろう。

 苛烈な怒りを演出するライダーに、ウェイバーはそっと囁く。

「ライダー、あいつは……あれはやばすぎる。とっとと消し飛ばした方が良い」

「それは余も承知しておる」

 部屋の隅で、何かに縋るように群がっている蟲。見た目だけは、気色悪く、同時に哀れでもある。それが矮小な存在だと誤解してしまいそうな程に。

 しかし、蓋を開ければそんな生易しいものでは、絶対にない。それは、アイリスフィールの反応を見ても分かるだろう。なにより、間桐臓硯は確実に、身体改造の極みにある魔術師だ。数ある魔術師種別の中でも、特にえげつない一派。それを考慮しても、臓硯からは危険な雰囲気が漂っている。

 いや、取り繕うのをやめてしまえば。間桐臓硯の雰囲気は、酷くあるものに似ていた。

 人食いの化け物――吸血鬼に。

 あの様であっても、間桐臓硯はまだ人間の範疇であるのだ。正確に言えば、人外のぎりぎり範疇外、と言うべきか。

(ただでさえ、妄執の塊みたいな奴なんだ。必要とあらば、平気で吸血鬼にだってなってくれるぞ。ただでさえ人間やめてるような力と精神を持った奴が、それ以上になるだって……? そんなものは)

 悪夢という言葉でも生ぬるい。

「なら何で!」

「だが、ここで目的を聞いておいた方が良い。もしここで闇雲に奴らを滅ぼせば、手遅れになるという気がするのだ」

 また勘だ。未来予知にも近い虫の知らせ。しかし、今回ばかりはそれを無視しても、早く終わらせて欲しくて仕方が無かった。

 化け物と言われる存在は、世界に数多く存在する。しかし、その中でも吸血鬼こそが徹底して討伐される。人間の天敵であるというのは、それだけ大きなファクターであり、同時に恐怖を刻み込む。それの前では、自分が餌にしかならぬのだから。

「まあ……警戒すべきは、あちらの神父の方かもしれんけどな」

「え?」

 呟きに答える声は無く。ライダーは続けた。

「貴様も、何ぞ遺言はあるか? 許すつもりはないが、それくらいであれば聞いてやろう」

 視線は、あくまで虫の群れから外さすに。黙って立ったまま、成り行きを聞いていた――聞き流していた男に声を掛ける。まるで日常の延長でそこにいるかのような自然体。もう少し離れた場所で立っていれば、存在を忘れてしまいそうではあった。

 戦場において言えば、それこそが異常。鉄火場で、しかも命に王手がかかっているのに、どうと言うことはないと言いたげ。命など勘定に入れていない様にも見える。直接的な驚異という意味では、臓硯の方が遙かに勝っているのに。あの男の得体の知れなさは、どこから来るのであろうか。

 綺礼は僅かな戸惑いも見せない。機械的に、ただ音に反応するように、ライダーに視線を向けただけだ。

 やはり、目立った反応はないのか。待避するにしても、攻撃するにしても。行動は早いに越したことは無い。ライダーに合図を送ろうとした、その時だ。

「ライダー、お前は神の血を引いているのか?」

「何?」

「神の血を引いているのか、と聞いている」

 抑揚の極めて少ない口調で、決められた文書を読み上げるように淡々と言う綺礼の言葉に、ウェイバーはびくりと体を震わせた。恐怖を感じたわけではない。ただ、あまりにも動きのないそれを、置物か何かのように思っていた。それが、こちらの言葉に反応して単語を発したのは、それほど意外だったのだ。

 質問の意図が分からない、と首を傾げるライダー。それはウェイバーも同じだった。こういった場面で聞くことと言えば――月並みだが――なぜここが分かったとか、少し踏み込んで逃走の手口とか、そういう事ではなないだろうか。

 しかし、と綺礼の顔を見る。相変わらず色を感じず、水を見ているように、透き通り過ぎて何も見えない瞳。少なくとも『普通』からほど遠い男から、一般的な反応を期待するのは間違いだ。ある意味、こういった意味も意図もつかめない唐突な質問の方が、安心できるかもしれない。

「なぜそんな事を知りたがる?」

「答えないならばそれでいい。それまでの話だ」

 とりつく島もなく会話を終わらせて、親指で黄金の杯を撫でる。

(……ん? 何だあれ?)

 ウェイバーは眉を潜めた。今までその存在を、意識に入れなかったわけでは無い。ただ、間桐臓硯という異常の前に、霞んでいただけだ。しかし、改めて確認した黄金の器は、何と言えばいいのだろう……言葉が見つからずしばらく悩み、そしてふと、単語が頭に思いついた。

 浮いているのだ。

 それが単純に、超高度な魔術礼装だと言うのは分かる。逆に言うと、大して優れている訳でも無いウェイバーの解析では理解できぬ程の一品。その程度しか分からないのだが。もっとも、中級以上の魔術礼装を解析できないウェイバーの能力を基準としては、それすら怪しいのだが。

 しかし、ウェイバーにそう思わせた理由は違う。直視して感じる、恐ろしく清浄な雰囲気。同時に、深淵に恐ろしさと言うか悪意と言うか、そんなものが潜んでいそうでもある。

 なぜあの男は、そんなものを持っているのだろう。

「まあ良いわ。答えは知らん、そしてどうでもいいだ。余がゼウスの血を引いていたとして、それの影響で余が行う覇道の何が変わるわけでもなし。そのような矮小なものに影響されるほど、余の夢も征服も、そして余を慕う勇者達も、何一つ小さくないわ」

「く――くく、くくくく」

 一瞬、目を見開いて。そして、その表情を納める事もできず笑い出す綺礼。

 彼は笑っているはずだと言うのに。憎悪、嫌悪、害意、絶望、あらゆるもので染まっている。

「なんと、下らない。下らなくつまらない答えだ」

 口から汚泥を吐き捨てるような言葉。しかし、その対象はライダーでは無い。誰でも無い。

 答えの向こう側、ここにない虚空を見て、全力で嘲笑しているのだ。おそらくは、神とやらに対して。元から、理解できるような存在ではなかった。だが、今はそれがさらに極まっている。だから、ライダーも声を掛けられず、ただ黙って男を観察していた。

「神の血などに、どれほどの力も無いか。もっともだ、もっともすぎる。ああ――私にも、未練というものがあったのだな。しかし、無意味な感傷を断ち切ってくれたことに関してだけは、感謝しよう」

 言い終わった時には、綺礼の顔は元の鉄面皮に戻っていた。ただし、僅かに違うのは。口元を僅かにつり上げて、笑みを浮かべている事。そして、不気味なほどに静謐な雰囲気へと変化している。

 何故だろう。とてもまともではない男なのに、そいつを見て、聖人を連想したのは。

「アンタは、何を言っているんだよ」

 妙な、本当に理解しがたいとしか言いようのない悪寒を振り払うように、ウェイバーは言った。間違えている。致命的に。どこか、などという局所的な事ではない。目に映る男の全てが、そうであってはいけないものなのだ。

 人は理解できないものを恐れる。当然だ。だが、ウェイバーが感じたものは、そういうものではない。上手く説明する自信はなかったが、とにかく、そうではないのだ。

 自然と力が入る腕。それを納めるように、ライダーの手が肩を叩いた。

「やめよ、奴を分かろうとするな。方向が違うだけで、奴はキャスターと似たようなものだ。理解されることなど求めていない。奴の感情も行いも、奴だけで完結しておる」

 ライダーの強烈なカリスマ。それが十全に発揮され、ウェイバーの精神を平静へと引き戻す。

 腕から力を抜いて、深呼吸を何度か繰り返した。そうだ、今考えなければならない事はそんなことでは無い。情報を抜き取り、可能であればその対処法を編み出す。それだけに集中すればいい。その過程で必要になったのは、やはり相棒と言えるライダーの言葉だった。幾度か心の中で繰り返し、そしてふと思いつく。

(……あれ? じゃあ何で、アイツは臓硯に協力なんてしてるんだ? いや……そもそも、協力をしてるのか?)

 ライダーは確かに言ったのだ。奴は理解することもされる事もせず、己の目的のために動いていると。意思疎通をする時、最も厄介な相互理解をする気のない相手。そんな奴が協力者だと、本当に言えるのだろうか。

 様子を見る限り、少なくとも主で動いているのは間桐臓硯で間違いない。

 妄想じみた執念の具現と、理解の放棄をしている男。これ以上話して、得るべき者は無い。そう言うように、ライダーは最後の言葉を発する。

「これで終いだ、貴様らの目的、全て吐いて貰うぞ! さもなくば……」

「ある程度サーヴァントを削って、聖杯の疑似降誕。それを利用して、残りのサーヴァントを殲滅し、真に聖杯を確保する。それが目的だ。少なくともそこの、間桐臓硯にとってはな」

 不意に、世間話を投げかけるような何気ない口調で、回答が帰ってくる。そのあまりの気軽さに、思わず聞き逃してしまいそうになった。

 問いかけをしたライダーが、唖然としている。いや、ライダーだけでは無い。ウェイバーもアイリスフィールも、共犯者である臓硯すらも。言葉を発した綺礼以外は、誰もが時間を止めていた。

 一番最初に正気に戻ったのは、やはり経験が違うのか、ライダーであった。男の得体の知れなさにいよいよ拍車がかかり、今ではむしろ、臓硯よりも警戒している。もしかしたら、本人は自覚していなかったかも知れない。持っていた剣の先端が、僅かに言峰綺礼へと傾いた事に。

「……命乞いのつもりか?」

「お前が問いかけをした。それに私は答えた。それだけだ」

 それを嘘だと思うのも、欺くためだと思うのも、すべてそちらの勝手。それ以上もそれ以下も存在しない。そう言わんばかりの態度であり。確かに彼からは、それ以外の意図が何も感じられなかった。

「貴様、裏切るのか!?」

「裏切る?」

 それは、ただの復唱であった。言っている意味が本当に分からないが故の、ただの聞き返し。

 彼らは互いに、最初から本当の意味で仲間ではなかったのだろう。臓硯は言峰を都合良く操れ、制御しきれると思っていた。そこには、ある意味で一定の信頼があったとも言えるだろう。しかし、言峰綺礼にはそういったものの一切がなかった。臓硯が役に立つ、ですらない。そこにいるのは、もしくは彼の何かが都合が良かった、それだけ。

 言峰綺礼はどこまでも等しかった。ライダーを見る目も、臓硯を見る目も、そして世界そのものを見る目も。それらの価値がどれほどであるのかは、もう意味を成さない。価値に差が無いのであれば、無価値とどれほど違いがあるのかなど、誰にも説明できない。

(けど、じゃあ何で彼は動いてるんだ。何もかもが同じなら、何かをする理由すらも無いはずだ)

 何かと何かに生まれる差こそが、人を動かす原動力になる。例えば、ウェイバー・ベルベットであれば。魔術こそが他の価値よりも高いのだから、命を賭けて聖杯戦争に参加できたのだ。

 誰にだってあるはずだ。当然、彼にも。こうして臓硯を利用し、聖杯を求めさせる動力源が。

「まずいな……」

 ライダーが呟いた。もしかしたら、無意識に。

「何がまずいんだ? あの男に、何かがあるのか?」

「いや、そうなのだが、そうではない」

 頭を振って、ライダー。

 まずいも何も、男が異常であるのは、目に見えて分かっている。それがどこがおかしいのか、それが知りたいのだ。

「何がまずいって、奴から何も感じられんのがまずい。不快感、違和感は感じる。理性が危険人物だとも断定しておる。しかし……勘だけは、奴から何も感じてはくれんのだ。これはどういう事だ?」

「そんなの聞きたいのはこっちだよ」

「言われても、余にも全く分からん。なぜ奴から危機感を『感じ』ないのだ?」

 ライダーが感じる勘の精度がどれほど高いかは、何度も体感している。

 ウェイバーは、再度綺礼を見た。あの、少し話せば分かる異常、どこからどう見ても危険人物。彼の頼りない勘を使ってすら、害悪と断じてしまって良い程だと言うのに。なぜ、寄りにもよって、あの男に働かないと言うのだろうか。

「このっ……大人しくワシの人形をしていればいいものを!」

 臓硯の誹りにも、全く反応しない。いや、僅かに瞳が、音の発信源を追っていた。

 人形とは何の事かと思ったが、確かに言い得て妙だった。ただでさえ、人ならずという雰囲気を持っていた綺礼。彼から目的を引きはがしてしまえば、確かに人形に見えるのかもしれない。

「余の流儀から、いささか反するが致し方ない。目的は果たしたし、聖杯についてもアーチャーの奴が何とかするであろう。ここで二人とも滅ぼしてくれる!」

 言葉と共に、戦車に魔力が通った。ライダーというクッションを置いて、ウェイバーから魔力を吸っていく。その感覚に、一瞬めまいを覚えた。

 牛の嘶き。振り上げられた力強い前足が、床へとたたき付けられ、轟音を上げた。ただでさえ半壊していた床が、ついに限界を超え、面積の半分以上を落下させた。

 足場の無くなる戦車。しかし、元より宙を駆ける雄牛に、ただ物理的な地面が無くなった程度では、何の影響も無い。収まりつつあった雷光を再びほとばしらせ、それが終わりを告げる。

「ふむ、これまでか」

 崩れた床を、一歩下がるだけで完全に対応。

 そこで、初めて綺礼は動きを見せた。杯はかかげたまま、しかし右手を持ち上げる。そこに何か持っている訳でも無い。拳すら握ってもいない。ただ、むき出しの手の甲に、令呪が二画残っているだけだ。

「令呪を持って命ず――アサシンよ、自害せよ」

 ライダーがそれに構えるよりも速く、綺礼の言葉。手の甲から、令呪が一画はじけ飛んだ。たったそれだけのアクションだが、確実にアサシンは死亡しただろう。

 なぜこのタイミングでアサシンを殺したのか、全く分からない。状況を考えれば、手札は一つでも欲しいはずだ。例えその程度では、ライダーに対抗し得ないとしても。最弱にまで薄まったアサシンでは、確かにライダーに一矢報いることも出来ない。例え令呪をつかっても。それでも、囮や足止めなど、有効活用する手は浮かぶ。

「続いて、令呪をもって『アヴェンジャー』に命ず。顕現せよ」

「お、おお! その手があったか!」

 手に持つ杯、そこから、どぷりと泥が溢れる。それを直視したウェイバーは、思わず吐きそうになった。

 奴は令呪を使って命じた。ならば、そこから現れたのはサーヴァント以外にあり得ない。しかし、それがサーヴァントだなどとどうしても思えなかった。単純に、知性の感じられない液体にしか見えなかった、というのもある。だが、それ以上に、それは呪いだった。

 キャスターのように、その行いや思想が邪悪なのではない。ただそこに居るだけで、悪意を振りまき、同時に悪意を煽る。言わば吸血鬼を、恐ろしく強化したような。それはそれ自体にとっても他にとっても、ただの呪縛であった。

 黄金の杯。ただ事では無いものだと思っていた。だが、それは予想の遙か上を行き、サーヴァントを溢れさせている。いくら魔術礼装が優れているとは言え、儀式もなしにそんな芸当、人間の域を大きく踏み外している。あり得るはずが無い。しかし、あり得ないことが多すぎて、可能性の可否そのものが分からなくなってくる。

「な……」

 今まで大人しく座っていたアイリスフィールが、体を乗り出して驚嘆する。瞳からは、信じられないものを見ている、というのが伝わってきた。

「なんで、聖杯からあんなものが出てくるの!?」

「は……? あれが聖杯!?」

「言うのが遅いわ!」

 内心で、思い切りアイリスフィールを罵った。

 ずきずきと、脳が悲鳴を上げる。その泥は、正しく人類の天敵だ。もしやすれば、吸血鬼以上に。人間の身であるウェイバーが苦痛を感じるのは、当然だった。なぜならば、今彼の中で悲鳴を上げているのは、生存本能なのだから。

 あれが、アーチャーの言っていた、危険な聖杯の中身なのだ。まるで冗談みたいな、いくら危険という言葉を重ねても足りないそれ。こんな事であれば、聖杯など速く破壊するべきであった。あれが現れる可能性があるのであれば、アーチャーに任せず、すぐに破壊していたのに。

 そもそも聖杯がどこにあるのか、どんなものかも分からなかった。それを無視して、しかしウェイバーは叫ぶ。あんなものは、在ってはならないのだ!

「ライダー早く!」

 ウェイバーは、気付けば叫んでいる自分に気付いた。普段そうしているように、考え抜いての行動では無い。言うなれば、それは勘に根ざす行為だっただろう。しかし、その脊髄反射を否定できないほど、ウェイバーは追い詰められている。

「分かっている! 全て吹き飛ばすぞ! おおぉ……遥かなる蹂躙制覇!」

 瞬間、停止状態から一瞬で、最高速度まで加速。雷光で目が眩む。光は全てを覆い隠し、ただ進路上の敵、つまりは蹂躙対象しか見えなくなる。

 加速する世界の中、ウェイバーは確かに見た。綺礼が聖杯を持つ左手で、そっと右袖をまくり上げ。その中に、無数の令呪が残っているのを。

「さらに続け、命ず。アヴェンジャーよ、間桐臓硯を取り込み、それを世界への触覚とせよ」

「なに――ガ――!」

 命令と共に、黒い泥は一瞬にして虫の群体を飲み込んだ。池となった黒い泥、その中から、粒のようなものが次々と溢れる。

 蟲だ。大量の、数えるのも馬鹿馬鹿しくなる蟲。それは泥から生み出され続け、その量は明らかに、最初から居た虫よりも多い。さらに、聖杯の器にある泥、その中からも、虫が溢れ出していた。

 まずい――最大級の警報を鳴らす勘。もう、勘がどうのと言っていられる程度の、弱々しいものではない。強烈な脳の痛み、直後に迫る、死の予感。このまま突撃すれば、確実に負ける。

 既に宝具は発動した。もう止める方法はない。だからこそ、ライダーは顔を引きつらせているのだ。

 躊躇はなかった。それは、もしかしたら逃避の為だけの行為だったかも知れない。それでもいい。あんなものに食われて死ぬくらいであれば、腰抜けと誹られた方が百倍マシだった。

「避けろライダァァァーー!」

 令呪がはじけ飛び、膨大な魔力が発散されたのを感じる。

 ウェイバーの意思を乗せた魔力束は、直接戦車に干渉した。持ち主の意思よりも優先して干渉する、絶対的な意思という名の奇跡を運んだ魔力。戦車に浸透しきったそれは、まるで最初からそうであったかのように、上向きに方向が変更され、残っていた天井を上階ごと大きく吹き飛ばし、全て突き抜けて夜空へと脱出した。

 冷たい夜風を感じる。同時に、宝具の発動が終了し、雷光も消えて通常の視界へと戻った。そこで、やっと、自分はまだ生きているのだと実感する。

 感じられたのは、安心では無く恐怖だった。全身に鳥肌が立ち、ぶわりと大量の冷や汗が吹き出る。油断していたら、震えた体が崩れ落ちてしまいそうだった。

「良くやってくれた、余のマスターよ」

 相変わらずの、大きな手。自分が押さえつけられているようで、どうにも好きになれないそれ。しかし、頼もしさで言えば、この世の何よりも勝る。

 導かれるがままに、御者台に尻をつけた。緊張で硬直していた体が、少しずつほぐれていく。

「もし坊主がした咄嗟の判断がなければ、今頃は……」

 戦車が僅かに傾く。市民会館を中心に、弧を描いて回るためだ。角度が変わったことで、少しだけ視界が通る。さらに首を傾ければ、ほぼ真下が見えた。

 ほぼ最強クラスの、宝具の一撃。それの直撃を喰らって、要塞でもない建物が耐えられる筈が無い。余波によって大半を砕かれた天井、そこから連鎖的に崩壊が始まり、市民会館そのものが崩れ落ちようとしていた。落下する巨大なコンクリート、一つ着地するごとに巨大な粉塵の柱を上げる。それからしばらく遅れて、倒壊の轟音が連続して響いた。

 この様子では、言峰綺礼の生死は確認できないだろう。ごく低い確率ではあるが、押しつぶされて死んでいる可能性も、ありえなくはない。

 しかし。

 もう、彼がどうなっていようと、考慮していられる段階ではない。崩れ、はじけ飛ぶ建物の破片、その所々から、黒い粒が見えていた。

 少なくとも、聖杯は。そしてアヴェンジャーと呼ばれ、間桐臓硯を取り込んだサーヴァントは健在。最悪の事態は、何も改善せず最悪のままなのだ。

「これはもう、余たちだけで何とかできる事態ではない」

「ああ。アーチャーの所と、出来ればセイバーの所にも協力を要請しよう。事情を見ていたアインツベルンから説明して貰えば、多分大丈夫だと思うし。して貰えるだろ?」

「え……え、ええ。そうよね、そうしなきゃいけないわよね……」

 呆然と、ただ見下ろしていたアイリスフィール。彼女が見ていたのは、聖杯であろうか。大きなショックを受けているのは、聖杯の中身があんなものであったからだろう。ウェイバーだって、気持ちは分からなくも無い。あれは、まるで詐欺だ。本当に奇跡を願って勝ち残っても、そこで叶えられる願いが何も無いなど。

 黒い虫は増殖を続けていた。その速度は凄まじく、最初は気のせいで済ませられるような量だったのに、今では一画を占拠しようとしている。

「行こう。僕たちがここにいて、もう出来ることは無い」

「そうだな」

 ライダーは同意して、戦車を走らせた。背に市民会館を置いていきながら、しかしぽつりと呟く。

「それで、何とかなれば、であるが」

 その言葉に、ウェイバーは何も応えられなかった。口を開いたら、肯定してしまいそうだったから。

 


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