ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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アイリスフィールは失った①

 僅かに疲れを残す体を引きずって、部屋に入る。ドアと、そして自動ロックがかかるのを、音だけで確認。さらに上から魔術的な鍵を重ね掛けする。万全とは言えないし、攻め込まれれば容易く突破されるような簡易結界だが、それで問題ない。それは敵を早期発見する事、盗聴をされない事を目的にしているのだから。

 どちらにしろ、ビジネスホテルの一室など使い捨て以外の何物でもない。こんな所で戦端を開くような馬鹿は、まずいないだろう。とは言え、可能性はゼロでは無い。そのための備えも、一応はあった。

 狭い廊下を窮屈そうに通り抜け、ベッドと簡単なテーブルセットを置いただけで満杯になる部屋。フードを被った雁夜が椅子に座っており、その正面に切嗣も腰掛けた。少し勢いよく身を落としただけで、ぎしりと悲鳴を上げるそれ。安ホテルになど何も期待はしていないが、それでも宿泊費を考えればお粗末なものだ。

 懐からたばこを取り出し、同席者に声も掛けずに火をつける。ニコチンをめいっぱい脳にしみこませ、思考力を無理矢理起こした。

 続いて、二三度紫煙を吸い込み、零れそうだった灰を灰皿に落とした所で、やっと雁夜が口を開く。

「どうだった?」

「一命は取り留めるだろう。暗示を使って一般人に通報させ、対応させた」

 事の始まりは、今から一時間前ほど。

 その日は朝から、拠点引き払いの為に動いていた。結界を粉砕された城では、その場にいてもデメリットしかない。元々、大火力で爆撃を行っても、周囲に知られる恐れのない場所なのだ。それでもあそこに居たのは、事前に敵を察知でき、トラップ満載の道の通行を強制できたから。その二つの利点がなくなっても、居続ける理由は無い。

 拠点の移動は選択肢の一つとして最初からあったため、それ自体はスムーズだった。弾薬も魔術礼装も、町中に分散して保管してある。大荷物を持って移動するのでなければ、撤収には気付かれても、次の拠点までは分からない。

 次拠点周囲の最終調査を終えて、アイリスフィール達を呼んだ、その時だった。彼女から、血まみれの監督者発見を告げられたのは。

 切嗣は、すぐにその場を離れるように指示し、雁夜を連れて現場に急行した。当然、治療や救出などが目的ではなく、事情の聞き出しのため。

 雁夜を連れたのは、ある程度連絡を取り合った経験のある彼が居れば、スムーズだと思ったから。幸い、魔術的な攻撃手段のほぼ全てを失った代わりに、普通に動ける程度に体は回復していた。それで足手まといにはならないし、むしろバーサーカーという最高の護衛を得られる。

 連絡があった通りの場所に行くと、人払いの結界に包まれた一人の神父がそこにいた。血の止まった右肩を強く握りしめ、悲痛な表情を浮かべる老人。

 聖杯戦争だけの関係に、親しさがあるわけが無い。とは言え、名前と顔を覚えていないなどと言うこともありえない。書類と、あとは幾度か使い魔ごしに見た顔、それとは似ても似つかない、ただのくたびれた老人のようなそれ。顔のパーツは同じでも、生気というものがごっそりと消えていた。切嗣ですら、最初はだれだか分からなかったほどだ。

 あとは、その場で雁夜に情報収集をさせ、先に帰す。事前に確保しておいたセーフハウスの一つを指定するだけだから、簡単だった。さらに事後処理を終えて、切嗣も撤退したのだ。

 ちなみに、監督者を殺さなかったのは、単純に処理が面倒だからである。死体の片付けもそうだが、神秘の秘匿には彼のコネが必要だ。

「しかし、言峰綺礼か。大人しくしていたと思ったら、面倒な事をしてくれる」

「なあ、そいつどういう人間なんだ? 聞く限り、あんたは詳しそうだが」

「あんな奴、詳しいもんか」

 吐き捨てるように――いや、実際に痰を吐き捨てながら言った。喉の奥にはまだ、タールか何かが張り付いて違和感がある。つまるところ、言峰綺礼とはそういう存在だった。

 切嗣は当初から、その男が危険だと感じていた。理由は無い。敢えて言うならば、ただの勘だ。言い換えてしまえば被害妄想。しかし、それをどうしても払拭できないほど、そいつの存在が目障りで仕方が無かった。

 結局、その勘は正しいと言うか正しくは無かったと言うか。目障りだという点のみでは、正解だったが。どこでどう知ったのか、機械的連絡手段を得た綺礼のおかげで、通信網の半分を失った。いや、使えないことはないのだが、油断するとひっきりなしに声が飛んでくる。アイリスフィールにすごく微妙な顔をされたのは、一生ものの恥だ。

「本当にか? あの様子は、とてもそう思えなかったんだが……」

「君は死にたいのかい? 僕と奴に接点なんてないし、つきまとわれる覚えもない」

 疑うというよりも、情報になることならば何でも言えと言いたげな雁夜。それに、今にも銃を抜き出しそうな様子で威嚇する。

 返答は、一つのため息だった。腹立たしく思ったが、非が自分にある自覚はある。黙って話を進めた。

「恐らくこの件は、迷宮入りの殺人事件として処理される可能性が高い。それが発覚する前に隠す人間がああだから、当然だけどね。あとは、使い魔に教会を探索させたけど、やっぱりめぼしい情報は何も見つからなかった。……ああ、地下に遠坂時臣のものと思われる腕が転がっていたよ。刻印入りだから、まず間違いない」

「そうか……あいつが……」

 顔を伏せ、うめくように雁夜が言った。

(へえ。意外だな)

 率直な感想を言ってしまえば、切嗣は彼がもっと喜ぶと思っていた。少なくとも当初、彼の時臣に対する感情は、怨念と言ってもいいほどのものだったのだから。

 喜ぶ感情がないわけではないだろう。だが、それ以上に先を見据えた反応だった。

 治療と鎮痛により、正常な思考能力を取り戻したおかげだろう。まあ多分に、桜の安全、臓硯の影響下から離脱、時臣の凋落などがあるだろうが。とにかく、因縁ある相手の死に、変な興奮のされかたをせずに良かった。

「そちらは何かあったかい?」

「ああ、あんたの助手の女から連絡があった。すでに拠点に入ったそうだ」

 アイリスフィールの安全も、これである程度確保された。防衛機構に乏しいが、その分敵を、特に害意ある者は絶対に見逃さない。早期発見さえできれば、セイバーで撃退できる。

 あの騎士王の戦力は、行動に感情さえ挟まなければ非常に優秀だ。飲み会の後からは妙に落ち着き、戦力として信頼できなくはない、という程度には信じられるようになった。機能にむらがあっては、兵器とは言えない。ありがたい限りだ。

 つまり、今現在憂いはないと言うことだ。ただ一点を除いて。

「で、君はこの件をどう思う?」

「情報が足りないとしか言いようがない。俺はその、言峰綺礼だったか? 奴とは接点がないんだ。行動もちぐはぐで、快楽殺人鬼か狂信者あたりにしか見えない」

「ただの頭がおかしい奴じゃないだろう。そんな人間が代行者にはなれないしね」

 やんわりと、頭がおかしいという点については否定しない。

 がさりと音を立てながら、テーブルの横に積んである紙が広げられる。それらには分かる言葉で書いてあるものから、記号にしか見えないものまで。所狭しと書き込まれていた。

 切嗣は、紙の内自分の正面に置かれたものに視線を落とした。そこには、分かる言葉の方でいくつか書き込みがあった。『アサシンの消耗』『監督者への裏切り?』『ストーキングの中断?』『令呪の簒奪』

「こいつが令呪を欲しがって襲撃したのは、間違いない。親子だし、奇襲それ自体は楽だったはずだ」

 まあ、その通りだろう。頷きで答えた。

 はっきり言ってしまえば、監督者には予備令呪以外に価値など無い。右腕を奪っている事からも、それは間違いないだろう。ただし、それをどうやって使うのか、という問題がある。

 彼が召喚したサーヴァント、アサシン。あれは非常に有用だ。強力なのでは無く、有用。そうたらしめているのが、汚れ仕事でも忠実に働く精神と、気配遮断スキル、そして数の暴力を振るえる点だ。分裂に常に複数の優位を得られる点は、最大の強みになる。逆に言うと、その優位をなくせば、便利なだけの存在になってしまうのだ。極めてフラットなメンタルというのも、確かにありがたい。しかしそれは、ある程度大砲に対抗できる、という前提あってのものだ。便利なだけのナイフでは、多少扱いづらくとも大砲の方がいいに決まっている。

 数を生かせる、という意味ではライダーもそうだろう。しかし、あれは限られた空間、密集した人員と便利性が皆無。実際の扱いは瞬発型宝具と同じ。

 恐らく一番近いタイプはアーチャーだ。道具を取り出しそれを上手く運用すれば、あの通りなんでも出来てしまえる。マスターが使えるものも、多数所持しているだろう。能力だけで言えば、切嗣との相性は最高だ。

 複数存在することが最大の長所であるのに、その利点を取り払ってどれほど意味があろうか。分裂アサシン一体あたりの能力はE-。令呪をどれほど投入しようが、もうサーヴァントは仕留められないスペックだ。あれだけ消耗してしまっては、もうどれほども残ってはいまい。今更令呪を手に入れて、どれほど意味があると言うのか。

 しかし、それはあくまで自分で使う場合の話。それを利用できる相手に持って行くのであれば、話は違ってくる。

「言峰綺礼の行く先は、まず間違いなくアーチャー達の所だ」

 断言する切嗣に、しかし雁夜の反応は鈍い。口元に手を当てたまま、悩み込んでいる。

「こっちに来ていない以上、他にはどこもないだろう。まさか三流マスターと暴走サーヴァントのコンビに靡くと思っているのかい?」

「いや、そうじゃない……そうじゃないんだが、どうもしっくり来ないんだ」

 書面を睨みながら、思考の世界に埋没する雁夜。

 切嗣は、灰皿に置かれたたばこに手を伸ばす。それに触れて、初めてフィルターの根元まで燃え尽きている事に気がついた。指先で尻を蹴り、灰皿の中に落とす。そして、新しいたばこを取り出して、ゆっくりと煙を肺に溜めた。

 プロファイリング。多数の情報を整頓するのではなく、限られた情報から全体像を見通す能力。フリーのルポライターが事件にありつくには、こういう力が必要だった、とは彼の弁。それを抜いたとしても、大した能力だと思っている。

 雁夜は一枚の紙を手にとって、裏返す。そこにもびっしりと何かが書き込まれているのを確認すると、それを投げて次の紙を手に取った。同じ事をなんどか繰り返し、白紙を見つけ、そこに愛用の万年筆を滑らせ始める。左側に、アサシン、時臣、右側に監督者、令呪と書かれ、中心に線を引いた。

「俺は、この二つは別だと思う。言峰綺礼の行動と言うか、意思は、多分右側だけだ。そして、左側の何かが原因で、そういう行動を取り始めた」

「そうだとして、じゃあ左側は誰がやったんだ?」

「……分からない。ただ、言峰綺礼と左側の行動に、どうしても繋がりが見えないんだ」

 納得はできないが、しかし言わんとする事は分かる。言峰綺礼が企んだのならば、もっとスマートに事を運べたはずなのだ。

 まず、時臣の暗殺に、アサシンを消耗させる理由がない。状況から察するに、恐らく時臣とアサシンの間に何らかの繋がりがあったのだろう。時臣を害すれば、それを守るためにサーヴァントも動く、という風に。しかし、一人だけそれを除外できる人間が居る。それが綺礼だ。元からのマスターである彼であれば、アサシンの介入を防いで暗殺を完遂できるだろう。

 ならば、消耗はデモンストレーションだろうか。アサシンを使い切り、自分にはもう手札が無い事を証明する。その上で令呪を手に入れて、どこかの勢力に入り込む。しかし、それで信頼される保証などない上に、令呪だけ奪ってしまえば話を聞く理由はない。それに、サーヴァントを無くしてまでやる事でも無い。

 これが綺礼以外の誰か第三者が実行犯、こう考えれば、アサシンを始末する所までつじつまが通るのだ。しかし、そうであれば。今度はそれが『誰か』という問題が出てくる。同時に、その人物に綺礼がどう影響されてこの事態を起こしたか、という問題も。

 例えば、

「一流の魔術師である遠坂時臣を、誰かに痕跡すら発見されること無くスマートに始末。その上、言峰綺礼を籠絡し支配下に置いたとかかい?」

 よほどの不意を打つのでなくては不可能だ。例えば、信頼する協力者がいきなり裏切ったり、などの。

 妄想をそのまま口にして、思わず吹き出した。非常にナンセンスで、馬鹿馬鹿しい。三流劇場に乗せる自主作成映画あたりならば、上等と言えたかもしれないが。

「それ、一部逆だとしたらどうだ?」

「逆? どこが?」

「時臣を殺したのは、容疑者A。そして、言峰綺礼は多分、そいつに接触できた。しかし、ここからは言峰綺礼が主導をし始めた。容疑者Aに気付かれた、気付かれてないは分からないけど、そっちの意図を無視して動いている」

「……根拠はあるのかい?」

「監督者の言葉を聞いたとき、だいたいは意味の無い言葉だった。苦痛と出血多量だったのもあるだろう。だが、その中に『神』や『真実が』なんて単語があった。言峰綺礼の事を聞いたときだ。それらが関係してないとは、俺にはどうしても思えない。少なくとも今、言峰綺礼には彼自身の為に動いているだろう」

 今度は、切嗣が悩む番だった。確かに、綺礼が支配下に置かれたのでは無く、互いに利用し合う関係になったとすれば。同時に、かなり漠然としていて無作為であり、それ故に切嗣に向いていた意思。それが一つに統制を取られ、何かに走り出したとすれば。それぞれがちぐはぐな理由はある。

 綺礼が本気で動き出したというのは、恐ろしく危険だった。少なくとも切嗣にとっては、見えぬ誰かが影に隠れて蠢動するより遙かに。

 しかし……やはりだめだ、と頭を振る。それの先がどうであろうと、動かない、という選択肢はもう取れないのだ。

 死にかけの監督者を放置した理由、これは簡単だ。同盟を組んだ陣営どちらかに発見させて、もう片方に攻め込ませるため。実際に令呪を渡そうが渡すまいが、そうなってからでは遅い、という意味で思考は共通する。

 どうやって時臣を始末したか、というのも疑問のまま。いや、むしろより難易度が上がっていると言ってもいい。

 そして、雁夜の考察は、それを押しとどめる理由にはなれなかった。

「やはりだめだ。ただでさえ手のつけられないアーチャーに、大量の令呪を渡す可能性があってはならない。最低でも今、ランサーを落とせなければ、勝算が『ある』のはここまで。そう定義されてしまった」

 その言葉に、悔しそうに顔が伏せられる。その理由は、己の考察に逆うからか、それともアーチャーと敵対するからか。

「やめるかい?」

 もう一本、たばこを吸おうか。ソフトケースに指を掛けたところで、中止し手を戻した。手をふさがれてしまえば、銃を持てなくなる。

 最悪の場合は、彼を殺して令呪を奪う。そうするためだ。

「いや……仕方がない。アーチャーがまがりなりにも桜を守っているとは言え、それは聖杯戦争中だけだ。どちらにしろ、奴を倒して保護する必要がある。少し前倒しになっただけだ」

「そうか。じゃあ、行こうか」

 今度こそ、たばこを指に挟む。引き金ではないその感触は、とても柔らかく軽い。

 アイリスフィール達に襲撃決定の連絡を入れて、二人は部屋を出た。その時に、結界も解除しておく。もうここを利用する事は無い。

 部屋と同じく寂れた廊下を歩きながら、切嗣は前を睨んだ。道の先よりももっと遠く、見果てぬどこかを。

 聖杯を手に入れるのに、邪魔が入った。計算外の事態も、己の予想を遙かに超えて大きいものになっている。しかし、まだ大丈夫だ。何も終わってはいない。

 必ず手に入れて、そして世界中に捧げるのだ。誰も苦しまぬ世界を。その為に、必ず手に入れる。

 無垢なる完全な奇跡――聖杯を。

 

 

 

 太陽が沈んで間もなく。街は未だ人工灯で人の活動時間を告げながら、しかし活気は全くと言って良いほどなかった。

 しばらく前に起きた、連続殺人事件。犯人逮捕のニュースはすでに流れていたが、それでも住民は闇を恐れて、家という名の箱庭から出る事はできなかった。分かっていたことだが、人の社会とは脆いものだ。どれほど平和な日常も、簒奪者の出現によってあっという間に失われる。そして――悲しむべき事に。それは太古から今に至るまで、常に幾度も繰り返された日々だ。

 夜風、と言うには早すぎる冬のつむじが、セイバーを撫でる。お世辞にもそれが心地よいと感じられないのは、これから行うことの自覚があるから。

 どれほど気が乗らなくとも、しかし今更やらないという選択肢はない。聖杯戦争も、そして王である事も。

 腕をだらんとたれ下げ、そして次に感じるのは、ずっしりとした剣の感触。改めて持てば、それがとても重いことに気がつく。当然だった。なにせ、その輝く剣は、ブリテンという国の思いそのものなのだから。

 いつしか……剣を振るうことに、戦をすることに、そして、王である事に。慣れすぎて、鈍磨になり、やがてただの剣のように振るっていた。

 思い出すのだ。その剣には、祖国の命運がかかっているのだと。

「セイバー、大丈夫?」

「ええ、問題ありません」

 集中するセイバーの背中に、心配げな声がかけられる。

 振り返り、アイリスフィールの顔を確認した。そこにはやはり、はかなげな表情があった。

「やっぱり、私から切嗣に言って……」

「違うのです、アイリスフィール。間違っていたのは私だ」

 不思議そうな表情のアイリスフィール。きょとんとした様子はまるで童女のようで、そう言えば、彼女は外見ほど人生を体験していないと思い出す。安心させるように、優しく、そして力強く微笑んだ。

「私にはしなければならない目的があり、そして切嗣にもあった。しかし、私は彼の願いを抱えていることも忘れて、自分の誇りのために戦っていたのです。相手に信じて貰う努力を放棄しておきながら、自分は信用されるのだと、身勝手にも信じていた。切嗣の言うことは、全くの正解でした」

 風の鞘に包まれた聖剣を撫でる。そこに剣がある事を確認するために。

「エクスカリバーは、いつ折れても仕方が無かったと思います。しかし、この剣はまだ私の手の内にある。ならば……今度こそ、ただ勝利のために戦う」

 その剣の名にかけて。

「と言うわけで、私は大丈夫です。心配いりません、もう迷わない」

 持ち上げていた剣を一度振り払い、再度片手で吊るすように持つ。

 正直に言ってしまえば、その手段に思うところがない訳では無い。ただ、それ以上に大切なことを思い出したというだけ。しかし、それが何より重要だった。

「そう……なら、私からはもう何も言わないわ。ただ、一つだけ……」

 不安さは振り払われ、いつもの快活さが宿った顔つき。めいっぱいの彼女らしい笑みと、勝ち気な雰囲気。それで全開に叫んだ。

「勝ってきて、セイバー!」

「はい……! 貴方と切嗣に、必ずや勝利を収める事を誓いましょう」

 この先の道は、決して容易くない。それを知るからこそ、誓いを立てた。

 振り返ったセイバーは、ガードレールに手を置く。郊外の、なだらかな丘になっている場所、その頭頂部。見下ろす、とういう程の高度はないが、それなりに遠くまでは見通せる。街を眺めるならば、少し交通の便が悪いことを除けば、なかなかの位置だった。なにより、ここはランサー組の拠点が見えるのがいい。

 新たなランサーのマスターが構える拠点の、領域より少し外。何かを探すように、人通りの少ない場所を探す影。それがランサーであると、セイバーの視力はぎりぎり捕らえていた。なぜ具現化し、現代の服を着ているかは分からなかったが。

「そっちの準備はもういいか?」

「カリヤですか。ええ、私はいつでも」

 車から出てきたのは、雁夜と舞弥だ。

 今回の作戦は、セイバーとバーサーカーによるランサーへの速攻だった。

 ランサーというサーヴァントには……いや、ディルムッド・オディナという英霊には、致命的な弱点が存在する。それは、彼が限りなく一対一向けの戦闘能力を持つ、という事だ。紅薔薇はその特性でもって、能力の多くを防ぎ、または突破する。そして黄薔薇で回復不能な傷を負わせて、じりじりと追い詰めるのが基本戦法だ。しかし、これは同時に瞬発力に欠く事も意味している。今聖杯戦争は、火力に富んだサーヴァントが多い。その中で、最も火力が不足しているのがランサーだ。

 瞬発力があるというのは、決着を急げるという事だ。対軍以上の宝具は、複数の襲撃に対して有効な手段を持っている事にもなる。戦闘持続能力と安定感が高く、宝具の能力は多くの敵と優位に戦えるというのは確かに長所だ。しかし、それは一転して不利な状況に追い込まれると、逆転する手札が少ないという意味でもある。

 バーサーカーもこの時のために、武器を用意していた。さすがに宝具は不可能であったが、強度に重点を置いた強力な概念武装。それならば紅薔薇に切り飛ばされる事もない。さすがに、素のままでサーヴァントを切るのは不可能だったが。

「切嗣は?」

「位置に付いたと連絡を受けた。まあ、出番は恐らくないだろうが」

 フードで顔を隠したままの雁夜が、街灯だけが頼りの暗い街を見る。そのどこかに、切嗣が潜んでいる。

 あわよくば、ランサーが襲撃されたことに気がつき、出てきたマスターを仕留めるためだ。だが、出てきてくれる可能性はまずない、とは雁夜の判断である。

 敵マスターは、切嗣に危険な切り札があると判断している可能性が高い。少なくとも、アーチャーにはそう諭されているだろう。これが彼のプロファイリングした結果だった。挑発までしてみるが、それですら表に出てくる可能性は五分五分、との事だ。その程度の確率だからこそ、舞弥はこちらでアイリスフィールの護衛役になっていた。

 ちなみに、爆撃等の手段は、立地が悪く不可能だったとか。突入するには、格上の魔術師では危険が高すぎる。

「それでは――行きます」

 言葉と同時に、セイバーは一つの弾丸となった。草は風圧だけで荒れて吹き飛び、ただの踏み出しで地面が陥没する。

 それより僅かに遅れて、バーサーカーも追ってくるのを気配で感じた。セイバーとて大人しくはないが、こちらはさらに荒々しい。地面をめくり返し、走った後に土の墓場を作る。

 数キロ離れた距離も、サーヴァントが全力で走れば分とかからない。ランサーの輪郭はみるみるうちに大きくなっていき、あと数百メートルの時点で、急にセイバーへと向き返った。

(さすがに、奇襲は成立しないか)

 サーヴァント同士は互いの気配を察知できる。例外は、気配遮断スキルを持つアサシンのみ。故に、この結果は当然であり。落胆と感謝の入り交じった苦笑、しかしそれを外に出す事は無かった。気付かれようが、気付かれまいが、嬉しくあり惜しくもある。我ながら現金なたちだ、と呆れた。

 剣を持つ手にさらに力を込めて、肩に担ぐように構える。見えないが、恐らくバーサーカーも同じように構えているだろう。

 ランサーが、両手に槍を構えた。

 隙を狙うには、気付かれたのが早すぎる。しかし、完全な対応をするには、気付くのが遅すぎだった。

 構えた剣に、ありったけの魔力を乗せて、全体重を乗せて叩き付ける。接触した紅槍が大きく撓むのが見み、衝撃を殺さんとした。

 しかし、と。セイバーは地に着けた出足を、勢いに乗せてさらに踏み込むために使った。もう一段の加速と二重の衝撃に、さすがのランサーも堪え切れなくなる。体は大きく後方に吹き飛ばされ、膝を突きながら勢いを殺していた。あれだけの衝撃に見舞われながら、それでもセイバーを確認し続けているのはさすがだった。

 無茶すぎる加速で体勢が崩れぬ訳が無く、つんのめるようにして裏まで抜けるセイバー。本来であれば、がら空きの背後に一太刀貰っていただろう。しかし、今回に限りその心配は無い。

 追撃の黒い暴風。暗黒の霧を纏った暴力的ながらも精緻を極めた一撃が、触れるもの全てを粉砕しようと放たれる。未だ膝を付いたままの、体勢を立て直しきれぬランサー。いくら彼でも、この状態で武器破壊はできない。二本の槍を十字に構えて、可能な限り衝撃を受け止めようとした。だが、誰から見てもそれは無謀だっただろう。バーサーカーは、混じりっけなしの全力の一撃。それに対して、ランサーは力を入れ辛い姿勢の、苦し紛れな防御。どちらが勝るかなど、火を見るより明らかだ。

 再度、吹き飛ぶランサー。向かう先は、当然その先まで走り抜けていたセイバーの元だ。

 最優の名を冠するセイバーであれば、刹那ほどの時間でも体勢を立て直せる。ましてや、後続が敵を吹き飛ばしてくるほどの時間があれば、足の指先まで力を充実させるのに十分すぎる。

 地面が割れそうな程に力を込めて踏み込み、力の流れを一切無駄にすること無く、剣に伝える。命を砕くことに特化した、頂点から真っ直ぐに振り下ろされる死神の鎌。空間すらねじ切れそうな程の一撃。

 しかし、それにすらランサーは対応してみせた。左足で急制動をかけて、セイバーに向かう体を無理矢理止める。左肩を右手の槍で防御し、斬撃が放たれると同時に逆方向に飛んで見せた。

 うまい――セイバーは思わず称賛していた。手に伝わる、重い感触。しかし、完全な当たりであった場合と比較すれば、軽すぎる。槍で剣を滑らせ、上手く地を蹴る代わりにして距離を取られる。槍が引かれて、見せた額からは僅かな出血。しかし、それだけだ。ランサーの耐久力であれば、一撃で死してもおかしくない攻撃の三連撃。それを受けて、なお悠然としている。

 分かってはいたが、容易い敵ではない。いや、元々聖杯戦争に、容易い敵などいなかった。それを確認し、剣を構える。

 ランサーは槍を構えなおして、しかし視線を左右に飛ばしながら動けない。

「ランサーよ、貴方には、先に謝罪をしておく」

 挟撃をされながらも、しかし全く隙がない構え。やはり、容易くはない。バーサーカーも剣を構え、しかし動けないでいた。

「許してくれ、と言うつもりはない。だが、私はやはり、何よりも聖杯を優先しなければならいのだ。尋常な決着をつけられないのは心苦しいが……ここで脱落して貰う」

 セイバーの宣言に、しかし警戒を解かず、隙も無いまま、大きく一つ息を吐いた。まるでため息にも見えるそれ。

「全く――」

 初めて口を開いたランサーに、セイバーは眉をひそめた。おかしい。何かは分からないが、とにかく何かがおかしい。

 理由も分からないまま、しかしじりじりと距離を詰める。救援が来る前に、決着をつけるのが今回の作戦なのだ。些細な違和感に、躊躇っている時間はない。

 しかし、

「釣ろうとは思っていたが、まさかお前達だとはなな」

 今度は、違和感を無視できなかった。その声も、口調も、まるでランサーのものではない。

 ランサーの姿が、ぼろぼろと崩れて光になっていった。

「……馬鹿な」

 上部から消えて、別のものが中から現れる。どちらかと言えば落ち着いた雰囲気の美丈夫。その内側から出てきたのは、似ても似つかない男だった。

 髪も、鎧も金色。全てが輝くように構成された存在。持っていた槍すらいつの間にか光に溶けて、二本の剣へと入れ替わっていた。黄金にして、完璧の王、しかしその中で数少ない金以外の構成物。額から流れる血と、瞳の紅。眼光から飛ばされる視線が、セイバーのそれと接触した。

 そこに居たのは、槍兵のサーヴァント、ランサーなどではなく。弓兵のサーヴァント、アーチャーだった。

「惚けている時間があるのか?」

 言葉に、意識を集中する。敵は予想外にして最悪の相手だった。しかし、今更引くことはできない。こうなれば、ここで倒し切る事も考慮すべきだろう。

 しかし、その様子をあざ笑うように、アーチャーが口元をつり上げた。

「お前達が来た方向は丸わかり。そして、ここにいるのは俺一人。バーサーカーがここにいるという事は、さほど離れた位置でもないのだろう」

「まさか……!」

 その言葉に、最悪の展開を予想する。そして、それこそが失敗だとすぐに悟った。

「なるほど、その先にいるわけだ」

「くぅ!」

 かみしめた歯の衝撃と音が、刺激物のように脳に突き刺さる。

 まずい。間違いなく失敗だ。

 例え上にいる全員を討ち取られても、セイバーだけは残る。マスターが存在するのだから。しかし、それでは殆ど詰んでいる。

 どうする――と思考を高速で巡らせた。エクスカリバーは未だ使えない。かと言って、アーチャーは多対一に卓越している。速攻で仕留めるのはまず不可能だ。いや、それ以前に、距離を開けられたら一方的な展開になってしまうだろう。

 最悪であっても、絶望的であっても、必ずどこかにある最善を。それを探し続けて、

「お前が行くなら止めはしないぞ」

「なに?」

「お前が、今向こうに向かっているランサーを止めに行くのを止めはしない、と言っているのだ」

 理由を聞くまでもない。アーチャーにとっては、ここでバーサーカーを確実に仕留めた方がいい、それだけだ。しかし、彼の最善は同時にセイバーの最善でもあった。

 これでセイバーが急行し、ランサーを止められれば、まだ五分の状態。それに防戦一方ならば、セイバーはあまり役に立たない。能力的に考えても、バーサーカーの方が相性がいいだろう。

 手の内で踊らされているようで気に入らない。しかし、それ以外に手が無いのも事実だ。

 アーチャーを警戒しながら、脇を駆け抜ける。通り抜けた後は、脇目もふらずに全力で来た道を戻っていった。アイリスフィールの無事を祈りながら。

 

 

 

 あっという間に豆粒程まで小さくなるセイバー。その背中を見送りながら、俺は息を大きく吐いた。この襲撃で、どれほど寿命を減らされたか。

 これほど強引な速攻が予想外なら、それをしたのがセイバーとバーサーカーだというのも予想外だった。バーサーカーの正体を考えれば、まずセイバーに襲いかかりそうで、共闘が成立しなさそうなのだが。

 いや、それよりも問題はセイバーだ。zeroのセイバーが、二対一の戦闘を許すとかありえない。と言うか奇襲じみた攻撃も嫌がるだろう。現実はそれどころか、即席の連携までして見せ、精神的に弱そうな部分も見えなかった。あれはどう見てもSNセイバーである。凛マスターのセイバー並とか、それだけで勝負する気になれない。これでアヴァロンまで手に入れられたら、本気でラスボスだ。

 左手に持つ剣を蔵に戻し、額の血を拭う。右手に持つ剣は、当然バーサーカーに向けたままだが。

 本来、これはまだ舞台に上がらない見知らぬ誰かを引っかけるための作戦だった。

 そもそも、ただの人間にとって、どのサーヴァントが一番攻略しやすいか。おそらくは、ライダーかランサーになるだろう。理由は簡単で、ステータスのバランスが悪い者である。まず論外なのが、俺だ。アーチャーというクラスの関係上、気付かれず接近するのがほぼ不可能。気付かれても遠距離攻撃で接近が不可能。同時に、豊富な宝具を揃えて、対応能力も高い。そして、誰も知らないことであるが、財宝のバックアップで表示など飾りにもならないステータスアップが可能。そうでなくとも、ステータスはアベレージBである。

 次に無理なのが、セイバーとバーサーカー。通常戦闘に必要な筋力、耐久、敏捷がほぼAで揃っている。この時点でどうにもならない。さらに、セイバーは戦闘スキルが多彩。特に魔術師殺しと言える対魔力がAランクだ。バーサーカーも、攻防共に力を発揮する騎士は徒手にて死せずがある。それでも、理性が無いだけ与しやすいかもしれないが。なお、バーサーカーの場合はマスター狙いをしてもいいが、その対策を切嗣が取らない訳が無い。恐らく何らかのカウンターを仕込んでいるだろう。

 そうすると、残るのがライダーとランサーだ。ライダーの場合、耐久こそ高いが、敏捷が全サーヴァント中最低値である。戦車を出す前であれば、手の撃ち様はある。また、マスターを狙っても良いし、宝具の無駄撃ちを誘発してもいい。強力なサーヴァントではあるのだが、宝具の融通が利かなすぎるのが欠点だ。ランサーは逆に、耐久が低く、攻撃を通しやすい。対魔力Bと高い数値を持っているが、これは一流の魔術師であればやりようがある。また、瞬発型宝具がないだけに、物量攻撃がこの上ない効果を発揮するサーヴァントなのだ。

 当然、両者ともに容易い相手ではない。だが、他のサーヴァントと比べると、まだ攻略に希望が持てる。ついでに言うと、これからサーヴァントなし――居たとしても薄くなったアサシンだけの魔術師が、方法の一つも考えていない訳が無い。下手をすると、俺が知らぬ所でランサーが脱落している可能性があった。

 ならば、どうすればいいか。答えは簡単だ。俺がランサーのふりをして、囮になればいい。

 まず、宝具の力で俺の姿の上に、ランサーをかぶせる。同時にステータスも、全てA+に近くなるほど強化しておいた。これで、襲われてもまずいきなりやられはしない。とりわけ、相手がランサーのつもりで襲ってくるならば、このステータス差は痛いだろう。

 通常探索も続けつつ、ケイネスの陣地ぎりぎり外あたりを歩く。そしてランサーは、本拠地近くで霊体化し、常に俺を確認していたのだ。遊撃兵として、即時対応ができるように。

 ライダーを襲った場合は、もしかすれば空中に逃げられる可能性がある。それに比べれば、まだ罠に見えてもこちらを狙ってくると思ったのだが。

 引っかかったのは、別の獲物だった訳だ。

「■■■■■■■■■■!!」

「くっ……んのぉ!」

 力任せに見えて、その実恐ろしく鋭い一撃をなんとか受け止める。

 考えてやった事では無い。いや、悠長に思惟などしていては、間違いなく両断されている。これは、見た瞬間に体が勝手に反応しているのだ。

 それは経験なのか、それとも身に染みついた技が成しているのか。本来のギルガメッシュではない俺には分からない。ただ分かっているのは、それがあるからこそ、俺は今も生き長らえているという事だけだ。

 余計な事は考えない。全て、体が反応するがままに任せる。ただの暴風に見えて、その実しっかりと急所を狙う剣筋。いくら筋力で勝ろうとも、相手にはその差を補って有り余る技術がある。

 鋭く狙ってくる突き。剣だけでは捌ききれず、鎧にも当ててそれを回避した。耳障りな音が、肋骨から伝わってくる。剣を引くと同時に、流れるようななぎ払い。これも剣の腹で受け流すが、しかし次の切り落としまでは流せない。剣同士が激しくぶつかり合い、衝撃で足が地面に沈む。筋力で勝っている筈なのに、全くそんな気がしなかった。

「っおおぉ! 下がれぇ!」

「■■■■■■■!」

 つばぜり合いからの、全身をつかったぶちかまし。当然、こんなものでダメージは狙えないが、しかし貴重な十メートルという距離を稼げた。

 互いに剣を構える。俺からは攻められず、そしてバーサーカーも様子を見ていた。これだけの距離、俺に有利なようで、しかし実はそうでもなかった。サーヴァントにとっては、この十メートルという距離ですら、一足一刀の間合いにすぎない。ただの一歩で、また剣の応酬が始まる。

 宝具を放ちたい衝動に駆られたが、それをなんとか自制する。以前にバーサーカーと対峙した時とは、状況が異なるのだ。今は武器を持ち、しっかりと構えてもいる。元はランサーと戦う気だったのであれば、紅薔薇対策もした剣なのだろう。武器破壊は期待できず、小物の武器を大量に打ち出すには、距離が足りない。かといって強力な武器を選べば、相手の戦力を増すだけだ。

 このまま戦っても、そうそう負けはしないだろう。しかし、勝つにしても時間がかかる。

 いっそ、アロンダイトに頼ってくれれば楽なのだが……様子を見る限り、それは全く期待できなかった。

 バーサーカーは、理性が無くとも、本能まで無くした訳では無いのだろう。そうならば、すでに自分の間合いにするべく、突撃しているはずだ。それで危険だと思っているから、機会をうかがっている。

「……長くなりそうだな」

 距離を離したい俺と、詰めたいバーサーカー。じりじりと動けば、多少の距離は変動するものの、やはり一歩分の間合いは動かない。

 なるほど、確かにこれは、サーヴァント攻略としては最高の一手だ。それを認めながら、バーサーカーを牽制した。

 考えてみれば、サーヴァントはまだ5体か6体健在なのだ。自分で倒すよりも、互いに喰らい会わせた方が遙かに楽で、効率的である。問題は、セイバー組の指揮官である切嗣をどう動かしたか、という点だが。そこまでは、ここで考えて答えがでる事ではないし、そんな余裕も無い。

 姿の見えぬ敵は、思ったよりも遙かに狡猾だ。全てにおいて予想の上を行かれ、かつ後手に回っている。サーヴァントと情報、二つの優位を持ちながら。

 しかし、勝負はまだ決まっていない。戦い始めたのは、ケイネスも桜も気がついている。ケイネスは前に出ず、聖杯の解析と術式の構築を急ぐだろう。桜には、もしもの場合は第二の保険を動かすように伝えておいた。おそらくは、これをもしもの事態だと判断してくれるだろう。

 それで大丈夫だとは思っている。だが、あくまで保険は保険でしか無い。頼りすぎるには危険だ。

 やはり、ここは俺自身が決着を早めるしか無い。大きく息をすって、覚悟を決める。あるいは、諦めた。

 篭手越しの剣を確かめる。慣れない感触であり、強力な宝具のはずのそれは、酷く頼りない。それでも、バーサーカーの剣を止めるのであれば、そんなものにすら頼らざるをえない。

 二人が動いたのは、ほぼ同時だった。しかし、方向は正反対。俺は後ろに全力で飛び、バーサーカーは前方に疾走する。

 苦し紛れの一手ではあった。タイミングがずれてしまえば、それだけで距離を調整され、得意な距離に持ち込まれただろう。しかし――俺は上手くやって見せた。

「吹き飛べ!」

 万が一に備えて剣だけは構えたまま、力の限り吠える。

 俺の背後の空間が撓むように揺らめく。この世界と、ここではないどこかと。それらが繋げられた証。以前もやって見せた、バーサーカーに対する必勝法。小型の攻撃型宝具を、無数に飛ばして対応するだけの余裕を奪い取る、というやり方。以前と違い、手に武器を持ち、そこそこの距離的余裕があると言っても、対処など出来るはずが無い。単純に、手数が足りないのだから。

 だが、バーサーカーの行動は、全くの予想外だった。

 地面に深々と突き刺される剣、それで掘り起こすようにひっくり帰される。それで作られたのは、高さ二メートルはあろうかという土壁だった。横幅も決して狭くは無い。例えば、バーサーカーが盾にするのには。

 そんなもので、防ぎきれる筈が無い。騎士は徒手にて死せずは、ただの鉄骨を宝具と打ち合えるまでに強化してくれる。正しく規格外宝具だ。だが、それでもただの土で、宝具の乱射を防御し切る事はできまい。それが機能するのは、あくまで一瞬だろう。

 だが、バーサーカーにとっては、その一瞬で十分だった。右手で地の盾に触れて、それを宝具化する。そして、左手に持った剣で飛来する宝具の群れをなぎ払い始めたのだ。

「んなっ!」

 土壁が持ったのは、本当に一瞬だった。数発の宝具に打ち付けられて、すぐに崩壊する。しかし、それで稼いだ時間は。バーサーカーが宝具の雨から、自分一人抜けられる穴を作るのに、十分だった。

 左半身だけを前に出し。降る宝具に鎧を削られながらも。しかしきっちりとくぐり抜けて、フェンシングのように剣を突き出してくる。

「アホな!」

 単純な話、突きを捌くのは難しい。早さがどうのという問題以前に、接触面が酷く少ないからだ。酷い話だが、切りつけの場合は適当に剣を置いても、それに触れられるのだ。威力を殺せるかは別にして。しかし、突きで同じ真似をすれば、確実にざっくりと行く。

 寸分の狂い無く、眼球ごと脳を狙った一撃。がむしゃらに振った剣が甲高い音を立てて、眼前いっぱいに広がっていた切っ先をずらす。頬に何かが突き刺さる感触と共に、骨を削る不愉快な音。しかし、それも命を拾ったためだと思えはどうという事はない。弾ける鮮血を見送る余裕も無く、体を固める。眼前には、バーサーカーの全身が迫っていたのだ。

 迫る黒い鎧の肩と、胸の前で盾にしていた金色の篭手が激突。ただでさえ、予想外の攻撃に集中していた俺に、それを耐える術は無い。ろくな抵抗もできず、吹き飛ばされる。それでもいい。最悪の展開、体当たりに負けて転がってしまうのよりは。

 左膝を突く。受けるのに必死で、宝具を出す余裕もない。

 体当たりから体を一回転させ、掲げられた剣。姿勢の低くなった俺に、思い切り振り下ろされた。

 目の前で、激しく火花が散る。金属がねじ切れるような、普通はありえない、酷くばかげた鋼の絶叫。それに加えて、剣などという前時代的な武器が己の命を奪おうとしている。これで、現実感の一つも失ってればまだ良かったのだが。生憎と、俺の精神はそれを現実的な脅威と認めて抗わせた。

 立った姿勢と、半ば崩れ落ちる体勢。これで力勝負など、本来は成り立たない。実際、俺は今にも押しつぶされそうだった。

「ぁぁぁぁあああああああ!」

 自分でもよく分からない絶叫が、口から漏れる。悲鳴だったのか、気合いだったのか、それとも単に気が狂ったか。とにかく、力の限り声を張り上げる。

 その行為に、どれほどの意味があったとも思えないが。しかし、瞬間的に倍加した力は、なんとかバーサーカーを押し戻し、数歩後退させるに至った。よろけるバーサーカーを見ながら、やはり自分もよろけつつ下がれるだけ下がる。

 互いの距離は七メートルほど。圧倒的にバーサーカー有利だ。たが、それでも呼吸と精神を整える余裕くらいはある。

「くそ、ふざけんなよ。どこがバーサーカーだ……」

 思わず悪態をつく。それほどにバーサーカーは厄介だった。

 理性を失っているくせに、戦闘レベルでは極めてクレバーな戦い方をしてくる。力任せ、スキル便りの技量任せに戦っていればいいものを。これでは単純に、ステータスの高いセイバーだ。クラス詐欺も良いところである。

 いや、違う。一番の問題は、騎士は徒手にて死せずとかいう、壊れ性能の宝具である。触れたものを宝具にして、サーヴァントに通用するようにするというのはまだいい。しかし、普通であれば簡単に断てるようなものを、宝具と互角の強度にするとかふざけんな。楡の枝で敵を倒した伝承から派生しただけにしては強力すぎる。と言うかだ。それで宝具化できるのならば、日本や中国には、似たような宝具を持つ英霊が山のように出てくるわ。

 その上騎士は徒手にて死せずは、扱いの分からない道具まで動かせるのだ。騎乗スキルも持ってないのに、戦闘機を完璧に操縦していた。使い方が分からなかろうが何だろうが、事実上あらゆる道具を使いこなす宝具でもある。王の軍勢も、独立サーヴァントの連続召喚などというふざけた能力だが、騎士は徒手にて死せずも負けてない。本来の機能をはみ出しすぎている。いや、科学が発展すればするほど強くなると言う意味で、凶悪さでも最高ランクだ。

 ランサーは自分の持ち物である剣すら許されないと言うのに。セイバーはアヴァロンとカリバーン不許可だと言うのに。どう考えても優遇されすぎだった。いや、俺も人の事は言えないが。

 とにかく、技量と判断力、そして宝具が揃ったバーサーカーは凶悪すぎる。改めて、蟲蔵の時に即吹き飛ばせたのは、運が良かったのだと思い知った。雁夜は実は、かなり運が良いのでは無いかと思えてくる。距離と武器の問題だけで、ピンポイントにギルガメッシュを追い詰められるサーヴァントを呼べるのだから。

 やはり、何者かが高速接近してきた時点で攻撃すべきだった。敵がサーヴァントであった戸惑いと、引きつけ時間を稼ぐ必要があったための躊躇。二つの要因のおかげで、今はこの有様だ。

 最悪の相性を持った敵が、最悪の距離で、最悪の武器を持ち対峙している。せめて、どれか一つでも欠けてくれれば。

 宝具を一時的に解除した所で、恐ろしい硬度を持つ剣があればあまり意味が無い。距離を取るにしても、それができないからさっきから四苦八苦しているのだ。

 本当に、手段はこれだけなのか? 全身から冷や汗が吹き出るのが分かる。作戦と言うよりもむしろ賭であり、故に恐ろしく危険だ。やる必要が無いならば、ぜったいに実行しない類いのもの。それは裏を返せば、必要あるならば実行しなければいけない、という事でもある。

 そこまでする必要はないのでは――弱い考えが浮かび、しかしそれをすぐに否定する。頭に思い浮かぶのは、セイバーの姿だった。

 精神面で弱く、まず決闘に拘ってくれていれば、安心してランサーに任せられた。だが、何より勝利を優先し、清濁併せ呑む事が出来る今のセイバーは、放置するのは非常に危険だ。そして、恐らく現段階でのセイバーの第一目標は、ランサーに勝つことではない。黄槍の破壊だ。最悪の場合、アヴァロンまで持っている。

 圧倒的に俺たち有利だったバランスが、一気に五分まで戻されてしまうのだ。

 俺はまだ死にたくない。生きていたい。そして、死ねない理由もできた。

 やるしかない。今度はがむしゃらなどではなく、明確な意思を持って。

 両手で持っていた剣から、片手を離す。バーサーカーの持つ剣の先が、戸惑うように揺れた。無視し、手を掲げる。その先に現れた柄を、一気に引き抜いた。

 刃渡りは、一般的な片手剣ほどだろう。サーヴァントの膂力であれば、それの重さなど無きに等しい。右手の長剣、左手の片手剣、双方を構える。当然、俺に双剣術の心得などないのだから、構えは即対応できそうだと思えるだけの、いい加減な型だ。

 そして――この戦闘で初めて、俺から攻撃を仕掛けた。全力で前に踏み込みながら、右足の着地と同時に左に溜めてきた剣を閃かせる。

 バーサーカーである事の利点というのは、こんな所でも発動されるのか。不利な側からの、破れかぶれにも見える攻勢に、しかし僅かも動揺しない。

 腰をしっかりと入れた一撃。しかし、所詮は片手での一撃でしかないという事なのだろうか。両手でしっかりと構えられた剣に、軽々と受け止められた。しかし、その一撃で。バーサーカーが持つ剣にまとわりついてた黒い霧が、一瞬で霧散した。初めて、狂戦士が動揺を見せるように、鎧をきしませる。

 この左手の剣は、破魔の紅薔薇同様『対魔力構成物兵器』なのだ。この剣に触れる限り、奴の持つものは宝具になることが無い。そして、右手に持つ剣。腕をねじり、左肩に担ぐようにしていたそれを、剣に思い切り叩き付けた。

 バーサーカーの、二度目の動揺。その長剣は、僅かであったが、確実に剣にめり込んでいたのだ。

 交わる三本の剣を、バーサーカーが弾いて分解させる。今度引くのは、相手の番だった。傷つくはずの無い、しかし損傷を見せた剣。それを構えながら、最大限に警戒してくる。

 俺が右手に持っている宝具、これは『とてもよく切れる』という概念を持った剣だ。どれだけ堅牢に出来ていようとも、この剣で切れない訳が無い。事実、バーサーカーが持っていた剣がどれだけ優秀かは知らないが、こうして損傷させる事ができた。左の破魔剣と併せて騎士は徒手にて死せずの修正を打ち消せば、当然の結果だ。

 ランサーの宝具を知り、搦め手を使ってくる相手を想定し、ミスマッチを狙ったのだが。完全に裏目に出てしまった。

 元々破魔剣を持っていれば、これほど苦労しなかったのかも知れない。と思ったが、どちらにしろこれほどの接近を許した時点で、苦戦は必至だった。

 そしてこれから、もっと苦しい思いをする。

 右足が地面に食らいつくのを感じた。その感覚に任せて、体を前に押し出す。離されていた距離が、刹那の内にゼロになり……そのタイミングが予想より早かったのは、同時にバーサーカーも踏み込んで来たからだ。こちらが剣を振るより早く、右脇を狙う黒い閃光。剣を振るのを諦めて、左の剣で脇を守った。

 体を貫くような、強烈な衝撃。こんなものは防御でも何でも無く、ただ切られるのだけは堪えただけ。サーヴァントの中でもひときわ強力な力は、完全に俺の体に通っていた。

 それが、予想外であれば動くことは出来なかっただろう。しかし、予想していたものであれば。悶えるより早く、剣を叩き付ける事ぐらいはできる。

 剣同士が接触したのは一瞬だけ。力を入れ直したバーサーカーに、体ごと弾かれた為だ。

 すぐさま剣を構え直し――必要かどうかは知らないが――呼吸を整える。腕は上がるし、足も動く。衝撃こそ凄かったが、ダメージはさほどではないようだ。一瞬の空白も、攻撃を貰う事前提ならば十分動けると、今証明された。

 バーサーカーの持つ剣から、小さな金属片が落ちる。大層なものでは無い。少なくとも戦闘に支障はなく、せいぜい刃こぼれ程度のそれ。しかし、二度目の損傷は、互いの立場を決定づけた。

「分かっているだろう、バーサーカー」

 その言葉は、理解されないであろう。知っていたが、しかし口は勝手に開いていた。

「その剣が壊れるまで、どれほどもかかんねーぞ。俺は剣や武器を、お前に撃ち出して『やらん』。あとは……」

 敏捷に割り振っていた宝具の強化を解除、筋力に集中する。速度が大幅に下がる代わりに、さらなる膂力を得た。これで、力負けをする事はないだろう。

 両方の剣を、脇にしっかりと抱える。もはや構えも何もない。力一杯叩き付けるためだけのそれ。

「時間の問題だ!」

 その宣言に、ありったけの勇気を乗せた。この瞬間だけは、全ての恐怖を押さえ込んで、無理矢理忘れる。自分を、いっぱしの戦士だと思い込むのだ。

 後退しつつ、バーサーカーの手が背後に回る。そして、構えられたのは、全く見慣れない黒光りした筒。ある意味で、現代人にとっては最も恐ろしい死の象徴。銃だった。

 体がすくみそうになる。しかし、それも気合いか、根性か、とにかくそんなもので消し飛ばす。無策とも取れるような突撃を、バーサーカーに敢行した。ここで引けば、剣での追撃があるだろう。つまり、攻勢に回れるという事だ。防戦一方になってしまえば、剣を破壊する機会は遠のく。そうするわけには、絶対に行かなかった。

 構えられたそれは、ショットガン。銃に詳しくない俺では、それを見ただけで何と言うものなのかは分からない。ただし、ドラムマガジンのそれであれば、冗談抜きに暴雨のような弾丸を降らせる事が出来る。それだけは分かった。

 腕を上げて、顔の七割を隠す。片目のみ晒し、目を細めた。露出した急所に命中しない事を、神か何かに祈りながら。やはり、足は止められない。

 黒い霧に包まれた銃、その引き金が絞られた。自動で連発される散弾の嵐。その中を、防御力に任せて駆け抜けた。

 彼らの目的は、あくまでランサーの打倒であった。ならば、持っている武器も対ランサー用のもので然るべき。つまり、低い耐久を前提としたものだ。俺であれば、よほど当たり所が悪くなければ大事に至らない。

 額に、側頭部に、そして眼球のすぐ横に。弾丸が連続して叩き付けられ、そのたびに皮膚と肉が抉られる。泣き叫びたい。今すぐ気絶してしまえれば、どれほど楽であろうか。引けるのならばとっくに引いている。しかし、それが許されなく、進む義務があるのであれば。例え地獄でも、進まなければならなかった。

 弾が切れて、マルズフラッシュが消失する。つまりは、顔に降り注ぐ宝具化弾丸の雨も、これで打ち止めだ。血が降りかかっているが、目はまだ見えている。

 まだマガジンがあるのかどうかは知らないが、どちらにしろ俺の方が早い。バーサーカーも同じ判断をし、銃を投げ捨てた。同時に、投擲される手榴弾。だが、所詮は苦し紛れ。

「無駄ぁ!」

 両者の距離は、もうどれほどもない。素早く左の剣を閃かせて、手榴弾に当てる。それとほぼ同時に爆発するが、宝具でも何でもない現代兵器では、目隠しにもならない。

 そして、ついにバーサーカーを射程距離に納めた。両腕を弓のように引き絞り、思い切り剣に叩き付けた。

 恐ろしく鈍い衝撃。化け物級同士の筋力がぶつかり合う。そして、肘まで貫いて感じる――右手の剣が、芯にまで食い込む感触。

 バーサーカーの剣は、半ばで折れ曲がっていた。後一撃、耐えられれば御の字。それほどに、無残な姿になっている。

 気持ちが焦る。これで、終わらせられるのだと。しかし、忘れるべきではなかった。対峙している敵は、例え狂化していたとしても、本物の英雄なのだと。

 右手を引こうとして、それが動かない事に気がつく。自分の腕を、バーサーカーが掴んでいる。それを正しく理解する前に、足を払われてた。

「が――っ!」

 背中から地面に叩き付けられる。視界が動いたのにすら気づけないほどの、技のキレを誇る投げ。全ての空気が、体から逃げ出した。目が回る。現状を理解できない。何をすれば、現状を打開できるのか、思考など全く追いついてくれなかった。そして、視界いっぱいに広がる黒いそれ。

 咄嗟に首をねじったのは、何かが迫る、という状況への反射だった。何かが顔の横を通り抜け、そして背中から巨大な振動と、文字通りの爆発音。俺の腕を拘束したまま、バーサーカーの膝が狙っていたのだ。

 確実に、一撃で死ねるであろう一撃。しかし、体は恐怖に竦まなかった。それだけの余裕がない、というの正解だろう。

 恐怖とは、状況に対する余裕の表れだ。それを、今日初めて知った。本当に眼前まで迫った驚異の前には、悲鳴も絶望もしている暇などない。ただ備えて、抗わなければいけないのだ。

 打撃に失敗したバーサーカーは、今度は腕をねじってへし折ろうとしてくる。させるか――ありったけの力を込めて、がら空きの頭部に、蹴りを叩き込んだ。

 大きく傾く、黒い鎧。まだ極まり切っていない腕を、力任せに引き抜いた。片方だけは自由を取り戻したが、しかしもう片方は捕われたまま。膝を立て、もう一度引き抜こうと力を入れて。しかしその前に、バーサーカーの裏拳が側頭部を強打していた。

 視界が吹き飛んで、次に見えるのは全てが歪んだ景色。酔っただのなんだの、そんな生やさしいものではない。まるで世界が崩壊したかのように、常識を無視して崩れている。一瞬、目的すらも忘れそうになった。しかし右腕が上げた悲鳴、それが現実に引き戻してくれた。

 もう狙いも何も無い。足を上げて、ただ前に突き出す。何かに触れたが、それでもお構いなしに蹴りを放った。

 右腕が上げる悲鳴が止まる。同時に、触れられる感覚も消失していた。やっと視界が戻り始め、目の前に黒色の転がる物体。戦う理由すら忘れていた。しかし、それを倒さなければいけない――そんな強迫観念に駆られて、両手に持つ何かを同時に振り下ろした。

 ギィン――と。何かがはじけ飛んだ。銀色をした、永細い何かだ。幾度か回転し、地面に突き刺さって。やっとそれが、折れた剣だと理解できる。

 少しずつ、現状を思い出してきた。俺が持つのは剣で、敵はバーサーカーであり、戦う理由は――もう必要ない。ただ、勝って生きなければいけない。生きる理由があるから。それで十分だ。

 剣を杖代わりにして立ち上がり、同時にバーサーカーの射程外へと逃げる。

 両手に持つ剣を持ち上げる。相変わらず不格好で、棍棒でも持った方が様になりそうだ。まあ、格好なんて付こうが付くまいが、実用には劣る。

 跳ね起きるバーサーカー。頼りの筈の武器は、すでに根元近くから消失している。ダメージ自体は、まだバーサーカーの方が遙かに少ない。その点だけ見れば、まだ有利ではあった。だが、

「無駄だ」

 今のバーサーカーでは、武器を持つ俺に勝てない。雨のように降る小型宝具を、捌ききる事も出来ない。そして、まともな戦闘行為が出来ないのであれば、強引な手段で距離を開くのも容易い。ダメージは決して小さくないが、この程度であればすぐに逆転する。

 王の財宝を起動。背後の空間を歪ませて、軽く百は超える小型宝具を展開した。それを見たバーサーカーが、全力で肉薄してくる。

 宝具が間に合おうが間に合うまいが変わらない。武器の無いバーサーカーであれば、俺でも接近戦で勝てる。

 体を可能な限り縮めて、被弾面積を下げ、地を這うように飛び込んで来た。だが、魔力不足かダメージのためか、その速度は先ほどよりも僅かに鈍っていた。

 俺に届く前に、宝具が射出される。正面からバーサーカーに襲いかかる雨。あるものは、剣の残骸で弾いて。あるものは、手甲で殴り飛ばして。なんとか重要部分だけは守るものの、体の末端から突き刺さる宝具に、損傷は蓄積されていった。そして、圧力に負けて、ついに止まるバーサーカーの足。容赦をする理由は無い。宝具の圧力をさらに強めた時、それは起こった。

 バーサーカーを隠していた黒い霧が、周囲ごと吹き飛ばすように晴れる。輪郭をしっかりとさせた黒鎧。そして――新たにもたれた剣。

 鋭い――そんな陳腐な感想、しかしその一言に全てが収束されるような剣。美しさも、輝きも、何もかもが。まるで、見ただけで断ち切られそうな鋭い刃に、一瞬だけ魂を奪われた。しかし、その宝具を前にしては、それを恥じることができない。それこそが、神創宝具、アロンダイトだった。

 全てのステータスをワンランク上昇させ、さらにST判定二倍というふざけた性能。性能強化型の宝具で、これ以上はまずありえまい。そう思わせる、反則的な力。騎士は徒手にて死せずと己が栄光のためでなくの二つの宝具を放棄してまで、使用するだけの価値があるだろう、正しく切り札。

 だが、それは相手が俺以外だった場合の話だ。

「終わりだ、バーサーカー」

 先ほどまでとは比べものにならない速度のバーサーカー。しかし、それがどれほど早くても。瞬間移動でもしない限り、すでに展開されている宝具の方が早い。

 小物の宝具を、難なく弾いていくバーサーカー。英霊の中でも飛び抜けた技量を持つバーサーカーならば、この程度の芸当は容易いだろう。しかし、その中に、普通の剣サイズのものが混ざり始めれば、そうはいかない。単純な話、威力が桁違いに上がっていくのだ。

 進行は完全に止まり、じりじりと押し戻されるバーサーカー。さらに宝具の数を増やして、圧力を増した。

 良くも悪くも、俺にとってバーサーカーは騎士は徒手にて死せずが全てだったのだ。下手な宝具を放てば、相手の力にしてしまう。そういう無言の圧力があったからこそ、手にとって役に立つ、中型以上の武器を使用できなかった。ましてや接近戦の危険があるのに、壊れない武器など絶対に提供できない。ステータスで多少勝っても、バーサーカーと対等に戦える訳が無いのだ。

 しかし、狂戦士は無毀なる湖光を手に取った。そうしなければあの場で死んでいた以上、その判断は正しい。しかし、それは一秒先に迫った死を、五秒先に引き延ばした以上の意味はないのだ。

 騎士は徒手にて死せずがない以上、もう射出宝具の使用制限は必要ない。

「■■■■■■■■■■!!」

 アロンダイトで迫る宝具をなぎ払いながらの絶叫。それは、悲しささえ思わせる。

「あんたもセイバーに思うところあって、言いたいこともあったんだろうが……残念だったな」

 このまま放っておけば、撤退するかも知れないし、令呪で消えるかも知れない。だが、この場で逃がすほど、優しくしてやるつもり無かった。

 バーサーカーの腕が、一瞬だけ止まる。彼の腕に絡みつかせたのは、ギルガメッシュの親友の名を冠する宝具、天の鎖。神の血を引かないランスロットに、その拘束は大した力を持たない。破壊しようと思えば、すぐに破壊出来るであろう程度だ。無毀なる湖光を発動させているのであれば、尚更容易い。

 しかし――その一瞬は宝具の雨の前に致命的であり。降り注ぐ剣の山に、抵抗の手段を失ったバーサーカーは、瞬間、全身を貫かれた。

「■■■■■■■! ■■■……■■……■…………」

 狂化の象徴である絶叫もがやて小さくなっていく。確実な致命傷。もう令呪をもってしても助からないだろう。

 短剣の一つが、バーサーカーの兜を割る。現れた顔は怒りに支配されているようで、しかし、その瞳だけは正気に見えた。

「a……ar……アーサー……王よ」

 大量の剣を身に刺したまま、ランスロットが膝を突く。手からこぼれ落ちたアロンダイトは、すでにその鋭さを失っていた。

 瞳は一瞬宙をさまよう。バーサーカーではなくなった、ただの騎士、その視線が俺を捕らえる。

「アー……チャー……感謝…する…………。我が……王は…………」

 最後まで述べる事も出来ず、そのまま騎士サー・ランスロットは光になって消えた。もうこの場には、いや、世界のどこにも、この時代に彼が居た証拠は無い。

 ランスロットの倒れ伏した場所を見ながら、ふと思いついた。ランスロットがアーサー王に襲いかからなかったのは、もしかしたら、もう満足していたからかもしれない。

 答えはどこにも無い。そう考えたのも、ランスロットの最後の言葉から、都合良く解釈しただけだ。でも、それでいいと思える。

 恐ろしく疲れた。魔力もかなり消費している。幸い、魔力量の多い桜から魔力は送られ続けている。治療を行いつつ、もう一戦くらいならば可能だ。できれば、そうなっていて欲しくないが。

 すぐにランサーの救援に向かおうとして、ふと背後を振り返った。そこには、俺の記憶の中だけにある、バーサーカーとの戦闘の痕跡。少しだけ、その場を名残惜しんで。もう振り返らずに、今度こそ走り出した。


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