ノイトラは一気に興味の失せた様な表情を浮かべ、ザエルアポロを見遣る。
だがその内心では最大まで警戒レベルを上げたまま。
今から振られてくるであろう、ザエルアポロの話題の内容を想定。それに対する返答パターンを脳内に幾つもストック。
僅かでも不審な動きをすれば直ぐに反応出来る様、重心をやや低くしながら。
「…何年振りだろうね。こうして面と向かい合って話すのは」
先程はつい反射的に睨み付けてしまったが、如何やら気付かれてはいないらしい。
咋に警戒している態度を見せるのは得策では無い。
「覚えてるワケ無ぇだろ」
懐かしむ様に語り始めるザエルアポロに対し、ノイトラは如何でも良いとばかりに冷ややかな反応を返す。
だがそれは想定済みだったのか。ザエルアポロはやれやれと肩を竦める様な仕草を見せると、もう一度眼鏡の位置を指先で持ち上げて修正した。
「最近の調子はどうだい?」
「…悪くねえ」
「そうかい。ならあの時協力したかいがあったよ」
―――何か妙だ。
ノイトラはザエルアポロの態度に引っ掛かりを覚えた。
言うなれば―――恩着せがましい。
恰も今の状況まで至れたのは自分の御蔭なのだと、此方にそう訴えているかの様で。
「そういえば、君の周囲は随分と賑やかになったね」
「あ?」
「ほら、十刃落ちの連中やら、1番目や3番目―――そして治療室の連中とか、ね」
ザエルアポロの口元が吊上がった。
―――やはり目を付けていたか。
自分の事然り、周囲然り。
あの時藍染に監視の目を潰す事を要求しといて正解だったと、ノイトラは安堵した。
思いの外動揺は少ない。
それはそうだ。随分前からこれも想定はしていたのだから。
だがまさかこのタイミングで来るとは予想外だった。
想像したくは無いが、テスラが来る直前の精神状態であれば、何を仕出かしていたか判らない。
余裕の無さは視野の狭さ、そして焦燥に比例するのだから。
「それがテメェと何の関係があるってんだ」
「いや、特には―――ああ、一つだけあったよ」
「…何?」
ザエルアポロは否定し掛けたが、直ぐ様訂正する。
如何でも良い世間話から始まったかと思いきや、突然の恩人アピール。そして今である。
何の意図があって、こんな纏りの無い会話の流れになるのか。
疑問に思いつつ、ノイトラは続きを待った。
「ロカ・パラミア」
「…アイツが如何した」
だがその口から飛び出したのは、予想とは違う人物の名であった。
御蔭でノイトラは内心でやや混乱し始める。
「あの人形は元気にしてるかい?」
「…人形だぁ?」
ロカに対する蔑称と取れるその余りの言い草に、ノイトラは苛立ちを覚えた。
だがそれも一瞬だけ。既の所でその感情を抑え込む。
ノイトラにとって、ロカも十分に大きな存在である。
セフィーロに続き、自身を恐れる事無く治療を施してくれた恩人であり。日常の食事等の用意も、稀に開催される宴会の給仕等を真面目にこなしたりと、常日頃から世話になりっ放しだ。
そんな人物を侮辱されたのである。何も感じない訳が無い。
確かにあの無表情は人形染みた何かを感じさせる部分がある。だが良く良く見れば結構感情豊かな事が判る。
只単に自身の感情を表現するのが不得意なだけだ。
外部より好意的な感情を向けられる度、時折戸惑いを見せる事から、人付き合いにも余り慣れていないのだろう。
まあ遠目から表面上だけを見ればそんな印象を受けるのも理解出来る。
失礼ではあるが、人形という蔑称は寧ろウルキオラにこそ当て嵌まるだろう。
とは言え、最近では彼は心というものを理解しようとしたり、己の在り方に悩み始めている傾向がある。
寧ろウルキオラも人形のイメージが払拭され始めていると言うべきだろう。
セフィーロの話では、治療室へ配属された当初のロカは正に人形そのものだったそうだ。だが度重なる努力の末、今では改善されたとの事。
―――痛ましくて見ていられなかった。
その様に行動した理由を、セフィーロはそう語っている。
虚夜宮入りしたばかりの彼女も相当スレていたそうだが、余りに気になって仕方が無く、痺れを切らしたそうだ。
自らの事を道具と表し、思考を放棄した状態で自己完結していたロカの姿。
現在の彼女しか知らないノイトラは、正直言って余り想像したくなかった。
恐らくは自分がセフィーロと同じ立場であったなら、形は違えどもセフィーロと同様の目的の元に行動していたかもしれない。ノイトラはそう思った。
「…人形呼ばわりたぁ、随分な言い草じゃねぇか」
「おや、知らないのかい?
「!!?」
「自分の生み出した作品の事をどう言おうが、別に問題は無いだろう?」
けど結局は不必要になったのだが、と最後に付け加えるザエルアポロ。
―――当たり前の事を当たり前にしただけ。
その顔は罪悪感の欠片も感じられない、平然としたもの。
常人ならまず確実にその姿に不快感を抱く事だろう。
そしてノイトラはと言うと、それよりも先にロカに隠されたその衝撃的な背景に瞠目していた。
―――マユリ様を彷彿とさせる言い回しだ。
やはりマッドサイエンティスト同士、似通った部分はあると言うべきか。
仄かにそんな事を考えながら。
ザエルアポロは得意気な顔で説明し始める。
元々ロカ・パラミアという存在は、無数の魂魄を人為的に寄り合わせ、人工的に大虚を造り上げる実験台として生み出された。
崩玉によって破面化する前は、純白の蜘蛛状の中級大虚だったと。
説明された内容を分析しつつ、ノイトラは思考を巡らせる。
そして納得。こんな最低に分類されるであろう性格の奴に端から道具として生み出されたのだ。それ相応の酷い扱いをされて来ただろう。
―――思考停止もするし、無感情にもなる筈だ。
同時に悟る。ロカが何の目的で作り出されたのかを。
ザエルアポロの研究目的は“完全な生命”。幾度死に絶えようが、何度でも炎の中から甦る不死鳥の如き存在へ、自身も至りたいのだ。
そこでロカの能力である“反膜の糸”。その特性と能力を考慮すれば、大体は想像が付く。
ザエルアポロは自らの野望の足掛かり、そしてもしもの時の保険として、彼女を生み出したのだ。
だがそれも―――敵の臍から体内に侵入して卵を産み付け、体内から相手の全てを吸い尽くして死に至らしめ、自らの肉体を復活させる技である“
故に―――ロカは捨てられた。否、厳密に言えば放置されたと言うのが正しい。
ノイトラは眼前のいけ好かない男の顔面を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。
「ああ、そうだ忘れていた。実はもう一つ聞きたい事があったんだ」
「…今度は何だ」
「君の従属官―――治療室室長の事さ」
恐らくザエルアポロとしてはとしては、これこそが本題。
ノイトラは得心がいった。
反射的に動き掛けた表情筋を無理矢理固定。表面上は至って平静を保ち続ける。
此処で僅かでも動揺して隙を見せて見ろ。ほぼ確実にセフィーロの存在が自分の大きな弱点の一つであると悟らせてしまう。
そうなれば良い様に利用されて終わりだ。
ノイトラは意識を切り替える。
考えてみれば暫く演じて居なかった、本来のノイトラ・ジルガとしての在り方へ。
「…んだよ、もしかしてアイツを借りてぇのか?」
一般的な善性を持つ者が聞けば即座に嫌悪感を抱くであろう。
そんな下衆な台詞を吐きながら、それに加えて下卑た笑みを浮かべる。
―――出来れば早く終わってくれ。
自身の口から出た言葉とは言え、内心で盛大に吐き気を催しながら。
「おや、やはり既に手を出していたのかい」
「中々良い具合だぜ?」
「…やはり噂は当てにならない、か」
ザエルアポロは拍子抜けした様な顔でそう言う。
恐らくは変わったと噂されていた筈のノイトラが、しっかり下衆な部分を残していた事を悟ったからだろう。
―――事実は全く以て真逆なのだが。
他者の能力は観察しても、性格等の中身は一切気にも留めないザエルアポロだ。彼自身が変わらない限り、その真実へ辿り着く事は出来無いだろう。
「残念だが、まだ手放す気は無ぇぞ。まだまだ躾け足りねぇし―――」
史実では織姫をペット呼ばわりし、彼女の世話役を担当するウルキオラへどれぐらい躾けたのかと問い掛ける程の下衆な性格のノイトラ。
だが今の憑依後のノイトラは寧ろ躾けられる側だ。無論、躾ける側はセフィーロである。
今迄の恩義や隠し事をしている負い目もある分、強く出る事が出来無いのも、その状況に陥った要因だろう。
―――実を言うとノイトラは最近、その扱いが余り嫌では無くなって来ていたりするのだが、本人は必死にそれを否定している。
ルピの同類になるのは御免だと。
「いやいや、そうじゃない。君の所有物をどうこうしたいという訳ではないよ」
「あん? じゃあなんだってんだ」
偽りの自分を演じ続けるノイトラ。
さっさと真意を吐けと、そう願いつつ。
「少し彼女の血液サンプルが欲しいんだ」
「サンプルだと?」
「お願い出来ないかな。飼い主の君には従順だろうし、簡単だろう?」
小さな試験管らしき物を取り出しながら、ピンクはそう問い掛ける。
つまりノイトラの手でセフィーロの血を採取し、その試験管に入れろという意味だろう。
注射器では無いのは、通常の針では破面の鋼皮に耐え得る強度が無いからなのか。
―――開発してはいそうだが。
ノイトラは密かにそう思った。
「今まで破面同士が子を成したという前例は無い。肉体関係はあっても、それだけだ」
「………」
「それにもし彼女が君の子を孕んだとしても、今の治療室の連中の腕では、現世で言う助産師の真似事は出来無い筈だ」
つまりザエルアポロの言いたい事はこうだ。
万が一の事を考慮すれば、母体であるセフィーロのバイタル等を安定させる為に色々と準備が必要になる。
虚夜宮を代表する技術者として、それに協力してやりたい。だから事前にデータが欲しいのだと。
―――信用出来るかこの陰険ピンク眼鏡。
ノイトラは内心で悪態を吐く。
協力すると訴えているその裏では、母体となるセフィーロの能力を解析やら何やらして、自分の研究に役立てんと目論んでいる筈である。
だが恐らく此処で言う通り素直に協力してやれば、出産までは確実に漕ぎ着ける筈だ。
所謂ギブアンドテイク。
ネリエルを陥れた件という前例もある。自分に見返りがあれば約束は果たす可能性は高い。
とは言え、あのザエルアポロだ。何を目論んでいるのか想像も付かない。
今迄の行動やロカに対する言動を顧みるに、碌な事にならないだろう。
「それ程知っている訳ではないが、彼女の性格上、自分の子を蔑ろにする可能性は低いだろう。何せあの人形にすら情を抱いて身内に抱え込むぐらいだしね」
「…かもな」
「君にとってはどうでもいい事かもしれないが、僕としては非常に興味がそそられる内容でね。今後の為にも、彼女には是非とも無事に出産を終えてもらいたいんだ」
明らかに嘘。完全にダウト。
確かに表面上だけ取れば、非常に協力的な物言いである。
だがこの表情を見ろ。まるで信用ならない胡散臭い笑みが溢れているではないか。
善意から来る提案などでは決して無い。十割方野心だ。
―――そろそろ区切りを付けるか。
そう考えたノイトラは口を開いた。
「やだね」
直後、ザエルアポロの両目が僅かに細まった。
本人は隠している心算なのだろうが、ノイトラは見逃さなかった。
その瞳に浮かんでいる―――怒りの色を。
「…正気かい? 出産に失敗すれば、ショックの余り塞ぎ込んでしまうかもしれないよ?」
「それこそ如何でも良い。知った事か」
断られても尚、食い下がろうとするザエルアポロ。
だがそれもノイトラにとっては予想通りの流れだった。
「後で取り返しが付かなくなっても―――」
「…しつけぇぞテメェ」
「ガッ…フ…!!?」
ザエルアポロの眼前から、突如としてノイトラの姿が消える。
次の瞬間、喉に感じる凄まじいまでの圧迫感に、後頭部から背中に掛けて襲い掛かる衝撃。
肺の中の空気が一気に排出され、必死にそれを取り戻さんと息を吸い込む。
だが気管が狭まっているのか、上手く行かない。
「このまま喉を握り潰されたくねぇなら、その耳障りな口を閉じろ」
低い声で、ノイトラは言う。
その右手はザエルアポロの首を掴んでおり、彼のその身体は壁に押し付けられていた。
其処でようやく自身の置かれた状況に気付いたのか、ザエルアポロはノイトラを睨み付けた。
「っ、こんな事をして、只で済むと―――!!」
ノイトラは口元を吊り上げたかと思うと、右手に更に力を籠めた。
無論、手加減はしてある。本気だったら既に相手は息絶えている。
だが十分に強力だったのか、より苦しげな呻き声を上げるザエルアポロ。
そんな彼に、ノイトラは徐に顔を近付けて囁いた。
「…第8十刃如きが、この俺と対等な口を利いてんじゃねぇ」
「う…グ…!!」
ノイトラは考える。
此処でザエルアポロを始末するのも一つの手だが、今後の展開に支障を来たす可能性があった。
もしその様な事をすれば、本来彼と戦う事となる筈の者達―――一護と共に虚夜宮へ侵入して来る内の二人がフリーの状態になる。
すると如何なるか。
まず最も高いと思われるのは、別の破面と遭遇し、戦闘へ発展する可能性か。
客観的に見て、史実に於けるザエルアポロの敗因は明らかである。
研究用のサンプルとして相手を確保しようと目論んだが為、徒に戦闘時間を掛け過ぎた事。そして相手の事を所詮は低劣種と侮ったりと、慢心が過ぎた事だ。
例えば虚圏の神としての矜持と、自身の能力に対する絶対的な自信から来る慢心を持つバラガンが相手の場合ば如何なるだろうか。
それかグリムジョー、ウルキオラ。どちらでも良い。
取り敢えず―――想像するまでも無い。
恐らく彼等は極めて高い確率で相手を殺しに掛かるだろう。
ハリベルであれば、尋常なる立ち合いの元に、情けを掛ける可能性は無きにしも非ず。スタークは―――最悪見なかった事にしてやるから逃げろとでも言いそうだ。
以前よりノイトラが何度も考えている事だが、この様に先の展開が全く読めなくなるという最悪のパターンはだけは避けたい。
それに例え、此処で止むを得ずザエルアポロを手に掛けた―――という形にこの場を収めた場合、良いか悪いかで考慮すると五分五分だ。
有象無象の破面なら幾ら欠けたところで問題無いが、十刃は別である。間違い無く揉めるし、簡単に終わる筈が無い。
それに藍染の事もある。この場も間違い無く監視されているだろうし、後で映像の確認程度はするだろう。そうなれば直ぐに嘘だと暴かれる。
事の真偽を明らかにするため、裁判の様なものが開催されでもすれば、最早御手上げ状態。
普通に話し掛けられただけでも凄まじいプレッシャーを感じるのだ。そんな藍染に尋問でもされ様ものなら、胃がストレスでマッハな状況になる事間違い無し。
「君は……僕に借りがあるだろう…!!」
「あ?」
「それがこの仕打ちとは…あまりに不義理じゃないかい…っ!?」
ザエルアポロは苦しげな表情を浮かべながらも、掠れ声でそう反論する。
その反応から、ノイトラは自身の予想が正解だった事を悟る。
ザエルアポロがノイトラに協力した理由。
それは更なる研究を進めんが為、十刃に返り咲く事を目的としただけでは無い。
ノイトラに借りをつくる事も、それに含まれていたのだ。
考えてみると、ザエルアポロとノイトラの相性は最悪と言って良い。
全盛期―――即ち第0十刃だった頃のザエルアポロであれば、単純な力押しだろうが何だろうが、容易に対処出来ただろう。
だがそれも弱体化した状態では到底不可能。
だからこそ、ノイトラとの敵対の可能性を下げる為に行動したのだ。
現在ザエルアポロが持ち得ている能力や技、霊圧を考慮してシュミレートしてみても、正に絶望的とも言って良い。
まずノイトラの鋼皮には傷一つ付ける事も叶わない。例え何らかの対策を打って彼の行動を縛ったとしても、結局はそれを如何にか出来無ければ詰む。
そして何よりあの即死級の一撃を受けても戦闘を続行出来る程の異常なタフネスを前にしては、唯一の攻撃手段でもある技も殆ど意味を成さないだろう。
―――と言うか、後者については通用するか如何かも怪しい。
十刃らしくスタンダードに“王虚の閃光”を使用したとしても、他とそう大差は無いだろう。
「何言ってんだ。借りなんざ、テメェが十刃に返り咲いた時点でもう返してるだろうが」
ノイトラは呆れを含んだ声でそう返す。
事実を言ってしまえば、ネリエルを陥れる際に協力してくれた件についての借りは残ったままである。
だが結果として見れば、ザエルアポロは十分な見返りを得ている。
結果論に過ぎないと反論されればそれまでなのだが、暴論に近いそれをノイトラは堂々と言い放った。
「逆にテメェこそ俺の方に借りがあるんじゃねぇか? 例えば本人の了承も無しに、コソコソと影から監視してたとか―――なぁザエルアポロ…」
「ッ…ゴホッ、ゴホッ!!!」
「ま、如何取るかは自由だがな」
笑みをそのままに、何を思ったのか、ノイトラは不意に首を掴んでいた右手を開く。
その御蔭で拘束から逃れたザエルアポロは、激しく咳き込みながらその場で膝を着いた。
「第0十刃だった頃なら未だしも、今の自分の立場ってモンを自覚するこった」
この台詞から判るだろうが、元からノイトラはザエルアポロの過去を知っている。
と言うか、昔からある程度の付き合いはある。上辺だけだが。
一体何の研究をしていたのか、といった踏み込んだ事情までは知らなかった為、ロカの事を聞いて驚愕したのだ。
だがザエルアポロが自らの野望に従い、弱体化という手段を取ったのは知っている。
自らが持つ戦士としての本能を、イールフォルト・グランツとして切り離し、最上級大虚から中級大虚レベルへと退化。一気に十刃落ちとなってしまう。
―――理解出来無い。
ノイトラが憑依後に引き継いだ過去の記憶を辿った限り、確かに当時の自分はそう零していたのを確認している。
誰よりも強さというものに固執していた彼にとって、ザエルアポロの選択は極めて信じ難い愚行だったのだろう。
「あばよ」
最後にそう言い残すと、ノイトラは自身の拠点の宮を目指して歩き始めた。
ほんの一言だけだったが、それには明確な決別の意志が込められていた。
二十数秒程だろうか。既にノイトラの後ろ姿は通路の先に消えている。
その直後、ザエルアポロはその先を睨み付けながら口を開いた。
「獣風情が、調子に乗りやがって…!!!」
膝を着いたまま、額に血管を浮き上がらせる。
とは言え、ザエルアポロはノイトラの言った事に反論出来無かった。
大幅に弱体化した今の自分では、勝利以前に勝負になるのか如何かが極めて怪しい。
現状で全てを出し尽くしたとしても、果たして通用するか如何か。
「……まあ、いいさ…」
沸騰し掛けた感情が、急激に冷める。
ザエルアポロは自身の首を優しく擦りつつ、立ち上がる。
その顔は正に悪巧みしていますといった様子が、ありありと見て取れる。
「調子付いて居られるのも今の内だ…何せ―――」
―――既に“その時”の為の用意は済んでいるのだから。
内心でそう呟きつつ、ほくそ笑む。
脳内に思い浮かぶのは、藍染に呼び出されたかと思いきや、突如としてノイトラの周囲の監視の目を潰されたあの日の光景。
其処で秘密裏に依頼された、“例の物”の開発。
ザエルアポロは徐に懐に手を伸ばすと、何かを取り出す。
それはサイコロを連想させる四角い形をした、小さな箱状の物。色は黄。
それを掌の上で転がしながら、ザエルアポロはクスクスと不気味な笑みを漏らした。
ノイトラが利用している何時もの鍛錬場所。それから二キロ程離れているだろう。
其処で大の字に横たわるテスラが居た。
寝ている―――と言うのは語弊がある。何せその全身は見るからに脱力し、糸の切れた人形の如き状態。呼吸に関しても、寝息とは到底思えない程に乱れ、白装束は汗でグッショリと濡れていた。
つまるところ―――気絶しているのである。
だがその表情は実に晴れやかで、正しく全てを出し切って満足しているかの様。
その隣で座り込みながら、ノイトラは横目でその様子を眺めている。
彼の状態はテスラとは全くの正反対で、呼吸も全く乱れておらず、汗を搔いたらしき痕跡はあるものの、全く以て平常。
だがその顔を注視して見ると、口元の右端に裂けた様な傷が。そして右頬には痣らしきものも。
今はもう止まっているが、傷口から微かに顎先まで伸びる血跡も見られる。
「まさかこんだけの傷を付けられるなんてな…」
その部分を指先で擦り続けるノイトラの脳裏に浮かぶのは、先程までの鍛錬風景。
手始めに念入りなストレッチ。慣らしの響転反復横跳びに、素振り一式。
それはテスラも同様。流石にその中身はノイトラ並とはいかないが、慣らしというには少々過酷過ぎる内容である。
以前までアパッチ達も対抗してそれを真似しようとしたのだが―――漏れなく途中で音を上げた。下手すれば下位十刃でも積極的に遣ろうとはしないレベルだった。
そうして良い具合に身体が温まったところで―――始まったのが模擬戦。
テスラは開始直後から即座に抜刀。何時ぞやのルキアがしたものと同様、右顔前に刀身を逆さした形に、切っ先を相手の喉元へ向けた構えを取る。
対してノイトラは背中に得物を背負ったまま、手に取ろうともしない、無手で且つ自然体で対抗する。
舐めている訳では無い。そうでもしないと速攻で勝負が付いてしまう程の実力差があるのだ。それでは鍛錬どころの話では無い。
刹那、テスラの姿がその場から消える。
だが一見悠長に構えている様に見えて、実は極限まで集中力を高めていたノイトラはその初動から読んでいた。
如何に実力差があるとは言え、長年共に己を高め合った相手だ。戦法や癖等、一通りの部分は熟知しているだろうし、油断ならない。
元の実力差等は抜きにすれば、ここ最近様々なタイプとの戦いを経験して来たであろうテスラにアドバンテージがある。
ノイトラとて様々な可能性を考慮しつつ、鍛錬を重ねてはいたが、やはり実戦からくるそれには劣る。
ノイトラは瞬時に左足を持ち上げる。
直後、脛の中間部を鋭利な刃が滑る様にして走った。
テスラはノイトラの左側を通る様にして響転で移動。擦れ違い様に斬り付けたのだ。
―――速い。
以前までの速度と比較すると、凡そ一段階は上がっただろうか。
そして鋼皮の上からでも感じる、斬撃の鋭さと威力。
中でもノイトラが感心したのは、その刃先にブレが無い事だ。
本人の技量のみならず、その斬撃を響転の速度に乗せた御蔭で更に威力を増した一撃。
様子見の初撃と言うより、一撃必殺の分類に入るであろう。
中位十刃に届かせるには些か足りないが、未解放の下位十刃には十分通用するレベルだ。
良いものを魅せてもらった御礼として、ノイトラは動いた。
背中を向けたまま、更なる追撃に入ろうとしていたのだろう、テスラが体勢を整えた直後を見計らい、その場を跳ぶ。
向かう先はその眼前。振り返った途端、初撃を防御したまま硬直していた筈のノイトラが視界に映っていた事に驚愕したのか、テスラは息を呑んだ様子を見せた。
繰り出される、容赦無い蹴撃の嵐。
突き、薙ぎ払い、振り上げに振り下ろし。必死に躱し続けるテスラは、身体の一部が掠る度、背筋に途方も無い寒気が走った。
だがふと違和感に気付く。その蹴撃の全てが大振りだという事に。
威力は高いが、その反面では隙も多く、軌道が読み易い。何故そんな形ばかりをノイトラが選択したのか。
―――この程度は凌いで見せろ、という事か。
テスラは悟る。そして奮起。
ノイトラの性格上、悪戯半分に試している訳では無い。
お前なら出来る筈だと、そう信じているのだ。
テスラの目の色が変化する。宛らそれは獲物に狙いを定めた狩人を思わせる。
直後、眼前に迫り来る左足。だが彼はそれに臆する事無く前方へ踏み出すと、同時に斬魄刀を突き出した。
金属同士が擦れ合う様な音を響かせながら、その長い脚を刀身が滑走する。
気付けば脚の狙いは外側に逸れ、テスラはノイトラの懐まで入り込んでおり、勢いに乗せたその切っ先をがら空きな脇腹目掛けて突き出していた。
ノイトラは驚愕の表情を浮かべたが、それも一瞬。
その口元は楽しげに吊り上っていた。
嫌な予感がしたテスラだったが、今更攻撃の中断は不可能。
ならばせめてと、更に刺突の勢いを増す。
切っ先が脇腹に振れたその直後―――ノイトラは瞬時に全身を横倒しにすると、左回りに回転した。
その結果、突き出された刀身は受け流される形で、何も無い後方へと逸らされる。
空を斬った御蔭で、テスラの体勢が勢い余って前のめりに崩れる。
―――これは、拙い。
本能が警報を鳴らす。今直ぐ回避行動を取らねば危険だと。
だが全てが遅かった。
そう悟ったテスラは既に天高く宙を舞っていた。
腹部に残存する衝撃、激痛。少なくとも、肋骨は二・三本程は折れているだろう。
―――蹴り上げられたのか。
飛びそうになる意識を根性で引き戻し、揺らぐ視界のまま下を見下ろせば、其処には使用したらしい左脚をブラブラと揺らしているノイトラが、此方を見上げていた。
その身に纏う霊圧は既に収まり、表情を見ても、先程までの闘争の空気は落ち着き始めている。
恐らくノイトラはこれで終わりだと、そう考えているのだ。
やがて落下し始める身体。相変わらず力も入らない。
そんな状況の中、テスラは歯を食い縛った。
―――まだ終わる訳にはいかない。
未だ自分は二回しか攻撃出来ていないではないか。それで終わりとは、何と無様な有様だ。
折角のノイトラからの信頼や期待を、裏切る真似は出来無いと。
地面まで五メートルを切った瞬間、テスラは身体を反転。霊子の足場を蹴ると、ノイトラへ向かって直進した。
それに気付いたノイトラの表情に焦燥が浮かぶ。まさかこの期に及んで反撃に転じるとは予想外だったのだろう。
斬魄刀を引き絞り、刺突の構えを取るテスラ。
それに込められた尋常ならざる気迫と覚悟。
気圧されたノイトラは、思わず背中の得物を抜いていた。
上等だと、ノイトラは真正面から迎え撃ってやる事を決める。
柄を両手で握った状態で、右へ大きく振り被った。
だが直後にそれは失策だったと悟る事となる。
テスラは間合いに入った瞬間、ノイトラは踏み込むと同時に、得物を薙ぎ払った。
だがそれと同時にノイトラは驚愕した。
見れば正面のテスラは刺突の構えを解いており、斬魄刀を横にして眼前まで移動。その刀身に左手を添えていた。
―――まさかこの土壇場で帰刃する気か。
始めから妙だとは思っていた。
今迄模擬戦をする時、テスラは決まって躊躇無く帰刃した後に交戦する。
実力差を理解しているのだろう。未解放のままでは相手にならないとして。
爆発的に膨れ上がるテスラの霊圧。それと同時に巻き起こった煙の様なものが、彼の姿を覆い隠す。
これでは狙いを定められない。霊圧の位置で判断するにも、先程の帰刃の余波のせいで不可能。
だが今更攻撃を中断する事は不可能。
―――構うものか。例え如何なる奇策が待っていたとしても、受けて立ってやる。
もはや開き直ったノイトラは、本気で得物を振るう。
だがそれも虚しく空を切り、煙を払うだけに終わった。
先程から意図的に封じていた勘が独りでに働き、反射的に回避行動を取らんと動くが、遅い。
突如として大きな影が覆い被さったかと思うと、右頬に凄まじい衝撃が走った。
衝撃を感じた部分に残る鈍い痛み。口元の右端の裂傷から僅かに飛び散る血しぶき。
―――得物を空振った隙に、殴られた。
身体毎大きく後方へ吹き飛ばされながら、ノイトラは自身の置かれた状況を理解した。
逆方向には、左拳を天に突き出して咆哮を上げる、猪の巨人の姿が。
如何だ見た事か、やってやったぞ、そう訴えているかの様に。
―――尚、次の瞬間に響転で背後に回り込んだノイトラの一撃で沈んだが。
それによってテスラは意識を失うと、同時に帰刃形態が強制的に解除されたという訳だ。
「…強くなったな、テスラ」
別な見方をすれば、ノイトラが弱くなった―――または油断していた風にも取れる。勿論それは本人も感じており、素直に反省していた。
だがそれ以上に嬉しかった。
今のテスラは初期の頃とはまるで別人。凄まじいまでの成長振りである。
ハリベルの元へ移ったばかりの実力と比較しても、その差は歴然。
以前彼女の話で出た内容の通り、立場が変わった後も鍛錬を欠かさなかったのだろう。
「やりきった感満載な顔しやがって、このムッツリ野郎が」
呼吸が落ち着き始めたテスラを眺めながら、ノイトラは苦笑する。
感慨に耽るのも良い。だが思っている以上に時間が過ぎた様だし、そろそろ移動せねばならないだろう。
そう考えたノイトラはテスラを抱えてこの場を去ろうとし―――弾かれる様にして後ろを振り向いた。
その理由は、この場に向って別の霊圧が近寄って来ている事に気付いたからだ。
より詳細な情報を得る為、探査神経を発動。神経を研ぎ澄ませる。
良く良く考えれば、この場所は見晴らしの良い広大な砂漠の真っ只中だ。
ノイトラとテスラの他に虚が存在していても何ら不思議では無い。
だが通常であれば、例え虚が居たとしても、此方まで寄って来る可能性は極めて低い。
何せ虚夜宮内の破面の持つ霊圧は並みの虚を凌駕する。十刃なぞ尚の事。
そんな存在が模擬戦とは言え戦闘行為を行っていたのだ。
この周囲一帯にはその霊圧の名残が残っているに決まっている。
平均的な霊圧探知能力を持ち合わせていれば、近寄ろうとすら思わない。
だが例外も有り得る。中級大虚や最上級大虚だ。
退化の可能性の排除と、更なる高みを目指している中級大虚にとって、破面という存在はこの上無い糧だ。保守的な性格でも無い限り、最上級大虚にとっても同様の事が言える。
それを考慮すると、戦闘を終えて弱った所を狙いに来る可能性も無きにしも非ず。
だからこそ、ノイトラは警戒する。
背中の斬魄刀の柄に右手を添えつつ、探査神経で捉えた霊圧を事細かに分析してゆく。
「…この霊圧は―――ッ!!?」
次の瞬間、ノイトラは瞠目した。
接近して来る霊圧の正体。それに合点がいったからだ。
一先ず右手を降ろし、だが身体は霊圧の方向に向けたまま、先を睨み付ける。
暫しの間待つと、やがてその正体が露になる。
「―――あらら? もう鍛錬は終わりかいな」
その男はノイトラの眼前に降り立つと、残念そうに言った。
「…別にええか。そっちはついでやったし」
「テメェ…」
「や、こーして直接話すんは初めてやな?」
妙に馴れ馴れしく語り掛けて来るその男。
その声や雰囲気からは、ザエルアポロと負けず劣らずの胡散臭さを感じる。
ノイトラは何処かデジャヴを感じながらも、冷静に問い掛けた。
「何の用があって此処に来た―――市丸統括官サマよぉ」
「…フフ、何でやと思う?」
その鋭い視線を受け流しつつ、市丸ギンは不敵に笑った。
ノイトラは無性に左胸部下―――胃の部分を無性に抑えたい衝動に駆られた。
一難去ってまた一難。
このままでは主人公の胃が死んでしまう…!!
捏造設定及び超展開纏め
①現在のピンクマッドさんとゲスプーンさんの相性は悪い。
・霊圧解析による霊圧封じ→原作を見る限り、メガネさんの弓とか刺青さんの卍解解放時とか、流動性のある霊圧にしか作用しないっぽいと勝手に推測。帰刃も元の肉体を戻すだけだし、多分意味無し。
・クローン生成→相手が中位十刃レベルともなると、劣化品しか出せないかと。
・お人形弄り→ゲスプーンさんの頑丈さとかタフさとか考慮するに、多分強度が半端無くて壊せない。
・本文の内容の通り、全盛期ピンクマッドさんだったら単純な力押しでも楽勝でしょうね。完全虚化ベリたんに匹敵する規格外ですので。
②ピンクマッドさんの悪巧み。
・みんな藍染様が悪い。
・最終章手前付近で明らかにする予定。
・多分解る人にはバレバレ(笑
③忠犬超進化。
・少々地味に見えるかと思いますが、結構な大幅強化です。
・帰刃形態でも、原作より強化されてる最高硬度の鋼皮に傷を付けられる時点で御察し。
・空座町決戦時、忠犬の相手する人達の涙目は必至(笑
④虚圏に存在する大虚達にとって、破面は御馳走(笑
・勝手な想像です。
・進化に貪欲な中級大虚辺りなら、見付けたらまず狙うと思う。
今更ですけど、ギンの口調って京都弁だったんですね。
エセ関西弁扱いしてましたよ…。
それと私が本文以外で主人公の事をノイトラと表記しないのは、このキャラは原作のノイトラとは完全に別物であると区別している為です。
紛らわしいと思われるかもしれませんが、どうか御了承下さい。