ばいにんっ 咲-Saki-   作:磯 

8 / 45
7.ばいにん(前)

途中結果(3回戦終了)

花田 煌    :- 28.3

石戸 月子   :- 47.8

南浦 数絵   :- 27.0

池田 華菜   :+103.1

 

 

 ▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 14:05

 

 

「もういいだろ」

 

 三回戦を終えてすぐ、京太郎は席を立ちかけた。かれの腹腔で、得体の知れない感情が水かさを増しつつある。これまでの人生であまり馴染みのないその感情を、京太郎は名付けないままでやり過ごしたかった。

 しかし、

 

「なにがいいのよ」

 

 と、石戸月子は京太郎を引き止める。やはりと嘆息しつつ、京太郎は途方に暮れた。数々の我侭に晒されて、かれの率直な感情は、月子にほとんど生理的な嫌悪感を抱きつつある。あまり他人を嫌うことがない京太郎にとって、これは珍しいことだった。

 

「おれは友達と来てるんだよ」と、訴えかけるように京太郎はいった。「約束通り、代わりにやっただろ。もう、抛っておいてくれよ」

「ふうん。そのオトモダチとは、今日でもう会えなくなったりするの?」月子がいった。

「いや、学校でだってどこでだって会えるけどさ」

「じゃあ、普通に考えればわたしを優先すべきじゃないかしら」それが自然の道理であると言わんばかりの月子だった。「わたしとはもう会えるかどうかわからないんだし」

「おまえは、おれの友達じゃない」京太郎はきっぱりといった。

「……それは、そうよ」月子は唇を噛んで、一瞬口ごもった。「でも、だからって約束を破るの? 男のくせに」

「だから、約束なら守っただろ」京太郎は今すぐにでもこの場を去りたかった。

「わたしのいう通りにするっていったでしょ」月子が口早に反駁した。

「したじゃねえか」

「だったらあと五回、付き合ってよ!」

 

 ごかい、と京太郎は鸚鵡返しにせりふを口にした。真偽を確かめるように、南浦、花田、池田の顔を見やる。めいめいの反応は簡潔で、明解だった。みなが黙って首肯したのだ。

 

「まじかよ……」京太郎は顔を引きつらせた。「日が暮れる。むりだ」

「で、でも、さすがにこの人は元々関係ないですし」おずおずといったのは花田だった。「石戸さんもけがしてますし、後日、もう一回続きからというのは……」

「私は長野住まいではないので、それは難しいですね」真っ先に南浦が首を振った。「たまたまお祖父さまの所に泊まりに来ているだけですので、明日には地元に帰ってしまいます」

「あたしもふだんは週末、妹の世話とかあるからなー」池田も続いた。「夏休みになったら旅打ちするつもりだし」

「ほら、みんなそれぞれ忙しいのよ」水を得た月子が畳み掛けた。「どうせあなたなんか、ひまな毎日を過ごしてるんでしょう? だったら今日一日くらい、身体を貸してよ」

「おまえらの事情に、そもそもおれは全然関係ねーだろ」京太郎はあくまで渋った。「なんでも無理やりで言うこと聞かせられると思ってんじゃねーぞ」

「それはもっともですね」南浦が京太郎の肩を持った。「だいたい、そこの……須賀くんにだって、都合があるんですから」

 

 諌めるように言葉を紡いだ南浦に対して、月子が示した反応は激甚だった。

 

「――うるさい! ちょっと黙っていなさい!」

「うるさい、ですか」南浦が挑発的に口角を吊った。「そうやって声を上げれば、相手が黙ると思ってませんか?」

「……誰に口を利いてるの? あなた」

「ダンラスの石戸月子さんにですよ」

 

 京太郎を差し置いて、月子と南浦のあいだに一触即発の空気が流れ始めた。

 

「オコボレでたまたまその席にいるというだけなのに、気づいていないみたいね」鼻から大きく息を漏らしながら、月子がいった。

「誰かが下手過ぎて、場が荒れてますからね」南浦は動じず応じた。

「は? 下手?」月子の顔色が変わった。「わたしにいっているの?」

「誰とは言っていませんよ」

「言っているようなものでしょ」月子が目じりを釣り上げた。「このブス」

「ブ……」南浦の表情が崩れた。「ブスっていったほうがブスです」

「うるさいわねブス黙りなさいよブス」

「こっ、ブスじゃないもん……っ」南浦が両手を握り締める。月子と同じ土俵に乗るまいと、冷静さを取り戻すよう努めていた。「む、むむ……!」

 

(なんなんだ……女子こえーよ)

 

 身の置き所のない感覚に押されるように、京太郎は一歩二歩とあとずさる。こういうときこそ大人にいてほしいのに、春金は居合わせていない。休日の昼下がりを回って、麻雀スクールはますます賑わいを増している。各講師はそれぞれの卓に張り付いて、京太郎たちの卓にまで目が行き届いていない。

 

「まあ、そうびびんなよ」京太郎の肩を叩いたのは、池田華菜である。「基本的に麻雀強いやつってみんなどっか自分が一番だと思ってるし、人をハメるのが上手かったりするからな。それが好きかどうかはともかくさ。こんなの、よくあるよくある」

「そ、そうなのか」

「そうなのさ」

 

 と、池田は頷いた。余裕綽々の素振りである。

 

「で、どうなん?」と池田は京太郎に尋ねた。「たぶん、あんたがやるっていうかきっぱり断るかしないと収まんないし」

「……おれがやらないと、卓は割れるのか?」

 

「どうだかね」池田は即答しなかった。「それで、やりたくない理由ってホントは何? 友達と打ちたいって理由じゃないだろ? 元々人数は余ってたみたいだしさ」

 

「理由っていうか」京太郎は迷う。もつれた感情の糸をほぐすように、言葉の端緒を探した。「あいつの、なんていうか、打ち方がよくわかんねぇんだ。それはおれがまだ初心者だからなのか、べつの理由なのか――とにかく、変だ。気持ちが悪い。ただ一緒に打つならともかく、それをやらされるとなると堪らないんだよ」

 

「あいつの打ち方ねえ。なるほど」と、池田がいった。「ツモ牌相を弄って副露して筋をずらして加速、みたいなやつ? ふーん。そっか、あたしは単純に便利そうだなーと思うけど……『気持ち悪い』ね。そういうふうに感じるやつもいるんだナ」

「……ああいうの、普通なのか?」

()()()()()()()()()()()()()けどさ」池田は苦笑した。「そもそも、何と比べて普通だなんて思うんだ? あんた、初心者なんだろ? どんな牌姿も牌勢も摸打も、ありえないなんてことはないし。――たとえばさぁ」

 

 火花を散らす月子と南浦、慌てる花田を尻目にして、池田はラシャの上に詰まれた牌山に触れる。

 

「麻雀牌は34種136牌ある。それで、親の配牌は14枚。単純に組み合わせの数だけなら、配牌はだいたい3000億のパターンが存在するっていわれてる。その中で天和や地和ができあがる確率は30万分の1。気の遠くなるような感じだけど、でも、あたしは、いままでの人生で1回天和、2回地和で和了ってる。数字だけを見れば90万局――単純計算で平均11万回以上半荘をこなさなきゃ出来上がらない記録だけど、あたしが人生で打った半荘の数なんか、まだ1万回いくかいかないかってところだ。そう考えると、華菜ちゃんは人の10倍以上配牌に恵まれてることになるし。――で、聞きたいんだけど、これ、異常だと思う?」

「そういわれると……」京太郎は語勢を弱めた。「運は、すげえ良いなって気はするけどさ。つうか、『華菜ちゃん』?」

「そこはわすれろっ。……正解は」一寸赤面しながら池田がいった。「『異常か正常かはわからない』だ。これから先、あたしが未来永劫3万局に1回天和・地和を和了り続けたらそれは『異常』だ。でもそれを証明し続けることは無理だし、あたしのような美少女もやがては死ぬ――人はみんないつか死ぬ。個人は確率を実証する完全な機械にはなれない」

 

「う、うん」京太郎は必死で頭を回転させる。池田の話についていくのがやっとで、口を挟むことができない。

 

「さて、それじゃア、世界のどこかで立ってる1万個の卓の中にたまたまあたしがいて、たまたまあたしがばんたび天和や地和を和了する役目になったとして、それはある意味で『正常』だ。30万分の1っていうオーダーは守られてる。でももちろん、その役回りが一人に集まるのは『異常』だ。これ、どっちが正解なんだろうね」

 

 実際のところ、池田の言い回しは詭弁や空論に過ぎなかった。

 彼女が言っているのは『恣意的に総体の中で確率の採算を取る』ということである。仮にそんな現象を実現させる打ち手がいるとすれば、3万局に一度配牌和了を授かるよりも、よほどオカルトめいている。

 

「ううん……」京太郎は首を捻る。「なんとなく納得できるような、屁理屈のような」

「ようは」と池田はまとめた。「人ひとりが生きていくだけなら、奇跡が入り込む隙間なんかいくらでもあるってこと。石戸のあれも、まァ、そういうモンの一種なんじゃないかな」

 

「いや、だからさ。納得はしてるんだよ、おれ」どうも勘違いされてるようだと察して、京太郎は言葉をおぎなった。「そういうこともあるんだろうな、ってのはわかる。そういうんじゃなくてさ、うまくいえないんだけどさ、あんなの――あんな麻雀は、つまらないんだ」

 

()()()()()?」その言葉を聴いた池田の顔が硬質化した。「おまえは麻雀の何をわかってるんだ? ヒト様の打ち方を云々するほどえらいってわけか?」

 

「え? いや、それは――」

 

 池田の剣幕に、京太郎は鼻白んだ。脳裏に、黄昏時の国道での出来事が蘇った。

 

(またやってしまった)

 

 と、かれは思った。

 

「ごめん」項垂れて、頭を下げた。「おれには合わない。打ってると、つらい。そういう意味だ」

「――あ、いや、こっちこそ、なんかごめん」池田は後頭部をかいて、目線を逸らした。すぐに柔らかい表情が戻った。「でもま、その気持ちも、わからなくはないよ。そのモヤモヤをどうにかしたいなら打つべきだと、あたしは思うな。つまらない、認めない、だからありえない、いなくなれ――なんて、それこそツマンナイし!」

「……」

 

 池田のいうことも、わからないではなかった。麻雀に関して経験が浅い京太郎も、人の打ち筋を論うことの無意味さに関しては想像がつく。本当にありえないことなど存在しないゲームだからこそ、京太郎のような初心者でも、風向き次第で経験者に勝利しうる。負けた側にすれば、それこそ理不尽な話なのである。

 だが、理屈ではない。

 

(おれはたぶん、もう、この麻雀ってやつにイカれてる)

 

 そして京太郎を惹きつけて止まないその魅力と、月子の打牌は真っ向から相反するのである。

 ただ、それが気に入らない。

 単純な話であった。

 そう内心を決着させて、京太郎ははたと気づいた。

 

(むきになってるのか、おれは)

 

 明日の夜明けさえ厭う自分が、たかが盤上の遊戯に入れ込んでいる。しかも熱意の対象は自分自身の勝ち負けではない。他人――それも今日会ったばかりの、頭のおかしな女の打ち方に対して、かれは明らかに熱くなっていた。

 

(身の程を知らないってのは、このことだ)

 

 京太郎は大きく息を吸い、吐く。路地に面した硝子越しに、夏空を直視する。泳ぐ雲の量が、心なしか多く見える。色も濁りつつある。あるいは一雨来るのかもしれない。

 視線を池田華菜に戻す。どことなく猫を連想させる少女は、気後れもなく京太郎を見上げていた。

 後ろを振り返れば、どうにか花田が月子と南浦の仲裁を終えたところのようだった。ただし未だ興奮は冷め遣らない様子で、角逐をぶつけ合った二人は、お互い大人びた落ち着きをどこかにかなぐり捨てている。罵倒こそ飛んでいないものの、眼光には敵視が色濃く宿っていた。

 

「なあ」と、京太郎は池田にだけ聴こえるように、囁いた。「打つよ。おれは打つ。あいつの代わりにさ。――でも、ひとつだけ頼みがある」

「聞こうじゃないか」と、内容も聞かずに池田は請け負った。

「……アンタ、格好良いなァ」思わず、京太郎は微笑んだ。

 

 池田が唇を尖らせた。

 

「そこはせめて、可愛いといえ」

 

 

 ▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 14:30

 

 

 結局、京太郎は自ら友人たちに断りを入れる羽目になった。みな納得が行かない顔つきで、しかししょうがないと京太郎を見送ってくれた。京太郎にしても今に至る経緯がよくわからないのだから、かれらにすれば当然面白くない事態のはずである。それでも、皮肉を口にするものは一人もなかった。つくづく友人に恵まれたと、京太郎は心底感謝した。

 問題は帰路である。手持ちの金で地元に帰ることは出来ても、駅からは親に出迎えを頼む必要があるだろう。胸中叱責を買う覚悟を固めると、かれは大きく背伸びした。

 

(さて――)

 

 京太郎の変心を、月子は素直に歓迎した。南浦は納得行かない顔つきだったが、元より予定に沿うだけなのである。少年少女ら五人は、再び卓についた。

 

4回戦

東一局 ドラ:{八}

【南家】花田 煌       :25000

【西家】石戸 月子(京太郎) :25000

【北家】南浦 数絵      :25000

【東家】池田 華菜(親)   :25000

 

 前半戦最後の半荘の、起家は池田である。京太郎の真後ろにぴったりと陣取った月子は、か細い声で囁いた。

 

「まずは、あの娘の勢いを止めないとね」

 

 3回の半荘を追えて断然トップである池田を、月子はやはり重視しているようだった。

 

 東一局 ドラ:{八}

 配牌

 京太郎:{七七八九②③⑤⑧124西西}

 

(三向聴)

 

 順子に偏っているものの、軽い手だ。自風を早い巡目で叩くことが出来れば、そうそう遅れは取らない牌姿である。逆説的に、自風の入りが滞った場合急所になりかねない。

 

 東一局 ドラ:{八}

 1巡目

 京太郎:{七七八九②③⑤⑧124西西} ツモ:{⑧}

 

 打:{1}

 

 1巡目の打牌選択に遅滞は無かった。定石どおりの手順である。月子はこの種の切り出しで変に工夫することは一切無い。

 しかし2巡目、月子の指示が妙な箇所で止まった。

 

 東一局 ドラ:{八}

 2巡目

 京太郎:{七七八九②③⑤⑧⑧24西西} ツモ:{一}

 

(――あん?)

 

 {一萬}引きである。塔子にすらならない牌で、ドラ関連牌でもない。現在の牌姿で自摸切りに迷うような牌ではない。

 

(そのはずだ)

 

 と、京太郎は思う。だが不安感は拭えない。また、月子が持つ霊感めいた何かが、京太郎の指運に背くのかもしれない。そっと伺うと、月子の目線は{七萬}へ触れている。

 

(おいおい。そいつは――)

 

 ありえない。と、京太郎が思った矢先、

 

「そんなばかな」と、月子がいった。笑っているようだった。「打{一萬}」

「……ああ」

 

 打:{一萬}

 

 そして同巡、下家の南浦から{西}が出た。当然、月子は副露を指示した。京太郎も否とはいわなかった。

 

「ポン」

 

 東一局 ドラ:{八}

 2巡目

 京太郎:{七七八九②③⑤⑧⑧24} ポン:{西西横西}

 

「打{⑤}」

 

 月子は赤牌の重なりよりも、{七萬}と{八萬}(ドラ)のくっつきを重視した。どちらも完全一向聴へ向かうため、手順として不自然な箇所はない(打{七萬}とした場合、塔子の{②③}と受け入れが重複する。それを嫌った可能性もある)。京太郎も違和感なく{⑤}を切り出した。

 

 打:{⑤}

 

 そして3巡目、

 

 東一局 ドラ:{八}

 3巡目

 京太郎:{七七八九②③⑧⑧24} ポン:{西西横西} ツモ:{3}

 

(速い……)

 

 あっさりと嵌{3}を自摸り、京太郎は聴牌を果たした。余計な仕草は気配を悟られかねないため、かれもあえて月子を窺いはしない。ただ、当然のような顔をしていることは想像がつく。

 

 打:{七萬}

 

 その後の展開に、大きな山や谷はなかった。最速の聴牌を入れた月子(京太郎)が、次々巡にあっさりと自摸和了を果たしたのみである。

 

 東一局 ドラ:{八}

 5巡目

 京太郎:{七八九②③⑧⑧234} ポン:{西西横西} ツモ:{①}

 

「500・1000」

 

4回戦

東一局

【南家】花田 煌       :25000→24500(-500)

【西家】石戸 月子(京太郎) :25000→27000(+2000)

【北家】南浦 数絵      :25000→24500(-500)

【東家】池田 華菜(親)   :25000→24000(-1000)

 

 

 ▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 14:36

 

 

4回戦

東二局 ドラ:{①}

【東家】花田 煌(親)    :24500

【南家】石戸 月子(京太郎) :27000

【西家】南浦 数絵      :24500

【北家】池田 華菜      :24000

 

 

 続く東二局の配牌を見て、京太郎は嘆息した。

 

(この配牌……)

 

 東二局 ドラ:{①}

 配牌

 京太郎:{三三[五]六①①④⑥⑧⑧中東東}

 

(また翻牌が対子で入っていやがる)

 

 まだ類例を十分に積み重ねたわけではないにしても、なかなか良く出来た『偶然』だと言わざるを得ない。面子は少なく索子の受け入れも皆無だが、風向き次第で容易に満貫が見えている。{赤⑤}でも引いて更に{①}(ドラ)を重ねれば跳満手である。

 が、

 

「――あら。まいったわ」

 

 京太郎の感想に反して、肩口からは渋い声が上がった。息衝きとともに、「上家のアガり番ね」と月子は続けた。

 

 東二局 ドラ:{①}

 1巡目

 花田:{■■■■■■■■■■■■■}

 

 打:{①}

 

 劈頭からの{①}(ドラ)打ちに、やにわに場に緊張が走った。次ぐ京太郎の自摸は{二萬}引きである。

 

「打{中}」と月子はいった。

 

 打:{中}

 

「――ポン」南浦が即座に仕掛けた。

 

 東二局 ドラ:{①}

 1巡目

 南浦:{■■■■■■■■■■} ポン:{横中中中}

 

 打:{東}

 

(鳴くか?)

 

 指先でラシャを叩き、京太郎は月子の注意を引いた。月子は無反応だった。

 

(鳴かないのか――)

 

 池田が牌山へ手を伸ばす。その様を、京太郎は軽い驚きと共に見送る。

 月子の呼吸が浅い。京太郎は釣られるように息を潜めて、他家の打牌に眼を凝らす。かれは巻き込まれて座る身である。いわば月子の腕や手でしかない。それは自覚しているが、だからといって得るものもなく漫然と時間を費やすのでは、心情を枉げて卓を囲んだ意味が無い。

 

 東二局 ドラ:{①}

 1巡目

 池田:{■■■■■■■■■■■■■}

 

 打:{⑨}

 

 池田の打{⑨}を一瞥して、花田がゆっくりと動き始める。

 

「ふぅ――」

 

 東二局 ドラ:{①}

 2巡目

 花田:{■■■■■■■■■■■■■}

 

 打:{東}

 

 三家の注視に晒されて、親の花田が打った牌は連風牌の{東}であった。

 もはや、疑いようも無い。

 ――花田に本手が入っている。

 

(おいおい。怖えな)

 

 そして四巡目、よどみの無い動作で花田から立直の発声が掛かった。

 

 東二局 ドラ:{①}

 4巡目

 花田:{■■■■■■■■■■■■■}

 

 打:{5}

 

 捨牌:

 {①東1横5}

 

「リーチっ!」

 

(これは――高いぞ)

 

 京太郎は嘆息する。花田の手牌を類推するまでもない。読めるはずなどない。戦って抗える可能性は零ではないが、それならば2巡目の{東}を叩いていただろう。月子の言動から、彼女にはこの局で和了を目指す意思がないことは察せられた。

 

「とりあえず、安全牌片っ端から切っていけばいいか」京太郎はいった。

「とうぜん、ベタオリでよろしく」

「安全牌が無くなったらどうすればいい?」

「お手上げ」月子は笑った。「でも、そんな心配は要らないんじゃない?」

 

 ここまで、月子の予想は大方外れていない。それは今回も同様だった。浅い巡目の親立直に対して、立ち向かうだけの陣容が揃っているものは皆無だった。月子に続いて、全員が安全牌を手出しした。しかし――。

 

「ツモっ」

 

 花田は難なく自摸和了した。

 

 東二局 ドラ:{①} 裏ドラ:{1}

 7巡目

 花田:{白白白1234[5]67899} ツモ:{3}

 

「……裏がついて、8000オールです!」

 

「それは余計よ……」月子がちくりといった。「240Z(ニイヨンマルゼット)かあ……」

「え、なんですかそれ」花田が首をかしげた。

「おっさんくさいなお前」池田は呆れつつ、単語の意味は知っているようだった。

「お、おっさんくさいんだ……」南浦は人知れず、目を逸らしていた。

 

4回戦

東二局

【東家】花田 煌(親)    :24500→48500(+24000)

【南家】石戸 月子(京太郎) :27000→19000(-8000)

【西家】南浦 数絵      :24500→16500(-8000)

【北家】池田 華菜      :24000→16000(-8000)

 

「……さて」と、点棒を供出した月子が呟いた。「それじゃあ、巻いていきましょうか」

 

 月子の言葉に嘘は無かった。3回戦と同じく、彼女は勝気を見せず、局を消化することに注力を始めたのである。東一局2本場、前場に引きずられた各人が打点を求める最中、月子は容易に自風を鳴いて手を進めた。一馬身抜き出た月子を引き止めることは、その場の誰にもできなかった。

 

 東二局一本場 ドラ:{⑨}

 8巡目

 京太郎:{[五]五七九②②②345} ポン:{横南南南} ロン:{八}

 

東二局一本場

【東家】花田 煌(親)    :48500

【南家】石戸 月子(京太郎) :19000→21300(+2300)

【西家】南浦 数絵      :16500→14200(-2300)

【北家】池田 華菜      :16000

 

 東三局では、フォームを修正した池田が追随した。月子の鳴きに対抗する形で、彼女も役牌を叩いたのである。捲りあいは池田に軍配が上がったものの、和了形は安目であった。

 

 東三局一本場 ドラ:{東}

 11巡目

 池田:{二三四五六七八九南南} ポン:{中横中中} ツモ:{四}

 

「……1000・2000だな」池田は肩をすくめた

 

 満貫まで伸びる手を、3900に削ることに成功して、月子はほくそえんだ。

 

「なるほどね」と月子は上機嫌でいった。「毎度毎度高目を引くわけじゃないってこと」

 

東三局

【北家】花田 煌         :48500→47500(-1000)

【東家】石戸 月子(京太郎)(親):21300→19300(-2000)

【南家】南浦 数絵        :14200→15200(-1000)

【西家】池田 華菜        :16000→20000(+4000)

 

 続く東四局でも、月子が終始ペースを握った。花田は安手で場を進めるため、南浦、池田は点差を縮めるために、牌の絞りを緩めざるを得ない。役牌が出れば月子は叩く。月子が叩けば手が進む――点差を考慮せずひた走る月子を防ぐのは至難の技である。

 また、月子を除く三人の中で、その種の場況に合わせた打ち回しにもっとも長けているのが花田であった。その花田は月子の上家であり、彼女と月子の利害が一致している以上、実質月子の早和了を止める手立てはなかったといえる。

 

 東四局 ドラ:{1}

 5巡目

 京太郎:{一一⑥⑦⑧[5]67東東} ポン:{横北北北} ツモ:{東}

 

「1300・2600……」

 

東四局

【西家】花田 煌         :47500→46200(-1300)

【北家】石戸 月子(京太郎)   :19300→24500(+5200)

【東家】南浦 数絵(親)     :15200→12600(-2600)

【南家】池田 華菜        :20000→18700(-1300)

 

 南一局、池田に回った最後の親番でも、月子の姿勢は一貫していた。打点は度外視して、ひたすら先行する。池田・南浦の両名に手が入っていると見るや、翻牌を放出して花田の手を進める。

 

「ツモですっ。2000・4000っ!」

 

 南一局 ドラ:{③}

 13巡目

 花田:{45[5]5666} ポン:{發發横發} ポン:{99横9} ツモ:{3}

 

南一局

【東家】花田 煌         :46200→54200(+8000)

【南家】石戸 月子(京太郎)   :24500→22500(-2000)

【西家】南浦 数絵        :12600→10600(-2000)

【北家】池田 華菜(親)     :18700→14700(-4000)

 

 石戸月子は、合理的な打ち回しに徹していた。趣向の違いはあれど、その観察眼はなるほど達者には違いない。

 京太郎も認めざるを得なかった。石戸月子は、ただ速度だけを重んじた打ち手ではない。鳴いて手を入れて和了するだけの打ち手でもない。彼女はもっとも効率的な打法を選択しているだけだ。

 

「ロン。――7700よ」

「あうっ」

 

 南二局 ドラ:{一}

 8巡目

 京太郎:{一一七七} チー:{横⑦⑧⑨} ポン:{②②横②} ポン:{南南横南} ロン:{七}

 

南二局

【東家】花田 煌(親)      :54200→46500(-7700)

【南家】石戸 月子(京太郎)   :22500→30200(+7700)

【西家】南浦 数絵        :10600

【北家】池田 華菜        :14700

 

(巧いんだろう。強いんだろう――おれよりかは、ずっと)

 

 京太郎は、月子の思考に自分を重ねる。論理ではなく傾向と呼吸で、月子が動くタイミングを予測する。(おまえは麻雀の何をわかってるんだ?)と、かれの内側で声が反響する。

 

(てんでわかんねえ。まるで何もわかんねえ――そもそもこれが麻雀なのかもわかんねー)

 

 眼下で摸打が流れていく。かれは月子の視線を追う。月子の目は常に山と河に向いている。彼女が入れる副露の法則性を、やがて京太郎は見出す。

 かれは、池田の言葉を思い返す(「ツモ牌相を弄って副露して筋をずらして加速、みたいなやつ?」)。

 月子の鳴きは、確かに池田が言う規則に遵っている。

 

 ――牌山は南(B)・西(C)・北(D)・東(A)という四種の筋を持っている。これを仮に『道』とする。たとえば南一局において、西家である月子の『道』はCである。大前提として、月子は自分本来の『道』では早い和了ができないと考えている。それはほとんど信仰に近い思い込みである。彼女にとっての麻雀は、だから鳴いて己の『道』を転換させることから始まる。

 

 麻雀における副露とは、他家の不要牌を食い入れる術であると同時に、鳴いた他家の自摸筋を『喰う』術でもある。Bの『道』からチーもしくはポンを行えば、同巡月子の『()』は下家に送られ、次巡以降(他家の副露が入らないかぎり)月子は上家の『()』を進む。下家()対面()に対してポンを行った場合も同様である。

 

(つまり)と京太郎は黙考する。(上家に対するポン・チーは、下家に自分の自摸筋を押し付ける。下家からのポンは逆に、上家に自摸筋がいく。対面の場合は対面と自分の自摸筋の交換になる。月子(こいつ)はとにかくそれをしようとする。で、なぜかわけわからんくらいよく役牌が対子になってる――)

 

 では、乗り換えた元々の『道』へ戻ることを、月子は忌避しているのかというと、

 

(それが、そうでもないみたいなんだよなァ)

 

 のである。

 まるで、と京太郎は思う。

 

(悪いモノを、一度人に感染(うつ)したら、それが悪くなくなった――みたいな感じだ)

 

「須賀くん」と、月子が呼んだ。

 

「あ?」不意に話しかけられて、京太郎は我に返る。「あ、なんだ。鳴くか?」

「えっと、そうじゃないけれど――その」珍しく、月子が言いよどんだ。「なんだか、急に喋らなくなったみたいだから、どうしたんかやって」

「お、方言」耳ざとく聞きとがめて、京太郎は口元を綻ばせた。

「どうしたの()()()って思って!」屈辱の色を顔に浮かべて、月子は言い直した。「ふかくだわ……忘れて頂戴」

「なんか、女子って方言いやがるよなァ」と、京太郎は微笑んだ。「べつに、なんでもねえよ。ただ――」

「ただ?」

「勉強させてもらってただけだ」

 

 そして、四回戦の帰趨を占う南三局が始まった。

 追い上げてきたのは、やはりというべきか、池田華菜である。先行して聴牌を入れた月子を見事にかわして、池田は花田から跳満を出和了りした。

 

 南三局 ドラ:{五}

 8巡目

 池田:{四五[五]五③④⑤233445} ロン:{六}

 

 池田の手牌を見た月子が、諦観の混じった笑みを浮かべた。

 

「いい加減しつこいわよ、あなた」

 

 池田も笑って、月子に応じた。

 

「それが信条だし」

 

南三局

【東家】花田 煌         :46500→34500(-12000)

【南家】石戸 月子(京太郎)(親):30200

【西家】南浦 数絵        :10600

【北家】池田 華菜        :14700→26700(+12000)

 

 花田の放銃によって迎えた最終局(オーラス)で、場は急激な収束を見せた。現在一位の花田は和了トップが条件。続く二位の月子は2600以上の出和了か、3900以上の自摸和了が条件。追い上げる池田は花田からの3900出和了か、満貫自摸和了が条件。形勢厳しいラス目の南浦は、出和了ならどこから出ても倍満、自摸なら跳満以上がトップ条件である。

 

 各自必勝を期して体勢を整えたものの――。

 

「……ツモだ」と、京太郎はいった。

 

 やはり、石戸月子だけが勝利を目指していなかった。

 

「300・500ね。――ラストです」

 

 南四局(オーラス) ドラ:{3}

 6巡目

 京太郎:{一一二二三三⑥⑦⑧⑨} ポン:{白白横白} ツモ:{⑨}

 

「そっ、んな、ゴミ手で……」月子の手を見た南浦が、何かを口に仕掛ける。「一手で、チャンタへの張替えもあるのに――」

 

 が、それは一瞬のことだった。深々とため息をついて、彼女も点棒を吐き出した。

 

「……まいりました。ヤキトリです」

「あら――それは運がなかったわね」意外にも、月子の声に勝ち誇る響きは無かった。「とりあえず、ダンラスの汚名は返上させてもらうわよ」

 

南四局(オーラス)

【東家】花田 煌         :34500→34200(-300)

【南家】石戸 月子(京太郎)   :30200→31300(+1100)

【西家】南浦 数絵(親)     :10600→10100(-500)

【北家】池田 華菜        :26700→26400(-300)

 

四回戦

南四局(終了)

花田 煌         :34200

石戸 月子(京太郎)   :31300

南浦 数絵(親)     :10100

池田 華菜        :26400

 

結果(4回戦終了)

花田 煌      :+22.2(小計:-  6.1)

石戸 月子(京太郎):+ 1.3(小計:- 46.5)

南浦 数絵     :-19.9(小計:- 46.9)

池田 華菜     :- 3.6(小計:+ 99.5)

 

「いい感じだわ」と、月子がいった。「3半荘もかけてしまったけれど、ようやく体勢が整ってきた気がする」

「流れが戻ってきたって?」月子の言を聞き、京太郎は半畳を入れた。

「信じられない?」月子は悪戯っぽく微笑んだ。

「いや」京太郎は首を振る。「だったらそろそろいいかなって思って」

 

 とたん、隣の少女は興ざめした顔を見せた。

 

「なによ。また帰るとか止めるとか言うつもり? いい加減納得しなさいよ。男の子がみっともない――」

「いや、いや」京太郎は重ねて首を振った。「それをいうつもりは、もうねーよ。ただ、おまえに頼みたいことがあるだけ」

「頼み?」月子が目を瞬かせた。「須賀くんが、わたしに? なによ。ことわっておくけれど、エッチなことは駄目よ」

「誰がするか」京太郎はにこやかに月子の言を切って捨てた。「簡単なことだよ」

「だから、なんなのよってば」

 

「おれと、打ってくれ。おれと、勝負しようぜ」

 

 と、かれはいった。

 




2012/8/13:脱字修正
2012/8/26:サブタイトル修正
2012/9/1:誤字修正
2013/2/18:牌画像変換

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