4.なつのひ(前)
▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:20
(麻雀は、楽しいのか)
須賀京太郎は、あの公民館での出来事以来、絶え間なく自問を続けている。
楽しいことならば他にいくらでもある、とかれは思う。授業でさえ退屈以外の娯楽を見出すことは可能だ。ただそれらの娯楽が、京太郎が生来囚われている
それは趣味の限界でもあった。京太郎は何かに心底打ち込んだという記憶がない。これ以上はないというほどの努力や、それでも届かない世界を体験していない。
本質的な勝負を、少年は知らないまま生きてきた。
世にいういわゆる博打狂いが身を持ち崩す理由は、まさにこの『勝負』にあるといわれている。かれらは勝ちや負けそのものを重視していない。『勝負』という非日常の概念に耽溺しているだけであると、そういう考えである。
路傍にたやすく破滅の転がる、それは暗夜の行路である。獣道に踏み入った多数の人間は、道行く内、ある日ふと気づく――積み上がった敗北の負債の高さに。すると急に人の心を取り戻す。いままでに自分が失ったものを数え始めるのだ。しかしすでに、そこは人の
一方で、勘所のあるもの、幸運に恵まれたものは、欲するままに刺激を求めてさらに
須賀京太郎という少年にとって、博打は非常に甘い毒だった。麻雀という遊戯の楽しさを問いながらも、彼は週末までの日々を寝る間も惜しんで向学に費やしていた。役、符計算、受け入れ枚数、牌効率――覚えるべきことは汲めども尽きず、身についたこととなるとほとんどない。
だが学ぶことを止められない。
その時点で、京太郎は中毒していたのだ。
だが、かれが一般の博打打ちと異なる点がある。
かれが麻雀に求めるのは『勝負』ではないのである。
人と、場と、牌。いくらかの技術と運勢に翻弄されながら、牌の譜面を織り編む美しさ。
収束すべき確率と、局地的に
麻雀が持つ要素そのものが、京太郎をひきつけて止まなかった。
(おれは、こいつを、楽しいと思っているのか――)
友人の母の車に乗って、連れられてきた施設はなるほど快適だった。驚くべきことに屋内には軽食スペースもあり、子供らの保護者はめいめいテーブルで茶を喫している。事前情報通り、小学生から中学生の少年少女が主な客層のようで、講師と思しき数人の感じがいい大人たちが、卓ごとに直接指導を行っていた。
全自動雀卓の利便性も始めて知った(京太郎の実家には手積みの牌すらなかったため、ここ数日はノートの切れ端で牌を作って学習していた)。確かに便利で、効率的にゲームを消化するうえではこのうえない道具だと思った。ただ京太郎個人の趣向としては、手積みのほうが好みだと感じた。
6人で連れたって来た京太郎たちは、4:2に分かれた。京太郎は前者のグループに属し、後者は初見の子供・講師と卓を囲んでいる。セットではない場合には、揉め事が起きるリスクを少しでも下げるため、講師が同席する決まりになっているらしい。よく考えているものだと京太郎は感心した。
早速打ち始めた卓は、小場とも荒れ場ともつかない状況だった。他の3人はさすがに生涯3度目の半荘である京太郎よりは慣れた手つきではあったが、公民館で出会った二人のプロは元より、テルといったあの少女よりも拙い打ち回しである。
(たぶん、あっちがおかしいんだ)
とはいうものの、京太郎自身の腕は初心者の域を脱するものではない。ずば抜けて、というわけではないものの、小刻みな放銃が続き、ラス目のまま南入した。
次局に親番を控えた南二局、
南二局
13巡目
{京太郎:二三四六七八②③23456} ツモ:{[5]} ドラ:{④}
苦労に苦労を重ねて、京太郎に総捲りの勝負手聴牌が入った。
打:{6}
立直を掛けて
恐らく{④}はすでに山には残っていないか、残っていても一枚と京太郎は睨んだ。一方で{①}は場に一枚切れである。また、なぜか友人たちは無筋でもよく一九牌を切り出すので、狙いごろではあった。
重ねた全てが崩れる{①}引きを前提にしているのであれば、立直もよかった。ただ既に巡目は深く、おまけに下家は筒子と索子の中張牌をバラ切りして露骨に萬子の染め手気配を発している。2000点がせいぜいの手に蓋をして、満貫の向こうを張る気にはなれない。
そして、次巡、
南二局
14巡目
{京太郎:二三四六七八②③2345[5]} ツモ:{一} ドラ:{④}
「――」
序盤で切った{一萬}を、京太郎は引き戻した。教本で読んだ単語が頭を過ぎった。三色と一気通貫の両天秤である。
{五萬}は生牌、{九萬}は一枚切れの場である。迂回した場合聴牌が崩れることになるが、京太郎に迷いはなかった。
(どのみち{一萬}は切れない)
打:{③}
南二局
15巡目
{京太郎:一二三四六七八②2345[5]} ツモ:{九} ドラ:{④}
今度は、迷う必要はなかった。
「立直」
打:{②}
「京ちゃんまじで!」
「うっわ、安牌ないよ!」
「おれトップだけどぶっこんでいい!?」
友人たちは、ノーマークだった京太郎から放たれた両面落としの立直に対し、楽しげにそれぞれコメントした。こいつらは気楽だな、と呆れる一方で、京太郎の胸に暖かいものがこみ上げる。
疑う理由はなかった。
これもまた、麻雀が持つ楽しさの一つに違いはない。
ひりつくような刺激だけが、この奥深い遊戯の特徴ではないのだ。
(学ぼう。楽しいかどうかはわからないけど)
南二局
16巡目
{京太郎:一二三四六七八九2345[5]} ツモ:{④} ドラ:{④}
「……はっ」
打:{④}
裏目の
おいおい小僧、おまえはいったい何を読んだ気でいるんだよ。おまえは麻雀の何をどれくらい知ってるっていうんだ? まさか流れだとかそんなもんを感じたとでもいうつもりか――。
誰も牌を倒さなかったのは、単なる僥倖だ。京太郎は照れくさい気分で、流局を待った。
が、
南二局
17巡目【海底】
{京太郎:一二三四六七八九2345[5]} ツモ:{[五]} ドラ:{④ }
「……これなら、符計算できなくてもわかるな」
なんだかいいように遊ばれている気分になりながら、京太郎は牌を倒した。
「自摸」
裏ドラ:{五}
「4000・8000」
(学ばせてもらおう――)
京太郎は人生で初めて、麻雀の勝利を経験した。
▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:25
南一局
花田 煌(親) :20600
石戸 月子 :38200
南浦 数絵 : 6900
池田 華菜 :34300
(露骨に風向きが変わった)
と、月子は胸裡で独語する。花田煌が
胸にいつも蟠る不快感が、いや増すのを感じた。
(何がやりたいんだか知らないけれど――)
南一局
配牌
{月子:一一八九③④⑥⑦357南南} ドラ:{⑤}
(断ラスは静かに息を潜めていればいいのよ。大人しく死んでいなさいよ)
月子は意識を対面へ注ぐ。
(わたしとこの娘の勝負に、割り込むんじゃないわよ――)
池田華菜は、理牌もせずにじっと牌姿を見つめていた。恐ろしい程に直向きな瞳は、心底本気で自ら手の行く末を案じている。
花田煌は、慎重な面持ちで第一打を切り出した。興奮にやや膨らんだ鼻腔が、彼女の牌勢を物語っている。それは別段、構わないと月子は思う。ただ、何よりも花田の顔つきが月子の癇に障る。
楽しくてしかたがないといった風情の少女の模打は、月子の機械的なそれとは正反対の雀風である。そしてそれは花田に限ったことではなく、池田も南浦も同様だった。
彼女らはそれぞれ、この対局を楽しんでいるのだと月子は思った。
不公平だと感じた。
(わたしは――わたしが、麻雀を楽しいと思ったことなんて、いつが最後なんだろう)
すぐに思い出せるほど近い過去では、間違いなくない。
南一局
1巡目
{月子:一一八九③④⑥⑦357南南} ツモ:{①} ドラ:{⑤}
打:{①}
――誰も彼も、老若男女の別もなく、たかが絵合わせに本気になる。
月子はその事実を滑稽だと思う。思いながらも、自分もまたその同類に過ぎないことを知っている。それが彼女はもどかしい。自分に何か才能と呼べるものがあって、それが人生を照らす光に成りうるのであれば、何もそれは麻雀なんかの才能でなくてもよかったのだ。
南一局
1巡目
南浦:{■■■■■■■■■■■■■■} ドラ:{⑤}
打:{南}
「えっ」
花田が小さく声をあげた。
「ポン」
もちろん間髪いれずに月子は鳴いた。
南一局
1巡目
{月子:一一八九③④⑥⑦357} ポン:{南南横南} ドラ:{⑤}
打:{九萬}
月子の麻雀は異風である。
たとえば、彼女が鳴けば、それは向聴への加速となる。
他家の自摸筋には、自身の有効牌の鉱脈が眠っている。
そして他家の手は絶好の配牌となる替わりに、その余剰牌が月子にとっての有効牌となる。
むろん、まともに統計を取ったうえでの事実ではない。確率や常識に反する事象である以上は、ただ感覚的に
この「傾向」に最初に気がついたのは父と兄で、どうしても麻雀に勝つことができなかった幼い時分の月子は、それで才能を開花させた。
「晒せよ、月子」と父、新城直道は月子にいったものだった。「手牌は心と体そのものだ。そいつを場の目に晒して初めて、おまえは場に参加できるんだ。チップ一枚多めに払う代わりに、神様はおまえにちょっとした恵みをくださってるってわけだ――」
南一局
1巡目
{池田:■■■■■■■■■■■■■■} ドラ:{⑤}
打:{北}(手出し)
南一局
2巡目
{花田:■■■■■■■■■■■■■■} ドラ:{⑤}
打:{發}(手出し)
南一局
2巡目
{月子:一一八③④⑥⑦357} ポン:{南南横南} ツモ:{七} ドラ:{⑤}
(裏目――っ)
打:{七萬}(自摸切り)
河に牌を置いた瞬間、奇妙な感触が月子の背中を滑り落ちた。
それが手拍子の処理に対して指運が鳴らした警鐘だと感得するには、月子は様々な意味で未熟に過ぎた。
月子の麻雀は単調である。副露をすれば手が入る。その速度は対局者にとって脅威でしかない。
ただそれだけに、序盤における牌の捌きに熟慮することも少なかった。振聴を嫌って両面を払ったこの一手は、彼女にとって絶対のアドバンテージを自ら手放す結果となったのである。
南一局
3巡目
{月子:一一八③④⑥⑦357} ポン:{南南横南} ツモ:{六} ドラ:{⑤}
(……まず)
ここで初めて、月子は前巡の失着に気づいた。つとめて表情を殺しても、顔面に血が集まることは避けられない。河に並んだ{九・}{七萬}の並びと手牌に孤立した{八萬}が、月子を咎めているようだった。
打:{八萬}
やや強い打牌に、対面の池田が顔を上げた。勝気な瞳と、月子の眼差しが交錯する。その顔がもの言いたげに思えて、「なによ」と、月子はけんか腰で呟いた。
「べつに」と、池田はいらえる。「自分の摸打じゃなくて、それをあたしらに見られることのほうがこたえるって顔してたからさ。それは違うんじゃないのっておもっただけ」
月子は答えなかった。池田の言うことはもっともだと思ったからだ。
過誤は勝つことでしか挽回できない。
であれば、月子がすべきことは弁解ではない。
南一局
4巡目
{月子:一一六③④⑥⑦357} ポン:{南南横南} ツモ:{[⑤]} ドラ:{⑤}
(わかってんのよ、あなたの言うことくらい)
打:{六萬}
しかしその後、5・6巡目と、月子は自摸切りを繰り返す結果となった。序盤の失策は月子の足を止め、その遅滞は、当然ながら手が入りやすい状態に仕組まれている他家に利する。
焦燥と共に迎えた7順目、
南一局
7巡目
{月子:一一③④[⑤]⑥⑦357} ポン:{南南横南} ツモ:{6} ドラ:{⑤}
(和了逃がしだけど――最高の入り目でもある。ここは前向きにとらえましょう)
打:{3}
聴牌気配を殺すように、静かに牌を河へ置く。目線は固定して動かさない。ただ精神だけを下家の南浦へ志向させる。
捨牌
南浦:{( 南 )①②北89⑨}
(打ち込んでみなさいよ。7700にまけてあげるから)
南浦が山へ手を伸ばす。
(打ち込んでしまいなさいよ――)
▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:28
(どれだけそっと牌を置いたところで)
南場特有の高揚感に浮かされるように、ただ思考だけは冷静に、南浦数絵は山から牌を自摸る。
(たった今聴牌しましたって声が、うるさいくらいに聴こえてる)
親指が牌の表面をなぞった瞬間に、痺れるような感覚が数絵の項から首筋を走りぬける。
南一局
7巡目
南浦:{四五六④④⑥⑦⑦⑦1156} ツモ:{4} ドラ:{⑤}
(空気読め――とでも言いたいんでしょうけど、麻雀は四人でするものなんだから)
――数絵は南場の女である。
それは、彼女が尊敬する祖父から受け継いだ資質であった。
(私はまだまだ、全然弱いけど、たぶんこの中でいちばんへただけど――数合わせでなんか、終わらないんだから)
石戸月子が鳴くたびに手を加速させるように、数絵もまた、南場において牌勢が奔る「傾向」を持っている。それは単純に、前半は見に回、消極的に回す癖がついているだけかもしれない。あるいはジンクスのせいで南場を待望するあまり、東場の集中力が疎かになっているだけかもしれない。
しかし、どちらでも数絵には関係がない。
彼女にとり、重大事はひとつきりだった。
打:{④}
(――こっちを、見ろ!)
祖父の
「立直」
▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:29
南一局
7巡目
{池田:一九④⑨19東南西西北白發} ツモ:{中} ドラ:{⑤}
捨牌:{北一九②二6}
「……」
打:{④}
▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:29
(いまなんだか、ぞわっときたような……)
ノータイムで{④}を手出しした池田に横目を送って、花田は吐息した。
南一局
8巡目
{花田:②②②③④⑤⑧⑧⑧東東中中} ツモ:{①} ドラ:{⑤}
彼女にもまた、勝負手が入っていた。面前で自摸りインパチ、立直を掛ければ親倍が見える手である。しかし、聴牌気配の
(最後の親だしこの手だし、打点的に考えたら普通に押すべきなんですけどねえ……こうあからさまに
{④}を切ってとりあえず迂回するとしても、その後の牌が通る保障はない。しかし、花田は、
打:{④}
とした。普通の打牌選択でないことは、花田も自覚していた。ふだんの自分であれば、10回打って10回とも聴牌維持を選ぶ自信がある。しかし、この日ばかりは――この卓ばかりは、どうにも根拠のない直感に逆らうべきではない気がしていた。
(がまんがまん、がまんがまん……)
花田が抑えたこの{①}により、池田へほぼ傾斜しきっていた趨勢がまた揺らぎ始めた。
▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:30
(他家は降りた)
南一局
8巡目
月子:{一一③④[⑤]⑥⑦567} ポン:{南南横南} ツモ:{東} ドラ:{⑤}
引いたのは生牌の{東}であった。通る目算など、無論ない。
打:{東}
(わたしは降りない)
ためらいもなく、無言で自摸切った。当たるはずがないと決め込んでいた。根拠はなかった。祈念に近いのかもしれなかった。麻雀を打つもの特有の感覚に、月子は背中を押されていた。
(わたしが勝つ)
強打に被せるように、下家の指が月子の眼前を過ぎる。
きれいな指だな、と月子は思う。
南浦数絵の自摸の軌跡は直線状だった。
弓を引き矢を放つように、腕は山と手とを行き交った。
――
「ツモ」
南一局
8巡目
南浦:{四五六④⑥⑦⑦⑦11456} ツモ:{[⑤]} ドラ:{⑤}
「立直、一発、自摸、面前三色、赤1ドラ1。――裏は、なし。3000・6000です」
南一局
花田 煌(親) :20600→14600(- 6000)
石戸 月子 :38200→35200(- 3000)
南浦 数絵 : 6900→18900(+12000)
池田 華菜 :34300→31300(- 3000)
(そんな待ちで……)
露にされた南浦の嵌{⑤}待ちを見、月子は歯を噛み鼻腔から憤りを漏らした。揶揄を口に仕掛けて、止める。確率云々の言いがかりなど、それを弄ぶ自分が口にしていいことではない。
どんな待ちでも、枯れていない限り引く可能性は零ではない。
そして、南浦は引きの一点において月子を凌駕した。
それだけの話である。
「そこ引いちゃいますか……」花田が苦笑気味にいった。
(わかるわ、その気持ち)
ほんの少しだけ上家に同感して、月子は牌を伏せる。
花田の発言は南浦と月子、両者へ向けた言葉であるのだが、伏せられた牌姿の未来は、永遠に問われることもない。月子には、自分が紙一重で生き延びたことなど知る由もなかった。
「さぁ……、次、行きましょう」
2012/7/29:誤字修正
2012/9/1:誤字修正
2013/2/18:牌画像変換