ばいにんっ 咲-Saki-   作:磯 

4 / 45
3.ふめないかげとライオンのあくび

3.ふめないかげとライオンのあくび

 

 ▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 09:56

 

 席に着くや、春金は四人を相手に細かいルールの説明を始めた。4翻30符は子が7700、親が11600で計算する。流し満貫は他家に鳴かれなければ自分は副露しても成立する。四風連打、四開槓、九種九牌、三家和、四家立直は東南問わず流局するが親は流れず一本場として扱う。大三元、大四喜については(パオ)を採用する。錯和(チョンボ)は満貫払いで親流れはしない。暗槓への槍槓は国士無双のみ成立する。若干珍しいところでは、大明槓後の和了については責任払いとなる、というものがあった(状況が限定的過ぎてまず見られそうに無いな、と月子は思った)。

 そして、赤牌は四枚用いる。具体的には、{⑤}で2枚、{五}、{5}で1枚ずつである。

 

「一発・裏・カンドラ・カン裏あり――はともかくとして、赤4枚ってどういうルールですか……。ご祝儀麻雀じゃあるまいし、そんな公式戦存在しないでしょう?」

 

 一通り話を聞いてみて、月子が引っかかりを覚えたのはやはり赤牌の扱いであった。3種3枚、1種2枚の赤牌というのは比較的人口に膾炙しているが、4枚使いはあまり耳にした覚えのないルールである。

 

「そう? まあ、点数が動いたほうが見目にも派手でわかりやすいでしょう」

「インフレ麻雀がお好みなら、割れ目にアリスもつけたら如何かしら。テレビで芸能人がやっている麻雀はそういうの多いでしょう」

「競技麻雀で割れ目は流石にねー。赤ならまだ副露の技術が問われるからさ」春金は肩をすくめる。

 

 月子は鼻を鳴らした。ルールが違えば、それはもう異なる競技となる。たとえば完全先付けのルールの場合、月子の実力は後付・喰い断ありの場合とは比較にならないほど落ち込むだろう。

 

「もしかして、赤ありのルールに慣れてませんか?」

 

 おそらく善意だけで月子に質問したのは、花田煌であった。円らな瞳を強調するように、こう提案する。

 

「なんなら、私は赤を抜いてもいいですよ。ひとりだけ不慣れなルールというのはすばらくない」

「私も、とくに気にしません」南浦が控えめに同意した。

「ああ、ごめんなさい。そういうわけじゃないの」と、月子は微笑んだ。「べつに、赤ありが苦手ということはないわ」

 

 ただ、と付け足した。

 

「このルールだと、貴女たちが何も出来ずに終わってしまうかもしれない。それがかわいそうだと思っただけよ」

『……』

「それがかわいそうだと思っただけよ」月子は繰り返した。

 

 その場に居る、月子以外の全員の心の声が唱和した。

 

(こいつ友達少なそう)

 

 そんな白眼視を、月子は意にも介さなかった(そして「少ない」のではなく皆無である)。不必要に攻撃的で口が悪いのは彼女の宿痾である。改善のための努力をしようにも、月子の身の回りにはその点を指摘する人間がそもそもいない。矯正されるはずもなかった。

 

「ま、実力の程は自分で示してちょうだい」春金が白けた空気を無視していった。「席順は今の通りで、回り親。一巡したところで場替えしてもう一回。要するに、きみたちには合計八半荘打ってもらう。その収支で競う」

「八?」月子が眉を寄せて声をあげた。「今が10時だから…途中休憩を挟むとしたら、夏でも日が暮れますけど」

「みんなの保護者には許可をとってるよ。数絵さんと華菜は泊まりだしね。月子さんと煌さんは、少しくらい遅くなっても私が送るし。……他に何か聞きたいことはある?」

「いいからさあ、さっさと始めようよ」あくび混じりに提案したのは、池田華菜だった。

 

(――この子)

 

 月子は、皮膚を舐る圧力を感知する。

 

 彼女の感覚が、不快な警鐘を鳴らす。この池田という少女は、この場でもずば抜けた存在感を放っていた。他の二人も衆人に没する域ではない。ただ池田華菜については、月子がこれまでの人生で出会った中でも、一頭地抜けているいきものである。月子が有するこの種の感性に、疑いを差し挟む余地はなかった。彼女は事実として認めた――この少女は()()である。

 

(末はスターかアイドルか――なんてガラじゃないわね。お父さん(あのひと)と同じ側の生き物だ)

 

 麻雀にとりつかれている。牌に愛されてはいないのかもしれないが、心底牌を愛している――そんな顔をしている。勝ちも負けも等しく呑み込んで、呑み込み続けて強くなる。

 池田は幼いとさえ評してよい少女だ。にもかかわらず、その覇気は卓抜している。

 

古詠()と同じ側の人だ。自分を()げたことも、そのつもりもないみたいな(かお)をしている)

 

 月子は、頭蓋の中心が急激に冷える心地を味わった。

 さして意欲も持たなかったこの対局に、やる気を駆り立てる目的が打ち立てられた。

 

「なにガンつけてきてんだよ」凝視ともいえる視線を向けられて、池田は面白げに月子を見返した。

「べつに見ていないわ」月子はあからさまな嘘をついた。

「めっちゃ見てたし」

「自意識過剰なんじゃない?」

「うわー、おっまえむかつくなァ」

 

(この子の、心を、折ってみたい)

 

 意識が先鋭化する。他家への攻撃性を隠しもせず、月子は頭も下げずに呟いた。

 

「ま、よろしく」

 

 各自が、苦笑気味に挨拶を返した。

 

▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 10:15

 

東一局

花田 煌(親) :25000

石戸 月子   :25000

南浦 数絵   :25000

池田 華菜   :25000

 

(さってと)

 

 花田煌の鋭気は充実している。月子はもちろん、他の二人とも今日が初対面である彼女だが、気負うところはなかった。麻雀のスタイルは攻より守を重く見る花田ではあるが、起親で様子見に徹するほどの堅実派でもない。

 

(このワクワク、たまりませんねっ。すばらですっ)

 

 花田は純粋に、この対局が楽しみだった。花田が通う麻雀クラブのコーチと親しいという春金清の誘いに乗って、片道一時間も電車に揺られた甲斐はある。大口を叩いた月子を初めとして、いずれの面子も地元の高遠原では中々お目にかかれない強者の風情があった。

 

 東一局

 1巡目

 花田{:四四[五]六七⑤⑥⑦⑧677白南} ドラ:{南}

 

(……これはすばらな配牌っ)

 

 三色が容易に見通せる牌姿に、花田の心は踊る。萬子はどこを引いても伸びる気配があるし、筒子も横に育てば三面の受け入れが見える。やや迷うところではあるが、花田の指は{白}に向かった。

 

 打{:白}

 

「――ポン」

 

 東一局

 1巡目

 月子:{■■■■■■■■■■} ポン:{横白白白} ドラ{:南}

 

 打{:①筒}

 

 親の第一打に対して間髪入れずに鳴きを入れたのは、花田の下家である石戸月子であった。こなれた手つきで{①筒}を切り出し、鳴いた{白}を右方に寄せる。

 

(あらら、お急ぎですか)

 

 見目にはどこのお嬢様かという風貌の月子だが、親が第一打で切り出した翻牌に対して躊躇も見せずに副露を取るあたり、少なくとも受身の麻雀ではないように思えた。単純に目先の役に飛びついただけならば危惧するには値しないが、そんな娘が大口を叩くというのも考えにくい。

 

(いきなり{南}(ドラ)が切りにくくなっちゃいましたが……)

 

 手牌の{南}に目を落とす。まだ向き先が見える段階ではないが、月子にとっては自風のドラはいかにも切りにくい。処理のタイミングが、花田にとってこの局の勘所と思えた。

 

 東一局

 1巡目

 南浦

 打:{一萬}

 

「――――ポン」

 

 東一局

 1巡目

 月子{:■■■■■■■} ポン{:一一}{横一} ポン:{横白}{白白} ドラ:{南}

 打{:南}

 

 にわかに場が緊張した。

 月子の打牌に淀みはない。やや伏せられた表情は凪いでいて、背は姿勢良く真っ直ぐと伸びている。大胆に露出した背にかかる黒髪には乱れもない。

 

(……もしかしなくても、張りましたよね)

 

 巡目は序盤も序盤であるが、卓の誰もが局面が終盤に移行したことを悟ったようだった。一九字牌は不用意に打てない。ただドラを手放した以上、よほどの配牌に恵まれたのでなければ月子の手は高くても満貫程度と推察できる。花田の方針はある程度決まった。

 

(充分高いですが、こちらも引く手じゃあないですよっ)

 

 次巡の自摸に期待を膨らませる花田をよそに、

 

「え」

 

 という声が対面で上がった。

 出所は南浦数絵である。月子の二度目の副露によって本来の北家――池田の自摸が回った彼女であるが、その手は山に伸びず、困惑した目を上家の月子に向けている。

 

「どうかした?」南浦に目を向けずに月子が問うた。「()()()()()()()()()でも見えたのかしら?」

「い、いえ。すみません」頭を下げた南浦が静かに山から牌を取る。

 

 打たれたのは手出し、そして2枚目の{南}だった。

 そしてようやくといった風情で、池田の自摸が回ってくる。

 彼女はなぜか、自らが摘んだ牌を見、笑う。

 

「ふっ」

 

 東一局

 1巡目

 池田

 打{:北}

 

(げっ)と花田はうめいた。

 

 月子は鈴を転がすような声で発声した。

 

「ロン」

 

 東一局

 1巡目

 月子{:七八九999北} ポン{:一一}{横一} ポン:{横白}{白白} ロン:{北}

 

「2600」

 

(いっかいも自摸らずにおわった!)

 

 人知れず花田は涙して、手牌を伏せた。

 

▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 10:20

 

 東一局

 1巡目(放銃後)

 池田{:三三三③③③④3377北北}

 

▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 10:20

 

東一局

花田 煌(親)  :25000

石戸 月子   :25000→27600(+2600)

南浦 数絵   :25000

池田 華菜   :25000→22400(-2600)

 

「単騎でドラに受けずに{北}ですか」

 

 と、花田は思わず口に出していた。池田の切った{北}は比較的刺さる危険度が高かったし(そして事実当たり牌ではあった)、場況を鑑みて{南}より圧倒的に出やすいかというと、そうでもない。少なくとも満貫を見切るほど差がある牌ではない、と花田は思った。

 

「ええ」月子は頷いた。「実際、そのほうが早く出たでしょう」

「そりゃそうですが……」

 

 理由はないが、ごまかされた、と花田は感じた。

 

(いわゆる勘麻雀の人なんでしょうか)

 

「まァ、アガれりゃそれが正着さ」呟いたのは直撃された当人、池田である。「そうだろ?」

 

 そうですねと言って、花田は卓のスイッチを押し込み、牌を洗った。内心には疑問が渦巻いている。

 

(石戸さんの配牌は、こうだった)

 

 月子{:一一七八九①999白白北南}

 

 受けは狭いが、面子が二つ、塔子も二つ揃った鬼手である。これであれば花田も最初の{白}は鳴いただろう。問題はその後の処理である。

 

({白}を鳴いて{①筒}切り、{一萬}を鳴いて{南}(ドラ)切り……もやもやしますね。これはすばらくないっ)

 

 実際、選択次第では跳満も見込める手だった。結果的に和了できたとはいえ、順調に手が育てば、対子に重ならない限り{南}は花田からこぼれた牌である。月子はわざと打点を落としたようにしか、花田には思えなかった。

 

(さて、たんなるラッキーなのか、それとも何か考えがあるのか……)

 

東二局

花田 煌     :25000

石戸 月子(親):27600

南浦 数絵   :25000

池田 華菜   :22400

 

(相手にとって不足なし、すばらですねっ。見極めさせてもらいましょうかっ)

 

 そう、意思を固めた矢先――。

 

「ツモ」

 

 東二局

 6巡目

 月子{:三四[五]七七②②} ポン{:東東}{横東} チー:{横2}{34} ツモ:{②}

 

「2000オール」

 

東二局0本場

花田 煌     :25000→23000(-2000)

石戸 月子(親):27600→33600(+6000)

南浦 数絵   :25000→23000(-2000)

池田 華菜   :22400→20400(-2000)

 

(見極めさせて……)

 

「ロン。2900は、3200」

 

 東二局一本場

 4巡目

 月子{:一二三②③④東東發發} チー:{横七[五]六} ロン:{發}

 

東二局1本場

花田 煌    :23000→19800(-3200)

石戸 月子(親):33600→36800(+3200)

南浦 数絵   :23000

池田 華菜   :20400

 

(見極め……)

 

「すばら立直っ」

 

 花田は気合を入れて牌を曲げる。温存していた翻牌である。

 

「ポン」

 

 月子に逡巡は皆無だった。立直宣言牌の{中}が即座に喰い取られる。

 次巡――。

 

「ロン」

「すばらっ」

 

 自摸切りした牌を見た下家が、無慈悲に牌を倒した。

 

 東二局二本場

 5巡目

 月子{:三四五③③③⑦⑧88} ポン:{横中}{中中} ロン:{⑨}

 

「1500は、2100」

 

東二局2本場

花田 煌    :19800→17700(-2100)

石戸 月子(親):36800→38900(+2100)

南浦 数絵   :23000

池田 華菜   :20400

 

(みきわ……)

 

「ツモ。2000オールは2300オール」

 

 東二局3本場

 3巡目

 月子{:③④[⑤]89南南} ポン:{白白横白}チー:{横4}{[5]6}  ツモ:{7}

 

東二局3本場

花田 煌    :17700→15400(-2300)

石戸 月子(親):38900→45800(+6900)

南浦 数絵   :23000→20700(-2300)

池田 華菜   :20400→18100(-2300)

 

(み……)

 

「ロン。11600は、12800」

 

 東二局4本場

 6巡目

 月子{:二二二三四[五]六中中中} ポン:{八八横八} ロン:{一}

 

東二局4本場

花田 煌    :15400

石戸 月子(親):45800→58600(+12800)

南浦 数絵   :20700→ 7900(-12800)

池田 華菜   :18100

 

「はい……」自噴をかみ殺した顔つきで、南浦が点棒を差し出した。

 

 

▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 10:51

 

 

 花田の戦慄は、心中、頂点に達した。

 

(やばい。速過ぎます、この人)

 

 副露の技術云々よりも、月子の配牌が良すぎるきらいがあった。翻牌を常に対子以上で抱えられては対策のしようがない。

 彼女が必ず副露する点を考慮すれば、全員が絞りに徹すれば足を遅らせることはできるかもしれない。

 

(速攻副露派の弱点は早い面前立直、とはいうものの……それがまったくないわけじゃないんですよね)

 

 問題は、異様にこちらの手が入る点にあった。配牌から一向聴や二向聴は当たり前にある。そして打点も高い。そうなると、余剰牌を切らないわけにはいかなくなる。

 

 そして、それが鳴かれる。

 もしくは当たる。

 常に、こちらより一手速く進まれる。

 

(影も踏めない――)

 

 今の和了は決定的だった。二位の池田とすら40000点以上差がついてしまっている。

 少なくともこの半荘で形勢を逆転するのは困難と言わざるを得ない。

 

「――なぁーんて」

 

(諦めるわけがないんですけどね!)

 

 内心で己を鼓舞して、花田は己の頬を張った。吃驚した顔で、月子がこちらを見やっている。それになんでもないと答えて、花田ははやる鼓動を落ち着かせようと努めた。

 

(この子、すごい。口だけじゃない。すばら、非常にすばらです)

 

 まずは親を流す。その為に、親の上家として花田の責任は重大である。少なくとも和了は目指せない。仮に役萬が見えても目指さない――彼女は心にかたく決めた。

 徹底的に絞る。

 六本場など、お呼びではない。

 

東二局5本場

花田 煌    :15400

石戸 月子(親):58600

南浦 数絵   : 7900

池田 華菜   :18100

 

▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:01

 

(調子に乗って暴れすぎたかしら)

 

 と、石戸月子は自嘲する。感覚を凝らせば、あれほど出鼻を挫いたにもかかわらず、上家の花田は発気揚々、下家の南浦もまだ何かを狙っている。一番わからないのは眠たげな対面の池田だが、月子の感性が変わらず一番警戒するのは彼女である。()()()()()運気の桁が違いすぎるのだ。

 

 東二局5本場

 配牌

 月子{:一一八八九②②③④⑤東東西北} ドラ:{東}

 

(あら)

 

 手牌とドラ表示牌の{北}を見て、月子はひっそりと顔を曇らせた。

 

(こんな牌出るわけもないし、切れるわけもない。……当座の持ち弾も尽きたし、他家も本格的に絞ってくるだろうし、しばらくは店仕舞いか)

 

 打{:西}

 

 東二局5本場は、静穏極まりない進行を見せた。案の定、花田は鳴ける牌など一つも零さない。他家も同様だった。必然、場は字牌が高くなる。

 そして、月子は基本的に面前で有効牌を引くことはない。引いたとしても、せいぜい一向聴、非常な幸運に恵まれても聴牌にしか届かない。立直後に自摸することにいたっては、これまでの人生で一度も経験がない。

 何故かはわからない。原理など知らない。

 ただ、()()であるからとしかいいようがない。

 

 石戸家――母の実家に連なる家系は、巫覡(ふげき)の血に連なるものであった。現代においては声高に叫んだところで失笑を買うのが関の山だが(その不可思議を体現する月子も例外ではない)、とくに石戸の家は、他者の『わるいもの』を引き受ける術に長じていた。ときの権力者の代わりに危険や災厄を引き受ける。その代わりに力ある人々の庇護下に入り、命脈を保つ。そのサイクルは、いくつかの時代を跨ぐほどに長年続けられてきた。

 

 『権力者』といったものについての具体的な例は月子の想像力の埒外にある(せいぜい総理大臣の顔が思い浮かぶくらいだ。そしてそれはおおよそ、的を射ている)。母にも元々許婚がいて、その男性は政財界の重鎮だった(三十も年上の男だったそうだ)。

 

 その環境への反発から家を飛び出し、父と結ばれたのかというとそうでもない。母は単純に純粋で、それが過ぎたのだろうと月子は思っている。心が弱く、覚悟もなく、才覚が足りなかった。だから壊れたのだ。

 翻って月子はというと、ご多分に漏れず、いわゆる霊感めいた才能を持って生まれてきた子供だった。そうした血筋の背景は、経済的な生活苦も手伝い月子の自我を肥大化させた。様々な要因が重なり、今では、

 

(わたしは、お母さんとは違う)

 

 と、月子は半ば信仰している。

 自分は他者とは違う。容姿に優れ、知性に優れ、特別な力にも恵まれている。それは非常な幸運である。月子が生まれながらに授かった天の利である。

 だからこそ、ある程度の逆境は受け入れるほかない。

 たとえば、母が娘を害そうとするのは、よくあることだ。

 たとえば、特別な感覚を持ったせいで他人に触れられないことも、仕方のないことだ。

 

(独りでいくんだ。自分の力で)

 

 東二局5本場

 15巡目

 月子{:一一八八九九②②③④⑤東東} ドラ:{東} ツモ:{東}

 

 捨牌:

   {西北南南⑨五}

   {三⑨⑧中西1}

   {97}

 

(よりによってこれ……ま、あと3巡で七対子張ったところで、という感じね)

 

 嘆息、

 

 打:{一萬}

 

 その、同巡のことである。

 この半荘が始まって以来、初めて池田華菜が動きを見せた。

 

「――カン」

 

 池田:{■二二■■■■■■■■■■■}

 

 東二局5本場

 15巡目

 池田:{■■■■■■■■■■} カン:{■二二■} ドラ{:東東}

 

  捨牌:

   {西北南9四①}

   {②9三中中⑦}

   {8①}

 

「立直――」

 

 打:{横東}

 

 打たれた四枚目の{東}(ドラ)を前に、月子の思考が閃光のように走り抜けた。

 瞬時に他家の河へ目を配る。

 

 南浦:{■■■■■■■■■■■■■}

 

 捨牌:

   {西7南⑧三四}

   {11267二}

   {六六白}

 

 花田{:■■■■■■■■■■■■■}

 

 捨牌:

   {9888⑨⑨}

   {[五]五三中⑧⑧}

   {⑦7}

 

 手元の安全牌は{東}――暗刻を落とせば逃げ切れる――たとえ大明槓でも『鳴けば』流局までに和了する確率は非常に高くなる――しかしドラを切った以上、池田は勝負手である公算が高い――とはいえ点差は40000点以上ある――。

 

(この点差、この打点、この態勢――)

 

「カン」

 

(――退く理由はないし、引かない道理がない――)

 

「す・ば・ら……」花田がこっそり顔を引きつらせていた。

 

 東二局5本場

 15巡目

 月子{:一八八九九②②③④⑤} カン:{東東}{横東東} ドラ{:東東①}

 嶺上自摸{:九萬}

 

(ほらね――{八萬}{②筒}待ちのトリプル確定)

 

 打:{一萬}

 

「ロン」

 

「……は?」月子は目を瞬いた。

 

「ロンだよ」と、池田華菜はいった。「立直、緑發(リューハ)に――」

 

 池田{:五六七③④⑤發一發發} カン{:■二二■} ロン:{一}

 

  ドラ{:東東①}

 裏ドラ{:發一七}

 

「裏六つで、17500だ」

 

東二局5本場

花田 煌    :15400

石戸 月子(親):58600→41100(-17500)

南浦 数絵   : 7900

池田 華菜   :18100→35600(+17500)

 

(対子落としを狙われたんだ……わざわざ微妙に理牌を崩すとか――芸が細かいわね)

 

 月子は引きつった笑みを浮かべた。

 

「さすがに……一筋縄では、行かせてくれないのね」

「いまのは単なるあンたの緩手(かんしゅ)だよ」池田が呆れた口ぶりでいった。「{四萬}切れているし{二萬}の壁もあったし、かい? 続けて対子落としの{一萬}とか、ほんとに出るとは思わなかったし」

「ふふ、勉強になるわ。どうもありがとう。たまたま裏乗って倍満なんて、交通事故もいいところね」

「{發}と{一萬}は乗せたんだよ」池田はなんでもないように答えた。「倍満まで仕上げたのはそっちのカンさ。どうもありがとう」

「ど、どういたしましてぇ」

 

 微笑みで応じる月子の内面は、怒りで荒れ狂っていた。

 

▽ 長野県 信州麻雀スクール/ 11:09

 

 続く東三局、リズムを崩した月子の隙間を縫うように、花田が5200を自摸和了した。

 

東三局

花田 煌    :15400→20600(+5200)

石戸 月子   :41100→39800(-1300)

南浦 数絵(親): 7900→ 5300(-2600)

田 華菜   :35600→34300(-1300)

 

 態勢を立て直そうと月子があがくものの、他家は引き続き翻牌を絞り続けている。池田を意識するあまり、月子が最速の手順を踏み外した状況で勝ち抜けたのは、親が流れたばかりの南浦であった。

 

「ロン。……1600」

 

東四局

花田 煌    :20600

石戸 月子   :39800→38200(-1600)

南浦 数絵 : 5300→ 6900(+1600)

池田 華菜(親):34300

 

 そして南入――。

 瞬間、場に温い風が吹き込んだ――ように思われた。

 

 月子はちらと風の元に目を向ける。瞳には、辟易の色があった。

 

(めんどうくさいのがもうひとり……)

 

 南浦数絵が、爛々とした目で年上の少女たちをねめつけている。

 

 このままでは済ませないと、彼女の顔は言っていた。

 




2012/7/23:親番の表記間違いと東二局5本場の池田の牌姿を自主修正。
2012/7/25:感想欄にてご指摘を受けた本文中の記載(裏ドラ表記が指標牌になっていた)を修正。
2012/8/26:親の配牌が13牌になっていた(少牌していた)箇所を修正。
2012/9/1:誤字修正
2013/2/15:牌画像変換

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。