ばいにんっ 咲-Saki-   作:磯 

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 ▽

 

 宮永咲は麻雀が好きではない。

 

 麻雀は彼女にとってちょっとした不幸を招く装置でしかないからだ。勝ったところで家族の怒りを買い、負ければ欲しいものを買うためのなけなしのお小遣いが消えていく。必然、勝ちも負けもしない打ち方に腐心するようになり、それが可能になるともはや卓を囲む意味も曖昧になった。

 

 遊戯そのものについて、得手不得手を論じるのであれば得意なのかもしれない。麻雀の実力では姉には及びもつかないという自己評価を下している咲ではあるが、136枚の牌に関して明確な不自由を覚えたことはない。姉もかつて同じことを言っていたが、調子が良ければ手牌以外の領域に感覚が及ぶこともある(正確にはあった、というべきかもしれない。咲はもうしばらく麻雀を打っていない)。そういう場合に総身を廻る擬似的な全能感は高揚をもたらすし、勝った瞬間の爽快感は確かに存在する。ただそうしたプラスの要素さえ、咲にとってはもはや煩わしいものでしかない。

 

 最近、照との仲がぎこちなくなっていることに彼女は気づいている。その一因には恐らく麻雀があることもわかっている。だから、あの理不尽なゲームさえなければという思いを咲は殺しきれない。

 

 その日、咲は久しぶりに照と連れ立って公民館の図書館を訪れた。正確には、照が下校するまで待ち構え、偶然を装い着いてきたのだ。半ば強引に帰路を共にしたものの、照の咲に対する態度にはやはり壁があって、咲の気持ちは歩くごとに消沈した。咲自身も、以前ほど屈託なく照に笑いかけることが出来なくなっていると感じた。何かを喋ろうとするたび、彼女の顔色を伺う自分がいる。その自認は彼女の舌を重くさせ、あれこれ溜め込んだはずの言葉がまともに紡がれることはなかった。

 

 何かが手から零れ落ちていく感覚があった。幼い咲はその不安をうまく名づけることができない。夜の闇を恐れるように、漠然と近い将来を彼女は想う。色々なものが損なわれてしまう。そんな予感だけが日々胸に募っていく。

 宮永照は何も応えない。それが咲にはもどかしい。想うところがあるのならば、直して欲しいところがあるのならば、指摘してもらえたほうがずっと気分が楽だった。けれど照は寡黙で、咲に具体的な何かを要求することは決してない。昔から口数が多いほうではなかったが、最近ではあまり笑顔も見ていない気がする。

 

 その照は――いま、初対面の男子と卓を囲んで麻雀を打とうとしている。

 

(なんだか、ふしぎ)

 

 と、咲は思う。考えてみれば、家族以外の面子と彼女は麻雀を打ったことがない。照はそうでもないようだが、彼女が牌を握り、自分が外側からその光景を眺める構図には違和感しか覚えなかった。

 

(うーん……)

 

 咲はなんとなく、初めて麻雀を打つという男子の背後に椅子を置き、腰を据えることにした。別段、他人の打ち筋に興味があるというわけではない。単純に、その男の子に興味があった。

 咲にとり、男子というのは何だか別の世界に住む生き物のようで、近寄りがたい存在だった。賑やかで、乱暴で、落ち着きがなく、意地悪ばかりしている人々と認識していた。稀にそうでない男子がいたとしても、彼らが持っているのかもしれない優しさや好意が、咲に直接向くことはなかった。

 有体にいって、咲は人付き合いが苦手だった。出来ないというわけではなく、他人との会話が単純に億劫でしかなかったのだ。彼女の興味は、書物――平たくいえば物語に激しく傾倒していた。知識や感情は読書によって育まれた。咲の認識する『他人』のパイロットモデルはキャラクターだった。だからか、咲は年齢を差し引いても、人間の感情に疎いところがある。

 こうした咲の性質は、必然的に敬遠を招いた。完全に孤立しているわけではなく、不思議と悪意に晒されることもなかったが、咲にはだから、これといった親しい友人が存在しない。

 とはいえ、咲は人嫌いではない。夢見がちな少女であることも間違いない。たまたま危ないところを助けてくれた少年に、ロマンティックな空想を抱かなかったといえば嘘になる。少年のやや明るい髪は柔らかそうで、雰囲気はこの片田舎の子供にしては垢抜けていて、物腰も落ち着いていた。

 咲とは違う意味で敬遠されがちな姉にも物怖じしている様子がないことといい、咲の身近にいる男の子たちとはずいぶん毛色が違う印象を受けた。

 

(上級生かな)

 

 と、咲は思考にふける。覚束ない手つきで理牌する、京太郎と名乗った少年の後頭部を眺める。

 

東一局

大沼(親):25000

南浦   :25000

テル   :25000

京太郎  :25000

 

 京太郎の配牌は、

 

  {一一二四八九③⑤468北發} ドラ:{①}

 

(手成りの3向聴……)

 

 向聴数からすれば可も無く不可も無い手牌だが、面子候補がことごとく愚形の塔子で構成されている。翻牌のくっつきに期待して遠回りするか、良い自摸をあっさり引き寄せるか。咲は愚形の受け入れに窮したという経験があまりない。少年がどの手に伸びるか、と思案する内に、巡目が回った。各家の劈頭は{北}、{1}、{北}、という切り出しだった。

 

 一巡目

 京太郎:{一一二四八九③⑤468北發}  ツモ:{北} ドラ:{①}

 

(ん……)

 

 打:{發}

 

 2枚切れの{北}を引き、ほぼノータイムで京太郎は{發}を打った。盗み見た横顔は、難しげに河へ向いている。自風が役になる目が消えたことには気づいているようだった。向聴数には変化が無いが、安全牌としては使える対子である。{一}か{三}を引けば雀頭として生きる道もある。京太郎少年の人生における第一摸打を、咲は、

 

(ふつうだ)

 

 と評した。その後についても、特段見るべき箇所は無いまま巡目が進んだ。

 そして、7巡目、親の大沼から立直の発声がかかった。

 場に置かれる千点棒を、京太郎は涼しげな目で眺めている。

 

 大沼:捨牌

 {北南⑨1東八}

 {横三}

 

 南浦は、ためらいなく{南}を手出しした。照は{東}を自摸切った。

 そして京太郎の手番である。

 

 七巡目

 京太郎:{一一一二三四九九468北北}  ツモ:{①} ドラ:{①}

 

 {九}{5}{7}引きで聴牌である。一向聴までこぎ付けたのは、好自摸に恵まれたからとしかいいようがない。{九}は場に一枚切れで三枚見えている上に{北}が枯れているため、和了の目は薄い。

 親の立直に勝負する手ではない。

 

 打:{4}

 

(うーん?)

 

 咲は渋い顔で京太郎の選択を見送った。

 何しろ初めての麻雀である。親の立直に対する押し引きを実行されたらそれはそれで驚きだが、それにしても{4}は中途半端に過ぎた。打ち込みを嫌うのであればほぼ安全牌の{北}を打つべきだし、立直になど目もくれずに聴牌を狙うのであれば(打点効率を鑑みた判断の良し悪しは別として){①}が打たれるべきだ。ただ、セオリーなど念頭に無いからこその初心者でもある。咲は無心で、場の趨勢を見守った。

 

 八巡目

 京太郎:{一一一二三四九九68①北北}  ツモ:{①} ドラ:{①}

 

 打:{6}

 

 九巡目

 京太郎:{一一一二三四九九8①①北北}  ツモ:{①} ドラ:{①}

 

(はっちゃった……)

 

 無筋の索子を河に捨て、かつドラの{①}を暗刻にしたうえ聴牌である。ここまで突っ張ったのであれば、残り枚数など気にせず{8}を打って立直であろう、と咲は推察した。そうなれば打点も満貫に届く。河に{九}は出ていない。山に残っている可能性はある。

 しかし、

 

 打:{8}

 

 京太郎が牌を曲げることは無かった。 

 

 京太郎:{一一一二三四九九①①①北北}  ドラ:{①}

 

(もしかして、役無しじゃ和了(あが)れないってしらないんじゃ……)

 

 我知らず手を握り締めると、咲は感覚を卓上に『向』けた。

 

『――』

 

 大沼、南浦、照の三者が同時に咲を見た。

 咲自身は、他者からの注目に気づかない。気を廻らせ、感覚の網目を狭くした。自身の領域へ深く内向していく。

 場に自分がいない場合、咲が称するところの『感覚』は著しく劣化する。咲もそれはわかっていて、好奇心が押さえきれずに覗き見るような真似をした。

 そして運良く、咲の感覚は京太郎に残された唯一の和了手順を見通した。

 

(――次巡、この子は{一萬}()()()()

 

 打{四}でチャンタへの張替えが完了するが、恐らく親の待ちは{一・}{四・}{七}待ちの平和手である。打{四}とした時点で放銃する可能性が高い。

 正着は、{一}を暗槓しての嶺上自摸――。

 

(最後の{九}は、()()にいる)

 

 京太郎が勝ち抜ける手順はそのひとつきりだ。

 配牌時点の最高形が愚形の立直のみであった牌姿が、たった三巡で満貫手になる。

 少年が冒したリスクに相応の結果だと、咲はわがことの様に興奮した。

 そして、十巡目がやってきた。

 

 十巡目

 京太郎:{一一一二三四九九①①①北北}  ツモ:{一} ドラ:{①}

 

 大沼が薄く笑い、

 南浦が面白げに横目を送り、

 照は浅く息をつくと手牌を伏せた。

 

 そして、京太郎に迷いはなかった。

 

 打:{一}

 

「……えぇ?」咲は思わず声をあげる。

 

 他家もまた、不審な眼差しを京太郎へ向けた。

 親の大沼だけが、得心した様子で牌を倒した。

 

栄和(ロン)。5800」

 

 {二三四五六⑧⑧①②③678} ロン:{一}

 

「なるほどなぁ……やっぱダメか」

 

 京太郎は苦笑いとともに、点棒を大沼へ供出した。

 

 ▽

 

東一局

大沼   :25000→30800(+5800)

南浦(親):25000

テル   :25000

京太郎  :25000→19200(-5800)

 

 

「な、なんで?」

 

 自戒を忘れて、咲は京太郎の袖を引いた。何気ない様子で振り返った少年は、

 

「なにが」

 

 と、尋ね返してくる。

 

「なんで今、カンしなかったの? そしたら、そうしたら……」

「え、なに、そしたらあがってたとか?」

「そうだよっ」こくこくと、何度も咲は頷いた。

「ホントかよ」京太郎は不審げに眉を寄せて、「ふーん……そういうモン? けど、まァ、いいや。いいんだ別に。博打でタラレバいったってしょうがないだろ。おれは、一応、やりたい通りにやったんだよ。負けちゃったけどさー、ちぇっ」

 

 放銃した直後でも、京太郎は平静だった。悔しげではあるが、その分の収穫は手に入れたという風情である。咲はよくわかんないよ、と呟き、座りなおした。

 妙に憤っている自分には、ついぞ気付くことは無かった。

 

「わかってるじゃないか、ぼうや」南浦が感心したように呟いた。「ウチの孫にも聞かせてやりたいね」

「そういやァ、数絵ちゃんと同じ年頃か、この子ら」大沼がいう。

 

「……」

 

 和やかに雑談に興じる好々爺ふたりをよそにして、照が右手を王牌に伸ばす。捲られた嶺上牌は{九}。そして新ドラ表示牌は{八}であった。無機質な目線で差された咲は詰問されたような心持になって、力なく首を振った。

 

(ホントになんでだろう……和了見逃しみたいなものだよね。カンを知らなかったわけじゃないみたいだし)

 

 結果が出た局について可能性を論じたところで、京太郎の言うとおり、意味はない。可能性の芽と共に山は崩されて、東一局は一本場へと進んだ。

 

 東一局一本場

 一巡目

 京太郎:{九①②③④⑤⑦⑧⑨47中中} ドラ:{5}

 

 面前で跳満、仕掛けても満貫が見込める好配牌である。前局の無為な打ち込みなど意に介さないといった風情だ。筒子の引き次第ではあるが、先の失点を補って余りある牌勢といえた。

 そして京太郎は、二巡で{⑨}自摸の打{九}、四巡で中を引き打{7}とした。{③⑥⑨}、{4}で聴牌の一向聴である。

 そして六順目、京太郎は聴牌に漕ぎ着けた。

 

 六巡目

 京太郎:{①②③④⑤⑦⑧⑨⑨4中中中} ツモ:{4} ドラ:{5}

 打:{⑨}

 

(安目だけど……)

 

 巡目も早く、安目を拒否する余地はある。しかし京太郎は迷うことなく聴牌を取った。黙聴(だまてん)を貫くと、積み棒を考慮すれば高目自摸で8000、安目出和了で1600となる。混一色を見切った以上は立直を掛けても損はない手である。

 しかしまたも、河に投じられた{⑨}が曲がることは無かった。

 今度はいったい何を考えているのかと、咲は京太郎の顔色をうかがう。

 その目は、全く手牌に向いていなかった。聴牌したことなど微塵も意識していないように見える。彼の注意は、全て、自分以外に向いていた。

 

(すごいみてる)

 

 京太郎の眼球は忙しなく動いて、局の流れに追従していた。下家の摸打――対面の摸打――上家の摸打――手出しか――自摸切りか――切られた牌への他家の反応はどうなのか――瞬きも忘れた様子で、目元を引きつらせている。彼がぽつりとこぼした愚痴のような台詞を、咲は運良く耳にした。

 

「やべえ、覚えきれねえ……やること多すぎるだろこのゲーム……」

 

(さすがにそれは……ちょっとコツがいるよ……)

 

 暗記が苦手な咲は、こっそりと同意した。と同時に、京太郎の打ち回しについての疑問もある程度氷解する。

 彼は和了を目指していない。初めての麻雀をプレイするにあたって、どうやらテーマらしきものを掲げたうえで打っている。東一局0本場の『テーマ』は、振込みに関する探りだったのだろう。安全牌でもない両嵌を払ってまで彼が試みたのは、危険度の測量だ。ドラ{①}の暗刻引きは偶然に過ぎず、聴牌すらもその副産物だった。

 そして今回は、他家のプレイングの観察が主目的のようである。納得した咲は、心中ひそかに拍手を送った。京太郎の姿勢は真摯で、到底遊びに興じる子供のそれではないと思った。必死とすら評していいかもしれない。

 

 京太郎の観察を、他家は知ってか知らずか巡目は進む(少なくとも照は気づいている、と咲は思った。横顔がほんのかすかにむず痒そうなのである)。京太郎の当たり牌が出ぬままに迎えた9巡目、親の大沼が打った{7}を下家の南浦が喰い取った。

 

 南浦:捨牌

 {北西九①3南}

 {⑨西}

 

 {■■■■■■■■■■} チー:{横7}{68} ドラ:{5}

 打:{8}

 

 急所を鳴いて捨てられた牌に、咲は露骨な作為を感じ取る。南浦老人の瞳が、試すように京太郎へ向いたのである。

 照が手出しで{⑨}を捨て、京太郎が山から牌を自摸る。

 

 九巡目

 京太郎:{①②③④⑤⑦⑧⑨44中中中} ツモ:{九} ドラ:{5}

 

 それまで、比較的淀みなかった京太郎のリズムが滞った。普通であれば自摸切りを迷う場面ではない。が、初心者に関してそうした予断は禁物である。

 

「……んー、コレ?」

 

 打:{4}

 

(間4ケンに刺さりにいったよー!)

 

 ショウでも観ているように、胸中咲は歓声を上げた。聴牌と雀頭を崩しての打{4}である。京太郎は明らかに危険牌を()()()打ったのだ。

 が、発声はない。京太郎は拍子抜けしたような顔で南浦を見ている。薄く微笑む老人は、

 

 ――そう単純なものでもない。

 

 とでもいってるようだった。

 

「ふんふむ」

 

 少年は、奥が深いと言わんばかりに頷いていた。

 

(麻雀、見てるのはけっこう、楽しいな)

 

 正確には、奇想天外な素人の打牌が楽しいのだというべきなのだろう。咲は鼻息を荒くして場を見守る。しかし咲が期待したところで、ドラマティックな展開が起きるはずもない。

 

「ツモ。五本・十本の一本付けは六本・十一本」

 

 次巡、南浦が{二}を自摸和了して、東一局は終了した。

 

 南浦:{三四五五五②②567} チー:{横7}{68} ドラ:{5}

 (待ち:{二・}{五}、{②})

 

大沼   :30800→29700(-1100)

南浦(親):25000→27300(+2300)

テル   :25000→24400(-600)

京太郎  :19200→18600(-600)

 

 ▽

 

東二局

大沼   :29700

南浦(親):27300

テル   :24400

京太郎  :18600

 

 骰子(サイコロ)が振られる。出た目は六。京太郎の目前の山が切り分けられ、各自が一幢を掴み取る。不器用な手つきで理牌する京太郎へ向けて、照がふいにこういった。

 

「もういい?」

「ん? なにが」京太郎はよくわからないと聞き返した。

「麻雀はわかったのかと、聞いている」

「そういえば、教えるとかいってたくせに、おれほっとんど教えてもらってないじゃないか……」

「? いま、まさに教えている」

「おまえの姉ちゃんいつもこんなんか」京太郎が咲を顧みた。

「え、ま、まあ、どうかなぁ……」頷くに頷けない咲である。

「それで、わかった?」

「……おれが思うに」京太郎は難しげに眉根を寄せた。「このゲームは、一生向き合い続けてようやくちょっとだけ……、ホンの少しだけわかるような、そんなゲームな気がする」

「―――」

 

 照の目が、まるく見開かれた。

 咲もまた、驚きに言葉を失した。

 かすかではあるが(実際、咲以外の誰も気付かなかった)、照が笑ったのである。

 

「それは、正しい」と、照がいった。

「間違いねぇやな」大沼が同意した。

「ぼうやがいいこと言ったところで、さあ、再開と行こうか」

 

 南浦が河に牌を捨てる。次いで山に手を伸ばす照に、咲は眼をやった。

 

 瞬間、咲は背筋にふるえを覚えた。

 

 さむけと、頭痛さえ伴う目眩がこめかみを走り抜ける。

 

(お姉ちゃんが――)

 

 そして、5順目。

 

「ツモ。400、700」

 

(――本気になった)

 

 宮永照:{一二三七七③④⑤⑥⑦789} ツモ:{②} ドラ:{1}

 

大沼   :29700→29300(-400)

南浦   :27300→26600(-700)

テル(親):24400→25900(+1500)

京太郎  :18600→18200(-400)

 

 静かな和了であった。ただし、それは予兆でしかないことを咲は知っている。一度走り始めた宮永照の勢いを押し留めることは容易ではない。少なくとも、咲の実力では、勝利や敗北を措いて『ただそれだけ』に専心する必要がある。そうしないかぎり彼女を停めることは出来ない。

 

(東三局……で、おわるかも)

 

 迎えた親番を平静に受け止めて、照が牌を切り出す。

 ――そして、3巡後に和了した。

 

「ツモ。1000オール」

 

 ▽

 

「ツモ、1400オール」

「ツモ、2800オール」

「ツモ、4300オール」

 

 そのまま、四連続で照は和了(あが)り続けた。勢いに遅滞はない。回転を始めた低気圧が膨らむようにして、彼女の打点も上昇を続ける。助走は既に終わった。誰かが(恐らくは京太郎が)飛ぶまで、この東三局は終わらない。仕上がった照を停めるのは至難の業である。初心者の京太郎や、初見の他家にはほぼ不可能事であると、咲は見ていた。

 

東三局四本場

大沼   :29300→19800(-1000、-1400、-2800、-4300)

南浦   :26600→17100(-1000、-1400、-2800、-4300)

テル(親):25900→54400(+3000、+4200、+8400、+12900)

京太郎  :18200→ 8700(-1000、-1400、-2800、-4300)

 

 そして、

 

「――立直」

 

 1巡目

 宮永照:捨牌

 {横北}

 

「……」京太郎は静かに{北}を合わせ打った。

「ダブリーかい。生き急ぐねえ」

 

 続く大沼、南浦が放銃することもなかった。

 しかし、ただそれだけでしかない。

 

 2巡目

 宮永照:{二三三四四伍⑥⑥⑦⑧發發發} ツモ:{⑨} ドラ:{⑧}

 

「6400オール」

 

大沼   :19800→13400(-6400)

南浦   :17100→10700(-6400)

テル(親):54400→73600(+19200)

京太郎  : 8700→ 2300(-6400)

 

「……」

 

 咲は京太郎の様子を伺う。一見、表情に焦慮や苦渋は見当たらない。すでに勝利を諦めているのかもしれない。幸い、この麻雀には何を賭しているわけでもない。元々、彼に麻雀を教授するのが主旨だったはずである。それが始まってみれば照のワンサイドゲームなのだから、その不器用ぶりには呆れざるを得ない(他事はともかく、こと麻雀に関しては、ブランクのある今でも自分のほうが器用であると咲は自認している)。

 

東三局五本場

大沼   :13400

南浦   :10700

テル(親):73600

京太郎  : 2300

 

 ハコ寸前の京太郎に、残された選択肢は少ない。他家は京太郎を飛ばさないために、手順に制約がかかる。一方照の側に制限はない。いつもの例からいって、次は倍満以上を仕上げてくる。そして和了すればその時点でこの半荘は終了だ。この趨勢を覆すには、少なくとも普通の手順では難しい。

 

(わたしなら……)

 

 と、宮永咲は考える。勝ちを見るにせよ原点に戻すにせよ、打つ手はひとつしかない。京太郎に差し込んだうえでじっと機を待つだろう。その場合、点棒が一箇所に集まりすぎたことがネックになる。差し込むにしても、逆に自分が窮地に陥っては意味がない。理想は照に放銃させることだが、その難しさを咲は十分に知っている。序盤の事故か、立直が掛かった場合くらいしか、出和了の目はない。

 帰趨の鍵となる京太郎の配牌は、しかし、惨憺たるものだった。

 

 京太郎:{一一八九②④⑧69東西北白} ドラ:{6}

 

(むり……九種九牌を祈るしかないよ……)

 

 しょんぼりと、肩を落とす咲である。気落ちする彼女を顧みることなくゲームは進行する。照の第一打は{三}――好牌先打や決め打ちというより、すでに牌姿が整っているからこその捨牌だと、咲は直感した。早くて次巡――遅くとも6巡目までには立直の発声がかかる。

 

 一巡目

 京太郎:{一一八九②④⑧69東西北白} ツモ:{8} ドラ:{6}

 

「……」

 

 打:{9}

 

(国士は……間に合わない。そもそも役、知らないかも)

 

 居た堪れなくなった咲は、わずかに身を捩じらせ、照の手牌を覗き見た。

 

 二巡目

 宮永照:{①②③④④⑤⑥⑦⑨1266} ツモ:{④} ドラ:{6}

 打:{1}

 

(あ、聴牌した……けど、向聴戻した)

 

 改めて照の手順を見るのは、考えてみれば初めてのことである。{⑨}切りで辺{3}待ちの愚形聴牌ではあったが、受けの広さを考慮すれば、まだ蓋をする手ではない。照の特徴を鑑みれば、倍満を目指して、ドラの対子落としも視野に入れつつ筒子に寄せていくだろう。

 

 三巡目

 宮永照:{①②③④④④⑤⑥⑦⑨266} ツモ:{⑨} ドラ:{6}

 打:{2}

 

 一瞬で張り直す引きの強さに、咲は半ば呆れた。当然のように次巡{⑧}を引けば、打{⑨}で{④・}{⑦}、{6}待ちになる。ただその場合、役が崩れる{⑦}では倍満に全く届かず、高目{6}を引いたとしても一発や裏ドラの恩恵が必要である。『段階的に打点を上げる』という照のこだわりがどこまでのものなのか(そもそも本人の意思なのか)、それは咲の知るところではないが、いずれにしても結論はすぐに出るはずだった。

 当たり前のように有効牌を引き寄せ、当たり前のように高目を和了するに決まっている。

 培われた経験は、確信の後押ししかしない。

 

 けれど、同巡――咲が思ってもいないタイミングで、声があがった。

 

「立直」

 

(え)

 

 京太郎だった。

 残り少ない点棒が場に供される。

 牌が曲がる。

 

 打たれたのは、{6}(ドラ)――。

 

 三巡目

 京太郎:捨牌

 {9九}{横6}

 

 京太郎の配牌は、咲が確認した限り三巡目で聴牌することはありえない。二・三巡目でいずれも有効牌を引いたところで、最高で二向聴のはずである。

 

 京太郎:{一一八②④⑧8東東西西北白}

 

 念のため手牌を確認しても、間違いなく空聴(というより錯和)だった。

 立直棒を出したことで、京太郎の持ち点は1300にまで減少している。たとい一翻でも放銃すれば彼は飛ぶ。流局しても罰符で飛ぶ。

 自棄になったわけではない、と咲は思った。京太郎の瞳と意思は、強く上家の照を志向していた。

 

 勝負だ――。

 

 かれの目はそう訴えていた。

 京太郎は何かに賭けたのだと、咲には理解できた。彼自身に和了の目が無い以上、答えは必然的に、大沼と南浦に絞られる。要するに、京太郎は同時に複数の賭けに打って出たのである。

 打った{6}が照に刺さらないこと。掛けた立直が足止めとして機能すること。立直を掛けた自分自身が放銃しないこと。そして、迂回した照が、他家に振り込むこと。

 そこまでばかばかしいほどの楽観に打って出る意味が、果たして有るのかはわからない。麻雀は、咲にとってもはや捨てた荷物である。

 大沼と南浦は、それぞれ手出しで{九}を切った。

 そして、照の手番――

 

 宮永照:{①②③④④④⑤⑥⑦⑨⑨66} ツモ:{⑧} ドラ:{6}

 

「――」

 

 ほんの少しの遅滞、

 

 打:{6}

 

(――まわった)

 

 咲は胸を押さえる。打点を求めての選択か、あるいは迂回なのかは判じかねた。ただ、間違いなく京太郎は賭けの一つに勝ったのだ。

 そして、

 

 四巡目

 京太郎

 打:{④}

 

(――かわした! すごいっ)

 

 照が打{⑨}で聴牌を取っていれば、一発で振り込んでいた牌である。小魚を逸した照に、動揺は寸毫もない。しかし、この刹那の局面に関して言えば、京太郎はわずかなりとも勝ったのである。それは快挙だ。咲はすっかり、この少年に肩入れしていた。

 

({③}ひいたら、{⑨}待ち。{④}なら、{③}{⑥}{⑨}待ち――けど、{④}はもういない)

 

 大沼は{東}を切る。

 

({⑤}だったら、{⑤}{⑨}待ち。{⑥}で、{⑦}{⑨}待ち)

 

 南浦は、{發}を打つ。

 

({⑦}は……{⑥}{⑧}{⑨}待ち)

 

 後者は強い打勢だ。

 

({⑧}の場合は、{⑦}{⑧}{⑨}待ち)

 

 四巡目にして、すでに場は終盤に向かっていた。 

 

({⑨}は)

 

 そして、宮永照の自摸がやってくる。

 

 五巡目

 宮永照:{①②③④④④⑤⑥⑦⑧⑨⑨6} ツモ:{⑨} ドラ:{6}

 

(――{③}{⑤}{⑥}{⑦}{⑧}{⑨}待ち!)

 

 {④}が純枯れのため、一気通貫は{⑨}引きにしかつかないが、圧倒的な好形である。

 照は、淀みなく{6}を払う。

 河で曲がる――。

 

「立直――」

 

 打:{6}

 

 

栄和(ロン)

 

 

 静かに牌が倒された。

 大沼の手元で、一色手が光って見えた。

 

 大沼:{1234455678999} ロン:{6}

 

「――24000は、25500だ。リー棒はいらねえ」

 

「{3}{4}{5}{6}待ち……」咲はいった。「お姉ちゃんが立直宣言で3倍満なんてふるの、始めてみた……」

 

東三局五本場

大沼   :13400→29900(+25500、+1000)

南浦   :10700

テル(親):73600→48100(-25500)

京太郎  : 2300→ 1300(-1000)

 

「うへー、しんどいな、マジで……」京太郎が呟いた。

 

 咲は、盛大にため息をつく京太郎の背中を見て、ひとり、誇らしげだった。

 彼は勝者ではない。収支は減だ。

 小細工を弄するまでもなく、照が同じ手順を踏んだ可能性もある。京太郎は無駄にリスクを冒したのかもしれない。

 それでも、あがく姿に胸が躍った。

 少なくとも今局の主役は、京太郎を置いてほかにない。

 咲の胸の中では、そうなった。

 

 ▽

 

「はい」

 

 点棒を吐き出す照の横顔が、咲にはどこか清清しく見えた。

 

「坊主」照から点棒を受け取りながら、大沼が京太郎へ釘を刺した。「(ケン)の心算が面白そうだから乗っちゃァやったが、余り他人様をアテにしてんじゃあねぇぞ。男なら自分でやれ自分で、情けねぇ」

「……うす」

「おまえなぁ、子供のしかも今日初めて牌握った子相手に大人げない……」南浦が苦言を呈した。「ぼうや、きみは中々センスがあると思うよ。ああいうやくざな爺さんの言うことなんざ気にするな」

「ど、どーも」

 

東四局

大沼    :29900

南浦    :10700

テル    :48100

京太郎(親): 1300

 

「よし、がんばるかー」

 

 ゆるく気合を入れて、京太郎は打牌する。

 が、

 

「……あ」

 

 南浦の自摸番のとき、それは起きた。

 

 一巡目

 南浦:{一三九九九②②⑥⑦⑧南南南} ツモ:{二}

 

「地和だ……はじめてみた」

 

 あんまりな幕切れに、嘆息する咲である。

 

「え?」京太郎は混乱していた。「え、と。それどうなるんだ?」

「……」照まで少し呆然としていた。

「おめえ、大人げないとかどの口が言いやがる……南場でもねーんだぞ」大沼は憮然として、いった。

 

 南浦は快活に笑った。

 

「うん、すまん。8000・16000だ」

 

東四局(終了)

大沼    :29900→ 21900(-8000)

南浦    :10700→ 42700(+32000)

テル    :48100→ 40100(-8000)

京太郎(親): 1300→-14700(-16000)

 

結果

大沼    :-8

南浦    :+43

テル    :+10

京太郎(親):-45

 

 ▽

 

 日はすっかり傾いて、目印のようにあぜ道に立つ街灯が、黄昏で迷うみたいにちらついている。蜩の声があちこちで響きすぎて、そういえばランドセルの中に蝉の抜け殻が入ってるな、と京太郎は脈絡のないことを思い出す。

 公民館からの帰り道、彼は少女たちの道連れとなっていた。単純に途中までは方向が一緒だったのである。

 結局2半荘打ったものの、京太郎は南場まで生き延びることはできなかった。それどころか、一度も和了できなかったのである。せめて一度くらいは、と思ったものの、17時を回って公民館が閉館するとあっては粘るわけにも行かない。とりあえず教本を借りて、すごすごと退散したのだった。

 

「に、しても、あのじーさんたち、強かったなぁ」

「あの二人は、プロだから。特に南浦プロは長野に住んでいる。ただ、家は平滝(けんぽく)のほうだったはずなのに、なぜあそこに居たのかはわからない」

 

 衝撃的な事実を発したのは、年長の少女のほうである(京太郎はもう名前を忘れていた)。

 

「え、そうなの!?」もう片方は気づいていなかったようで、ふつうに吃驚していた。

「へー。やっぱりプロって凄いんだな」

「すぐに、追い抜く」

「ああ、おまえもすげー強かったもんなー」

 

 素直に感心する京太郎を、並んで歩く少女がじっと見詰めた。この年頃の子供は、少女のほうが成長が早い。長身の京太郎とほとんど同じ位置にある瞳は、猫のようにかがやいて見えた。

 

「麻雀、面白かった?」

「どうだろ。まだよくわかんないな」京太郎は言葉を濁した。「でも、またやりたいとは、おもうよ」

「そう」

 

 楽しかったのだろうとは思う。

 ただ、どんな遊興にも、心の底からは打ち込めない気がした。

 

(ただ、あれは好かったな。ヒリヒリした)

 

 先刻、最初の半荘で立直を掛けたときは、いっとき、心中の虚無を忘れることが出来た。この世から拒絶され続けている錯覚から、目を背けることが――あるいは錯覚と、向かい合うことが出来た。

 興奮を反芻する。先ほどから何度も話しかけようとしては失敗している娘の様子にも気づかず、黙々と京太郎は歩く。三人の土を踏む足音が、夏の夕方に響く。やがて国道が見えてくる。少女たちと京太郎との分岐点である。見通しがさほどよくない割りに信号が少なく、速度を出す車が多く行き来する道で、カーブミラーの根元にはよく花が生けられている。

 信号が見える。

 

(――おれがあそこに着いたとき、あの信号が、青でも赤でも黄色でも)

 

 夜闇にひかる青色は、鬼火のようだ。

 京太郎の思考が透明になる。

 

(そのまま、まっすぐ行ってしまおう)

 

 瞳を閉じて、道なりに進んだ。

 

 靴底がアスファルトを踏む。

 

 京太郎は前へ行く。

 

 足音がひとつになった。

 

 右手に、飛び込んでくる質量を予感した。

 

 クラクションが派手に鳴る。

 

 ――京太郎は、最後まで目を閉じていた。

 

 ▽

 

「あぶないよっ!」

 

 襟を引かれた。引き倒すような勢いで、京太郎は歩道側に寄せられる。一瞬遅れて、鼻先を車が駆け抜けた。温い風が顔をねぶった。ランドセル越しの背中に、鼓動と、少し汗ばんだ人の熱を感じた。

 誰だと思う前に、今度は無理やり立ち上がらされた。京太郎の正面に居たのは、変わらぬ無表情の――そう、テルとかいう名前の少女だった。

 

「いま」

 

 彼女は静かに問うた。

 

「何をしようとした」

「いや……」京太郎は返答に窮した。発作的に死のうとしたと、正直に打ち明けても仕方ない。「な、なんか、ぼーっとしてた。疲れちゃったのかもな」

 

 答えた直後に、頬を痛みが走った。拳で殴られたのだと、一瞬遅れて気づいた。暴力に萎縮したというわけではなく、純粋に驚いて、京太郎は正面に立つ少女を凝視した。

 

「おっ、お姉ちゃん、なにするの!?」慌てだしたのはサキだった。

「黙っていなさい」

 

 テルはにべもなく、サキの詰問を退けた。じっと、京太郎を睨みつけている。

 

「誰が、どこで、なにをしても、わたしは知らない」

「……と、そ、の」京太郎はただ、圧倒されていた。

「でも、時と、場所と、人くらいは選びなさい」

 

 そういわれて、ようやく京太郎は、自分が彼女らの前で死体になる心算だったことに思い当たった。酷く身勝手で、とほうもなく迷惑な行動だと気づいた。当たり前すぎる気づきだった。信じがたいのは、そんな考えにすら至らなかったことだ。

 

(なにやってんだおれ。なにを、なんで、わざわざ、ここで、莫迦か)

 

 心から悔いた。

 深々と、頭を下げた。

 

「――ありがとう。ごめんなさい」

 

 テルは応じなかった。黙ってきびすを返し、サキに声を掛け、歩き始めてしまう。その後ろを着いて歩くサキは、何度も何度も京太郎を振り返っていた。京太郎は、ずっと、頭を下げていた。

 

 ▽

 

 週末、石戸月子は春金に誘われた約束の場所へ向かっていた。地元駅から飯田線で一時間ほど揺られて、向かうのはいわゆる中心駅であった。

 初めて降りる駅ではあったが、生来方向感覚に強い月子は、地図に照らしてあっさり目的地の場所を割り出した。駅からは更に十分ほど歩かねばならないようだった。

 

 空は碧く、雲は重く、風は温く、陽は熱い。

 

 汗が襟ぐりを湿らせて、ホットパンツの下でむき出しになっている太ももを雫が伝う。久方ぶりに麻雀を打つ気負いも何もなく、月子は無心でただ歩く。

 展望や希望というものを、月子は持っていない。彼女には今のところ、逃避願望しかない。このままでは閉塞して終わる予感があり、それを拭うための何かを心底求めているが、手段は見えず策は思い浮かばない。

 

(わたしは、周りの人間を狂わせるんです――っていったら、春金さんは、笑うかな)

 

 だから家を出たいのだと言ったら、どう反応するだろう。あの快活な女性は、それでも笑い飛ばすのだろうか。

 そう空想した矢先、当の本人を進路に見つけた。高い背丈を更にめいっぱいに主張して、大きく手振りしている。月子も遠慮がちに手を振り返す。

 どうやら、目的地のようだった。道路に面したビルの一フロアが、春金が招く先だ。一見美容室のように小奇麗なテナントのショーウィンドウ越しに、雀卓や飾られた表彰状が見える。

 

「つきこさーん、こっちこっちーっ」

 

 看板には、力強いゴシック体でこう書かれていた。

 

『信州麻雀スクール』

 

 ▽

 

「しんしゅうまーじゃんすくーる」

 

 鸚鵡返しに、須賀京太郎は尋ねる。そこが、今から友人たちと出向く場所だという。小学生だけで出向くにはやや遠い場所らしく、最近麻雀に凝りだしたという友人の母親が車を出していた。

 先生がかんじのいいひとなの、と若くて美人のお母さんは嬉しそうにいう。

 京太郎は走る車の窓を開ける。風が吹き込み前髪を揺らす。

 

 結局、あの日以降、彼は公民館へは足を運んでいない。

 また会う約束などしていないし、そもそもろくに名前も交換しなかった。

 ただ、胸にはしこりがある。

 

 今日、麻雀をすれば、その正体が掴めるような気がした。

 

 ▽

 

「みんなもうお待ちかねだよ」

 

 と、春金はいった。隙あらば手を引こうと伸びてくる腕を払って、

 

「どういう意味ですか?」と月子は問う。

「今日、打つっていったでしょう。そのお相手のこと。せっかくだから私がやろうかとも思ったけどさ、やっぱり外から見たいからね」

「どういう面子ですか」

 

 戸を抜けた先の空間は、広く、清潔で、空調もよく効いて涼やかだった。百平米ほどの空間に、手狭にならない配置で全自動卓が並んでいる。椅子もなかなか質のよいものを使っており、回転率だけを考慮したそのあたりの雀荘よりは居心地が良さそうだった。

 

「んー、みんな月子さんと同年代だよ。あ、ひとりいっこ下かな? その世代じゃ結構名の売れてる子たち。ちなみに、みんな女の子」

「同年代の女の子って」以前春金がいっていた、団体の活動のために人材を集めている、という話を月子は連想した。「もしかして、天秤に掛けようとしてます?」

「その言い回し、雀士っぽいねえ」春金は妙に嬉しげだった。「でも、その予測はハズレ。いちいちふるいに掛ける理由がないじゃん。うちは来るもの拒まず。可愛い子なら三顧の礼で迎えますよ」

「ふーん」

「あっは、気のないお返事だね。まあ、少しでも楽しい今日になるよう祈っているよ。さて、一名様、ご案内。お待たせ、お嬢さん方」

 

 春金が指し示す先で、なるほどすでに三人の少女が卓についていた。月子はざっと一同の身なりをチェックする。ツーテールのこまい娘、キャップにショートカットのボーイッシュな娘、そして落ち着いたかんじのポニーテールの娘。一通り吟味して、なるほど、たしかにみんな可愛い、と認めざるを得なかった。

 

「石戸月子よ。よろしく」

 

 あえて居丈高に名乗りを上げる。

 

「すばらな名乗り、ありがとうございます。私は花田、花田煌といいます!」

 

 ツーテールの娘がはきはきと喋り、会釈した。

 

「南浦数絵と申します。よろしくおねがいします」

 

 小学生にしてはかなりまともな挨拶を寄越したのは、ポニーテールの娘だ。

 

 そして――。

 

「池田華菜」

 

 キャップの鍔に触れながら、最後の少女が簡潔に名乗った。

 

「よろしく。さて、やろうか」

 

 

 ルール:半荘戦

  持ち点:25000点持ち・30000点返し(オカ:20000点)

  赤ドラ:あり

  喰い断:あり

  後付け:あり

  ウマ :なし

 

 起親(東家):花田 煌

 南家    :石戸 月子

 西家    :南浦 数絵

 北家    :池田 華菜




2012/07/22:感想欄にてご指摘頂いた点数表記の誤りを修正致しました。
2012/07/22:感想欄にてご指摘頂いた誤記(×振聴→○空聴)を修正致しました。
2012/09/01:誤字修正
2012/09/21:照、咲の二人の関係性に言及した地の分を修正(登場人物の所感除く)
2012/10/08:オリキャラの姓(修正漏れ)を修正
2013/02/14:牌画像変換

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