10.はつゆきトーン(中)
▽ 12月27日(金曜日) 長野県・飯島町・町立公民館・図書室/ 15:15
その日、手狭な図書館に、宮永咲以外の来訪者はいなかった。終業式を終えた足で久方ぶりに通学路から外れた公民館に訪れた彼女は、興味が促すまま本棚から手に取った本を読みふける。ジャンルは問わなかった。文学もSFも推理小説もハーレクィンもジュニアノベルも童話も、咲は平等に読みこなした。トルストイの絶え間なく続く思索に翻弄され、アルフレッド・ベスターの挑発的な文章に苦笑し、ミヒャエル・エンデが紡ぐ物語に胸を躍らせた(さすがに『フィネガンズ・ウェイク』は数十ページで挫折した)。
紙と埃と陽射しと年月の匂いに満ちたその空間が、咲は嫌いではない。愛しているといっていいかもしれない。彼女が孤立を苦にしないのは、孤独を愛しているからではなく、ひとりで足りる術を知っているからこそだった。
級友たちは皆明日から始まる冬休みに心を浮き立たせていた。文字通り弾むような足取りで教室から出て行く彼ら彼女らの背中を、どこか隔たった気持ちで咲は見送った。彼女自身は、この季節が実のところあまり好きではない。
年末年始の宮永家では家族麻雀を催すのが恒例である。父母姉妹縁戚を相手に麻雀を打つ時間は、彼女にとって少しばかりの苦痛を孕む。手渡されたばかりのお年玉を死守しようと勝てばいい顔はされず、負ければもちろん懐が寂しくなっていく。買いたかった本も小物も咲から遠のいてしまう。
だから咲は平らかに局面を均す。
それは退屈さに比して慮外な精密さを要する作業である。
楽しいはずがない。
予定された時間を思うと、気鬱が咲の喉元にこみ上げる。
感情は窒素に混ぜ合わされて、ため息として口から吐き出された。
(いやだなぁ――)
咲は憂いを忘れるように頭を振る。黙々と目前の書に没頭する。本の頁を捲るうちに、思考は文字の連なりにすっかり沈んでいく。
灯油ストーブが静かに唸り、ストーブの上に乗った薬缶がひかえめに蒸気を吹きだしている。外界の厳しい寒さとは区切られた穏やかで暖かい空間に、咲はひとりでいる。彼女は不足も不満も感じていない。あえていうなら時間が流れることに理不尽を感じている。
それでも、時計の針は、静かに密かに容赦なく進む。
静寂は、しかし一人の少年が訪れたことでわずかに乱れる。
「――?」
咲は一瞬だけ集中を途切れさせて、首を傾げた。
珍しい来客だった。この図書館の客層は大方を老人が占めており、稀に自習の場を求めた中高生が訪れる程度である。咲と同年代の小学生が来ないわけではないものの、この日区内の小中学校は全て終業式を終えたはずで、冬休みを前に寂れた図書館へ足を運ぶ物好きがそういるとは思えない。
いきおい目線が少年の顔に向かう。
咲はわずかに肩を強張らせる。
(あれ)
記憶を掠めるものがあった。紙面に這わせた指を、手繰るように咲は震わせる。図書館に入った少年は大またで室内を横切り、咲から最も離れた席のひとつに座る。書棚に寄るでもなく目当ての本を探すでもなく、思案げに双眸を中空に彷徨わせる。少年としては比較的長いかれの指が、拍子でも刻むように軽快に机を叩き始める。その様を盗み見ながら、咲は記憶を辿り続ける。見覚えがある顔だった。しかしどこで見かけた顔か思い出せない。小学校ではない。同級生にも上級生にも、かれはいない(下級生であるという可能性はとくに根拠もなく除外された)。
(どこだろう――どこだったっけ)
たんなる既視感かもしれない。痞えを覚えつつ、咲は追憶を諦めた。少年から視線を切り、手元の本へ意識を戻す。
そわそわと落ち着かないものを感じながらも、そのまま数十分が過ぎた。
――少年の姿がいつの間にかなくなっていることに気づいたのは、16時前のことだった。
(帰ったのかな)
首をかしげた直後、ぶるりともよおして、咲は席を立つ。手洗いは公民館の一階と二階にあったが、一階には和式しかないため、もっぱら二階を愛用している咲である。
図書室のカウンターでは、最近赴任してきたばかりの司書(若い女性だった。以前は中学校にいたらしい)が、腕を組んで堂々と居眠りを決め込んでいる。こんなに楽な仕事があるならぜひ将来はこの職に就きたいと考えつつ、咲は押し戸を開いた。
▽ 12月27日(金曜日) 長野県・飯島町・町立公民館・談話室/ 15:59
「あ」
少年が、階段を上がった先にある談話室にいた。四角い卓を前に、かぶりつくように背を丸めて盤面を注視している。表情は穏やかで、どこまでも真剣だった。妥協や弛緩の余地がない瞳は揺るぎもせず、時おり伸びる手は、卓上に散じた麻雀牌に触れていた。
硝子越しの景色を見て、咲の記憶が再び疼く。
――横顔。
――麻雀。
(思い出した)
半年近く前、まさにこの場所で――咲の目前で、照と卓を囲んだ少年だった。
(あのときの子だ――)
連鎖的に、かれの名前が想起される。
(すが、きょうたろうくん、だっけ)
どうやら、いまも麻雀を続けているようだった。
その楽しさは咲にはわからない。
ただ、牌に向かいあうかれの姿勢はとても直向に見えた。
(麻雀、好きになったのかな)
ようやく喉に刺さった小骨が取れた心地で、咲は手洗いへ向かおうとする。
と、まさに踵を返そうとした瞬間に、視線を移した少年の目と咲のそれが直交した。
射竦められたのは、盗み見たような後ろめたさと、少年の目線の強さに打たれたせいだった。気づかないふりをしてそのまま歩み去るには、咲の気は弱すぎた。とりあえず最初から談話室に用事があったような体で、彼女はおずおずと室内に足を踏み入れる。少年は無言で咲を迎える。しげしげと自分の身体を見回す視線から逃れようとしてかなわず、咲は手足を擦り合わせた。
「ど、どぉも」
「よう」と、かれは偶然を楽しむような素振りで応じた。「ごぶさただな。サキ、でよかったっけ?」
相手がまるで覚えていなかったらどうしようと思っていた咲だったが、京太郎の気安い台詞に、とりあえず安堵の息を吐いた。
「よく覚えてるね」
「いま、ここで顔みたら思い出したんだよ。さっき、下にもいたよな? わるい、あのときは普通に気づかなかった」
「あは」思わず、咲は笑った。「実は、わたしもそうなんだ」
と、答えたところで会話が途絶える。互いの距離感を計りかねている時特有の、探るような間が生じて、咲は話題を探した。
「な、なにやってるの? ひとりで」
「
「ぱいふ」
と、鸚鵡返しに呟いて数秒、咲は『牌譜』に思い当たった。彼女自身にそういった経験が皆無であったため、理解が遅れたのである。
「へえ……」
何とも反応に窮して、咲は深い追求を避けた。彼女にとって麻雀は、偶然と感性の所産であるという意識が根強い。終わった対局の検討をすることに、さほどの意味があるとは思えなかった。とはいえ京太郎は真剣な様子で、さすがにそんなかれに対して『それ意味あるの?』とは訊けない。その落差が却って好奇心を刺激して、咲は京太郎の手元を覗きこんだ。
{一二六①③③③⑨2499白}
「これは?」
「配牌」と、京太郎は答えた。「で、これが自摸と河」
自摸:{⑥二1八3九三發②
河 :{⑨⑥白949九八六發}
最終形:{二二①②③③③123} チー:{横二一三} ツモ:{二}
「7巡目に上家の親から立直が入ってるのに、10巡目で
「……一回も自摸切りがないね、この河」
「そうだな。よくわかんねえ打牌もある」つまらなげに京太郎はいった。「場況に応じた指運っていうのかね――他にもいくつかあるぜ」
そう言って京太郎は、素早い手つきで配牌と自摸、河を再現していく。口ぶりからしてかれ自身の手ではないらしいが、他人の牌姿をよく事細かに覚えているものである。そして一局一局、場況の補足を入れつつ、不自然な点や不可解な箇所を論っていく。京太郎の関心は、それらの一打々々が、失着とはならず必ず和了へ結びついている点にあるようだった。
あまり興味はないながらも、謎解きでもしているような風情の少年に感化されて、咲も本腰を入れる。
――が、入れたそばから、彼女は拍子抜けした。
「えっと、ごめんね? へんなこと訊いちゃうかもしれないけど」と、断って、咲はおずおずと疑問を口にした。「その手順――何か、そんなに難しいことあるかな?」
「難しいことはない」と、京太郎は答えた。「誰がいつ聴牌するかと、どこで待たれているのかと、自分の和了目がどこにあるか――それが
「そうだよねえ……じゃあ、なにがわからないの?」
「……あァ、なるほど。もしかして、」
両目を解して天井を仰いだ京太郎が、咲に意味ありげな視線を送ってきた。
「
「え?」
「ま、どっちでもいいや」京太郎が笑った。「おまえ、照さんとどれくらい打ってんの」
「打ってるって……麻雀?」
「他に何があるんだよ」
「え、えー、最近はあんまり。前はしょっちゅう」咲はへどもどしつつ答える。「で、でも、いっかいも勝ったことない……」
「ふゥん。――照さんのクセとか弱点とか、知らない?」
「知らないよ……」と、いってから、「……
妙に気安い京太郎の呼称に、咲は目を瞬いた。彼女の記憶が正しければ、照と京太郎の関わりは自分のそれと大差なかったはずである。
「ああ」と、京太郎は手を打った。「照さんから何も聞いてないか? 先週、あのひとと打ったんだよ、おれ。で、今さっきまた来週打つ約束してきたとこ」
「そうなの?」
照と少年がなんだか心安げなこと、照が家の外で麻雀を打っているらしいこと――二重の意味で喫驚して、咲は口を開けた。
「まァ、前回はぼろ負けしたんだけどな」と、苦く、京太郎は笑った。
「……うん」
照に勝つことがたぶん無理だとは、さすがに思っても、咲は口にしなかった。
「そういえば、最初の最初も、大負けするところをおまえに見られてたっけ」
随分と旧い思い出を口にしたかのように、京太郎の目が細められた。咲も追憶の焦点を合わせて、周囲を見回す。人生初の対局で空聴立直を打って照をやりこめたかれを思い出すと、未だに微笑まずにいられない。
あの瞬間だけ、咲は麻雀を楽しいかもしれないと、また思うことができた。
夏から冬にかけての数ヶ月に、印象深い何かが咲に訪れなかったわけではない。10月末に誕生日を迎えて、咲は10歳になった。すこし大人になったような気がした。お気に入りの本も増えた。大きな浮き沈みのない穏やかな時間の中で、咲は概ね満足行く生活を送ってきた。
京太郎はというと、どうやら咲が思う以上に麻雀にのめり込んでいるらしかった。
「麻雀、好きなの?」
と、咲は思いつくままに問を発した。
質された京太郎は、呆れたように笑った。
「最近、ホントそれよく聞かれるぜ」
「あ、ごめん、いやだったら――」
「好きだよ」
と、京太郎は言った。
「誰に、いつ、どこで聞かれても、答えは同じだ」
少しだけ掠れた声のトーンと言葉の並びに、咲は赤面した。衒いのない好意の囁きが、彼女の持つ琴線のどこかに触れたのだった。他愛ない問いかけの心算が想像以上の熱量を返されて、咲は二の句に窮した。
「そ、そっか……」
「おまえは?」と、今度は京太郎が問うた。「前、ここで打とうとしなかったよな。麻雀好きじゃないのか?」
「それは――」
喉元までせり上がっていた肯定を、咲は反射的に押し止める。咲は麻雀を倦厭している。それは事実である。けれども京太郎が好きだと言ったばかりの麻雀を否定するような台詞は、いかにも口にしづらかった。
小説の登場人物のような軽快な韜晦が、咄嗟に思いつくはずもない。咲は言葉の接ぎ穂を見失い、視線を漫ろに左右させる。京太郎の直線的な感情を前に、彼女はかれに声を掛けたことを後悔しはじめていた。
(べつに、わたしは何も悪くないのに)
また、会話が止まる。京太郎は答えあぐねる咲の様子を素早く察したようで、子供らしくない苦笑いを浮かべた。
「ばッかだなァ。気ィ遣ってんのか? べつに、おまえが麻雀嫌いだってどうとも思わねーよ」
「ごめん……」
「謝ることもないだろ。気にすんな」と、京太郎は言う。「でも、もったいないな。たぶん、おまえも強いんだろう? 照さんが強すぎて厭になったのか?――あぁ、答えたくねーならそう言ってくれよ」
伝法で、とても優しくはない京太郎の口調と妙な気遣いのギャップに、咲は思わず笑みをこぼした。
「言い難いことじゃないんだよ」と、咲は答えた。
それからぽつぽつと、麻雀に倦んだ経緯を語った。麻雀を打つことそのものが苦手なわけではないこと。最初から麻雀が嫌いだったわけでもないこと。いつからか家庭内のバランスのようなものが崩れ、勝つことも負けることも否定され、今ではただの作業と変わりなくなってしまったこと。並べて伝えてみると、それは如何にも単純な理由で、それだけに根が深かった。勝つ喜びを否定されれば、最早競技に興じる理由はなくなる。とくに咲にとって、麻雀は決して生活を送るために不可欠な要素ではなかった。あくまで、咲は麻雀が
一頻り語り終えると、咲は息をつく。ついぞ記憶にないほど一気呵成な喋りに、後半はやや舌が縺れたほどだった。
黙って咲の事情に耳を済ませていた京太郎は、悩ましげな顔で、
「くっだらねー……」
と、思わずといった調子でいった。
「くだらなくないよっ」これは捨て置けないとばかりに、咲は抗弁した。「何もいいことないもん、いやになったっておかしくないでしょ!」
「悪い。おまえにとったら、そうだよな」京太郎は素直に頭を下げて、「……でも、なんかイメージ合わないな。さっき照さんに勝ったことないって言ってたろ。親父さんとかお袋さんが、勝ったら怒るってのか? 家族麻雀で?」
頬を膨らませて、咲は頷く。
京太郎はますます困惑した風に眉根を寄せた。
「ひとの家のことだから、何もいえねーけど」と、かれはいった。「それなら――無理強いはしねーし、気が向いたらでいいけどさ、おれとか、おれの友達と打とうぜ。みんないいやつばっかりだから、厭な思いはしないだろうし、させないよ。賭けてもいい」
「え」
思っても見ない提案だった。望んでもいなかった。かといって、有難いと感じないわけでもない。瞬間的に自分の心が指す方位がわからなくなって、咲は混乱する。
いまの彼女に、麻雀を打ちたいという欲求はない。
一切ない。
今後未来永劫打てなかったとしても、まるで苦にならない自信がある。
けれども、あんなに楽しそうだった京太郎の横顔が、今でも思いだせる。
「でも、えっと――すがくんの友達って、男の子でしょ? わたし、男の子、ちょっとこわい……」
「いや、女子も多いんだこれが。照さんも含めて年上ばっかだけどな」京太郎はやや羞じた素振りでいった。「しかもみんな、だいたいおれより強い」
「……けっこう、女の子と一緒に遊んだりするの?」
硬派な印象を裏切られたような気がして、咲の口調にはやや棘が混じった。
「麻雀打てれば男とか女とか関係ないよ。強けりゃもっと言うことはないけど、上手い下手も、関係ない。打ちたいときに打てばいいのさ。そこに何を持ち込んでも持ち込まなくても、そんなのは自由だ」京太郎は屈託なく笑う。
その返答は、咲の腑に落ちた。京太郎の主軸がわかったような気がしたのである。咲にとっての読書が、つまり京太郎にとっての麻雀だった。もちろん二人はそれぞれ異なる趣味嗜好を持ち、違う動機を持って各々の世界観に向き合っている。何もかもが同じであるはずはない。
(こうやって――ただ、ふつうに、麻雀が好きな人もいる)
テレビの中にも、身の回りでも、咲には理解できないほど麻雀を好む人種は溢れている。恐らくは京太郎もその一人に違いない。
かれに特別なものがあるわけではない。
(お姉ちゃんも、そうなのかな。そうなんだろうな。わたしとは違って……)
咲は、照のことを思い浮かべる。照は咲の知る限りもっとも強い少女であり、咲が生きるうえでの一つの指針である。それは何かしら重々しい理由に裏付けられたものではなく、単純な慕情だった。
(わたしとは違うのに……この子とは、同じなんだ)
照と、何の制限もない卓を囲む光景を、試みに空想してみた。
咲は期待していない。
いつだって現実は味気なく、空想の色彩と比較すれば、モノトーンにも等しい。
麻雀に未練はない。
それは事実である。
けれども、まぶたの裏の景色にまで未練がないわけではない。
屈託なく家族で遊び語らうことを、放棄できるほど彼女は達観していない。
「ねえ」
と、咲は、衝動に促されるように京太郎に囁きかけた。
「――おねえちゃんとは、いつ打つの?」
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:43
予期せぬ対面に、瞬間的に場が森閑とする。宮永照と宮永咲が、地元を離れ、早朝、雀卓が据え付けられたマンションで向かい合う。要素を並べれば違和感しかない構図である。
(ほんとに何も話してなかったのか)
照に対して、自分の存在を伏せて欲しいと咲はいった。仔細は訊かなかった。京太郎と同様、咲にも何かしら期するところがあるのかもしれない。咲が京太郎に助言も助力も求めなかった以上、それを心得ておく必要はない。
「……」
照の瞳は能弁である。無言のまま京太郎に状況の説明を求めている。
京太郎は肩を竦めた。
「見て聞いたとおりだよ。四人目の面子はそいつってこと」
「どうしてそうなったの」
「成り行き」
「――そう」
咲へ視線を戻した照が、嘆息交じりに口を小さく開閉させる。何か言葉を掛けようとして、失敗したといった様子だった。
京太郎は一寸意外な光景に目を眇める。照はふだん朴訥としているが、肝心なときに必要な分の弁は立つというのが京太郎の認識だった。咲に対して言葉を掛けあぐねる様子は、照が見せた新たな側面である。
(どこの家も、色々あるんだろうな。とはいえ――)
今日は、家族談義をするために集まったわけではない。
「あなたたち、毎日顔合わせてるんだから積もる話があるってわけでもないでしょう」呆れた顔で、京太郎の意図を汲んだ月子が場を取り成した。「さっさと座りなさいよ。きょうは二人とも麻雀を打ちにきたのよね。なら、やるべきことはにらめっこじゃあないわ」
「たしかに」
と、頷いたのは照だった。咲を促し、フロアに招く。ただしその間ずっと、照の目線は京太郎に刺さったままだった。
「なにか」少し挑発的に、京太郎は照を見返した。
照の反応は、京太郎の想定外だった。
彼女は薄っすら微笑み、京太郎の手を取ったのである。
「――やっぱり、京太郎は
何を返す間もなかった。一瞬で照の指は京太郎から離れる。月子も、花田も、咲も意識していない間に起きた出来事だった。
反応できずに立ち尽くす京太郎の肩を、笑みをこらえ切れないといった顔の池田が叩いた。
「なんかよくわかんないけど、青春してるねぇ」
「ほっといてくれ」
京太郎は仏頂面で、その手を跳ね除けた。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:55
ルール:半荘戦
持ち点 :25000点持ち・30000点返し(オカ:20000点)
赤ドラ :あり( {[五]、[⑤]、[⑤]、[5]} )
喰い断 :あり
後付け :あり
喰い替え:なし
ウマ :あり(二位:10000点、一位:30000点)
レート :1000点・50円
チップ :一枚・100円
祝儀 :一発(チップ一枚)、赤ドラ(チップ一枚)、裏ドラ(チップ一枚)、役満(チップ五枚)
清算 :半荘清算(誰か一人の持ち金が
その他 :割れ目(積み棒、罰符は対象外)
その他 :アガり止めなし
その他 :多家和なし/頭跳ねあり
その他 :三家和/四開槓/九種九牌/四風連打/四家立直/
その他 :大三元・大四喜の
その他 :嶺上自摸符は2符、連風牌の雀頭は4符として扱う
その他 :暗槓への槍槓は国士無双和了時のみ有効
持ち金を含めた最終的なルールの確認が終わった。掴み取りで場決めを行い、各人が席につく。席順は花田――以降に照、京太郎、そして咲と続く。
「――よろしくお願いします」
花田が、律儀に三家へ一礼する。合わせて会釈する照と京太郎に一拍遅れて、咲が頭を下げた。
花田の指が、卓中央へ向かう。
踊る賽の目は「
「親番を引きました」
神妙な面持ちで、花田煌は面子を見回した。
一回戦
起親(東家):花田 煌
南家 :宮永 照
西家 :須賀 京太郎
北家 :宮永 咲
「では、記念すべき最初の門を、開けるとしましょう」
そして出た目は「
――京太郎が、この日最初の割れ目となった。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:59
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
【東家】花田 煌 :25000
チップ:±0
【南家】宮永 照 :25000
チップ:±0
【西家】須賀 京太郎:25000<割れ目>
チップ:±0
【北家】宮永 咲 :25000
チップ:±0
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:59
(さて、今年最後の大一番――)
まだ清涼さの残る早朝の空気を肺に取り込み、花田煌は三方を見渡す。夏からこちらもはや馴染みの感のある須賀京太郎を対面に置いて、上下は全くの新顔である。
花田が強く意識しているのは、下家の少女だった。
(東場のあの子に、影も踏ませなかった、宮永――照さん)
先週の日曜日に起きた事の顛末については、京太郎と月子から聞き及んでいた。「平たく言えばぼっこぼっこにされた」とは月子の弁である。当事者の一人である片岡優希は、年末ということもあってか昨日も一昨日も、麻雀教室に姿を見せることはなかった。臍を曲げて麻雀から距離を置いている可能性もあるが、そうではないだろうと花田は考えている。
片岡は、良くも悪くも見た目どおりの少女である。負けん気が強く、陽気で、感情的で何より活力に溢れている。敗北は彼女に痛手を与えただろうが、花田は、それが成長への糧となることを疑っていなかった。
(いい勉強をさせてもらったと思いましょうか。それはそれはすばらなことです。でも、まァ――後輩の借りを返すってわけじゃ、ないですけど)
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
配牌
花田:{一一一七⑤⑥488南北白中中}
(――私も、なけなしのお小遣いをはたいて来てます。負けて年越す気は――ないですよ)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:59
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
配牌
照:{二四六八①③④⑥⑨1268}
手牌に目を落とし、宮永照は徐に自らの胸へ手を伏せる。
鼓動はやや早い。
心に急かされるような拍動を、彼女は期待の表れと受け止める。
対面に座る咲を、照は見る。
そして、瞑目する。
(――)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:59
須賀京太郎は、牌に触れる。滑らかな質感はかれに落ち着きを与えてくれる。呼吸を深くゆっくりと重ねる。思考や意識に泡沫のように浮かぶ夾雑物を、丁寧に削ぎ落としていく。
(思い入れは、あっていい)
麻雀に不要なものを取り除いていく。
(悩みや迷いも、あっていい)
偏りを均すイメージで、かれは心の向きを束ねていく。
(おれはここにいて、麻雀を打ってる)
遠方で出会った少女の、冠絶した孤独を想う。
友人に打たれた頬の熱さを想う。
(消えてなくなりたい以上に、麻雀を打ちたいからだ)
京太郎の心象は、未だ頼りない藁の束だ。
(でもこいつが――芯になる)
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
配牌
京太郎:{一二三三六七九②⑦6東東發}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 06:59
いやに澄んだ空気に、咲は戸惑う。生来朝に弱い彼女の思考は、未だはっきりとした覚醒を迎えていない。義務感と緊張に促され足を運んだこの場所で、彼女ひとりだけ、まだ戦いの場に臨む気概を構え切れていない。
実のところ、動機も整理し切れていない。
金銭を掛けた麻雀を打つのは初めてではない。京太郎にはその点何度も念押しされ、そのうえで今日、彼女はこの場に訪れた。明確な覚悟や決意を持ってきたわけではなく、どちらかといえば衝動や勢いによる行動の結果である。
(この空気――)
牌に触れる。ずいぶんと久しぶりの感触にも関わらず、指先の延長のように、その物質は咲に馴染む。違和感の欠片もない。咲の手の中に納まるのが当然であると、牌は主張しているかのようだった。
(そういえば、家族以外のヒトと麻雀打つの、はじめてだ。あいさつもちゃんとしてないし、なんだか、すごく緊張するよ……)
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
配牌
咲:{二六九⑦⑧137999南白}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:00
「お腹空いたし」
と、池田華菜がいう。
「台所に食材もあるから何か適当に作れば?」月子はにべもなく応じる。
「めんどい……今日も家出る前にチビたちの離乳食つくってきたばっかだし……」
「しょうがないわねえ。朝ごはんの残りのおにぎりでよければあげるわよ」
「あんならはやく出せよ」
「何様かしらほんとに……」
嘆息する月子が手渡した握り飯に齧り付くと、池田は今さら物珍しげに周囲を見回した。
「しっかし、ここ凄いな。マンション麻雀のハコだろ? さすがにはじめてだ。テンションアガるなー」
「街の雀荘やマンションより先に賭場の開帳に顔だしてるような子がなにいってるのよ」月子は口はしをゆがめていった。「一応、ここ現役のハコらしいんだけどね。同じこのマンションの別のフロアにも部屋があって、最近そこがガサ食らったんですって。で、客足も遠のいちゃったし汚れちゃったしで、いまべつの物件探してるからって、きょうは無理いって貸してもらったの」
「なるほど、だからメシも雀卓もあるのかー。至れり尽くせりだな。なぁ、ここ溜まり場にしようよ!」
「わたしの話聞いてた?」
「それにしても、テンゴワンスリーで割れ目もご祝儀もアリアリとか、須賀もずいぶんガチな場ァ開いたよな」唐突に話題を変える池田である。彼女は基本的に気まぐれで強引で自分勝手だった。「どうしちゃったの、あいつ」
「須賀くんなりのけじめなんですって」月子は肩をすくめた。「何も賭けなければ、結局勝つまで際限なく続くだろうから、どこかで終わりを決めることにしたとかいってた」
「ふ」池田が笑った。「それが時間や場所じゃなくて銭に行き着くあたり、なかなか救いようがない莫迦だ」
「それで女の子ばっかりの面子が揃っちゃうのもどうかと思うわ」
「違いない」
吹きだした池田が、ふいに鋭く目を細めた。
「――ああ。今日は、荒れる気がするよ」
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
(頭はまわってる。指にも血はめぐってる)
はじまりの配牌は3向聴。中よりやや上の賜りものを、花田は自分らしいと笑って受け入れる。
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
1巡目
花田:{一一一七⑤⑥488南北白中中}
(す、ば、)
{打:北}
(――ら!)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
1巡目
照:{二四六八①③④⑥⑨1268} ツモ:{五}
打:{⑨}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
1巡目
京太郎:{一二三三六七九②⑦6東東發} ツモ:{八}
手ごたえのある自摸だった。
分断を前提としていた萬子に埋まった嵌{八萬}が、手牌の進路を示しているようだ。
(初っ端から自摸の気まぐれに躍らされたんじゃ、先が思いやられる)
冷たい空気を肺に取り入れて、かれは劈頭に宣戦のための牌を置いた。他家を見渡せば、いずれも自分より格上と思しき面子が並んでいる。つまりは普段どおりということだった。
(照さんがいるからって、照さんに拘ってもしょうがねえ)
打:{②}
(さて、どう来る)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
1巡目
咲:{二六九⑦⑧137999南白} ツモ:{[⑤]}
打:{九萬}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
2巡目
花田:{一一一七⑤⑥488南白中中} ツモ:{⑨}
(今のところ、仕掛けを入れても2000の手――)
自摸った牌と手元を見比べ、花田は口元を緩めた。
{打:南}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
2巡目
照:{二四五六八①③④⑥1268} ツモ:{4}
打:{1}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
2巡目
京太郎:{一二三三六七八九⑦6東東發} ツモ:{白}
(なんともまぁ、2巡目にして悩ましい自摸だな)
心中期するところを持って臨んだからといって、運が上向けば苦労はない。博打とは無情であり、それ自体は温度を持たない概念だ。
ただし、月面や暗がりのように、稀に綻んだ顔を見せることがある。
(――まずは、奇をてらうより今日の調子の確認といく)
打:{⑦}
京太郎は、進路を定めて舵を切った。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:01
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
2巡目
咲:{二六[⑤]⑦⑧137999南白} ツモ:{3}
{打:南}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:02
陽が昇りきる。
窓から差し込む光の眩さに目を細める月子の眼前で、対局は淡々と進んでいく。
その日最初の山――東一局0本場は、各人が驚くほど順調な自摸に恵まれた。
中でも突出した牌勢を得たのは、誰あろう面子の中では月子がもっとも不利と見る京太郎である。
(須賀くん)
月子が激昂したあの日から、すこし、京太郎は変わった。
少なくとも月子は、京太郎に変化を見出している。具体的な兆しや、明確な徴があるわけではない。曖昧なそれは、むろん、気のせいかもしれない。
人はどこまでいっても完全に他者とは交じり合えないと、月子は信じている。紡いだ言葉も正しくは伝わらない。肉親さえ理解できない月子だ。京太郎に対しては大きな口を叩いても、それを支えるだけの自負や確信は、彼女にはない。
月子の直観には、だから願望が多分に含まれている。
(意地のひとつも、見せてみなさいよ――)
それでも、かれを応援する気持ちに濁りはなかった。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:03
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
3巡目
花田 :{一一一七⑤⑥⑨488白中中} ツモ:{④}
打:{⑨}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
3巡目
照 :{二四五六八①③④⑥2468} ツモ:{發}
打:{①}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
3巡目
京太郎:{一二三三六七八九6東東白發} ツモ:{四}
打:{6}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
3巡目
咲 :{二六[⑤]⑦⑧1337999白} ツモ:{二}
{打:白}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:03
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
4巡目
花田 :{一一一七④⑤⑥488白中中} ツモ:{7}
{打:白}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
4巡目
照 :{二四五六八③④⑥2468發} ツモ:{中}
{打:發}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
4巡目
京太郎:{一二三三四六七八九東東白發} ツモ:{⑦}
{打:白}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
4巡目
咲 :{二二六[⑤]⑦⑧1337999} ツモ:{③}
打:{7}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:03
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
5巡目
花田 :{一一一七④⑤⑥4788中中} ツモ:{西}
{打:西}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
5巡目
照 :{二四五六八③④⑥2468中} ツモ:{②}
打:{二}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
5巡目
京太郎:{一二三三四六七八九⑦東東發} ツモ:{北}
{打:北}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
5巡目
咲 :{二二六③[⑤]⑦⑧133999} ツモ:{4}
打:{1}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:04
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
6巡目
花田 :{一一一七④⑤⑥4788中中} ツモ:{九}
打:{4}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
6巡目
照 :{四五六八②③④⑥2468中} ツモ:{5}
打:{八}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
6巡目
京太郎:{一二三三四六七八九⑦東東發} ツモ:{發}
打:{⑦}
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
6巡目
咲 :{二二六③[⑤]⑦⑧334999} ツモ:{④}
打:{六}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:04
「お」
と、池田が声を漏らした。一気呵成に萬子へ寄せきった京太郎の自摸に感心しているらしい。{二五
「実力じゃないわ」
と、つとめて醒めた声色で、月子はいった。
「まあな」池田も否定はしなかった。「べつにあそこに座ってるのが須賀じゃなくても、あの配牌と自摸をもらえばたいていのやつが同じ最終形に届くだろう。でも、麻雀ってそういうもんじゃん?」
「それは、まぁ、そうだけど」
彼女の眼にも、今日の京太郎は好調に視える。
――が、凡俗の好調を一蹴するのが超人である。月子が池田の尻馬に乗らないのは、現実を見て落胆することを避けるためもあった。
(宮永さんはともかく、あの妹さん……ちょっと、よくわからないわね)
後追いでやってきたお下げの少女は、今のところ際立った動きを見せていない(東一局なのだから当然といえば当然だった)。月子の
(それでも、あのおねえさんの向こうを張れるってだけで相当なんでしょうけれど――)
唐突に現れた異分子を、月子は腑に落ちない思いで眺める。
その視線の先で、場に最初の波が立っていた。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:04
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
7巡目
花田 :{一一一七九④⑤⑥788中中} ツモ:{北}
{打:北}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:04
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
7巡目
照 :{四五六②③④⑥24568中} ツモ:{⑥}
四人の中でもっとも遅れて、宮永照が1向聴に達した。{3}が埋まった場合はフリテンだが、嵌{7}を入れれば3面張の平和手である。
立直を打てば高目出和了3900、自摸和了りで1300・2600――ただし、この場には割れ目のルールが存在する。よって自分が割れ目ではなかったとしても、自摸和了の時点で得点は必ず1.25~1.5倍となる。要するに、打点の期待値は子であろうと通常の親番並に跳ね上がるわけである。『聴牌が速い』ことは、この偏った状況下では途轍もないアドバンテージであった。
{打:中}
打たれた紅中に、かかったのは花田煌だった。
「――ポンっ」
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:04
(序盤から中張牌を並べ打ってる
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
8巡目
花田 :{一一一七九④⑤⑥788} ポン:{横中中中}
(お手並み、拝見っ)
打:{7}
照は、打たれた{7}に一瞥もくれない。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
「
と、月子は池田に尋ねた。
「鳴かない」と、池田はいった。「あたしは、あの受け入れなら面前で仕上げる。親から仕掛け入ってるのにノミ手じゃやってられないし。――ま、でも、あんたは鳴くだろ」
「あの巡目ならそりゃ聴牌いれるわよ。でも……」月子は首を捻った。「あのひとなら、ほら、ああなるでしょうからね」
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
8巡目
照 :{四五六②③④⑥⑥24568} ツモ:{7}
打:{2}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
山から引いた
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
7巡目
京太郎:{一二三三四六七八九東東發發} ツモ:{[五]}
(出来過ぎの自摸――じゃ、あるけども、上の二人の切り出しからして、聴牌は二番か三番乗りって感じか)
花田
河:{北南⑨白西4}
{7}
照
河:{⑨1①發二八}
{( 中 )2}
京太郎
河:{②⑦6白北⑦}
咲
河:{九南白71六}
(一枚切れの{發}と
打:{三萬}
零れた萬子を無造作に河へ捨て、京太郎は瞳を伏せた。
(顔を上げろよ)
自制を言い聞かせても、かれの心は、照を強く志向しようとする。
(――首が落ちるぜ)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
7巡目
咲 :{二二③④[⑤]⑦⑧334999} ツモ:{①}
「ん――」
打:{①}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
「三軒聴牌に、ひとり乗車遅延か」池田が値踏みする目を咲へ送った。「河もろくろく見てないな。当たり牌どれも止められそうにない」
「どうかしらね」
食い入るように場を見つめる月子は、咲に対する評価を保留する。
(あの気配の宮永さんの妹が、そんなに可愛らしいとは思えないけれど)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
9巡目
花田 :{一一一七九④⑤⑥88} ポン:{横中中中} ツモ:{五}
(あら……)
待ちの変わる自摸を前に、花田は数秒思考をめぐらせる。場から計れる待ちの残り枚数は嵌{六萬}も嵌{八萬}も同じ三枚である。基本に則れば待ちは外に寄せるべきである。{五萬}を自摸切って引っ掛けを期待するのも常道ではある。ただし下家の聴牌気配が濃い以上、中筋とはいえ生牌を切ることには抵抗がある。
そして、何より、
(萬子の真ん中は、あまりにも須賀君がこわい。――あの子、無表情でえっぐい手張りますからねぇ……うーん、ここは店じまいっ)
打:{一萬}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:05
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
9巡目
照 :{四五六②③④⑥⑥45678} ツモ:{8}
その牌を引いた照の動作に、逡巡や遅滞は一切なかった。彼女は引いた二枚目の{8}を迷わず手牌の中ほどにいれる。彼女は黙して、場に視線を飛ばす。
光沢のない瞳が浚うのは、京太郎の河である。
そしてつかぬま、照の双眸は瞼に隠れる。
「―――立直」
と、彼女は言って目を開き、
打:{8}
牌を、曲げた。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
「空切りィ?」池田が眉をひそめる。「須賀への
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
(あ、これヤバイ。すばらくない)
虫の知らせとしか呼べない感覚がある。それは唐突にやってくる。下家の立直に際して、花田煌の右脳があまりにも甲高く警鐘を鳴らす。
「っ、その{8}――ポンです!」
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
10巡目
花田 :{一一五七九④⑤⑥88} ポン:{横中中中} ポン:{横888}
打:{一萬}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
その副露に対して、宮永照の眼がほんのかすかに驚きの形を描いたことを、その場にいる誰も気付かない。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
(一発消し――じゃない)
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
10巡目
照 :{四五六②③④⑥⑥45678} ツモ:{1}
(なに――いまの鳴き)
打:{1}
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
8巡目
京太郎:{一二三四[五]六七八九東東發發} ツモ:{八}
(――)
立直後に引いた牌が
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
8巡目
咲 :{二二③④[⑤]⑦⑧334999} ツモ:{發}
(お姉ちゃんの安牌。……すがくんはオリてるし――)
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
「完璧すぎる」池田が笑いをこぼした。
「うっそぉ」月子は、目の前の光景が信じられずに目を丸くする。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
咲は、ほとんど手拍子で、
{打:發}
と、いった。
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
「ロン」
東一局0本場、
「16000の一枚は――」
京太郎:{一二三四[五]六七八九東東發發} ロン:{發}
「――32000の一枚だ」
手牌を場に晒したのは、須賀京太郎だった。
東一局0本場 ドラ:{東}(ドラ表示牌:{北})
【東家】花田 煌 :25000
チップ:±0
【南家】宮永 照 :25000→24000(- 1000)
チップ:±0
【西家】須賀 京太郎:{25000→58000(+32000、+ 1000)<割れ目>
チップ:+1
【北家】宮永 咲 :25000→-7000(-32000)
チップ:-1
▽ 12月30日(月曜日) 長野県・駒ヶ根市・トーワマンション701号室/ 07:06
「え」
と、咲は呟いて、口元を引きつらせた。
2013/1/6:後日投稿分を合併
2013/2/20:牌画像変換
2013/4/2 :変換漏れ修正
2013/4/7 :割と重要なルールが遺漏していたため追記