9.ばいにん(後)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:33
南一局流れ一本場 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
【東家】南浦 数絵(親) :22000
【南家】須賀 京太郎 :17600
【西家】石戸 月子 :35800
【北家】花田 煌 :24600
石戸月子は運を視る。ただし、
つまり存在していない。
それは間違いなく優れた資質だ。
只人の枠には収まらない才能だ。
(だからわたしは特別だ)と月子は思う。
母がまだ正気づいていたころ、「それは見鬼のちからだ」と月子に教えたことがある。見えざるものを視るちから。鬼とは隠が転じた言葉という俗説もある。隠り身は転じて「かみ」と呼び習わしたというものもいる。月子は目で見ているわけではないが、見えざるものを視る「目」を持っている。それを石戸の人々は、見鬼と呼び習わしたというわけだった(月子の兄――石戸古詠は妹の力を『鬼ごっこ』に喩えた。たしかに、月子のちからは古式ゆかしいあの遊戯によく似ている)。
大抵の人々にとって、運とは不可視であり、不可聴であり、不可触である。現象が提示する結果以外から、運の良し悪しを感得することはできない。彼らは皆々ただそこにある運を検知するためのクオリアを持っていない。
けれども石戸月子は運を視る。場や、人や、ものは、それぞれ傾きを持っていると知っている。彼女には勝負全般に存在するといわれる流れがわかる。澱みがわかる。潮目がわかる。月子はそこから運の多寡を量る。引力と斥力を測る。技術や思考に先んじて結果を察知することができる。
それは麻雀という遊戯に留まらない優越性である。
月子は麻雀がそれほど好きではない。だが自負はある。自分は優れているという自負がある。その偏った矜持は、今のところ彼女の視野を狭めるものだ。可能性を剪定し、様々な不利益を自ら進んで囲い込む要因にもなっている。けれどもだからこそ彼女はどうにかやっていけている節がある。耳目を塞いで大口を叩いて日々を生きているからこそ、今のところ(そう、あくまで今のところ)色々なものを投げ出さずに済んでいる。
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
配牌
月子:{二三六七③④⑥⑦124西西}
(須賀くんは)
と、月子は思う。
(いまの局で勝ちきるべきだった。役満と倍満の天秤なんか狙うべきじゃなかった。混一色役役に小三元かドラでも絡めば、じゅうぶんわたしをしのぐことができた――初心者にそれを言うのは酷でしょうけれど)
上家の少年を、視界の左端に納める。顔つきは真剣である。牌の切り出しに細心の注意を払うという気概がみえる。だがいかんせんかれは素人である。それは自己申告に過ぎないが、京太郎の所作の端々から、月子はそれが事実であろうと半ば確信していた。牌の取り扱いなどすぐに慣れるものだ。手先が器用なものであればそれこそ一日である程度ものにできる。だが京太郎の手つきは、純粋にぎこちない。
そして、いまのかれには前局の運勢はない。最前、かれは純粋に、理由もなく
(まあ、それなりにたいしたものとは思うわよ。よくわたしの打ち筋を見切ったものよ。お勉強ができるのかしら? それとも単純にカンがいいのかしら? そこは素直にすごいっていってあげてもいい。なんなら強くなるって保証してあげてもいい。でもそれは少なくとも
月子は視線をかれから南浦、花田――そして抜け番の池田に向ける。
(あなたの自己満足にだけ、付き合ってるわけにもいかないのよ。わたしの目的は、前半戦の無様な自分をお祓いすることなんだから。そして、あの家を出て、前に進むんだから――)
この茶番を即座に終える。そして須賀京太郎を精神的に屈服させる。かれの月子に対する得体の知れない作用を吟味するのは、それからでよい。
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
1巡目
南浦:{■■■■■■■■■■■■■}
打:{①}
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
1巡目
京太郎:{■■■■■■■■■■■■■}
打:{一萬}
「――チー」
京太郎から吐き出されたチー材を鳴くことに、月子はいささかの躊躇いももたなかった。打点や巡目は彼女にとって副露をしない理由にならない。
月子はただ疾きを求めている。
月子が取り分け警戒しているのは、親の南浦である。これまで池田の陰に隠れて目立っていなかったが、南場における彼女の
(あの子には……
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
1巡目
月子:{六七③④⑥⑦124西西} チー:{横一二三}
打:{1}
「ポン」と、京太郎がいった。
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
2巡目
京太郎:{■■■■■■■■■■} ポン:{11横1}
打:{②}
「――――チー」
月子は再度鳴く。
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
2巡目
月子:{六七⑥⑦24西西} チー:{横②③④} チー:{横一二三}
打:{2}
京太郎からの発声はない。
(あっさり封殺)と、月子は思う。(運がわるかったわね、須賀くん)
そして、花田の自摸番が廻る。月子の自摸筋に他家の手が触れる。
石戸月子の鬼ごっこが始まる。
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:36
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
3巡目
月子:{六七⑥⑦4西西} チー:{横②③④} チー:{横一二三} ツモ:{西}
打:{4}
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
4巡目
月子:{六七⑥⑦西西西} チー:{横②③④} チー:{横一二三} ツモ:{①}
打:{①}
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
5巡目
月子:{六七⑥⑦西西西} チー:{横②③④} チー:{横一二三} ツモ:{八}
打:{⑦}
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
5巡目
月子:{六七八⑥西西西} チー:{横②③④} チー:{横一二三} ツモ:{九}
打:{⑥}
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)}
6巡目
月子:{六七八九西西西} チー:{横②③④} チー:{横一二三} ツモ:{西}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:41
(槓材――)
月子が引き寄せた四枚目の{西}は、なにかの暗示に見えた。巡目は序盤から中盤に移行しつつある。
(それより何より)月子は親の河へ目をやった。
南浦:
河
{①南五⑦④9}
(いまにもバカみたいに高い手を和了りそうな子がいるじゃない……)
他家はすでに月子の聴牌気配を嗅ぎ取っているだろう。京太郎はともかく、南浦・花田から和了することはできない、と月子は読んだ。
(読む?)
月子は微笑する。河や山の読みなど完全ではない。それこそ牌の背が透けないかぎり、放銃を回避し切ることなどできない。筋も壁も絶対ではない。なぜ、京太郎はともかく、などと月子に推し量ることができるだろう? 誰もが和了り、誰もが放銃する可能性が卓上にある。
――可能性の手を振りきって駆け抜けたものだけが勝利者になれる。
「カン」
と、月子は呟いた。
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)} 槓ドラ:{3(ドラ表示牌:2)}
6巡目
月子:{六七八九} カン:{■西西■} チー:{横②③④} チー:{横一二三}
賽の目で自滅を引いた南浦が、事務的な所作で槓ドラを捲る。新ドラ表示牌は{2}である。残念、と月子は胸中で呟く。包帯の巻かれていない左手を
そこは王の山。5つ目の配牌が眠る領域である。
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)} 槓ドラ:{{3}(ドラ表示牌:{2})}
6巡目
月子:{六七八九} カン:{■西西■} チー:{横②③④} チー:{横一二三}
恩恵を得たところで、次に自摸る牌が判ることはない。次の瞬間に他家の立直が掛かることを防げるわけでもない。捨てた牌に和了を避ける絶対の自信も、ありはしない。月子はただ走るだけだ。その単調な麻雀を、京太郎がつまらないと評する理由も、わからなくはない。
(だからって、)
嶺上の花を、彼女は摘みとる。
(立ち止まるわけにも――いかないんだって)
――そのまま、卓上に叩きつけた。
リンシャンツモ:{六}
「ツモっ」
と、月子は言った。
「1000・2000の一本場は、1100・2100――」
南一局 ドラ:{南(ドラ表示牌:東)} 槓ドラ:{3(ドラ表示牌:2)}
【東家】南浦 数絵(親) :22000→19900(-2100)
【南家】須賀 京太郎 :17600→16500(-1100)
【西家】石戸 月子 :35800→40100(+4300)
【北家】花田 煌 :24600→23500(-1100)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:44
南浦:{22233344[5]6789}
({2347}待ちも、一手及ばず、か――)
最後の親を流されて、ただし南浦数絵は嘆息することはなかった。
息を吐いたものから水面に顔を出す。それは集中力の途絶を意味する。まだ糸を切る時ではない。勝負は最後までわからない。少なくとも今はまだ、そんな状況ではない。
(まだ、南場はこれから)
気合を据えて、姿勢を正し、顔を上げる。
すると、下家の少年と目が合った。
「……」
「……」
お互いに沈黙を交換した。物言わぬ少年の目は硝子のようで、あまりにも動きがないせいか睨まれているようにも思える。
「な、なに」ぶっきらぼうに南浦は問いかけた。「なんですか」
「おまえ、いつから麻雀打ってんの」京太郎の口調に構えたところはなかった。
「え」と、突然の質問に南浦は戸惑う。「え、と、……幼稚園くらいかな」
「なるほどな」感慨深げに、京太郎は頷いた。「ありがとよ。聞きたかったのは、それだけだ」
(な、なんなの)
南浦は疑問符を頭に浮かべながらも、次の局へと意識を切り替える。
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:44
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
【北家】南浦 数絵 :19900
【東家】須賀 京太郎(親):16500
【南家】石戸 月子 :40100
【西家】花田 煌 :23500
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
配牌
京太郎:{一二五六③③⑤⑦⑨2568白}
(最後の親……こいつは遠そうだ)
京太郎は頭を振る。急所が多すぎる。初心者のかれの目にも、この手牌が和了にたどり着くまでの困難が見える。
かといって、牌を倒してやり直しというわけにもいかない。
かれは最初の一牌を摘む――。
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:44
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
配牌
月子 :{一一三四[⑤]⑦468白白南中}
(押し切る)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:44
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
配牌
花田 :{八九九①④⑥⑥23南南中中}
(七対子か、役で速攻か――局面を考慮すれば、ここらで一発カマシたいところですね)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:44
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
配牌
南浦 :{六七七①②③④⑧⑧⑧3[5]東}
(手は、これ以上望めない。あとは――打ち回し)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・H卓(空卓)/ 16:45
「数絵さんがお化け配牌をもらったね」と、春金が各人の手牌を一通り見てから囁いた。
「花田も速い。石戸はその二人と比べると重たいが、最悪ってほどじゃない」池田が応じた。「逆に、親番のあいつは、苦しい体勢だな」
「でもここで和了れなきゃ彼の浮上は厳しい」
「これが現実だ」と池田はいった。「実力差を覆すには運か手品、それにチャンスをものにするセンスが必要だ。アイツにはそれがないのかもしれない。さっきの局面で和了りきれなかったのは、つくづく痛いな」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:45
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
1巡目
京太郎:{一二五六③③⑤⑦⑨2568白}
打:{2}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
1巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦468白白南中} ツモ:{東}
打:{東}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
1巡目
花田 :{八九九①④⑥⑥23南南中中} ツモ:{1}
打:{①}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
1巡目
南浦 :{六七七①②③④⑧⑧⑧3[5]東} ツモ:{9}
{打:東}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:45
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
2巡目
京太郎:{一二五六③③⑤⑦⑨568白} ツモ:{⑧}
幸先がいい、と京太郎は感じる。
その反射にも似た短絡を、京太郎はすんでで咎めた。
(バカか――考えろ、少しは)と、京太郎は自分に言い聞かせる。(それで簡単に切って、
打:{8}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:45
(指先がさまよった)
上家の動向を目端に捉えながら、月子は京太郎の手に自らの有効牌が埋められていることを推知する。
(抑えたところで、手が進めば出さざるを得ない)
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
2巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦468白白南中} ツモ:{北}
{打:北}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:46
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
2巡目
花田 :{八九九④⑥⑥123南南中中} ツモ:{②}
「フム」と、花田は息を吐く。
(早くも……ちょっとした分かれ道)
2巡目で花田に突きつけられたのは、軽い謎かけであった。牌理によった回答は比較的自明だが、この偏った場で常道を重視しては立ち行かなくなる目も見える。
いつでも迷わず手広い形を採る。受け入れ枚数に重きを置いた一打を打つ。それも一つの強さへの回答である。
({八九九}よりも{②④⑥⑥}のが強いのはわかっちゃいますけれども……ちょっと露骨なのが気になるなぁ――
けれども花田煌は、こんなとき、少しばかり捻った回答を提示するのも良いと考える少女だ。
打:{⑥}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:46
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
2巡目
南浦 :{六七七①②③④⑧⑧⑧3[5]9} ツモ:{西}
{打:西}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:46
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
3巡目
京太郎:{一二五六③③⑤⑦⑧⑨56白} ツモ:{9}
打:{9}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
3巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦468白白南中} ツモ:{八}
打:{八萬}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
3巡目
花田 :{八九九②④⑥123南南中中} ツモ:{九}
打:{⑥}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
3巡目
南浦 :{六七七①②③④⑧⑧⑧3[5]9} ツモ:{四}
打:{9}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:48
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
4巡目
京太郎:{一二五六③③⑤⑦⑧⑨56白} ツモ:{四}
打:{⑤}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
4巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦468白白南中} ツモ:{⑨}
{打:中}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
4巡目
花田 :{八九九九②④123南南中中} ツモ:{①}
打:{④}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
4巡目
南浦 :{四六七七①②③④⑧⑧⑧3[5]} ツモ:{西}
{打:西}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・H卓(空卓)/ 16:51
「しかしまあ、なんていうか全体的に場が速いというか、みんな手の進みがいいねえ」春金が腑に落ちないといった表情で感想を漏らした。「いくらなんでもみんな同時に手が入りすぎてる気がする」
「まあ、そうだね」池田も消極的に同意した。「それがいわゆる、須賀の言う『ツマンナイ』ことってやつなんじゃない?」
「彼のいうこともわからなくはないね」と、春金はいった。「制限とか効果とか――まあ偶に
三色や対子・順子場のような同時性はともかく、向聴数の足並みがこうも揃う半荘というのはかなり珍しい。石戸月子の強さは言うまでもなく速度にあるが、彼女と同卓したメンバーまで手の進みが良くなる必要性が、春金にはわからなかった。
池田は首を捻る。
「べつに、同じ卓に座って同じ牌に触れてるんだから、そんなに深く考える必要ないと思うけどな。相手がどんなルールで打ってたって、自分が打ってるのが麻雀じゃなくなるわけじゃないし」
「――そうかもね」
春金はほろ苦く笑んだ。その目には羨望のようなものが宿っていた。確かにそれは、まだ諦観も絶望も知らない少女に対する眼差しである。
戦局に食い入る池田華菜が、その感情に気づくことはついぞない。
「しかし、石戸の自摸ホントに腐ってるなー」池田の声色はいっそ感心した風だった。「マジであいつ、この半荘ほとんど面前で有効牌入れてないよ」
――彼女が卓上で絶望を知るまでには、まだ幾年かの間がある。
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:51
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
5巡目
京太郎:{一二四五六③③⑦⑧⑨56白} ツモ:{發}
「――」
打:{一萬}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・H卓(空卓)/ 16:52
「はあ」と、池田は嘆息した。「びびりすぎだあいつ。意外と肝が小さいのか?」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:52
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
5巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦⑨468白白南} ツモ:{發}
(……何か掴まれた?)
上家の摸打のリズムに、月子はわずかな揺らぎを感じ取る。
(まずいな。ちょっと、場が平たくなってきた――)
{打:發}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:52
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
5巡目
花田 :{八九九九①②123南南中中} ツモ:{東}
(お呼びじゃないですって、もー!)
{打:東}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:52
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
5巡目
南浦 :{四六七七①②③④⑧⑧⑧3[5]} ツモ:{6}
(微速前進――か)
打:{3}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:53
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
6巡目
京太郎:{二四五六③③⑦⑧⑨56白發} ツモ:{三}
河:{289⑤一}
(これも――いや)
京太郎は、己の自摸と河を見、胸中でだけ苦笑した。
(これが麻雀――)
{打:發}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:53
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
6巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦⑨468白白南} ツモ:{5}
打:{8}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
6巡目
花田 :{八九九九①②123南南中中} ツモ:{二}
打:{二萬}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
6巡目
南浦 :{四六七七①②③④⑧⑧⑧[5]6} ツモ:{1}
打:{1}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:55
そして、各自進みに苦慮する7巡目、
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
7巡目
京太郎:{二三四五六③③⑦⑧⑨56白} ツモ:{1}
打:{1}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
7巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦⑨456白白南} ツモ:{北}
{打:北}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
7巡目
花田 :{八九九九①②123南南中中} ツモ:{7}
打:{7}
「チー」
花田から零れた{7}に対して、南浦が仕掛けた。
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
7巡目
南浦 :{四六七七①②③④⑧⑧⑧} チー:{横7[5]6}
打:{①}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・H卓(空卓)/ 16:56
「一番乗りは数絵さん」と春金は言った。
「いや、今のは――」池田が眉を集めた。「不用意だったかもな」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:56
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
8巡目
京太郎:{二三四五六③③⑦⑧⑨56白} ツモ:{4}
(そっちを引いたか――ま、そうだよな。自業自得ってヤツだ)
南浦の副露により、京太郎もまた聴牌を引き入れた――ただし、いうまでもなく振聴である。3巡前に{一萬}を捨てていなければ、ここで和了していたということだ。
つくづく、このゲームは良く出来ていると京太郎は思う。思いながら、淀みない動作で立直棒を取り出した。
(当然――)
{打:白}
「立直だ」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:56
果たして、打たれたポン材に対して月子が鳴くことはなかった。
(親の立直に、鳴いて向聴取ったところで、悪ければノミ手――立ち向かう気も起きないわね)
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
8巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦⑨456白白南} ツモ:{7}
(はいはい危険牌危険牌――安牌ならたくさんあるわよ)
{打:白}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:57
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
8巡目
花田 :{八九九九①②123南南中中} ツモ:{一}
(安牌――なんですけど、なんか……ヘンな感じですね)
打:{一萬}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:57
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
8巡目
南浦 :{四六七七②③④⑧⑧⑧} チー:{横7[5]6} ツモ:{七}
自摸った{七萬}に、南浦はつかの間思案する。むろん、嵌張から三面張への張替えを躊躇うための迷いではない。赤牌を引けば12000の手である。親の立直であろうと引くという選択肢は無い。
だが、
(引き入れたのか――掴まされたのか)
南浦を悩ませるのはこの一点である。この日、得意の南場ですらことごとく月子や池田に上を行かれた。その事実が、彼女の摸打に疑義を挟ませている。
(――なんて、悩んだところで、しょうがない)
解答など出ない問いである。
「あは」
そうと気づいた南浦は、笑った。
(当たるなら、あたれ!)
打:{四萬}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・H卓(空卓)/ 16:57
「これはきつい」春金が呟いた。「彼の待ちは……山に残り2枚か。同じ3面張だけど、数絵さんは7枚山にいる」
「あるなら引くときは引くし」池田は淡々と言った。「捲りあいなんてそんなもん。大事な要素は数だけじゃない。山に浅いか深いか、それも大事なことだ。……まあでも、大体は多いほうが先に引くけど」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:58
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
京太郎:{二三四五六③③⑦⑧⑨456} ツモ:{中}
{打:中}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦⑨4567白南} ツモ:{2}
{打:白}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
花田 :{八九九九①②123南南中中} ツモ:{五}
{打:中}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
南浦 :{六七七七②③④⑧⑧⑧} チー:{横7[5]6} ツモ:{九}
打:{九萬}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:59
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
京太郎:{二三四五六③③⑦⑧⑨456} ツモ:{⑤}
打:{⑤}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
月子 :{一一三四[⑤]⑦⑨24567南} ツモ:{2}
打:{[⑤]}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
花田 :{五八九九九①②123南南中} ツモ:{八}
{打:中}
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
9巡目
南浦 :{六七七七②③④⑧⑧⑧} チー:{横7[5]6} ツモ:{7}
打:{7}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:59
(自摸れ)と京太郎は思う。
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
10巡目
京太郎:{二三四五六③③⑦⑧⑨456} ツモ:{⑥}
打:{⑥}
(自摸れよ――)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:59
(まずい)と月子は思う。(
彼女の感覚は、場の均衡が崩壊する瞬間を察している。南浦数絵に凄まじい勢いで『流れ』が収束しようとしている。当初胎動でしかなかったはずの不自然な偏りは、今や明確な磁場となっている。
(尻上がりとかそういうのじゃなくて、純粋に南場に運気が向上してるのか――はは、いるもんね、似た人が。だからなぁんか気に喰わないんだ、この子。相性良すぎるもの、わたしと)
それは押し留めるには苦労する勢いだ。奔流に喩えても構わないかもしれない。
(ここで和了られたら、一気に
感性が鳴らす警鐘に、彼女の身体は半ば自動的に反応した。
「……チー」
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
10巡目
月子 :{一一三四⑨24567南} チー:{横⑥)[⑤]⑦
打:{7}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:59
(チー!? オリてるんじゃなかったんですか石戸さん!?)
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
10巡目
花田 :{五八八九九九①②123南南} ツモ:{白}
{打:白}
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 16:59
(なに……いまの鳴き)と、山へ手を伸ばしながら南浦は思う。(なにか……厭な感じがした)
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
10巡目
南浦 :{六七七七②③④⑧⑧⑧} チー:{横7[5]6} ツモ:{②}
打:{②}
彼女の視線は、己の本来の自摸を拾う京太郎――ではなく、それを誘発させた石戸月子へ向いた。
(この人……やっぱり、
そして、
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 17:00
京太郎は歯噛みする。自分の与り知らないところで、何らかのやり取りが交わされたことをかれは感知する。同じ場、同じ卓にいながら、月子はかれを一瞥もしなかった。月子の視線は他に向いていた。
(これは、引かされたのか)
心に、波が立つのがわかった。
かれは、久しぶりに自分が怒っていることに気がついた。
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
11巡目
京太郎:{二三四五六③③⑦⑧⑨456}
(おれなんか、眼中にないってか――)
揺らぐ感情そのままに、発声した。
ツモ:{七}
「――ツモ」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 17:00
南二局 ドラ:{⑧(ドラ表示牌:⑦)}
【北家】南浦 数絵 :19900→17300(-2600)
【東家】須賀 京太郎(親):16500→24300(+7800)
【南家】石戸 月子 :40100→37500(-2600)
【西家】花田 煌 :23500→20900(-2600)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 17:00
京太郎に点棒を払った南浦は、無言で嶺上牌へ手を伸ばそうとして――
「――」
岩戸月子の視線を感じ、止めた。
「知っていますか、石戸さん」と、代わりに南浦はいった。「あるべき流れに手を加えれば、そこには揺り返しがうまれるそうです――私には難しくてよくわかりませんでしたが、お祖父様がいっていました」
「それは
「そうですね――それはそうだと思います」南浦は肩を竦めた。思ったほど、気分を害していない自分に気づいた。「でも、私、このままじゃ終わりませんよ」
「はいはい」と月子は言った。「始まる前に終わらせるわ。土壇場で大逆転なんてお話、わたしあまり好きじゃない」
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 17:04
京太郎の連荘で迎えた南二局一本場は、前局の焼き直しのような展開となった。ただし今回立直を発声したのは花田である。またも先んじられた月子の注意は、明らかに南浦数絵へ向いていた。月子は彼女の手の進みを見透かすように不要な鳴きを入れ、流れを阻害したのである。
最早、卓上で月子が意識しているのは、南浦数絵と、そして花田煌だけだった。
そして、京太郎は最後の親で更に加点をすることもなかった。
かれは聴牌に漕ぎ着けることさえできず、南二局は流局を迎えた。
南二局一本場
【北家】南浦 数絵 :17300→16300(-1000)
【東家】須賀 京太郎(親):24300→23300(-1000)
【南家】石戸 月子 :37500→36500(-1000)
【西家】花田 煌 :20900→22900(-1000、+3000)
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 17:17
街路に面した硝子に、水滴がついた。はじめぽつりぽつりと控え目に跳ねた飛沫はやがて勢いを増し始める。青空はいつのまにか灰雲に覆われ、雨足は一瞬にして強くなった。通りを行き交う人々が、小走りに雨宿りの場を探していた。
春金清はさすがに同僚に無理やり引きずられて離席し、池田華菜は眠たげにアイスコーヒーを啜っている。
スクールの中で、雀牌をかきまぜる音が絶えることは無い。
万雷の拍手にも似た雨音に耳を澄ませながら、四人の少年少女は山から牌を拾い集める。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
【西家】南浦 数絵 :16300
【北家】須賀 京太郎 :23300
【東家】石戸 月子(親) :36500
【南家】花田 煌 :22900
南三局――京太郎の物言いによって幕を開けた半荘も、残すところ二局となった。現在のトップ目である月子の親番である。順位は京太郎、微差で花田、やや空けて南浦と続く。
京太郎が月子をまくる条件は満貫の直撃か跳満自摸となる。必然他家はそれと同等か更に厳しい条件が課されるが、無論、場のだれの目にも諦めの色は宿っていない。
(偶々の二着――お零れの二着)
京太郎は瞑目する。
頭が冴えていくのを感じる。
(だからなんだ)と、かれは思う。(実力なんざ、ハナから図抜けて低いに決まってる。馬鹿馬鹿しい――思い通りにならないのなんて、当たり前だ。それが
牌を握る。その指が、手が、熱い。この場に座る理由を、かれは思う。改めて思い返せば、ひどい言いがかりだと今さら悟る。確かに、月子の打牌は京太郎の趣味に合わない。
だがただそれだけでしかない。
彼女を含めた女子三人と、囲む麻雀はこんなにも楽しい。京太郎にとって、娯楽とは時間を潰す作業と同義だった。怒り、苦しみ、喜びといった感情の震えが伴う行為ではなかった。気の知れた仲間たちと時間を共有する心地よさだけがそこにあった。それは穏便で、尊い時間だ。けれども京太郎が欲するものは、そこにはなかった。
それは
どれだけ力を尽くしても及ばないこともある。
積み重ねた労力が、刹那を挟んで塵になることもある。
知恵を絞った選択が、何一つ報われずに終わることもある。
(これが麻雀……)
かれは牌を握る。
(これが、麻雀――)
手牌を見下ろす。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
京太郎:{一六八①②④247白東東西}
酷く不自由で、和了りの形さえ思い浮かばない。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
1巡目
月子 :{■■■■■■■■■■■■■}
{打:西}
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
1巡目
花田 :{■■■■■■■■■■■■■}
打:{一}
淀みのない摸打が、そこで停止した。
南浦の巡目である。山から牌を引いた彼女は、思案げに口元へ手をやった。
「――失礼」
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
1巡目
南浦 :{■■■■■■■■■■■■■}
打:{[5]}
――ブラフではない、と全員が感じた。京太郎にさえ判った。いっそ親切な南浦の劈頭は、京太郎の戦意を簡単に挫きかねない一打である。だが、
(チャンスかもしれない)
とも京太郎は思った。現在の親は月子である。つまり子が高い打点で和了すれば、その分月子が被る支払いも多くなる。京太郎自身に和了の目が薄い今局、南浦ないし花田が自摸和了して月子の点数を削ることは、最善ではないにしても次善といえる。けれども、そのためにはまず京太郎が放銃を避ける必要がある。
(人任せは禁物――って思い出したばっかりだっけな)
だが、いよいよとなればどんな手も使う必要がある。
京太郎は心を定めて、局面の移行をへ意識を向ける。
▽ 長野県 信州麻雀スクール・G卓/ 17:22
異様に、静かだった。
京太郎、花田はともかく、南浦は牌の絞りなど明らかに眼中がない。にもかかわらず月子の副露は全く入らない序盤だった。
何かがおかしいと、誰もが気づいていた。とりわけ鋭く察知していたのは、もちろん石戸月子だったのだろう。彼女は刺々しい雰囲気を更に研ぎ澄ませ、対面の動向に意識を割いていた。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
2巡目
南浦 :{■■■■■■■■■■■■■}
{打:發}
3巡目
南浦 :{■■■■■■■■■■■■■}
打:{3}
4巡目
南浦 :{■■■■■■■■■■■■■}
打:{七}
南浦の手の進みを、誰も止める術を持たなかった。彼女は無人の野を行くかのように牌を手から切り落とした。おそろしいほどに真摯な瞳で、一枚の切り出しも間違えはしないという意思を摸打に込めて。そしてその執念にも似た手牌は、5巡目に大きな動きを見せた。
「
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
5巡目
南浦 :{■■■■■■■■■■} カン:{■99■}
(おい……)
嶺上牌を引き入れる南浦の所作に、遅滞はわずかも無い。彼女は摘み取った牌を手の中に入れると――
「立直」
打:{4}
河に打った牌を、曲げた。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
5巡目
京太郎:{六八②④2347白白東東南} ツモ:{4}
(ドラ8確定か)京太郎は即座に{4}を合わせ打った。
打:{4}
「チー」
やはり間髪入れずに、月子が鳴いた。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
5巡目
月子 :{■■■■■■■■■■} チー:{横435}
{打:發}
(何のための鳴きだ)と、京太郎は考える。(一発消しか? 倍満確定の手に? そうじゃなければ和了るためか?)
常識的に考えれば、月子は和了を目指しているはずだ。何しろ巡目が浅すぎた。降りる材料を南浦はいくらか詳らかにしているが、それでも十分とはいえない。筋など信用できるか定かではない。ただ南浦への振込みを避けるにしても、手材料が覚束なければどこかで勝負する必要がある。であればいっそ多少迂回しても和了を目指すのは、尋常の手順である。
だが、石戸月子という少女の手順にそんなセオリーはそぐわない。
京太郎は思考する。材料はある。かれは間近で月子の打牌を観察した。文字通りの彼女の手になった。全てではないとしても、この場の誰よりも自分は月子の打牌に詳しいはずだ。
(ここで
すぐに思い当たる。
前の半荘の出来事だった。彼女は池田の立直に対して言った。確かに京太郎へ命じた。あれも立直を受けた直後だった――「須賀くん。次、自摸られるわよ。鳴いて、それから打{7}」。
(もしかして、
他家の和了を妨害するための副露。
馬鹿げている、と京太郎は思う。眉唾もいよいよ本格的である。だが、可否はともかく、月子の意図に関する真偽はすぐにわかる。彼女のこれから打つ牌が、彼女の方向性を示してくれる。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
6巡目
京太郎:{六八②④2347白白東東南} ツモ:{北}
果たして、京太郎は次巡、北を引いた。
本来ならば南浦の一発自摸である。河にはまだ見えていない。
それを余興で打つ気には、なれない。
打:{4}
そして月子は、
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
6巡目
月子 :{■■■■■■■■■■} チー:{横435}
{打:發}
安牌を重ねて打った。しかも、
(対子落とし)
である。まだ確信は持てない。だが少なくとも、真っ直ぐに和了を目指しているわけではない。
そして京太郎が逡巡する間にも、局は進む。自摸は回る。山は削られ続けていく。槓により一枚減じた山の海底は、月子の副露に応じて現在花田に回っている。京太郎に課された残り10回の自摸を、かれは何とか凌がなくてはならない。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
7巡目
京太郎:{六八②④237白白東東南北} ツモ:{北}
(また{北}――)
打:{3}
巡目は進む。南浦は自摸切る。月子は振らない。花田も振らない。二人とも京太郎には見えない世界が見えているとしか思えない。暗中をただ彷徨う京太郎が、たどるのは二人が切り開いた道である。京太郎はただ手を引かれているようなものだった。それでも、手牌は徐々に窮屈になっていく。真綿で首を絞められるように、逃げ場を失っていく。呼吸を求めて喘ぐ魚の気持ちが、いまならわかると京太郎は思う。雨足は更に強まり、雨音は五月蝿いほどなのに、卓を囲む四人の息遣いが聞き取れる。
9巡、10巡――
場は動かない。
11巡、13巡――
場は動かない。
16巡――
場は動かない。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
16巡目
京太郎:{五五[五]六八②④⑥⑧⑨北北中} ツモ:{⑨}
打:{⑨}
前巡、花田の打った安全牌を合わせ打った。
次の巡目も同じ牌を落とせば、京太郎は凌ぎきれる。
(終わりか)と、かれは思う。(次はオーラスで――おれは二着で、トップとの差は13000)
続けて、かれは上家の南浦を横目する。怜悧なイメージの少女の顔立ちには、焦燥も苦渋もない。粛々とおのれの命運を牌に預けている。仮に自摸れずとも、それが配剤と受け入れているのかもしれない。
潔い、と京太郎は感じた。
(けどよ――)
月子が、花田が、安全牌を河に並べていく。
流局が刻一刻と近づいてくる。
南浦が、最後の自摸に手を掛ける。このときばかりは、その柳眉に力が篭るのを京太郎は見た。そして、その潔癖な瞳に落胆と脱力が兆すのを、かれは見た。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
17巡目
南浦 :{■■■■■■■■■■} カン:{■99■}
打:{⑦}
その牌が河に打たれた瞬間、直感としかいいようのないものが京太郎の背を叩いた。馬鹿げた、何の意味もない決断を、それは促した。鳴け、とかれの中にいる何かが呟いた。
少なくともその可能性を残す方法は、ひとつしかない。
体が命じている。
――
心も随えと言っている。
――
拒む理由はない。
「チー」
と、京太郎はいった。
え、
と誰かがいった。南浦だったかもしれないし、月子だったのかもしれない。池田や花田ではないのだろうとかれは何となく思った。仮に彼女らが自分と同じ立場であれば、同じ行動を取るような気がしたからだ。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
17巡目
京太郎:{五五[五]六八②④⑨北北中} チー:{横⑦⑥⑧}
打:{⑨}
最後の牌を自摸らずに終えた瞬間、京太郎の背筋が粟立った。生ぬるい風が、額を舐った気がした(それはたぶん南風だった)。
(……ん)
月子が大きく目を瞠って、京太郎を見ていた。それは、今まさに彼の存在に気づいたとでもいいたげな表情だった(さすがに京太郎の被害妄想かもしれない)。だが、もはや彼女に打つ手はない。選択肢も無い。京太郎と同様、ただ南浦に与えられた海底の結末を見送ることしか許されていない。
(自摸っちまえ)と京太郎は思う。
祈りではない。競い合う相手の勝ちを祈るほど、京太郎は殊勝にはなれない。忸怩たる思いは確かにある。自分が和了できるのならば、それがいちばんいいに決まっている。だがそれすら許されないこともある。それが麻雀だ。不自由で理不尽で不平等な遊戯だ。
だから楽しい、とかれは思う。
花田が安牌を打つ。
南浦が、本来ありえなかった海底牌を自摸る。
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
18巡目(海底)
南浦 :{■■■■■■■■■■} カン:{■99■}
ツモ:{■}
沈んでいた牌に刻まれていた字をいとおしげにひと撫ですると、
「ツモ」
万感を込めて、南浦が宣言した。
南浦 :{四四四⑦⑦⑦中中中北} カン:{■99■} ツモ:{北}
「――8200・16200」
南三局流れ二本場・供託立直棒1000点 ドラ:{9(ドラ表示牌:8)} 槓ドラ:{9(ドラ表示牌:8)}
【西家】南浦 数絵 :16300→49900(+32600、+1000)
【北家】須賀 京太郎 :23300→15100(-8200)
【東家】石戸 月子(親) :36500→20300(-16200)
【南家】花田 煌 :22900→14700(-8200)
※役満は全て四倍満の扱い(四暗刻単騎を八倍満とは計算しない)。
2012/9/4:一部表現およびサブタイトルの項番が誤っていたため修正
2012/9/6:一部表記を修正
2013/2/18:牌画像変換