「魔法少女、まじかるみどり……ですか」
「そう。信じられないかもしれないけど」
俺は手に持ったハンバーガーを食べる事も忘れ、目の前の女性を見る。
ただ、感情もなく、見る。
「やだ、恥ずかしい。もうお姉さんに惚れちゃったの?」
「少女……?」
「何が言いたい!」
俺は頭痛がしそうになるのを感じながら目の前でテーブルを叩きながら凄んでいる女性のプロフィールを思い出していた。
確か、二宮翠OL、管理人さんとは違ったタイプの女性で管理人さんを家庭的で可愛らしい女性とするならば、二宮さんは仕事の出来るカッコいい女性という感じだった。
つい先日までは。
俺と同じく朝会社に出勤し、夜疲れて帰ってくる。
管理人さんのご飯に酷く感動していて、『そよかぜのいえ』に来てからは随分と生活が楽になったと言っていた。
どうやら家事は出来ないらしい。そして部屋からは酒の匂いが絶えずしていたが、朝になれば理知的な顔によく似合ったメガネをかけ、颯爽と出掛けていく。
まぁ夜に酒くらい飲まなければやっていけない時もあるだろう。
それだけ昼の仕事が大変なのだ。きっと『そよかぜのいえ』の中で誰よりもしっかりとした人なのだな。と思っていた。
つい先日までは。
まぁ確かこういう趣味の人をなんていうんだったか。そうコスプレイヤーだ。
趣味に対して他人がとやかく言うのはおかしいと思うし、別に好きにすれば良いと思う。
しかし冷静になってもう1度プロフィールを思い出してみよう。
二宮翠OL、24歳。
別に女性の年齢に対して何かを言うつもりはない。だが、俺は目の前の女性を見ながら考える。
「しょう、じょ?」
「何よ! はっきりと言いなさいよ!」
マズイ頭痛がしてきた。俺は近くにあったコーラを飲み、喉を潤す。
ふぅ。一息つき、また頭が冷静になってきた。
「まぁこの際、色々な細かい事は置いておきまして。ちょっと意外でしたね」
「そ、そう……よね。魔法なんて信じられないわよね」
「え? いや、よく20歳を越えて少女を自称できるな。と」
「まだそれ続いてたの!?」
いや、人には人の考え方がある。それを否定してはいけないな。
大人になるんだ明。些細な疑問をいつまでも持っていては大きい人間にはなれない。
「少女がどうこうはとりあえず置いておきましょう。ところで二宮さんは魔法がどうこうと言っていましたが、そんなモノ実在すると信じてるんですか?」
「実在するも何も、私が魔法少女なのが証拠でしょ?」
「うーん。人の知られざる一面という奴ですね。一見大人びている様に見える人が人形遊びを大人になってもやっている的な」
俺の言葉に二宮さんは顎に手をあて少し考えている風だった。
さて、これからどんな手品が飛び出すのだろうか。大抵こういう言葉を言うと証拠を出そうとするものだけれど。
と、ふと俺は考えながら違和感を感じた。
何かがおかしい。周りで一瞬前までしていた音が一切していない。
それだけじゃあ無い。動きが止まっている。人もモノも動物も、窓から見える全てが停止していた。
まるでビデオの停止ボタンを押した時の様に。
「気づくの早いね。はい。私が魔法少女っていう証拠だよ」
「は? いや、どういう……?」
「時間を止めたんだよ」
時間を止めた? 世界の全てを停止させたという事だろうか。
それならば何故俺たちは互いが見えているんだ? 何故俺は地面に立てている?
いや、そういう概念が通じないのが魔法なのか?
「色々混乱してるみたいだね。1つだけ私の魔法には決まりごとがあるの。それは私のしたい事しかできないという事」
その言葉の意味を考え、即座に俺は答えた。
「つまりは、二宮さんの望んだ事のみが叶えられる力という事か。だから呼吸をする事も出来るし、世界はこんなにも明るい」
「ふふ。物分りのいい子は嫌いじゃないよ。さて、理解は出来たみたいだね。コレが私、魔法少女まじかるみどりだよ」
理解は出来た。しかし1つ腑に落ちない事がある。
俺は目の前で珈琲を飲んでいる二宮さんを見て思考する。
さて、この人は何を考えているのだろうか。
「1つ、気になる事があるんですよね」
「なんでしょう」
「何故、俺に魔法の事を打ち明けたんですか?」
二宮さんは目を閉じ、何かを考えている様子だった。
そして突然人差し指をこちらに向けると何か赤い光を俺に向かって撃った。
しかし、ソレは俺に触れても何も無く、消えていった。
「君、何者?」
「どういうことですか?」
「今、君に魔法を使ったんだよ。でも消えてしまった。本来は君も含めて全ての時間を止めたつもりだったのに、君は動いている。あの雨の日も雲を吹き飛ばす姿を誰も見ていないのに、君だけはそれが見えた。君は何?」
何? と言われても、俺は何も知らない。
そもそも魔法なんてものは今日初めて知ったのだ。
しかしこれで二宮さんが俺に魔法の事を打ち明けた理由が分かった。
つまり二宮さんは俺という存在が敵か味方か見極めたかったのだろう。
「まぁ、俺に何故魔法が効かないのかは分かりません。ですが、俺は二宮さんの敵では無いですよ」
「それで、はいそうですか。って私が頷くと思う?」
「思いませんね。だからこれからデートしませんか?」
これは好都合だと俺は考える。二宮翠という人物が『そよかぜのいえ』に何か不幸を呼ぶ人間になる可能性があるのかどうか見極める。
そして、俺が無害である事を実証できずとも少しでも信用してもらえれば、これから動きやすくなるだろう。
どちらにしても、互いを知るのに短い時間でも行動を共にするというのは有効だと俺は思う。
「ほぅ。お姉さんをデートに、ね。面白い。付き合いましょう」
そして始まったのはデートという名前の戦い。だったハズなんだが。
「ねぇねぇ明君! コーラが良い? それともコーラ? アハハ」
とりあえず最初は映画を見に来たのだが、既に二宮さんのテンションは壊れていた。
両手にコーラのLサイズを持ちながら何がそんなに楽しいのかずっと笑っていた。
もしかしてこの人、クールな大人びた女性なんかでは……ない?
「そんなにこれから始まる映画が楽しみなんですか? 二宮さん」
「翠ちゃんでいいよ。ところでこれからどんな映画が始まるの?」
「え?」
「え?」
互いに疑問符を浮かべながら見つめ合う。
てっきり映画が楽しみではしゃいでいるのかと思ったがそうでは無いらしい。
しかし実際に映画が始まれた翠さんは画面に釘付けになっている。
そして右手でひたすらにポップコーンを食べていた。
「あれ? いつの間にポップコーン買ったんですか?」
「ううん。コレ魔法で作った無限に減らないポップコーン、ノンカロリー」
何、その一部の人にだけ喜ばれる様な無駄な魔法は。
魔法ってもっとメルヘンなモノかと思ってたけど、どうやら違うのか。
そして俺は魔法について考え続けていて、気がついたら映画が終わっていた。
「次はどこに行くー!?」
「適当に町を散策しながら考えますか」
「おー」
と、映画館を出る時に映画のタイトルを見たが、よく考えればこの映画って杏ちゃんが見たがっていた映画じゃないか。
マズイなぁ。こんな所を杏ちゃんに見つかったら何を言われるやら。
思わず不安になり周囲を見渡すが、特に怪しい気配は無かった。
「考えすぎか」
「何してるのー? 早く早くー」
「はいはい」
俺は先行している翠さんに追いつく為に足を速める。
そして様々な店に行った、が。
服屋にて。
「服? 高い服は良い服なんでしょ?」
アクセサリーショップから。
「何このジャラジャラしたの。こんなの体に付けて嬉しいの?」
本屋で。
「何か本に囲まれてると眠くなってくるんだよね」
楽器屋。
「へぇ。何か凄いね。あんまり興味ないけど」
玩具……。
「子供扱いしないで欲しいね。私は大人のレディですよ?」
そして偶然立ち寄ったスーパーでは。
「ようやく、本命ですか。さて、イカと生ハムとししゃもを買って、日本酒だー! いえー!」
「デートとはいったいなんだったのか」
俺は思わず1人入り口に立ちつくしながら考えてしまった。
そんな俺を放置し、翠さんは1人ウキウキと酒を選んでいる。
そしてある程度選び終わったのだろう、籠を持ってレジに行こうとしていた。
しかし、翠さんよりも少しだけ早く別の方向から翠さんと同じレジに並ぼうとしているおばさんが。
籠にはいっぱいに食材が入っている。これは時間が掛かりそうだな。と思った瞬間、世界が止まった。
ハンバーガーショップの時と同じく、俺と翠さん以外の全ての物が止まっている。
そんな中翠さんはおばさんよりも早くレジに並び、そしてまた時間が動き始めた。
おばさんは何が起こったのかと翠さんを見つめていたが、翠さんが指を光らせると何事も無かった様に翠さんの後ろに並んだ。
あれも魔法なのか。また随分とメルヘンから遠い使い方をしているなぁ。
そして『そよかぜのいえ』に帰り、俺の部屋で飲んでいる。
何故翠さんの部屋ではないか。それはあの部屋が汚すぎるからだ。
人がくつろぐ環境ではないからだ。
人間の住む部屋ではないからだ。
しかし、俺の部屋にもゴミがだんだんと溜まり始めていた。
さっさと用件を終わらせなければ俺の部屋も飲み込まれてしまう。
「翠さん」
「ふへへ。なぁに?」
既にかなり飲んでいる翠さんが怪しげな表情で俺に笑いかける。
子供の前でこういう顔をしている不審者が居たら、すぐに警察に連れて行かれるだろう。
軽く苛立ちを感じつつそれを抑えながら俺は平静に話を続ける。
「帰れ。部屋に」
「やだー、明君たら。まるで怒ってるみたいですよー?」
俺は自分の心の中に芽生えそうになる気持ちを必死に押さえ込んでいた。
このまま苛立ちに負けてしまったら酷い暴言を吐いてしまいそうだ。
それはマズイ。翠さんにも何か深い考えが……。
「はい! 1番、二宮翠! 明君の部屋のうっふっふな本を探します!」
翠さんはふらつきながら立ち上がると、押入れの布団に手を突っ込む。
しばらく漁っていたが、特に何も無い事を知るとそのまま別の場所へと移動する。
「たいちょー! 本棚が怪しいと思います!」
「よぉし! 隅から隅までー、探すのだー!」
翠さんは1人で敬礼をし、そのまま自分で答えていた。
コレにも何か深い理由が、何か考えているのではないだろうか。
「真面目な本ばっかりであります! 駄目ですね。これは。とんだ堅物野郎ですわ。ロリコンですわ」
「なんでだ!」
「だっていつも管理人さんのところの娘さん達にベタベタしてるじゃない。……ハッ! そうか。全ては繋がっていたんだ。明君の狙いは未亡人……っ!」
「あの、少し黙ってくれませんか? こう、心の中でですね。黒いモヤモヤとした気持ちがですね。軽く弾けそうなんですが?」
俺は必死に自分の中に眠る殺意という名前の衝動を抑えながら翠さんと会話を続けていた。
しかし、翠さんは俺の言葉に一瞬キョトンとした顔をすると、目を見開き、自分の体を抱きしめた。
「やだ! 翠ちゃんも狙われてるの!? 怖い! そんな、あぁ!」
「ハハッ、こんな気持ちになったのは生まれて初めてですよ。人はこんな気持ちを抱えながら生きていかなくてはいけないのですね。胸が苦しい」
「はい。医者にも治せない。その苦しみの正体を私は知っています。それは恋。ラヴ。愛」
さらに湧き上がる苛立ちを感じながらすぐ近くで武器になりそうなブツを探す。
相手は魔法が使えるらしい。そうなれば出来るだけ殺傷力の高い武器が良い。
と、既に荒らされている部屋を見て、苛立ちをさらに感じながらもソレを見つけた。
先ほどまで透明な液体が入っていた俺の腕よりも太い透明な瓶。
俺はおもむろにソレを掴みながらゆっくりと立ち上がろうとした。
しかし、翠さんの顔を見て、動きを止めてしまった。
「何泣いてるんです?」
「へ? いや、涙なんて……」
翠さんは不思議そうな顔をしながら涙を拭おうとするが、次から次へと流れてくるソレを止める事が出来ないようだ。
無理に笑顔を作ろうとしているが、それも出来ない。
「明君はさ。ホントに良い子だね。お姉さんは惚れちゃいそうだよ」
「別に俺は何もしてないですよ」
「でも、魔法の話をしても私を気持ち悪がったりしなかった。それに私を1人の人間として見てくれてる」
翠さんは酒瓶を抱きかかえながら笑みを作る。
その寂しそうな微笑みに俺は何故か不思議と懐かしい気持ちを感じていた。
それほど昔ではない。しかし、毎日の様に見ていたその顔は生きる為に生きている人間の顔だ。
誰にも心を開かず、ただ1人で生きてきた人間だけがする顔だ。
俺には分からないが、魔法が使えるという事は便利な事ばかりでは無いのだろう。
今の翠さんが今日1日の答えの様な気がした。
「俺が凄いんじゃないですよ。俺もこの場所に来るまでは、誰かの事を考える事なんてしてきませんでしたから。だから凄いのは管理人さんで、先輩で、葵ちゃんで、そして杏ちゃんなんだと思います」
「そっか」
翠さんはさっきまでの頭の悪そうな笑顔から何かを考え込む様な表情に変わった。
その表情を見た時、俺は思わず翠さんに向かって言葉を発していた。
いや、それは翠さんに向けた言葉であって、翠さんに向けた言葉ではなく、すでに俺の記憶の中にしかいない、不器用なガキに向かって言った言葉だったのかもしれない。
「今すぐに何かを変える事は出来ないかもしれません。他人を信用する事なんて出来ない。でも、家族なら。どんな自分でも受け入れてくれる。後もう1度だけ信じて欲しい。この場所でなら。ここの人達を。もし怖いなら、躊躇うのなら俺がいつでも手を貸しますよ」
翠さんの言葉は無かった。しかし、それでも俺は良かった。
結局は自己満足なのだろう。でも人は誰だって自分の嬉しい様に、したい事をする。
だから、俺はいつか翠さんと先輩達が庭の桜を見ながら一緒に酒を飲む日が来てもいいんじゃないか。と思う。
そんな景色を見たいから、俺は翠さんともっと仲良くなりたいと思った。
「ま、今の話は独り言なんで、もし聞いてたら適当に忘れちゃって構いませんよ。ところで、翠さんってさっき愛がどうとか恋がどうとか言ってましたけど。自分はソレどうなんです?」
翠さんは一瞬虚を衝かれた、ポカンとした表情をしていたが、俺の意図が分かったのか柔らかく微笑んだ。
そしてまた少し前と同じ、酒に飲まれたおっさんの様な表情に戻る。
「私としては明君の過去の方が気になるけどなぁ。むしろ今? 本命は誰なのかな? 明君が1番大切なのは……」
「仕事、ですね。働いている瞬間が最高に楽しい」
「明君ってさ。結構変人だよね」
俺と翠さんはコップに入った酒を飲みながら言葉を交わす。
「何を言いますか。俺ほど普通な人はそうは居ませんよ。普通オブ普通。普通の中の普通。ザ平均点君とでも呼んでくださいよ」
「残念ながら普通な人は普通でない物に憧れる人が多くてね。普通だよ。と自分では言わないんだよ」
「ま、中にはそういう人も居ますね。俺は違いますが」
笑いながら時間も忘れて、くだらない話を続ける。
「明君、ロリコンはね。普通じゃないんだよ?」
「そんな諭す様に言われても……。いやそもそもロリコンじゃないですし」
「じゃあ、アンコンか」
「なんです? ソレ」
「杏ちゃんコンプレックス。略してアンコン」
「俺は杏ちゃんの何にコンプレックスを感じれば良いんですか。俺は杏ちゃんの兄みたいな立場ですよ」
それから俺はよく覚えていないが、確か朝日が上がってきた辺りまで飲んでいた気がする。
深夜という事もあり騒がないようにはしていたし、2階には俺と翠さんしか住んでいないから、という事もあったのだろう。
いや、後から考えてみれば問題はこの時点で俺が昼からの杏ちゃんの約束に間に合うと思い込んでいたことだ。
もっと冷静に杏ちゃんの性格を考えれば昼から映画を見に行く約束をしていれば、もっと早い段階でテンションが高くなった杏ちゃんが部屋に来る事が予測できただろう。
そしてその為に早めに解散し、翠さんを部屋に帰す事も出来ただろう。
しかしいつの間にか俺は意識を失い、深い眠りの旅へと旅立っていた。
酒を飲みながら布団も出さず、畳の上で眠り、何時間経ったのだろう。
その目覚めは最悪だった。
「緊急ー!! 家族会議ー!!!」
先輩の叫び声が『そよかぜのいえ』全体に響き渡る。
そして俺は締め付けられる様な痛みを感じながら目を開け、そして固まった。
冷静にどういう事なのか理解しようと頭を回転させるが、酒を飲みすぎたせいかうまくいかない。
ドアの前で叫ぶ先輩、そして俺のすぐ横で座りこちらを睨みつけている杏ちゃん。
俺は畳の上で寝たせいか服が乱れており、そしてすぐ横には俺に抱きついてのん気に寝息を立てているほぼ全裸の翠さんの姿があった。
それから俺の叫び声に目を覚ました翠さんが服を着て、俺達は管理人室へと連行された。「はい。2人はどうしてここに呼び出されたか分かっていますか?」
管理人さんはいつも通り変わらない声と表情で俺達に話しかけてくる。
無言で睨みつけてくる杏ちゃんや葵ちゃん。面白がっている先輩しかいないこの場所では随分とありがたい事だった。
「まぁ、そうですね」
「別に人の恋愛にどうこう言う気はありませんが。ドアを半開きにしたままというのはいかがなものでしょうか? 大人だけなら良いかもしれませんが。子供も居るんですよ」
「はい。申し訳ございません」
俺は畳に額がつくほど深く頭を下げた。
何が起きているのか理解は出来ているが、出来ていなかった。
記憶では酒を飲んで、話をしていただけだったハズなのだが。
「謝るなら私ではないと思いますよ。約束していたんでしょう?」
「そうですね。杏ちゃん」
俺はまだ怒っているであろう杏ちゃんの方を向くと、そのまま頭を下げた。
「ごめん。約束を忘れていたワケじゃないんだけど。こんな事になってしまった言い訳の言葉も無い」
「おにーちゃん」
杏ちゃんは壁に寄り掛かっていたが、俺の方に歩いてくると少ししゃがみ、俺と視線を合わせた。
そして唇を尖らせたまま小さく消えそうな声で俺の耳元に囁いた。
「じゃあ、また来週も映画、その次も。後、後でギュッとして」
「了解」
どうやら杏ちゃんは納得してくれたようで、俺のすぐ横に座り、俺に寄り掛かってきた。
まだ頭を下げそうな雰囲気なので、出来れば離れて欲しいのだが、それを言えばまた機嫌が悪くなりそうだ。
そしてそんな俺達を見て、先輩が口を開いた。
「明」
「はい」
先輩は神妙な顔をしたまま俺を見続ける。
そして少ししてまた言葉を発した。
「男なら本命一筋であれよ。わざわざ売れ残り商品に手を出す事も無いだろ」
「ちょっと待ちなさいよ。あんた今なんて言った?」
先輩の言葉に翠さんは俺の横で勢いよく立ち上がる。
そして腕を組みながら壁に寄り掛かっていた先輩を睨みつける。
「なんだ。聞こえなかったのか? 耳が遠いんだな。もう年か」
「いい度胸してるわね。女が1番輝く時期というのが分かっていないみたいね」
「あぁランドセルを背負っている女の子はいつも輝いているな」
「このロリペド野郎」
「なんだ嫉妬か? 売れ残りのクリスマス女」
2人は火花が散りそうな程睨みあっていた。
どうやら入ってきた日の事を俺は寝ていたので知らないが、先輩とひと悶着あったらしい。
それ以来2人はあまり近寄らないようにしていたようなのだが。
「まだ24よ!」
「ならイブだな。もうリーチじゃねぇか。酒を飲みたくなる気持ちも分かるよ」
「犯罪者予備軍に言われたくは無いわね。いーえ。もう逮捕済みかしら?」
互いに一歩も引く事無く、互いを罵り続ける。
昨日の夜に家族云々という話をしていた矢先にコレか。と俺は頭を抱えたくなった。
俺は言い合いをしている2人を放置して、葵ちゃんを見た。
葵ちゃんは俺の方を見て複雑な顔をしながら俺と視線があった事ですぐ傍まで寄ってきて口を開いた。
「明にぃは女好きなの?」
いきなりの言葉に思わず立ち上がって否定しそうになったが、右腕に感じている杏ちゃんの存在が俺を引き止めた。
「そんな事は無い! 誰がそんな事言ったんだ」
「学校の友達。でも最近、明にぃの周りに色んな女の子が居るから」
確かに言われて思い返してみれば、普段よりもそういう事が多かったかもしれない。
しかし断じて違う。俺はそんな軽い人間じゃない。
「それは全部誤解だ。俺はそんな浮ついた気持ちで誰かと付き合う事は無い」
「そう、なんだ」
俺の言葉に葵ちゃんは頬を染めながら小さく頷いた。
もしかして、もしかしなくてもコレは面倒な事を言ってしまっただろうか。
しかし、口から出た言葉は今更戻せない。
俺は妙な事にならないようにと願いながらこの騒動が収束するまでを待つ事にした。
ある春の日の事である。
その日から翠さんは本当の意味で俺達、『そよかぜのいえ』の一員となった。