「どうしたんだ? カイ、一緒に入らないのか?」
「もう! 姉さんはもっと羞恥心を持ってよ!」
カイは顔を真っ赤にしながら両手で覆い首をふる。
端の岩にピッタリとくっつき、こちらに近づく気配すら見せない。
別に気にしないと言ったんだが。相変わらず強情だな。
「ふう。気持ちいいな」
空を仰げば満点の星空。
温泉で上がりすぎた体温も夜風が冷ましてくれる。
アイがよく歌っていた歌を口ずさみながら、私は大きく伸びをした。
「あ、その歌。アイちゃんがよく歌ってたね。って姉さん! 前隠してよ!」
「ん? あぁ」
カイが何かを言っている気がする。
しかし、眠気のせいか口ずさんでいる歌のせいか、よく聞こえない。
すぐ近くでナナが温泉に飛び込む音や、それを注意するカイの声。そして楽しそうに笑うアリアの声、全てが遠い。
まるで、私だけ別の世界に飛ばされたみたいだ。
カイ達から離され私は一人ガラスの外へと。
「ユイちゃん。こんにちわ」
「あ、そっか。そっちは夜なんだっけ。ならこんばんわ。だね」
「ごめんね。みんなには夢の中で幸せに過ごして欲しかったんだけど」
誰かが私に話しかけている。
どこかで、聞いたことがあるような。懐かしい声だ。
「まだ、少し遠いのかな。声が届けづらいや。でも時間が無いから伝えるね」
「アイちゃんは私のところに居るよ。ただ、あの人に見つかったら大変だから場所は教えられない。ごめん。でも必ず守るから安心して」
「後、こっちはお願いなんだけと。カイ君を守って欲しい。もしもカイ君の枷が壊れたら大変な事になっちゃう。だから、お願い」
「ごめん。もう、時間みたいだ。力が必要になったら呼んで。必ず」
その声は掠れて消えそうだが、私は声の主の事を少し思い出していた。
それは確かな思い出ではなく、私の中に眠っていた感情。
「私は! 君を……」
「信じてる。あなたの事を。私の一番の」
私はノイズの中を必死に叫んだが、結局私の声に彼女が反応する事は無かった。
「ユイ! 大丈夫ですか!? ユイ!」
誰かの声に私は閉じた覚えのない両目を開いた。
滲む視界の向こうには鮮やかな青が広がっている。少ししてからそれがナナのものだと分かる。
「あ、ああ。大丈夫だ。少し頭は痛いが」
「カイもユイも話しかけても返事が無いから焦ったですよ」
「いや、少しな。って! カイも!? カイは大丈夫なのか!?」
私は焦りながらカイを見る。
カイはぐったりとアリアに寄りかかっていた。
意識が無いのだろうか、カイは苦しそうな表情のまま目を閉じている。
「カイ!」
「だ、大丈夫だよ。少し頭痛いけど。平気」
カイは頭を押さえながら、ゆっくりと私の方を向き微笑んだ。
しかしその笑みに力はなく、言葉以上に頭痛が酷いのだという事が分かる。
「カイはさっき、会ったのか?」
「え? 何が?」
「意識を失っている時アイツに、エミに会わなかったか?」
「エミちゃん!?」
私の言葉にカイよりも早く、アリアが身を乗り出し私の言葉に反応する。
しかしカイは私の言葉に首を傾げ不思議そうな顔をしていた。
「なんか、ふわふわした場所で誰かと話していた様な気はするんだけど、よく思い出せない」
「無理はするな」
私も未だに治まらない断続的な頭痛を感じながら、先程の事を考える。
いつ、どこで知り合ったのか分からないが、私はエミの事を知っている。
いや、知っているだけじゃない。私は確かに感じた。エミを失った悲しみを、絶望を。
「ユイさん」
「悪いアリア。自分の中で整理するのに時間が掛かってしまった」
「いえ、私も取り乱してしまい申し訳ないです」
それから私は深呼吸を一度した後、ゆっくりと先程あった事を思い出しながら話した。
全てを話し終わる頃には私もカイも頭痛が治まり、まともに思考できる様になっていた。
「つまりこういう事です? ユイやカイの意識が遠くなって気がついたら、何か訳知り顔の女が居て、ユイの怪しい記憶によればソイツがエミだ、と。しかも、そのエミによればアイは無事に保護されているが、場所は何者からか逃げているせいで教えられないと」
「そうだな」
「それに、僕に何か隠された力的な何かがあって、それが解き放たれると大変な事になる?」
「らしい」
私は考え込む周りを見渡し、反応を待った。
正直私も半信半疑だし、悩むみんなを見ていると少し申し訳なく思う。
「ユイはエミとはどんな関係だったのですか?」
「いや、私には分からないんだ」
「アタシは知ってるよ。ユイとエミの関係」
私の言葉を遮る様に聞こえたのは未だに苦い思い出の残る声。
「お、お前は!」
「元気してた?」
その声の主は温泉に温泉でくつろぎながら、以前とは違い戦う意思を見せない。
まるで、偶然出会った友に挨拶するような気軽さで話しかけていた。
とても先日森で死闘を繰り広げた相手とは思えない。
「いやぁ。ユイの最後の一撃が予想より強くて、復活したのさっきなんだよね。アタシ」
「こっちも貴女との戦闘の影響でようやく動ける様になったばかりだ」
「そりゃ悪かったね」
完全に油断している。
私はナナに目配せをし、ナナが小さく頷いたのを確認すると、勢いよく立ち上がった。
そしてナナから受け取った剣を右手に握りしめ、目の前の女へと一気に迫る。
しかし、剣を向けても女は動く気配を見せない。
「今は温泉をゆっくりと楽しませてくれない?」
「コイツ、この前は急に襲ってきたくせに随分と自分勝手です!」
「あー、お嬢ちゃん。アタシはリサ。コイツなんて名前じゃない。よく覚えておきな?」
「知らないです! 馴れ馴れしくナナの事をお嬢ちゃんなんて言うなです!」
「ふーん。ナナって言うんだ。よろしく」
「別によろしくしたく無いです! って、何でナナの名前を知ってるですか!? いったいいつの間に」
多分ほんの少し前だろうなぁ。
「あ、私はアリアって言います。よろしくお願いします。リサさん」
「おー。リサで良いよ。アリア」
二人は軽い挨拶を交わし握手し、笑いあった。
既に十年来の友の様な雰囲気で語り合っている。
そんな二人にナナがお湯をかけながら、飛びかかり、リサに体を捕まれくすぐられていた。
私ばかりが警戒してもしょうがないか。
「お? ようやく武器を捨ててくれたか」
「貴女が武器を持っていないのに、私ばかりが持っているのは不公平だからな」
「ふっ、くく。そういう言い方は昔と何も変わらない」
リサは喉を鳴らしながら愉快そうに笑う。
そんな光景をどこかで見たような気もするし、初めての様な気もする。
「ところで、実は前に森で会った時からそっちの子が気になってたんだけど」
「僕ですか?」
「あぁ。昔、どこかで会った事は無いか?」
何だろう。気のせいだろうか。
リサの雰囲気が明らかに変わった。
ふざけた様な空気は残しているが、カイを見る眼差しが違う。
「無いと、思いますけど」
「そっか。家族はいる? 姉とか母親とか」
「血の繋がった。という意味なら僕に家族は居ません。いや、分からないという方が正しいかもしれません。昔の記憶が無くて、気がついたらユイ姉さんとアイちゃんが一緒に居たので」
カイの話を聞き、リサは腕を組ながら目を閉じて考え込む。
何を考えているのかは分からないが、もしもそれでカイに危険が及ぶなら遠慮はしない。
私は湯の中で静かに拳を握りしめ、いつでも戦える体勢になった。
「知らないなら良いや」
リサはそれだけ言うと口笛を吹きながら天を仰ぐ。
「何だか、すいません」
「いや、気にしないで。アタシも気にしてない」
リサは一人で納得すると勢いよく湯から立ち上がった。
そして、どこに用意していたのか、タオルで体をさっと拭くと近くに置いてあった服を着る。
「じゃ! またどこかで会う事があれば今度は敵だ。気ままにやり合おう」
リサは背を向けたまま右手を軽く上げ、森の中へと消えていった。
そして、私たちも風呂からあがり夜道をアリアの家に向かって歩く。
前を歩くナナとアリアはリサの事を話しているらしい。
「なんだか、読めない奴だったです」
「でもあまり悪い人には見えませんでしたね」
「アリアは甘過ぎです!」
ナナとアリアの会話を聞きながら考えるのは私もリサの事。
リサは敵だ。それは間違いない。しかし。
「次に会った時、姉さんは戦えない?」
横から聞こえたカイの声に私は何も答えられない。
「僕はリサさんと姉さんは多分仲良く出来ると思うんだけどな」
「あー! カイまでそんな事言ってるですか!? リサは敵です! 仲良くなんてあり得ないです!」
ナナは前からトテトテと走ってきて、カイに抱きつきながら一切の迷いもない口調でそう言いはなった。
「ユイもそう思うですよね!?」
「そう、だな。私もそう思う」
私の言葉にナナは大きく頷き、アリアは少し寂しそうな顔をしていた。
そして、何故だろうか。私は家に着くまでカイの顔を見る事が出来なかった。
その理由は分からない。いや、本当は分かっている。ただ、怖かっただけなのだ。
カイの全てを見透かす様な眼差しに、私の心の奥底にある感情すらも知られてしまうのではないか、と。
「さて、明日の朝には旅立つです。今夜はみんなぐっすり寝るですよ」
家に着いてすぐにナナは腕を組ながらそんな事を言い、カイの手を引きながら奥の部屋へと消えていった。
アリアは旅の準備をすると自分の部屋へ。
私は自分が寝ていた部屋へ行き布団の上に座り込む。
ずっと寝ていたのだから当たり前だが、全く眠くない。
「無事に脱出できたみたいだな」
「誰だ!」
誰もいないはずの部屋に聞き覚えのない低い声が聞こえ、私は拳を握りしめ臨戦態勢になる。
「そう警戒するなよ」
「そう言うなら姿を見せろ」
「ま、そりゃそうか」
「お前は」
部屋の片隅から現れたのはあの男だった。
確か何もないところから鎖を出す奴。
「元気そうで何よりだ」
男はいつも通り腕を組みながら不敵に笑い話しかける。
「お前は「俊介だ。名乗って無かったか?」どっちでも良い」
アイが居なくなった事も、こっちの世界でカイが危ない目に遭うのも全て、始まりはコイツだ。
そう思うと仲良く名前を呼び会うなんて出来ない。
「どうやら、随分と嫌われたみたいだな」
男は右手を振るうと影に溶け込んでいく。
「とりあえず警告だけは聞いてくれ。後それほどしないで襲われるぞ。早めに次の世界に移る事をお勧めする」
「何!? どういう事だ!?」
私の問いに答える事は無く、男は闇の中に消えていった。
男の事を信用しているワケでは無いが、ここで嘘をつく理由も無い。
私はナナ達を集め事情を話す事にした。
「じゃ、さっさと移動するです」
「信じるのか?」
「嘘でも本当でもあまり関係が無いです。どのみち明日の朝には移動するつもりだったです。なら今動いても変わらないでしょう?」
「罠の可能性もある」
私の言葉にナナは両手を腰に当てながら胸を張り答えた。
「そんなもの。ナナが正面から打ち砕いてやるです」
迷いも無く放たれた一言は私の胸に渦巻いていた様々な感情を、解き放った。
恐れるな。迷うな。ただ前を見て、進め。
「ユイさん」
「ユイ」
「姉さんは、どうしたいの?」
迷いが完全に消えたわけじゃない。恐怖を感じないワケでもない。
ただ。周りを見れば仲間がいる。
守るべき存在がいる。それだけで私は前に進んでいける。
「行こう」
私たちはナナを中心にして立ち、ナナの準備を見つめる。
ナナは本棚から本を1冊取り出すとそれを広げ、手をその上に置いた。
「さあ、行くですよ!」
旅の始まりはいつだって不安がつきまとう。
この旅がいつ終わるのか私にはわからないけれど、進まずに後悔する事だけはしたくない。
「姉さん。アイちゃんに会ってナナちゃんとアリアさんを紹介しないとね」
「ああ。その為には必ずアイを見つけ出す」
ナナが手を置いていた本はナナが離れると光り始め、ページを勢いよくめくり始めた。
本から溢れた光は私たちを包み、アイと別れた時の様に突風が周囲に吹き荒れる。
そして光が最高潮に達した時、私は確かに本の中心部に何か鋭利な刃物が刺さっていたのを見た。
それがどんな事を意味するのかは分からないが、周囲に吹いていた風に統一性がなくなり、まさに嵐のように私たちの体を吹き飛ばそうとしている。
さっきまでとは違い、随分と暴力的な風だ。
「しまったです!」
そしてナナの焦った声が私に届くと同時に私たちは光に包まれ、私は意識を失った。