本の世界の物語   作:804豆腐

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第1章 第1話

丘の上にその存在を強く自己主張している桜の木が1本あった。

ただでさえその丘の上にはその桜しかないのに、まるで自分という存在を誇るかのように枝を広げていた。

しかも今は春だ。桃色の花びらが空を舞っていた。

私は両手を頭の後ろで組みながら、桜の木の根元で寝転がり空を見上げる。

丘の下から吹き上げる風は花びらを空へ舞い上げ、青空を鮮やかに染め上げていた。

寝るには丁度いい気温だ。私は目を閉じ、夢の世界へと旅立とうとした。

しかし、地面に横になっている私のすぐ近くに誰かが近づいてくる気配を感じる。

「誰だ? カイか?」

私は目を開け、ゆっくりと上半身を起こしながら私に近づいてくるその存在を見た。

丘の中腹辺りにいるソイツは今までに見た事の無い奴だった。

腕を組みながら笑っているソイツは今まで私が見た事の無い奴だ。

しかし、一定の距離を離した状態から一切動こうとせず、ただこちらを眺めているだけ。

言葉を発しないから分からないが、何か用でもあるのだろうか。

しかし、ただコチラを見るだけで何も行動しようとしないソイツに違和感を感じる。

そもそもこの場所に私たち以外の人間がいる。それだけで今までに無い事態だ。

この場所には私たちしかいない。そのハズだ。そう私たちが願ったのだから。

つまり、そこにいるソイツは明らかな異物。居てはいけない存在となる。

私は警戒したままゆっくりと立ち上がると右の拳を強く握り、左足を1歩前へと踏み出した。

左手を前に突き出し、いつでも攻撃できる態勢のまま少し離れた場所に居るソイツを見据える。

この距離なら1歩で届く。大丈夫、何度も繰り返してきた攻撃方法だ。今更失敗する事も無い。

腰を深く落とし、いざ攻撃を仕掛けようとした時、ソイツの右腕が横に上がり次の瞬間に消えた。

しかし、私はそれにいちいち驚くことはなく左足を軸に半歩前に踏み出しながら背後を振り返り後ろにある右足を前に踏み出しながら右手を突き出した。

右手は風を纏いながら正体不明の敵に当たった。

敵は両腕を胸の前で組みながら攻撃を防いだようだが、両足は地面を削りながら随分と後退する。

私はさらに追撃をする為に地面を蹴り、敵へと迫った。

地面すれすれを飛ぶような速さで移動しながら拳を握りつつ、再びフードの敵へと拳を叩き込もうと迫る。

しかし、私が接近するよりも早く敵はポケットの中から太陽に反射する金色の時計を取り出し、そして私の前から姿を消した。

あまりの速さに見失ったのかと思ったが、なら同時に気配も消えるのはどういうワケだ?

周囲を警戒していると、斜め後ろから敵の気配がし、私は振り返った。

「悪を拘束せよ! 正義の鎖!」

アイやカイとは違う低い声が奴から聞こえた。

そしてその声と同時に地面から宙から銀色の鎖が突然現れると私の両腕両足に絡みつき、動きを拘束する。

私は拳を握り、腕に力を込めて鎖を引きちぎろうとするが普通の鎖とは違うのだろう。軋む音はすれど壊れることはなかった。

しかし、諦めることなく両腕に力を込める。

「やれやれ。少しは大人しくしてくれないか?」

敵は再び腕を組みながら不敵に笑い右手を軽くこちらへ向ける。

その自信に満ちた笑顔は私の神経を逆なでするには十分だった。

「お前がこの世界から消えたら大人しくするさ」

私は両腕の鎖をそれぞれの手で掴み、そして溜め込んだ力を一気に解放し鎖を砕いた。

砕けた鎖はキラキラとした結晶となり、空気の中に消えていく。

そしてそんな私の行動に少し驚いたのか、男は言葉をなくしているようだった。

しかし、呆然としているのなら今がチャンスという事。

「出て行かないのなら、力ずくで……排除する!」

私は右足で地面を強く蹴り、未だ意識がどこかへ旅立っている男に向かって拳を握り走る。

男は私が向かって来る事に気づいたようだが、もう遅い。

もはやかわす事も防ぐことも出来ない。私は呆然としている男の顔面に拳を叩き込もうとした。

しかし、私の目の前を再び銀色の鎖が現れ私へと迫る。

二度も、同じ攻撃が通用すると思うな!

私はその鎖を掴み、強く引きながら地面を強く蹴り空へと跳んだ。

空へと跳ぶと同時に私が居たところにはいくつかの鎖が通過するが、それは私が跳んだ事でそれは何も無い空間をただ通過していく。

私は空中で体を捻り、掴んでいた鎖を踏み台にし再び男へと拳を向けた。

「少し話を聞いてくれないか?」

しかし、私の拳は男に届く事は無く受け止められてしまった。そして次いで低い位置へ抉るように振りかぶった左腕も。

互いに拮抗した力で、進む事も戻ることも出来ない状態で男は言葉を紡ぐ。

「もう長いかくれんぼは終了だ。君達は見つかったんだよ」

「まだあんたを消せばゲームは続く」

私は足をさらに強く踏み込み、男を圧倒するための力を溜める。

さっき鎖を引きちぎった時の様に、一瞬に全ての力を爆発させようとした。

しかし。私はそれを思わず躊躇ってしまう。男から放たれた一言のせいで。

「俺だけがココを見つけたと思っているのか?」

「まさか!」

私は男とは別方向、家がある方向を見た。

丘の向こうのさらにその向こう。おそらく家がある辺りの空がおかしい。

青い空に立ち上る黒煙が私の心を急速に締め付ける。

「お前!!」

「別に俺が呼んだワケじゃないがな」

悪びれず、軽く言い放つ男の澄ました顔を殴りたくなるが、今はコイツに構っている暇は無い。

私は拳を一瞬引き、体勢を崩した男の肩に手を置きその体を一気に乗り越えた。

そして男の背中を踏みつけ、家の方向へと跳ぶ。

男に背を向け走るが、男はどうやら追いかけてくる気配は無いようだ。

「始まる。終わりへ向かう旅が」

風にかき消されてしまう様な小さな声だったが、何故か私にはハッキリと聞こえた。

旅など始めてたまるか。私たちはようやくここにたどり着けたのだ。

誰かに壊されてたまるか。

風よりも早く、私は走る。今はただ家に向かって全力で。

自分の足が酷く遅く感じる。空気を切り裂き、風を生みながら走っても家が遠い。何でこんなに遠いんだ。

空へと伸びる黒煙がどんなに私を焦らせても足は速く動かない。

悔しさを感じながらも走り続け、家についた時には随分と遅くなってしまった。

そして息を切らせながら着いた私の眼前には燃える我が家があった。

「なんだ、コレは」

カイは、アイはどこに行ったんだ。

焼け落ちた家の壁を、無残にも破壊されたドアを見ながら私の心がずっしりと重くなる。

家の周りを走り回り、人の気配を探すが、どこにも居ない。

私は家のドアを蹴り壊し、中へと足を踏み入れた。

「アイー! カイー!?」

しかしどこからも返事は無い。

私は家の中を入り口から順番に探すが、どこにも居なかった。

そして1番奥にあるアイの部屋までたどり着いてしまう。

ココに居なかったら、私は自分がどうなってしまうか分からなかった。

ついさっきまで笑っていたアイとカイ。何故こんな事になってしまったのか。

意を決して扉を開く。しかしそこには誰も居なかった。

「なんで……」

私は力なく崩れ落ち、床に両手をつけ項垂れた。

ただ静かに暮らしたいと願うことが何故悪いのか。

戦いから逃げる事がいけない事なのか?

争いたい奴が勝手に争えば良いじゃないか。私たちは関係ない。

拳を握り、それを荒ぶる感情のままに振り下ろそうとした時、すぐ背後に気配を感じた。

「アイ、カイ!?」

しかしそこに居たのは全身が黒いモヤモヤで包まれた人間の様な奴だった。

そして1人でブツブツと何かを呟いている。

私はソイツが何者かは分からなかったが、ソイツが腕を振るい近くの物が吹き飛んだ事で察した。

そうか。コイツが。

私はとっさに自分の身体を守っていた両腕をゆっくりと下ろし、近くに落ちていた棒を足で蹴り上げ、右手で掴んだ。

「お前が……」

やったのか? と聞くよりも早くソイツは唸り声を上げながら私に突っ込んでくる。

私は右手に持っていた棒の先をソイツに向けまっすぐに突き出した。

ソイツは器用に身体を横に回転させながら棒を避け、そして壁を蹴りながら私にまっすぐ向かって来る。

しかし、そんな事で私はひるまない。

私は右手を戻しながら棒でソイツの正面から横に振る。

タイミングは完璧だ。ソイツはかわす事も出来ず滅びるだろう。

だが、ソイツは私の棒を掴むとそのまま空中で回転し、私を飛び越え背後から襲いかかろうとする。

「何をさっきから逃げてるんだ」

私は背後にいるソイツを左手で掴む。

左手が焼ける様な痛みと黒い何かに侵食されている。しかしそれがどうした。

「アイはもっと痛かっただろう」

黒い何かは苦しそうにもがいている。

私の右手は確実にソイツの何かを掴んでいる。そして握りつぶす勢いで左手に力を込めた。

さらに苦しそうにもがくソイツと痛みが増していく私の左手。だが力を緩める気は無かった。

「カイは泣いていたかもしれない」

2人の最後を私は見たワケでは無いのに、目の前に浮かぶ。

助けを求めていたかもしれない。しかし駄目だった。助けられなかった。

私の身体を支配する感情は悲しみ? 後悔? いや違う。

「それをお前が奪ったんだ」

きっとこれは憎しみだ。

左手の先で苦しんでいる奴を見ても心は満たされない。

アイもカイもどこにも居ない。そう考えるだけで苦しくて、切なくて、悔しい。

「なぁ。教えてくれ。どうして欲しい?」

ソイツは答えない。

私は右手に持っている棒でソイツの身体を適度に痛めつける。

ソイツは苦しそうな声を上げるが、それ以上は何も出来ないのかだんだんと動きが鈍くなってきた。

「おい。まだ終わるなよ。まだ……くっ」

私は左手の先にいる奴に向かって右手の棒を振り下ろそうとしたが、壁を突き破って来た何かによって反対側の壁に向かって吹き飛ばされた。

一匹だけじゃなかったのか。なら全て滅ぼすだけ。

「少し待て」

「お前はさっきの」

壁を突き破って来たのは丘の上に居た男だった。

相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、左手には金色の時計を持っている。

先ほどと何も変わらない。何をしにきたのだろうか。

考えようとしたが、答えは考えるまでもなく出てきた。

そうか。コイツはさっきの黒いのの味方か。カイやアイを襲った奴の味方。

なら……私の敵だ。

「さっき会った時より随分と怖い顔になったな」

「お前達がそうしたんだろう?」

怖い顔か。アイやカイには見せられないな。いや、もう会う事も出来ないから見られる心配は無いか。

既に2人は……。

「そんな顔じゃあ2人に会った時、どう思われるかな?」

「お前」

「2人は無事だよ。ただ今は別の場所に居る」

2人は無事? という事はコイツは何が目的なんだ。

こういう状況を作ったという事はコイツは何か私に要求があるという事だろう。

あるいはカイかアイに求めるモノがある。

「腹の探りあいは面倒だ。俺の目的を伝えよう」

私は無言のまま目の前の敵を睨みつける。

そんな視線を受けながら奴は不敵に笑うとその目的を告げた。

「エミはどこに居る?」

「誰の事だ」

「奴らよりも早く見つけないと大変な事になるんだ。隠さず教えてくれ」

「ワケの分からない事を言うな! この場所には私とアイとカイしか居ない!」

コイツはいったい何を考えているんだ。ワケの分からない事ばかり言う。

何が目的だ。私を混乱させる事か。ならば今は落ち着かなくてはいけない。

唇を噛み締めながら、目の前の男を睨んだ。

しかしそんな私を見て、目の前の男は笑う。

「本当に知らないみたいだな。という事は君はただの守護者というわけか。ならば君を利用させてもらおう」

男はそう言いながらポケットに手を入れ、今度は銀の時計を取り出す。

男の取り出しソレを見た瞬間、私は意識するよりも早く動いていた。

右手に持っていた棒を軽く流しながら、走り、男へと迫る。

勢いのまま右手を振るおうとするが、男の前にいつの間にか復活したのか黒い何かが割り込んできた。

「邪魔だ!」

右手に持っていた棒をまっすぐに黒い何かの後ろにいる男に向かって突き出した。

しかしその棒の前には男によって開かれた懐中時計があった。

その時計の秒針がやけにゆっくりと動いて、1つ時を刻む。

「さぁ旅立ちの時間だ」

そしてそれと同時に懐中時計から光が溢れ、私は目標を見失い、右手の先の棒が砕かれる感触がした。

次の瞬間には正面から吹いた突風に体勢を崩し、後ろ向きに吹き飛ばされぶつかるはずの壁もすり抜けさらに後ろへと向かう。

そしていつの間にか私は白い世界にいた。

上も下も無い。ただ正面に大きな時計があるだけの世界。

「お姉ちゃん!?」

私は浮遊する様な奇妙な空間ですぐ背後から聞こえてきた声に振り向いた。

思ったよりも自由に動けるらしい。

そして振り向いた先にはアイとアイに抱きしめられているカイが居た。

アイは泣いている。あの男に何かをされたのかもしれない。

そして何よりもアイに抱きしめられているカイの様子がおかしい。

「アイ、大丈夫か! カイは?」

「お姉ちゃん……カイ君が、私を庇って」

カイはいつもの穏やかな笑顔を浮かべていた顔は苦痛に歪み、額からは血を流している。

そしてその血は白い服を汚し、そして苦しそうではあるが呼吸をしている様子から生きているという事は分かった。

しかし、私が近寄っても目を開ける様子も無い。

私がのん気に寝ている間に、あの男に足止めされている間に。

悔しさと怒りで握り締めた右の拳から血が流れ落ちる。

「お姉ちゃん……」

「ユイ、姉さん?」

アイに抱きしめられていたカイが薄く目を開く。

しかしその瞳に力は無く、身体を動かすのも辛そうだ。

それでもカイは起き上がり、私に笑いかける。

「ごめん」

「何謝ってるんだカイ」

カイは瞳に涙を浮かべながら謝る。

こんな状況になったのはカイのせいでは無いのに。

カイはそのまままた目を閉じてしまったが、先ほどよりは苦しさは抑えられているらしい。

そしてカイが1度でも起きた事で少し落ち着いたのか、ゆっくりと話し始めた。

「お姉ちゃんが朝出かけてからすぐにアイツが来たの」

「アイツは家の中に入ってくるなり、私を見て突然腰に下げていた剣を抜いて斬りつけて。そしてそれを庇ったカイ君が……」

私はアイの言った腰に剣を下げた男というのが気になった。

確か私が対峙した男は時計は持っていたが、剣は持っていなかったはず。

これはどういう事なんだろうか。

「なら、私が戦っていた男は?」

「敵じゃない。と、あの時言っても君は信じなかっただろうがね」

私は突然聞こえた声にカイとアイを抱きしめながら振り向いた。

そこには先ほどまで私が対峙していた男が居た。

そして両手を上着のポケットに入れ、こちらの言葉を待っているようだった。

「じゃあ、家に居たアイツはなんだ」

「アレは俺も知らん。しかしどうやらエミを探しているらしい」

さっきも聞いた名前だ。そうか。アイツはエミという人物を探しているのか。

しかしそんな名前、今までに聞いた事は無い。本当にこの場所に居るのか?

「貴方達は何故エミを求めるのですか?」

「アイ?」

私の背中の向こうから、アイはカイを抱きしめたまま強く男を睨み言葉を紡ぐ。

男は私に向けていた視線とは違う真剣な眼差しでアイを見据える。

無言で見つめあう二人。私はどちらにも声を掛けることが出来ず、ただ2人を交互に見つめる事しか出来なかった。

いつまでも続くかに思えた2人の睨みあいは男が突然笑い始めた事で終わりを迎える。

そして男はひとしきり笑った後、口を開いた。

「別に俺は彼女の力を利用して世界をどうこうしたいわけじゃない」

「じゃあ何が目的なんですか?」

「助けたい奴がいる。守りたい世界がある」

男は今までに無い程真剣な眼差しでアイを見つめる。

いや、アイを見ているようで見ていない。アイの後ろに居るであろう誰か。

エミと呼ばれている人を見ているのだろうか?

アイはそんな男を見つめながら少し考える様に目を伏せた後、再び上げた。

そこに厳しい目は無く、ただ優しい、いつものアイの瞳があった。

「その願いは余計な人の願いを背負う事になるかもしれないですよ?」

「構わないさ。俺は正義の味方だからな。いくらでも背負ってやるよ」

「ふふ。そうですか。正義の味方ですか。では……お願いします」

アイはそれだけ言うと私にカイを預けゆっくりと立ち上がった。

そして私たちに背を向け、空間の奥へと歩き始める。

何故だろう。凄く嫌な予感がする。私の心が何かを叫び続けている。

このまま行かせてはいけない。もう二度と会えなくなる。

前もそうだったじゃないか。また大事な人を失うのか。

「アイ!」

しかし私の足は何故か動かない。何とか搾り出した声をアイに向ける。

アイは私の声に振り向き、そして笑った。

「お姉ちゃん。カイ君を守って。世界を、守って」

涙を流しながら笑い、そして再び私たちに背を向ける。

私はカイを抱きしめたままアイの元へと走っていこうとした。

しかし目の前の空間に亀裂が入り、アイの元へと向かう事が出来ない。

そして亀裂の向こうでは腕に刺青をした男が黒い剣を振り上げているのが見えた。

「ここから先には行かせませんよ」

「またお前か! 邪魔をするな!」

声と何か金属が打ち合う音は聞こえるが、向こうの様子は一切分からない。

亀裂はどんどん増えていき、アイと刺青の男の姿を覆い隠していく。

「さぁこの世界が壊れるよりも前に逃げるんだ」

後ろにいた男が私の肩を掴み、声を掛けてくるがそれを振り払い、私は亀裂の向こうへと向かおうとする。

しかし、亀裂は私の移動を阻みアイの元へとたどり着く事が出来ない。

「アイ!!」

声を掛けるがこちらの声はアイには届かないのか返事は無かった。

どうにかしてアイの元へ行かなくてはいけない。

そんな焦燥感ばかりが胸を締め付ける。

「逃がしません!」

「お前! 世界の崩壊に巻き込まれるぞ!」

「覚悟の上です」

「なに……!?」

次の瞬間世界の全ては白に支配された。

全ての景色は白く塗りつぶされていく。

大きな時計は消え、私たちの家にあった物が私の横を通り過ぎては消えていった。

数多の季節を過ごした場所と思い出を全て飲み込んでいく。

吹き荒れる暴風で私はまともに姿勢を保っている事もできない。

暴風はカイを連れ去ろうとするが、強く抱きしめる事でカイを守る。

しかし、強すぎる暴風は私の力など無いも同然と言う様にカイを奪おうとする。

「くっ……、カイっ」

カイは声を掛けてもぐったりとしたまま動かない。

私はだんだんと体力を奪われていき、限界が少しずつ近づいていた。

「もう、駄目か……!」

諦めきれず最後の力を振り絞ろうとするが、それをあざ笑うかの様に暴風は私たちを翻弄し続けていた。

その暴風に私の手はカイを離しそうになった次の瞬間、私たちは薄紅色の球体に包まれていた。

その空間は暴風の影響を受けず、私はゆっくりと目を開いた。

「お姉ちゃん」

「アイ……」

目の前には服をボロボロにしたアイがいた。

そしてアイは私の手に銀色の髪留めを手渡す。

それは昔アイが大事な物だと言っていたイルカの髪飾りだ。

「ごめんなさい」

「何を謝っているんだ」

「私はずっと嘘をついていたから。ごめんなさい」

アイは私の頬に手を当てると、微笑んだ。

そして、両腕を後ろに組み私から離れる。

「お姉ちゃん。無事で」

「アイ! 一緒に行こう!!」

私はアイに手を伸ばすが、アイに触れる事は出来ずすり抜けてしまう。

右手は虚しく空を切る。

「お姉ちゃんとカイ君は必ず無事で送り届けるから」

「アイ! 何で」

「ごめんなさい。私は一緒に行けないんです」

アイは桜色の光に包まれ、そしてだんだんと薄くなっていく。

私はアイの頬を流れる涙を拭うことも出来ない。

そして私たちは再び白に包まれた。

しかし、最初の時とは違いその白き光は私たちを優しく包み、そして私はその光の中で意識をだんだんと奪われていく。

その消えそうな意識の中で私はアイの声を耳にした。

「短い間でしたけど、お姉ちゃんの妹になれて楽しかったです」

「今まで」

「ありがとうございました」

知らず知らずのうちに瞳から涙が溢れる。

叫びたいが全てかき消されていく。何も出来ない無力な自分が悔しい。

「さようなら」

カイを強く抱きしめたまま、私の意識は白く染まり、消えた。

そして落ちていく。始まりの場所へと。


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