時間は遡り、9月4日の秋季大会一次予選、抽選会。御幸は持ち前の運?を武器に、薬師、稲実などの強豪とは当たらなかった青道高校。
打撃陣では相変わらず一軍級と昇格組の差が広がっており、上位打線は完成しつつあるが、下位打線の出来に不安を抱えている。
「――――まあ、正直普通にやれば勝てるよな」
「ああ。だよなぁ」
御幸のくじ運による影響か、部内ではこの一次予選を楽観視する傾向があったが、
「だが、手を抜くとか、気を抜く理由にはならない。普通にやればというのは、本気で捕りに行って初めて言えるんじゃないか?」
そんな年上の部員に対しても、沖田は憮然としていた。
「それに、西東京と東東京が混ざるし、やっぱりデータを取りきれるのかなぁ」
東条もこの秋季大会の規模に警戒をしていた。
「そうだよね。西東京には成宮投手がいるし、主力のほとんどは2年生。大塚君がいたから大丈夫だったけど――――」
春市が警戒していたのは、稲実。昨年の夏予選王者。やはり東京でも頭一つ抜けている。
「だが、まず朗報なのは大塚が復帰したことだな」
大塚栄治が帰還。これで文句なしのエースが帰ってきた。先発で不調の降谷、中継ぎでは不安のある沢村の一方、2年生の川上が安定感を見せている。
「1年生の言う通りや、公式戦なんやぞ。それで強豪校おらんかったら、全部コールド勝ちせんといかんやろ!!」
昇格組のリーダー格でもある前園がそう言い切る。現在は一塁手のレギュラーに近づいているが、中々素晴らしいと言える結果が出ない。
地力はついて来ている。だが、温度差を感じる。
更にチーム内で噂になっているのは――――
「――――けど、最近変な人がいないか?」
「ああ。なんだか見ない人だよなぁ」
「もしかしてスカウト? プロのスカウトとか!!」
そうなのだ。やや背の低い中年のおじさんが青道の練習グラウンドに顔を出しているのだ。部員たちも彼が何者なのかをあまり知らない。
「それだけポジティブになれるのは羨ましいなぁ、おい。けど、目当ては当然大塚と沖田、東条だろ」
甲子園で目覚ましい活躍をし、最後まで調子を維持していたのは3人。沢村も頑張ってはいたが、スライダーを封じられたことが大きくマイナス評価につながっている。
そして、その怪しいおじさんこと、落合博光はブルペンで投球練習をしている大塚、川上を見ていた。
「――――右打者のアウトコース、スロースライダー。低め。」
一球ごとにコースを指定する大塚。隣にいる川上も大塚に当てられて、集中力が増していた。
――――ほう、一球ごとの集中力が違うな。
コース付近にはほぼ確実にボールが迫っている。アマチュアクラスではもはや精密機械と言っていい。
――――だが、怪我明けだ。まだ球速は夏の甲子園程は期待できないだろうな
夏の甲子園からしばらく投球間隔のあいた大塚。140キロを超すのが精々の限界だろう。
――――エースナンバーを背負うのは、もう決まったも同然だな。
「ナイスボール!! 大塚!! コース来てるぞ!」
御幸としては、怪我明けである程度コースに来てくれればいいと思っていたので、多少ずれても問題ないと考えていた。
僅かにスライダーが外れる。とはいっても、高さは間違いではなく、安全な外れ方。
「――――もう一球良いですか? 少し外れました」
しかし、当の本人である大塚は、怪我明けとはいえ指先の感覚が狂ってもいないにもかかわらず、コースが外れたことに違和感を覚えた。
――――今の投げ方なら、コースにいっていたはず。なのに、ずれた。
最近、というより甲子園終了直後から手足にしびれを感じる。痛みというよりは、体が熱を帯びている感覚。
追加で医者に診断を受けた結果、成長痛ではないかという見解。関節や筋肉に特に異常は見られず、変に不安になる必要はないという。
だが、大塚は自分の体が成長していることによって今までの繊細なフォームの動作に狂いが生じ始めていることを認識していた。
――――変化球一つをとっても、それぞれが異なる変化をする。
投手というのは、それほどまでに繊細な存在だ。中学時代のストレートと、今のストレートが違うように、体格の変化だけではなく、筋肉量の変化により、ストレートの質が変わることもある。
「―――――っ」
また外れる。スライダーは両サイドに自分の意志でコントロールは出来ている。だが、今度は高さが若干高くなっていた。
思わず悔しそうな顔をする大塚。それを見かねた御幸が、
「そんな顔をするなって。コースは間違ってねェし、キレもいい。ストレートと織り交ぜたら、タイミングを外すのが目的のこの球には掠らねェよ」
と、大塚の不安を解消するべく積極的に話しかける。
「ですが、こんな万全ではない状態で、エースナンバーを背負っているんです。早めに手をうたないと――――」
「ストレートもコースは間違えてねえし、新しく修得したドロップカーブもキレがいい。ちょっと精密機械じゃなくなっただけで、球威自体はトップクラスだって! 打たれても詰まらせたらいいんだからな。そういう球種があるだろ?」
カッターとか、シンキングファストとか、と笑う御幸。
「はい――――」
しかし、大塚は不安を拭いきれなかった。
―――こんなんじゃ、あの人のライバルを名乗っていいわけがないだろ!!
そして薬師高校では―――――
「カハハハハっ!! あいつら別ブロックかァ!! 今度こそ沢村ぶっとばす~~~!!」
相変わらず元気な轟。
「それこそ、俺のセリフ。けど、奴らが熱い夏を過ごしてきたように、俺達も激熱な夏を過ごしたんだからな」
屈辱の準々決勝から、練習試合で連勝記録を伸ばし続けた薬師高校。その連勝数、実に24連勝。
投打がかみ合い、そして打倒青道を掲げたチーム作りをめざし、その強力打線は本領を発揮。
主に東東京を相手に蹂躙し、神奈川の紅海大、横商相手にも大勝。しかし、変わったのは―――
「まずはエースの座を頂いてやるぜ!!」
投手転校の三島。フォークを中心とした攻めの姿勢、そのメンタリティは、やはり1年生の域を超えていた。
ここまで好調を維持。長いイニングに不安のある真田の前を投げる投手として、ようやくノーガードの殴り合い戦法だけの戦術からの脱却に成功。
投打ともに急成長を続けていた。
「しっかし、違うブロックとはいえ、青道ももちろん警戒しなきゃなんねぇ。だが一番やべぇのは――――」
轟は、とある新聞から切り取った記事を部員たちに見せる。それを見た薬師の選手たちは表情を引き締める。
「ワンマンチームとはいえ、こいつの実力は、西東京最高クラスだ。病み上がりの大塚よりも、こいつの方が恐ろしい。」
明川学園のエース、楊舜臣。この秋が最後の公式戦と言われており、来年の夏にはもういない。
だが、たとえ選抜が最後だとしても、彼の投球を一度でも見てみたいと思う者は少なくない。
「といっても、あそこは所詮投手一人、さらにはアジア大会で疲弊したアイツを酷使するつもりはないだろうよ。」
既に台湾メディアからも注目を浴びている楊舜臣。彼一人で秋大会を投げるのには、流石に限度がある。
「とりあえず、明川は早いトーナメントで当たったらヤバいが、そうでなければ大丈夫だ。まあ、当たったら運がなかったというレベルだな」
楊舜臣が力尽きる、もしくは明川のチーム力に綻びが生じる時に、秋が終わるだろう。
「とにかく、大塚を引きずり出す。それからだな、本当の勝負って奴は」
西東京、最も分厚い強力打線が、東京に今度こそ旋風を巻き起こすか。
東東京の猛者も集うこの秋季大会。徹底的にマークを受けている青道。今年の夏予選を盤石の試合運びで勝ち進み、さらにはエース大塚を中心とした投手陣の充実。攻撃面では沖田、東条、御幸の主軸が控える。
前評判が高い中、その初戦。秋の公式戦が始まり、その一次予選突破をかけた一戦。
9月中旬に差し掛かったこの日のスターティングメンバー。
1番 遊 倉持
2番 二 小湊
3番 右 東条
4番 三 沖田
5番 捕 御幸
6番 中 白洲
7番 一 前園
8番 左 関
9番 投 沢村
初戦の先発は背番号11の沢村。夏予選と同じく、やはり彼が投げることになる。大塚はベンチ入り。大差がつけば、5回以降マウンドに上がることになる。
まずは初回の攻撃―――――
裏の回から始まる青道攻撃。倉持が倒れるも、小湊が――――
「しゃぁぁ!! ナイスバッチ、春市!!」
上手く右打者、膝元の逃げる変化球を捉え、ライト前ヒット。甲子園での緊張感を経験した為か、打席での集中力に違いを見せた。
ここで3番、東条。
――――カーブを決め球にする投手が最近いるね。
2球目、
「!!」
投げた瞬間に相手投手の表情が歪む。
ストレートの後の浮いたカーブ。その緩急で体勢を崩すこともあるかもしれない。だが、体の重心が前にいかず、しっかり残していた東条。
鋭い金属音とともに、白い影が三遊間を切り裂く。
きっちり振り抜いた東条。鋭い当たりが三遊間を抜け、これで連続ヒット。
「連続ヒット!!」
「ナイス東条!!」
「これで一死一塁三塁!! チャンスで――――!!」
ここで、4番沖田。甲子園を沸かせたあのスラッガーに回る。
「ここで決めてくれ~~~!!」
「まずは先制!!」
「走っていいんだぞ、東条!!」
絶好の場面で、最高のバッター。
一塁ランナーの東条がすかさず投手にプレッシャーをかけるかのようにリードを大きくする。
――――助かる、東条。緩い球なら走っていいんだぞ。
初球外角のストレート。強打者相手にこの選択は間違ってはいない。だが、甲子園であれだけアウトコースを狙い撃ちした、この打者には愚策ではあった。
外角のストレートを捉えた当たりは、ライトフェンスオーバー。この圧倒的な打撃力が沖田なのだ。
投手の心を打ち砕く、沖田の一撃。外角であるなら流してフェンスオーバー。基本に忠実な打撃を元に、沖田のバットは止まらない。
「入ったァァァァ!!!」
「さすが青道の主砲!!」
「さすがすぎるぞ、この野郎!!」
「青道の怪童!!」
青道の応援席からは大きな声援。ホームでの試合で気合が入っていたために、何としても先制点が欲しかった。
さらに――――
「御幸がヒット!! この回点を取るぞ!!」
ランナーなしの場面で御幸が三塁線を破る長打。一気に二塁に到達し、これでまたしても一死二塁のチャンスを迎える青道。
ここで、白洲が選び絶好の場面だったが―――――
「くっ!」
前園がここで痛恨のゲッツー。ここで繋がった打線を切ってしまう。
しかし、先発の沢村はスライダーを封印したことで、安定感を見せる。
先頭の右打者に対しては、
――――ストレートも若干球速が上がった。これなら
初球外角低めのコースに決まるフォーシーム。やはり初対戦では手が出ない。打席の相手選手もバットを出そうとはしていたが、バットが出る前に球が到達するのが早い。
「っ」
驚いた表情をしており、恐らく遠目からの感覚とかなり違うことを感じたのだろう。
「スイングっ!!」
「ストライクツー!」
続くボールはサークルチェンジ。スクリュー気味に落ちるチェンジアップ。右打者にはこの球が有効である。
相手選手はバットを出してしまい、ボールになったこのサークルチェンジに手を出してしまう。これで追い込まれた。
3球目は高速パームにファウルで逃げる。今日の高速パームはあまり落ちない。
だが、夏での悔しさで思い知ったこと。それは一つの変化球に頼る事の恐ろしさである。
――――スライダーをいつか使えるその日まで――――
沢村は決意する。
――――その前に俺が折れてちゃ、話になんねェだろうが!!
右打者に襲い掛かる一撃。内角のコースを突いた速球に手を出すどころか、仰け反ってしまった。
「ストラィィィクッ! バッターアウト!!」
先頭打者をまずクロスファイア-で見逃し三振。続く左打者にはアウトコースの真直ぐでゴロに打ち取る。
最後も――――
「打ち上げた!!」
打球は力なくうち上がり、サード方面へと向かう。
「サードっ!!」
御幸の鋭い声とともに、沖田が捕球体勢に入る。そして―――
「アウトっ!!」
難なく起きたフライを処理し、沢村が立ち上がりを完璧に仕上げる。
「しゃぁぁ!! 沢村ぁ!!」
「いいぞ、沢村!!」
「この安定感が沢村だろ!!」
その後、得点を重ねに重ね、4回で9点を奪う猛攻。そして、5回にも東条のソロホームランでついに二桁得点を達成し、マウンドには予定通り背番号1、大塚が向かうことになる。
久しぶりの実戦。怪我明けの大塚の第一球。
左打者、低めのインコースにまずカッターが決まる。内に切れ込んでくるこの速球の変化に、まず打者は戸惑った。
「ストライクっ!!」
しかし、夏の甲子園で見せたような剛速球は見せていない。やはり病み上がりなのか、力を目いっぱい入れていない。
しかし、真ん中内寄りから内側一杯を狙ったわけではない大塚。初球はボールにするつもりだったのだ。
――――ずれる―――けどカウントを取った!
自らを落ち着かせるように、大塚は初球カウントを取ったことに安堵する。
そして、秋大会が始まる前に送られた、ある忠告。
――――縦のフォームは、体に負担がかかる。
アメリカの知人からのアドバイス。今は体を軸にして投げることだけに徹するべきだと言われたのだ。
――――今は、基本をしっかりと固める。左足を上げた瞬間に、
少しだけ、右肩を下げる。そうすることで、しっかりと足を上げ、軸足に体重が乗る。
――――目は一瞬切る。
ミットを見続けることで、体が無意識に開いてしまう。だからこそ、視線をいったん切る。そうすることで、体の開きを抑え、出所を見せにくくする。
――――そして、力を入れるのは一瞬だけ!!
右腕から繰り出される、新たな大塚の投球フォーム。鋭く、そしてそれまでの逆手の動きを取り入れたモーションから繰り出された速球は、以前よりも力を入れなくても伸びる。
「ストライクツーっ!!」
さらに低めに伸びてくるようなストレート。これは手が出ない。今度はコースに完璧に決まった。
「絶好調じゃないか、大塚!!」
「本選も頼むぞ、エースッ!!」
そして最後は――――
「!?」
打者の目線、斜め上から大きく変化する縦のカーブ。世にいうドロップ。この球がアウトコースに決まり、
「ストラィィクッッ!! バッターアウトォォ!!」
「ここでカーブきたァァ!!」
「三球三振!! テンポ良いぞ!!」
続く右打者にはシンキングファストで詰まらせ、力のないゴロを打ち取る。これでツーアウト。1イニングとはいえ、甲子園での調子に近づきつつある大塚。
だが、片岡は大塚のフォームの変化に気づいていた。
――――効率化が進んだな、大塚。怪我を経験し、実力ではなく、チームに長くいるためのフォームを見出したか。
そして、受けるキャッチャーの御幸も、甲子園程ではないが、大塚の凄みは健在であることを感じていた。
「ナイスボールっ!」
――――まだ速球とカーブだけだが、調子もいい。これで試しながら投げているというから恐ろしいな
最速も恐らく140キロを超えているだろう。さすがに149キロほどの早さは感じないが、沢村や、柿崎のような力感を感じさせないフォームに近づいたというべきだろうか。
――――そうだな、後に見たいのはSFF。
外角にミットを構える御幸。
SFFの握り。大塚は楊舜臣の投げていた落ちるボールを考えていた。
――――もしかして、彼は俺のSFFの握りに気づいているのだろうか。
大塚は、このSFFを投げる際に手首を寝かさない。ストレートのように手首は立てる。コントロールは厳しいが、それでもどこで落とせばいいのか、どこで離せばいいのかが分かる。
そして―――
「ストライクっ!! バッターアウト!! ゲームセット!!」
最後はワンバウンドのSFF。若干荒れたが、ストレートがある程度走っている今、この低めに手が出る。
「―――――っ」
大塚は不満げな顔をしていた。自分の決め球だったSFFがあそこまで荒れていた。たった数週間。数週間なのに、自分の制御下から離れ始めている。
「―――――違うっ。これが俺の――――――」
これは断じて、自分の描いたSFFではない。
マウンドにいる彼の独り言は誰にも聞かれることがなかった。
「しゃぁぁ!! コールド!!」
「まずは大勝!!」
「最後はナイスピッチ、大塚ァァ!!」
「あ、ああ。怪我明けで1イニング限定とはいえ、完全は幸先がいい、かな」
自分の投球にあまり満足していない様子の大塚。
「秋大会はまだ始まったばかりだ。これから取り戻して、夏のお前も越えていけばいいんだよ。俺もお前も、あの舞台でリベンジするためにな」
御幸がエースのフォローに入る。繊細な部分は元々あった。入学当初から異様なまでの完ぺき主義。それは絶対的な制球力が支えていた。
その根幹が崩れ、技巧派の面が薄れているのだ。
「これからお前も馬力がつくだろうし、球威で押して行け」
こうでも言わないと、大塚は納得しないだろう。力勝負にこだわることが好きじゃないわけがない。
坂田との勝負は力でねじ伏せたのだから。
「――――解りました。甘いボールよりも、外れたほうがいいですね」
まだやや納得はしていないが、コースを外れることは仕方ない、致命傷にならなければいいと納得した。
――――けど、やっぱり坂田クラスだと、今の大塚は確実に撃たれるな。そんな化け物が東京にはほとんどいないのが幸いだが―――
御幸も、甘いところにはいかず、そこそこ球威のある今の大塚なら崩れることはないだろうと考えるが、規格外の化け物と戦う時を考えると、不安に思う。
が、それを大塚には言わない。それは、本人が自覚しており、意識させてはならないことだ。
―――――まだ、秋大会は始まったばかりだ。大塚の調子も、上向いてくれるはず
傍から見れば安定しているように見える大塚。だが、投球に関わっている本人と正捕手は、不安定であることから目を逸らすことが出来ないでいた。
この新生青道高校は、秋大会でどんな活躍を見せるか。
大塚君は怪我からの病み上がりもありますが、体格の変化とともにフォームに誤差が生まれてきました。
入学時 179cm→秋大会 185cm
将来体格に恵まれた投手になると思いますが、その将来への投資が足枷になっています。しかも、まだ成長は止まりません。
こればかりはどうしようもないです。