第79話 光を照らす、光はなく
甲子園の激闘からの数日。青道野球部は学校に帰還したのだが。
そこには準優勝の原動力となった大塚が不在。降谷も大事を取って欠席。丹波という青道の誇りがいるので役者には困らないものの、二人の不在はチームに暗い影を落としていた。
8月21日。
大塚は怪我の進行具合の精密検査を終え、帰宅の途に就くのだが、特にやることがなく、東京都内をうろついたのだ。
人混みの中、大塚は目立った。覇気があまりにもないという雰囲気もさることながら、その弱気に見える状態とは正反対の体格の良さ。
頭一つ以上人混みの中で浮いていた。
「―――――――」
その大塚の表情はさえない。眼前で春夏連覇という偉業を見せつけられ、自分は最後の最後にチームを離れるという、許されない失態。
全ては自分のエゴが原因だった。自分の独りよがりが、チームを敗退に追い込んだのと。
「ねぇねぇ、あの子どこかで見たことない?」
「うんうん。確か、今年活躍した子じゃない?」
見知らぬ女性が声をあげる。大塚の姿を見かけたのだろう。大塚栄治の名は東京中に広がっているのだ。
青道を数年ぶりに甲子園に導いたスーパー一年生。プロ注目の即戦力候補の右腕。
だが――――
「まさか~~~! こんなところにいるはずないでしょ!」
もう一人の女性が異を唱えた。
「全然オーラが違うわ!! もっと堂々としていたわよ、マウンドの彼!」
そうなのだ。今の大塚には覇気がなかった。まったくと言い程彼の体から通して出る、闘志が見られないのだ。
「―――――――――」
大塚は街で雑誌を配っている人を見た。色々な記事を見た。その記事には、
青道高校、天才の怪我の原因は?
怪我の原因解らず。片岡監督への責任も
どれもこれも、片岡監督の立場を苦しくするものだった。大塚は自分が取り返しのつかないことをしたのだと震える。
――――俺の所為で、監督に―――――
なんとかしなければならない。このままでは片岡監督が辞任に追い込まれる。今後後ろ指を指されかねない。
だが、自分一人ではどうにもならない。何か正式に、事の次第を明らかにできる場が欲しいと考えた大塚。
見つからない。当然のことながら、そんな都合の良い展開が待っているはずもない。
記事を書く人で、見知った者もいない。大塚は無力だった。
「あ、君は――――」
そこへ、ベレー帽をかぶった中年のおじさんが大塚に声をかける。
峰富士夫である。彼は青道が甲子園に行く前から取材を続けている野球王国の記者だ。今日はオフらしく、隣にいるはずの大和田はいない。
「貴方は?」
声をかけられた大塚は、気怠そうに後ろを振り向いた。あまり記者の事を好きになれない大塚に笑顔はない。
「大塚君、だね? 怪我の具合はどうだい?」
「―――――見ず知らずの貴方になぜいう必要があるんですか?」
全治3週間。怪我の具合はそこまでではなかった。超人的なスペックを誇る父親譲りの頑強さが味方をしたのだろう。
9月11日まで大塚は練習に参加できない。
一次予選が始まるのは17日。そこからブランクのある大塚がどこまで力を取り戻せるかもわからない。
「君の気持を私が理解できるとここで言うのはおこがましい。だが、このままでは青道高校全体が危うくなる。」
「!!!」
痛いところを突かれた。大塚が今手に持っているのは、まさにそういう記事だったのだ。峰は大塚がこの状況に苦慮していることを悟ったのだ。
「貴方に何が解るんですか。監督が悪いわけじゃない。俺が志願した。監督は止めようとしてくれた。彼が悪いわけじゃない!!」
人通りの激しい場所で、大塚が外聞も気にせず叫んだ。だんだんと声色が荒くなっているのを自覚しつつも、気持ちを抑えられない。
言っていることがむちゃくちゃだ。大塚は自己嫌悪に陥った。
「―――――そうだな。だが、その事実を言わなければ、片岡監督への嫌疑は晴れない。」
冷静に、大塚を宥めるように峰は続ける。
「―――何が目的なんですか」
「君は片岡監督への非難を何とかしたい。私は、君のことについて記事を書きたい。あと、個人的に君を放っておけないのは私の自己満足かな―――――無論捏造なんてしない。君が言いたくないことは、記事には書かない。」
「――――利用し合うというわけですか」
気に入らない。大塚はそう思った。気に入らない事態であるはずなのに、これは彼を救う手だてになるかもしれないと考えたのだ。
「私も青道の事はよく取材をしている。中堅に届くかどうかの月刊誌の記者だが、それなりに事実を広めることは出来る。」
「―――――監督に一言いれてから取材を受けて良いですか? 俺個人としてはやりたいですが、こういうことは勝手に進めるべき事じゃない」
「そうだな。私も少し熱くなったようだ。これが私の連絡先だ。」
そう言って峰は大塚に名刺と連絡先を渡す。
「取材を受けたい時には、ここから連絡してくれ。今日はすまなかったね、時間を取らせて」
「いえ、こちらこそ―――――当たり散らしてすいませんでした」
大塚は、青道高校へと向かうことを決意する。休日とはいえ、恐らく監督も3年生の進路について考えているだろうと。
そして、そんな大塚の姿を見ていた者達がいた。
「エイジ―――――」
黒羽金一は、神奈川から彼の様子を見るために東京を訪れていた。事前に綾子夫人に連絡をしており、今は外出中だという事を知りながら、今日はエイジの家に一泊する算段だったのだ。
何より、居ても立っても居られないのだ。盟友の怪我、望んでいなかった初対戦。その結末があれだ。
――――御幸先輩に精神的余裕がなかったのは、力のあるパワーピッチャーが二人も消えた事。
それまでは、頼もしいセットアッパーと1年生エースがいた。あの3年生丹波の活躍は予想外だったが、大塚が青道の核であったことは間違いなかった。
核を失ったチームは崩壊するしかない。弱体化は避けられない。避けるには、核が必要となる。
「美鈴ちゃんも相当ご立腹みたいだし、裕作君は新太郎のところに逃げたし、まあ俺が何とかするしかないか」
大塚裕作は、姉が兄を責める場面で何もできず、綾子に助けを求めてなんとかするも、家にいる時間が2番目に長い彼はその光景をよく目にするのだ。
居づらく感じ、栄治も何も言わないので状況は最悪。親友の所でゲームをしたり、野球をしたりしている始末。
なぜこれほど黒羽が大塚家に詳しいのか。
それは、よく彼が彼の家に出入りしていたからだからだ。そしてそれは東京でも変わらないという。
神奈川在住の頃から、梅木祐樹、大塚和正という球界のレジェンドの自宅に入り浸っていた黒羽も相当凄い人脈なのだが、本人はそれを自慢することも出ないと考えている。
「――――まあ、同じことを考えるのは一人じゃないってことか」
ちらりと、黒羽は横を振り向く。
「――――甲子園以来、だな」
沖田道広である。彼もエイジが病院帰りであることを家族から聞きだし、何とか会おうとしたのだ。学校のグラウンドには出てこない、
というよりは、グラウンドを見れば大塚が練習をしかねないと監督が危惧したためだ。
「――――なんであいつを止めなかった?」
「―――――」
沖田は、目を背ける。止められなかった。エイジの気持ちを前に、押し切られてしまった。だからこそ、沖田はエイジを奮い立たせる言葉を投げたのだ。
コイツは止められないと。
「――――けど、俺でも止められなかったかもしれないな。投手は残り沢村のみ。川上が打たれ、降谷はダウン。満塁のピンチに一死。打席には坂田先輩」
大塚に縋るしかないのも事実だった。
「けどまあ、奇妙な間柄だな、俺達」
「中学の時から、次のステージで会うだろうなとは思ったが、ここまで顔見知りになるとは思わなかったな。広島から消えた時は、会う事もないと思ったけど」
「アイツのおかげさ。アイツと青道で会わなければ、野球をやっていない。」
「――――今度は万全の状態のお前らに勝たしてもらう。こっちにもいい投手はいるからな。打撃だけじゃないチームだという事を、選抜で見せてやるさ」
「それこそ、望むところだ。意外なのは、あんな1年生投手がいたことだな。特に、諸星っていったか? あいつのチェンジアップは――――」
甲子園で三振を喫したあのボール。沖田の目からしてみれば、アレは練習でよく見かけるボールだ。
「そうだ。正真正銘、俺が中学の時のエイジから受けてきたパラシュートチェンジさ。アイツは手先が器用でな。横浦高校の1年生の中でも、技術の成績がトップだ。」
けど、その他の成績、というより文系と英語は最悪だがな、と黒羽が光のない瞳で語る。
沖田はそれを見て理解した。
ああ、こいつは勉強を見てあげているのか。
「なんだよ、あれ。あれだけ勉強したのに記号をひとつずらしただァ!? しかもずれた方が正解しているし!!! 英語も語彙力がなさ過ぎて『他国の文字は無理だ』とかいう始末!! ふざけんな!! ふざけんじゃねぇぞ!! 俺の時間を返せ!!」
「苦労しているんだな――――」
「つうか、多村先輩いっつも赤点ギリギリなのヒヤヒヤもんなんですけど! 後藤先輩に至っては、二次関数がアウトって――――俺が入学する前の1年間、何やっていたんですか、あの人たちはァァァ!!!!」
なんで俺が勉強を見ているんだァァァ、と絶叫する黒羽。キャッチャーに気苦労は絶えない。
それは野球だけではない。チーム全体を無意識に見る節がある黒羽。一般生活においても気苦労の原因に突撃してしまうのだ。本人の意志とは関係なく。
沖田はそんな黒羽の日常の一端に、大塚の影を見た。
黒羽と大塚は、なんだかんだ似た者同士なのだと。黒羽もなんだかんだ手を貸すのが癖なのだろうと。
「俺の所の先輩たちは皆勉強が得意だったな。平均点は普通に超えるし、1教科凄い成績を叩き出すし。木村先輩は理科系。山田先輩は英語。高須先輩は数学かな。成瀬は馬鹿だけど、平均点まではまあなんだかんだ行くし。」
という先輩たちに可愛がられた沖田。平均点を超えるのは普通で、調子が良ければ高得点という一般学生にも負けない成績。
大塚が93.8点とかいうバカげた平均点を叩き出さなければ、勉強のできる奴という印象が濃くなっただろう。
青道高校にはコース分けなど存在しない。私学でコース分けがないのは少し珍しい事なのだ。なので、一般学生と同じ試験を受けることになる。
そして片岡監督は教諭でもある。勉強で手を抜くなんてことが許されるわけがない。
ハードな練習と成績を両立できる学生は、やはり尊敬の対象として見られるのだ。
大塚は生粋の帰国子女らしく、英語は今のところ全てのテストでトップ。国語、特に古典と漢文が苦手で平均点を落とすも、その他も満点を取ることもある。物覚えがよく、記憶力もあるので、水を吸い取る猛暑のサハラ砂漠を超える勢いである。
唯一の弱点が国語だが、その他は高水準。中学で日本語に大分慣れてきたように、秋の段階で古典・漢文にも慣れてきたので、いよいよ弱点がなくなりつつある。
頭が悪くなる要素はない。それが美鈴のコンプレックスを生む原因なのだが、兄に自覚はない。
日本のサブカルチャー、「兄は兄弟たちの目標」という固定概念に囚われていたエイジが気づくはずもなく、今日に至る。
そんな大塚も中学時代、出来の悪い先輩の助けになっていたりする。
「何それうらやましい。世話を焼かないで済むなんて羨ましい」
「とにかく、降谷の奴がまだ病院で療養中だからな。一応見舞いに花なんかを持っていくべきだと思うんだが、俺東京に詳しくないんだよな。」
沖田がここで、かなり不味い発言をした。
「東京を知らずに渋谷まで来たのかよ。よく迷子にならなかったな」
若干呆れた表情を浮かべる黒羽。よく横浦メンバーと大塚で東京に遊びに来ていた黒羽にとっては庭のような場所だが、沖田はそうではない。
しかし、こういう豪快なところがあのセンスの温床なのかもしれないと考えた。
「スマートフォンのGPSやら、地図アプリを使えばイケるもんだよ。目印になる建物が結構あるし、まあなるようになるさ」
以外にマメな沖田。努力型のスラッガーである彼は、こうした細かいことをする癖がある。
だからこそ、よく悩みを抱えるのだが。
「そっか。それで、この辺に花屋なんてあるのか?」
「ちょっと待ってくれ―――――」
スマートフォンで検索を開始する沖田。
「ほう、こんなところに。」
意外と近くだった花屋。沖田と黒羽はすぐに来訪し、彼の今後に向けて良い花を選ぶのだが、
「「花言葉とか、未知の領域――――」」
こんな時、マネージャーたちならいろいろ知ってそうだが、生憎勉学以外の雑学には弱い二人。
「迂闊だった……っ! 花言葉が解らないようでは、選びようがない!!」
「ああ、うん。そうだね」
無駄に落ち込む沖田。暑苦しい奴だなぁ、と黒羽は心の中で思う。
「こういう時こそ、スマートフォンの出番――――あっ」
バッテリーが切れた。
沖田のスマートフォンが睡眠時間に入りました。
「お前、スマートフォンなしで帰れるのか?」
黒羽が憐みの表情で沖田に声をかける。情報媒体がない中、渋谷に明るくない彼は大丈夫なのかと。
「大丈夫だ、尻ポケットにある手帳に、今日調べたモノは書き留めている。これを見れば帰ることは出来る」
ポケットから手帳を取り出した沖田。黒羽は納得した。ドヤ顔で言ってくるのがなんか無性に腹が立ったが、彼はスルーすることにした。
「そもそも、花言葉なんて俺らには関わりがないし―――」
沖田がうーんと悩む。
「けど、変に彼が知っていたら気まずくなるな」
黒羽は、送る相手が花言葉に聡い場合、色々と気まずくなると発言したが、
「いや、それはない。奴は沢村よりも勉強が出来ない超ド級のバカだ。」
断言する沖田。あの野球一筋で勉強が出来ない彼に、そんな知識は無い。
性格馬鹿な癖に、勉強は出来る沖田にここまでいわれる降谷に、黒羽は衝撃を覚えた。
「マジかよ。その沢村って奴の学力を知らん俺はあまり断言できることはないが、どれぐらいだ?」
「俺達がいなければ、確実に赤点でいろいろ補習を受けさせられるレベル。一般入試で入ってきたのにな」
「確実なのかよ――――どうやって一般入試で青道に入った?」
彼は一般入試で青道にやってきたらしい。どうやって辿り着いたのかわからないと、考える黒羽。
「あの――――」
「ん? ああ、すみません。店の前で騒いでしまって」
この店の人なのだろう女性が声をかける。
「すいません」
頭を下げる沖田。
「いえ、なんだか楽しそうで声をかけるのも止そうかなと思ったの」
二人の謝罪を受けて、気にしていないと答える女性。
「それで、花言葉で悩んでいたのね?」
「ええ、はい。こういう方面には疎くて――――」
申し訳なさそうに白状する黒羽。
「それで、どんな子に花を渡してあげたいの?」
気さくに話しかけてくる女性。艶のある黒髪に整った容姿の大人な雰囲気を醸し出す女性の言葉に、
「(大塚の母親程じゃないが、このお姉さん綺麗だな)ありがとうございます。えっと、ちょっと野球バカで、甲子園にも出たんですけど、体調を崩しちゃって。悔しい思いもしているので」
元アイドルの母親を例えに出す黒羽。
「は、はい!! (いいなぁ、こんな年上のお姉さんとかいいなぁ) そうそう!! そうなんです! だから、なんかアイツには喝の入った花を選ぼうと」
「喝の入った花、ね。面白い表現ね」
くすくすと笑う女性。よく見ると店内では妙に暑苦しい沖田を見て、
「あ! 青道の沖田君よ。」
「隣にいるのは横浦の黒羽君!」
「どちらも1年生でレギュラーの!」
大塚は目立たなかったが、二人は自信に満ち溢れている。なので、オーラが今は違うのだ。
「ん? ああ、そうね。よく見たら夏で有名になってた1年生だったのね、貴方達」
「あんま、チヤホヤされたいわけではないんですけどね。上級生にはまだ全然追い付ける気がしませんでしたし」
黒羽が目標としているのは、主将だった坂田久遠。あの打撃でここまで勝ち上がってきたと言っていい。
あの人のように、打力でチームを引っ張りたい。投手の事は勿論、リードで引っ張る。
だが、野球は打たなきゃ勝てない。守り勝つというのは、最低限の打つ事が出来て初めて許されるのだと。
扇の要である彼は、守備に重点を置きがちだが、攻撃にもそれ以上の意識を抱いているのだ。
「そうだな。敵だったけど、あの人のバッティングは凄かった。俺にはまだあの域には届かない。」
沖田も、打力はまだまだ届かないと感じていた。
「そう。けど、先があるってことはまだまだ頑張れるってことよ。来年も頑張りなさいよ。それで、噂の彼にはとにかく元気を与えたいという事なのね?」
「まあ、そんなところです。」
「そうねぇ。夏の季節に、元気を与えたい花言葉――――」
顎に手を当てて、考え込む女性。
「定番ならひまわりだけど、夏で体調を崩したのなら――――そうね。ラベンダー、なんてどうかしら?」
「ラベンダー?」
沖田が聞き慣れない花の名前に首をかしげる。
「そう。ラベンダー。花言葉は『あなたを待っています』。体調を崩しているお友達にぴったりのメッセージだと思うわ」
「――――素敵な花を見つけ下さって、ありがとうございます」
少し感極まった表情の沖田。涙もろいのが彼の性格である。黒羽も女性も、そんな彼の姿を温かく見守っている。
「どういたしまして♪ その子も元気になると良いわね。」
そう言って片目でウインクをする女性。その仕草に、沖田はドキリとする。
――――ホント、こんなお姉さんは良いなぁ。うん、いいなぁ」
独り言が途中から駄駄漏れの沖田に反応した女性。少し苦笑いをしながら、
「若く見られるのは嬉しいな。でもごめんなさい。私は子持ちなの」
「なっ!? 嘘だ――――そんな馬鹿な――――」
ここでハートブレイクな事実。崩れ落ちた沖田。
周囲の人たちは、野性的で華のある守備、印象に残る勝負強いバッティングと、まさに新世代のバッター筆頭と言われる沖田のあまりの光景に笑みがこぼれる。
この少年も、年相応な子供であることが解り、親近感がわいたのだ。
「えっと、中学生の娘がいるの。ごめんね♪」
「へぇ。そうなんですか。――――いけね、そろそろ大塚の所にいかないと。沖田、次会う時はお前を完璧に抑えてやるからな。俺達のバッテリーで」
「――――あ、ああ。ちょっとショックで―――けど、選抜で会おう。」
先程のショックで立ち直れていないのか、沖田の言葉に覇気がない。
「ったく。やっぱりエイジの言う通り、残念だな。」
「残念いうなぁ!!」
「ははっ! お前には、寡黙だけど芯の強い女性じゃないとダメそうだしな! いつも笑顔だと、お前は気が緩みまくりだろうよ」
そう言って店内を後にする黒羽。そして彼の粋な計らいなのか、沖田の手にラベンダーの御花代を握らせて立ち去って行った。
「言われたい放題な事案について――――けど、男として格が違いすぎる―――」
流石は大塚とバッテリーを組んで、中学最高峰。横浦で要を務める1年生。攻守における存在感は勿論、人を見る目もある。
沖田自身、タイプは明るくて笑顔が素敵な人だが、それだと自分はダメになりそうだとは自覚していた。
「大丈夫。君のように一生懸命でエネルギッシュなタイプもいいと思うわよ。頑張りなさい、男の子♪」
「あ、ありがとうございます――――(ハァ、俺も頑張らないとな)」
その後、沖田はラベンダーを購入し、降谷のいる病院に向かうのだった。
「色々と面白い子たちだったわね――――あら?」
沖田たちが去った後、沖田に負けず劣らず体格のいい少年が店内に入ってきたのだ。
――――うーん、愁いを帯びた二枚目な少年。さっきの子たちとはだいぶ雰囲気が違うわね
「あの。百日草ってありますか?」
その少年から出た言葉は、先程の二人とは違うモノだった。むしろ、花に詳しそうな雰囲気。
「あるわよ。けど、百日草でいいのかしら? もっときれいな花はあるわよ?」
敢えて試すように女性は少年に試すような言葉を使う。
「ええ。花言葉は『不在の友を思う』『絆・友への思い』。間違いないですよね。今の俺には、それが必要なんです」
微笑んでいる少年。だが、沖田に比べ陰のある笑顔だった。
「ええ。そうね。けど、貴方も大丈夫?」
その雰囲気に女性はたまらず切り込んでみた。この少年は危うい。
「え? 俺は花なんて。今は彼ですよ。一歩間違えたら、彼は――――」
悔しそうな顔で、消え入りそうな声で零す少年。
「――――けど、貴方にも花が必要なんじゃないかしら」
今日沖田が来店しなければ、この少年が誰なのかすらわからなかったと女性は思う。
大塚栄治。東京史上最高の1年生投手。青道のスーパーエース。
大塚栄治、沢村栄純、降谷暁の青道三羽烏。彼が花を贈りたい相手は恐らく、マウンドで熱中症になった降谷のことだろう。
真夏の甲子園でおこった有望選手の異変。それはニュースでも最近報道されていた。
「―――――すみません。俺には―――――」
その少年――――大塚が何かを言おうとした時、
ワンッ! わんっ!
「??」
大塚が振り向くと、そこには子犬がわんわんと鳴いて、飼い主の少女の近くに走り込んでいた姿だった。
「あらあら。そう言えば今日は早かったんだったわ。お帰り」
「うん、ただいま。今日は結構花がなくなっているね」
のほほんとした自然な会話。たわいのない会話一つでも、
――――輝いて見えるのは、なぜなんだろう
大塚の目には眩しかった。家族に心配をかけ、特に妹には怒られ、弟はそんな兄を見て失望をしてしまったのかもしれない。母もなんとかフォローするも、それでも思春期のパワーというのはそう簡単に制御は出来ない。
今、自分が我儘を言うべき時ではないのだと。
「―――――いや、なんでもありません。今日は帰ります」
居た堪れなくなり、大塚はこの店を後にしようとする。
「花を買いに来たんじゃないの?」
そこへ、先程帰宅した少女に声をかけられる。純粋な疑問のみをぶつけた言葉。
「いや、また日を改めて――――」
「渡そうと思ったから、ここにきたんじゃないの? 今わたせなかったら、後悔するよ」
「―――――」
確かに、彼の症状は快方に向かっている。このまま数日が過ぎれば退院もするだろう。その時になって花を渡したところで、あまり意味はない。
「――――夢中なものがあるのに、なんでそんなに悩んでいるの?」
一瞬、大塚の心の中で何かが切れそうな感覚があった。それは、大塚の根幹に位置する何か。
関係のない人に自分の悩みを言うべきではないという事。
関係のない人に、なぜそんなことを言われなければならないのか。
関係ないくせに。
どす黒い感情が大塚の心の中を一瞬通ったが、アメリカにいた頃から培われた忍耐でそれを抑える。
いつものことだ。自分の下に子供が出来てから、子育てに頑張る母親に迷惑をかけたくなかった。
だから、今更こんなことを言われて感情を操れないなんてことは有り得ない。
そう自分を落ち着かせて、大塚は苦笑いをする。彼女らに悟らせないために。
いつものことだ。作り笑いをするのは慣れている。
呆然とした表情の大塚を見た女性が、少女に声を荒げる。
「―――――こら! ごめんね、悪い子ではないの。ただ素直すぎて―――」
「いえ。その子の言うとおりです。どうかしていた。もう大丈夫です」
今できる限りの笑顔で、大塚はそう口にする。だが、胸がどうしようもないくらいに痛い。
そう、彼に突き刺さる痛みは消えない。溜めこんだものは、決して消えない。
笑顔でいることが辛い。これからもそんな彼であり続ける限り。
自覚しても、彼は今更そんな性格を自力でかえられるほど器用ではない。
「そう。なら頑張ればいいじゃない。」
「――――そうだね。君の言うとおりだ。」
打って変わって穏やかな笑顔を携える大塚。少女はそんな彼の様子に戸惑う。
「?」
「夢中になれる何かを見つける。それは、良い事なんだ。」
笑顔が崩れそうになるも、そのままの表情で大塚は言い続ける。この親子に悟らせないために。
――――目標を失うのは、諦めるのは、見つけられないことよりも辛い――――
その最期の言葉だけは、胸の中にとどめた。
日が暮れ始めた東京の空を見上げながら、大塚は思う。
「何やっているんだろう、俺は―――――」
燃え尽きたわけではない。だが、心が自分のモノではないように動かない。
傷を負ったわけでもない。なのに、体が痛い。
今の状態が何なのかを彼は知っている。知らない振りをすることは出来なかった。
「――――――――――」
だが言わない。言えばどんどん崩れていきそうで、自分が怖いのだ。
誰かに言いたくなる。
「―――――俺が崩れたら、またチームに迷惑がかかる――――」
本当にいてほしい時まで、自分は崩れることなんて許されない。
エースへの道が遠のいていく。我儘も甘えも許さない。そんな彼は、自ら自壊の道へと進んでいく。
彼の高校野球が始まって半年。活躍した彼は輝いていた。
だが、彼を照らす光は差さない。
沖田君と黒羽。そして大塚の空気の違いがヤバいですが、今の大塚は谷底にいません。
まだ谷底ではありません。