「本当に栄純は投げんのか?」
沢村の祖父、栄徳はこの8回も一年生投手が投げていることで、孫の出番があるかも知れないと考えていたが、どうにもそういう雰囲気ではない。
「だから、今日は予定がないって言っていたじゃないですか。」
娘からも注意される栄徳。
「うん。この調子なら大塚君のままだと思います」
若菜も、大塚がここまで素晴らしい投球で稲実相手に無失点。変える理由がないのだ。
「けど、何で練習しているのかな」
6点差がついたことで、大塚はなんと東条がいたレフトへ向かっていく。選手交代。5番投手大塚が、左翼手大塚になり、東条の場所には―――
『選手の交代をお知らせいたします。ピッチャーの大塚君がレフト。レフトの東条君に変わりまして、降谷君。ピッチャー、降谷君』
この場面で、準決勝登板の青道の剛腕降谷。大塚に最後まで投げ抜くことをさせなかった片岡監督。
「必死に点を取ろうとする強豪相手に、降谷がどこまでできるか。これは甲子園の本番までしかわからないことだ。だからこそ、大塚以外の投手に、それを乗り越えてもらいたい。幸い、結城のバットで6点差をつけた」
強豪相手に、沢村は結果を出した。そして大塚も先発の役目を果たした。
―――やっと投げられる。
マウンドへと向かい、捕手の御幸からボールを受け取ると、
「ここは、アイツが8回まで守った場所だ。攻める気持ちでどんどんボールを投げ込んで来い!」
ここまでいわれて、何も思わないわけがない。降谷も、大塚のことは認めていた。
「全部三振でも構わないですよね」
ゾクッ、
御幸は、降谷の冷たく、そして尋常ではない闘気を感じ取った。この場面、強豪相手にこの点差、生半可な気持ちではなかったことを喜びつつ、
―――マジで投手だよな、こいつらは、捕手冥利に尽きるってもんだぜ
1番のカルロスから始まる打線。稲実はなんとしてもランナーを溜めたい。あの厄介な大塚がレフトへと下がったのだ。彼が出てくるまでに、点を取ることを期待した。
ドゴォォォォォンッッッ!!!
「…………何の冗談だ…………御幸…………」
震えた声で、カルロスはつぶやいた。
151キロ。
いきなりの球速に、会場がどよめいた。大塚が149キロでピンチを脱出したのも見せ場ではあった。だが、この降谷は軽々と大塚の最高球速を越えてきたのだ。
「…………(力が抜けていい感じ、調子もいい)」
肩に力が入っていない。その為に力むことなく、降谷のボールはさらに球威と伸びを増していく。
続く150キロのボールに手を出すカルロス。しかしファウルチップで追い込まれると、
―――大塚のとは違って、かなり球質の重いストレート。何だ青道は・・・なんでこのレベルの投手がリリーフにいる!?
ドゴォォォォンッッッ!
「ボ、ボール!!」
かなりきわどいところのコースに決まり、手を上げたかけた審判。しかしボールと判断した。
「そこは入らないんだ」
降谷はマウンドで特に不満を見せるわけでもなく、自分で納得するように頷いた。
―――手が出ない。アウトコースにポンポン入れられるのか、こいつは!?
しかし――
最後は高めのストレートに空振りを奪われ、一死を奪う青道バッテリー。
『三振ッ!!! 高めのストレートに手が出てしまったカルロス!! これで後二人の青道!!』
「後アウト二人ですよ、先輩っ!!」
夏川は、残りアウト二つで優勝が決まると騒ぐ。そのグラウンドには、2人の一年生がいる。この頼もしい後輩がとても誇らしいのだ。
「ええ――降谷君も調子がいいし、まさか―――」
しかし、吉川は心配そうに大塚を見つめていた。
「……っ」
レフトの守備位置に下がった大塚は、顔を歪めていた。胸辺りの違和感が、ついに痛みに変わってきたのだ。
「まだ、大丈夫……」
優勝がかかったイニング、青道はそこに集中していた。彼を気に留める者も、彼に気づける人もいない。
しかし、優勝の瞬間は近づく。
二番白河も―――
ククッ、ストンッ!!
「なっ!?」
4球粘った白河だが、5球目の低めのSFFにゴロを打ってしまい、これでツーアウト。
「しゃぁぁぁ!! ツーアウトだぞ、降谷!!!!」
「ここまで来たら優勝だぞ!!!」
青道の応援スタンドからは大きな声援。その声援を力に変える降谷。
―――後、一つのアウト
これまでの人生で、これほどの声援を受けたことはなかった。決勝以前の、登板している時にも、声援はあった。
しかし、この決勝の大舞台で、ここまでの声援は経験したことがなかった。
―――取りたい、みんなの為にっ
ドゴォォォォンッッッ!!!
「ストライクっ!!!」
3番吉沢は手が出ない。低めへと投げ込まれた剛速球に。
「ふぅ――――」
浅く息を吐いた降谷。汗が滴り落ちる。続く第2球目に―――
ククッ、ストンッ!
ここで落ちる球。ストレートだけではない。この縦の変化球がある。
「あっ!」
吉沢のバットが出てしまった。これでツーストライク。
――――力も抜けて、いい投球が出来ている。軽く投げて150キロを出せて、ストライクが取れる、お前も成長したな。
――――ま、1イニング限定だが。
そしてその彼にサインを送る御幸。
―――ここだ、ここで勝負をつけるぞ!
御幸が要求したのは、高めのストレート。降谷の一番得意なコース。アウトハイの真直ぐ。
マウンドの投手は頷き、大きく振り被る。打者はその一挙一足に目が向いている。
観客はその最後の一球に集中し、神宮の視線がこの対決に向けられていた。
ドゴォォォォォンッッッ!!!!!!
ミットの低い音、バットが回る音。そして投げ終えた瞬間の投手の笑顔。
一瞬の静寂、そして―――
ワァァァァァ!!!!!!!!!!
「ストライクっ!! バッターアウトっ!! ゲームセットっ!!」
審判のコールを聞いた瞬間、御幸はマウンドへと駆け寄る。
『試合終了~~!!!!! 西東京大会決勝!! 甲子園行きを決めたのは、青道高校!! 6年ぶりの甲子園です!!! 稲実、連覇ならず!!!』
「しゃぁぁぁぁ!!! 勝ったぞ、おらァァァ!!!!!」
伊佐敷はすぐにマウンドへと来ていた。これまでいくことが出来なかった夢の舞台。最後の夏に、その夢がかなった。
「ああ、ようやく、ようやくだ…………」
主将の結城も、こみ上げるものがあり、その口数は少ない。まだ涙を見せてはいないが、周りは察しており、だれも指摘しない。
「本当に行ける。俺達の夏は続くんだ」
小湊も、ベンチで待機していた春市を見て、微笑んだ。
「――――春市――――」
「お前があっさり代わったのは意外だったけどな。完封は意識していただろう?」
御幸がレフトからやってきた大塚に尋ねる。
「―――――俺だけのチームではないです。本選で、このマウンドを経験する投手は多くいないと。」
そう、このイメージ、この感覚を、二人目の投手に感じてほしかった。若干疲れもあるのか、目を伏せがちに大塚はそう答える。
実際、甲子園の決勝はこれの比ではない。沢村は大舞台で仙泉を抑え、川上先輩はそれまで抑えで頑張っていた。
降谷はリリーフで、ひたすらに制球を磨き続けた。その結果がこれである。
1回を投げ、被安打ゼロ、2奪三振。無失点、無四球。
まさに、完璧な内容だった。
「6-0で青道!! 礼っ!!」
ありがとうございました!!!!
「また、お前には負けたよ」
成宮は大塚、沖田を見て、
「今度こそリベンジさせてもらうよ―――今度は、俺が勝つから」
相手エースは泣かない。歯を食いしばってはいたが、涙は見せない。それが意地なのだろう。
「――――来年も、また投げ合うことになるかもしれません。でも、俺はチームのみんなの為に、またゼロに抑える。」
大塚も負けていない。チームの為にという言葉を先にだし、得点を許す気は今後もないと言い切った。
「――――フン、甲子園で無様な試合をするなよ。俺に投げ勝ったんだから。その称号も、秋には奪い返すから」
それだけ言い、成宮は稲実ベンチへと帰っていった。
この試合によって関東最高の投手の座は、大塚へと渡ったのだ。
「ホント、プレッシャーが凄いですね。」
成宮からの彼なりの激励、関東ナンバーワンの称号が、成宮から大塚へと移ったことを考え、この先の戦いの一つも、苦労しないことはないのだと悟る。
「この試合で8回無失点のお前が言ってもあんまり説得力ねぇよ!! けど、ナイスピッチだったぜ、大塚」
「捕手が一也先輩でよかったですよ。」
グータッチを交わす青道に勝利に導いたバッテリー。彼にとっては初めての全国、彼にとっては3度目の全国。
「下の名前かよ。まあ、今日は無礼講だ。許してやるよ」
大塚の言葉に笑顔のままの御幸。本当にお似合いのバッテリーだった。
これが終わりではないことを、彼らは解っている。ここまでくれば、もう優勝しかない。それに向かって突っ走る事が出来る。
「クソッ…………あんなの、投手におんぶに抱っこの…………くっそ…………くそくそくそ…………」
「止せよ、白河。俺達は負けたんだ」
白河は悔しさを露わにしており、山岡と矢部が制している。
「アイツらが強かった。それだけだ、それだけなんだ」
「大塚?」
御幸は止めたが、大塚は白河に言わなければならないことがあった。
「――――白河先輩。」
「なんだ―――?」
大塚の顔を見たくもないと言わんばかりの表情。
「捕手は投手の壁なんかじゃない」
捕手を過小評価していた白河に対しての言葉。さらに、
「御幸先輩が青道に入った事、俺が後悔させません。」
大塚はそれだけを言って、背中を見せる。それが白河には理解できなかった。奴は自分を快く思っていないはず。なのに、それだけを言って立ち去るその姿。
「…………次は必ず打つ…………どんな球にも…………食らいついてやる…………!!」
大塚の言葉が身を持って証明された試合でもあった。リードの差がもろに出て、その恩恵を受けたのは大塚。劣っていたのは稲実のバッテリー。
もしここに、御幸が入っていれば―――
だからこそ、理解しなければならない。捕手は試合の要であったことを。そして捕手の御幸を罵倒した自分に対し、それだけを言ったあのエースを認めるほかなかった。
「ナイスピッチ、大塚ァァァ!!!!!」
「お前ら最高~~!~!!!」
「片岡監督~~~!!!!」
「御幸~~~!!!!」
「哲さん~~~!!!!!」
「おめでとうお前ら!! 甲子園も頑張れよ!!!!」
「…………っ」
そしてついに、結城は堪えきれず、涙を流す。だが、だれも彼を茶化す者はいない。
「やったな、テツ!!!」
伊佐敷は肩をポンポンと叩き、結城を落ち着かせる。そして伊佐敷はすでに泣いていた。だが、その顔はとても晴れやかだ。
「胸を張ってよ、キャプテン!! 西東京一番のチームの主将なんだよ?」
その反対側に、小湊もやってきた。こちらはまだ涙を見せていないし、その気配すらなかった。ただ、その顔はとても穏やかだった。
「ああ…………やはり…………この時が来るのは…………嬉しいの一言だ」
そしてようやく、涙はまだ止まってはいない結城だが、笑顔を見せる。
「甲子園でも暴れましょう、結城キャプテン!!」
「俺達が投げ抜いて、先輩たちのバットで勝利をつかみとれば、夢じゃないですよ」
「投げたい」
「しゃぁぁああ!!!! 甲子園だァァァ!!!!」
「俺たちも頑張らないと…………」
一年生たちのはしゃぎ振りと、激励。そして―――
優勝監督インタビューと、活躍した選手のインタビューが行われる。
「放送席、放送席、そして神宮球場の高校野球ファンのみなさん。今年の西東京のチャンピオン。青道高校監督片岡さんに来ていただきました。今日はナイスゲームでしたね」
サングラスを取り、片岡監督は綺麗な姿勢で立っていた。
「成宮投手を序盤で上手く攻め立て、先制点、中押し、ダメ押しと、効果的な得点を得られたことが大きいです」
淡々と説明する片岡監督。
「特に大塚君の投球は、目を見張るものでしたね?」
アナウンサーも若干片岡監督の威圧感に押されていたが、臆せずに質問を行う。
「ええ。彼の投球は、間違いなくうちに勢いを与えてくれました。初回に主将の結城、沖田が先制点を挙げられたのが、よかったと思います。ただ、私から見てもあの投球は素晴らしいモノでした。」
「では9回。その大塚君が降板した理由は?」
「8回まで大塚には頑張ってもらいました。ただ疲れが見えたので、降谷にスイッチしただけです。その剛速球でねじ伏せて来いと言ってきました」
「その降谷君ですが、最後はシャットアウトでしたね。」
「それだけの結果と実力があったという事です。彼の投球もまだまだ進化するでしょう」
「最後に、6年ぶりの甲子園について、何か一言。」
「甲子園でも、うちの野球を貫くことで、優勝を目指して頑張りたいと思います。」
「片岡監督でした!!!!」
そして室内でのインタビューに大塚と結城主将が呼ばれ、報道陣に気遣われながら結城は移動し、大塚はそんな彼の横で声をかけていたりしていた。
「といっても、どういうことを言えばいいのだろうか」
「自然体ですよ」
そして未だ興奮冷めやらぬ神宮球場。
「栄治君…………」
春乃は、8回まで投げ切った大塚の名前を呟く。
「そうね…………大塚君の活躍、粘り強い打撃が勝因だったわ。あの成宮投手から4点を奪って、結城君も…………」
変わった直後の稲実を突き放す一発。あれで勝利が確定した。
「シャァァァ!! 勝った~~~!!!」
テンションの高い幸子。他の部員が嬉し涙を流す中、気合が入りまくりの様子。
「…………先輩、涙が…………凄い、出て…………ますよ?」
「唯こそ。ハンカチで、拭きな、さいよ―――」
そして二年生の夏川と、三年生の貴子は涙を流しながら、神宮のグラウンドを見ていた。
マネージャーたちも抱き合いながら喜び、その歓喜の瞬間、ついにやってきた優勝の二文字と、甲子園の切符を手にしたこと。
―――おめでとう、みんな。この夏は、とてもとても、忙しそうです。
「…………大塚君………」
グラウンドに再び現れた大塚を見つめる春乃。彼はかなり疲れた顔をしていた。
――――怪我なんて、していなかったんだ……
その事に、彼女は安堵していた。かれが長いイニングを投げ、無失点。調子も良かった。
試合に勝ったことよりも、彼が無事だった事を喜んでいた。
――――お疲れ様、大塚君……凄かったよ……
そして丹波は、この光景をスタンドで見ていた。
「……………………やったな、お前ら」
あの場所にいられなかったことが辛い。だが、もしエースが自分で彼がいなかった場合、どうなっていたかを考える。
―――だが、そのギャップを少しでも埋める。アイツは俺を待っている。
―――先輩をエースにするために、予選の柱になるッ!!
彼はそう言った。だからこそ、あの力投は自分の事のように喜んだ。
「いいのか、光一郎?」
そしての横には市大三高のエース、真中がいる。彼もまた、道半ばで甲子園の夢がついえた。だが、丹波にはまだ可能性が残っているのだ。
「かっちゃん。甲子園って、どういうところなんだ?」
「凄いぞ、あのマウンドに立てるだけでも、投手は鳥肌モノだ。もう一度、立ちたいぐらいに」
ややさびしそうに笑う真中。
「けど、光一郎に全部託す。最後の夏、絶対に優勝してくれ。俺達3年間の集大成、お前ならできる」
真中はそう言って席を立ちあがる。
「――――――かっちゃん」
「本選も見ているからな。春のような投球じゃ、一瞬で捕まるぞ?」
最後まで親友へ笑みを絶やさず、自分にエールを送り続けた。それを見て燃えない男ではない丹波。
―――仲間たちが待っている。甲子園が先にある。
丹波の目に力が戻る。
「少し遅れちゃったけど、兄さんも全国に行くのね」
大塚家と沖田家は、6回あたりから会場を訪れていた。東京特有の渋滞に巻き込まれ、大幅に遅れてしまったのだが、最後に6,7,8回と大塚栄治の雄姿を見ることが出来たので、少しは満足しているようだ。
「そういえば、お父さんも甲子園に行ったんだよね?」
「そうよ。私が下積みをしていた時、同じ地元出身で、さらに面識があったの。だから、特に応援していたわ。」
馴れ初めを語る綾子。違う世界ではあるが、頑張る和正の姿を目で追い、彼も意識していたらしい。
当時のファンは卒倒モノである。
話は続き、今度は野球の話。
「全試合を投げ抜いたわけではないし、和正さんがいた横浦には後2人いい投手がいたの」
それを聞いた彼女は、どうして父親が優勝できなかったのか気になった。目の前で歓喜の瞬間を掴んだ青道のチームと、何となく似ていると感じたからだ。
大塚和正と、いい投手2人。
大塚栄治と、沢村栄純、降谷暁。
何かが似ているように感じた。
「お父さんはどうして優勝できなかったのかな」
「甲子園は難しいのよ、絶対に勝てるチームなんていないし、優勝候補なんて、意外と脆いのよ。」
ずっと和正を応援していた綾子にはわかったのだ。あれだけの戦力でも、あれだけ努力をしても、
大塚和正は届かなかったのだ。
世界最高峰の投手でも、成し遂げることが出来なかった甲子園の栄冠。その頂に、今度は息子と彼の仲間が挑む。
「まあ親としては、無事に初めての夏を乗り切って欲しいし、楽しんでほしいわ」
そう、せっかくのチャンスなのだから。
西東京大会決勝 青道 6 - 0 稲城実業
試合総評
初回に沖田のスリーベース、結城のヒットで2点を先制した青道高校。さらに4回には投手の大塚のセンター前へのタイムリーで追加点、5回には沖田のソロホームランで4点差とする。一方、稲実は3回までパーフェクト、6回までにヒット3本と抑えられる。先発成宮は、7回4失点と粘りの投球を見せるも、二番手井口が結城にダメ押しのツーランホームランを浴び、最後まで投手の調子が上がらず。投げては先発大塚が8回3安打無失点、9回は降谷が三人で抑え、青道が最後までリードを守り、完封リレー。
青道高校 西東京大会優勝 6年ぶりの甲子園行きを決める。
豪腕降谷が三凡。あっさり終わりました。
本作の丹波は、漢になれるか。