けど、ノリさんは出来る子なんです。
勝負どころの一死一塁三塁。このピンチで御幸は川上の決意をしっかりと受け止め、全てを見渡せる場所へと戻る。
捕手として、チームの要でもあるポジションへ。
――――お前の覚悟、受け取ったぜ。
マウンドの川上。もう気負いも不安もない。
セットポジションからの初球――――
外側に構える御幸。
――――外のストレート!! 貰った!!!
ククッ、ギュインッッ!!!!!
しかし、川上の外のボールはさらに外へと逃げたのだ。
「ストライクッッッ!!!!!!」
外へと逃げながら沈む、川上の封印した球種――――
シンカーが、また日の出を見ることになったのだ。
――――ノリ先輩、これは俺の友人が言った言葉ですけど………
怪童の言葉が川上の脳裏に浮かぶ。
―――変化球を曲げようとしたら、曲げられないそうです。
ぶっつけ本番で、川上は握りを意識するだけで、腕を振りきることを意識した。
――――何だ……今の球は!?
帝東のベンチはざわついていた。
――――ノリ、今の感覚でもう一球だ!!
「ストライクツーっ!!!」
真ん中低目から、アウトコースへ逃げるシンカー。まだ制球は心もとないが、腕の振り自体に問題はなかった。
其の未知の軌道が、帝東の打線を抑えているのだ。
しかし、この間に一塁ランナーが二塁へ盗塁。御幸の捕球が遅れた隙をついたのだ。
だが、そんなの関係ない。
この打者さえ抑えられればいいと、二人は覚悟を決めていた。
――――高めのストレート。躍動感を込めて、腕を振りきれ!!
サイドスローからの高めの釣り玉。上手投げとは違う軌道。川上のこのボールは―――
ズバァァァァンッッ!!
「ストライクっ!!! バッターアウトォォォ!!!!」
サイドスローの、浮き上がるボール。この釣り玉にバットが出てしまった。
「ツーアウトっ!!!」
「いいぞ、ノリ―――!!!」
そして初球にシンカーを選択する御幸。
――――ここで思いっきり腕を振れ、ノリ。責任は全部俺が取る!!!
ここでリードをする際に御幸は両手を広げ、川上に思う存分投げろとジェスチャーを繰り返していた。
しかし、ここで痛恨の真ん中低めのシンカー。
「あっ!!」
投げた瞬間に川上も悟ったのだろう。
「ぐっ!!」
しかし、キレがある分打ち損じた打球。二遊間へと転々と転がる。
ダッ!!
猛ダッシュをする沖田。この打ち取った当たりを走りながら捕球―――難しい体勢ながら、反転せずに素早く送球したのだ。
「追い付いた!!!」
そしてその沖田自慢の強肩から矢のような送球が一塁へと転送され―――
「アウトォォォ!!!!!」
センターへと抜ける辺りだったはずが、この沖田の守備範囲がそれを阻んだ。
「ナイスショートっ!!!」
「打って守って、大活躍じゃねェか、この野郎ッ!!!!」
「ひゃはっ………ヤバいかも…………」
打撃で先制打。守備ではピンチの場面で好守。川上を救った。
「ありがとうな、沖田」
「完封食らわしてやりましょう、ノリさん」
沖田は不敵に川上に微笑み返した。
その後、丹波が最終イニングに投げ、3者凡退に抑えた。上級生の完封リレー。下級生に背番号は譲らない。
その強い気持ちを見せつけた。
完封負けの帝東岡本監督は、
「去年の左腕のおるチームよりも手強い」
とだけ言い残し、夏での再戦、リベンジの機会をうかがうのだった。
ベンチ入りメンバーの争いが熾烈を極める青道高校。一軍所属でも、この新入生の台頭によっては、ベンチ入りメンバーすら危うい。
この日は結局3打数3安打、2打点、ホームラン2発を含む猛打賞の沖田。
守備範囲の広さとその強肩は、甲子園で戦う上で重要になるだろう。何よりも、怪童がこの試合で目覚めたことが、何よりも収穫だった。だが、この試合で沖田が一軍入りを決めたのは、それだけではない。
当落線上の上級生が、あの好投手向井に抑え込まれていたことも起因する。その中で沖田は結果を出したのだ。
文句なしの一軍確定。2枠から彼は除外された。と言っても、レギュラー9人以外は、まだ固定されていないの現状。降格もあり得るのだ。
川上もまだ制球が甘いものの、シンカーを投げ込めるようになったことで課題の左打者への対応がマシになったのだ。これは大きな成長である。
未だレギュラー陣以外のメンバーが固定されていない現状、東条はこの試合でマルチヒットを記録。ホームラン一発を含む、2打点で一軍外野手への挑戦権を叩き付けた。
尚、東条の合否はこの試合の結果と、次の国土館との練習試合での遠藤の出来によって決まる。
背番号11を手にしていた大塚は、この沖田の復活を心から喜んでいたという。
そして、彼らと同じく一軍の沢村、降谷も、沖田の実力を目の当たりにし―――
「タイミング外してもやばい(あの球を何とか………)」
沢村は決め球習得を急ぐ。
「ねじ伏せられるかな?」
降谷は、自分の球威と沖田のスイングはどちらが上なのかを確かめたくなったという。
例年以上に一軍メンバーが多くなった青道。走塁以外で劣っている倉持は気が気ではない。外野手も、伊佐敷以外は未確定。白洲、坂井、門田が争う形になっている。
野手登録の田中、山崎、遠藤も、活きの良い一年生野手陣の台頭は刺激になっていた。
そこへ、東条が入り込むのか、それとも届かないのか。それは遠藤が先発出場予定の国土館戦がキーになってくるだろう。
そして国土館戦をついにむかえることになる。
先発は降谷。リリースの大切さを感じてもらうため、その重要性を説いたクリスの発案で片岡監督もそれを決めたのだ。
「今日はリリースの入れ方を意識して投げろ。お前のボールは、力まなければキレが増すからな」
「はい。」
クリスの言うことを聞いて、自分が成長したという実感はあった。イニングと制球の問題が解決することは――――
―――同級生に置き去りにされるわけにはいかない。
先発として信用を得つつある沢村と大塚。彼らのように先発へのこだわりは強い。
なお、沢村はテスト登板で残り3イニングを投げることになった。
「俺だって先発できるのに!!!」
沢村は不満があったが、
「公式戦になれば、先発する機会もある。我慢してくれ」
「ハイッ!! クリス先輩!!」
クリスの一声で静かになった。
その立ち上がり―――――
「ストライクっ!! バッターアウトっ!!!」
3者凡退。力みが減ったことで、腕がしなるようになったフォームは、確実にキレのあるボールを投げる割合を増やしていた。
力感のないフォームから繰り出される剛速球。リリースのタイミングをつかめば、降谷が化けるのは当然だった。
――――ミットが広い。こんなにストライクを投げるのは楽だったのかな?
クリスが大きくミットを広げ、構えてくれている。降谷が投げやすいように、的が小さくなく、とても大きく感じられた。
―――課題はリリースロール。そしてスタミナ………っ!!
「バッターアウトっ!!!!」
テンポのいい投球で、自分が今4回を投げ切ったことを改めて確認した降谷は―――
「こんなに野球は、早く終わるモノなの?」
あまりにも早かった。自分は丁寧に投げて、球数もかさんでいるはずなのに、いつもよりも守備の時間が短く感じられた。
「ナイスボールっ!」
4回を投げ切り57球。入学一番の投球を見せている降谷。確かにストレートのキレが増したのも一因だろう。
だがその中で最も効いているのが、
ククッ、シュッ!
「ぐっ…………」
付け焼刃だが、SFFが効力を発揮し、打者のスイングに迷いを生じさせる。そして、そんな迷いを抱えたまま、彼のストレートは打てない。
結局6回を投げ切り、3安打無失点に抑え込んだ降谷。三振も9個を奪い、上々の結果を出した。
打線も初回3番の春市が先制打を含む、猛打賞、3打点の活躍で、打線にリズムを与える。その後5回には1年金丸のソロホームランも飛び出し、最後はクリスのタイムリーでダメ押し。
リリーフでは、沢村がパーフェクトピッチでその後3回を投げ切り、試合は5-0で勝利。
しかしこの時点でもまだ沢村はクリスに教えてもらった球種を物に出来ず、実戦で投げ込むことが出来ないでいた。
そして降谷は、初めて実戦で使ったSFFがよく落ちたため、それに無四球という奇跡の結果に、驚きを隠せない。まさか自分が死四球を出さないなんて思っていなかったからだ。
「(制球力が増したストレート。まだボールに荒れは見られるが、今日の打者のレベルは全国屈指に比べれば、まだ甘い…………)」
一応ストライクゾーンに集まりだしたため、運が良ければコースの四隅に集まる。しかし、今日はフルカウントになるケースが非常に多く、最後は甘いところでも、この程度の打者相手なら打ち損じてくれるので助かっているが、
―――そこは追々だな。
リードしていたクリスも、降谷には、制球へのコンプレックスを無くすことが大事だと考えていた。だからこそ、敢えてストライクゾーンへと構え、真っ向勝負のリードをしていた。
選手にメンタルは大きな影響を及ぼす。自分は制球力が悪いと常日頃感じていれば、そのままである。そこに変化の余地がない。故にそこを改善していくためには、ポジティブなイメージを焼きつかせる必要がある。
「ありがとうございました、クリス先輩」
試合後、降谷がクリスに礼を言う。
「どうした、降谷?」
「今までで一番投げやすかった。ストライクを取るのに苦労しませんでした。」
「投手の能力を引き出すのが捕手の仕事だ。それは任せてもらっていい」
そんな風に捕手の仕事だとクリスが答えると、
「一軍で待っています、クリス先輩」
それだけ言うと、降谷はこの場を後にした。
「・・・・・ああ。」
一瞬表情が崩れたように見えたクリスだが、その異変に降谷は気づかなかった。
「てめぇ!! それは俺のセリフだっつうの!!! お疲れ様でした、クリス先輩!!」
そこへ、沢村がやってきた。
「俺の心配をするよりも、お前の決め球が重要だ。明日もアレの練習をするぞ」
「俺も待ってるッすからね!! クリス先輩の方が、スイング鋭い感じがしたし!!」
沢村も最後に御幸が聞けば、「ランナーいたら俺だって」と思わず言いそうなセリフを残し、この場を後にするのだ。
一軍ですでに頑張っている3人の投手。タイプこそ違えど、彼らは絶対に化けるという確信めいたものがあった。
「・・・・・・悔しいなぁ・・・・」
苦笑いのクリス。微笑んでいるような、今にも表情が崩れそうな、切ない顔になっていた。
「ちょっといいか?」
そこへ、国土館の選手がやってきた。だがよく見るとその選手は―――
「いい投手がたくさんいるようだな………クリス」
そこへ、試合に敗れた国土館にいた、クリスの旧友、財前がやってきたのだ。
「ああ。青道自慢の投手陣だ。ああ、本当に……」
誇らしげに語るクリス。恐らく自分がいなくても、壁を乗り越えていただろう。自分はその時間を短くしただけ。
だからこそ―――
だからこそ、その次の言葉は言わなかった。
財前もクリスの事はよく解っていたのか、やや気遣い気味に白状した。それは、彼の事をよく知る者達が見れば、一目瞭然だった。
「肩の方は………まだ万全とは言えないみたいだな。」
やはりライバルの彼にはすぐにばれていた。筋が繋がっているとはいえ、やはり満足のいくような動きには程遠かったのだ。
「ああ。スローイングにずれがあった。まだまだ甘いな。」
ポーカーフェイスのまま、クリスは淡々と語る。
「だが、アイツらを見ていると、なんか昔を思い出すな」
財前は、沢村と降谷が言い争い、東条と沖田がフォローに回る姿を見ていた。自分も元々我の強い投手であり、他の選手と衝突はしていた。
「そうだな………だが、お前の方がまだ素直だったさ」
「ふん………」
「そっちの怪我は………どうなんだ………代打で出た時は驚いたぞ」
クリスも、打席での彼の様子と、足の痙攣。それらを見る限り、彼の足が思わしくないのは簡単に分かった。
「…………夏までには間に合わないな。お前と甲子園で戦う約束は、厳しいな」
彼らはシニアリーグからのライバルだった。打のクリス、投の財前。関東でも有名な二人の選手は、けがに泣かされたのだ。
クリスは肩を、財前は足を痛めた。奇しくも大塚と同じ、足の故障だった。
「…………クリス先輩…………それにあの人は…………」
その二人の話を、物陰から大塚は聞いていた。
「…………俺も、この様ではな。レギュラーはおろか、ベンチ入りも難しい。」
―――だから、かなわない夢だ。
この投手陣を相手に、リードしたかった。甲子園で戦いたかった。
それでもクリスは嘆くことは決してしない。こんな苦しみを青道の誰かに背負わせるわけにはいかない。一度でもいいから甲子園で栄冠を手にしたい。
「…………ホント、野球の神様は厳しいな………けど、それでやめるぐらいなら、俺はまだ野球に縋りついてねぇよ。」
「……………それは俺も同じだ。この試合で一応自分に出来ることは果たした。後は………天頼みだな」
その確率は低いだろう。この怪我明けの体では、クロスプレーで踏ん張れないだろう。怪我が完治していない今、自分に出来ることは限られていた。
「そうかよ。なら、精々野球をお互いに続けようぜ!」
そう言って、財前はチームメイトとともに、練習グラウンドを後にするのだった。
「よぉぉしっ!! 帰ったら早速練習だ、テメェら!! こんなんで甲子園に行けると思ったら大間違いだ!! 俺自らノックをしてやる!!」
「財前!! 俺達が打ち勝っていくって!!! ノックなんていくらでもやってやる!!」
「そうだぜ、財前!! 俺達、頑張るからさ!!」
「次の練習、合宿で、強くなるぞ!!」
おぉぉぉぉぉ!!!!!
国土館は負けたのにもかかわらず、意気揚々と今度こそこの場を後にするのだった。
「………ヨクココマデガンバッタ、ユウ!」
片言の日本語で、息子の勇姿をその目に刻み付けたアニマル。
「………ああ、オヤジ。出来ることはやったつもりだよ」
そして、家族に見せる息子特有の柔らかい笑顔。あんな笑顔を大塚は見たことがなかった。
「ケド、サイゴノナツ、ワタシハマニアワナイトオモッテイタ。アマリ、コウコウヤキュウヲヤラセタクナカッタノモジジツ。」
高校野球。それは外国人から見れば、過酷なスポーツに見えるだろう。タイトな日程、そして体の出来ていない高校生にとってはキツイもの。息子もそれが原因で怪我をした。
「親父…………」
「タトエイチグンデハナクテモ、ドンナカタチデアレ、サイゴノナツヲ…………」
だがそれでも、一つのプレーに必死で、今日の試合に活躍した息子を見て、彼はプレーヤーとしての記憶を思い出した。
あの頃の自分も野球に必死だったのだと。
「頑張れ………頑張れ!!」
片言ではない日本語を息子に送るアニマル。
そして今夜の投球練習。
「……………………………」
大塚は黙々と投げ込んでいた。
無理をせず、一から基礎を習い、フォームを固めていく。右足のタイミング、左足の足のつけ方。色々なことを考えながら、集中力を持続させ、クリスのミットめがけて投げ込んでいく。
――――怪我は……本当に怖い。
あの二人の事をスマートフォンで調べた大塚。かつてシニアを賑わせた、二人の大物選手。彼らは活躍を期待されていた。
―――もしかすれば、自分も同じようになっていたかもしれない。
あの時、前に進むことをやめていたらと思うと、背筋が凍る。
その後、財前についていろいろ話しを聞きたかった大塚ではあったが、練習に集中するのだった。
そして、ついに一軍昇格メンバーが決まる。そして、例年に比べて有望な一年生が多い中、一軍メンバーから漏れる選手も出てくるという事だ。
一軍入りをしている沢村たちも、誰が呼ばれるのかがとても気になっていた。
既に1年生投手3人、内野手1人が一軍入り。だからこそ、そのしわ寄せは一軍メンバーに来る。
そう――――代わりに降格してしまった上級生たちもいるのだ。
沢村は親友の小湊が呼ばれることを友人以外の、実力の面でも願う。そして、師匠のクリス、友達の東条、狩場、金丸と、迷うのだった。
故に、残る背番号19、背番号20を争うのに、1年グループに小湊春市、狩場航、東条秀明、金丸らがいて、3年はクリスに加え、一軍控えだった遠藤、山崎、田中ら上級生の実力者、2年生に前園健太、日笠昭二など、2年生にも有望株がいる。
運命の一軍昇格メンバーが発表される。
「背番号19!! 小湊春市!!」
「!!!」
「背番号20!! 東条秀明!!」
「…………俺…………?」
帝東戦では大活躍の東条。だが、それでも自分が呼ばれるとは思っていなかった。3年遠藤がヒットを1本打った姿を見ていたのだ。
序列的に自分は選ばれないかもしれないと。
「………」
片岡は東条の様子を眺めながら、こう考えていた。
片岡監督は、彼をずっと見ていた。新入生対上級生でも、上手いヒットを見せ、特に低めの球を打ち返す技術に優れ、ミート力がある。守備もセンスがあり、上達もしている。この前は、あの好投手向井太陽からホームランも打った。
扇の要の狩場は体力づくり、秋以降に戦力に加え、将来の内野の要である小湊と沖田、投手は言うまでもなく、外野に一年生の有望株を入れたかった。
そして選ばれたのが、東条。最後の番号を託したのは、彼が今年の夏のラッキーボーイになれる可能性があると感じたからである。
「選ばれなかった3年生は残れ。後は解散しろ」
しかし、この昇格に衝撃を受けているのは東条だけではない。
「(うそ………だろ…………なんであの人が………)」
「(僕のボールを取れる人が………なんで…………)」
特にクリスにはお世話になっていた、沢村、降谷にはあまりにも大きな衝撃。沢村はショックを受け、降谷は、なぜ彼が選ばれないのかについて、形容しがたい感情が生まれる。
「来年か………」
狩場にはブルペン捕手としての仕事があるが、それでも願わくば、あの上級生たちと共に戦いたかった気持ちは強い。
「(やっぱり…………間に合わなかったのか…………)」
大塚は、彼の肩が万全ではないことを知っている。恐らく、今日の試合でも、盗塁を許したことで、肩の調子が万全ではないことを監督は見抜いたのだろう。
「行くぞ、沢村、降谷」
沖田に連れられ、二人は屋内練習場を後にする。生気を失った顔で、何も言わずに出ていく二人の姿に目を伏せる大塚。
その瞬間を俺は解っていた。
背番号19!! 小湊春市!!!
二塁レギュラーの小湊の弟がまず選ばれた。二塁手としても、さらにはある程度二遊間を守れるだけの守備力があると見込んだ片岡監督は、まずこの巧打の野手を選んだ。
背番号20!! 東条秀明!!!
本人は驚いていた。恐らくは自分だとは思っていなかったのだろう。だが、帝東との練習試合で見せたあのホームランは、今後の彼の活躍を嫌でも期待してしまう。
「………」
降谷が衝撃を受けたような表情で、こちらを見ていた。
「――――――」
沢村は、何か信じられないものでも見ているような、何か壊れそうな雰囲気を漂わせていた。
「―――――」
大塚は、唇を噛み締めつつも、東条と小湊に声をかけていた。友人二人の昇格を喜んでくれているのだろう。
――――最初から言えばよかったのだろうか。
「選ばれなかった3年生は残れ。後は解散しろ」
放心状態のまま、沢村は沖田に連れられ、この場を後にする。降谷もそれを追ってこの場を後にした。
ここに残ったのは3年生。やはり3年生だけだと、この屋内グラウンドは広く感じられた。
「――――」
3年生たちを見回し、片岡監督は深く息を吸い―――
「これまでの2年間。本当によく頑張った―――」
全員を見れる位置に立ち、まっすぐに視線を向ける片岡監督。
クリス達は黙って片岡監督の言葉を聞いていた。
「厳しい練習、し烈なレギュラー争い。辛く、悔しい思いなど、いくらでもしたことだろう。」
3年生たちの表情は暗い。最後の年、レギュラーから外れた者もいる。しかしそれぞれに違いはあれど、その悔しさは変わらない。
「だがお前たちは、決してくじけず、最後までこの俺について来てくれた」
「お前たちは、お前たち自身の努力を大切にしてくれ。本当にお前らは―――」
「俺の誇りだ――――」
そして頭を下げた監督の姿――――
――――やり遂げられなかったことはある。悔いももちろんある。
それでもクリスは後悔だけはしない。崩れ落ちる同級生たちも、それは同じだろう。だからこそ、悔しいのだ。自分の本気をぶつけて、届かなかった。
だから彼らは――――
――――悔しい・・・凄い悔しい・・・・けど――――
だがそれでも――――
―――――悔いはない。
誰からかもわからず、そんな言葉が漏れた。
――――この先の青道が、楽しみでしょうがない。
クリスは涙を流さず、清々しい顔で脳裏に映る3人の投手を見た。
あの国土館との試合で、先が見たいと思える―――素晴らしい投手を最後に、
――――リードすることが出来た。
「クリス――――」
不意に、監督からの声がかかる。
「お前にもこの先、選手としての道が必ずある。だからまずは、その肩を完全に治すことだけを考えろ。」
心苦しい筈だ。しかし片岡監督はその事実から逃げない。自分の犯したミスで、選手生命を脅かす怪我があったことを。
――――監督、俺にはまだ―――
そう言いかけたクリスよりも先に、監督は言葉を続ける。
「その上で、沢村と降谷ら、投手陣を纏めてみてもらいたい。出来るか?」
クリスが最後にやり残したこと。それは――――
――――お前たちの壁は、とても大きい。
大塚という投手は、恐らくこれから先、とんでもないことをやってのけるだろう。だがそれでも、彼らには前を向いて走り続けてほしい。
――――お前たちはまだまだ成長出来る。だから、先に夢を見せてくれ。
あの凸凹な二人の投手。その荒削りな原石がクリスには輝き始めていたのだから。
ダイヤのようなエースたちが、この学校を甲子園に導く。それがクリスの理想だった。互いに刺激し合い、高め合うライバルの存在がいてこそ、自分の力量が上がるのだ。
「自分の指導は、監督よりも厳しいかもしれませんよ。」
だからこそ、手は抜かない。自分に出来る最高の、集大成の全てを、彼らに託すのだ。
「ああ―――よろしく頼む」
監督もクリスの言葉に笑みを浮かべ、改めてお願いした。
その後、3年生たちは顔を赤くさせていたものの、最後は笑顔で寮へと戻っていくのだった。
なぜならダイヤのエースたちが、マウンドで躍動する姿を―――――――――――――――――――――――――
彼等も見たいのだから。
自分が選ばれたことが信じられず、小湊と別れた彼は、辺りをさまよっていた。
そして自動販売機のすぐそばで、お茶を買った東条を待っていたのは、
「おっ、東条じゃないか。どうした?」
御幸だった。
「一軍なんですね……」
東条はぽつりとそうつぶやいた。
「ああ。お前は、背番号20。青道の貴重な戦力だ」
はっきりと御幸は言い放つ。
「中学だと、こんな経験がありませんでした。けど―――」
東条は喜んでいいのか解らないのだ。御幸はそんな東条に―――
「だから―――レギュラーは重いんだぜ」
その言葉は、東条の心に合った隙間を埋め合わせてしまった。
自然と笑みがこぼれるようになった東条。背番号の重みが、彼を落ち着かせたのだ。
だから彼は最後に―――
「打棒で期待に応えないと――――不味いですね。みんなの為に」
吹っ切れたようだ。
そして、そのすぐ近くでは、降谷が部屋へと戻り、沢村が泣き崩れている姿があった。
「どうして………なんであの人が………自分の練習だけじゃなくて、俺達の練習に…………」
クリスは沢村たちの練習を見ていた。監督とも親しげに話していた。彼は一軍昇格が見えていたのではないかと、どこか安心していた自分がいたのだ。しかし、彼は一軍に昇格できなかった。
「沢村…………」
御幸は、クリスの真実を教える。彼の肩はまだ万全ではなく、まだリハビリの段階であること。そして、あの試合で出場したのも、回復力を考えれば奇跡のような物だという事。
「そんな………じゃあ、最初から…………」
沢村はその衝撃の事実に、さらに衝撃を受ける。
「…………一軍へは行けない。夏の本選に間に合うかどうかだろうな………」
「…………沢村。少しでもクリス先輩の夏を伸ばす可能性はただ一つ。甲子園だ」
御幸は真剣な瞳で、自動販売機の光で反射する眼鏡を光らせながら、その可能性を囁く。
「俺達が強くなって、勝ち進むことだよ。クリス先輩の回復力に左右されるけど、それでも、可能性がないわけじゃない。」
そして、沖田が甲子園出場を暗に言い放つ。そう、甲子園まで期間が延びれば、クリスの回復次第では、メンバー登録される可能性もある。
「…………だから、強くなれ、沢村」
「……………っ」
「――――強くなれ」
その後、泣きながら沢村は部屋へと戻り、沖田は家へと帰る。
「あの………一軍、おめでとうございます」
そこへ、この夜遅くまでマネージャーの仕事を頑張っていた一人でもある吉川が、制服に着替えた大塚を見つけた。
「そっちも夜遅くまで、ご苦労様。………一軍昇格メンバーが決まったよ」
「そうなんですか?」
「一軍入りをしている俺と沢村、沖田、降谷とは別に、小湊と東条が選ばれたんだ。」
「凄い………一年生がそんなに………」
「………だからこそ、努力を怠るわけにはいかない。上級生たちの涙と無念を背負っているんだ。不甲斐無い投球なんて出来ない」
肩に力の入る大塚。そう、彼とてあの光景に対して、何も思わないなんてことはない。
――――怪我の理不尽さは、身を持って知っている。だからこそ、それが哀しい。
――――3年間レギュラーに選ばれなかった人の気持ちなんて理解できない。軽々しく、理解なんて出来ない。
だからこそ、あの背番号1は重いのだと。みんなの期待を背負った投手が付けることを許されるエースナンバー。
「ダメですよ!」
ぴしっ、と口の方を指さされて大塚は何事かと驚く。
「また無茶をして、頑張りすぎちゃいけないです! 大塚君がオーバーワークをして壊れたら、それこそどう先輩たちに顔向けするんですか!?」
当たり前のことを指摘された。そして同時に、彼は驚いた。彼女はこんなにも、物をはっきりという人であったかと。
「そうだね……悪かったよ。」
「い、いえ………」
そして大声を出したことに、今更恥ずかしがる吉川。だが、嫌いではない。
「行きたいな、甲子園」
「………はい………」
その後、夜道は危険という事で、大塚が吉川は送り届け、その後帰宅をするのだった。
「アレは……」
クリスは大塚がグラウンドを眺めていたのを見かけた。複雑な心境なのかもしれない。隣には、同級生らしきマネージャーの女子が立っていた。
「………だからこそ、努力を怠るわけにはいかない。上級生たちの涙と無念を背負っているんだ。不甲斐無い投球なんて出来ない」
声がうっすらと聞こえた。責任感の強い男らしいセリフだった。それがどうにも自分に重なって見えた。
「ダメですよ!」
ぴしっ、と口の方を指さされて大塚は何事かと驚く。クリスも自分が声をかけるよりも先に、少女が大きな声を上げたことに驚いた。
「また無茶をして、頑張りすぎちゃいけないです! 大塚君がオーバーワークをして壊れたら、それこそどう先輩たちに顔向けするんですか!?」
大塚はその言葉に呆然としていた。少女も少女で、今頃になって恥ずかしがっていた。
――――どうやら、大丈夫そうだな。
自分が言いたいことは全部言ってくれた。それがまさか入部したてのマネージャーとは思わなかったが。
そして先頭を走り続ける男に、クリスはこう思うのだ。
――――お前は、俺にはならないでくれよ。
青道高校の夏合宿が始まる。
背番号11 大塚 投手
背番号16 沖田 内野手
背番号17 沢村 投手
背番号18 降谷 投手
背番号19 小湊 内野手
背番号20 東条 外野手
名前だけ登場した先輩3人と入れ替わりました。