ダイヤのAたち!   作:傍観者改め、介入者

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お待たせしました。今年の一話目です。


第116話 高まる気運、深まる葛藤

倉持、ここでサウスポー相手にもかかわらず、左打席で打席に立つ。

 

―――――沢村のチェンジアップは左には特に危険なボール。

 

大塚曰く、金田への攻めを見る限り、今日はチェンジアップの高さに若干の不安があると見たのだ。

 

――――――完全試合をした影響なのか、無意識に力んでいる節がある

 

そう思わないようにしていても、あれほどの投球をそう簡単に忘れることはできない。

 

 

――――――そして、縦スラの制球も完璧とはいいがたい。内に入れば、あのボールでも当てさえすれば何か切欠が生まれるはず

 

 

 

そして、大塚の目から導き出される解が、戦況の悉くを射抜く。

 

 

初球。制球力に陰りがないように見えたストレート。倉持が左打席、しかもかなり内寄りに立っていることもあり、外側に投げ込んできた。

 

「ストライィィクッッ!!」

 

空振りを奪われる倉持だが、御幸がインコースを嫌がっている節が感じられた。

 

 

―――――スライダーが浮いてきたり、甘く入らないと終了です。あとは御幸先輩次第ですね

 

 

そして、外に外れる高速縦スライダー。

 

沢村も沢村で、なぜか左相手に投げにくそうにしていた。

 

 

 

―――――セオリーなら左対左は打者不利のはず。なのに、

 

 

 

 

戦況を見つめる片岡監督は、倉持にサインを送る。

 

 

――――――ここでセーフティだ。仕掛けられる前に、カウントが欲しいはず。揺さぶれ。

 

 

コンっ、

 

 

「!!」

 

ここで相手の意表を突いたセーフティ。沢村が驚く間に倉持が一塁へと激走を見せる。

 

 

―――――酷なことだけど、金丸じゃ倉持先輩は刺せないですね

 

打球へと走る金丸だが、もう倉持は一塁へと到達しかけていた。それを見た大塚は、まだまだ甘いところがある金丸の守備に課題を見つけた。

 

 

「セーフっ!! セーフっ!!」

 

一塁塁審の上級生のコールにギャラリーがわく。

 

「うお!! 先頭の倉持が出塁!!」

 

「塁上だと無敵の倉持だ。仕掛けるはずだ」

 

 

そして、彼らの予想通り倉持の広いリードが沢村を襲う。

 

 

 

―――――くっ、でも打者を打ち取れば

 

 

しかし、このままではランナーを置いた場面で大塚に回ってくることになる。

 

 

だからこそ、倉持にそう簡単に走られるわけにはいかず、意識がランナーへと向く。

 

 

だがそれをわかる倉持に油断はなく、彼のしつこい牽制にも耐え続ける。

 

 

ここでセオリーならば送りバントか盗塁。相手は沢村、簡単に連打が期待できる相手ではない。

 

 

キャプテンを務める御幸は、倉持の足を警戒するも、打者にも注意が必要だと悟る。

 

―――――監督なら、ここは攻めに来るはず。エンドランの可能性だって。

 

 

だからこそ、安易な低めは禁物。転がせば倉持の足を二塁で刺すことは困難。特にアウトコースに投げれば、左打席の木島は流して打つだろう。

 

 

―――――三遊間警戒。引っ張りではなく流し打ち警戒。内に入ればセンター返しもありうるな

 

 

沢村の球をいかに生かすか。そしてどうリードするか。御幸の判断が試される。

 

 

 

それを鋭い目つきで俯瞰する大塚はその御幸の一手を逆手に取る。

 

 

 

―――――こちらは塁上に倉持先輩。バッターはそこそこ足の速い木島先輩。

 

相手がゲッツーを狙い、流し打ちを警戒していることがわかり、大塚は強気に出るべきだと監督に進言する。

 

「ここは強硬策です。相手は多くを得ようと、受けに回っています。この隙を逃す道理はありません」

 

 

「無論、そうだな。ここは強い打球を一二塁間に打つ。もしくは叩き付ける。」

 

 

 

そして、これまでの試合でも左打者には緩急を使いづらい沢村がチェンジアップを投げにくそうにしているのがわかる。

 

木島はさらに内寄りに立つ。

 

 

――――――中継ぎだと、やっぱり不安定だな。沢村は

 

適正の影響がもろに出ている沢村の調子が上がらない。木島は中継ぎ沢村と先発沢村は別人だと認識した。

 

 

それでも、殻を破るために御幸はあえてインコースを要求。このまま外を踏み込まれ、強い打球を打たれた場合、内野の間を破られかねない。

 

 

カウント2ボール0ストライク。2球投げても倉持はまだ動かない。しかも足を警戒した沢村が投球に集中できていない。

 

「あとは相手が焦れてくる。御幸先輩は強い人ですから。必ず勝負に出る」

 

そういう人です、と大塚は言い放つ。

 

 

内に入ってきた横のスライダーを強振した当たりは、わずかに芯に当たらず、内野ゴロとなる。しかしぼてぼての当たりであるため、倉持はあっさりと二塁へ到達。

 

そして打球も二遊間へと転がっていく。ヒットになる。

 

 

誰もがそう考えていた。

 

 

 

「くっ!!」

 

 

 

しかし、ただ一人を除いて。

 

 

 

この厳しい打球に沖田が追いすがる。三遊間側に守っていた彼には苦しいはずだった。

 

 

それでもリーチと瞬発力、打球判断の速さが後押しし、その打球に追いつく好守備を見せつけた。

 

 

「うそだろ、沖田」

 

「沖田の守備範囲はこうしてみると広いな。」

 

大塚が絶句し、監督が納得する。

 

際どいタイミングだったが、木島は惜しくもアウト。抜けていれば、ノーアウト一塁三塁の大チャンスだっただけに、これは痛い。

 

尚も一死二塁のピンチ。打者は三村。ここからは右打者が続くことになる。

 

 

そして、投げやすさを感じていた沢村はあっさりと三村を三振に切り取る。

 

 

これを見ていた渡辺は、

 

「沢村は右よりも左が苦手な傾向にあるね。チェンジアップの緩急がなければ、出所が見えにくいサウスポー。高速縦スライダーもいいボールだけど、この球種が不安定だとたちまち崩れだすね」

横のスライダー以外に左打者に使える変化球があと一つ、あと一系統あれば、と渡辺は呟いた。

 

 

以前、狩場はチェンジアップが左打者には浮いて見える傾向があると証言していた。事実、高速チェンジアップは問題なく使えているが、チェンジアップ系は投げにくそうにしていた。

 

ゆえに、この試合でも三村に対してのみスクリュー気味に沈むサークル・チェンジを投げていた。左打者には一球も投げていない。

 

 

これまでその弱点が目立たなかったのは、沢村の好調を支える制球力に陰りがなかったためだ。しかし、中継ぎはある種トラウマになっているのか、このポジションでは不安定になりがちだ。

 

やはり、沢村はスターターでなければ信用できない。少なくとも、今のままではその評価は変わらない。

 

 

そしてツーアウトとはいえ、ここで4番大塚を迎えることになる。沢村も、降谷のストレートをフェンス際まで飛ばす大塚の打席は見ていた。惜しくもフェンスオーバーではなかったが、それでも降谷であれなのだ。

 

 

自身のストレートでは、軽くたたきこまれるのはわかっていた。

 

 

しかし投げやすい右打者。まずは外に一球ストレートを見せる。

 

 

「ボール!!」

 

 

大きく外してきたバッテリー。大塚のリーチの長さを警戒し、手の出ない場所にまずは投げ込んできた。このバッテリーはストライク、ボール関係なく広いコースを使うことで、何とか大塚の打ち気をそらそうと考えていた。

 

 

―――――まともに勝負は仕掛けてこない、ストライクも一つあるかわからない、な

 

大塚は打席に向かう前に監督に言われたことを思い出す。

 

「おそらく、まともに勝負をしてくれないかもしれん。ストライクがまともに来るかもわからないが、冷静さを保て。」

 

 

「はい」

わかっていることだ。格上相手にまともに戦う愚か者では、全国に出ることはできない。

 

 

そんな易しい相手ばかりではないのだ。

 

「全国でお前の打力が明るみに出た時、こういった場面は何度も出てくる。焦れるなよ」

 

 

「はい。しかしヒットゾーンとストライクゾーンは、人それぞれですよね?」

 

 

「ふっ――――――それができるようになれば、お前は打者として一皮むけるだろう」

意図を理解した片岡監督は苦笑しつつも、彼の狙いを容認した。

 

 

 

 

 

―――――以前、御幸先輩は大巨人真木のような手足の長い打者には胸元の速い球が有効と言っていた。しかし、俺の打席は内角が広く、緩い。

 

 

「ストライクっ!!」

ここで、外のサークル・チェンジ。やはり右打者には使ってきたボール。大塚はそれに手を出さない

 

 

――――――かなりの緩急。あのフォームからだと一層遅く見える

 

 

3球目は何をしてくるか。大塚は考える。

 

 

―――――これは見せ球。カードをあえて見せる。だがそれを狙い撃つ

 

 

大塚には、御幸と沢村がそのボール球を投げることを予期していた。

 

 

―――――ボールになる内側低めの高速縦スライダー。

 

 

リーチの長さを警戒していた御幸のスキ。それはボール球には手を出さないという思い込み。使えないまでも、出しておきたい最強のカード。

 

大塚がなまじ冷静な性格であるため、ボール球には手を出してこないと考えていた。

 

 

狙いすましたかのように、スライダーは大塚のバットに真芯で捉えられ、ボールは文字通り吹っ飛んだように外野へと飛んでいく。

 

 

「―――――――――えっ?」

打たれた沢村も、まさか手を出されるとは、といった疑問よりも先に打たれたという衝撃が勝り、目を大きく見開いている。

 

 

「うっそだろ、ボール球だぞそれ―――――」

 

乾いた笑みすら出してしまう御幸の自嘲気味のつぶやきが聞こえる。

 

 

大塚は敢えて後ろ足の膝を曲げ、自分のヒットゾーンを調節し、ゾーンを低く設定しなおしたのだ。これによりハイボールに対する対応力が低下したが、ローボールに対する対応力が上がる。

 

 

そして体格の恩恵を存分に生かし、沢村の布石となる切り札を打ち砕いたのだ。

 

 

 

打球は勢いを殺すことなくフェンスオーバー。危うくネットを突き破ろうとするほどだった。

 

 

 

「うおぉぉぉい!! 大塚の逆転ツーラン!!」

 

「今ボール球だったぞ!! なんであんなコースをあそこまで打てるんだよ」

 

 

「体勢崩れてなかったか!? なんだあの打ち方は!!」

 

 

 

「心底、同じチームでよかった。ああ、くそっ」

 

御幸は歯噛みする。

 

―――――もう少し外を続けてもよかったか!? いや、外だと今度は流されるし

 

つまり、力押しでなければ大塚は抑えられず、打ち損じを期待するしかないということだ。

 

降谷ほどの剛球投手で初めて成立する勝負。特に、金属バットで勝負するならなおさらだ。

 

5番山口を打ち取るものの、この6回の裏に逆転を許したレギュラー組。

 

 

7回表。金田も逆転後のマウンドに向かう。沖田を歩かせたものの、御幸を外野フライに抑え、ツーアウト1塁の場面で白洲と対戦する。

 

 

―――――明らかに緩んでいる。こちらに流れがないせいか、金田には隙が見える。

 

 

ボールに勢いがあるが、リズムが一定。狩場はけん制を指示しているが、あまり多くは要求できない。それだけボールに力がある状態なのだ。

 

 

――――――ファーストストライクを叩く!!

 

 

アウトコースのストレートを流したあたりが三塁線を抜ける。

 

 

しかし、

 

 

「シュッ!!!」

 

ここで日笠が三塁線を締めていたために、好捕されてしまう。一塁ランナー御幸が二塁で刺され、これでスリーアウト。

 

 

「そこを守られていたか―――――」

悔し声をあげる白洲。いい当たりだったが、ここも攻撃を止められた。

 

 

7回裏は、右打者が続く打線なので沢村が三者凡退に抑え、持ち直すが、その表情は暗い。

 

「左打者に対してインコースを攻めきれなかった、ちくしょう――――」

 

自分でもわかっていた。左打者に対する苦手意識。だからこそ、落ちるボールがほしかった。秋大会、神宮では間に合わない。何とか現状のカードだけで左打者と勝負しなければならないのだ。

 

さらに、大塚のアレは事故だから仕方ないと御幸には三回ほど言われたが、沢村は悔しくて仕方なかった。

 

 

――――ツーシーム弐式。机上の理論にはできねぇ!!

 

そのあと、3番手の川島が9回につかまる。麻生をうち取り、あとアウト2つだったが東条に長打。小湊ヒットで出塁。これで1死一塁三塁。

 

 

逃げ場のなくなった川島が、沖田に特大の逆転弾を食らいノックアウト。御幸に長打を浴び、追加点のピンチで後続を打ち取ったが、下剋上ならず。

 

 

試合は、4対2で辛くもレギュラー組が勝利を収めるのだった。

 

 

「ああ、負けたか。あと一歩だったんだけどなぁ」

大塚が残念そうに見つめる。御幸も学習したのか、川上には一球も大塚相手にまともなボールを指示しなかった。

 

そのため、塁上で試合終了を聞くことになったのだ。

 

「大塚相手だとリードも怖い。正直、沖田よりも怖さがあるぞ」

御幸も大塚という打者に対する攻め方には、著しく制限があると感じていた。並の投手ではリードしようがない。

 

沢村は特に大塚相手には相性が悪すぎたし、メンタル面でも問題があった。最初から歩かせるべきだったのだ。

 

 

 

「まあ、守っていて沢村のスライダーがあそこまで飛ばされるとは思っていなかったぜ(俺、とんでもない相手をライバルにしちまったかも)」

沖田も大塚の逆転弾の衝撃が忘れられず、甘い球を逃さず、時にはボール球を叩き込む大塚の打撃センスに恐れをなしていた。

 

 

「じゃあさ。チェンジアップが来たときはどうするつもりだったんだ?」

金丸がその時はどうしていたのか尋ねる。

 

 

「うん。まあ、体勢を一度崩されるだろうし、素直に左足をつけるね」

 

「え、マジで言ってんのか!? それじゃあ長打は」

金丸が信じられない顔で大塚を見る。それでは自慢の長打が影をひそめるだろうと。

 

 

だが、金丸の早とちりを手で制し、その次を言わせてと懇願する大塚。

 

 

 

「待って。その次にもう一度左足を上げて、タイミングを計りなおそうかな、とは思ってはいたよ」

 

 

 

「頭おかしい」

 

「おかしいわ。発想がきもい」

 

「変態だな」

 

 

「俺、そんなにおかしいことを言ったかな?」

 

 

「「「おかしい!!!!」」」

 

「えぇ~~。おかしいのかなぁ……」

御幸、金丸、沖田という新しい青道高校を引っ張るであろう選手たちにおかしいといわれ、しょんぼりする大塚。

 

 

 

その後、沢村は左打者への対応、降谷は強打者相手にムキになったところ、大塚は動く玉のカードを使うタイミングについて触れ、投手陣にとっては濃密な経験となった。

 

しかし一方で、降谷と大塚という剛球投手に散々だった野手組は、監督に言われるまでもなく、夜間練習に打ち込むことになる。

 

全国にはここまでやってくる投手がいる。準決勝の成孔がそうとは限らないが、それでも全国を見据える一同にとってこの練習試合は大分効いたらしい。

 

大塚栄治。全国クラスの投手。もう少し食らいつくことはできなかったのかと。

 

 

 

 

 

すぐ離れた場所で、その大塚栄治の姿を視界に入れ続けていた男がいた。

 

 

「紅白戦での緊張感。レギュラー、控えに関係なく高い意識。いい環境であることはわかりました」

 

結城元主将の弟、結城将司。中学時代で名をはせたスラッガーだ。

 

「それで、どうだったかしら。うちのエース含む投手陣は」

高島礼が彼に尋ねる。これが今の青道高校投手陣。長年の課題であった投手不足。それが解消した途端に甲子園準優勝なのだ。

 

「ええ。これほどの投手が先輩にいる。自分たちの代の投手のことを考えてしまうぐらいに、恐るべき投手陣ですね。」

 

彼らが引退した後の投手陣のことを真っ先に考えてしまうほど、盤石といっていい実力者たち。まるで、彼らは負けないと確信しているのかのような結城の物言い。

 

「ですが、やはり大塚栄治には負けたくない。」

しかし唯一、大塚栄治に対して対抗心をむき出しにする。

 

「あれ?」

礼は、なぜ大塚に固執するのか一瞬意味が分からなかった。

 

だが、一瞬で理解する。

 

 

―――――そうね、パワーヒッターで名を馳せた選手だもの。大塚君の今日のホームランは相当な刺激になるでしょうね。

 

神宮、選抜での主軸確定弾。もはや、御幸ですら押しのけるほどの結果を彼は出したのだ。しかも、エースの座は譲らないというレギュラー組への情け容赦のない投球。

 

あのレギュラー陣が完全に抑えられて、2番手の沢村は逆転弾を浴びた。

 

投手と打者。その2つで結果を出した彼は間違いなくナンバーワン。

 

そんな大塚栄治を前に、燃えないわけがない。彼の負けん気の強さと自信家な一面が滾る。

 

大塚は間違いなく自分が4番の座を奪う時の壁になる。

 

 

それは考えるまでもなかった。

 

 

「ええ。ですがひとまずは自分を鍛えなおします。まだ入学まで時間があります。このままではいけない。俺は、大塚栄治から4番の座を奪います。それを現実にできる実力をつけるために」

 

「一応、御幸君が4番なのだけれど…」

礼は冷静に、昂っているであろう将司に突っ込みを入れる。

 

だが、存外彼は冷静で、その問いに対してこう答える。

 

「それも時間の問題です。間違いなく選抜に出るころには彼が4番を打っている。言い方は悪いですが、両者には詰めることのできない地力の差があります。」

それでも、状況はじきに変わると言い放ったのだ。

 

 

「ただ、兄貴の気持ちもわかりますね。すぐにプロに行かなかった理由も」

 

もちろん彼の兄にも才能はあった。非凡なものはある。だが、これだけ突出した選手がいると、まだまだ鍛える必要があると考えてしまう。

 

大塚栄治、沖田道広、降谷暁。この3人は間違いなく突出した存在だ。

 

踵を返す将司。

 

「これからが楽しみですね。来年からの3年間が」

 

そう言い残し、彼は青道高校のグラウンドを後にする。

 

 

心に熱いものを秘めた男、結城将司。中学時代に名をはせたスラッガーは、決意を新たに個の成長に励む。

 

 

そんな選手、野望を抱く者たちの様子の横で、片岡監督はかつての恩師である榊英二郎と再会を果たしていた。

 

予期せぬ再会に表情を崩す片岡監督。

 

「お久しぶりです。榊監督」

 

「おいおい。ここの監督はもうお前だろ、鉄心。榊さん、でいいよ」

 

親交の深い両者。そこへ、榊は見慣れない顔へと視線を向ける。

 

「ん?」

 

 

「あ、ああそうだ。こちらは落合コーチ。ここに来る前は紅海大のコーチを務めていた方です」

太田部長が榊に落合のことを紹介する。そういえばこの二人は初対面なのだ。

 

「紅海大の…そうか、あそこは細かい野球をするからな。近年は横浦の勢いに負けちゃいるが、あそこも全国区だ。ここの選手たちのこと、よろしく頼みますよ」

 

軽く会釈をする榊。

 

「このチームにいい刺激、与えてやってください」

 

 

そして二の句にこれである。

 

「――――わかりました」

背筋が伸び、真面目な雰囲気がさらに増す落合。雰囲気だけで、オーラだけで、何か名監督との共通点を感じたのだろうか。

 

そして、榊の口から語られるここを来訪した理由に一同は驚く。

 

 

榊英二郎が、由良総合工科高等学校の監督になることを伝え宣戦布告してきたのだ。この高校は西東京の強豪校の一角。まだ西東京の旧ビッグ3には及ばないが、最近力をつけ始めている存在でもある。

 

だが、衝撃はさらに続く。

 

 

「鉄心。逃げるなよ」

 

 

「!!!!!」

 

榊が感じていたのは、片岡監督の揺らぎだった。夏の甲子園で降谷が熱中症で倒れ、大塚がけがを押して強硬登板。

 

その後のバッシング、危うく選手生命、命すら危うい中、限界まで戦った選手たちのことで心を痛めているのではないかと、まず最初にそれを考えていた。

 

そして、ここに来た時にその予感は確信へと変わる。

 

控えのチームを指揮し、レギュラー組の指揮を新参者である落合コーチに任せていたのだ。これではまるで監督の引き継ぎ作業のようだと。

 

かつて、自分が片岡鉄心にそうしたように。

 

「選手はお前を信じているぞ。そうでなきゃ、こんな意識の高いチームは出来上がらねぇ。お前が選手と一緒に作り上げたんだ。お前のこれまでの指導が、このチームに息づいているんだ」

 

「――――――」

片岡監督は何も答えない。

 

 

「俺が言いてぇのはそれだけだ。」

 

「監督、私は…」

言葉にならない。言葉がまとまらない片岡。

 

 

「あとは自分で考えろ、モチベーションやらなんやらは。俺はお前にこの高校を託した。託せる奴はいるのか、てめぇが本当にこれで満足したのか。そこを白黒はっきりしろ。てめぇはもう、教えられてばかりの球児じゃねぇ。ここの監督だ。」

声色は柔らかいが、目は真剣だった。

 

 

「迷ってんなら意地でも続けろ。答えがはっきりするまで、やせ我慢して見せろ。」

 

 

「―――――――――――はい」

そういうしかなかった。片岡監督も、ここで投げ出すわけにはいかない。投げだしたくない気持ちがないわけではないのだ。

 

 

 

「とりあえずだ。選抜は応援させてもらうからな」

 

 

そう言い残し、榊はグラウンドを後にする。強烈な檄を片岡監督に残して。

 

 

 

「――――――監督」

太田部長が遠慮がちに声をかける。

 

 

「心配をかけてすまない。ここまで背中を押されなければならないほど、追い込まれているとは自分でも気づけなかった」

 

 

気にしたつもりはなかった。このまま自然に落合コーチが昇格する。納得しているつもりだった。

 

だが、納得などしていなかった。それに気づかされた。

 

まだ、このチームとともに挑戦したい、前に進みたかったのだ。

 

 

「だが、一度出した辞表だ。戻すのも格好がつかんな」

ぽつりと、なんでもなさそうにつぶやく。

 

 

「ですがあなたに。片岡鉄心に率いられた選手たちは、そうは思っていないみたいですよ」

 

すると、どこからともなく森校長が現れた。学校での選手たちの様子を陰ながら見ていた彼は、監督の辞表のうわさが流れ始めたころから、野球部部員の様子が目に見えて動揺しているのがわかっていた。

 

校長としても、個人としても。名物監督、信頼の厚い教師を手放す気など毛頭なかった。

 

 

「考え直して、いただけませんか?」

 

 

その問いに対し、彼は―――――――

 

 

 




ある有名な天才打者の変態的なタイミングの取り方を思い出したのです。

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