本当に遅くなった。
秋季大会本選1回戦の日程が終わり、続く2回戦が始まる。
今大会は有力選手の群雄割拠。何といっても衝撃的だったのは甲子園出場を果たした青道高校と帝東高校のカードだろう。
1年生ながら、両チームのエース格である大塚と向井。投手戦が期待されたが向井は沖田、東条を中心とした主軸に痛打を食らい、大塚も7回まで完全投球をしていたものの、エラーからの長打による公式戦初失点、さらにはSFFのワイルドピッチによる2失点目。
スコアこそ5-2と青道が力を見せた格好と放ったが、夏まで完全な投球で制圧を続けていたエースに綻びが見え始めていた。
一方、その青道に大敗を喫した薬師高校は5回コールドという圧倒的な破壊力に加え、1年生投手三島の好投もあり、投打のバランスが充実してきた。だが、夏の雪辱を果たすには大きな2つの関門が待ち構えている。
逆ブロックの強豪の一角、市大三高にはエース天久光聖がおり、その高速スライダーは関東屈指のキレを誇る。初戦こそリリーフ登板だったものの、その力を存分に見せつけ、6-0と完封リレーの一角を担う。
そして同ブロック最大の目玉。
明川学園のエース、楊舜臣の初戦は圧巻だった。
被安打0、無死球。8奪三振。文句のつけようも、これ以上のない結果を初戦で見せつけた。
2年生世代最高の右腕。パーフェクトゲームを達成。
球数も僅か101球。打たせて取る投球とフォームチェンジがさえわたり、バッティングをさせなかった。さらには球速も143キロと抑え気味。
連投を考えた上での、最高の投球。強豪紅海大菅田を沈黙させた。
その明川学園のエースの影に隠れているが、粘り強いバッティングでヒットは6本ながら、四死球は5つと、選球眼に優れる打者を揃えており、甘い球は逃さず、少ないチャンスをものにする攻撃はそつがない。
その全てに影響を与えているのが実戦形式による、最高の打撃投手による練習。制球よくコースの投げ分けが可能なため、打者が勝手に体で覚えていくのだ。
理想的なストレートのアウトコースの打ち方、インコースの落ちる球の打ち方。様々のコースの打ち方が、体に染みこんでいった。
優れた打撃投手は、並の打撃コーチをもしのぐ。それを体現し、チームを成長させているのは紛れもなく彼である。
そして仙泉学園の大巨人真木洋介。彼もリリーフ登板ながら、制球に苦しむイメージを払しょくさせ、4回を零封に抑える好投。チームも7回コールドで勝利。
青道高校を中心に、西東京勢が東東京勢を食らう試合が目立ってきた。
そして、台風の目であり、優勝候補本命と言われる青道高校では―――――
強豪校を打ち破り、3回戦では強敵稲実を控える中、ピリピリとした緊張感を感じさせる練習と雰囲気。
特に昇格組の熱量はすさまじく、レギュラー当確組もその勢いにつられて充実した日々を送っている。
だが、昇格組と夏のベンチ入りメンバーが切磋琢磨をしている中、その勢いに戸惑を見せるメンバーもいた。
「――――――――――」
渡辺久志は、チームと自分の温度差について悩んでいた。
「なぁ、ナベ。今朝の事、あれでよかったのか?」
東尾修二が渡辺に尋ねる。
「―――――やっぱり、今は状況が状況だけに、言うべきでは、ないと思ったから」
それは登校直後の教室でのことだった。
「御幸。ちょっといいかな?」
「ん?」
御幸も違うクラスから彼ら3人がいきなりやってくることに、何かを感じたが、その何かが解らず、とりあえず彼らの話を聞く体制を取るのだが、
「御幸君。修学旅行の事なんだけど――――一応班分けは野球部で固めておいたよ。これ資料ね」
「倉持君のもあるよ」
修学旅行。10月はほぼ秋季大会の日程。青道高校の日程ともろ被りをしているのだ。例年通りなら野球部は自習決定であり、無縁の話ではあるのだ。
「行かないよ、俺達」
不敵な笑みを浮かべ、御幸は断言する。
「試合に負けるつもりはないし、俺達は優勝するつもりだから」
迷いなく御幸は優勝という言葉を口にする。その表情は自信と強い決意に満ち溢れていた。
「だろ、ナベ?」
片目でウインクする御幸。二枚目に許される行為である。
「あ、ああ。」
話しの内容は理解できる。だが、彼らの真意を推し量れば、複雑な感情が少しうごめいている。
「そっか。折角みんなと仲良くなれるチャンスだったのに――――」
御幸達に修学旅行の件を伝えた女学生は残念そうな表情をする。
「悪いのは日程だろう……あの校長、俺達に行かせる気がねぇだろ!」
倉持が愚痴をぼやく。
「悪いな。あとナベ、話っていうのは?」
気さくに話しかける御幸。半年前に比べると、主将の座についてからコミュニケーションをよく取るようになった彼は、やはり話しかけやすいのだが――――
「いや、やっぱりいいや。ごめんね、時間とらせちゃって」
「ん?」
そんなやり取りがあったことを、御幸も覚えてはいるだろうが練習に投手たちへの指示に奔走している彼に、残念ながら彼らに構う余裕はなかった。
「―――――ずっと前から、薄々感じてはいたけど――――」
周りとの温度差。夜になってもスイングを続ける同級生たち、下級生たち。
明らかにレベルの違う大塚、沖田の台頭と引っ張られるように急成長した東条、沢村、降谷という一軍戦力。
さらに力をつける上記以外の選手たち。
特に、大塚と沖田は文武両道。期末テスト野球部どころか成績トップ集団と80点台を記録するなど、ちょっと次元が違う。
「―――――いいのかな、俺達。」
こんな温度差を感じつつもここにいても。
上昇に乗りきれない者達は、この新チーム始動の中で人知れず浮いていた。
その夜、野手陣の中でここ最近新たな取り組みに挑む金丸。だが、課題は変化球への対応だけではない。
「おいおい、もう少し落ち着け。練習なんだから体の動きを確認するだけでいいんだぞ」
コーチ役には沖田。サードの動きを確認するために、ゴロの処理を想定した練習を行っていた。
「けど、やっぱ実戦を想定しねぇと、ダメだろ」
ゆっくりやれと言う沖田の言葉に若干異を唱える金丸。実戦でそんなにゆっくり動いていれば、全て内野安打にされてしまうと感じたからだ。
レギュラーへの道が開かれつつある中、新たに浮かび上がった課題は守備面での貢献。
基本的に守備を徹底的に練習し、レギュラー陣にも守備力を求める監督の下である。やはり投手を助ける守備が必要になる。
「いやいや、実戦にこんなボールは使わないぞ」
沖田がつかっているのはリアクションボール。この予測不能なバウンドの仕方をするこのボールを使い、球の動きをよく見ることで守備力の向上をめざし、さらにはその先の領域を意識した、実戦を想定した練習を行う。
「ボールをよく見ることも大切だが、守備ってのは一つ一つの動きが大切だ。ここを疎かにしたら、体は覚えない。」
屋内練習場で、ネットカーテンを掛け、ゴロの処理の動きを確認する金丸。沖田が気になる個所がいくつも見受けられた。
「うん。ちょっと足の動きが気になってるね。ボールを最後まで見ていないから捕球ミスをするんだ」
歩幅を気にしているのか、それとも腰の高さからバランスが悪いのか、金丸は捕球時に手間取るような動きが目立つ。
送球に関して不安定になりがちなのは、捕球体勢から送球体勢における体の位置に問題がある事だ。そして、その体勢を急ぐあまり不安定な状態で投げている。
上半身の筋肉が強かったり、スナップに自信があればいいが、高校生でそんなことが出来る選手は数えるほどしかいない。
いや、そもそもプロでもあまりいない。
「金丸は打球の正面に行こうとし過ぎているんだ。だからスピードが余った時に三塁方向に上体が流れる。一塁方向へと行くべき体がずれているんだ」
沖田が指摘するのは力のロスとそれによる体全体のバランスを崩す要因。
「けど、打球の正面で獲るのが常識だろ?」
その言葉に沖田は苦笑いする。
「俺の守備を見ていたらわかるだろ? 俺の正面ってのは股下じゃない。」
沖田が逆シングルで捕る時の体勢になる。そして、
「グラブを返していれば、ボールの向かってくる方向にグローブを返すだけで、そこはもう正面なんだよ。カニみたい動くとやっぱりスピードも上げないといけないし、何より体勢を変えないといけない。まあ、正面を突いたゴロはそれでもいいけど、そんな打球が何回も来るわけがない。」
沖田曰く、ゴロの正面に向くことが大切なのだが、それは捕球体勢における逆三角形の頂点だけではないという事だ。
何よりも、
「それで捕っていると、ボールを見にくいんだよな。ボールを最後まで見ることができる姿勢で、正確にボールを捕る。そして次の動作に行きやすい姿勢。これはどのスポーツでも言えることだよ」
スポーツでも武道でも、動作は点ではない。動作に動作を重ねることで、動きが洗練される。スムーズなプレーが可能になる。
「野球ってのはアウトを取るためのスポーツだからさ。打球を止めるのは勿論そうだけど、アウトにするためにはどうしたらいいか。とにかくボールを見やすい体勢、ボールを捕った後にすぐ送球できる体制を意識してくれ。まあ、それを今夜あたりから染み込ませるんだけどな」
「あ、ああ。」
打撃練習では落合コーチに、守備練習では部内屈指の名手沖田の手ほどき。
本人に自覚はないが、最高の環境と言っていい。
三塁手の名手にして、強打の内野手になれるか、金丸。
一方、2回戦では出番なし濃厚と言われている大塚。
寮生活の狩場を巻き込んで、投球練習を行っていたのである。
本選初戦で見せた149キロ。しかも連発。あの球速はフロックではなく大塚の力。
しかし、また体に変化があったのか、あの状態になるには時間がかかる。
大塚にとっての落とし穴。それは怪我による戦線離脱が大きな要因だった。精密な感覚を持つ彼は怪我によって体の調子を変動させてしまい、まず感覚が狂った。
さらに成長による体の変化により、それまで意識すらしていなかったずれが襲い掛かった。
しかしそれでも、収穫はあった。
それは、“縦のフォーム”を使わずにそれまでの最高速度を叩き出したことである。
技巧派フォームで140キロ前半を叩き出したのもあるが、体の馬力が上がっている証拠である。
だが足りない。まだ足りない。技巧派で両サイドの動く球の出し入れに踏み切ったのは、自分に球威がなかったことを認めているからだ。
「あの投手の右手をだらんとするのにはそういうことが――――」
「ああ。私も直に話を聞いたわけではないが、彼と話す機会があったらしいからね。その時にそうだと。」
大塚は、落合コーチに広島デミオーズのエースとして活躍している某名投手の話題について尋ねる。
変幻自在のスライダーを持ち、ストレートの球速も一気に上がったという経緯が彼にはとても興味があった。
「僕は今まで、リリースまでにゆっくりと腕に力を入れて、マックスに届くという感じでしたが――――そうですか、リリースする瞬間まではゼロですか。」
ゼロから100へ。大塚も意識していたが、やはり体のどこかで力が入っていた。
「ああ。君の言う縦のフォームはその知人が言うようにまだ体の出来ていない高校生には過ぎた代物だ。ウェイトトレーニングをするのもいいが、成長期に筋肉で成長を阻害するのもな。右腕の力を抜くために、腕をだらんと下ろすことはより重要だと彼は言っていた」
さっそくブルペンで投球練習を開始する大塚。だが、彼はプレートを見て何かぼうっとしていた。
「? どうしたのかね。」
「プレートにも、マウンドにも傾斜があります。体重移動に使えないかな、と」
「??」
大塚の言うことに首をかしげる落合。
「なるべく動きをシンプルにしたいんです。フォームでタイミングを変えたりはしますけど、根っこの部分もしっかりしないといけないんです。プレートに足をかけることで、傾斜が生まれるじゃないですか。それを利用して前に出る力を利用すれば、押し出す力も増すんじゃないかって」
そうやってどんどん考えが深まり、自分の思ったことを口にし続ける。
「あと、やっぱり前足のつま先は少し斜めにした方がいいかもしれませんね」
ブルペンのマウンドで下半身の動きを試す中、膝を意識する大塚。
「一般的につま先は真っ直ぐにするべきだが?」
落合も、大塚の云いたいことが解っているが、あえて尋ねる。本当にその答えに行き着いているのかを知るために。
「真っ直ぐすると、リリースする直前ぐらい、というより体重移動の時にぐらつくんです。斜めにするとロックされるので、身体が動かなくなりますし、さらに安定感も増すかと」
球速だけではなく、制球力にも効果があるのではないかと推測する彼に、落合は
―――――助言程度でいいな。彼に関しては。
と、思うほどだった。
そして、その効果はてきめんだった。
轟音が鳴り響くブルペン。降谷ほどではないが、ボールの圧力を落合は狩場の真後ろから感じていた。
―――――これでずれがあるとか言っているんだからたまんねぇよ。
左手がひりひりして、心の中で呻く狩場。大塚のボールを逸らすことはしない彼だが、それでも彼のボールは取ることが難しい。
ストレートの制球面はまだまだ甘く、高めに浮く場面が見られた。だが、それでも帝東戦序盤のボールよりも明らかに球威が増していた。
「まだしみこんでいないけど、俺の感覚はいい感じ。どう、狩場?」
「ナイスボールだけど、コントロールが効かない分、すっごい取りにくい!! ただでさえ、コースが解っていても取りづらいんだよ!!」
狩場とそれぞれの感想を述べる大塚の姿に、いつものメンバーならば、
また大塚が何かを思いついたのか、そしてまた何かをやらかしたのか、とごく普通に感じるだろう。
慣れてしまったので、軽く流すだろう。だが、落合はそうではなかった。
「―――――――――――」
落合は言葉が出なかった。いや、心が震えた。
―――――満足という言葉を知らないのか、この男は
落合からすれば、1年生でこれだけ技に秀でた選手は見たことがない。いや、理論をここまで考えた選手はまずいない。
それこそ、一流に許された領域に足を踏み入れて良いクラスだと。
彼は中学時代に軸となる変化球を覚え、高校1年生で一気に球速が伸びた。持ち前のコントロールもよく、スタミナもある。
これだけで普通は慢心をしてしまうはずなのだ。慢心してもいいのだ。高校1年生がこれだけのモノを手に入れれば、普通はそうなる。それを矯正するのが指導者だ。
だが、まったくそんな必要がなかった。いや、特に指導をせずとも、彼は自分で考え、自分に合った方法を取り込んでいく。
―――――ここまで野球漬けというか、野球バカは――――
「どうしましたか、落合コーチ?」
言葉に詰まっていた落合に尋ねてくる大塚。なぜ自分がこんな顔をしているのかを全く理解していない顔だ。
「いや、なんでもない。とにかく、私の言った方法と君の方法。それはきっと両立できる。3回戦まで出番はないだろうし、しっくりこなければ別の方法や今のフォームを固めることに――――」
だが、そこで大塚は落合コーチの言葉を遮った。
「体が変化しているのは、自覚しています。だからこそ、今重要なのは、自分の体を掌握すること。または、自分の体を試合中にどれだけ早く掌握することか、です。怪我明けで長いイニングを投げたのは帝東戦が久しぶりです。だからこそ、あそこまで長い時間が必要になることは、もうないと思います」
的確に、自分の課題と向き合い、それを認める。
それがどんなに都合の悪い事実であっても、向き合うことをしなければ、克服できない。
理想の男に届くはずがない。
「なので、普段使っていない筋肉を使うトレーニングの量を増やさないといけないですね。本番で後悔しないように。」
バランスが狂うのなら、逆側を使って矯正する。少しでも、感覚が一致するまでの時間を短くするために。
さらに、秋季大会が終わった後、大塚の頭には試したいトレーニングが複数浮かんでもいる。
――――オフの期間がキツイという人もいるけど、いろいろ試せるのはオフの時だけなんだよね。
恐らく、青道ではできない内容ばかりだ。オフは忙しくなると悟る。
―――――いけないな、オフはレベルアップの絶好の場面だけど、今は投球に集中、集中。
大会終了後のトレーニングにも意欲を見せつつも、感情を抑え、投球に集中する大塚。
「―――――」
言葉を失う落合をしり目に、大塚は納得のいくフォームのバランスを探す。
「これからの毎日の調整で、その誤差を少しでもなくす。そして、完璧に近い状態で投げる。解っていながら手を抜くというのは、俺が一番嫌なことですから」
「―――――――そう、か。それでいいと私も思うよ。」
落合は彼の投球練習を見ている中、その残酷な事実を思い知る。
―――――沢村も降谷も、いいものを持っているだろう。
ポテンシャルなら、大塚と肩を並べるほどに。
――――だが、前を行くこの男は、立ち止まることを知らない。
過去のプロの野球選手が道半ばで気づいた技術を知ることで、さらに伸びようとしている。
過去の選手たちに敬意を払いつつ、遠回りして見つけた方法をほぼ直線で、積極的に会得していく。
伸びないわけがない。レベルが高くならないはずがない。
――――片岡監督はどう思っているのだろうか。競争を意識するチーム作りの中で、彼は突出しすぎている。
頼もしい反面、他の投手に与える影響を初めて考えるほどだった。
大塚の鬱展開は、一応3回戦終了後に決着がつきます。
3回戦は、稲実戦よりも長い話数になると思います。