孤独と共に歩む者   作:Klotho

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前話に様々な事故があった事を此処でお詫び申しあげます。

申し訳ありませんでした。


『蠱毒と鬼』

 

 

「がははははっ!」

 

「馬鹿野郎、そりゃ俺の酒だ!」

 

「おうおう、こんなにあるんだ!ケチケチすんな!」

 

 大きな笑い声が山の一角に響き渡る。普通の人間達ならば簡単に竦み上がって

しまう様な大きさでも、その()()で顔を顰める者は居ない。

 赤い肌、青い肌、一つ目、三つ目、首が無い者までもが一様に集まって酒を飲み

交わしているのだ。

 

 彼等は人間では無い。

人間の常識を糸も簡単に覆す恐るべき存在――

 

――即ち、鬼。

 

「おい、こっちにも入ってるのか?」

 

鬼の一人が酒の入った壷を持ち上げる。

 

「あぁ、それにも人間様特製の『痺れ薬』が入ってる筈だ」

 

 座って酒を飲んでいた鬼がそう答え、後ろを指差す。酒盛りをしている鬼達の

足元には、既に誰の物かも判らなくなった人骨が転がっていた。

 

「これで痺れ薬ィ?発酵してるだけかと思ったぜ」

 

 壷を持った鬼が先程まで飲んでいた瓢箪を蹴り上げる。

瓢箪はクルクルと宙に舞い、辺りに酒を撒き散らして地面へ落ちた。

 

「ケッ、こんな酒不味くて――」

 

「――止めな、酒が勿体無いだろう?」

 

 持っていた壷を地面へ叩きつけようとした鬼に静止の声が掛かる。それはこの場には

相応しく無い女性の……鬼に相応しい凛とした声だった。

 

「ゆ、勇儀……」

 

 今まで騒いでいた鬼達がシンと静まり返り、奥で胡坐を掻いて座っていた鬼を見る。

女の鬼は立ち上がらずに片腕を上げ、その手を手前に振る。

 

「ん、寄越せ」

 

「……え、これを飲む気ですか?」

 

 鬼は戸惑いながらも、手に持った樽を女へと放り投げた。それを片手で掴んだ女の

鬼は、壷の上側面に手を回し、そのまま左に捻った。

 バキリという鈍い音と共に『壷の上側だけが回転』して、壷の封が切られる。

女の鬼は壷に顔を近付け、色を見て、匂いを嗅いで、そして口に流し込んだ。

 

「……うん、美味い」

 

 そう言ってニヤリと笑った女の鬼に周囲の鬼達が歓声をあげた。

男の鬼が不味いと言ったのは本心で、実際に痺れ薬は酒の味を悪くしていた。

 ……それをこの女の鬼は美味いと言って飲んだのだ。

それだけで彼女がこの集団の中でどれ程の器量の持ち主なのか見て取れる。

 

「別に冗談で言った訳じゃないさ……なぁ『萃香』?」

 

 女は自身の手にあった杯に壷から酒を入れて後ろへ差し出す。何も居なかった筈の

空間に差し出した杯は、同じく何も無かった筈の空間から伸びた手に奪われる。

 その手の持ち主は虚空から姿を現し、女から奪った杯の酒を一気に煽った。

 

「……うへぇ、毒が入ってて美味い」

 

 萃香と呼ばれた鬼は、顔を顰めながら嬉しそうにそう言った。

その顔を見た女の鬼が笑い、釣られて周囲の鬼達も一斉に笑い出す。

 

「……普通頭領の顔を見て笑うか?」

 

「普通の頭領だったら考えたんだけどねぇ……萃香じゃ無理だ」

 

「言いやがったな、この野郎!」

 

 萃香が未だ笑っている勇儀に掴み掛かり、そのまま取っ組み合いになる。周囲に居た

鬼達は止めず、寧ろ彼女達の喧嘩を囃し立てた。

 

 

「今日こそどっちが強いかハッキリさせようじゃないか!」

 

「上等、またこの間みたいに暫く動けなくさせてやるっ!」

 

 

 

 

「……戦ってるな」

 

「……」

 

 鬼達が宴会をしている場所から凡そ半町(百メートル)にある茂み。その中から

顔を覗かせて鬼達の様子を窺い、妹紅は小さく囁いた。勿論私は顔を出さずに、鼠

を遣わせて様子を見ている。

 

「あのまま片方死んだりとか……ないかな」

 

「ない。二人の会話からして日常茶飯事」

 

私には聞こえないんだけど、と拗ねる妹紅の頭を茂みの中に引き戻す。

 

「もう少し接近するよ、力抑えて」

 

「――おっけぃ……行けるよ」

 

 私は姿を蛇へと変え、文字通り地面を這う様にして鬼達の方へと近付く。

妹紅は私の通った近くの茂みを、鬼達の居る側を通らない様にして移っている。

鬼達との距離は、既に十間(二十メートル)にまで近付いていた。

 

「……」

 

 私は人型に戻り、隣で息を潜める妹紅を見る。彼女の実力ではこれ以上気配を

抑えて接近する事は不可能だろう。それに此処から先は隠れる場所が無い。

 私は無言で依頼書を取り出し、酒呑童子の字を指差してから手を垂直に下げた。

 

『酒呑童子は、あの小さい方』

 

「……」

 

妹紅は小さく頷き、懐の符を確認してから此方を見る。

 

『了解、それでどう奇襲を掛けるのさ?』

 

 私は未だ宴会を監視させている鼠から情報を貰い、酒呑童子ともう一人の鬼が

まだ戦っているのを確認する。周囲を巻き込んだかなりの乱闘だ。

 隣の妹紅に手を絡み合わせ、片方を地面に落とす仕草を見せる。

 

『先にあの戦いで疲弊させよう――』

 

 ――不意に、私達の真上に影が差した。

今宵は月灯りで明るく、雲一つ無い美しい夜空だった。

 

……つまり

 

「っ!」

 

「どわぁぁぁぁっ!?」

 

 

 

「……さて、珍しい人間と妖怪のお客さん。何の用で来たんだい?」

 

 私は出来る限り明るく、そして優しく質問する。

周囲には仲間の鬼達が居るし、この二人も喋り難いだろうと思っての配慮だ。

 目の前には、先程巻き込んだ鬼の一人が飛んでいった場所に居た者達。

 

「……」

 

 一人は白く長い髪の、瞳の赤い変な人間。不思議な模様の髪飾りと、それと

似た様な色と模様のもんぺを穿いている。

忙しなく周囲に目線を遣っている所を見るに、鬼を見るのは初めてか。

 

「……」

 

 そしてもう一人は、先の女よりも小さな妖怪の少女だった。黒に様々

な動物が描かれた服、頭には確か……何かの花の髪飾りを付けている。

此方は女とは違って、静かに私達を見回していた。

 

「もしかして、宴会に参加しに来たのかい?」

 

 後ろで黙っていた勇儀が、弄る物を見つけた猫の様な笑みを浮かべる。勿論

勇儀も本気でそう思って聞いた訳では無いのだろう。試しているのだ、この二人を。

 白い髪の女の方が何か言おうとして、先に妖怪の少女が前に出た事で押し黙る。

 

「酒呑童子を、退治しにきた」

 

――見た目相応の、子供の様な声で少女はそう言い放った。

 

 周囲の空気が固まり、私も、勇儀も、周りの鬼達も、少女の隣に居た女も固まる。

それも当然、今この妖怪は鬼を前にして、鬼に囲まれて、私を退治すると宣言したのだ。

私は周囲の鬼に視線を送り、最後に勇儀を見て――

 

――鬼達は大笑いした。

 

「あっはっは!私達の目の前でそれを言う奴がまだいるなんてねぇ!」

 

勇儀が立ち上がり、ズカズカと二人の方へと歩いて行く。

 

「その意気込みは良し!さっきの奴等よりも楽しめそうだ!」

 

 私よりも遥かに身長の高い勇儀が二人の前に立つ……畜生。

女の方が息を呑んで勇儀を見上げ、少女の方は数歩下がって勇儀の顔を見た。

 

「……それで、お前さん達は何を持って来たんだい?

毒を盛った酒か?味方でも潜んでいるのか?短刀を仕込んでいるとか?」

 

 勇儀が突き刺すかの様に二人へ視線を送る。女の方が何か答えると思った

が、意外にも答えたのは妖怪の少女の方だった。

 

「貴女達が飲む最後の酒はあれで充分」

 

 少女は人間が用意していた毒入りの酒を指差す。

周囲の鬼達が殺気立つのを感じているだろう少女は、それを無視して続けた。

 

「貴女達と戦う味方は一人で充分」

 

 少女は右手を後ろへ向け、立っていた白髪の女を指差す。

勇儀がニンマリと笑って少女の前にしゃがみ込み、少女の顔を見つめる。

 

「それで、どうやって殺すんだい?」

 

「貴女達を殺す毒塗りの短刀が、私」

 

 振るうのはあの子、と少女は再び後ろの女を指差した。

鬼の目の前で、鬼の目を見て、『力の勇儀』の眼前で少女は私達に宣戦布告をした。

 

「……良いね、気に入ったよお前さん」

 

 周囲の鬼は笑うのを止め、私は立ち上がった。勇儀が私の後ろに下がって

私が彼女達と向き合う形になる。二人は既に此方を睨む勢いで見つめていた。

 

「良いよ、お前達の挑戦を受けようか。

……その代わり、負けたらこうなる事を覚悟しなよ」

 

 私は足元に散らばった骨の欠片を踏み砕いた。

当然ながら、既に覚悟を決めた彼女達は悲鳴すら上げなかった。

 

「……最初はお前達を試してからだ」

 

私が合図を出すと、酒を飲んでいた鬼の内一人が立ち上がる。

 

妖怪の少女が女に何かを言い、女が一歩前へと進み出た。

 

そして、向き合う。

 

「お頭ぁ!容赦はしなくて良いんだな!?」

 

「おう、好きに痛めつけて食っちまえ」

 

両の手を鳴らして鬼が鼻息を鳴らす。

 

 

「ひより!容赦しなくて良いんだよね!?」

 

「別にしても良いよ、妹紅が食べられるだけ」

 

「……全力でやるよ」

 

可笑しな遣り取りの後、女が符を取り出して構える。

 

 

「それでは――始めっ!」

 

 

鬼退治が始まった。

 

 

「ウオオオオォォっ!」

 

私は、先程まで女の鬼と会話をしていた時のひよりを思い出していた。

 

「……」

 

 突っ込んでくる鬼の頭を押さえ、軸にしてそのまま後ろへと回る。

鬼が此方へ向き直る時には、私の意識は再び先の言葉の方へと向かってしまう。

 

『貴女達を殺す毒塗りの短刀が、私』

 

 ひよりは、自身の意志で鬼を殺すつもりは無い……そう言ったのだ。

つまり此処で私がこの鬼に勝てば、私が自身の意志で短刀を振るった事になる。

 

「手前ぇ!反撃位したらどうだ!」

 

 鬼が再び腕を振りかぶって突っ込んでくる。 

……もし此処で私が負ければ、短刀は振るわれず合格になる事も無い。

 

「……まぁ、でも――」

 

――何時までも、世話になる訳にもいかないか。

 

私は向かってくる鬼の右手に、自身の右手を思い切りぶつけた。

 

 

 

 

 酒呑童子が開始を宣言した後、私は先の女性と酒呑童子の近くに座っていた。

今は丁度目の前で、鬼の放った拳と妹紅の伸ばした腕が正面から衝突した所だ。

 

「……馬鹿」

 

「うん、あれは潰れたね」

 

 私と酒呑童子の呟きと同時に、何かが潰れる様な音が響く。先程衝突した

二人の拳の内、妹紅の拳が腕ごとグシャグシャになったみたいだ。

 

「鬼と力勝負なんかするもんじゃないさ……勝負ありかな?」

 

 女の鬼がそう呟き、隣に座っていた酒呑童子にそう言う。

一瞬立ち上がり掛けた酒呑童子を私が手で制し、妹紅を鬼を指差した。

 

「……鬼が諦めるまで、試合は続くよ」

 

「そりゃ一体どういう――」

 

 女の鬼が何かを言おうとして息を呑む。隣に居た酒呑童子も、妹紅を

見つめて小さく「なんだい……ありゃぁ」と呟いた。

 

目の前には、全身を炎で包まれる妹紅の姿。

 

 

 

 

『弱い妖怪への対処法は面で充分』

 

『ふんふん、面ね……』

 

『勿論相手の強さによって調節は必要。

出来る限り範囲を広くして、必ず当てる様に攻撃すること』

 

『……じゃあ、強い奴はどうするのさ?』

 

『真逆、強い妖怪への対処法は点が一番。

相手の防御で防ぎきれない一撃を重ねていくのが大事』

 

『面と点か……』

 

『妖力と霊力の調節練習をしておいて』

 

『えー、めんどくさ……』

 

 

 

 

「うわ……受け止めただけでこれか……」

 

 私は原型を留めていない自身の左腕を見てそう呟く。鬼の一撃に対抗しようと

して繰り出した私の拳は、衝突した途端にもうなんかグシャグシャになってしまった。

 まぁ、それも既に『治った』んだけども……。

 

「変な術を使う小娘だ」

 

対峙していた鬼がそんな事を言う……叫ぶ以外に出来たのか。

 

「術じゃないよ、体質」

 

 私はそう言って懐から符を取り出す。先程の攻防で真正面から戦って勝てる相手

ではない事は分かった。あの鬼の弱点を『点』で攻撃しなくては勝てないのだ。

 符に霊力を込め、足に()()を込めて鬼の動きを観察する。

 

「そらっ、次行くぞっ!!」

 

 私がやる気になったのを感じ取ったのか、鬼も今度は慎重に接近してくる。

歩幅、歩く速さ、振りかぶった腕の方向から避けるべき道を探す――

 

――右!

 

「よっ、ってうわぁ!?」

 

 右に避け、反転して反撃しようとした時には既に鬼が攻撃していた。失念して

いたが相手も当然追撃しようとしてくるのだ。唯避ければ良いだけでは、無い。

 

……今迄の妖怪退治が遊びに見えてきた。

 

 足も速く、体が大きい。更に攻撃を胴体に食らえば、一撃で瀕死になってしまう。

勿論死ぬ事は無いが、相手が攻撃を止めない限り二度と起き上がれないだろう。

 

「……こんな依頼受けるんじゃなかった」

 

そう小さく呟いて、私は鬼と真正面から対峙した。

 

 

 

 

「お、娘の方がやる気になったみたいだね」

 

女の鬼が嬉しそうにそう言った。

 

「娘じゃない、弟子」

 

 私は即座に訂正して、隣に座る酒呑童子の様子を窺う。鬼は卑怯な真似が嫌い

な種族だ。妹紅が絶対に死なないと分かったら、怒り出して乱闘になる事を懸念

しての視線だったのだが……。

 

「……」

 

酒呑童子は、昂っていた

 

「どう?妹紅は?」

 

「……妹紅って言うのか、あの娘」

 

酒呑童子が噛み締める様にそう呟く。

 

「そう、ちょっと再生力の強い人間」

 

「……良い人間だ、私が断言するよ。

再生力程度じゃ気にならない位に、アイツは良い人間だ」

 

酒呑童子は楽しそうに笑った。鬼らしい、獰猛な笑みだった。

 

「だから、きっとお前も強いんだろう?

そう信じて先に私から名乗るよ、酒呑童子『伊吹萃香』だ」

 

酒呑童子――伊吹萃香は、品定めする様に私を見て言った。

 

「そういや名前言ってなかったね。『星熊勇儀』だよ」

 

女の鬼――星熊勇儀は、妹紅と鬼の戦いを眺めながらそう名乗った。

 

「……ひより」

 

「ひよりね。分かった、覚えておくよ」

 

 そう言って、伊吹萃香も目の前の戦いを見る事に戻った。二人の戦い

は確かに白熱しているが、私は監視用の鼠と遊ぶ事に専念した。

 

 まぁ、妹紅なら負けないだろう。

彼女にはこの三百年間、生きる術と戦う術を叩き込んだのだから。

 

 

 

 

 鬼と戦い始めてから既に十五分が経過し、鬼は兎も角私の息が上がり始めて

いた。もう何撃食らったかも分からず、何撃当てたかも覚えていない。

 

「ったく、本当に厄介な相手ね」

 

「俺で苦戦してるようじゃぁあの二人には勝てねぇなぁ!」

 

 私の傷は回復するが、鬼の体の傷は回復していない。

血を流し、焼け焦げている部分が何箇所かあるのが窺える。

それでも、鬼は私に向かって再び腕を振り上げる。

 

「……ふっ!」

 

鬼の腕を擦り抜ける様に避け、鬼の懐へと入る。

 

「かぁっ!」

 

拳の攻撃から蹴りの攻撃へと鬼が切り替え――

 

――その軸足に、地面を這う様にして放った蹴りを当てる。

 

「おぉ!?」

 

 流石の鬼でも妖力を集中させた蹴りは効いたらしくバランスを崩す。

私は即座に立ち上がり、体勢を整えようとしている鬼の腹に一撃を叩き込んだ。

 

「おらぁっ!」

 

「なんの、まだまだヌルイわっ!」

 

 私の一撃を腹に受けながらも鬼は平然と立ち上がった。

再び身構える鬼を見て舌打ちしながらも、私は先の攻防で勝機を見出していた。

 

あと一撃、同じ場所に当てる事が出来れば……。

 

「シッ!」

 

 初めて、私から鬼の方へと接近していく。

それに対して鬼は、腕では無く足を振り上げて応戦する。

 

「今更そんな攻撃が効くか!」

 

 鬼が足を地面に叩きつける瞬間に私は軽く跳ねた。衝撃は空しく地を

伝わり、周囲の鬼達の杯の酒を零すだけに終わった。

 

「ならばこれはどうだ!」

 

鬼が始めて両腕を振り上げ、両側から私の命を狙う。

 

……上か、下か――

 

「――上っ!」

 

 私は鬼の両腕から逃れる様に上へと飛躍する。鬼が私の動きを完全に目で

追っているのを確認して、私は次の攻撃に空中で備える。

 

「――ぬんっ!」

 

 組み合わされた両腕が上へ持ち上がり、私へと接近する。私は接近する腕

を両手で一瞬だけ掴み、その力を使って回転する様に地面へ着地した。

 

鬼は、真後ろに――

 

「……」

 

 後ろを見なくても、地面を振るわせる振動だけで理解出来る。私が後ろ向き

に着地したのを見て、鬼が頭突きを敢行したのだ。あの角で私を貫く為に。

 足音が大きくなり、私の体が小刻みに揺れ始めた瞬間――

 

私は後ろを振り向き――

 

――膝を折り曲げた状態で、上を向いた。

 

「――」

 

頭上を、驚愕の表情をした鬼が通り過ぎていき――

 

――曝されるのは、先程から攻撃を繰り返した腹。

 

「おらあぁぁぁっ!!」

 

 そこに私は、自身の全力を込めた拳を突き出した。

炎を纏った拳は、吸い込まれる様に鬼の腹へと近付いていき……

 

「グッ、がぁぁぁぁっ!?」

 

腹に穴を開け、臓物を焼いた。

 

 倒れ込んでくる鬼の股下を潜り抜け、即座に後ろを向いて身構える。

まだ生きているであろう鬼は、倒れたまま反撃する事は無かった。

 

「……そこまでっ!勝者、藤原妹紅!!」

 

 

萃香が大きな声でそう宣言し、鬼達の間で大歓声があがった。

 

 

 

 肩で大きく息をして俯いている妹紅。周囲の歓声の煩ささえ、今の彼女の耳に

は入っていない事だろう。それでも、私は妹紅へと声を掛けた。

 

「お疲れ」

 

反応しないと思った妹紅は、意外にも私の言葉に顔を上げた。

 

「ちょ……もう、無理」

 

「単に体力が切れただけでしょ」

 

 蓬莱人である妹紅は、魂を基準とした不老不死を保っている。つまり一度再生

した部分は、妹紅が蓬莱の薬を飲んだ時の状態にまで戻ってしまうのだ。

 幾ら体力を付けても、幾ら筋肉をつけようとも死ねば戻ってしまう。

だから私は妹紅に妖術や符術、体力を無駄に使わない体術について教えた。

 

……都で盗み聞きしたり、盗み見た物ばかりだが。

 

「……今回は死ねなかったから」

 

「永遠に殺され続けてたかもね」

 

やめてよ、とその場面を想像したらしい妹紅が嫌そうな顔をした。

 

「妹紅って言ったね!先の戦い、見事だったよ!」

 

 そう叫んで駆け寄ってくる星熊。

私は妹紅と星熊が話すのを見て、静かにその場を離れた。

 

「いやぁ、久し振りに見る良い戦いだった!」

 

星熊がスッと手を差し出し、妹紅に握手を求める。

 

「……まぁ、ありがとう」

 

妹紅も満更では無い様に手を握り返した。

 

「次は私が戦ってみたいねぇ……」

 

 その一言で、周囲の鬼達から大罵声が上がり始める。妹紅と星熊の様子を

見守っていた鬼達は、星熊の一言を聞いて我先にと立ち上がり始める。

 

「ずるいぜ姐さん!俺だってそいつと戦いてぇ!」

 

「そうだそうだ!喧嘩に関しちゃ上下は関係ねぇや!」

 

 

「――落ち着きなよ、お前等」

 

 遂に鬼達の殆どが立ち上がりかけた時、伊吹が静かにそういった。大して

大声でも無かったその一言は、まるで水に水滴を落とすかの様に静かに広がった。

 

「今、こいつ等は私を退治しに来てるんだ」

 

伊吹は続ける。

 

「私は、この妹紅って奴と戦わなきゃならない」

 

伊吹萃香は続ける。

 

「お前達は、短刀の威力を確かめてくれ」

 

 伊吹萃香が、私の方を見た。

異論を挟む者は一切居なかった。誰もが伊吹の指名を待っている。

 

「お前が本当に私達を殺し得る武器なのか……それを確かめさせて貰うよ」

 

伊吹が立ち上がった鬼達を見渡し、やがて一人の鬼に当たりを付けた。

 

「よし、お前が戦ってやれ」

 

「よっしゃぁ!感謝しますよ頭領ぅ!」

 

「うるせい、こんな時だけ畏まるな!」

 

妹紅の時よりも、更に一回り大きい大柄な鬼がひよりの前に立つ。

 

「ひより!」

 

「……何?」

 

妹紅が私の所へ近付き、耳に顔を寄せる。

 

「その……何だ、殺すなよ?」

 

 妹紅はチラリと後ろを見ながらそう言った。妹紅の視線の先には、先程腹を

貫かれ、現在治療を受けている鬼の姿があった。

 

「甘いね」

 

「う……」

 

「ま、殺す気は無いよ」

 

私も小さく妹紅へと返し、正面の鬼を見る。

 

「さて、準備は良いかい?」

 

伊吹がそう言って私と向こうにいる鬼を見た。

 

「当たり前よ!」

 

「……」

 

鬼が叫び、私は頷いた。

 

 

「それでは――始めっ!!」

 

 

 

 ひよりと呼ばれた少女に何かを言った女――妹紅の腕を引いて私は萃香との

間に妹紅を座らせた。妹紅は一瞬体を強張らせたが、溜息を吐いて肩の力を抜いた。

 

「で、あの萃香と同じ位小っちゃい奴は強いのかい?」

 

私は隣に座っている妹紅にそう聞いた。

 

「小さいは余計だ!……で、どうなのさ?」

 

 萃香は先に身長について反応し、やはり同じ様に聞いた。やはり萃香も感じとって

いるのだろう。あの少女が放つ『強者の匂い』を。

 

「……」

 

妹紅は暫く悩み、やがてこう切り出した。

 

「私は、三百年位ひよりの元で稽古をつけて貰ってたのよ。

生きる為の知識から、戦う時の戦術、攻撃方法……その他色々ね」

 

「ふぅん、じゃあ師匠って事か」

 

 萃香がそう呟いてひよりの方を見る。

鬼もひよりもお互いの様子見の為に一歩も動いていない。

 

「うん、まぁそんな感じかな。

……それで、二百年前位から組手を始めたんだけど……」

 

 妹紅はそこで小さく言い淀む。何か言い難い事でもあったのだろうか?

そう思って静かに妹紅の言葉を待っていた私達に、遂に妹紅がこう言い放った。

 

「七万と二千九百……それと九十八」

 

「……?何の数字だい?」

 

「二百年前から一日一回行った稽古の――『負けた回数』だ」

 

「……」

 

「……へぇ」

 

 一回は引き分け、一回は私が勝ったんだけどね。と妹紅は言った。

もしそれが本当ならば、今あの鬼と対峙しているひよりという妖怪は――

 

「……アイツじゃ荷が重かったかな」

 

 私の心境を萃香が代わりに代弁した。

その直後、今迄動かなかった鬼が動き出すのを私達は捉えた。

 

鬼がひよりへと走りだそうとして片足を上げた。

 

その瞬間――

 

鬼の足元には既にひよりが到着していた。

 

「……っ!」

 

「うわっとと……」

 

 遅れて広がる、妖力の開放による強風。

先程まで小妖怪程度だった妖力は、膨大で禍々しい妖力へと変化していた。

 

「――」

 

 走る為に出した足は、地面に着けるしかない。 

鬼が急いで地面を踏もうとした時には、ひよりは鬼の懐に居た。

 

「……」

 

 ひよりの背中から出た蛇が鬼の腹に噛み付く。本来なら蛇の牙程度など

通さない鬼の肌は、蛇の牙の侵入を容易く許した。

 

「――」

 

 足を出したまま、鬼は静かに地面へと崩れ落ちる。

言葉を喋る事も無く、受身を取る事も無く……そのまま起き上がらない。

 

僅か、二秒の出来事だった。

 

 

 

 

 私は、唯地面へと倒れていく鬼の姿をしっかりと目で追っていた。あの

少女が出した蛇に噛みつかれた後、一度も体を動かす事無くアイツは倒れた。

 

それは、つまり――

 

「別に死んでない、麻痺毒」

 

 再び妖力の小さくなった少女が、気怠そうにそう言った。

そのまま此方へと近付いて来て、先ず最初に妹紅という女と目を合わせ――

 

――次に私と、目が合った。

 

毒を使った事に、躊躇をしていない目だった。

 

「……お前」

 

 私は、彼女に何を言うつもりだったのだろうか?「毒を使うなんて卑怯だ」

「正々堂々と戦え」……そんな、馬鹿な話があるか。

 

『貴女達を殺す毒塗りの短刀が、私』

 

 このひよりという少女は、ちゃんと私達に向けてそう言ったのだ。

鬼の目の前で、鬼を殺す為の短刀に毒が塗ってある事を、コイツは宣言していた。

 

それは、なんて……なんて――

 

――正々堂々とした、勝負なのだろうか。

 

 失念していたのは此方の方だ。勇儀が確認した時も彼女は毒を使わないなんて

一言も言っていなかったではないか。だから少女は使った――それだけだ。

 

「……やっぱり、お前も最高だねぇ」

 

 人が集団で勝負を挑む事はあった。妖怪が集団で勝負を挑む事もあった。

……だが、人と妖が二人だけで勝負を挑んで来たのは生まれて初めての経験だ。

 

しかもそれが特上の相手ときた。

 

「畜生……どっち共戦いてぇ……」

 

 私の中の高揚感は留まる所を知らなかった。何なら今すぐ隣にいる妹紅を

殴り飛ばして、そのまま乱闘でもしたい様な気分だった。

 

「萃香、アンタは白髪の方をやりな」

 

 そんな私を冷静にさせたのは、妹紅の隣に座っていた勇儀だった。

勇儀は『杯を置いて』立ち上がり、私とひよりの間を遮る様に仁王立ちした。

 

「お前は萃香に挑戦する為の試練に勝った者だ」

 

「……」

 

「だが頼む、どうか私と勝負をしてくれ。

もうお前達に勝てる鬼は、私と萃香位しかいないだろう」

 

 勇儀がそう言うと、周囲の鬼達はグッと押し黙った。

彼等とて理解しているのだ、ひよりという少女が私達と同じ格の妖怪という事を。

 

「お願いだ」

 

 遂に勇儀が、妖怪の少女に向かって頭を下げた。力の勇儀が、私と肩を

並べる強さを持った鬼が……一人の少女に頭を下げたのだ。

 

 その覚悟は、計り知れない。

ひよりとの戦いへの渇望の強さも――

 

「……」

 

頭を下げた勇儀を見て、少女は一度だけ此方に居た妹紅を見る。

 

二人の視線が、一瞬だけ交錯した。

 

「……良いよ、私は貴方と戦う」

 

勇儀が静かに顔を上げ、そして右手を差し出した。

 

「鬼の星熊勇儀だ。覚えてくれると嬉しいね」

 

「……『蟲毒』のひより。覚えなくても良いよ」

 

 お互いが握手を交わし、そしてどちらとも無く離れる。

あの二人は既に戦闘に入る気満々の様だ。私は隣に居る妹紅を見た。

 

「……どうする?私達も始めちゃう?」

 

「あー、もう少し休みたいかも」

 

 正直な妹紅に私は苦笑し、立ち上がって勇儀達の間に入る。

周囲の鬼達は囃し立てず、静かに二人の戦いを見守ろうとしていた。

 

「……さて、勇儀もひよりも準備は良いね?」

 

「あぁ」

 

「……うん」

 

 

私は一歩下がり、そして大声で宣言した。

 

「それでは――始めっ!!」

 

 

鬼退治では無い激闘が、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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