◇
「輝夜様、大変で御座います!
この都に妖怪が侵入してきましたぞ!それも二匹!」
騒がしい足音と共に見張りの男が現れた。
どうやら都の中に妖怪達が攻め込んで来たらしい。
「落ち着いて下さい……それで、その妖怪達は何処に?」
「現在、妖怪達を二手に分断させて追撃中です。
片方は都の外の方へ行ったのですが、もう片方が……」
途端に言い淀む見張り。
別にそこで躊躇う必要なんかないだろうに。
「成程、此方へ来ている……という訳ですね」
「そっ、その通りで御座います!
姫様はこの部屋から極力出ない様にして頂きたい次第で……」
「分かりました、私は此処に居ます」
宜しくお願いします、と言って部屋を出て行く男。
私は足音が聞こえなくなるまで立ち、やがて畳へと寝転がった。
「妖怪が入り込んでるんだってさ、聞いた?」
「聞こえてる」
声が聞こえて来たのは私の頭上。
私が顔を上げると、そこに居たのは小さな鼠。
「あら、さっきは鳥じゃなかった?」
「鳥より鼠の方が自然でしょう?」
「此処が私の部屋じゃなければね」
この絢爛豪華な部屋に鼠は合わない。
せめて馬や猫なんかだったら……やはり合わないか。
「それで、鼠さんはどうして此処に来たの?」
「噂に名高い輝夜姫の見物を少し」
「……で、本人と会った感想は?」
「まるで猫みたい」
遠まわしに猫かぶりと言っているのだろう。
私は鼠を引っ掴んで庭へと放り投げる。見事に着地した。
「危ない」
「乙女に猫かぶりとか言った罰よ」
「乙女は鼠を投げ飛ばさない」
キッと睨み付けてやると大人しくなる。
私は座布団を一つ出し、鼠に座る様に勧めた。
「……鼠に席を勧めるのは初めてね」
「初めてじゃなかったら軽蔑してる」
また投げてやろうとして思い留まる。
先ずはこの愉快な鼠が此処へ来た経緯を聞くのが先だろう。
「さて、じゃあ都に来た所から話して頂戴」
「話す前提なの?」
「私は外の連中に突き出しても良いのよ?
今は遠征から帰って来た腕利きの陰陽師連中もいる事だし」
ねぇ?と隣に座っている鼠へ笑いかける。
鼠は暫く思案したようだが、やがて渋々と語り出す。
「都に来たのは半刻程前――」
◇
私とぬえはこの間と同じ様に結界を通り抜けて都へと侵入する。
この間来た時と全く同じ景色の中、私は嫌な予感を胸に抱いていた。
何だろう、この感じ……
「ひより?どうかしたの?」
「……何でも無い」
私は不安を押し切る様に首を振った。
ぬえが何も言わないのなら多分大丈夫なのだろう。
「……それで、どうするの?」
「前回の商人の時と同じ戦法で行くよ。
私とひよりが同じ格好をして、別々の場所で行動……どう?」
「分かった、時間は?」
ぬえが空を見上げ、現在の時刻を測る。
……今は大体戌終刻(二十一時)といった所だろうか。
「えーと、亥正刻(二十二時)にしようか。
集合場所は此処か私達の拠点……多分此処で落ち合うだろうけど」
「分かった、亥正刻に此処に集合ね」
ぬえが都の端の方へと向かって行く。
恐らく端から中央へ追い詰めるつもりなのだろう、なら私は――
「――ぬえの反対方向」
翼を出して空へと飛翔する。
都の端へ向かう間も、私の胸の不安は治まらなかった。
「で、出たぁぁぁッ!化け物だぁぁぁぁっ!」
「グルル……」
私は出会った都の人間達に次々と能力を使っていく。
こいつ等程度なら正体を統一しなくてもバレる事なんて無い。
「グォォォッ!」
「ひぃぃぃっ!?」
鳴き声を響かせ、人間達を都の中央へと追い詰めて行く。
中には陰陽師達も混じって逃げているようだ、それもかなり必死に。
これなら、私の計画通りに……
私は都の中央を通り越して反対側を見る。
私の予想が正しければ、ひよりは向こうから来る筈だ。
さて、じゃあもう一仕事――
「――っ!?」
私は能力の使用を止めないまま急上昇した。
その数秒後に私が居た場所を、『霊力』を纏った紙……符が通り過ぎる。
「っまさか……」
私は符が飛んできた方向を見下ろす。
そこには、私の姿を見ても驚かない人間達が数人――
「――陰陽師っ!?」
私がそう言うが早いか、陰陽師達から霊力が発せられる。
それは、私がひよりと都に来た時には一切感じられなかった程の……
こいつ等、都の中なのに霊力を隠してたのかっ!
想定外の出来事に私は内心舌打ちする。
恐らくあの結界は弾く類の物では無く、感知する為だけの結界なのだ。
油断して入って来た妖怪を、唯仕留めるだけで良い。
丁度、今の私とひよりの様な妖怪を――。
「でも、今更退く訳にも行かないんだよ!」
私は正体不明のまま都の中心へと向かう。
目の前には陰陽師達の放った大量の霊符が迫っている。
「問題は、ひよりね」
私は必要最低限の霊符を槍で弾いて小さく呟いた。
私が端へ着いた時、既に反対の方角から悲鳴が聞こえていた。
私は家々の間に降り立ち、そこで姿を変えてから人々の真後ろへと立つ。
「おい、向こうのあれは何の騒ぎだ?」
目の前では二人の『人間』が話している。
「さぁ、確か妖怪がなんとかっ……」
その内の一人が、私の姿を捉えた。
目を見開き、口を開けたまま人間は固まる。
「おい、どうしたんだ?」
「あ……あ……」
一人が震える腕で私を指差す。
「一体何だって……」
もう一人の人間が振り向き、私と目が合った。
人間は一度目を擦ってから、大きな声で叫びながら逃げて行った。
「よっ、妖怪だぁっ!!」
「ま、待ってくれ!置いてくなぁっ!!」
彼等の声を聞きつけて、家からも人間達が出てくる。
そいつ等も、私の姿を見ては一目散に都の中央へと逃げて行った。
私は、元は彼等と同じ人間だった筈だ。
なのに、今はこうして彼等に避けられ恐れられている。
……特に、何も感じなかった。
「……」
ただただ無言で足を進める。
人々が逃げ、悲鳴が上がり、誰かが転んで怪我をする。
それを見ても、私は何も感じなかったのだ。
「今の私は、
都で生きて、蟲毒の材料にされて、妖怪になった。
私が妖怪になった事は、陰陽師の青年が保証してくれた。
「昔の私は、人間
都で生まれたかも分からず、親も分からない。
私が人間だった事は、誰にも保証出来ないし断言も出来ない。
分かっているのは、私が妖怪という事だけ――
「――がっ!?」
私の頭に何処からか飛んできた何かが直撃した。
思わずよろめき、唸り声を上げながら飛んできた方向を見る。
「居たぞ、あれが化け物だ」
其処に居たのは十を超える人間達。
彼等が手に持っている紙から私が感じた嫌な気配が漂っている。
あれは、不味い。
私は、一瞬どうしようかと迷う。
大分人間を中央に追い込んだし、此処で無理をする必要は無い。
だが、あの人間達を連れたままぬえに会うのも得策では無い……。
「……」
「逃げたぞ、追え!」
私は無言のまま空へと飛翔する。
私の勘が、今の私では彼等に勝てない事を警告していた。
「早く、この事をぬえにっ……」
未だに先程の紙が直撃した頭が痛む。
私は空を駆け、ぬえの居る都の反対側を目指した。
「――こんな感じ」
話を終えた私が立ち上がろうとすると、女が私を押さえつけた。
「待ちなさい、色々欠けているでしょ」
「何処が」
「鼠さんはその子の所へ向かったんでしょう?
なら、何故今『その子』は此処に居ないのかしら?」
もしかして隠れてるのかしら、と周囲を見渡す女。
……この女に嘘を言う事は余り得策では無い……仕方ないか。
「……続き、まだある」
「なんだ、あるんじゃない。早く話して頂戴」
再び座り直し、目を輝かせる女。
私は溜息を吐いてから、話の続きを話し始めた。
◇
「くそっ、油断した……っ!」
私は都の上空を飛んで逃げていた。
目下には、都の中心へと避難した人間達が集まっている。
「……『アイツ』が居たら、流石に危ないか」
私は左肩を押さえていた腕を解く。
肩から血が流れる……あの陰陽師にやられた傷だ。
「……ひよりが来るまで待機ね」
私は服の裾を破いて肩の傷を縛った。
霊力の傷には大して効果は無いが、気休めにはなるだろう……
ぬえと陰陽師達の戦いは拮抗していた。
陰陽師達は霊符を撃ち続け、ぬえはそれを弾き続ける。
そんな戦いが十分……狼狽え始めたのは陰陽師達の方だった。
「おい、全然効かないぞ!」
「クソ、どうなってんだアイツは!」
彼等には、ぬえは未だに正体不明の怪物として映っている。
霊符がすり抜け、時に弾かれていく様子を見ていて不安になったのだろう。
「恐怖が出てくれば、後はこっちのもの!」
ぬえは、自身の能力を最大限に使用する。
彼等に更に恐ろしい正体不明の怪物を見せる為に……。
「う、うわぁ!」
一人が尻餅をついて後退さった……ぬえを恐れたのだ。
一人、また一人と撤退していくのを眺めながらぬえは前へと進んだ。
――恐怖は、伝播した。
既に私を止められる者は居ないだろう。
……もし、この時私が油断をしなければ、きっと――
「――がっ!?」
私の肩に霊気を纏った短刀が突き刺さる。
私はそのままバランスを崩し、地面へと落下した。
「ちくしょう……誰が……」
「俺だ」
目の前に若い陰陽師が現れる……かなりの実力者だ。
私は目の前の男を睨みながらも、好奇心に負けて一つ質問をした。
「……どうして、分かったのさ?」
「何、奴等が口々に『別々の事』を言ってたからな。
俺が見ているお前も、恐らく仮初の姿だと踏んだだけさ」
男には誇った様子も無かった……隙が、無い。
「……ちっ」
私は諦めた
恐らく、私の実力ではこいつを倒す事は出来ないだろう。
だから、油断した所で逃走を図る。
初めて見破られた屈辱より、生き残る事を優先する。
私はまだ此処で死ぬ訳にはいかないのだ……ひよりの為にも。
「うーん、しかし
俺はてっきり
どうやら男は私を誰かと勘違いしてたらしい。
……どちらにせよ、今考え込んでいるこの時がチャンスか――
「――っ!!」
「おっと!」
私は体を跳ね上がらせ、高速で飛翔する。
男は私を迎撃せず、その場から少し離れた所で私を見上げた。
「都から出る事をお勧めするぞ」
「……随分と甘い陰陽師ね?
でも、そんな提案を受け入れるつもりは無い」
私は高度を上げ、陰陽師の攻撃の届かない位置まで避難する。
此処まで来れば人間では攻撃する事は愚か、見つけるのも困難だろう。
「っつぅ……」
肩に痛みが走り、思わず手を当てた……血が出ている。
この程度なら問題無いけど、これ以上食らうと流石に危ないか……。
私は肩を押さえながら飛翔を開始する。
行き先は、この都の中心……人間達が避難している場所だ。
「……あいつ等は、ひよりを見捨てた――」
他の人間たちは恐らく疎まれている事に気付いていた。
だが、誰もひよりを助けようとしなかったし、居なくなっても気にしなかった。
あの子は、人間に生まれるべきでは無かったのだ。
「――思い知らせてやる」
人間達に、恐怖による復讐を。
◇
「ぬえ」
「お、来たねひより」
都の反対側へ向かう途中、都の中央でぬえと会った。
ぬえが無事で安心した私は、彼女の肩を見て思わず叫んだ。
「肩、どうしたの!?」
「いやはは、ちょっと腕の立つ陰陽師にやられちゃった」
たはは、と笑って頭を掻くぬえ。
その笑いに勢いを殺され、私は溜息を吐いた。
「……気を付けてよ」
「大丈夫、もうこれで仕上げだから」
ぬえが下を見、私も同じく都を見る。
大勢の人間達が中央へと避難し、蠢いている。
「良い?私は今からあいつ等とひよりに共通の不明を見せる。
更に、ひよりには姿が『よく判らない』状態になるように能力を使うわ」
「私に?」
「そう、そして私の幻覚が当たった建物を壊して頂戴。
人間達に、私達の姿が幻覚じゃないという事を思い知らせてやるの」
確かに、それなら本物の様に見えるかもしれない。
「分かった……人間はどうするの?」
「極力攻撃はしないつもりよ、当たったら吹き飛ばして頂戴」
やはり彼女は悪戯の一線を越えようとしない。
ぬえの何気ない優しさが面白くて、ついつい笑ってしまう。
「ちょっと、何笑ってるの?」
「ぬえは優しいなって、ね」
「?……何の事?」
本当は、私が異形の姿で暴れまわれば良いのだ。
でも、下にいる陰陽師達の攻撃を弾けるのはぬえしかいない。
「何でもない。
それで、何時降りるの?」
「何時って、当然よ――」
ぬえが意地悪い笑みを浮かべる。
私は背中の翼に力を込め、急降下する準備をする。
「――今!」
ぬえと私が同時に急降下し、地面へと近付く。
私の隣でぬえが形を変えるのを確認し、私は腕を蛇に変形させる。
「さぁて、此処からが本番よ……!」
ぬえが呟き、地面へと着地した。
私はその傍で、ぬえと陰陽師達の動きに注意する。
「来たぞ!化け物だ!」
「ひより!打ち合わせ通りに!」
「分かった」
私達と陰陽師達は同時に動き出した。
「へぇ、あの時の騒ぎはそれだったの」
納得した、と女が自身の手を打つ。
どうやら、この女はあの時も此処に居たらしい。
「これでお終い」
「まだ、貴方が此処へ逃げて来た時の話しがあるでしょう?
……まぁ、良いわ。経緯は分かったし、貴方も聞かれたくない様だし」
女が私の顔を見て申し訳無さ気に言う……顔に出ていたのだろうか?
『ぬえ!先に行って!』
『っ……!絶対に、迎えに来るから!』
「……」
「だから、これ以上は聞かないわ」
「……ありがとう」
女はカラカラと笑い、私を持ち上げ手に乗せる。
「私は輝夜姫、『輝夜』で良いわ」
「私はひより、好きに呼んで」
じゃあひよりね、と女――輝夜は言った。
……輝夜も、何処か人間とはかけ離れている様な気がする。
普通の人間なら、喋る鼠と仲良くなろうなんて思わないだろう。
「これから暫く一緒に暮らす事になるわ」
「……?どういう意味?」
「考えてもご覧なさい?
貴方は未だ見つかって居らず捜索中。
この屋敷の入り口には陰陽師や見張りが大勢いるのよ」
今は空への警戒も強いでしょうね、と輝夜は付け加えた。
「……」
「だから、暫くは此処に置いてあげるわ。
貴方の相方が近付いて来たら、私が脱出手段を教えてあげる」
「何で私を助けるの?」
輝夜には私を助ける必要は無い筈だ。
それを聞いて輝夜は少し困った顔で悩んだ。
「うーん、嫌な言い方をするなら興味ね。
貴方がこの先、どういう生き方をするのか気になったのよ。
それに私、鼠好きだし」
そう言って笑った輝夜の顔は、何処かぬえに似ていた。
「……お世話になります」
「えぇ、安心しなさい。
此処に陰陽師は一人も入れないから」
月の光で地に浮かぶ、鼠と人の影。
◇
ぬえとひよりの住んでいる小屋に、一つの影が降りる。
影はそのまま小屋の中に入り、フラリと地面に倒れこんだ。
「……」
影の主であるぬえは、自身の手で顔を覆った。
それだけで、あの時の光景が頭の中で繰り返され――
「くそ……」
自然と、目から涙が零れて来る。
成功した代わりに、ひよりを置いて来てしまった。
彼女は、陰陽師達に対抗する術を持っていないのに……。
「畜生っ!」
立ち上がり、壁に八つ当たりしようとして止める。
……壁には、私とひよりの食事当番の表が書かれていた。
「……必ず、ひよりを助ける」
ひよりは頭が良いし恐らく何処かに隠れているだろう。
当面の問題は、私自身の傷の回復と都へ再突入する為の準備だけだ。
「大体、一週間位かな……」
傷の具合を見て私は呟く。
ひよりが居ないだけで、随分と小屋が寂しく感じた。
「……寝よう」
私は床に寝転がったまま目を閉じる。
ひよりを助ける為には、早く回復をしなくてはならない。
そう思っていても、私は中々眠る事が出来なかった。