孤独と共に歩む者   作:Klotho

22 / 39
書き直す可能性有。


『孤独と九尾』

 

本当なら上手くいく筈もない夢物語。

 

何時かは醒めてしまう、夢。

 

それを、物語へと変える為の――

 

 

 

山の奥深く、生物の気配が殆どない様な場所に()()は現れた。

 

「……」

 

 人間の男。それも、身なりからしてかなりの名家出身なのだろう。何故そんな人間がこんな

場所に、それも一人で来たのか。私には一つだけ思い当たる節がある。

 

恐らくこの男は私を退治しに来たのだ。

 

「グルルル……」

 

 無駄だ、やめておけという意思を込めて唸り声を上げる。男から霊力や妖力は感じられない

し、その身構えからは全くといって良い程戦闘の経験を感じさせない。「初めて妖怪を見た」

と同じかそれ以下。

 

「……ふむ」

 

常人ならば逃げる所、男は自身の顎に手を当てて何かを思考する。

 

「っと、成程」

 

その男の視線が、ふと私の胸元辺りに向けられているのに気が付いた。

 

男の視線の先……私の胸の中心には、大きな矢が突き刺さっている。

 

「そうか、彼等にやられたのか」

 

男がポツリと呟いたのを聞き、私は先の出来事を振り返った。

 

 不意打ち、毒盛り……その程度ならいざ知らず、挙句の果てには自分達の守るべき者達を囮

にしてまでの騙まし討ち。近寄った私も含め、囮役を買って出たのだろう者にまで降りかかる

矢。

 

無論その程度で死ぬ訳ではないが、それでも一本は私に刺さった。

 

 

私の心に、突き刺さった。

 

「それは――」

 

男は何かを言いかけながら足を動かす。後ろではなく、前に。

 

「寄るな、人間」

 

 唸り声に怯まず此方へ歩いて来た男に言葉でそう伝える。彼は私が言葉を話した事に一瞬目

を見開いたが、それも直ぐに仕舞ってその場に立ち止まった……が、決して下がろうとしない。

 

全く、なんなんだこの人間は……。

 

「……私の同族が」

 

少しの沈黙の後、男は一歩此方に向けて足を進めてそう言った。

 

「君に随分と手荒な真似をしてしまったようだ」

 

「来るなと、そう言った筈だ」

 

 身体を起こして小さき男を眼下へと移す。胸の傷は刺さった後直ぐに回復している。ただ少

し血で汚れているだけだ。

 

「『少し住処を移してくれ』と、そう言って貰うよう頼んだのだがね」

 

男は何かを思い出したようで面倒臭そうに頭を掻いた。

 

「どうも、私の目も駄目になってきたようだ」

 

のらりくらりと、どうにも軸の入らない調子で歩く。

 

 その様子を見ている内に男は足を止める。私の目の前、殆ど真下とも言える位置に立つ男は

私を見上げ、次に先程から視線を遣っていた傷跡を眺め――

 

そして手を伸ばす。

 

「おい、人間――」

 

「こんなに、美しいのを……申し訳ない」

 

 私が微かに息を飲むのも気にせず男は呟きながら傷跡を撫でた。優しく、軽く、恐らくはも

う治っている事に気が付いていないのだろう。偶に刺さった矢へ手をつけて、しかし何かを思

い留まる様に手を引く。

 

「すまない、彼等は私が何とかする。それで手打ちにしては貰えないだろうか?」

 

男は頭を下げた。深く、長く、そのまま動かない。

 

「……何故」

 

「……」

 

何故、この男は――

 

「お前はどうして、そこまで奴等に優しく出来る?

同じ人間だからか?奴等が守るべき民だとでも言うのか?……お前は、何故――」

 

私にまで優しくするのか、言葉に出さずそう尋ねた。

 

「ふむ」

 

 それに対する男の顔は想定外。まるで私が何を言いたいのか理解できていない表情だった。

訝しげな視線を送る私を尻目に男は何かを考え、唸り、一度周囲を見回す。そうして誰もいな

い事を確認して、男は再度私を見上げた。

 

 

「誰かを好きになるのに理由がいるのかね?」

 

その顔に携えていたのは、微笑み。

 

 

「化け狐が逃げたぞっ!追え、逃がすな!」

 

「……っ」

 

 嫌という程耳に残る声。私の隠れる木の直ぐ傍で、陰陽師の男がそう叫ぶ。

帝の病気が悪化の一途を辿る一方、私の知らない所でこのような噂が立っていたらしい。

 

曰く、帝の病気は玉藻の呪いだと

 

「……まぁ、それも仕方ないのだろうな」

 

 私は隠れていた木から身を出して森の中へと進みだす。目の前で叫ぶ陰陽師も、その声を

聞いて忙しなく動き回る兵達も、誰も私が隣を通過することに気がつかない……否、気付く

事すら出来ていない。

 

――結局、私が本当にそうするつもりなら何時だって出来たのだ。

 

「やはり、人と妖は相容れない存在という事だ」

 

 正直な話、私が此処まで長く玉藻御前を続けられていたのは他でもないあの隙間妖怪のお

陰でもあった。あの妖怪が宮中に不定期に現れる事によって、元々あった私への疑いは一時

期の間とはいえ形を潜めていたのだから。

 

幻術を、能力を、初めから使っていれば一生気付かれる事も無かった。

 

それをしなかった理由は――と

 

睨みつけるのは背後。既に陰陽師達も見えず、唯木々と風のみが音を立てる場所。

 

「貴女が彼等を化かさなかった理由……何の事もない、彼等に自身を偽る事を良しとしなか

ったからでしょう?」

 

 その誰もいない場所から突如聞こえた声。程なくして虚空に亀裂が走り、何時もの二人が

現れた。どうやって此処を探し当てたのか、この二人は奴等に気付かれたりしないだろうか

……何時の間にか、そんな風に疑問すら持たなくなった友人達。

 

八雲紫の表情は重く

 

ひよりの表情は何処までも無機質だった。

 

「さぁ、どうだろうか……本当の所、私にも良く分かっていないんだ」

 

 何故人間である帝の為に都へ来たのか、どうして彼の代わりに都の政治なんかをやっていた

のか……なんで、私は彼と初めて会った時に殺してしまわなかったのだろう、か。

 

殺す理由は充分にあった。生かすつもりも、初めはなかった。

 

「それでもな、何時の間にか人の姿で彼の前に出ていたよ。ご丁寧に『あの時の狐です』なん

て言ってしまったもんだから。……彼も初めは随分と驚いた顔をしていた」

 

「……」

 

驚いて、後退るのではなく一歩進んで、彼は笑った。

 

その態度に、行動に、優しさに、私は心を穿たれていたのだ。

 

「それも過去の話だ」

 

人間の男は時と共に骸へ成り果て、伴侶は大妖怪へと変わり果て――

 

「そう、過去の話」

 

 私の思考を断ち切る様に紫が声を上げる。ひよりが一瞬咎める様な視線で紫を見たが、や

がて諦めたように肩を竦めてそっぽを向いた。紫は一度ひよりを見、私を向いて口を開く。

 

「今の世の中はそんな物よ。妖は人を襲い、人は妖を討つ。きっと私が生まれるよりも前か

ら続けられている生の……いいえ、死の営み」

 

生きる為に殺す。一人が生きる為に、一人より多くの命を殺す。

 

死の、営み。

 

「……それを変えるのがお前達だというのか?」

 

「えぇ、私とひよりだけじゃない。同じ夢を見た者全員で」

 

八雲は頷く。迷いなく、不安なく、確信と自身を持って。

 

「出来るとでも?」

 

 それがどうにも気に食わなくて無意識の内に声が荒げる。八雲もそっぽを向いていたひよ

りも、信じられないような物を見る目で此方を見てきた。

 

今考えてみれば、私はこの時どうかしていたのだろう。

 

「お前が言った筈だ、生まれる前から続いていると……そうだ、続いているんだ。終わらせ

る事なんて誰にも出来ない。お前にも、お前達にもな」

 

違う、そうじゃない。私が言いたいのはそういう事じゃ――

 

「何故、出来ないと言い張れるのかしら?」

 

それでも開いた口は閉じようとしない。

 

「時代を変えるにはお前達では力不足だ。……無論、私でもな」

 

「そう言うのだったら試してみる?私達では本当に力不足なのか」

 

 八雲はニッコリと微笑む。その表情を見て私は漸く冷静になった。八雲は、八雲達は私の

気を晴らす為だけにこの場所に来たのだと……そう気付いた時にはもう遅かった。既に口火

は切られ、私は二人に喧嘩を売る直前だ。

 

「っ、本当に、酔狂な奴等だな……お前等は」

 

ありがとう、と心の中で付け加えて――

 

「そう?」

 

私は数少ない友人達と対峙した。

 

「態々私に喧嘩を売るんだ、死ぬ覚悟をして来たんだろう?」

 

 さて、一体どちらが相手をするつもりなのか。私がジロリと睨みつけると、八雲とひより

は肩を竦めながら互いの視線を交錯させた。

 

そして……

 

 

「……殺せなくても文句は言わせないよ」

 

ひよりが、前に出た。

 

 

 

ではこの二人の実力はどれ程の物なのか?

 

 

 正直な所、何も知らなかったという他ない。私は常に宮中で仕事と看病に明け暮れていた

し、私の知らない所でこの二人が一体何をやっているのか……無論、分かる訳もなかった。

 それでも、幾つか二人の実力を判断する要素はある。八雲が放つ私と同等かそれ以上の妖

気、陰陽師の目の前にいても気付かれない実力……そして、ひよりの人間との付き合い方の

老練さ加減。

 

「八雲ではなく、お前が出てくるとはな」

 

「……」

 

 前二つは八雲に、後ろ二つはひよりに当て嵌る。逆に言えばひよりは八雲よりも妖力が小

さい。というか、そこらの小妖怪よりも少ないのだ。妖力の大きさは直接強さにだって関係

している。それを分かっていない二人ではない筈だが――

 

私は最後に一度八雲の方を見た。

 

「本当に良いんだろうな?」

 

『ひより相手に全力になって』

 

私の問いに対する八雲の回答は明白だった。

 

「えぇ、存分に負けなさい。大丈夫、貴女がひよりを殺してもひよりは貴女を殺さないわ」

 

 顔に浮かべる表情は余裕。どころか、佇まいからも緊張は感じられない。その様子に、私

の心に眠っていた見下される不快感が呼び起こされる。

 

本当に、煽る事だけは超一流の隙間妖怪だ。

 

「……どうなっても文句は言うなよ」

 

 私はそれ以上八雲の方に目を向けず、正面で此方を見つめるひよりを見る。此方も此方で

これから死合う前だというのに緊張の欠片も無かった……というか、その視線はどうみても

傍の木に生えている茸に向かっている。やめろ、それは食えんぞ。

 

「……文句じゃないけど、二人とも真面目にやりなさいよ」

 

「ごめん」

 

漸く気付いたのか謝りながら此方を向くひより。

 

「……すまん」

 

口で謝り、ひよりが悪いんだと心に言い聞かせて私は神経を尖らせる。

 

「それじゃ、この石が地面に付いたら開始よ」

 

 紫が適当にそばに落ちていた小石をスキマで落とし、上空から落下させる。私はそれを目

だけで追い、段々と地面に近づいていく様子をボンヤリと眺めていた。

 

幾ら志高くても、意志は何時か地に落ちる。

 

死に堕ちてしまう。

 

 

石が地面に落下して音なき音を立てた。

 

「さ――」

 

て、始めようか。

 

ひよりは既に私の目の前にまで接近し、その右腕を振るっていた。

 

「っ!……はぁっ!」

 

 生命の危機、私の本能に従って地面を蹴り上げその場で一回転する事によって腕を回避す

る。そのまま後ろへ少し下がり、最中咄嗟に全力の狐火をひよりに向けて放ってしまった。

 

ゴウンという爆発に近い音。私の正面に巨大な炎が渦巻く。

 

「しまっ……大丈夫か!?」

 

全力の狐火。少なくとも、そこ等の中級妖怪では耐えられない一撃。

 

 今が死合いの最中だという事も忘れて一歩、未だに燃え続ける狐火の方へ歩みを進める。

自身の勘が危険信号を出したとはいえ、友人に……しかも妖力の少ない彼女に放つ攻撃では

なかっただろう。

 

私はこの時何故勘が危険信号を出したのか……それを完全に失念していた。

 

「おい、ひよ――」

 

 ゾクリと、悪寒が走った時には既に遅かった。燃え続ける炎の中から真っ黒な、普段の着

物を通り越して黒焦げた小さな人影が飛び出して私目掛けて突進してくる。

 

「死な、ないと」

 

恐らく熱気で焼け焦げたのだろう、最早雑音にも近い掠れた声で――

 

「言った、筈」

 

しかしその瞳だけは、ギラリとした鋭い光を持って。

 

「ぐぅ――」

 

ひよりの振りかぶった右手が名前を呼ぼうと息を吐いていた身体の芯に直撃する。

 

 

吹っ飛ばされた。

 

 

 

 

やり過ぎたかと後悔した矢先、私は一瞬だが気を失っていた事に気付く。

 

「っつぅ……全く、お前達は本当に酔狂な妖怪だな」

 

 二度目になる台詞を正面から歩いてきたひよりへと投げかける。背後に木があったから数

メートルで済んだ物の、もし何もなければ十メートルは飛ばされていただろう。それだけの

妖力があの右手には込められていた。

 

「そういえば、体質と言っていたか」

 

 立ち上がり、今度は何時でも動けるように身構えて一人そう呟く。

彼女は私の目の前に現れてから一度もその妖力が全開とは言っていない。寧ろ、勝手に勘違 

いして高を括っていた私に非がある。

 

「手加減をしたつもりはないが……真面目に、やらせて貰おう」

 

 目の前にいるのは数百年振りにもなる強敵、死にそうにもない小さな少女。何時の間にか

先の狐火による傷も消え、最初と殆ど変わらぬ姿勢で此方を見つめる。一度死んだ筈の少女

が見せる無機質は、背中に嫌な物を走らせた。

 

「――」

 

もう油断は出来ない。私は自身の力の限り地面を蹴った。

 

元々が妖獣であったが故に、反射神経と速さならば大抵の者には負けない。

 

「……」

 

 目の前にまで移動した私に対してひよりの動きは実に緩やかだった。一度私を見、先程見

ていた茸がある方を見て、そして漸く私がひよりに向けて放った貫手を捉える。

 

そして、自身の右手をそっと差し出す。

 

「何を、意味の分からない事を!」

 

 私は迷わず彼女が突き出した手に手を当てる。妖力を込めて突き出した貫手は意図も簡単

に彼女の腕を引き裂き、裂けた腕がうねって此方に――

 

蛇。

 

「っ!?」

 

一瞬での判断。攻撃を続けるべきか、回避か。

 

 攻撃を断念して向かって来た蛇の頭を切り落として距離を取る。今見ても、彼女の腕は裂

けたまま二匹の蛇となって此方を威嚇している。

 

「これも体質」

 

ひよりは此方の疑問を見透かした様にそう答えた。

 

「玉藻は狐妖怪なんだっけ」

 

「……?」

 

 彼女がそう言うと同時に着物を通過して野狐が一匹、私とひよりの間に躍り出る。今まで

見たどの妖怪も持ち合わせていない能力に私が驚愕してる間に、野狐は私の足元にまで来て

いた。

 

「……動物を操る、いいや、内蔵して操れるのか」

 

目の前の狐を見て私が一人呟いた瞬間、野狐の全身が黒く染まって地面へと溶けた。

 

「なっ……」

 

「少し違うかな、内蔵してるのは合ってるけど」

 

 黒い液体は蠢き、再び膨張して今度は別の形へと変化する。動物、昆虫、鳥、犬、猫、蟷

螂、蜥蜴、鶏、雀……混ざり合って、もぞもぞと動き続けた。

 

それはとても醜く、見てはいられない程の物で――

 

「っ」

 

思わず、私は顔を背けてしまった。

 

「これが私達。生きる為じゃなくて、私利私欲の為に生き物を殺そうとした者達が作り上げ

た道具の成れの果て――と、無駄な話か」

 

 ひよりの声には諦めてたような苦笑が混じっていた。

 私は振り向き、既に先の化け物が消えていることに気が付く。見ると、黒い生物はひより

の足元から身体へと戻っていく最中だ。

 

「……決着、つけるんでしょ?」

 

 もう隠す必要もなくなったと言わんばかりに身体のあちらこちらから睨んで来る動物達。

本能的な恐怖も去ることながら、先程とは打って変わった様に増えた妖力に私は再び身を引

き締め直す。

 

「……」

 

「……じゃ、再開しようか」

 

 

彼等は笑った。

 

 

 

 ひよりは常に彼等を大切にしている。だから無理に相手を追撃しないし、自分が攻撃を受

けそうになると全力で回避する。少なくとも紫は、今まで彼女が死んだ所を一度として見た

事が無かった。

 

だからなのだろう、目の前の光景にこうも圧倒されるのは。

 

「はぁぁぁぁぁっ!」

 

 玉藻が狐火を放ちながら隠していた九本の尾でひよりを串刺しにしようと仕向ける。最初

の頃とは全く違う、紫でも喰らえば危ないだろう本気の攻撃。

 

「っ、――」

 

 ひよりは狐火が全く見えていないかの様に突進する。当然焼け焦げ、もう周囲に嫌という

程充満した臭いが濃くなる。それでも、炎から出てきたひよりは既に回復した状態だ。

 

次に迫るのは九本の尾。それそれが妖力を纏い、刃として上空から彼女を狙う。

 

「……」

 

 それに対するひよりの反応は『無視』。上を見ないまま最初の一本を避け、このまま進め

ば串刺しにされるであろう尾には串刺しにされたまま玉藻へと一直線に進む。

 

人妖は愚か、他の生物には出来ないやり方で――

 

「っち、化け物かっ!」

 

 玉藻の身体も既に普通とは言えない状態である。度重なるひよりの攻撃で片腕は折れ、何

かに噛まれたのだろう腹部は真っ赤に染まって一部服が千切れていた。それと、全身に噛み

跡が数箇所ずつ。

 

そんな状態でも玉藻は目の前に飛び出してきたひよりに残る腕で攻撃を放つ。

 

「……そうだ――よっ!」

 

 ()()新しいパターン。今度は突き出す前の玉藻の腕に蛇が絡み付いてその動きを止める。

玉藻が一瞬拘束された腕を見、折れた腕を無理矢理動かそうと――その直前、ひよりの両手

が玉藻の腹部に届いた。

 

瞬間、手先から放出される強力な光線。

 

「がっ――」

 

最初に腹に直撃し、次に肺から息が漏れる時には既に紫の視界の外まで吹っ飛んでいた。

 

これで、彼女が吹き飛ばされるのは数十回目と。

 

 

「……此処までね」

 

紫は玉藻が先程まで立っていた場所の血溜まりを見て、一人そう呟く。

 

 

 

 

「どう?強いでしょう、ひよりは」

 

 頭上から聞こえてきた声で何度目かになる意識の覚醒。私は身体を起こそうとし、しかし

腹部に走る強烈な痛みに思わず力を抜いて倒れる。視線だけ動かして声の主を探した。

 

「う、く……、なんだ、お前か」

 

 正面に佇むのは隙間妖怪、八雲紫。勝負を見守っていた筈の彼女が私の目の前に現れたと

いうことは多分……もう、限界なのだろう。それは、腹部の痛みでも分かる事だった。

 

「大丈夫かしら、出血が凄いわよ?」

 

珍しく心配そうに此方を見る八雲。……あぁ――

 

「それは向こうのも……ああいや、私のだけか」

 

 そう思ったのだが、ひよりが流した血は全て彼女の中に戻っていった。それも含めて今ま

での戦いを振り返りその中途彼女が見せた異常性を思い出して意識せず苦笑する。

 

「まさか、本当に死なないなんてな」

 

私が吹っ飛ばされた回数よりも、きっと彼女が死んだ回数の方が多い。

 

なのに私はこうして地に落ちて血に濡れ、向こうは無傷と来たもんだ。

 

「化け物と、そう言ってしまったよ」

 

 本心ではあったが、口に出してしまった事を後悔している。自身がそう言われて都を追わ

れたばかりだから余計にだ。

 

そんな私を見てなのか、八雲はクスリと笑って背を向けた。

 

「化け物が、私達の中で一番人に馴染めてるのよね」

 

丁度、ひよりがいるのであろう方向にそう呟く八雲。暫くの沈黙の後、彼女は此方を向いた。

 

「逆に言えば、化け物でも人間に馴染む事が出来た……違う?」

 

「違うな。化け物の()()()妖怪でも馴染む事が出来た……だろう?」

 

一瞬だけお互いを睨む――が、八雲はすぐに折れた。

 

「……そうね、御免なさい」

 

「ふん、当然だ」

 

そういって八雲は笑い、私は笑わなかった。

 

「それで、どう?私達には共存の夢を叶える事は出来ないのかしら?」

 

「……」

 

 それはひよりと戦う前にも一度聞かれた問い。私は幾分かマシになった頭で考え、考え、

考えて――そして、緩やかに首を横に振った。

 

「無理だな。お前達では、まだ力不足は解消出来ない」

 

歴史を変えるとは、理を変えるというのは簡単な事ではないのだ。

 

「どうすれば、私達はそれを克服出来るのかしらね?」

 

「私がお前達を手伝う。……それと、後は他の奴等次第だ」

 

 それでもこの二人なら出来てしまいそうな気がする。私が諦めて捨てかけていた夢を、代

わりに達成して見せてくれそうな『力』がある。私は思いのままそう伝えた。

 

「……手伝ってくれるの?」

 

しかし八雲はどうにも信じられないらしい。

 

私は力を振り絞り、残る全てを叫ぶ為だけに息を吸った。

 

「私に、お前達をっ!手伝わせてくれっ!」

 

後はもう何も残らない。本心だけの私である。

 

「――」

 

 言い切って、それで遂に視界が黒く霞んで来た。八雲が口を動かしているだけで何も耳に

入って来ないし、こうやって、考えているのが何だか他人事に、見えて、きて――

 

「――?――!」

 

 

私の意識はそこで暗転した。

 

 

 

「終わり」

 

回想と説明を終え、私は既に冷めてしまったお茶を啜る。

 

「あ、あの、母さま?」

 

 呼ばれて彌里の方を振り返る。何度も神妙に頷く藍と何故か悲嘆の表情を浮かべた紫。

……それを指差して笑う妹紅の姿が映った。

 

「……終わりなんですか?」

 

「……?うん?あぁ……」

 

そういえば、紫の格好良いところを聞かせるのだったか。

 

「勝負の立会い中一度も喋らなかった事かな、あんな長時間私と藍の戦いを見続けてたの

は少し格好良い……というか驚いた」

 

「あはははははっ!うぅ、げほっ」

 

妹紅がついに立っていられなくなり石畳に倒れて痙攣を始めた。

 

「彌里、残念ながら真実なんだ。紫様はあの時見ていただけだったんだよ」

 

「……えぇー」

 

 彌里の冷めた視線が紫へと向く。紫は座る位置を私の正面に変え、覆い隠す様にしてか

ら背中にスキマを開いた。

 

「そ、そうだけども!……ひより、今からでも何か考えて頂戴」

 

後者だけ私に聞こえるように囁くスキマ。

 

「嫌。これからご飯作るし」

 

 

私は立ち上がり、笑い声と非難が飛び交う縁側を後にした。

 

 

 

「……」

 

 そっと屈み、予め持ってきていた花を数本、既に枯れた花達と取り替える。恐らく彼が

死んでから数ヶ月は、毎日この花達も取り替えられていたのだろう。それも時間が経てば

この様に忘れられてしまう。

 

「っ……」

 

それが無性に悲しくて、私は頬を勝手に水が伝うのを感じた。

 

「また、来る」

 

立ち上がって墓に頭を下げ、背を向けて静かに歩き出す。

 

「拭きなさい」

 

 横からスッと差し出された綺麗な布。それを受け取って振り返ると、そこには此方に

背を向けて彼の墓の前に佇む主の姿が見えた。

 

「……紫様」

 

つい最近の、しかし普通に呼べるようになった呼び方。

 

「怪我はもう良いのかしら?……こんな遠くまで歩いてきて」

 

 その声音からは心配の色が見て取れた。私は自身の包帯を見、そこから少し血が滲んで

いることに気が付く。……どうやら態々此処まで迎えに来てくれたらしい。

 

「すいません、それと……有難う御座います」

 

頭を下げる。

 

「それは私がこの人に言う台詞よ」

 

 彼女は少し汚くなった墓石に触れていた。撫でるように、優しく。先程私が水をか

けた所為で手袋が濡れても、紫はただただ墓石を撫で続けた。

 

「この人が居なかったら、きっと藍は玉藻ですらなかったわ。きっと何処かの山で、一生

人を恨みながら大妖怪として生きたでしょうね」

 

「……えぇ、そうですね」

 

彼が居てくれたから、私は今こうして此処を訪れる事が出来る。

 

「藍が居なかったらきっと、この人は一生を一人で寂しく過ごす羽目になった筈よ。病気

で魘され、本気で愛せる人も居ないまま、ただ孤独に死を迎えて悼まれる」

 

「……そう、でしょうか」

 

それは、どうだろうか?彼のような人なら、他にももっと良い人も――

 

「考えなさい玉藻御前。彼が貴女と居て悲しそうにしていた事があったの?貴女以外の女

の話をしていると、他の誰かから聞いたのかしら?」

 

「それは、ないがっ……」

 

紫が振り返り、手に持っていた傘でパシリと私の肩を叩いた。

 

「なら誇りなさい。帝は絶世の美女に看取られて、きっと幸せに逝った筈よ。」

 

『玉藻……今まで、ありがとう』

 

「……そう、だな」

 

紫が微笑んでスキマを開いた。

 

「ほら、今日はひよりが直接来てご飯を作ってくれるわ。早く帰りましょう」

 

ついでに幻想郷作りの話もしましょうと、彼女はついででそう言った。

 

「……畏まりました、紫様」

 

私もそう言って後に続き――スキマを潜る前に一度だけ墓を振り返った。

 

 

「……さようなら、貴方様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉藻前という話がある。

 昔の都に隠れ住み、帝を誑かして国を傾けたと言われている白面金毛九尾の話だ。後に

優秀な陰陽師によって正体を暴かれ、九尾は追い詰められ、最後の最後には九尾を矢で貫

く事に成功する。しかし九尾は最後の力を振り絞って自身の姿を呪いの石に変え、周囲の

生物を悉く殺してしまおうとした。

 

しかしそれも後に現れる法師によって砕かれ、力を失って飛び散ったと。

 

史実には、そう書き記される事だろう。

 

しかし実際には、『三つの意志となって飛んでいった』と。

 

 

後にメリーが、そう語る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




まさかのメリー。メリーも好きです。連子も(

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。