孤独と共に歩む者   作:Klotho

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投げやり。

本編とはやはり何の関係もありません。


『親子と親友』

 

「ほらほら、あんまり遅いと本当に奪うぞ」

 

白い長髪を優雅に靡かせて飛んで来る霊符をスルリと避ける女性

 

「くっ、この……う、きゃぁ!?」

 

 その動きを体ごと動かして捉えようとする紅白の少女……あ、転んだ。

 女性は見事にすっ転んだ少女をチラと見て目だけで笑い、少女の目の前――丁度手が届くか

届かないかという場所に立った。そして前屈みになって少女から自分の顔が見える様にする。

 

「全く、体ごと右に左に回転させてちゃ転ぶに決まってるだろ?そういう時は目だけ、それか

相手の妖力を覚えて場所だけ確認することだ。……あー、それとも転ぶのが好きなのか?」

 

だったらごめんな、と妹紅は両手を合わせる。

 

非常に安っぽい、しかも分かり易い挑発行為だ、が……

 

「っ……!」

 

 彌里はまだ子供で、普通の人よりも他者との関わりの薄い子だ。案の定その挑発に乗って起

き上がり様に貫手を放つが、妹紅がそのままの姿勢で真後ろへ大きく跳躍する事でそれは虚を

突いた。

 

彌里は手を突き出したまま再び石畳へと倒れる。

 

「幾ら頭に来ていても霊力を込め忘れるようじゃ駄目だ。良いか?人間の体は妖怪に比べて圧

倒的に劣ってる。下手に掴まれでもしたら抜け出せないし、そうなったら終わりさ」

 

「はぁ……はぁ……」

 

 妹紅は肩で息をする彌里の傍に屈んで手を差し出す。彌里は一瞥し、暫く思案してから大き

く鼻で息を吐いて妹紅を睨み付けた。

 

「誰が、妖怪の助けなんか……」

 

素晴らしい巫女精神である。母親ながら私感動。

 

 娘の成長に一人そんな事を考えていると妹紅が此方を見ている事に気がつく。……どうやら

彌里はもう限界らしい。私は妹紅に此方に来る様に手招きした。

 

「実はな、私は妖怪じゃないんだ。……ほら、霊力出てるだろ?」

 

そういって霊力を放出する妹紅。

 

「え、あ……えぇ?」

 

 彌里は未だ理解出来ていない。それもそうだ、先の先まで霊力を殆ど隠して妖力を使ってい

た妹紅が突然霊力を出して、しかもそれが自分よりも大きいのだから。妹紅は抵抗の気配が見

えなくなった彌里を担ぎ上げて此方に向かって来た。

 

「実は、お前の母親の友人……あー、親友でもある」

 

何故か訂正して言い直す妹紅。まぁ、付き合い的に間違ってもいないが。

 

「……?母さまの?」

 

彌里も流石にそれを聞いて声の棘を抜いた。

 

「今日は久し振りに名前聞いたから会いに来たって訳。だから、お前がこうやって担がれてて

も何も言わないだろ?」

 

妹紅がそう言ったのを聞くや否や彌里が此方に疑惑の視線を送って来る。

 

手を振って誤魔化した。

 

「っ、母さまの意地悪ーー!!」

 

 

今年十四になった少女の叫びが神社に木霊した。

 

 

 

 

「彌里」

 

「……紫さん」

 

 彌里は居間の隅っこの方に一人で座っていた。何時もの明るさも、母親に話しかける事もな

く、自身の膝を抱えて物憂げな表情を浮かべていた。

 

「珍しいわね、彌里がそんな顔するなんて」

 

 そういって手で軽く彌里の頬を撫でてやると、彼女は少しだけ恥ずかしそうに苦笑を浮かべ

た……が、直ぐにまた先の表情へと戻ってしまう。……ふむ

 

「気になるのかしら?あの蓬莱人とひよりの関係が」

 

蓬莱人とひよりの部分で彌里は一瞬手を強く握った。私は確信して続ける。

 

「私も初めて会うから詳しくは知らないけれど、昔の……それこそひよりが妖怪になって間も

ない頃の友人らしいわ。本人曰く、『三人目の親友』って」

 

 ぬえも含めて残りは一人。私の知識や情報網を駆使しても分からない人物が一人居るのだ。

……まぁ、彌里に言っても仕方ない事だし、気づかないだろう。私は思考を諦めて彌里と共に

縁側で何かを話す二人の背中に視線を遣った。

 

「……あんなに楽しそうな母さまは初めて見ました」

 

ポツリと彌里が漏らす。成程、それが彼女の懸念か。

 

「えぇ、意外とひよりは交友関係が広いのよ。里の人達もそうだし、鬼や天狗、蓬莱人、それ

に妖怪寺の住職なんかともね。知らなかったでしょう?」

 

 彌里は小さく頷く。それもその筈、ひよりは彌里に物心がついた辺りから出来る限り妖怪と

接触する事を避けて来た。あの鴉天狗に謝り、萃香に頭を下げてだ。

 益々暗い雰囲気を漂わせる彌里の肩に私は腕を回す。そして、ひよりに聞こえない様に小

さく囁いた。

 

「でも、それを悟られない様にしていたのは彌里の為よ。きっと貴方なら、ひよりが自身の為

に何かを我慢するのは耐えられないでしょう?」

 

「……」

 

沈黙する彌里。私はひよりとの約束を破る事にした。

 

「ひよりはそれ以上に貴方を一人にするのが耐えられなかった。貴方に孤独を感じさせたくな

かったのね。ひより自身が一番その痛みを知っているから――」

 

「……母さまが?」

 

ひよりの背中から視線を外して此方を見る彌里。私は頷く。

 

「それだけじゃないのよ。妖怪退治も必要最低限に絞って、里から子供用の食事や育児の本ま

で借りて……挙句の果てにはそれを私で試そうとしてくるから困るわ」

 

 彼女の料理は確かに美味しいのだが……しかし、私に幼児食はどうだろうか?

チラと隣を見ると、既に彌里は私ではなく母親の方を見つめていた。その瞳には、敬愛。

 

「……」

 

「ひよりは何時までも此処に居る事は出来ない。里の人達に気付かれる前に去らなければなら

ないから。その前に貴方へ伝えるべき事を一生懸命学んでいるのよ。貴方の前で余り笑わない

のは簡単に離れる為ね」

 

それが母親の務めであり、妖怪の運命。

 

それを捻じ曲げるのが私の夢で、それを実現させるのがひよりの夢だ。

 

「……母さまも紫さんも、何時かは居なくなってしまうんですか?」

 

「いいえ?私は別に里の人間達に感知されていないから関係ないわ。ひよりも何かと言って別

の姿で居座り続けるでしょう……安心しなさい、そんな顔しなくても大丈夫よ」

 

娘を思うばかり自分に気がいかない母と、母の気持ちが分からずに自身を責める娘。

 

私がそれを仲介してやれば、両者の懸念も苦労も消えるのだろう。

 

「でも、ひよりとは自分で話しなさい。今私が話した事以外にもひよりが隠してる事なんて沢

山あるのよ?ちゃんと問いただして、その後で自分の思いも伝えちゃいなさい」

 

 そうする訳にはいかない、これは二人の問題だから。

きっと彌里も完全に理解した訳ではない。それでも、自分なりに考えて大きく頷いた。

 

「……分かりました。有難う御座います、紫さん」

 

彌里は姿勢を正して深く紫へと頭を下げた。

 

「今の話をひよりに内緒にしてくれれば良いわ」

 

 紫は立ち上がってスキマを開く。もう此処に居る必要はない、後はこの二人だけで何とかな

るだろう。ひよりの隣から消えた()()()姿()に紫は気付いていた。

 

 

母に駆け寄る娘の姿――それを最後にスキマは閉じる。

 

 

 

「とりあえずは久し振り、妹紅。元気にしてた?」

 

ひよりは隣に座る妹紅へ問う。

 

「元気だ元気。此処に来る道中で毒茸食べて死んじまう位元気だ」

 

 鬼退治の時に分かれてから早二百年。妹紅の修行と称して共に過ごした三百年と殆ど変わらぬといって良い年月が、

二人の間で別々の時として経過していた。……それでも、お互いの信条は変わらなかった。

 

「ひよりはどうだ?あの時から死んだりしたのか?」

 

 普通の人妖では有り得ない会話。片や不老不死、片や命を多数持つ蠱毒だからこそ出来る命の

遣り取りである。妹紅はチラと隣に座るひよりへ視線を向けた。

 

「一度だけ、ほんの少し前にとんでもない妖怪と戦ってね」

 

「まさかひよりが死ぬ程の相手がこの辺りに居るなんて……どんな奴?まさか後ろのあの女妖怪

じゃないよね?」

 

 妹紅が指している女妖怪とは紫の事だろう……嫌いなのか?何故か口調を強めてそういう妹紅

を落ち着かせるようにひよりは首を振って答えた。

 

「『風見幽香』」

 

「……」

 

 その名前は重たい沈黙と共に二人の間を駆け抜ける。それだけの威力が、その名前には込めら

れていた。妹紅は暫く何かを言うのに悩み、やがてガシガシと頭を掻きながら口を開く。

 

「本当に、ひよりは生きるに退屈してない」

 

「死んだって」

 

 そうだった、そう言って笑う妹紅。ひよりもそれに釣られて少しだけ笑い、今度は自身の方か

ら妹紅へと問う。違う道を同じ風に歩いて来た、自身と似た境遇の彼女へ――

 

「妹紅はどう?人とは上手にやってる?」

 

「んー、まぁまぁかな。あんまり長い事留まれないし、実はつい数年前にこの近くにあった里を

出てきたばっかりでね。今は流離いながら新しい拠点を探してる真っ最中」

 

 此処は必要無さそうだし、妹紅は後ろの彌里に視線を向けながらそう言う。どうやら彼女は彌

里でも充分にやっていけると判断した様だ。紫以外の他者から彌里について意見を貰った事が無

かったひよりは心の中で安堵した。

 

「……ひよりは、後何年此処にいるつもり?」

 

そんなひよりの心に妹紅が石を投げ掛ける。

 

「里の人達に聞いたよ、里長が変わる前からあの里と関わってるって。勿論長く居られる事は良

いんだけど、余り居続けて失敗するのも危険だから……」

 

 妹紅は心配していた。自身の敬愛する友であり師である彼女が、自身の好きな人間によって追

われ攻撃される事を。それは純粋に彼女を心配する気持ちであり、同時に親友としての警告でも

あった。

 

ひよりはそれを分かっていたし、妹紅もそんな事で勘違いされるとは思っていない。

 

暫くの沈黙の後ひよりは答えた。

 

「一応、体の成長は術の反動って事にしてある。それを含めて何時まで上手にやれるかって言わ

れると、多分……あと四年かそこらかな」

 

 四年、それは決して長い時間ではない。妹紅は一度ひよりや背後の二人からも意識を外し、何

処か遠くを見つめて深く息を吐いた。が、それも直ぐにやめて此方に体を向けた。

 

その顔には、微笑み。

 

「……良し。その言い訳は私も借りる事にしよう」

 

「好きにして」

 

 うーん、と妹紅が立ち上がって大きく伸びをする。ひよりよりも高い身長の彼女は、恐らくひ

より自身が永遠に越せる事のないラインである。そんなひよりの含みある視線に気付いた妹紅は

嫌らしい笑みを浮かべてひよりの頭に手を置いた。

 

「ま、蛇二匹頭から伸ばせば届くよ」

 

妹紅の置いた手は彼女の体から伸びた二匹の蛇に両側から挟み打ちされた。

 

「人の姿で越したいって言ってるの」

 

 ひよりはそう言ってそっぽを向く。以前よりも随分と感情を表に出す様になった物だ、と妹紅

は口角を吊り上げ、ひよりが此方を向いたので慌ててしまう為に口を塞いだ。

 

「……何?」

 

「何でも。……さって!私は少し境内に出るよ。一応此処の神様にお祈りしとかないと」

 

強引に話を流して背を向ける妹紅。ひよりは追い討つ。

 

「神様居ないよ、此処」

 

「知ってるか?信仰する事によって神様は生まれるんだぜ?」

 

 

妹紅は悪戯が成功した子供の様な笑顔を浮かべて歩いて行った。

 

 

 

 冷たい風の吹く境内に白い髪が靡く。妹紅は一人、境内の真ん中に立っていた。

足元には綺麗に掃除された石畳。きっと毎日あの彌里という子が掃除しているのだろう、枯葉

一つ見つからない『足場』を確認し、妹紅はもんぺのポケットに手を入れる。

 

「出て来いよ、何時までも見てないでさ」

 

 虚空へと投げ掛ける声。妹紅は先程から纏わりつく様な視線を感じていた。……具体的には

ひよりと話しているときに背後から、今は正面の賽銭箱前から――

 

「――師弟揃って勘が良いのね、御機嫌よう」

 

 現れたのは八雲紫、今ひよりと協力体制を取っているという妖怪。一切の遠慮なく放ってく

る強大な妖力に妹紅は口角を吊り上げた。ひよりと話していた時とは違う、獰猛で凶暴な笑み

だった。

 

「そんな粘った視線なら誰でも気付くだろ、それにその粘った妖力もな」

 

妹紅の皮肉に紫は微笑んで一礼する。

 

「失礼、少々貴方の事を過大評価していた様ですわ。……安心しなさい、貴方以外に気付かれ

る様に気配は放っていないし、この妖力も彌里達には勘付かれる事は無い」

 

今度は妹紅が笑う。微笑みではなく、嘲笑。

 

「いやぁすまん、私の方がお前を危険視し過ぎてたみたいだ。……安心しろよ、彌里って子は

気付いていないぜ、お前ご自慢の気配にも妖力にもな。ほら、胸張って誇れ」

 

それはつまり、ひよりは気付いていたという事で。

 

八雲紫は微笑みを止め、妹紅は嘲笑を止めた。

 

「……面倒ね、やめましょう」

 

「それもそうだ、ひよりをダシにした私も悪い」

 

 紫が妖力を閉まったのを確認して妹紅も自身の手に隠していた霊符を戻す。互いに敵意がな

い事は最初から気付いていた。それでもこうして言い合ったのは、つまりお互いがお互いの事

を気に入っていないからなのだろう。

 

「それで何の用なんだ?私は唯賽銭箱にお金を入れに来たんだが」

 

「なら貴方は一度医者に見て貰いなさい。そこはどう見ても賽銭箱とは程遠い場所よ」

 

 妹紅の足元に敷き詰められているのは石畳で、周囲には賽銭箱の欠片も見当たらない。寧ろ

近いのは紫の方である。神社から出てきて、態々そこまで歩いて行った理由は明白と言わざる

を得ない。

 

本当に埒が明かないと判断した紫は、自身から話を持ちかける事にした。

 

「単刀直入に聞くわ。貴方の事とひよりの事よ」

 

「ふぅん、本人からじゃなくて私にか。……まぁ、良いや、続けて」

 

意外にも手応えは悪くない、紫はそう感じて口を開いた。

 

「貴方の能力は?」

 

「ないよ、別に生き返ること以外は唯の人間と同じさ」

 

そう言うお前は?と問う妹紅を無視して紫は続ける。

 

「今までに人を殺した事は?」

 

「だから生き返ること以外は人間だ、人を殺す程切羽詰まった事はない」

 

そう言うお前は?と再び問うてくる妹紅を無視する。

 

「ひよりの親友についてご存知かしら?貴方も含めて三人と言っていたのだけれど」

 

「知らないね。何で親友の親友を気にしなきゃいけないのさ……あぁ、いや、一人知ってる

か。ぬえって妖怪、多分あんたも知ってるんだろ?」

 

やはり、彼女ももう一人は知らないと見て間違いないだろう。紫は諦めて次に移った。

 

「貴方は人と妖が……人外も含めて共存可能だと思っている?」

 

 私は人外だから――なんて言い訳をされる前に釘を打つ。妹紅は暫く悩み、やがて肩を竦

めて首を振った。

 

「ひよりが目指してるなら分かんないけどあんたも目指してるなら無理だ」

 

「分かったわ、貴方私の事が嫌いでしょう?」

 

――その紫の一言で周囲を包む空気が変化した。

 

 紫は半分冗談を含めて言ったつもりだったが、思いの外妹紅は真剣な――剣呑な表情を浮

かべて此方を見て来た。その瞳には、先程までなかった敵意……最早悪意にまで昇華された

怒りが込められている。

 

「……あぁ、嫌いだ。お前みたいな奴が私は一番嫌いだよ」

 

「っ……」

 

 チリチリと、彼女の身体から妖力で出来た炎が燃え始める。紫は扇子を開き、背後に多数

のスキマを出現させて身構えた。もう何時どちらが攻撃しても可笑しくはない。

 

たった一言の紫の言葉で、妹紅はこれ以上ない位に燃え上がっていた。

 

「理由を聞かせて貰えるかしら?」

 

紫は妹紅に尋ねる。何故彼女が会ったばかりの自分を嫌うのか、紫には理解出来なかった。

 

「なんで嫌いかって?」

 

妹紅は手をもんぺのポケットから出して紫を……彼女の何かを指差す。

 

そして彼女は、八雲紫の初めての理解者となる。

 

「――お前のその目が、態度が、心が気に食わない。共存がなんちゃらとか言いながらも人

と一線を引くお前が気に入らねえ。ひよりをまるで信用せずに利用するその態度が嫌いだ。

……何より、それに気付かないで私にそれを尋ねるお前の心も最悪だな」

 

「――」

 

「断言してやるよ。お前がその理想郷をひよりと一緒に作っても、お前は一生人と仲良くす

る事なんて出来ない。幾ら他の妖怪を嗾けた所で、お前に対する人間の印象なんか変わらな

い。だからお前は『紫さん』で、ひよりは『母さま』なんだろうが」

 

「……勝手な事を、言わないで欲しいわね」

 

 八雲紫の一言は、自身から見ても苦し紛れの言い訳にしか聞こえなかった。妹紅の言う事

は全て事実で、今の紫には反論のしようがないのだ。事実、無視すれば良いだけの妹紅の言

葉は痛い程紫へと突き刺さっていた。

 

妹紅は続ける。

 

「ひよりは人として生きてた頃に人間と関わりがなかったから分からないだろうけど、私に

はお前の腹が真っ黒に見えるぜ。ひよりの感じる悪意とは別の、正の感情の汚さがな」

 

妹紅は暫く間を置き、紫が何も言わないのを確認して背を向けた。

 

「多分、私とお前は一生仲良くはなれない。それこそ、お前が『そこから降りて来て私達に

合わせる』なら別だけど。……まぁ、今の様子じゃそれもないか」

 

「……合わせる、ですって?」

 

妹紅は歩みを止めない、が去り際に一度此方を振り返った。

 

「そ、今のお前は高い所から駒を動かす愚者だな。それを止めて、私やひよりと同じ盤面に

立って本当に向き合ってみればあるいは私とも――いや、ないかな」

 

「……結局そうしても貴方とは仲良くなれないのね?」

 

 紫は咄嗟にそう妹紅に尋ねた。答えてはくれないと思った紫だったが、妹紅は足を止めて

此方を振り返り、舌を出して――

 

「私、それを除いてもお前の事は嫌いだからな」

 

 

それだけ言って、彼女は境内へと入っていってしまった。

 

 

 

 

逃げている、のだろうか?

 

「……」

 

 今こうして妹紅に言われなければ恐らく一生気にしなかった事を紫は思い起こしていた。

気付けば、自身の周りには妖怪の友人ばかりで人間の友人なんて殆ど居なかった気がする。

 

……いや、居なかったのだろう。

 

 三代目の稗田が死にそうな時も、死ぬ時も……私は何処かで自身を正当化させながら逃げ

ていた。向こうから歩み寄ってくれても、私自身が壁を作り続けてしまった。他者から見て

も、決して称えられる事など何一つ無い。

 

「そういえば、私の夢は人と妖が共存する世界だった、のね」

 

 そこに自分は含まれていないのだろうか?……分からない。

妹紅の言う通り、実現させたい私自身が人と共に生きた事は無い。そうしたいと思った事は

あっても、ひよりや妹紅のように行動に移した事がなかった。つまり私は――

 

「夢を追うばかりで自分に気がいかないって、紫も変わらないじゃん」

 

唐突に、背後から聞こえた聞き覚えのある声。

 

「――」

 

 紫が振り向いた先には、既に誰も居なかった。

……それでも、その賽銭箱の上に残る微かな妖力が先程までひよりが此処に居た事を示して

いる。私は周囲を見回し、彼女が何処にも居ない事を確認して溜息を吐く。

 

 

「……分かってるわ、言わなくても――いいえ、言われたから分かった、かしらね」

 

彼女の呟きは虚空へと吸い込まれていった。

 

 

 

 妹紅の居なくなった縁側で月明かりが二人分の影を映し出す。妹紅と並んでいた時ほど差

がある訳ではない、が……どちらがひよりで彌里なのかは明らかだった。

 

「ねぇ、母さま」

 

「ん」

 

大きいほうの影の持ち主である私は隣に居る母へと尋ねた。

 

「どうして、母さまは私を育ててくれたの?」

 

 それは自身を育てた理由。妖怪で、しかも友人を助ける旅をしていた最中のひよりが、何

故此処に留まってまで彌里を育てたのか。ひよりは意外そうな顔で彌里を見つめた。

 

「……紫か」

 

「……は、はい」

 

 少しだけ怒気の混じった声に思わずそう答えてからハッと口を噤む。隣に恐る恐る視線を

向けると、母は何処か呆れ半分諦め半分といった表情で肩を竦めていたが、やがて私の視線

に気付くと強引に私の身体を引っ張って自身の膝へと乗せた。

 

「難しいかな、答えるのは。封印されてる場所が直ぐ近くだから、三代目の稗田に頼まれた

から、此処を紫の幻想郷の拠点にするから――そんな『言い訳』じゃ満足出来ない?」

 

 今まで一度も聞いた事のない声。抑揚のない無機質な声ではなく、何処か優しさと暖かさ

が入り混じった安心出来る声だった。私は無意識に目を閉じ、しかし意識だけはハッキリと

させて答える。

 

「……聞きたいです、本当の理由」

 

「……」

 

暫くの沈黙。その間母さまは私の頭を撫でていてくれた。

 

「三代目稗田、知ってる?」

 

ポツリと、母さまは小さく呟く。

 

「知ってます、私を拾ってくれた方ですね」

 

「その稗田がさ、私の家に来て突然『コイツを育てて貰えないか!?』なんて言い出して

ね。それが私達と彌里の出会い。その時は紫も居たよ」

 

「……」

 

 生まれてから十数年、初めて知らされる自分の生い立ち。私は母さまが本当の事を話し

てくれているという嬉しさ半分、本当に血は繋がっていないという悲しさ半分で母さまの

話を聞いていた。

 

「当然、私は最初即答したよ。断るって。でも紫が勝手に受け取っちゃったんだよね。挙

句の果てには『この子を神社の巫女に据えます』って言って聞かないんだもん。そこまで

は稗田も思っていなかったのに」

 

ひよりは一息入れて続けた。

 

「……でも、稗田が言ったのさ。『お前達も世話出来ないなら、この子を育てる事が出来

ない』って。里中を聞いて回って、どうしても嫌だけど渋々私達の所まで来たらしい」

 

 そうか、何かの狂いがあったら私は捨てられていたのか……なんて心の中でどうでも良

い事を考える。こうして母さまに聞かされても、それが有り得ないだけの過去として捉え

る事が出来た。

 

……だって、私は今生きているんだもの

 

「そこで私は思い出した。『あぁ、こうして私も無理矢理預けられて、向こうの望まない

まま自我を持ってしまったんだ』……これは昔私が人間だった頃の体験談。まぁ、正直な

所これが理由なんだろうね――」

 

そこまで言って母さまは私の身体を起こした。そして、身体を向ける。

 

正面には何時もと変わらない母さまが居た。

 

「貴方にも同じ思いはさせたくなかった。だから育てて、こうして一緒に暮らしている。

私はそれに後悔もしていないし、今だって楽しいと思ってるよ」

 

「あ……」

 

――微笑み

 

妹紅という人と話していた時も見せなかった、彼女の笑顔。

 

「ありがとう彌里、私と一緒に居てくれて」

 

 そして感謝。何もないのに、私に感謝することなんて何もないのに。母さまは私に頭を

下げて、少し気恥ずかしそうに笑った。

 

「――っ、」

 

 後はもう、言葉にならなかった。力加減なんて忘れて母さまへと飛び込み、ちゃんと支

えてくれた事に少しだけ驚いてから思い切り声を出して泣いた。泣いて、泣いて、謝って

支離滅裂な事を言った筈の私の頭を、母さまは無言で撫で続けてくれた。

 

「……無理に秘密にしたり、関わらない様にしようとした私が悪かった」

 

私の耳元でそっと母さまがそう囁く。自身を責めるように、ゆっくりと。

 

そんな事はない、母さまは私の事を考えてそうしてくれたのだから

 

そう言葉にしようとしても、何故か嗚咽しか漏れてこない。

 

「今度別の時に彌里の話は聞くから、今はこうしていると良い」

 

先程までとは打って変わって再び無機質な声。それが、何故か私の心を安心させて――

 

「――」

 

 

何時の間にか、私の意識は暖かさの中で薄らいでいった。

 

 

 

「よっ!……と、失礼」

 

 背後から聞こえた妹紅の声に私は指を一本立てる。それだけで察してくれた彼女は、一

度私の膝で眠る彌里を覗き込んでニヤリと笑ってから隣へと座った。そして、私と同じ様

に月を眺める。

 

あの時から変わらない、綺麗で眩しい新月だった。

 

「そっちは、もう終わったんだ?」

 

視線を妹紅へと移すと、一瞬彼女は何を言っているのか分からないという顔をした。

 

「あぁ?何のことだかサッパリ……あ、お祈り?」

 

 ちゃんとしてきたよ、と両手を合わせてそう言う妹紅……何をしていたのか言うつもり

はないらしい。私は諦めて月へ視線を戻した。

 

「全く、ひよりは少し甘すぎ、優しすぎ、お節介焼き過ぎ。話は聞いてたけど、どうせあ

の妖怪が引き取らなくても絶対受け取ってたでしょ?」

 

……こいつは

 

「……聞いてたなら死んで貰う」

 

「一度死んでそれなら安い位ね。別に良いよ」

 

髪を退かして首が見える様にした妹紅の喉仏を全力で突いた。

 

「――っ!!」

 

「蓬莱人の弱点も死ねない事って覚えておきなよ」

 

 そう言って妹紅から視線を外して森へと遣る。妖怪達も此処へは近寄らない為か周囲か

らは蟋蟀や鈴虫の声しか聞こえない……いや、隣から化け物染みた嗚咽も聞こえてくる。

 

「がっ、は!くぅ、……容赦ないな」

 

「盗み聞きは駄目って教わらなかった?」

 

「おかしいな、師匠は盗み聞きした技術を私に教えてくれてたような……?」

 

「駄目な師匠だね」

 

「本当」

 

 そこまでお互いに言い合ってから笑う。輝夜やぬえとは違う、無遠慮に出来る暴力と会

話の応酬は私と妹紅の絆の形といっても差し支えない。妹紅は自身の喉を摩り、そして舌

を突き出した。

 

「うへ、喉になんか違和感。……魚の骨みたいな」

 

「折れた首の骨が刺さってるんじゃない?」

 

その様子だとそれも治りかけのようだが。

 

「……うん、治った」

 

妹紅が一人頷いて伸びをする。先程の誤魔化しではなく、今度は本当に眠いようだ。

 

「どうする?此処でよければ幾らでも泊めるけど」

 

「あー、うん。お願いするよ、此処の周りは野宿に向かないみたいだし」

 

 妹紅は周囲の森を見てそう呟く。此処は元々妖怪達の巣窟だったという事もあって、逆

に言えば此処以外は妖怪だらけの森である。階段で寝れば多少は安全だろが、それでも一

度位の襲撃は避けられないだろう。

 

「じゃ、布団の準備をお願い。彌里も寝かせたいし」

 

「了解っと、何処にあるんだ?」

 

私がそう言うと妹紅は立ち上がって隣から消える。

 

「押入れ」

 

身体を動かさないままそう答えた。っと――

 

「そうだ、妹紅」

 

「んー?」

 

私は呼び掛けてから一瞬判断に迷った。……言うべきか、言わないべきか。

 

「輝夜姫、今も何処かで生きてるよ」

 

結論は出た。妹紅と輝夜なら上手くやっていける、と。

 

「……」

 

 背後から聞こえる布団の擦れる音が止まる。首だけ動かして後ろを見ると、妹紅は手

に布団を持ったまま此方を見て停止していた。

 

「紫が居ないから言うけど、輝夜が三人目の親友。月の使者から逃げ出すのを手伝って

つい最近再開した仲。ちなみに言うと、何処かっていうか場所も知ってる」

 

 罵倒される、または殴られる位は覚悟でそう伝えた。彼女が輝夜を恨んでいるかも知

れない事位は分かっていたし、黙っていたのは私の意志だ。

 

だが、そんな予想に反して妹紅は口角を吊り上げるだけだった。

 

「それを私に伝えた理由は?」

 

真っ直ぐに此方を見つめる妹紅。その瞳に怒りの色はない。

 

「妹紅と輝夜はきっと気が合うと思う。蓬莱人を抜きにしても、ね」

 

そういうと妹紅は暫くの間口をポカンと開けて固まり、少し面倒臭そうに頭を掻いた。

 

「……はぁー、ひよりに言われると一概に否定出来ないのが辛いわ」

 

布団を敷き終え、彼女は自身の頬を一度パシンと叩いた。

 

「分かった、一応会ったら少し位会話してみるよ。駄目だったら殴るけど」

 

彼女はそう言って勝手に布団に潜り込む。

 

「お好きに。時間は相手も妹紅も幾らでもあるからね」

 

私も彌里を抱いて立ち上がり、空いていた布団に寝かせてから妹紅と彌里の間に入る。

 

「……月明かり、眩しくないか?」

 

 瞼を閉じても感じ取れる程の灯。妹紅は此方に身体を向けて頬を掻きながらそう言っ

た。確かに少し眩しい気もするが……

 

「あった方が寝れるでしょ?今日に限ってはさ」

 

何故そう思ったのか、余り自分でも良くは分からなかった。

 

「ま、それもそうか。……じゃ、おやすみ」

 

 ……が、妹紅は何かを感じ取ったらしいので良しとしておく。私も妹紅に背中を向け

て彌里と向き合う様にして目を閉じる。

 

 

「……おやすみ」

 

 

 

嗚呼、今日は何て素晴らしい一日だったのだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




しかし私は紫様大好きです。

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