◇
「なぁ、知ってるか……?」
「何をだ?」
「最近、森の方で奇妙な生物を見たって奴がいるらしい。
見た奴が言うに、『犬や鳥、更には蛇みたいにも見えた』って話さ」
「……まさかそんな生物がいるのか?」
「さぁな、妖怪の仕業かもしれん」
「まぁ、それでも都まで入ってくる事は無いだろう」
「そりゃそうだ、百を超える陰陽師が住んでいるんだからな!」
「……もし入って来ちまったら?」
「この都も終わりって事だろうよ!」
「……ふぅん、じゃあこの都もお終いかぁ……」
二人の町民が話している直ぐ近くの家の屋根の上に、一人の少女が居た。
黒髪で真紅の瞳、この都では余り見かけない服装……少女は間違いなく浮いていた。
何より、彼女の背から出た赤と青の奇妙な翼の様な物が、彼女の非人間性を表している。
彼女こそ、下の町民達が話している『奇妙な生物』なのだ。
「こんな簡単に妖怪進入させちゃってさー。
都の陰陽師とやらは全員風邪で寝込んでいるのかなぁ?」
町民達に聞こえる音量で少女は喋っている。
だが、彼等が少女の方に目を向ける事は無かった。
それが、少女の能力だからだ。
『正体を判らなくする程度の能力』
この能力で、彼女は今現在『屋根の上にある変な物』程度にしか見られていないのだ。
当然、音や匂いもよく判らなくなってしまうので、彼女の声は町民達には聞こえていない。
「それに、お前等は私がやったと思ってるだろうけどさぁ――」
少女はチラリと上空を見上げた。
それと同時に、空を飛んでいた鳥が彼女の元へと降りてくる。
「――『一人』じゃぁ、ないんだよねぇ……」
降りてきた鳥は少女の肩に乗り、そのまま
「『ぬえ』、何か言った?」
「いやいや、ひよりが住んでた都の人間は馬鹿だなぁって」
「……私も元は住んでたよ」
そう言って嘴で突いてくるひよりを宥める。
「ひよりは別よ……それより、久し振りの都はどうだった?」
「うん、まぁ……楽しかった」
彼女が楽しかったなら、まぁ収穫としては充分だろう。
「それは重畳、さて……帰りましょうか」
私は立ち上がり、都の家々を眺めた。
此処でひよりは生まれ、見放され、妖怪になった――
「――気に喰わない」
「……ぬえ、ブツブツ言うの怖いからやめて」
「ごめんごめん」
ひよりが先に飛び、私も次いで空へと飛翔する。
結界を普通に通り抜け、私達は森の中にある家へと帰った。
◇
都から飛翔して数十分の森に私達の寝泊りしている小屋があった。
私達が自分で建てたので出来が良いとは言えないが、それでも雨風が凌げている。
「ひよりー、今日のご飯はー?」
私は二つ繋げた座布団に転がりながら飯を要求した。
妖怪なので食べる必要は無いのだが、ひよりの要望で交互に作っているのだ。
「……今日はぬえ」
「げ、そうだっけ?」
コクリと頷き、ひよりが壁を指差す。
壁には私達の名前が交互に……本当に私だ。
「あちゃー、用意忘れちゃった」
「……明日と明後日はぬえね」
ひよりが翼を出して外へと出る。
私よりもひよりの方が食材の調達が早いのだ。
「ありがとー、ひより大好き」
「……馬鹿」
私は顔も見ずにそう言った……ひよりも此方を見なかった。
まぁ、既に日常化してしまっているやりとりだし無理も無いだろう。
そうして、ひよりは空へ舞い上がった。
「――それでも、日常化する位には慣れたのかな」
私は、初めてひよりと出会った時の事を想起した。
「ミォー!!」
「ひぃぃぃっ、バ、バケモノ!」
普段と変わらない一日、通り掛かる人を驚かすだけの毎日。
私は間違いなく、繰り返すだけの妖怪の生活に退屈をしていたんだと思う。
「あっはっは!『ミォー』で逃げるの!?」
先程逃げて行った人間の反応を思い返して一人で笑う。
この後は、普段寝泊りしている洞窟に帰って寝るだけの筈だった。
――筈、だった。
「さて、明日はどんな声で……あれ?」
何時も通っている道に誰かが倒れている。
俯けでは無く、仰向けで空を仰ぐようにして、だ……。
「……変人?」
遠巻きに見てるので良く分からないが、恐らく生きているだろう。
何よりその体から出ている妖力が、倒れている誰かが妖怪である事を示唆していた。
倒れているのはどうやら少女のようだ、それも小さい。
呼吸もしているし、目も開いている所を見るに自分の意志で動く気がない様だ。
「……よし、これからの予定きーまりっ!」
自分でも分かる程意地の悪い笑みを浮かべる。
助けたりなんかせず、あの誰かを観察してみれば良いのだ。
少なくとも、人を驚かせるよりは面白いだろう。
一分後……
「……つまらない」
私の計画は最初から挫折しかかっていた。
動かない物を見続けるというのは、人を驚かすよりも退屈なのだ。
「……帰る途中に様子見で良いか」
私は観察をやめ、家代わりの洞窟へと帰る。
例え居なくなっていても、私は一向に構わないのだから……。
次の日も、私は普段通り人間を驚かして遊んだ。
何時もの様に人間の様子を振り返り、洞窟へ帰る途中に――
「まだアイツいるんだ……」
昨日と同じ場所に少女が倒れていた。
私は何だか馬鹿にされている様な気がして、そのまま無視して帰った。
次の日も、次の日も、その次の日も……少女は其処に倒れたまま動かなかった。
私は何時の間にか少女との距離を縮めていき、最近は直ぐ傍に立って観察する様になった。
ある、雨の日の事である。
目を覚ました私は、ふと少女の事が気になって外へと出た。
雨は既に本降りとなっていて、地面に雨が叩きつけられる音だけが周囲に響いている。
私は少女が何時も倒れている場所へと急いだ。
「……いた」
雨が降っていても、少女が動く事は無かった。
私はとうとう我慢出来なくなり、ズカズカと少女の隣に来て座った。
「……」
少女はチラリと此方を見たが、直ぐに空へと視線を戻した。
私は一度心を静める為に深呼吸してから、少女に話しかける事にした。
「アンタ、名前は?」
「……」
少女は答えない。
「何で寝転がってんのよ、濡れるでしょ」
「……」
少女は、答えない。
「はぁ、ったくもー……私らしくないなぁ……」
私は倒れている少女の背中に手を回し、持ち上げた。
少女はまたチラリと此方を見たが、何か言う事は無かった。
「私の家に連れて行くわ、嫌なら抵抗しなさい」
勿論、少女は話す事すらしなかった。
「……うぅ~、寒い寒い」
「……」
洞窟へと戻った私は、先ず最初に火を焚いた。
雨で濡れてしまった上に、夜になりかけなのでかなり冷える。
私は少女を火の近くに下ろし、近くの岩の上へと座った。
「私はぬえ、妖怪よ」
少女は答えない……と思ったのだが――
「……ぬえ」
殆ど掠れた様な声だったが、私にはちゃんと聞き取れた。
「なんだ、喋れるんじゃない」
肩に軽く手を置いてから、私は大きな伸びをした。
「ま、様子からして何かあったんだろうけど無理には聞かないよ。
貴女も妖怪なら時間なんて幾らでもあるだろうし、ゆっくり解決しなさい」
それだけ言って、私は洞窟の床に横になった。
あんな事言うつもりは無かったのだが、つい口が動いてしまったのだ。
本当、私らしくないなぁ……。
◇
あの少女を拾った次の日、私は先ずは水を飲ませてやった。
少女は渡された器を大人しく受け取り、少しずつ水を飲み始めた。
「うーん、名前だけでも聞かせてくれない?
流石にアンタとか貴女とかじゃ私がやり難いよ」
「……ひより」
答えないと思っていた私は一瞬呆気に取られる。
少女……ひよりはそんな私が面白かったのか、少し笑った……風に見えた。
「ふぅん、ひよりって言うんだ……」
「……うん」
今度は分かる様に頷く。
「じゃあ、私はひよりって呼ぶね。
私の事はぬえで良いよ、さん付けは絶対やめてね」
「分かった」
話としては漸く一段落したものの、外は生憎の雨。
私も日課である悪戯を出来ない以上、此処に二人で居る事になる。
「……それで、何であそこに居たのよ?」
少し早いと思ったが私は彼女に事の次第を聞く事を決意した。
何より、外も雨でジメジメしているのに、中までこれでは私が我慢出来ない。
「っ、それは……」
再び俯き気味になってしまうひより。
これはまだ無理かと思った矢先、ひよりが少しずつ話始めた。
都での出来事や――
暗闇の中の惨劇の話や――
人間に助けて貰った時の話――
それら全てを、ひよりは淡々と語っていった。
「……最初は、仕方ないかと思ってたんです。
生きているだけでも良い、ようかいになっても構わないって……」
人間が妖怪になる……それは一体どういう気持ちなのだろうか。
「……」
「でも、一人で森を歩いている内に分かりました。
人間だった時は一人だったけど、帰る家が、ご飯が、他の誰かが……居たんです」
私の様に最初から一人なら良かったのだろう。
だが、この子には家が、食事が、他の人間が居たのだ。
「――でも、今の私には何もないんです」
「……へぇ?」
だが、今の発言は聞き捨てならない。
私は立ち上がり、ひよりの前でもう一度聞き返した。
「今、何も無いって言ったの?」
「……」
沈黙は肯定、つまりそう思っていたのだろう。
私はこれ見よがしに溜息を吐いて肩を竦めて見せた。
「貴女の気持ちは良く分かったよ。
辛かっただろうし、何で私が、なんて思ったんだろうね」
「……」
「でも、それに混ぜて
真っ直ぐ彼女を見据えて言った。
ひよりは今までに無い勢いで私へと反発する。
「だから、私には何もっ!」
「『名前』と!『命』っ!」
「っ……!」
ひよりがハッとした顔になる。
……なんだ、本当に気付いていなかったのか。
「貴女が……『ひより』が今も持っている二つの物でしょ?
陰陽師の人間から貰った名前と、貴女がその闇の中で喰らった生物達の『命』は――」
「名前と、命……」
「少なくとも、その男は貴女に生きて欲しかったんでしょ」
もしかしたら幼い子供が好きな数奇者かもしれないが。
それは、今言うべきでは無いと直感で理解したので黙って置く。
「でも、命は――」
「生きたいと思ってそうしたなら、寿命まで生き続けなさい。
貴女の中にいる
「――」
ひよりは口を噤み、何も言わなくなった。
私はガシガシと頭を掻いてから、ひよりの腕を引く。
「まぁ、妖怪としての生き方なら私が教えたげる。
生きるか死ぬかを決めるのはその後!……私の見えない場所でして頂戴」
私はひよりの腕を掴んだまま洞窟の外へと向かう。
ひよりが腕を引かれて立ち上がり、私の後を付いて来る。
「……どうして、そこまでするんですか?」
確かに、勝手に世話を焼いて、相談に乗って……。
全く普段の私らしく無い行動に、少し自分でも寒気がしていた所だ。
「なんでだろうね、私も良く分かってない」
「……そうで「多分――」
落胆するひよりを遮り、私は続ける。
「――友達になりたいとか、そんなんじゃないかな」
空には、何時の間にか青空が広がっていた。
◇
「……え」
誰かが、誰かが私を呼んでいる。
「う、ぇー?」
間抜けな声と共に、段々意識が覚醒する。
目の前には、私の体を揺すり続けるひよりの姿が。
「ぬえ、起きて下さい」
「……何だ、夢だったのか」
一体何処までが夢だっただろうか。
そもそも、夢で何を見たんだっけ……?
「人に当番を任せておいて寝ないで下さい」
「いやぁ、どうにも天気が良くてつい……」
ひよりが呆れた様に溜息を吐く。
「もうご飯出来てますし、直ぐ食べて下さい」
粗末な机の上には二人分の食事が置いてある。
私は座布団を跳ね飛ばし、机の前へと飛んでいった。
「寝て起きたら食事がある……最高だね!」
ひよりの手料理を口へと運び、賞賛も兼ねて冗談を言う。
「明日と明後日はぬえですよ?」
「はい」
全然笑って無かった、怖い。
「そうそう、ところで……」
ひよりが箸を止め、此方を向く。
「んー?」
「……良いです、先に食べて下さい」
お言葉に甘えて口の中の物を飲み込む。
ひよりは呆れた様な、何処か疲れた様な表情をしていた。
「ごめんごめん……で、何?」
「随分寝ていた様ですが、どんな夢を見たんですか?」
不味い、答えを間違ったら怒られる奴だ。
此処は無難に、ひよりを無駄に怒らせる事の無い――
「――夢の中でもご飯食べてたからお腹一杯」
「天誅」
間違った。
◇
私を洞窟まで連れて帰ったこの妖怪はぬえと言うらしい。
彼女は、私の事を気遣ってあまり深く詮索しないように相手してくれた。
それが、どうにも心地良い。
けれど、同時に何処かもどかしかった。
彼女に私が此処に至った経緯を教えると、彼女は同情してくれた。
それ以上に彼女は私の事を叱ってくれた――勝手に有る物まで無くすな……と。
私の中には、きっと彼等がいるのだろう。
私は彼等が恨んでいるかもしれない、とぬえに伝えた事があった。
『声が聞こえたら相談しなさい』
それ以来、私はこの事で悩むのをやめた。
昔の事ばかり気にしていてはいけないのだ、生きる為にも――
「じゃあ、妖力の使い方から説明するね」
「おねがいします」
「って言っても、使い方なんて特に無いわ。
妖力を使って火を出したりするか、『能力』を使うか……そんな所ね」
ぬえが指から炎を出す。
「んで、能力ってのはこれの事よ」
ぬえの姿が一瞬揺らいだと思ったら、奇妙な生物が目の前にいた。
白い羽、蛇の体、犬の様な顔……それは大体――
「……こんな感じですか?」
私の中の『力』を使って同じ形にしてみる。
自分の姿が見えないので良く分からないが、何だか変な感じだ。
「……」
ぬえは奇妙な生物のまま絶句していた……凄い顔だ。
彼女も、まさか自身の姿を再現されるとは思っていなかったのだろう。
「……そういえば、喰った生物の特徴を引き出せるんだっけ」
この力は洞窟の中で話していた時に発覚した物だ。
名前を付けるなら、性質を引き継ぐ力とかそんな感じだろうか。
「さて、話を戻すけれども――」
ぬえが今度は私の手を引き森の出口へと向かう。
「妖怪が生きる為に必要な物は大体決まってんのよ。
人間を食べるのも方法としちゃアリだけど、私は驚かして補ってる訳」
確かに、ぬえの姿を初対面で見たら私でも卒倒するだろう。
森から出たぬえと私は、普段ぬえが狩場として使っている場所へと向かった。
「見てて」
「うん……」
私は近くの草叢に蛇になって隠れた。
ぬえは、森側にある木の上へと移動し、遠くを見つめる。
暫くすると、ぬえの見ていた方向から一人の男が来た。
大きな荷車を引いて、大きな荷物を背負っている……商人だろう。
男は暢気に鼻歌を歌いながら私のいる草叢を通過し、そして――
「ぬえぇぇぇぇ!」
蛇の体を首代わりにした牛の顔の怪物が、商人の目の前に降り立つ。
ちなみに首の数は八本、牛の顔も八つ、何故か体は兎の白いソレだった。
「……」
商人は暫くぬえを見つめた後、ふっと息を吐いて倒れた。
私は草叢から出て人型になり、此方に親指を立てるぬえの下へ走る。
「どう?これが私の力よ!」
「今見えてたのは、あの人にも同じ物が?」
私が見えた物と同じ物を見たなら、気絶しても可笑しくは無い。
ぬえは倒れた商人を荷車に乗せ、荷物の中身を拝借しながら言った。
「まぁ、一人二人位なら同じものを見せられるよ。
流石に都中とかは無理……やってみようかな……?」
こいつも届けなきゃいけないし、と荷車を指すぬえ。
まさかぬえも気絶するとは思っていなかったのだろう、若干声が震えている。
「……まさか死んでないよね?」
不安そうな顔で此方を見るぬえ。
普通に胸も上下しているし、大丈夫だが此処は――
「さぁ、どうでしょう?死んでいるかも……」
「わぁぁ!ひより!急いで都に届けよう!」
ぬえと並んで荷車を引き始める。
妖怪二人なら人が乗っていてもこの程度なら軽い。
「そういえば、一つ気になった事が」
「ん、何?」
「ぬぇぇって叫び声は何だったんです?」
「趣味」
趣味らしかった。
◇
――目が、覚めた。
どうやら、随分懐かしい夢を見ていた様だ。
私は体を起こし、隣で寝ているぬえを見る。
「……」
寝ているぬえの肩に手を伸ばしかけ――やめる。
何時までも、ぬえに頼りっぱなしにする訳にはいかないのだ。
「はぁ……」
それでも、一度思うと色々浮かんでしまう。
昔の事、これからの事、ぬえと別れた後の事……。
「全く……さっさと寝なさいって」
不意に、後ろから抱き抱えられる。
寝ていたと思っていたぬえが、私を後ろから抱き締めたのだ。
「……ぬえ」
「悪い夢なんて、誰でも見る物よ。
今は兎に角寝なさい、起きたら多分忘れてるから」
そう宥められ、私は渋々目を閉じる。
人肌とは、こんなにも暖かい物だったのか――
「おやすみ、ひより」
意識が途切れる少し前、ぬえがそう言った気がする。
私には、今目の前で寝ているひよりの気持ちが分からない。
元人間でも無いし、何かの実験材料にされた訳でも無いのだ。
それでも、この子の苦痛を和らげる事は出来る。
『今日からお前の名前はぬえだ!良い名前だろう?』
――ふと、頭に何か過ぎった気がした。
浮かんで直ぐに消えてしまったが、何か大切な物だった気がする。
「私にも、言える事なのよね」
抱えていたひよりを強く抱き、目を瞑る。
起きたら、多分忘れているだろう。
◇
小屋の外で鳴く鳥の声で、ひよりは目を覚ました。
「……」
何だろう、何かを見た様な気がするがイマイチ覚えていない……。
「あれ、ぬえは……」
ぬえを探して小屋から出る。
彼女は森を出た場所に一人で立っていた。
「ねえ、ひより」
「何?」
ぬえは一方向を見つめている――都の方向を。
「私はこれから都に行くわ。
あいつ等に私の恐ろしさを思い知らせてやる!」
高笑いをしながら飛翔するぬえに私も付いて行く。
良かった、この様子なら無茶をする事も無さそうだ……。
そう、思っていたから――
「……」
――ぬえが真剣な顔をしているのに気付かなかった。