「クソッ! 放しやがれ!」
「暴れないで!」
LDSの医療施設、そこに沢渡は居た。
「こんな事してる暇ねえんだよ!」
「どんな影響があるのか分からないんだ、君の為なんだぞ!」
医師や看護師たちに無理矢理ベッドに寝かされ、強制的に検査を進められている。
「ふざけやがって! クソッ、赤馬零児を連れて来い! これもあいつの指示なんだろ!? 一体何を知ってやがる!」
体に何か異常は出ていないか、その検査。考えられる理由は一つ、詠歌とのデュエル、リアルソリッドビジョンシステムのないあの倉庫でモンスターが実体化した事。
「それともまさかお前らが久守に何かしやがったのか!? ああ!?」
以前のデュエルはアクションデュエルだったが、それでもあれ程の重圧はなかった。何かがきっかけとなって発現した力。
今日、詠歌から聞いた彼女の抱える痛み。それを理解する事は出来なかった、突拍子もない話だった、というのも理由だが、それと別にもう一つ、大きな理由がある。
「あの黒咲とかいう奴は何なんだ! あんな野郎見た事ねえぞ!」
詠歌の口から出た黒咲という名前だ。まるでLDSに入った時から居たような風に詠歌は彼の事も話していた。そんな記憶、沢渡にはない。
「それだけじゃねえッ、あの逢歌とかいう奴の事も知ってんじゃねえのか!
「大人しくしなさい!」
「どうだ?」
「はっ、順調に進んでいます」
赤馬零児はLDS内にある研究室に居た。
そこで行われていたのは、デュエルディスクの解析だ。
エクシーズ次元のデュエルディスク、襲撃犯――ユートの遺したデュエルディスク。
「次元を超える機能を持ったデュエルディスク、これを解析すれば我々のディスクにもその機能が……」
隣に立つ中島が言う。
「それだけではない。リアルソリッドビジョンシステムを小型化し、デュエルディスクに組み込む。アクションカードはペンデュラム召喚と同じく我々にとって大きな武器だ」
「はい。ペンデュラムカードも量産化が進んでいます。後数日もすれば完成するでしょう」
零児は頷く。着々と準備は進んでいた。融合次元、アカデミア、そして赤馬零王に対抗する為の準備が。
「黒咲にはデュエルディスクの事を知られないよう注意しろ。仲間の身に何かが起きたと知れば、この大会に支障を来たすような行動に出る可能性が高い」
「了解しました。……沢渡はどういたしますか。どうやら医務室で暴れているようです」
「久守詠歌とのデュエルの結末については聞かねばならない。私が行こう」
「社長自らですかっ?」
「ああ。結果はどうあれ、これで沢渡はあのユートという男のデュエルと合わせて二度も生き残った……今の彼の話なら耳を傾ける価値がある」
「……分かりました。黒咲が邪魔をしないよう、監視しておきます」
◇◆◇◆
……どれだけ時間が経ったのだろう。分からない。
でももう関係ない。
どうせ私には何もできない。何も許されない。
……もう、笑えない。笑顔でお別れなんて、できない。
もう誰にも会いたくない。誰も私を知らない。
それにもしそれを逢歌に見られたら、彼女はきっと私を苦しめに来る。最も効果的な方法で、久守詠歌ではない私を痛めつける。
その理由は分からない……それとも理由なんてないのか。黒咲さんとの試合で紫雲院素良が語ったように、遊びでしかないのか。
「……」
私に出来るのは此処で終わりを待つ事だけ。
終わりの時を待ちながら、私が居た証を残すだけ。
「次は……遊勝塾のみんな」
もし叶うなら、この手紙が届きますように。
「……っ」
また、意識がなくなっていた。
今度はどれだけの時間、私はわたしでなくなっていたのだろう。
破り捨てられた手紙を見て、そう思った。
「ああ……もう一回、書かなくっちゃ……」
もう何度も繰り返した。書いては破れ、破れては書いて、何度も何度も。
時間も忘れ、私は繰り返す。
それぐらいしか私には出来ない。
終わりの見えない作業。けれど私の終わりは近い。
◇◆◇◆
「答えろ赤馬零児! 何で久守の奴まであの襲撃犯みたいにモンスターが実体化する!? 黒咲隼とかいうあのデュエリストは誰だ!」
苛立ちと怒りを隠すことなく、沢渡は零児に叫ぶ。
「あの襲撃犯同様、久守詠歌もまたそれだけ強力なデュエリストへと成長したという事だ」
「ふざけんな! そんな理由で納得出来るか!」
「事実だ。彼女の召喚反応は彼や黒咲、紫雲院素良に匹敵する程の物となった」
「召喚反応……? そんなもんどうでもいい……! その黒咲ってのは何なんだ!」
「彼は我々と共通の敵と戦う同士。ランサーズの一員だ」
「久守の奴は昔から知ってるような口ぶりだった……だが俺はあんな奴知らねえ……お前、あいつに何をしやがった。あの逢歌とかいう久守と同じ顔をした女は何なんだよ!」
逢歌。その名前を聞いて、初めて零児は反応を見せた。
「久守詠歌と同じ顔だと……?」
「とぼけんじゃねえ! あの榊遊矢そっくりの襲撃犯と黒咲は似たような事を言ってた。鋼の意思だの刃の如き鋭さだのな! 久守と逢歌の事も知ってんだろ……! あいつも仲間だってのか!?」
「……」
眼鏡の奥、零児の瞳の鋭さが増す。
「沢渡シンゴ、一体あの久守詠歌とのデュエルで何があった」
「――私だ。すぐに市内の警戒を強化しろ。……そうだ、融合次元のデュエリストが侵入している可能性がある」
沢渡の話を聞き終え、零児は何処かに通信を入れた。短く命令を告げ、通信を切ると未だ興奮し自らを睨み付ける沢渡に向き直る。
「沢渡」
「ああ……!? まだシラを切るつもりじゃねえだろうな……!」
「これから話す事は全て事実だ」
真実を、異次元の存在を、そしてランサーズの事を告げる為に。
「君が会った逢歌という久守詠歌と同じ顔をした少女、彼女は別次元のデュエリストだ」
「何……? テメェ、これ以上ふざけた事を――」
「事実だと言ったはずだ。それに君も見たはずだ、我々LDSですら把握していなかった、エクシーズ召喚を扱うデュエリストを」
「……黒咲の事か」
「‟ランクアップ”、あれはこの次元には存在しない、異次元で生み出された特殊な魔法カードを用いた召喚方法だ」
紫雲院素良とのデュエルで見せた、二度のランクアップ。エクシーズコースの志島北斗でさえ知らなかったエクシーズ召喚。
「黒咲や君を襲った榊遊矢と同じ顔をしたデュエリスト、ユートはエクシーズ次元のデュエリストだ」
「エクシーズ次元だと……?」
「そして黒咲の対戦相手、紫雲院素良は融合次元のデュエリスト」
「紫雲院素良……確か試合の後、行方不明だとか言ってたな。ッ、あの逢歌とかいう奴もそうだってのか!?」
「まだ仮説の段階だ。断言は出来ない、だが別次元の人間である事は間違いないだろう」
「何を根拠に……」
逢歌が使ったのは融合解除という魔法カードだけ。融合に関するカードを使ったからといって、それだけでは何の根拠にもなりはしない。
「彼女の使っていたデュエルディスクを見たか? 恐らく、見た事のない形状の物だったはずだ。我々が使う物とも、ユートや黒咲の物とも違う」
「っ、それは……」
「可能性として最も高いのは紫雲院素良と同じ融合次元、アカデミアのデュエリスト」
「……その与太話が本当だとして、何で久守と同じ顔をしてんだ」
「それは分からない。彼女の目的もまだはっきりとはしていない、何故君を助けたのか、何故君に助言したのかも」
突如として零児の口から語られた別次元の存在。笑い飛ばすのは簡単だ、だがそれは出来なかった。そんな荒唐無稽な光景を自分は二度も目撃していたのだから。
「……なら、何で久守は黒咲の事を知ってる」
そしてそれが本当なら、確かめなければならない事がある。
「黒咲が別次元のデュエリストなら、なんで久守が知ってる」
「……彼女と光津真澄、志島北斗、刀堂刃の四人は以前、黒咲とデュエルをして敗れた」
「あいつとデュエルだと……? まさかパパを襲った襲撃犯は――!」
「黒咲だ。その後、私は彼と同盟を結んだ。そして大会に彼を参加させる為に――彼女たちの記憶を抹消し、操作したのだ」
「ッ――テメェ!」
耐え切れず、沢渡は零児に掴みかかる。
「抹消だと……? 操作だと!? ふざけやがって!」
「融合次元に対抗する為、この世界を守る為に必要だった」
掴みかかる沢渡の手を掴みながら冷たく、零児は言う。
「黒咲の記憶を操作し、彼を尊敬するような記憶へと書き換えた。大会に参加させる為、そして久守詠歌から君に対する依存心を取り除く為に」
「俺に依存だと……?」
「彼女はこの世界を守る槍と成り得るデュエリスト。だが君に対する盲目的な忠誠心は諸刃の剣になり兼ねない。君の為ならば彼女は君以外の全てを敵に回すことも厭わないだろう」
「ッ……」
ユートにデュエルを挑んだように、かつて沢渡を影から守り続けて来たように。詠歌は世界の為ではなく、沢渡の為に自分の力を振るうだろう。
だがもしも沢渡の身に何かあれば、もし沢渡が道を違える事があれば、その時詠歌はこの世界に牙を剥く可能性があった。
それを軽減する為に、この世界を守る為の槍とする為に、詠歌の記憶を書き換えた。
「だから俺の記憶も書き換えたのか……あいつを利用する為に! 俺を嫌わせて、ただの人形みてえに使う為に!」
それは違う。詠歌の、彼女の変化は彼女の中に眠るもう一つの心に依るもの。だが、零児は沢渡の勘違いを否定しなかった。
意図しないものだと説明しても沢渡は納得はしないだろう。ならば自分に敵意を向け、それで納得するならばそうした方が良いと判断したからだ。
「あんな別の人格まで植え付けて、それであいつがどんだけ苦しんでると思ってやがる!」
零児が否定しなかった事で沢渡の中で全てが繋がる。あの倉庫で現れた何か、あの部屋で現れた何か、その全ての原因は目の前の零児によるものだと。
「別の人格だと……?」
「自分で自分が分からなくなって、怯えて、苦しんで! あいつの部屋がどうなってるか知ってるか! 酷え有様だった、ぐちゃぐちゃで、人が住めるような所じゃねえ! そんなになるまであいつを利用して、世界を守るだと……? それが許されるとでも思ってんのか!?」
(……まさか、そこまで不安定な状態だったとは)
すれ違う。沢渡も、零児も見失う。
彼女の本当の苦しみを知る者はただ一人、敵である逢歌だけ。
――この世界に、本当の彼女を知る人間は居ない。
「私は管制室に戻る。融合次元のデュエリストが侵入した可能性がある以上、これまで以上に警戒を強めなければならない」
掴みかかられ、乱れた服を直しながら零児は沢渡に告げる。
「勝手にしろ……俺は行くぜ……!」
「久守詠歌の所にか」
「決まってるだろうが! 今のあいつを放っておけるか!」
「だがもしもまた、次は敵としてその逢歌という少女が現れたらどうする」
「俺が倒すだけだ!」
沢渡の怒りは収まらない。だが今はそれよりも一刻も早く詠歌の下に戻る、それが最も彼にとっては重要だった。
「ペンデュラムカードのない今の君に勝てるのか?」
「何だと……!」
「ペンデュラムカードを使いこなした君と榊遊矢とのデュエル、見事だった。だがもう君にはペンデュラムカードはない」
「ペンデュラムカードがあろうとなかろうと関係ねえ!」
「今融合次元のデュエリストと戦えば君は犬死にするだけだ」
「舐めた事言ってくれるじゃねえか……!」
今となっては沢渡は零児の描くランサーズの一員と成り得る可能性のあるデュエリストとなった。しかしそれはペンデュラム召喚をいち早く受け入れ、それを使いこなしてこそ。今の沢渡ではそれだけの力は発揮できない。
「後数日、第二試合が終わるまでにはペンデュラムカードの量産が完了する。君に貸し与えたものよりも安定したものが。それを君に預けよう」
「それまで此処で待ってろって言うのか!? ふざけんな!」
「もし君が死ねば今の不安定な久守詠歌はどうなる?」
「ッ……!」
沢渡を失うのは避けたい。そしてもう一つ、異次元の存在を知った今の沢渡を外に出すわけにはいかない。
もし彼がそれを吹聴すれば住民たちは困惑するだろう。彼は次期市長候補の息子、その父親の力は決して小さい物ではない。
「彼女の下にはLDSのチームを向かわせよう」
「信用するとでも思ってんのか……!」
「彼女を失いたくないのは我々も同じだ」
「……クソッ!」
悪態を吐きながら、沢渡はベッドに腰を下ろした。
「デュエルディスクも此方で預からせてもらう」
「……チッ、待て。あいつに伝えさせろ」
メールを打ち終えた沢渡からディスクを受け取り、零児は踵を返す。
沢渡はその背を睨みながら、ベッドに拳を振り下ろした。
久守詠歌のマンションの前、LDSのトップチーム、通称制服組の三人が訪れていた。
「此処か」
「すぐに回収を。いつ敵が来るか分からない」
零児の命令で詠歌を連れ戻す為に。
けれど、その命令が果たされる事はない。
「――そうそう。でももう遅いんだよね」
「ッ、誰だ!?」
自分たちの背後から突然掛けられた声に驚き、振り向く。
「久守詠歌……!」
其処に立っていたのは詠歌と同じ顔をした、しかし詠歌ではない少女。
「いや違う、こいつが社長の仰っていた……!」
「そう、僕は逢歌。‟私”を連れて行かれるのは困るなあ。今また苦しみ悩んでる所なんだ。その邪魔をしないでよ……‟私”にはもっと苦しんでもらわないと。君たちはLDSって所の先生かな? ……ねえ先生、僕にも授業してよ」
◇◆◇◆
翌日になっても詠歌がLDSに来る事はなかった。
詠歌のデュエルディスクにメールは届いただろうか。もしデュエルディスクが壊れ、届いていなかったのなら……そう考えた時、我慢は限界を迎えた。
「もう待ってられるか……!」
ペンデュラムカードがなかろうと関係ない。詠歌の下へ。
沢渡は病室を抜け出し、外へと向かう
しかし、それを阻む者が居た。
「何だテメェら、そこをどけよ」
外へと通じる扉の前に立ちはだかる、警備員だ。
「駄目だ。指示があるまで君には此処で待機してもらう」
「断る! 一日待った、だが久守は来ねえ! ならもう俺が直接行って連れて来てやる!」
「駄目なものは駄目だ!」
無理矢理に通ろうとする沢渡を羽交い絞めにするが、彼は止まらない。
力づくで大人しくさせるしかないか、そう警備員が思った時。
「相変わらずうるせえ奴だ……少しは静かに出来ねえのか、テメェは」
「テメェ……刀堂刃!」
現れたのは頭や腕に包帯が巻かれ、松葉杖をついた少年、刀堂刃だった。
「何があったのかは知らねえが、此処は医療施設だぞ。騒ぐなよ。馬鹿につける薬でももらったらどうだ?」
◇◆◇◆
「……あははっ」
また意識が飛んでいた。思わず笑ってしまう。こんな状態でよく今まで無事だったものだ。
「紙がなくなってしまいましたね……」
切り刻まれ、部屋に散らかった紙を見下ろしながら言う。
「買いに行かなくっちゃ……」
もし外で意識を失って、それが道路の上だったらどうなるんだろう。そんな想像が過ぎった。
「ああ……でも大丈夫ですよね。あなたも、困りますもんね」
鏡に映る自分に向かって話しかける。当然、返事はない。
「もう死んでる私と違って、あなたは生きてるんですものね」
鏡に映る自分の瞳を覗き込む。その奥に映る自分の表情は変わらない。
「そうだ、ご飯も食べないといけません……私の体じゃないんですもんね。無理しちゃ迷惑ですよね……」
ボソボソと掠れた声で一人呟きながら、部屋を出る。
「……酷いですね。これじゃああなたも困るんじゃないですか?」
荒れ果てた廊下を進んでいく。
「何だか久しぶりですね、外に出るのは……」
外へと通じる扉を開く。
「沢渡さんはどうしたんでしょうか……何もなければいいんですが」
夕日が私を照らす。時間の感覚がないから今が何日なのかも分からない。沢渡さんが中島さんに呼ばれてからそれ程経っていないのか、それとももう何日も過ぎてしまったのか。
「……行きましょうか」
「――――久守!」
誰かの声が聞こえて――そしてまた、私の意識は途切れた。
次に意識が戻ったのは陽が沈む頃だった。
此処は市内の何処か……特に怪我もしていない……これなら別に外で意識が飛んでも問題なさそうですね。
『続いてデュエルニュースです』
見上げるとビルに設置されたモニターがニュースを告げていた。
『連日熱戦が繰り広げられている舞網チャンピオンシップ、ジュニアユースクラスでは今日で二回戦全ての試合が終了し、ベスト16が出揃いました』
もう二回戦が終わったようだ。なら今は大会が始まって七日目……一体誰が残ったのでしょうか。
ぼんやりとニュースを見つめる。紹介される選手の中には柊さんや榊さん、権現坂さん、それに黒咲さんの姿があった。
刀堂さんを破ったという勝鬨勇雄の姿はない。二回戦で榊さんに敗北したそうだ。
三回戦はどうなるのでしょう……それを見届ける事は出来ないだろうけれど。
ニュースから目を離し、周囲を見渡す。何処かで食事をしなければならない。食事が喉を通る気がしないけれど。
「あ……」
ようやく気付く、此処は……
すぐ近くに建つ、見慣れた建物。
いつも通っていた、ケーキ屋だった。
もう閉店時間なのだろう、此処から見えるショーケースにはほとんど商品が残っていなかった。
そしてそこにあの女性の姿はない。
「……私には何も、出来ない」
踵を返す。此処には居たくなかった。
これもあなたの嫌がらせなんですか……詠歌。
「――君」
「……」
歩き始めた私に掛かる声。億劫になりながら振り向く。
「……ああ、やっぱりそうだ」
「あなたは……」
見覚えのない男性だった。中島さんよりも歳は上だろうか。屈強な肉体と鋭い目つき、そしてそれに不似合いな制服を身に纏っていた。
その制服には見覚えがある。あの女性がいつも身に着けていた、あのお店の制服と同じデザインだ。
「いつもご利用ありがとうございます」
丁寧な口調で男性は頭を下げた。
「最近は表に立たずに中での作業ばかりだから知らないだろうが、怪しい者じゃない。あのお店の店長をやってる者だよ」
ケーキ屋を指差し、店長さんは笑う。
「……こちらこそ、お世話になっています」
「ふむ……少し時間はあるかい?」
「……はい、大丈夫です」
あの女性の事だろう。けれど答えられる事はない。カードにされた、なんて言っても信じてもらえるはずもない。
「立ち話もなんだ。お店に来なさい。食べてもらいたいものもあるからね」
「……はい」
店長さんに促されるまま、closeの看板が立てられたお店へと入る。
「少し掛けて待っていてくれ」
店内に設置された椅子に腰かける。店長さんは奥で何かを準備しているようだ。
「……」
いつも私を迎えてくれた女性の姿は何処にもない。いつも並んでいるケーキたちももう残っていない。
慣れ親しんだこの場所も、まるで知らない場所のようだ。
「待たせてしまったかな」
「いえ……」
暫くして、店長さんはトレイに何かを載せて戻って来た。
テーブルにトレイを置くと私の対面に腰掛ける。
「……」
「彼女から君の事は聞いているよ。仲良くしてくれているそうだね」
「いえ、私の方こそ……」
「彼女――ああ、名前は私から本人から直接聞いた方がいいだろう? 君も知ってるだろうがこれは彼女の二作目でね」
トレイに載っているのはあの黒いプティングだった。
「完成したら君に一番に食べてもらいたいと言っていたよ」
「……」
「だというのにやっと完成した、と思ったらいつの間にかいなくなってね。此処二日間連絡もない。困った子だよ」
苦笑しながら言う店長さんに私は答える言葉が見つからない。
「まあ毎年この大会中は暇でね。今の所問題はない。明日からは営業も出来ないからね」
「……」
「大会が終わる頃には戻って来るだろう。私も若い頃は時間も忘れてケーキ作りに打ち込んだものだよ……ああ、それは今もだった」
店長さんは慣れていなそうな笑顔で笑う。
「……食べてみてもらえるかい? これは私が作ったものだがね。サボっている罰だ、私が最初に感想を聞いておきたいんだ」
「……」
カップを手に取る。食欲はない。でも、これだけは食べなければいけない気がした。
「……やっぱり、私にはまだ早いです」
一口食べると広がるのは変わらない苦味。子供の私には早い、大人にはなれない私にはきっとこのプティングは合わないのだろう。
「飲んでみて」
次に差し出されたのはトレイに載っていたポッドと、それを注がれたカップ。嗅いだ事のない匂いだけど、これは……
「君も紅茶を嗜むんだろう? 私も好きでね。きっと合うと思うんだ」
「……いただきます」
苦味の広がる口に、一口。
今まで飲んだ事のない、優しい味。
「……美味しい」
自然とその言葉が零れた。
「君が淹れた紅茶を飲みながら、それを一緒に食べるのを楽しみにしていたんだ」
「……私なんて、まだまだです。こんな味は出せません」
「はははっ、私も苦労したんだ。君の歳で同じ物を出されたら自信をなくしてしまうよ」
紅茶をご馳走する、なんて言ってしまった。でも店長さんのような紅茶を飲んだ事がある彼女には私のものなんて……それに、彼女はもう。
「それに大切なのはそこじゃないさ。私たちは商売だが、君は違うだろう?」
「……」
「彼女が作ったそれと、君が淹れた紅茶ならきっともっと美味しいはずだよ」
「……」
もう枯れたと思ったのに、涙が出そうになる。
色々な感情が入り混じって、視界が歪む。
「何があったかは知らない。何かあったかどうかは一目見て分かったけどね」
「っ……」
「引き留めてすまなかった。それを食べたら帰って、ゆっくりと休みなさい」
優しい言葉。私を案じる言葉。
「君がこのプティングになんて名前をくれるのか、楽しみにしているよ」
「……ありがとう、ございます……っ」
◇◆◇◆
「っ……?」
意識が戻る。また、そう思ったが違う。
目覚めたのはベッドの上だった。……そうだ、あの後私は此処に戻って来て、眠ってしまったんだ。
眠るのも随分と久しぶりに感じる。
「……」
目覚めてすぐ感じたのは空腹だった。現金なものだ、昨日までは食欲もなかったのに、優しい言葉を掛けられたらすぐに……結末は変わらないのに。
私はこのまま消えるしかないのに……。
時計を見ると時刻は正午を回っていた。もう三回戦は始まっているだろう。少しだけ気になり、中継を見ようとデュエルディスクに手を伸ばそうとして、気付く。
部屋の中央に置いてあるテーブルの上に何かが載っている。
「これは……?」
それはお皿の上に載ったソレは名状しがたい形状をしていた。強いて言うなら黒い、炭の塊のようなナニカ。こんなものを置いた覚えはない。
もしかして眠っている間にまた何かをしたのだろうか。そう考えながらも視線を彷徨わせる。他に異常はなかった。
「……?」
改めてデュエルディスクを取ると、それも奇妙だった。
操作していないのにも関わらず、デュエルディスクがデュエルモードで起動している。
……ああ、そういえば壊れているかもしれないと沢渡さんが言っていた。これでは中継も繋がらないかもしれない。
それでも試してみようとデュエルディスクに触れた時、ガタッ、と部屋の外から音が聞こえた。
……誰かが、居る。
沢渡さんかもしれない、そう思ったが玄関の鍵は閉めたはずだ。入れるはずがない。それに強引に入って来たのだとしても、それなら眠っていても音で気付くはず……一体誰……?
警戒しながら、ベッドから降りる。……泥棒? いやこの部屋以外は荒れ果てているんだ、泥棒だとしても此処に盗みに入ろうとは思わないだろう。
悩む私の耳に足音が聞こえて来た。間違いない、此方に向かって来ている。
泥棒でもないとすれば、まさか逢歌が? また私を苦しめる方法でも思いついたのか。そんな事をしなくてももうすぐ消える身なのに。
……うん、可能性として一番高いのは逢歌だろう。出来るなら会いたくはない。けれど今更どうする事も出来ない。
足音は部屋の前で止まり、ドアノブが回された。
開いていく扉を睨み付ける。……不思議だ。昨日まではもうそんな力も残っていなかったのに。
……しかし、私の警戒に反し、開かれた扉の前に立っていたのは、想像もしていなかった姿だった。
「……は?」
思わず、間抜けな声が漏れる。
其処に居たのは、
『……』
エプロン(私の)を身に着け、フライパンとお玉(私の)を持った、
『……』
――エルシャドール・ミドラーシュだった。
「……は? いや……は?」
目を擦り、もう一度扉の方を見る。
流石に見間違いだったのだろう、エプロンもフライパンもなかった……と思ったらその背後に脱ぎ捨て放り投げられているのが見えた。ってそんな事は今はいい、二度見してもミドラーシュは消えていなかった。
混乱する私を尻目に、ミドラーシュは部屋へと入ると手に持った杖を私に向けた後、今度はテーブルの上の名状しがたいナニカを指した。
そして何か言いたげな目で私を見る。
目を凝らして皿の上のナニカを見る。……さっきまでの格好、まさか、これは……食べ物、なのだろうか。
「……いやいや、ない。それは、ない」
やはり疲れているのだろう。そんな突拍子もない想像に至るなんて、どうかしている。
……けれど嫌な予感がする。もう一度ミドラーシュを見ると、無表情だけれど偉そうに胸を張り、私を見ていた。
「ッ!」
まさか、そう思って私はミドラーシュの横を走り抜け、部屋を飛び出した。
荒れ果てた廊下や壊れた椅子にくじけそうになりながらも、ダイニングの先、キッチンへと飛び込む。
「あ……ああ……!」
酷い惨状だった。
私の部屋と同じく、最後まで守り抜こうとしていたはずの聖域は、物が散乱し、何かが壁に飛び散り、見るも無残な変貌を遂げていた。
また足音が聞こえる、その足音の主、この惨状を作り出した下手人は私の背後で止まった。
「お前ぇぇぇえええええええええええ!!」
感情の赴くままに叫びながら振り返り、そこに立つミドラーシュに掴みかかる。
「ど、どどうしてくれるんですか!? 私が此処をどれだけ大事に使っていたか! 沢渡さんの為に色々と紅茶の勉強をして、今度はお弁当にもチャレンジしようとしていたのに! そ、それをこんな!」
前後に彼女の頭を揺らしても、彼女は相変わらず私を見つめたまま。
「こんな有様にして、これじゃあ料理なんて出来やしません!」
何を言うでもなく、私を見つめている。
「こんな……」
何も言わず、ただ。
「こん、な……」
力が自然と抜けていく。
「どうして……?」
『……』
「あなたは……シャドールたちは、久守詠歌のカードのはずです。私がこの世界にやって来た時、私が彼女から奪った……それなのに、なんで……」
……誰も久守詠歌ではない本当の私の事を知らないと思っていた。でも、違う。知っているんだ。私と共にやってきたマドルチェたちと、そして彼女たちを抜いてしまった後もデッキに残り続けた彼女たちは私がやって来た時からずっと、この私の事を。
でもどうして、そんな目で私を見るの……?
本当の持ち主でもない私を、そんな優しげな瞳で……。
『……』
彼女は答えない。でもその瞳も変わらない。
私を受け入れるような、優しい瞳。
「……どうしてこんな事」
『……』
「私はあなたたちの本当の持ち主じゃないんですよ……?」
『……』
「もう死んだはずの人間で、それなのにこの体を勝手に奪って……」
『……』
「……私を、許してくれるんですか」
『……』
静かに、彼女は頷いた。
「……あはは……そっか……」
……私は、何をしていたんだろう。
誓ったはずじゃなかったのか。約束したはずじゃなかったのか。
彼女に、あのデュエルで。
「……まだ答えは出ません。でも、約束しましたもんね……あなたのように、探し、求めるって」
答えが出ないなら探せばいい。
答えが欲しいなら求めればいい。
その為に動く体が、考える心が、今の私にはあるんだから。
「ごめんね、ミドラーシュ……。久守詠歌……私はまだ消えたくない。答えを見つけるまで、奪われた者を取り返すまで……それまであなたの力と体、それに名前も、まだ返せない」
たとえそれが許されない事だとしても、私は進む。
バサッと音を立てて、窓を隠していたカーテンが落ちた。
窓の外に広がっていたのは、見た事のない景色。
これは、アクションフィールド……? まさか街中にフィールドが展開している?
だからミドラーシュも実体化した……ううん、理由も理屈もどうだっていい。
ミドラーシュが、シャドールたちが示してくれた。私の道を、私の存在を肯定してくれた。
「――お願い、あなたたちの力を貸して」
初めて、ミドラーシュの表情が変わった気がした。
――御伽噺のようなこの世界で、魔法の解けた少女はようやく舞台に上がる。
暫く続いた暗めの話もとりあえずこれで終了。
時系列が若干分かり難いですが、沢渡さんサイドは前回から続いていて、二度目の主人公サイドからは二日後、丁度社長とバレットさんがデュエルしているぐらいの時間です。
制限解除だけでなく背景ストーリーでもミドラーシュに救いを……
ちなみに今回出て来た紅茶はスウィートホームという実在する紅茶のイメージ、少し好みが分かれそうな味。
シナモンは苦手だけどこれは好き。