視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第13話

 遅々として登ることを拒否する太陽がようやく水面に出ると、ぎらつく光が特一号船団――あ

るいはその残骸――を照らし出した。万寿丸や光丸を始めとする船が沈み、船団は11隻が残るば

かりだった。残っている船の中で無傷なものは無いし、ほとんど浮いているだけの船も1隻や2隻

ではない。船娘たちを船橋から見ているエビは、もはや表現する言葉を失っていた。自分の知っ

ているいかなる言葉でもこの船団の痛ましさを表現できなかった。それはツチガミも大同小異の

ようで、先ほどから盛んに髭を撫でながら「ううむ」とか「ふむ」とかうなっている。

「朝潮が信号しています。『護衛艦艇ハ集合セヨ』です」

 重い空気に押しつぶされそうになる中で、ワタノキがようやく呟いた。それを皮切りにやっと

エビとツチガミはしゃべり方を思い出したようだった。

「今度は何だ。水平線上に戦艦ル級が1ダースでも見えたのか」

「味方が来た……わきゃ無いだろうなァ」

 口々に言いながらも光明丸に命じて速力と針路を変える。船団の外周を回って朝潮に近づく光

明丸だが、輸送船娘たちが口をもごもごさせているのに気がついた。なんだろうと思い耳を澄ま

す。機関が発する騒音の向こうからかすかに聞こえたのは、痛みに苦しむうめきであり、船団の

行く末に対する呪詛だった。「なぜ引き返さない」「この先どうなるの」「旗艦は私たちを沈め

たいのか」「もう嫌だ」――不安と恨みが入り交じったこのような言葉は、ほとんど無意識のう

ちに発せられ、意味を成さないまま波をかき分ける音に消されていった。

 とりわけ光明丸を驚かせたのは「もう死にたい」という言葉だった。今や死は彼女たちに対す

る安らぎであり、逆に生は苦痛であるというのか。どきりとして船娘一隻一隻を眺める光明丸。

誰もが疲労に満ちた顔だった。動かない地面と温かい食事、そして柔らかな布団の中での10時間

の睡眠が与えられるのならば直ちに命を投げ出しかねない、といった様子だ。戦場には血湧き肉

躍る戦闘など無いし、なお悪いことに観客席もない。輸送船と言えど誰もが当事者であり、高み

の見物が出来る訳でもない。輸送船娘たちはその事実を体に刻みつけられ、痛みでうめいていた。

船団の士気は最悪になっているが、古人が言うには「最悪と言える間はまだ最悪ではない」。

 しかし光明丸にはこれ以上「最悪」な場面は一つしか想像できなかった。全ての船が深い深い

海の底へと滑り落ちていく。それは「最悪」でもあり、同時に「最期」にもなるだろう。首を振

って悪い考えを頭から追い出し、代わりに自分自身に問いかける。私はどうなのだろう。もう死

にたいと、この何時終わるとも知れない苦痛から逃げ出したいと思っているのだろうか。答えは

否だった。僅差であるが否だった。トロール漁船として魚を捕る楽しみを自分はまだ知らない。

その日が来るまでそう簡単に死ねるものか。どんな目に合ってでも、泳いででも舞鶴に帰ってや

る。そう自分に言い聞かせて奮い立たせる。

 朝潮のまわりに3隻の護衛船が集まっていくのを輸送船娘たちはうつろな目で眺めた。ところ

が言い出しっぺの朝潮自身も恐ろしく浮かない顔をしていた。残弾と被害状況を報告させる彼女

だが、前者はともかく後者は口で言うより目で見た方が速かった。13号電探を失い煙突がひしゃ

げた朝潮、機銃掃射で艤装が穴だらけになった望月、同じく艤装を不発弾で砕かれた吉祥丸、船

体に亀裂が入った光明丸。散々な有様だった。

 光明丸は報告がてら先ほど見た船娘たちの疲労困憊ぶり、士気の崩壊ぶりを朝潮に伝えた。彼

女たちはもはや輸送作戦の正否などに興味が無い。あと何時間、あと何十分で作戦中止の号令が

掛かるか、でなければいつ安らかな死を得られるか、それだけを気にする活力しか残っていない

と。説明の最期に「撤退も視野に入れた方が良いと思います」と付け加えようとして止めた。そ

れを決めるのは自分ではないし、船団がいかなる状況にあるかを一番理解しているのは朝潮自身

だ。

 言われた朝潮は数秒の間沈黙すると、急にかしこまって「撤退、すべきだと思いますか?」と

光明丸に問いかけた。ひやりとした光明丸は気の利いた答えが出来ず、言おうとしていた言葉を

流用して「視野に入れてはおくべきだと思います」とあやふやな返事をしてしまった。朝潮はま

た少し黙り込み、「光明丸さんと吉祥丸さんに重要なお話があります」と切り出した。

「特一号船団に作戦中止の命令が来ないのは、極秘の『使命』があるためです。その件について

今からお話ししますが、くれぐれも内密にお願いします」

「それってぇ、ラバウルへ行くことですか?」

 吉祥丸が手を挙げて質問した。朝潮は首を振るとさらに浮かない顔になって続ける。

「それは『任務』です。我々には輸送任務とは別にもう一つ役割があります。囮となって敵艦隊

を誘因し、友軍が決戦を挑むチャンスを得られるよう餌となることです」

 望月が「あーあー言っちゃったよ」という顔をして肩をすくめる。光明丸は吃驚し心臓の高鳴

りを感じた。吉祥丸は言われた意味がよく分かっていなかった。3人の反応をよそに朝潮の開帳

は続く。

 半年近く前、連合艦隊――ここでいう所の連合艦隊とはいわゆるGFではなく、各鎮守府・泊地

が合同で行う作戦のために臨時に編成された艦隊、各根拠地から貸し出された複数の艦隊からな

る精鋭部隊、くらいの意味合いである――と深海棲艦の大艦隊ががっぷり四つに組んで盛大な海

戦を行った。自信満々に望んだ海軍だったが、海戦が終わってみれば痛み分け、どころかひいき

目に見ても惜敗だという。我らが海軍の悪癖である「戦術的には勝ちだが戦略的には敗北」とい

ういつもの泥沼である。頭に血が上った海軍は一方で再戦を誓い、一方では特設監視艇による監

視の強化を決定した……と、ここまではワタノキがいつぞやにした噂話通りだ。

 鎮守府や泊地のドックでは昼夜を問わず機械音が響き、また信じがたいほどの資材が修理と建

造と演習とにつぎ込まれた。なけなしの主力艦が中破・大破して帰ってきた弱小艦隊とその提督

は資材のやりくりで火の車だった。が、高練度の艦娘が轟沈した艦隊と提督には、もはや掛ける

言葉がなかった。

 ともあれ様々な困難はあったが、大車輪で修理完了した艦娘、猛訓練の末に練成完了と相成っ

た艦娘、前回出動させなかった各艦隊虎の子の艦娘などにより敗北の痛手は大急ぎで埋められ、

めでたく連合艦隊を再結成するに足るだけの艦娘が戦力化した。しかし雪辱を果たすべき敵艦隊

は姿を消したまま見つからない。深海棲艦の戦力拡大のペースはこちら以上だったから、時間が

経てば立つほど次の大海戦での勝ち目は目減りする。そこで持ち上がったのが囮輸送作戦だった。

 囮の輸送船団に深海棲艦を食いつかせ、そこを連合艦隊が攻め立てる。直近の数週間、深海棲

艦の輸送船団に対する襲撃は活発で、報告に寄れば戦艦や正規空母まで混じっていたらしい。こ

れを利用すれば有力な艦隊、とりわけ半年前に連合艦隊とやり合った艦隊を引きずり出せるかも

知れない。単純な発想ではあるが、戦艦や機動部隊が輸送船団を襲撃したケースは「前の戦争」

でも複数例があるから、突飛なアイデアかと言えばそうでもない。バレンツ海海戦よ再び、北岬

沖海戦の栄光をもう一度、という訳だ。

 だが、一体誰にその美味なる餌となって貰うかを考えればやはり身勝手極まりない発想と言う

ほかない。この計画を最初に言い出したのは舞鶴鎮守府で、立案された作戦案はあれよあれよと

いう間に軍令部へ話が登り、何の間違いかゴーサインが出た。直ちに連合艦隊の編成と出撃準備

をするから、護衛艦艇は舞鶴鎮守府の責任で手配せよとの命令だ。

 童話の「ネズミの相談」ならここで怖じ気づいて話がうやむやになるところだが、「あの」提

督は一切の迷い無く生け贄となる船をリストアップした。その中に光明丸が入っていたわけだ。

エビ達を拘束するよう命令し、「生き残ってしまった」という理由で光明丸ごと葬ろうとしたあ

の提督。現実を書類に合わせんとし、建て前が本音を支配し、理不尽さを第一の真実とするあの

提督。

 敵艦隊を引きつけられればそれでよし、沈んでしまったら「不名誉な行為」をした目障りな船

が消える。仮に食い付きが悪ければそのまま輸送船団としての任務を果たせばいい。どう転んだ

所で提督の一人勝ち。一石三鳥だった。

 連合艦隊は特一号船団の後方、100海里か200海里かは不明だがとにかく後方にべったりとくっ

ついて来ているのだそうだ。その気になれば……最初の空襲を受けた時点で180度転進していれ

ば1日と掛からず味方と合流できただろう。救援を求める電文が届いてすぐ連合艦隊に指示が出

ていれば、やはり1日と掛からず助けに来られただろう。朝潮は前者を選択しなかったし、連合

艦隊の旗艦は後者を選択しなかった。

 特一号船団の使命は見事に敵を釣り上げることであり、連合艦隊の使命はその敵艦隊を撃破す

ることだったからだ。これは陰謀ではない。海軍の正規のルートを通じて発せられた命令で、朝

潮たち正規の艦娘には出撃前に知らされていたからだ。事件ですらない。貧弱な護衛しかない輸

送船団がどうなるかは火を見るよりも明らかで、それを想像できない人間は海軍には居ないから

だ。

 悲劇と言って良ければ悲劇かも知れない。けれども、その悲劇は海軍の大戦果を知らせる新聞

とラジオの濁流の中に飲み込まれ浮かび上がることはない。最小の損害で最大の戦果を。その鉄

の論理が生み落とした結論が特一号船団だ。作戦。戦略。やはりふさわしい言葉はこれだ。暖か

みも感情もない、人間味のない砂のような言葉。理性と合理性と言う名の氷で刻みつけられた言

葉。朝潮が鹿野丸を撃沈することで特一号船団を救おうとしたのと同じく、海軍は特一号船団を

供物とすることで祖国全体を救おうとしている。

「そんな事だろうと思ってはいたが」

 光明丸の船橋でツチガミがせわしく歩き回りながら言った。

「ここまであの提督の性根が腐っていたとは思わなかった!」

 それにしても……とツチガミが続けようとした所で彼は黙った。彼がこの囮作戦の発案者なの

かについて朝潮は何も言わなかった。とはいえ、まさか一提督の思いつきだけでここまで話が大

きくなるはずもない。どこまでが海軍の判断でどこからが提督の悪乗りなのか、想像するほかな

い。全くの捨て駒にしてはいささか大船団だし、本気でラバウルへ辿り着かせるにしては心許な

い護衛戦力だ。まさか本当に、大淀の言ったとおり舞鎮手持ちの戦力がカツカツで猫の手も借り

たいほどだと。いやしかし、ならば監視艇隊の母艦である特設砲艦にこの任務をさせれば。いや

いや、こう言う時だからこそ監視艇隊も全船で出撃し一層濃密な監視網を形成しているのかも…

…。考え込んだツチガミに替わり光明丸が口を開く。

「朝潮さんや望月さんは、どうとも思わないんですか?」

 自分を生き餌とし深海棲艦を釣り上げる。そんな事を命令される気分というのは、光明丸には

とても想像が付かなかった。朝潮は少し考えてから、光明丸の目をじっと見つめて答えた。

「こんな任務は、さすがに志願しません。提督が私を選んだのには理由があると思いますが、詮

索しようとも思いません。私が行かなければ他の誰かが行かされるだけですから。それに、提督

には個人的な恩義が多々あります」

 言葉の最後に微妙な諦念が含まれていることを光明丸は感じたが、それ以上追求はしなかった。

吉祥丸はなんだか悲しくなったらしく望月に抱きつき両手を回した。望月も彼女の背中に右手を

回しながら、めんどくさそうに回答を考えた。

「まぁ、『前の戦争』よりかはマシなんじゃないの。提督にはいろいろと良くしてもらってるし

ね」

 二人が提督に義理を感じていると言い切ったことに光明丸の船橋は騒然となる。エビもツチガ

ミも自分の耳を疑った。あの提督は艦娘たちにこの状況でこのセリフを言わせるほどの人格者な

のか? まさに彼のせいで光明丸とその船員妖精は人身御供とされつつあるのに! エビたちは

軟禁された時に散々繰り返した議論をまたも繰り返したが、前回と同じでそれらしい結論は出て

こない。だが、よくよく考えてみれば、彼と面と向かって話したのはあの口喧嘩が最初で最後だ。

それどころか会ったことすら片手で数えられるほどしかない。

 まあいい。今は彼が好人物か悪漢かを気にしていられる場合ではない。そうだ、生きて帰れば

彼と再び会うことも出来る。「徴用された船娘と船員妖精たちは海軍の規範や規準を知らないし、

時には無視さえする『部外者』であるから」というツチガミの推測を実際に確認することも出来

るだろう。生きて帰りさえすれば……。

「話は分かりました。けれど、どうして教えてくれるんですか。私の想像ですけれど、口外しな

いように命じられているのでは?」

 光明丸の質問に、朝潮は皮肉っぽい顔になって言った。

「輸送船娘たちに加えて、あなた方の士気まで崩壊してはたまりませんから。言わない方が良か

ったかもしれませんが」

「いいえ。色々腑に落ちました。諦め混じりで戦うよりも、むかっ腹を原動力として戦う方が気

が楽です」

「そうと言ってもらえれば、教えたかいがあります」

 髪を右手でかき上げる朝潮を見ながら光明丸は思索する。駆逐艦は輸送船の護衛任務から戦艦

のお守りまでおおよそ想像できるあらゆる仕事と雑用を押しつけられている。そのうえ囮までさ

せられてはたまったものではないだろう。「言葉通りにやぶれかぶれ。朝潮さんたちもとんだ貧

乏くじ、ですね」とおどける光明丸に「損な役回りはお互い様だよ」と望月の眠たげな声が戻っ

てきた。

「特設監視艇の仕事もけっこーキツイらしいじゃん。似たもの同士だね」

 望月がそう言ってくれるだけで救われた。駆逐艦たちは自分たちの存在を気に掛けてくれ、同

輩とまで言ってくれる。数字として表れなければ勝利の栄光もない特設監視艇の仕事ぶりがよう

やく認められたようで嬉しかった。なんだか小難しい話をしている二人に、気持ちが落ち着いた

吉祥丸が割り込んで声を上げる。

「それでぇ、朝潮せんぱい。これからどうするんですか?」

「獲物はしっかりと罠に掛かりました。檻の戸を閉めるのは我々の任務ではありません」

 吉祥丸の質問に答え、あらかた喋り終えたと感じた朝潮は急に顔を暗くし、ボソボソ声で最後

にこう言った。

「もう十分でしょう。これ以上の被害は……」

 死ぬことが半ば決まっていた特一号船団を、それでも一日でも長く生き延びさせようともがい

た。出来ることは全てやったつもりだ。判断もベストではなくともベターだった。その結果が20

隻撃沈だ。自分のふがいなさと、自分が直面している現実が耐え難いほど動かしづらい事に、朝

潮は思わず弱音を吐きかけた。吐きかけて、輸送船娘たちがこちらを見ているだろう事を思い出

すと、唇をキッと真一文字に結び、いつもの真面目な顔を作った。

 彼女の隣に立っていた望月は何も言わず左手を伸ばし、吉祥丸と同じように朝潮を抱き寄せよ

うとして、止めた。中途半端な同情は彼女の矜持を傷つけるだけだったし、務めて旗艦らしく振

る舞う姿に水を差す事になる。朝潮の辛さを一番分かっているのは望月だった。少なくとも望月

はそう自負していた。特一号船団の「使命」を押しつけられ、その上旗艦にまでさせられた。人

が良すぎる人間、良い子すぎる艦娘は余計な仕事を押しつけられるのが常だ。替わりに、出来る

だけ言葉を選んで朝潮にいたわりの言葉を掛けた。

「朝潮のしたいようにすりゃいいんだよ。ここまで来たら、あたしはもう最後まで付き合うっ

て」

ありがとう、と小さく言って朝潮は笑顔を作る。明らかに作り物の笑顔だったが、そうしようと

努力する態度が妙に格好良かった。

「責任は私が取ります。これより連合艦隊と合流します!」

 朝潮は信号灯を取り出し全船に変針を命じた。特一号船団が使命を達成した見返りとして任務

の中止を決定した瞬間だった。

 


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