やはり幼馴染なんてものは、どこかまちがっている。   作:フリューゲル

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こんにちはフリューゲルです。

約八か月間書かせていただきましたが、この物語もこの回をもちまして終了になります。



それでは、ご覧下さい。


少女期Ⅸ ~ちょっとした嘘~+エピローグ

 八幡さんと付き合って初めての週末は、慌ただしく過ぎていきました。

 

 

 一日は雪乃さんと結衣さんに、八幡さんと二人で挨拶に行きました。お二人とも私たちの交際を聞くと自分のことのように喜んで、笑って祝福してくれました。

 

 

 途中からは女子三人のガールズトークになってしまい、八幡さんの告白について結衣さんに乗せられるままに話して、八幡さんが拗ねたように顔を背けたのが印象的です。

 

 

 何となく、前にお会いしたときよりも奉仕部三人の距離が近づいていた気がして尋ねてみると、「私たち友達になったの」と結衣さんが頬を綻ばせながら口にします。

 

 

 以前からあれだけ自然に会話をしていたので、てっきり最初から友達だと思っていたのですが、それでも自分たちの関係を言葉にできるくらい仲が深まったことが本当に嬉しくて、私も結衣さんにつられて、小さく笑ってしまいました。

 

 

 そしてその次の日。快晴だったこともあり、小町ちゃんと二人でデートに出掛けて、夏物の新作を見て回りました。その道中に改めて、八幡さんと恋仲になったことと、そして親友としてこれからもよろしくと伝えます。

 

 

 言っている最中に恥ずかしくなってしまい、少し声が上擦ってしまったことに照れていると、小町ちゃんがにやにやとしながら笑っている姿が目に入ります。そのことに小さく反論していると、だんだんと楽しくなってきて、最後には二人揃って笑っていました。

 

 

 そしてある日の夕食。食卓をトンカツと筑前煮と海鮮サラダが彩り、三人で好物をつついていると、父が口ごもりながら言いました。

 

 

 

「お祖父ちゃんの家だけど、あの土地を買いたいと言ってきた人がいてな、取り壊すことにした」

 

 

「そうなんだ。けっこうの間ほったらかしだったもんね」

 

 

 

 私はというと揚げ物のカロリーを気にして、海鮮サラダばかりお皿に盛っていたのもあって、上の空になりながら返事をしました。

 

 

 私が中途半端な返事をしたからでしょう、父の言葉を補足するように、口元に笑みを浮かべながら言いました。

 

 

 

「お祖父ちゃんの遺言でね。必要とする人が出てくるまでは、そのままにしておいてくれって。お祖母ちゃんが住んでいた場所を、できる限り残しておきたかったみたいよ」

 

 

「……本当に、一途だね」

 

 

 

 海老を飲み込んだあと、思わず本音がこぼれ落ちます。

 

 

 

「何か言った?」

 

 

「ううん、何でもない」

 

 

 

 どうやら祖父の家の整理をしなくてはいけないそうです。とりあえずは母が翌日に有給をとって片付けをするそうでした。そして片付けのときに、何か欲しいものがあれば好きにしなさいと父から言われます。

 

 

 欲しいもの、と言われても特に思い浮かびません。ただ書斎に眠っている、祖母のために収集した古書の行方が気になりました。あの本を売り、誰とも分からない人の手に渡すのは、据わりが悪い気がします。

 

 

 その翌日、小町ちゃんからの誘いを断って、母の手伝いをしに祖父の家に向かいます。古くなって大分立て付けの玄関をくぐると、最後に見たときとはまるっきり違う風景が目に入ります。

 

 

 住人がいなくなった建屋は寂れたように、人の痕跡が無くなっていました。元々祖父が亡くなったときにある程度は整理したそうなので、小物や食器類などはまったく見あたりません。年代物の壁掛け時計は、何年も前に動きを止め、本来の時間とは全く違う方向を指しています。

 

 

 机の上には祖父が使っていたであろう、高級そうなネクタイピンや腕時計が置かれていました。もしかしたら、父が再び使うのかもしれません。

 

 

 書斎を覗いてみると、こちらはまだ手がつけられておらず、乾燥した髪の匂いが部屋中に広がっていました。それでも掃除だけは母がしたようで、書架に手を滑らせてみても、埃が手に付くことはありませんでした。

 

 

 最後に例の祖母の部屋を訪れると、母が衣装箪笥の前で困った表情をしながら座っていました。母は私がぽつんと立っていることに気が付くと、「おかえりなさい」と言って、また箪笥へと視線を戻しました。

 

 

 

「どうしたの? そんな所で固まって?」

 

 

「それがね、お祖母ちゃんが使ってた着物をどうしようと思って」

 

 

 

 母が頬に手をやり、引き出しの中の、鮮やかに咲いている彩りを見て言いました。

 

 

「お祖母ちゃんって良家の出身だから、若い頃に着ていた服が良いものなの。この大島紬も結構高級なものだし、あの打掛なんてもっといい値段がしそうなの。……でも打掛はお義母さんが結婚式で着たものみたいだから、売るわけにもいかないじゃない」

 

 

 

 思い出の着物、と言うときっと祖母は否定するかもしれませんが、それでもこれは祖父母にとって大事な品なはずです。

 

 

 一生に一度、結婚式にしか着ることのない贅沢すぎる打掛。祖母が身に纏ってから何年経ったか分かりませんが、今でも全く色褪せることなく、美しい模様を描いています。

 

 

 だから、自然にこの言葉が口から漏れました。

 

 

 

「それ、私が結婚するときに着てみたい」

 

 

 いつか私が結婚をするときに、この打掛を身に纏って、そして思い切り幸せな笑顔を浮かべたいと、このとき思ったのです。この祖母とよく似た容姿と性格のままで。

 

 

 結婚なんてまだ大分先の話で、そんな年齢になった私なんて全く想像できませんが、ついこの前に少しだけ意識する出来事がありましたから。捕らぬ狸の何とやらです。

 

 

 母は私の言葉を聞くと、柔らかい、花の咲くような笑顔を浮かべて言いました。

 

 

 

「そうね、朱音はお祖母ちゃんに似て綺麗だから、きっと良く似合うわ」

 

 

「……うん」

 

 

 

 他に欲しいものがないか探してみて、という言葉を残して、母は祖母の部屋を後にして、別の部屋の片付けへと向かいました。

 

 

 壁に寄りかかるようにして、ぼうっと部屋の中を眺めます。この場所ももうしばらくしたら、取り壊され、祖母の残り香は完全に消えてしまうのでしょう。

 

 

 祖母の痕跡を一つ一つ、確かめるように見ていると、一点だけ頭に引っかかったものがあり、部屋の隅の戸棚の引き出しをあけます。檜の香りが残る中に、かつてと同じように漆黒の簪が鎮座してありました。

 

 

 落とさないように丁寧に取り出して、手のひらにそっと起きます。美しく、吸い込まれそうなほどに黒光りしているそれは、ひんやりとした肌触りを与えてきました。これもきっと、大切なものでしょう。赤の他人の手に渡すことはできませんし、埃を被らせておくには忍びないです。私では荷が重いかもしれませんが、機会があるときに身につけようと思います。

 

 

 折角なのでその場で髪を纏めてみようかと思いましたが、上手に結うことができず、ポニーテールにしかならず諦めました。

 

 

 少しだけ納得が行かず、衣装箪笥へと向かいます。そしてたった今私のものとなった打掛を手に取ります。

 

 

 少し埃っぽい匂いのする打掛を、制服の上から大ざっぱに羽織りました。想像以上に服が重いことに驚きながら、似合うかどうか期待しながら化粧台の布を払って、自分の姿を眺めます。

 

 

 ……全然似合いませんでした。

 

 

 下が中学校の制服なのがいけないのか、髪型が駄目なのか、化粧をしていないからか分かりませんが、打掛の艶やかさに完全に負けてしまっていました。どんなに私が大人っぽい表情を作ってみても、打掛はこれっぽっちも私と調和をしてくれません。

 

 

 これを着こなすためには、もっと時間が必要になりそうです。

 

 

 それでも一通り自分の和装を堪能したのち、打掛を仕舞い直そうと思いましたが、たたみ方が分からずに困ってしまいます。畳の上に敷き、折り目に従ってたたんでみても上手にいきません。

 

 

 仕方が無く母を呼びに行こうと立つと、畳の上にどこかで見たことがある、しかし以前よりも色褪せていない封筒が落ちていることに気が付きました。先ほどまで落ちていなかったので、どうやらこの打掛の中に挟んでいたようです。

 

 

 書き手は思い当たっていたので、かつてと同じように躊躇なく封筒をあけ、中に入っている便箋を読んでいきます。別に後ろ向きな内容でも構わなかったのです。ただ、結婚をした後の彼女が、どのように考えて生活していたのかを今まで以上に知りたくなったのです。

 

 

 しかし手紙の内容は、私が想像していたものとは全く違いました。

 

 

 震える手で便箋を仕舞って、胸の中で抱きしめます。書かれていた文章を反芻すると、鮮やかな感情がたくさん押し寄せてきて、心が簡単に揺さぶられてしまいます。

 

 

 一滴だけ頬に涙がつたったあと、この尊い手紙を記した人を想って呟きました。

 

 

 

「何だ、あなた普通に幸せだったじゃないですか」

 

 

 

 でも、ありがとうございます。この先にどんなことがあっても、何とか生きていける勇気を頂きました。

 

 

 ただ、それでも一つだけ彼女に言いたいことができました。

 

 

 

「そんな大事なことはちゃんと口で伝えなさい、このヘタレ」

 

 

―――――――

 

 

 次の日曜日、良く晴れたこともあって、私は習慣になっているお墓参りに行きました。これまで通りお墓を掃除して、お花を添え、手を合わせて、亡くなった三人へと語りかけます。

 

 

 私物をいくつか頂いたことと、最近あった嬉しいことを報告したあと、最後に弟に向かって「ごめんね」と言いました。私はこんな性格のまま生きていこうと思います。あなたが死んだときに悲しめなかった私のままで、ごめんなさい。

 

 

 弟が埋骨されたかどうかは分かりませんが、それでも物言わぬ、冷たいお墓に向かって言います。返事は、当然返ってきません。

 

 

 そうしていつもの手順を済ませたあと、ハンドバックから一通の便箋を取り出します。私が最後に見つけた、祖母が祖父に宛てた手紙です。

 

 

 他の手紙は私が丁重に引き取って、部屋の片隅にでも眠らせようと思いますが、それでもこの手紙だけは、きちんと祖父に届けたいのです。

 

 

 辺りを見渡して、他にお参りしていない人がいないかを確認します。そしてマッチを擦り、火を灯します。

 

 

 ゆらゆらと風に揺らされているオレンジ色の火を、便箋に近づけます。便箋の表面を舐めるように触れていた小さな火は、だんだんと便箋を飲み込んでいきました。

 

 

 古びた和紙が少しずつ塵となっていく様子に不思議と魅せられます。祖母が生きていた証の一つが、ただの灰になりこの世から消えてきます。私が手元に残していれば、きっと大きな支えになったであろうものは、すでにその意味を無くし始めていました。

 

 

 炎が半分ほど便箋を浸食すると、摘んでいた左手まで鋭い熱さが伝わってきて、だんだんと持っているのが辛くなってきました。

 

 

 地面に落としてしまった方が安全なのかもしれませんが、中途半端に燃やしてしまっては供養がなくなってしまう気がします。

 

 

 

「きみ、何をしている!」

 

 

 そんな様子で若干悩みながら、炎が便箋を飲み込んでいく様子を眺めていると、墓地の入り口から厳しい声が飛んできました。振り向くと、そこにはこのお寺の住職さんが、声音の通り厳しい顔をして私を睨みつけています。

 

 

 

「えっ? あの、これは。……あつぅ」

 

 

 

 私がしどろもどろになっている間に、炎は全て燃やし尽くし、最後に私の指に軽く撫でて、ぽつんと地面へと落ちていきました。

 

 

 炎が触れた部分を触ってみると、鋭い痛みが走りました。どう考えても、火傷です。

 

 

 最初は怖い顔をしていた住職さんは、そんな私の間抜けな様子に毒気が抜かれたのか、こめかみを指で押さえると、苦々しく言葉を口にしました。

 

 

 

「……とりあえず、うちに入りなさい。妻に手当させる」

 

 

 

 お説教は到着するまでのわずかな時間で行われます。

 

 

 火を扱うならばもう少し丁寧に扱いなさい。そもそもこのお寺は供養をやっていないから、供養がしたいならもっと大きな寺院に行きなさい。君も高校生なんだから、もう少し節度と常識を持って行動したほうがいい、などなど。

 

 

 真剣な顔をしながら、しかし私を高校生だと勘違いしているのが面白くて小さく笑っていると、聞いているとさらに怒られてしまいます。

 

 

 本堂と繋がる住居の縁側へと連れて行かれると、住職さんは「ここでしばらく指を冷やしておきなさいと」言って、建物の中へと入っていってしまいました。

 

 

 蛇口をひねり、流水に水を浸します。冷えた水が当たると痛みが鋭くなりましたが、それも一瞬でだんだんと痛みが和らいでいくのを感じます。

 

 

 しばらく冷たい水の心地よさを味わっていると、縁側へと連なる和室の向こうから声を掛けられました。

 

 

 

「あら、お墓の前で火遊びして、火傷をした女の子って、あなただったのね」

 

 

 

 親しげのある調子で話しかけられるので、首を傾げます。

 

 

 

「ごめんなさい、初めてお会いしましたよね?」

 

 

 

 色白で、初老の女性は面白いものを見るように、私を眺めていました。笑うと目が細くなり、顔が狐のようになりました。両手には、絆創膏と軟膏がそれぞれ握られています。

 

 

 私が流水から手を引こうとすると、女性は「もう少し冷やしておいたほうがいいわ」と言いながら縁側に腰掛け、先ほどの私の問いに答えました。

 

 

 

「あなた、しょっちゅううちのお寺に来るから、顔を覚えちゃったのよ」

 

 

 

 女性はからからと快活に笑いながら、ジーンズに包まれた細い足を、子供のようにふらふらと遊ばせています。

 

 

 この人が住職さんの奥さんでしょうか。少し浮き世離れした雰囲気とこざっぱりとした笑い方は、ある意味で寺院の空気と調和しているように感じます。

 

 

 しばらく奥さんは、私の様子を退屈そうに眺めていましたが、ふうっと息を吐くと、鋭い目つきで私に尋ねてきました。

 

 

 

「一つ、聞いてもいいかしら?」

 

 

「……どうぞ」

 

 

「どうしてそんな頻繁にお参りに来るのかしら? 年輩の人ならともかく、あなた位の歳でこんなにお参りにくるのは結構珍しいのよ:」

 

 

「……気を抜くと、亡くなった人のことを遠くにおいて、そのままにしてしまう気がするんです。忘れてしまうのはいけないことですから」

 

 

 

 奥さんはじいっと私の目を見つめますが、何も言いません。近くの林から、ウグイスの調子の外れた鳴き声が聞こえてきました。奥さんは「そろそろいいかしら。中にいらっしゃい」と言って障子の向こうへと入ってしまうので、あわてて手を拭きながら奥さんに続きます。

 

 

 由緒正しい日本家屋はやはり畳ばりの和室ばかりで、どこもかしこも居草の匂いが漂ってきて、自然と心が落ち着きました。遠くから砂利を踏む音が音と、木々のさえずりが聞こえるだけでした。

 

 

 自分で治療すると訴えましたが、奥さんが全く聞いてくれず、しかたなく、されるがままに手当を受けます。奥さんは乳白色の軟膏をすくいながら口を開きました。

 

 

 

「ねえ、どうしてお葬式の後でも、四十九日や三回忌をやると思う?」

 

 

「死後の安寧を祈るためだって聞いたことがありますけど……」

 

 

「それは故人に対しての話ね。じゃあ残された人にたちに対してはどう思う?」

 

 

 

 何だか学校の先生に教わっている気分だなと思いながら、考えを巡らします。

 

 

 

「……心の整理ですか?」

 

 

 

 私が答えるのと同時に軟膏が塗られていきます。肌がべたつくのを感じながら、こうやって手当をしてもらうのは小学校の頃以来だなと、心の隅で思いました。

 

 

 

「そうね。宗教って基本的には生きている人のためだから、救済や解脱うんぬんを抜きにしても、必ず風俗的な意味合いがあるの」

 

 

「はあ……」

 

 

 

 奥さんは調子良く、軽々と言いますが、その言葉はちょっとだけ後ろめたく感じました。

 

 

 お寺というのは檀家の人はともかく、住職さんやお坊さんたちは教義を真剣に信じていると思っていたので、身内の人がこういうことを言うのは果たして仏様が許してくるかどうか分かりません。

 

 

 そんな私の思いを全く汲み取るようすのない奥さんは、私の返事を受け取るとさらに続けます。

 

 

 

「こういう考えを主人は嫌うけど、さっき話した四十九日や三回忌にしても、最初は残された人に対して設けられた期間だと思うの。これだけ過ぎたのだから、亡くなった人のことを忘れて日常に戻りなさいって」

 

 

「……でも故人を忘れてしまったらダメですよ」

 

 

「別に完全に忘れろと言っているわけじゃないわ。でもたまに、そうね、一年に一回くらい思い出して、謝ったり、死後の安寧を祈ったりするくらいでいいのよ。それだけしてあげれば十分よ」

 

 

 

 無骨な絆創膏を指に巻かれます。口調そのままに大ざっぱに巻かれたせいで、指が全く曲がらなくなってしまいましたが、やってもらっている立場なだけに何も言えません。

 

 

 

「何か、適当な考え方ですね」

 

 

「適当でいいのよ。もちろん私たちからすると、お墓の掃除くらいは来てほしいけど、それ以外はまあ、そこまでってくらい。それに故人の幸せを祈るにしても、毎月だと疲れるでしょ? 亡くなった人も、あなたも」

 

 

「……かもしれないですね」

 

 

 

 ……きっと私の後悔はなくならないと思います。あのときに泣くことができなかったことは、いつまでも私の中で影を落とし続けていくのでしょう。

 

 

 そのことを忘れようとは思いませんが、でも、奥さんが言った在り方でもいいのかもしれません。そのほうが、ちょっとだけ生きるのが楽になる気がするのです。

 

 

 

「ありがとうございました。凄くためになりました」

 

 

「あらそう? なら今度、主人の変わりに般若心経でも唱えてみようかしら」

 

 

 

 口元をゆがめながら、冗談めかして奥さんは言うと、「これでお終い」と言って、私の手の甲をぽんと叩きました。まだ痛みはちょっと残っていますが、それでも大分楽になった気がします。

 

 

 改めて奥さんにお礼を、住職さんにお詫びをしてお寺を後にします。慶大に敷かれた玉石を踏むと、小気味良い音を立てて足が沈んでいきました。

 

 

 次にお参りするのはお盆のときにします。少しの間ご無沙汰になりますが、代わりにそのときにたくさん話しましょう。

 

 

―――――――

 

 

 初めての二人乗りは、意外と姿勢が不安定で心許なく感じました。

 

 

 八幡さんが自転車を漕ぐたびにがたがたと荷台が揺れ、私は自転車から落ちないように体を強ばらせながら体勢を維持していました。

 

 

 どこか掴むものがあればと思い探してみても、荷台が八幡さんの体しかありません。ただ荷台を掴んでしまうと背中がそれて足が伸びてしまうために、スカートの中が見える不安があるたに躊躇してしまいます。

 

 

 しかし八幡さんの腰に手を回すのは流石に恥ずかしく、そちらも遠慮してしまいます

 

 

 しばらく自転車に揺られながら考えて、頼りないですが八幡さんの洋服を掴むことにしました。恐る恐るシャツの裾を引っ張ると、八幡が気にした様子で振り返り、照れくさく感じてしまいます。

 

 

 お墓参りの帰り道に偶然八幡さんと出会ったのですが、まさかこんな体験をするとは思いも寄りませんでした。私としては八幡さんが祖父の蔵書の何冊かを引き取ってくれるだけでも有り難かったのに、幸運とは重ねてものなのかもしれません。

 

 

 六月の青空の下、二人乗りをしながら祖父の家に向かう私たちは、それこそ恋人同士のようだと思いどぎまぎしてしまいます。

 

 

 少しだけ顔を乗り出してみると、正面からの湿った風とぶつかります。目を細めながら辺りを伺ってみると、まだ午前中だからなのか、道行く人たちはどこかのんびりとした様子でそれぞれの目的地へと向かっていました。

 

 

 少し早いスピードで進む自転車からの景色は穏やかで、街路樹が輝かせる新緑がいっそう際だって見えました。

 

 

 自転車の流れに身を委ねていると、一つ思い出して口を開きます。

 

 

 

「八幡さん。そういえば、一つ言い忘れたことがあるんです」

 

 

「なんだ?」

 

 

 

 八幡さんが少しだけ視線を寄越しながら返事をしました。

 

 

 

「案外私、和服が似合うんですよ」

 

 

「お、おう……」

 

 

 

 それは初めて吐いた小さな嘘と、ちょっとした宣言です。今はまだ着られている状態ですけれど、いつかあの打掛を着こなせるくらいの女性になって、その姿をこの人に見せられればなと思います。

 

 

 八幡さんが呆気に取られたように頷きました。その中途半端な返事の仕方が面白く、そして愛おしく感じてしまい、自然と私は頭を八幡さんの背中へと預けていました。胸の鼓動が一段と早くなります。

 

 

 太陽に雲がかかり、薄い影が一面に広がっていきます。まだ春の陽気を残した風が流れ込んできて、私の髪をさらっていきます。鼓動の緊張はいよいよ顔にまで上ってきて、こんなに過ごしやすそうな天気なのに、暑さが猛烈に襲ってきました。

 

 

 ……もしかしたら、夏はもう目の前にまで来ているのかもしれません。

 

 

―――――――

エピローグ ~封のされていない手紙~

 

 

 医者から残りの時間を聞かされてから、よく自分の人生を振り返るようになりました。

 

 

 死ぬことは、正直に言えば怖いです。死後の世界をいたずらに信じているわけではありませんが、死後に訪れる深い闇の中を想像してしまうと、夜も眠れないくらいに震えてしまいます。

 

 

 決して正しい人生ではありません。愛していない人と一緒になり、そしてその人のお金で生活していた人間の人生が正しいとは思いません。

 

 

 ……それでも、なぜか私の周りにはいつも笑顔の人たちがいました。

 

 

 あなたがいて、息子と娘がいます。私の兄や姉たちは、あなたと一緒に時折顔を出すせいか、この歳になっても不思議と縁が切れていません。隣家の方たちとも、町内会の行事で度々お付き合いがあります。

 

 

 それは私が心の底から望んだものではないですけれど、それでも人間らしく生きていくことができました。

 

 

 木漏れ日の中にずっといるような、そんな穏やかな日々を過ごしてきました。こんなにも多くの人に囲まれて生活できることは、なかなか味わうことのできないものだと思っています。

 

 

 だからきっと、私の人生は幸せだったのでしょう。あなたには迷惑をかけてしまいましたが、それでも幸せだったと、振り返るたびに思ってしまうのです。

 

 

 ……そして、その幸せを運んできてくれたのは、あなたでした。

 

 

 最後まで愛や恋については、全然分からず、とても自分勝手に生きてきましたが、それでも何とか生き抜くことができました。だから最後にお礼を言わせてください。

 

 

 こんな私と結婚してくれて、ありがとうございました。あなたがいなければ、このような穏やかな日々は送れなかったと思います。

 

 

 ほんとうに、奇跡みたいな人生でした。

 

 

 せめてものお返しとして、あなたの残りの人生に限りあらん幸で溢れることを願います。

 




長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございます。

この物語を書き始めたのは昨年の十一月の中旬ということで、約八か月間の投稿になりました。

ご覧いただいた方、感想を書いてくれた方、評価をつけてくれた方、本当にありがとうございます。UAが増えたり、感想をもらったり、評価をもらうたびに元気づけてもらい、何とか完結までこぎつけることができました。

この物語は朱音と、朱音の祖母のキャラクターを一番最初に思いつき、それから書き始めたものでした。……まあ、片思いの女の子を書きたかったというのもあるんですけど。

最初のうちはなかなか朱音を動かすのが大変で、この子らしい行動とはとか、この裏ではどんなことを考えているのだろうとか、そういったことが引っ掛かって、なかなか難しいキャラクターだなと思っていたりもしていました。

ただこうやって完結までたどり着いたときに、もうこれ以上深く朱音のことを書くことができないと思うと、寂しくなったりして……。本当にこの子を書くことができて良かったなあと思っていたりもします。

でもやっぱりエンドマークはどこかで打たなくてはいけなくて、この時点で終了とさせて頂きます。


……と書きましたが、メイン筋とは関係ないところで亀更新になりますが番外編を5話程度書いていこうかなーと思っていたりもします。後日談を
3話くらいと、朱音に振られた男の子視点での物語を1話。残りはまだ未定です。

しかし本編はこれで完結ということで、重ねることになりますが、これまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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