やはり幼馴染なんてものは、どこかまちがっている。 作:フリューゲル
3月1日ですね。3月です。2月28日の1日後です。……はぁ。
花粉症がひどくてやばいです。去年までは全然問題なかったのですが、今年からは鼻水が止まりません。
薬を飲んで毎日を乗り切っていますが、花粉症ってそんなに大変なんですね。
それでは、ご覧下さい。
昼休みの開始が知らされるとともに、登校前に買っておいた総菜パンとおにぎりを口に詰め込む。
うむ、元々単品でも美味い訳でもなかったが、一緒に食うと最悪に不味いな、これ。仕方がないのでコーヒーで纏めて流し込もうとするが、コーヒーと白米が混ざり合い、思わず吐き出しそうになるほど不味くなってしまった。
……くそ、これなら片方だけ食ったほうが良かった。
何とか飲み込んで席を立つと、教室内はだらだらと会話をしながら机をくっつけている最中だった。無秩序に動き回るクラスメイトをすり抜けて廊下に出ると、三階へと足を向ける。
二階よりも少しだけ落ち着いた雰囲気の廊下を通り、井杖先輩のクラスへとたどり着く。開け放たれている引き戸から乗り出すようにして覗き込むと、昨日とは違いすぐに井杖先輩の姿を確認することができた。
机に腰掛けてクラスメイトと話していた井杖先輩と目が合う。先輩は一言二言クラスメイトに言うと、こちらへやってきた。
「昨日はわざわざ来てもらったのに、ごめんね。……ヒキガヤくん、お昼は?」
そう言う先輩の手首には、ビニール袋が下げられていた。どうやら昼食は弁当派ではないらしい。
「もう食べたんで、一人で食べて下さい」
一緒にご飯食べて、噂されたら恥ずかしいし……。
そんな俺のメモリアルな乙女心は知ってか知らずか、井杖先輩は「話があるんでしょ? だったら一緒に食べようか」と言っていた。遠心力が無事に働いてくれることを祈るのみである。
「……話しやすい場所なら知ってるんで、付いてきて下さい」
「うん、よろしく」
北校舎への一階まで下り、保健室の横かつ購買の裏、つまりは普段俺が使っている昼食スポットへと行く。
昨日の帰宅途中に降り始めた雨は、夜明けとともに立ち消えてしまった。それでも空には依然として灰色の雲が蓋をして太陽を覆い隠していた。
昼休みには戸塚を筆頭に女子たちが溢れているテニスコートは、未だ地面が湿っているのか閑散としていた。
そんな暗いグラウンドが目の前にあるものの、今日のこの場所はどこか華やかだった。
「それで、話って? ……もしかして、告白とか?」
その華やかさの原因である井杖先輩は、コンクリートで作られた階段に腰掛けて菓子パ
ンの袋を開けていた。
「あんたに聞きたいことなんて、一つしかないだろうが」
「まあ、そうだよね。ご飯食べちゃうから、ちょっとだけ待ってて」
到底午後を乗り切れるとは思えない量の菓子パンを、三分ほどで食べ終える。そうして先輩が紅茶を飲んで一息ついた所で、口を開く。
「日曜日、俺たちを別れてから、何したんすか?」
「別に何もなかったよ。その後に大志くんにご飯に誘われたからご飯食べて、帰り道に告白されただけ」
「何かあったじゃねえか。……それで何て返事したんですか?」
「デートした感じだ、ちょっと遠慮しておこうかなーって感じだから、そのまま伝えただけだよ」
だけって。
「ボランティア感覚で、付き合ってやればいいじゃないですか? 一月くらい夢を見させてやれば、先輩も休みの日にタダ飯にありつけますよ」
「……ヒキガヤくん、私のことどう思ってるのよ?」
「そりゃあ、男と付き合うのに抵抗がなくて、恋愛をスイーツ感覚で食べている人としか」
「つまり、ビッチっぽいっすね」と言うとしたが、だんだんと井杖先輩の目が険しくなってきたので、途中でやめる。
いや、でも本当のことだし……。
先輩はわざとらしく、大きな溜め息を吐くと、立ち上がり、鼻先が触れそうなくらいの距離へと躍り出る。
漆黒の瞳と目が合うと、微笑みかけらえる。なんとも言えないむずがゆさが背筋を駆けるので、身をひねるようにして何とか視線から逃げ出した。
「一応私、男の人に対する理想は高いんだよ」
「はあ、そうっすか」
「ただ、付き合ってみないと分からない部分が多いから、そこまで好きじゃない人でも付き合うだけ」
「だから、影でビッチとか言われるんだろうが!」
噂と全く変わらねえ。
「……だったらなおさら、試しに大志と付き合ってやってもいいんじゃないですか?」
それとも、よっぽど大志とは合わなかったのだろうか。
井杖先輩は困った顔をして明後日の方向を見るが、人差し指は機嫌が良さそうにくるくる回っていた。
「それがこの前美弥に、簡単に付き合いすぎだって怒られまして……。まあ、最近知らない子から親の敵でも見るような目をされたこともあったから、付き合うハードルを少し上げたの。……それで」
「それで、大志の奴は残念ながら先輩の目に適わなかったと」
「そういうこと」
大志の奴も間が悪いタイミングで出会ったというか、という先輩も控えているんだったら餌を垂らすのをやめろよ。キャッチ&リリースを地で言っているじゃねえか。
「……ちなみに、大志のどこがダメだったんすか?」
「んー? ちょっと大志くんは私に合わせすぎかな。映画にしても、ご飯にしても、無理に合わせて欲しくないの。自分と価値観の違う人がいて、お互いに違うのを理解しながら近づきたいの」
「案外、乙女なんすね」
「そういうこと。恋に恋い焦がれて、恋に泣く女なの、私」
そう言って井杖先輩は小さく、そして儚げに笑った。
いつの間にか野球部とおぼしき坊主の一団が、グラウンドの上でトンボをかけていた。褐色の土はまだまだ緩く、足を踏み入れれば沈み込みそうだが、それでも部活はやるらしい。
その光景をしばらく先輩と黙って見ていた。無秩序な騒ぎ声はどこか遠く、人寂しいこの場所が切り離されてしまった感覚に陥る。
「だから、君と切花ちゃんの関係とか、凄い自然で、結構憧れてたんだけど、違ったのかな?」
そのせいか井杖先輩の冗談めいた言葉は、するりと俺の中に入って暴れまわった。ある種、不意を衝かれたような形だった。
「……何のことっすか?」
声に色を乗せないように、気をつけながらとぼける。
「私のも気になってたの、日曜日に別れた後、何があったのか」
「それは、先輩には関係ないじゃないですか」
「うん。でもあんなやり取りを目の前でやられたら、流石に気になるでしょ?」
「……」
「それに、冗談っぽく言っちゃったけど、君たちの関係に憧れてたのは本当だよ」
だから、何だというのだろう。
先輩に話したところで、何かが変わるわけではない。そもそもあれは切花の問題だ。あいつが納得をしているのだから、俺がどうこう言うべきではなかったのだ。
だから、先輩にも関係ない。
そのままむっつりと口を閉ざす。先輩はさきほどの生暖かい表情のままで一歩俺に近づいた。
「なら私は、関係のない君に、大志くんとの顛末を語った訳じゃない。だったらヒキガヤくんも、私に話す義務があると思わない?」
「俺はお願いして聞いた訳じゃないですよ」
「でも一回は一回でしょ?」
ちょうど先輩が言い終わるとともに、校舎に重苦しいチャイムが鳴り響く。
チャイムはグラウンドから校舎まで満遍なく往復し、校舎と地面を軽く震わせ、生徒たちの足をそれぞれの教室へと向かわせた。
その音も先程までとは違った喧噪に紛れて、直ぐに立ち消えてしまう。
慌ただしさと気だるいさが混じった風が頬を叩き、俺たちの髪を軽く揺らした。
「……先輩、お人好しって言われません?」
「うふふ、よく言われる」
校内の喧噪が寄せては返す波のように小さくなっていく。さえずりを交わすような静けさが辺りを包んだ。
五限までの時間はどんどん近づいているのに、先輩は一向に教室に行く素振りを見せない。そして俺も、足を動かそうとは思えなかった。
「ヒキガヤくん、教室に戻らなくていいの?」
「先輩こそ、いいんですか?」
「私は優等生だからね。一回くらい授業に出なくても問題ないんだよ」
「そうですか。俺は次の授業が思い出せないんですよ。だから、そんな不誠実な態度で授業に出るのは申し訳ないので、サボることにします」
そうして二回目のチャイムが鳴った。
「授業始まっちゃったね」
「そうっすね。……授業が終わるまで暇なんで、話に付き合ってもらっていいっすか?」
「うん、いいよ」
日差しもないのに午後の空気は暖かく、気を抜くと瞼が落ちてきそうになる。
まあだから、この後の言葉は、きっと寝言のようなものだ。特に意識をしないで、ただただ口から零れ落ちるだけのもの。
「別に何てことないですよ。あのまま帰って、自分のわがままを相手に押しつけてしまっただけです」
「……それは、あのカフェで話していた続きのこと?」
「そうっすよ。本人は平気だって言っているのに、勝手に心配して、挙げ句に相手のことを否定してしまっただけです」
大きく息を吐くように俺は言った。
言葉に出してみると、胸の奥がスッと軽くなる。話すだけでも楽になるのは、どうやら本当らしい。感情や想いには質量や輪郭はないけれど、それでも、目に見えない形でそこら中に偏在しているのだろう。
それは触れば簡単に変質してしまう弱いもので、誰かが吐き出したものを自分の中に入れてしまうだけで変わってしまう。
同じ空気を吸って、誰かと同じものを共有したと思っても、決して混ざらない。
「ヒキガヤくんは本当に、切花ちゃんのことが好きだね」
同じ場所にいる先輩は、しみじみとそう言った。
「……今の話をどう解釈すれば、そうなるんですか?」
「むしろ、他にどう解釈すればいいの?」
「いやほら、切花に勝手に俺の理想を押しつけていた、みたいな」
「それは、恋愛感情かどうかは置いても、好きだから起こることだよ」
耳を撫でつけるような先輩の声は、優しく、子守歌でも歌うような響きを帯びていた。
「好きだから、同じものを共有したいからこそ、相手が思い通りにならないのが許せなくなるんだよ」
「そんなことはないですよ。どいつもこいつも、友情を押しつけてきます。自分たちとは違う誰かを否定しています。それは全部好意から来るんすか」
「そう言われると厳しいけど……。でも、そう思ったほうが楽しいでしょ。ラブ&ピースみたいな」
そう軽い調子で言って、井杖先輩は笑顔でピースサインを作った。
あまりに軽々しく、適当な調子で言うので笑みがこぼれてしまう。どこまでも甘く、とろけてしまいそうだ。
「でも、だったら、俺たち全員エゴイストじゃないですか?」
好きだから理想を押しつけて、求めるから擦れ違う。自己満足を主張し合うのが避けられない。それならば、人生は悲劇的だ。
「それでいいじゃん。喧嘩になったら謝ればいいじゃん。そうやって擦れ違った先に、相手の中に自分を感じられるって、凄く嬉しいよ。自分の思い通りの他人がいたって、そんなのはきっと面白くないよ」
「難しいこと言いますね」
どこかの教室から、高低入り交じった声が漏れてくる。その声は俺たちしかいないこの場所にも控えめに届き、俺たちにぶつかって地面へと吸い込まれていった。
ここからは誰の人影も見ることができない。直ぐ近くには何百といった人間がいるのにも関わらず、感じられるのはただ一人だけだった。聞こえてくる音がすべて遠い。
雲の切れ目から覗き込んだ太陽がやたら眩しくて、手を伸ばして遮る。
「……先輩」
「んー?」
続きの言葉は、冗談めいた形でしっかりと言うことができた。
「俺と付き合って下くれませんか」
「……いいよ。けど私、浮気とか二股は許さないから。というか私以外に好きな子がいる時点でギルティ」
「そうっすか。じゃあ止めておきます。罰を受けるのはいやなんで」
「そっか残念だね」
そうして俺たちは授業が終わるまで、取り留めのない話をした。決して意味のある話ではなかったが、自然と笑みがこぼれるくらいには楽しかった。
そうして教室に戻った後、由比ヶ浜から五限の授業が現国ということを知らされた。担当は勿論、平塚先生である。
……そりゃ、思い出したくないわな。
ご覧いただきありがとうございます。
井杖先輩回です。自分で書いていてなんですが、自分の中で割と恵の好感度が上がりました。
遊び人ではあるんですけど、やっぱり年上で、乙女だなーって思ってもらえれば嬉しいです。
それでは、また次回。