優木沙々というイレギュラー   作:SBS

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第5話

 影絵のような世界に沙々は立っていた。一人ではない。傍らには魔法少女姿の暁美ほむらと佐倉杏子の姿もある。

 沙々たちは切り立った崖の入り口で、やはり影絵のような獣の群れと対峙していた。この結界の魔女に従う使い魔たちだ。

 沙々はすでに身の内に充溢していた魔力に形を与え、それを声に乗せた。

 

「道を開けてくださいねー、全員ですよ!」

 

 力ある言葉が高らかに響く。精神を蝕む魔法の力が、音と共にさざ波のように広がっていった。使い魔たちの眼窩に次々と赤い光が灯っていく。

 やがて沙々の言葉どおり、獣の群れは這いずるようにして左右へ動き、一本の通り道を作った。ここから魔女まで一直線だ。

 杏子が歓声を上げる。

 

「大したもんだ、モーゼの奇蹟だな」

「二人とも、私の手を」

 

 ほむらがそう言って一歩前へ踏み出し、両手を左右に広げた。

 沙々も杏子もそれに従いほむらの手を掴む。沙々が握っているのは左手だ。ほむらの手のひらは柔らかく暖かい。

 ほむらが左手の盾に触れ、仕掛けを動かす。

 世界がその動きを止めた。結界内の景色も使い魔たちも、全て一時停止をかけた映像のように静止している。

 止まった世界の中で動いているのはほむら、そして手を繋いでいる沙々と杏子だけだった。

 ほむらは左右を確認してから言った。

 

「さあ、行くわよ」

 

 その合図で沙々たちは、自分たち以外の全てが止まった結界内を走り出した。

 道の左右には沙々の言いなりになった使い魔たちが微動だにせず、各々の方向を見つめている。実に奇妙な光景だった。

 これがほむらの魔法、時間停止。それを知った時、沙々はほむらが見せた信じがたい早業の数々を理解できた。

 

「何度見ても変な感じですねぇ、便利なのは確かですけど」

 

 影絵の世界を駆け抜けながら沙々は言った。ほむらを挟んで共に走り続ける杏子が相槌を打つ。

 

「こんな魔法があるなら、そりゃあ色々できるわけだ。今になって思えば、あの時のあれも……」

「無駄口は後にしなさい。……ほら、見えてきたわよ」

 

 ほむらに注意されて改めて前方を見ると、確かに崖の一番上にそれらしい姿があった。

 それはこの結界や使い魔同様、影絵のような姿をしている。そのシルエットはこちらに背を向けて祈りを捧げる聖女のようだった。だが髪は無数の木の枝のようで、下半身からは根のような物がびっしりと伸びている。

 異形の聖女を守るようにして、命令の届かなかった使い魔たちがぐるりと周囲を取り囲み、行く手を塞ぐ壁となっていた。だが、ここならすでに射程範囲だ。

 ほむらが立ち止まり、早口で言った。

 

「杏子、頼むわよ」

「任せとけ」

「さっきも言いましたけど、殺さない程度でお願いしますよ」

「わかってるって」

 

 沙々が口を挟むと杏子はぞんざいに了承した。

 そしてほむらの向こう側で槍を逆手に握り、投擲の構えを取る。精神統一して狙いを定めているのだろう、緊張した空気がこちらまで伝わってきた。

 やがて杏子は全身のばねを使い弾かれるように槍を投げた。その手を離れた槍が空中で静止する。ほむらの時間の住人だけが自由に動くことができるのだ。

 そのほむらがささやくように言った。

 

「動き出すわよ」

 

 そして左手の盾に手を伸ばす。

 ほむらの時間操作は発動の前後に盾を操作し、仕掛けを作動させる必要がある。その瞬間だけは両手が塞がり無防備であるため、使うタイミングや視線誘導によってそれと悟られぬよう気を付けていたらしい。

 再び景色は流れ使い魔たちが蠢き始めた。それは杏子が投げた槍も例外ではない。緩い放物線を描いて飛んでいく。槍は魔女の腰辺りへ突き刺さった。

 悲鳴こそ上げないが反応は大きかった。身もだえするように触手や根を激しくうねらせている。狼狽でもしたのか、周囲の使い魔たちが右往左往した。

 それを見届け、沙々は杖を右手に持ち替えた。杖を介することによって魔法の力を増幅させる。狙いは悶え苦しみ隙だらけになった魔女だ。

 いつか杏子へ仕掛けた時のように、意識の鎖を無数に伸ばし魔女の全身に突き入れる。何の抵抗も無く奥まで食い込み、沙々と魔女は精神の深い部分で繋がり合った。

 今の沙々にはあの魔女の全てが手に取るようにわかる。生者全てに向けられた激しい憎悪、敵意、怨念。覗くべきでない深淵そのもののような、真っ暗でおぞましい心だった。

 そしてまた、魔女の真の名も沙々に伝わってくる。

 沙々は音声ではなく、意識下の声によって魔女に命じた。

 

『魔女エルザ・マリア、今からあなたは私の下僕です。あなたも、あなたの使い魔も、あなたの結界も、全部私の物です。従ってもらいますからねぇ』

 

 魔女が一瞬、軽く痙攣する。沙々は口元を歪め、ニィと笑っていた。

 人であろうと魔女であろうと、他者を完全に従属させる愉悦は何物にも代えがたい。全身が自然と歓喜に震えた。

 やがてエルザ・マリアは悶えることをやめ、使い魔たちもまたその場で動きを止めた。魔女も使い魔も新たな主人の命令をじっと待っている。全て沙々の忠実な手駒だ。

 沙々はほむらたちへ振り返り、機嫌良く言った。

 

「終わりましたよー、うまくいきました」

 

 その言葉を合図としてエルザ・マリアの結界は波が引くように消えていった。元の現実世界、開発途中の工業地帯が蘇る。日没を迎え空には星が瞬き始めていた。

 こうして従属した魔女たちは気配を最大限に隠し、結界と共に沙々の周囲に常に潜んでいる。それ故に呼べばいつでも駆け付け、主を守る騎士のごとく戦うのだ。

 変身を解き、沙々たちの間にいくらかほっとした雰囲気が漂う。今夜も全く被害を出すことなく魔女を処理することに成功した。

 にもかかわらず杏子は浮かない顔をしている。どこか釈然としない様子で杏子は言った。

 

「これで魔女はいなくなったわけだけどよ、なーんか沙々だけ得してる気がするんだよなあ」

「なんですかそれは……言いがかりですよぅ」

「戦力は増えちゃいるが、そいつはあんたの戦力だよな? だいだい魔女は生きてるからグリーフシードはすぐ手に入らねえし……」

「今は私も皆さんの仲間ですから、魔女はチームの戦力ですって。それにグリーフシードが必要になったら自殺を命じればいいだけの話じゃないですか。……この話、前もしましたよねぇ?」

 

 沙々は似たような説明の繰り返しにうんざりしながらも、杏子の微かな変化を見逃さなかった。『自殺』という単語を口にした時、いくらか顔を引きつらせている。

 だがそれ以上の変わった反応は見せない。いつもの気だるそうな表情に戻った。

 杏子の変化を見て見ぬふりしつつ、沙々は甘えるような声で言った。

 

「ほむらさんからも言ってくださいよー。私はちゃんとチームの役に立つよう考えてるんですから」

「そうね、あなたの力には助けられている。グリーフシードが必要になったら声をかけるわ。……杏子も、あまり目くじら立てる事ではないと思うのだけど」

「わかってるって、言ってみただけだから気にすんな」

 

 杏子は沙々とほむらに背を向け、どこか投げやりな態度で手を振っている。実際、それ以上の事は言ってこないので害は無かった。しかし気になるのもまた事実である。

 沙々は声をいくらか真面目な調子に改めて言った。

 

「杏子さん、どうしてそう突っかかってくるんですか?」

「……別に、大した事じゃねえさ。その手の魔法にはいい思い出がなくてね、それだけだ。役に立ってるのは認めるよ」

 

 彼女がそう言うのであれば、沙々もそれ以上何も聞くつもりはない。契約の願いに関わる事なのだろうか、と沙々は思った。

 そして精神操作が杏子に通用しなかった時のことが脳裏によみがえる。あの時、杏子は無意識のうちに沙々の魔法をブロックした。生来の特殊な体質でないなら、契約によって得た力が関係しているのかもしれない。

 彼女たち三人は互いの願いが何であるかを知らない。知る必要がなかった。

 強大な魔女を倒すという目的のためだけに組まれた共闘、それ以上でもそれ以下でもない。立ち入った事は聞かないのが暗黙のルールとなっていた。

 微妙な空気を察したのかどうかはわからないが、ほむらが口を開いた。手のひらには懐から取り出したグリーフシードが乗っている。

 

「回復しておきましょう。今日も消耗は少なくて済んだけれど、念のためよ」

「ああ、そうだな」

 

 杏子は投げ渡されたグリーフシードを受け取り、ソウルジェムに近づけて穢れの浄化を始めた。

 沙々たちがチームを組むようになってしばらく経つ。その間、何度かの戦闘をこなしており、魔女も今日が初めてではなかった。今のところ順調だ、と沙々は感じている。

 沙々が敵を無力化し、ほむらが時間を止めて援護し、杏子が強力な攻撃を繰り出す。このパターンによって被害らしい被害を受けることも無く、効率よく魔女を処理することができていた。

 ほれ、と言って杏子がグリーフシードを放り投げてきた。取り落としそうになり、沙々は慌てて受け取る。なにやってるんだと杏子が笑った。沙々も照れ笑いする。

 受け取ったグリーフシードを自分のソウルジェムにかざす。橙色の輝きが一層強くなり、宝石の穢れが吸い取られ消えていった。心なしか身体が軽くなった感じがする。

 浄化を終えた沙々はほむらに向き直る。やはりグリーフシードは投げた方がいいのだろうかと思い、ぎこちなく投球のフォームを取った。

 

「ほむらさん、いきますよ!」

「……無くしたら困るわ、普通に渡してくれればいい」

「え? そ、そうですね」

 

 もっともな指摘に沙々は苦笑し、歩み寄ってグリーフシードを手渡した。

 素っ気ない口調だが、ほむらの表情は柔らかい。チームを組んで以来、稀にそんな顔を見せることがあった。

 共闘がうまくいっているからだろう、と沙々は思った。

 三人で行動しているのでグリーフシードの取り分は減るが、負担や危険も減るので悪い事ばかりでもない。最近の消耗の少なさを考えれば、魔力の収支は恐らくプラスだろう。

 戦闘中に身の危険を感じることもほとんど無くなり、沙々は今までにない安心感を抱いていた。一人結界に乗り込み、なけなしの勇気を奮い気を張っていた頃とは雲泥の差である。

 ほむらと杏子は腕が立つ。彼女たちと一緒ならどんな敵でも倒せるのではないか――沙々はそんなことまで考え始めていた。

 そして現時点で敵対するメリットは無い。どちらか、あるいは両方と戦うとなれば面倒な事になるだろう。とても倒せる気がしなかった。

 やがてほむらがソウルジェムの浄化を終えた。グリーフシードはすっかり黒く染まっている。あれはもう使用の限界だった。それをほむらは虚空に向かって放り投げる。

 おっと、というどこか呑気な声が物陰から聞こえてくる。

 そこには白い猫のような奇妙な生物がいた。背中に空いた穴でグリーフシードを受け取り、そのまま飲み込んでしまう。でたらめな構造だが、これによって限界になった魔女の卵を処理しているらしい。

 その生物、キュゥべえはきゅっぷいと鳴き、口を開くことなく喋った。

 

「やあ、調子はどうだい」

「可も不可もないわ」

 

 ほむらが心底どうでもよさそうに答える。どういうわけか彼女はこの生物を殊更に嫌っている――沙々はそんな印象を抱いていた。

 自分たちを魔法少女へ導いた存在ではあるが、いつも平坦な調子で口を動かさずに話す姿はどこか不気味でもある。そんな胡散臭さを見ていると、沙々にもほむらの気持ちがいくらかわかる気がした。

 

「君達三人はチームとしてうまく機能しているようだね。その調子で頼むよ」

「用が済んだら消えなさい」

 

 ほむらはさらに突き刺すような調子で言う。キュゥべえを見る目には明らかに敵意が宿っていた。

 それでもキュゥべえは一向に気にした様子もなく喋り続ける。

 

「みんな君達みたいにやってくれれば助かるんだけどね。たとえば美樹さやか、彼女はだいぶ消耗しているようだ」

「消耗って……あいつは何やってるんだ?」

 

 横から杏子が口を挟む。

 チーム結成以来、沙々たちは一度も美樹さやかと衝突することなくここまでやってきた。そもそも見かけてもいない。学校が同じほむらによると、通学は続けているという。

 キュゥべえは杏子に向き直って言った。

 

「最近でもパトロール自体は頻繁にやっているよ。目に付いた敵を片っ端から倒しているようだけど、使い魔ばかりだね。僕の知る限りだと、魔女は倒せていないと思うよ」

 

 うわっ、と沙々は思わず口に出しそうになった。それほどにさやかの戦いぶりは非効率極まりない。消耗するばかりで何も得る物が無い不毛な戦いだ。

 しかしその振る舞いは、以前沙々が本人から聞き出した内容と一致する。彼女は巴マミの志を受け継ぎ、見返りの無い戦いを続けているのだ。そんなことを続けていれば長生きなどできないだろう、と沙々は思った。

 しばし考えるしぐさを見せた後、杏子が言った。

 

「どうしてあたしらにあいつの話をする?」

「君達は知り合い同士だからね。良好な関係とは言い難いけど、一応知らせたまでだ。……それじゃあ、僕はもう行くよ」

 

 それだけ言うと、キュゥべえは再び物陰へと消えていく。

 その姿を見ながら、沙々も杏子と同じ疑問を抱き、思わず首を傾げた。

 

 

 

 


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