優木沙々というイレギュラー   作:SBS

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第4話

 結界内の使い魔が集結し、玩具の飛行機が編隊を組んで飛び交っていた。使い魔たちはけたたましく笑い非常にやかましい。

 彼女たちは槍を構えた杏子を取り囲むように高速で飛び続けている。沙々はそれらを意識の鎖でつなぎ留め、意のままに操っていた。

 

「ほらほら、どんどん行ってください! 休ませちゃダメですからねぇ!」

 

 沙々の督戦で使い魔たちは一斉に玩具の機銃やミサイルを発射した。援護を受けた他の使い魔たちは杏子めがけて突撃する。

 

「使い魔が言いなりだと……なんなんだよこれは!」

 

 杏子は怒鳴り散らしながらも駆け回り、的を絞らせなかった。驚異的な身軽さで弾の雨をかわし、隙あらば何度でも槍を繰り出す。突撃した使い魔は杏子に触れることもできず貫かれ、裂かれ、叩き潰されていった。

 やはり強い。沙々はこみ上げてくる焦りと苛立ちを抑え、杖の先へ魔力を集中させる。精神操作ではなく戦いのための魔法だ。不得手ではあるがそんなことは言っていられない。

 先端に橙色の光球が生まれると、沙々は杖を水平に一振りした。バレーボール大の魔力弾が弾き飛ばされ、空気を引き裂くような音を立てて飛翔する。

 軌道上の杏子が大きく横へ跳んだ。彼女がいなくなった空間を橙色の光が突き抜ける。

 ここまでは予定通り。沙々は使い魔たちへの支配と制御を維持したまま、自らが放った光球の仕掛けを起動する。

 複数魔法の同時制御、その負荷は神経が焼けつくような痛みとなって沙々に襲いかかった。苦悶に顔を歪め痙攣しながらも、彼女は制御を放棄することなく魔法を完遂する。

 痛みを誤魔化すためにも沙々は大声で怒鳴った。

 

「散れっ! ぶつかれ!」

 

 前者は球体に仕込んだ術の起動キーワードだ。魔力の塊が分裂し、光の弾となって拡散した。

 握り拳程度の光が無数に浮かんでいる。杏子を大きく取り囲んでいるそれらは、矢のような速さで次々に襲いかかった。

 後者は使い魔たちへの命令である。彼女たちは魔力弾の巻き添えになる事も厭わず、杏子めがけて一斉に体当たりを仕掛けた。

 驟雨のように激しい攻撃に飲み込まれ、杏子の姿が土煙に消える。

 光の弾と使い魔の突撃はとどまることなく降り注ぐ。光球は爆発し、轟音が離れている沙々の鼓膜をも貫いた。時おり攻撃に巻き込まれた使い魔が引き裂かれバラバラになるが、構わずそのまま続けさせる。

 やがて全ての攻撃が終わった時、沙々は肩で息をしていた。多数の使い魔の使役と慣れない攻撃魔法の制御、それを同時に行なった負担は決して小さくない。

 それでも不意打ちと捨て駒による一斉攻撃は、避けられるタイミングではないはずだった。程なくして煙が晴れるが、沙々は己が見たものを信じられず愕然とした。

 杏子は槍を床に突き刺し、祈るように両手を組んでいた。真紅に輝く網状の障壁が彼女の周囲を覆っている。

 鹿目まどかを隔離していた時と同じタイプの魔法、それが杏子を光球と使い魔の雨から守ったのだ。彼女は無傷だった。

 後ずさる沙々の前で杏子は防御を解き、槍を握り直す。その顔つきからは相変わらずの余裕と危険な凶暴さが見え隠れしていた。

 

「使い魔を操るとはね、正義の味方ってわけではなさそうだ。だけど、邪魔者は誰だろうとぶっ潰す」

 

 相変わらず杏子は軽い調子で言った。だがそこに宿る確かな殺意を感じ、沙々は身震いする。

 魔法の杖を強く握りながら、沙々はどうすべきかと素早く自問した。

 正面からやり合って勝てる相手ではない。結界の使い魔もほとんど倒されるか使い潰してしまった。

 残された手段は精神操作だが、ただの人間や知能の低い魔女・使い魔ならいざ知らず、交戦中の完全に警戒した魔法少女を洗脳することなどまずうまくいかない。

 そこまで考えて沙々は決断した。隙が無いなら隙を作ればいい、そのための手段が彼女にはある。

 沙々は大きく息を吸い込み、今まで以上に精神を研ぎ澄ませた。そして一際大きな意識の鎖を引っ張り、『それ』を呼び寄せる。

 何かを感じたのか、杏子は立ち止まり身構えた。

 沙々は構わず声なき呼び声を上げ続けた。空間が耳鳴りのような音を立てて揺らぎ、結界内へさらに新たな結界が展開される。

 やがてそれは沙々に応え、姿を現した。

 

「なんだと……!?」

 

 杏子が今度こそ驚愕の声を上げた。

 辺りは急速に暗がりに包まれていく。新たな結界の中央には異形の怪物が鎮座していた。

 星形の鋭い多角形のような胴体を持ち、そこから五本の手足が伸びている。頭部らしきものは見当たらない。その全身はこの空間の闇より暗い黒だった。

 魔法少女たちがその契約によって戦う事を宿命づけられた存在、すなわちこの怪物は魔女に他ならなかった。

 

「冗談だろ、魔女が別の魔女の結界に!?」

「さあ、やっちゃってください!」

 

 沙々は呼び出した魔女・ズライカに命じた。

 通常であれば知るすべなど無い魔女の名前、しかし意識の深いところで繋がっている沙々にはごく自然に感じ取ることができる。それほどまでに強力な繋がりを持ち得る洗脳によって、魔女は完全に沙々の手足となって動いていた。

 魔女の全身が微かに震え、霧状の暗闇がスプレーで噴きつけたように杏子を飲み込んだ。水槽に炭を垂らした時のように、空間の一部だけで闇が濃くなっている。

 

「何をしやがった!?」

 

 闇の向こう側から杏子の罵声が聞こえてくる。その声からも明らかに動揺が見て取れた。

 ズライカはその活動地域において、暗闇の魔女という通称で呼ばれていた。それは真っ黒な姿、そしてその能力にちなんだものに他ならない。今の杏子は光さえ通さぬ闇に包まれ、何も見えていないだろう。

 沙々はそれを確認するとズライカとその結界を下がらせた。万が一にも撃破されては事である。

 それを見届けてから、沙々はもう一度精神を研ぎ澄まし、深い集中の中で魔力を精緻なまでに練り上げた。そして対象、すなわち闇に囚われたままの杏子をしっかりと見据える。

 沙々は目に見えない意識の鎖を伸ばすイメージを作った。その形の通りに魔力の波動は杏子へ迫っていく。この場で洗脳し、沙々の奴隷として生まれ変わらせるのだ。魔女の暗闇に包まれ、混乱している今ならそれも可能だろう。

 不可視の鎖を闇の中へ潜らせ、杏子へ突き入れようとした時のことだった。突然、何の前触れも無く鎖が弾き返された。

 

「えっ!?」

 

 のみならず鎖はあまりの衝撃にその場で霧散する。鎖を粉々に砕きながらもそれを伝うように衝撃は走り、沙々を痛打した。

 痺れるような痛みが全身を走り、沙々はふらつき後ずさった。視界が明滅して揺らぎ、眩暈と軽い嘔吐感にも襲われる。維持していた魔法がバラバラになって消え失せた。

 

「そこか!」

 

 杏子の声がはっきりと聞こえた。そこに迷いは無く、すぐさま闇の中から飛び出してくる。

 魔女の暗闇を突破した杏子を見て、沙々は全身が粟立つのを感じた。槍を手に、肉食獣のように躍りかかってくる。

 視線と手の動き、上段に構えた姿から狙いは顔面だと沙々は直感した。それを信じ、上体を大きく右へ倒す。

 直後にもの凄い勢いで槍が顔の横を通り過ぎていった。寒気がするような音を立て、空気が引き裂かれる。

 伸びきる前に杏子の腕と槍が大きく捻られた。次の瞬間、沙々は頬を打たれ勢いのままに跳ね飛ばされる。

 全身が錐揉みし、視界がわけのわからない速さで回る。超高速のようにもスローモーションのようにも感じられた。沙々も世界もぐるぐると回転し、鈍い音を立てて床に墜落する。

 全身に衝撃を受け横たわった時、沙々の現実感はひどく稀薄だった。何が起きたのか理解が追い付かない。しかし身体が思うように動かないのだけは確かだった。

 頬の鈍い感触が次第に鮮明な痛みへと変わっていく。そこでようやく思考が動き始めた。

 杏子は沙々が突きをかわした後、そのまま槍を振って柄で殴りつけたらしい。何気ないような動作でも、魔法少女の身体能力から繰り出されたその一撃は強烈だった。

 過度の回転を加えられた頸椎には異様な感覚がある。腫れ上がった頬に触れると不安定にぐらついた。頬骨が砕けているらしい。

 それでも沙々はどうにか上体を起こし、顔を上げた。

 杏子は沙々を見て少し意外そうな顔をしていたが、やがて槍を構えゆっくり迫ってくる。とどめを刺すつもりだろう。

 死ぬ、殺される。沙々ははっきりと死を意識した。もはや手札は残っておらず、できる事など何も無い。このままあの槍で一突きされて死ぬ。

 それでも沙々は朦朧としそうな意識に言う事を聞かせ、取るべき選択を考えた。

 抵抗か逃亡か、それとも降伏か。沙々の頭脳はすぐさまどれも難しいという結論を導き出した。

 こんな状態で抵抗してどうにかなる相手ならここまで追い込まれていない。逃げようにもこの身体ではすぐに追い付かれ、後ろから突き殺される。そして互いに殺すつもりでこれだけやり合ってしまった以上、今さら降伏を受け入れられるとも思えなかった。

 ならばこのまま大人しく殺されるか。それは嫌だ、と沙々は思った。怖い、死にたくないという感情が一気に首をもたげ、全身が小刻みに震えた。

 気付いた時、沙々はへつらいの笑みを浮かべていた。

 砕けた頬骨に響くが構うことはない。死にたくないのであれば、そこにわずかな可能性があるのならば、許しを乞う以外になかった。

 沙々は媚び笑いを必死で作りながら、震える声で命乞いをする。

 

「お、お願いです……ごめんなさい、ゆ……許してください、殺さないで……」

 

 それを目にした杏子は一瞬、虚を突かれたように口をぽかんと開けていた。沙々の行動が予想外だったのだろう。

 が、やがて冷たくつまらなそうに杏子は呟いた。

 

「なんだ、クズか……」

 

 その一言は奇妙な重みをもって響いた。作り笑いが引いていくのを感じたが、それをどうにかしようという気も起きない。

 沙々の意識は今この場所にはいなかった。あの屈辱の日、魔法少女になって初めて完膚なきまでに打ちのめされたあの時にいる。朦朧とした意識の中で投げかけられた言葉が、沙々をあの場所へ引き戻していた。

 目の前には沙々をぼろきれのように痛めつけた二人組の片割れ、銀髪の魔法少女がいる。彼女はたった今倒した沙々に対して微塵も興味を持っていなかった。その目は沙々のことなど見ていない。命乞いする彼女を虫けら程度にも思っていないのだ。

 その瞬間、沙々は絶叫した。計算も何もかも頭から追い出されてしまった。ただ獣のように吼え、なりふり構わず飛び掛かった。

 

「うわっ!?」

 

 本当に予想外だったのだろう。杏子は沙々に組みつかれるまま後ずさった。腕を振り回して振りほどこうとするが外れない。

 やがて杏子の上体が後ろへ大きく倒された。頭突きが沙々の顔面にめり込む。一瞬視界が白み、吹き飛ばされ床に倒れた。

 そこで沙々は我に返った。

 鼻の辺りに痺れるような痛みがあり、生暖かい感触が広がる。触れた手のひらは鼻血でべっとりと汚れた。

 

「なんなんだ、お前は……」

 

 困惑気味にこちらを眺める杏子を見ているうちに、沙々は自分が惨めでたまらなくなった。自然と嗚咽が漏れ、涙が溢れ頬を伝い落ちる。

 自分はいったい何のために何をしているのか、沙々はわけがわからなくなっていた。生まれた街を追われ、見滝原まで来てあれこれやってきたが、結局は圧倒的な力の前に叩き潰される。

 今までやってきた事は何もかも無駄だった、この結果がそれを事実として突きつけている。沙々にできる事など子供のように泣く事しかなかった。

 感情がとめどなく溢れ、涙と一緒になって流れていく。ここまで感情を露わにする事に驚く自分もいたが、だからどうにかできるわけでもない。沙々はただひたすらに泣いて咽び続けた。

 

「遅かったかと思ったけれど……二人とも、まだ生きているわね」

 

 落ち着き払った声が静かに、しかし確かに響く。

 いつからそこにいたのか、結界内に伸びる通路の一つから暁美ほむらが姿を見せた。ゆっくりと沙々たちの方へ歩いてくる。

 何をしに来たのだろうか――それが、沙々が最初に抱いた感想だった。美樹さやかたちの時と違い、ほむらにはこの戦闘を止める理由など無いはずである。

 やがて杏子が身構えて言った。

 

「あんたはあの時の……今度は何の用だ、また邪魔しに来たのか?」

「ええ、その通りよ」

 

 そう言ってほむらは立ち止まった。そして杏子を、続いて沙々をじっと見つめる。

 沙々は泣き腫らした目元を思わず拭った。今さら意味は無いと思うが、そうせずにはいられなかった。

 ほむらは特に気にした様子もなく続けた。

 

「無駄な戦闘で魔力を浪費するのはよしなさい。今は、魔法少女同士が潰し合う時ではないわ」

「どういう意味だそりゃ、あんたは何を言ってる?」

「今から二週間後、この街にワルプルギスの夜が来るわ」

 

 ほむらが口にしたその言葉を聞いて、沙々は思わず耳を疑った。杏子も似たようなもので、怪訝な顔でほむらを見ている。

 大魔女・ワルプルギスの夜。沙々もその名は噂に聞いたことがある。

 他の魔女とは比べ物にならないほど強大な力を持ち、遥かな昔から人類と魔法少女を苦しめてきたという。結界に隠れることなく暴虐の限りを尽くし、大災害という形で普通の人間にも認識されている。

 しかしそんなものがこの見滝原を襲撃するなどという話は初耳だった。魔女の出現を正確に予測したという話は聞いたことが無い。

 杏子は構えていた槍を降ろしながらも、未だ警戒した様子で言った。

 

「どうしてあんたにそれがわかる?」

「それは秘密。……私はあなたたち二人に協力を要請するわ。襲撃の日まで生き延び、そして奴を打ち倒すための共闘を、ね」

「私たちが……?」

 

 思わぬ提案に沙々は言葉を失った。ワルプルギスの夜出現の話だけでも信じがたいのに、今までいがみ合っていた者同士で手を組めと言うのである。出現が事実であればそれだけの価値はあるが、いささか突飛な話だった。

 杏子がほむらを油断無く見つめて言う。

 

「その話が本当だったとして、あたしにどんな得があるって言うのさ?」

「奴さえ倒せれば私はこの街を去る、その後の縄張りは好きにすればいい。あなたたちが分け合うのも奪い合うのも自由よ。……あなたたちだって、私と戦いたくないでしょう?」

 

 協力しないなら排除する、ほむらはそう言いたいらしい。不遜なまでの自信だが発言にはそれだけの説得力があった。

 ほむらは得体の知れない力を使う。その正体が掴めぬまま敵に回すのは危険だった。そんな彼女が共闘さえ飲めば二週間で自発的にいなくなってくれるという。……前言を翻さねばの話だが。

 そしてワルプルギスの夜。本当にそんな怪物がやって来て見滝原を破壊し尽くすのなら、縄張りどころの話ではなくなる。魔女を生み出す土壌そのものが消滅してしまっては意味が無かった。

 沙々も杏子もしばらく考え込んでいたが、やがて先に口を開いたのは杏子だった。

 

「それだけの大物ならグリーフシードも期待できそうだな。いいよ、暁美ほむら……私はあんたに協力する」

「感謝するわ。……それで、あなたはどうするの?」

「私? ええっと……」

 

 協力を約した二人を目の当たりにしながらも、沙々は言い澱んだ。

 ほむらの提案は悪い話ではない。気がかりなのは杏子との関係だった。

 協力はワルプルギスの夜撃破まで、それ以後は元の関係に戻る。縄張りの帰属は当事者の意志と実力によって決まる。無論、そうでなければ杏子は飲まなかっただろう。

 どうしたものか、と沙々は悩んだ。

 杏子にはたった今手酷くやられており、二週間経ったからといって勝てるとは思えない。ここで協力関係を結んでも問題の先送りにしかならないだろう。何か手を打たねば敗北者として街を去るか、あるいは死ぬかという結末は変わらない。

 だが一つの可能性が頭に思い浮かんだ時、沙々は受け入れてもよいのではと思った。

 いつまでも答えない沙々に焦れたのか、ほむらが威圧的に言った。

 

「私と杏子はたった今、共闘を決めた。その意味はわかるでしょう?」

「……そうですね、あなたたち二人を同時に敵に回したくはないです。私も同志の列に加えてもらいますよ」

「物わかりが良くて助かるわ……。二人とも、よろしく頼むわよ」

 

 そう言ってほむらは長い髪をかき上げた。

 癖なのだろうか、以前もこんなしぐさを見た覚えがある。表情こそ変わらないが、沙々にはいくらかほっとしているようにも見えた。

 沙々の視線に気付いたのか、ほむらが首を傾げ見つめ返してきた。何を考えているのだろうか、なかなか視線を外そうとしない。

 気に障ったのかと思い、沙々は少し慌てて言った。

 

「な、なんですか……?」

「酷い顔ね。結界を出る前に治療した方がいい」

「あっ」

 

 沙々は思わず声を上げた。今まで鼻血まみれの顔で話をし、考え込んでいたのだ。

 顔に手を触れて、痛みに顔をしかめる。その表情の動きが砕けた頬骨や曲がった鼻骨に響いた。そして再び顔をしかめるという悪循環に陥る。

 杏子がため息をつき、呆れたように言った。

 

「何やってんだ……。ほら、じっとしてな」

 

 そう言って腕を伸ばしてくる。つい先程までのこともあり、沙々は思わず身震いして後ずさった。

 だが杏子の腕は有無を言わさず沙々を捕らえ、手のひらが顔に触れる。ややあって、柔らかな光が傷全体を包み込んだ。治療してくれるらしい。

 沙々は心の底から意外に思った。

 

「……どーいうつもりですか?」

「これから毎日顔を合わせるんだ、そんな奴の鼻が曲がったままだったらやりづらいだろ」

「そうですか。……ありがとうございます」

 

 ここは素直に礼を言っておく。

 治療を受けながら沙々は、改めて佐倉杏子を観察した。

 これまで恐ろしい魔法少女という以上の認識は持っていなかったが、こうして見るとなかなか可愛らしく愛嬌のある顔立ちをしている。真紅のドレスやリボンには少女趣味が色濃い。

 傷を治している杏子は現状と今後をどう認識しているのだろうか、と沙々は思った。

 今は沙々に暖かな癒しの光を注ぎ込んでいるが、彼女にとっていずれは殺す相手のはずだ。感情の切り替えが早いのだろうか。

 やがて治療が終わった。痛みも変形もすっかり治っている。

 杏子は沙々の鼻血を拭い、そして快活に言った。

 

「こんなもんだろ。……今からあたしらは一応仲間、さっきの事はお互い恨みっこ無しだかんな」

「そういうものですかねぇ……。まあいいです、よろしくお願いしますよ」

 

 沙々には馴染みの無い距離感でどうにも妙な気分になる。敵対しながらその後でこんな態度を示した者は初めて見た。

 ……噂通りであれば、ワルプルギスの夜は途方もなく強い。そんな大魔女との戦いであれば命を落とす者がいてもおかしくはないだろう。その戦いで杏子が死ねば、見滝原の縄張りは沙々の物である。そう考えて彼女はほむらの申し出を受け入れた。

 それくらいの事、杏子も承知の上だろうと沙々は思っていた。魔法少女が考える事などそう変わらない。その上で自分は死なない、沙々など取るに足らないと思っているのか。

 そうだとしても杏子の開けっぴろげな態度は理解しがたかった。沙々も感情の切り替えや演技には多少自信があるが、それとも異質な感じがする。

 考え込む沙々に気付く様子も無く――あるいは気付かぬふりか――杏子はほむらにたずねた。

 

「あたしらはこれでいいとしてだ。美樹さやか、あいつはどうする? 仲間にするのか?」

「声はかけたのだけどね……拒否されたわ」

「だろうな。あの様子じゃまた突っかかってくるぞ」

「ワルプルギスの夜と戦う前に厄介事は起こしたくない。二人とも、自衛目的以外で美樹さやかと交戦する事は控えて頂戴」

「そうかい、まああいつ次第だ。放っておいてくれりゃあ楽なんだがね」

 

 ほむらの要請に対し、杏子は投げやりながらも同意した。

 沙々もまた黙って頷く。もし仕掛けてくるようであれば、また『大人しく』してもらうだけだ。

 

 

 

 見滝原展望台の最上部から見下ろす夜景は、煌びやかにしてどこか儚くもあった。宝石のように輝く街並みは人の営みそのものである。

 なればその儚さは必然であろう。繁栄には長い時を要し、滅びは一瞬だ。

 夜の闇にあっても眠ることの無い街を眺めながら、美国織莉子はそんな事を考えていた。眼下の輝きは当然のようにそこにあるのではなく、誰かが守らねば壊れてしまう。

 五郷からこの見滝原へ赴き、織莉子はその思いを一層強めていた。それに気付けぬ者ばかりだというなら、気付いた者がやるしかない。

 

「やあ織莉子、待たせたね」

 

 声がしたので振り向くと、黒いショートヘアの少女・呉キリカが人懐っこい笑みを浮かべていた。今でこそこうして笑っているが、カミソリのような鋭い印象を見る者に与える。

 織莉子は微笑み返して言った。

 

「ご苦労様。……それで、どうだったの?」

「巴マミが死んでも相変わらず魔法少女の数は多いね。確認できただけでも4人いた」

「4人……。3人ではなく?」

 

 織莉子は見知ってきた見滝原との相違を認め、問いただした。

 

「ああ、4人だよ。そのうちの1人は孤立気味だけど、他の3人は流れ次第でどう動いてもおかしくない。4人のうち3人は織莉子が言った通りの顔ぶれだった」

「それで、残る1人は?」

「私も驚いたけどね、あの『ドクズ』優木沙々がいたんだ」

「ドクズ……?」

 

 予想していなかった言い回しと名前を聞いて織莉子は戸惑った。記憶の引き出しを探ってみてもそれらしいものは見当たらない。

 キリカが鼻で笑うように言った。

 

「ほら、いつだったか私と織莉子がボコボコにしてやった、魔女使いの……」

「……ああ、そんな事もありましたっけ。そうね、確かにそんな人もいたわね」

 

 ヒントを貰って織莉子はようやく思い出した。

 優木沙々は織莉子たちが契約して間もない頃に倒した、五郷の魔法少女である。あと一歩でとどめを刺せるはずだったが、魔女と使い魔の群れに阻まれ取り逃がしたのだ。

 その後は本来の目的に専念していたこともあり、織莉子はそんな出来事はすっかり忘れていた。

 キリカは手で首をはねるジェスチャーをして見せ、そして言った。

 

「あんな奴は取るに足らないね、数に入れなくたっていいくらいだ。それでも邪魔するなら私が切り裂いてやるよ」

「ええ、あなたなら何も問題無いでしょうね。だけどここから先はよほど慎重に動かなければ成功はおぼつかないわ。キリカ、それだけは心してかかりなさい」

「分かってるって、織莉子は心配性だなあ」

 

 そんな態度のキリカを見て、織莉子は少し心配になった。

 キリカは織莉子にいい格好を見せようと、勇ましく振る舞う傾向がある。それだけで済めばいいが、本当に敵を侮れば思わぬ不覚を取ることもありうる。

 織莉子は再び夜景に向き直り、手すりに体重をかけながら言った。

 

「頼みますよ、キリカ。……歪な時の流れで繰り返される破滅、それを止められるのは私たちだけなのだから」

 

 その胸に秘めるのは決意。これから始まる事に立ち向かおうとする強い意志だった。

 

 

 

 


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