優木沙々というイレギュラー   作:SBS

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第3話

 翌日、日も沈みかけた頃になって沙々は街に出た。

 駅前の通りは帰宅する人間などで溢れ返っている。地方都市としては規模が大きく繁栄している見滝原だが、なにかと人が多く沙々はうんざりしていた。

 人の群れで埋まりそうな雑然とした街並み、どこへ行っても人間の営みから逃れられず、そうした場所で目に入るあらゆる事物が沙々の精神をすり減らす。

 沙々は人混みの街が嫌いだった。しかしながら人間がいればこそ、使い魔や魔女が発生し増殖する。魔法少女として生きる以上、嫌いだろうと自ら入っていかねばならなかった。

 特に妙案も浮かばなかったので沙々は基本に立ち返ることにした。

 すなわち魔法少女としての巡回、魔女探しである。当然ながら他の魔法少女と遭遇する危険性は増すが、ホテルに閉じこもっていたところで事態は何も良くならない。

 橙色に輝くソウルジェムを通じて魔力の波長とその強弱を探り、導かれるようにして路地裏へ踏み込む。反応は少しずつ大きくなっていた。

 結界に隠れてもなお魔女や使い魔は用心深く、人気の少ない襲撃に適した場所を好む傾向にある。

 意識の集中を保ちながらも、沙々は人混みの流れから抜け出してホッとした。誰も自分を見ていないとわかっていても、視線を感じて沙々は嫌だった。

 これもあんな夢を見たせいだ、と胸中で吐き捨てる。

 それは昔の夢、魔法少女になる前、周りの人間全てから疎まれ蔑まれていた頃のこと。あの頃の沙々にまともに言葉をかける者は少なく、それは家族ですら例外ではなかった。誰もがただ、冷ややかな視線で彼女を見つめていた。

 神経質になっている自分に気付いて沙々は頭を振る。

 考え事をしていた自分はまるで魔女の犠牲者のような精神状態だった。今は状況に対処することだけに集中しなければならない。弱い使い魔が相手でもやり方を間違えれば命取りになる。

 

「みーつけた」

 

 程なくして結界を発見し、沙々は自分を鼓舞するため明るく呟いた。自然と笑みが浮かぶ。

 迷路のように入り組んだ路地裏の一角で、ごく狭い範囲の空間だけが歪に揺らいでいた。周囲の景色から微妙にズレの生じた不自然な像を描いている。結界は普通の人間の目には見えず、近くを通れば心の隙を突かれ、誘導され、餌食となる。

 沙々はソウルジェムを前方にかざし、強く念じて変身した。

 全身が光に包まれ、やがてオレンジ色を基調とした道化服のような魔法少女姿になる。光が集束し、棒状になり、それは魔法の杖となって沙々の右手に収まった。

「このところすっきりしない事ばかりでしたからねえ、せいぜい楽しませてくださいよ」

 沙々はくふふ、と笑い結界に向かって飛び込んだ。

 

 

 

 周囲を警戒しながら沙々は奥へ奥へと進んでいく。

 この結界では緑色を基調とした壁や床に、幼児の玩具のようなオブジェが所々に無造作に置かれていた。小さい子供が落書き帳に乱雑に書き殴った絵、そんな印象を見る者に与える。

 

「落書きの魔女、ってところですかねぇ」

 

 沙々は答える者もいない独り言を呟いた。魔女とは言ったが、この結界には恐らく使い魔しかいない。魔女に特有の強烈な魔力反応が感じられなかった。

 ここは使い魔が親である魔女から独立して結界を持ったもので、そう遠くない別の結界に魔女が潜んでいるだろう。こうした結界の使い魔が人間を食い続けて成長すれば新たな魔女が誕生し、グリーフシードを産み落とす。

 そうこうするうちに、人間の臭いを嗅ぎつけ使い魔たちが集まってきた。

 クレヨンで描かれた子供のような怪物が玩具の飛行機に乗って飛び交い、人間の幼児を粗雑に模した不快な笑い声を上げている。

 現れた使い魔は3体。沙々は魔法の杖を握りしめ、速やかに意識を集中して魔力を練り上げた。その瞳がそれぞれの使い魔を正確に捉える。

 

「お前たちは私の手下です、なんでも言う事を聞いてもらいますよ!」

 

 その声が引き金となり、ほんの一瞬、周囲の空間が波打つように揺らいだ。

 魔力の波動を受けた使い魔たちは空中で静止し、笑う事をやめた。やがてよく訓練された動物のように寄ってきて、沙々の周囲で待機する。

 彼ら――あるいは彼女ら――を満足しながら見つめ、沙々は告げた。

 

「いい子ですねぇ。それじゃあ、この結界の親玉のところへ案内してください」

 

 その言葉を理解したように使い魔たちは先導を始めた。人間の言語を持たない存在だが、今の沙々とは意識の深い領域で繋がっているため、それは些細な問題ですらないようだ。先を行く使い魔たちに続いて沙々は悠々と歩く。

 使い魔狩りをして正義の味方になるつもりなどもちろんなかった。

 通常の魔法少女にとっては、使い魔の結界に入る事そのものに何のメリットも無い。どれだけ倒しても何か落とすわけでもなく、将来産まれるグリーフシードの芽をあらかじめ摘み取ってしまうだけだ。

 だが沙々の魔法があれば話は別だった。使い魔たちを洗脳し、手持ちの戦力に加えることができる。沙々はまずこの結界そのものを乗っ取るつもりだった。

 その上で本体である魔女の結界へ案内させ、効率よくグリーフシードを手に入れる。もしも連れ回している使い魔が途中で魔女になってくれれば、最上の成果と言えた。

 生まれ育った街を去った後、沙々はこの方法で今日まで生き延びてきた。恐らくはここでもうまくいく。

 上機嫌で歩いていた沙々は、近くの柱から小さな破片が転がり落ちる意味に気付くのが遅れた。

 我に返って見上げた沙々は、もの凄い速さで降ってくる赤い影を見た。高所から飛び降りたそれは、落下の勢いと体重を乗せ槍を振り下ろしてくる。

 もはや言語ではなく、沙々は無意識で使い魔たちに命じた――全力で私を守れ、と。使い魔たちが弾かれたように反転し、一斉に飛行機で突撃する。

 襲撃者は振り下ろすことをやめ、その場で槍を振り回した。まとわりつく使い魔たちが一撃で叩き潰されていく。

 沙々はその隙に大きく飛び退いて距離を取った。

 床に着地した襲撃者――佐倉杏子が忌々しげに舌打ちする。3体の使い魔は全て倒され、塵のように消えていった。

 沙々は杖を握り直し、油断無く相手を見据えて言った。

 

「これはなんの真似ですかねぇ、佐倉杏子さん?」

「なんの真似とはご挨拶だな」

 

 杏子は槍を一振りして血糊を払い、不遜な顔つきでこちらを睨んでいる。

 沙々は冷たい汗が腋を伝うのを感じた。

 経験豊富で腕が立つであろう魔法少女が、敵対的な態度で自分と対峙している。不意打ちを仕掛けてきた以上、戦意は旺盛だろう。

 震えそうな声を律しながら沙々は言う。

 

「あなたにこんな事をされる覚えは無いんですがね」

「馬鹿か、てめえは。昨日のトーシロならともかく、あんたはここに使い魔しかいないって事くらいわかってるんだろ?」

「ああ、そういう事ですか……」

 

 面倒な事になった、と沙々は思った。

 杏子は沙々をあろうことか巴マミや美樹さやかの同類、正義の味方だと勘違いしているらしい。確かに使い魔の結界をうろうろしていれば、そういう誤解をされることもあるだろう。

 しかし馬鹿正直に事情を説明するのも気が進まなかった。味方でもないのに手の内を見せたくない。

 考え込んでいるうちに杏子が一歩踏み出し、うんざりしたように言った。

 

「マミといい、昨日の奴といい……どうしてこの街にはご立派な魔法少女ばかり集まるんだろうな」

「私はそういうのじゃないんですけどねぇ。まあ、信じてくれるとは思ってませんが」

「当たり前だ。……消えな、さもなきゃあたしとやり合うことになる」

 

 ここに到って沙々は戦闘を決意した。もし逃げおおせたとしても、それ以後杏子は障害として立ちはだかり続けることになる。

 ならば結界の中という有利な場所で勝機を見出す、それが限られた選択肢の中では最良だった。

 

「自分に勝てる奴なんてもういない――そう思ってるんですねぇ。だけどそうとは限らないって教えてあげますよ、佐倉杏子さん」

 

 怯えてしまいそうな自分を奮い立たせるため、沙々は自信に満ちて好戦的であるように振る舞った。

 さやかとの戦闘を見る限り、杏子は強い。それでも今はやるしかなかった。

 内なる魔力を高め、練り、形を与えて戦いに備える。

 やがて杏子の顔から笑みが消え、床を蹴った。それが始まりとなった。

 

 

 

 日は落ちて、街路灯の青白い光が等間隔で闇をくり抜いている。この季節にしては冷たい夜気に触れ、まどかは軽く身震いした。

 制服姿の彼女は先程からずっと、マンションのエントランス前に立っていた。

 この建物の一室が美樹さやかの家である。じきにさやかが魔法少女としてのパトロールに出かけるはずだった。

 マミを失い、それでもなお魔法少女として戦い続けるさやか。まどかはその身を案じていた。

 契約をしていないただの人間である自分にできる事は、マミ存命中から続けている魔女退治への同行だけである。少なくともまどかはそう信じて疑わなかった。

 さやかを取り巻く状況は厳しい。魔女や使い魔を倒す本来の使命だけでなく、敵対する魔法少女との戦闘という要素も加わり、彼女を傷つけ消耗させている。

 戦いの事はわからないが、それでも佐倉杏子は腕が立ち抜け目無い、危険な相手としてまどかの目に映った。マミがいればともかく、さやか一人で立ち向かえるかどうか。

 せめて他に味方がいてくれれば、とまどかは思った。しかしながら相応しい人間が見当たらない。

 暁美ほむらは敵対こそしていないが、真意が読めずどこまで当てにしていいのかわからなかった。昨日会った優木沙々に悪い印象こそ無いが、やはり未知数の部分が多い。

 その時、まどかは頭の隅に追いやっていた可能性を再び思い出した。

 それは自分が契約して魔法少女になり、さやかと共に戦う道である。自分自身であれば裏切りの可能性を考慮する必要が無い戦力として、さやかの助けになることができるだろう。

 だがそれが本当に正しい選択なのだろうか、という疑問も頭を離れない。

 ほむらは魔法少女になるなとしきりに警告してくる。マミもまた軽い気持ちで契約すべきではないと言っていた。

 どうすればいいのだろう、とまどかは深く嘆息した。さやかは助けたいが迷いは残る。半端な気持ちで契約しても本当に助けになれるのか。

 迷うばかりで何もできない、決められない自分がまどかは嫌だった。優れた力をなんら持たず、決断を下す強い意志も無い。そんな自分が昔から嫌いだった。

 だがどうすれば変わる事ができるか、それもわからない。

 まどかが気鬱になりかけた頃、エントランスの自動ドアが音を立てて開いた。顔を上げ振り向くと、はたしてそこには美樹さやかの姿がある。制服姿で荷物は持っていない。

 初めは呆気にとられていたさやかだが、やがてその顔が険しくなった。半ば詰るような調子で言う。

 

「まどか、あんたまだついて来るつもりだったの?」

「さやかちゃん?」

 

 思わぬ語気の強さにまどかは後ずさりそうになった。元気だとは思っていなかったが、拒絶するような態度は予想していなかった。

 なおもさやかは強い口調で続けた。

 

「昨日の戦いでわかったでしょ? あたしはあんたを守るどころか、自分のことすらままならないんだよ。昨日は……忌々しいけどあいつ、転校生が来たからなんとかなった。だけどいつもそう都合よく助けが来るわけない、次は死んだっておかしくないんだ」

「だけど、私はさやかちゃんの力になりたくて、さやかちゃんにひとりぼっちになってほしくなくて……」

「何度も言わせないでよ、まどか。……マミさんは契約前のあたしとあんた、どっちも責任を持って守れるって考えたから魔女退治に連れて行ってくれたんだと思う。実際、マミさんについて行って危ない思いなんて一度もしなかった。だけどあたしは……まどか、あんたを守る自信が無い、無くなっちゃったんだ……」

 

 はっきり自信が無いと言われてしまい、まどかは言葉を失った。

 しかし、まどかはこのままさやかを一人で行かせるようなこともしたくなかった。そしてさやかはまどかを連れては行けないと言う。

 ならばと思い、まどかは言った。

 

「ねえさやかちゃん、ほむらちゃんと協力することって本当にできないのかな……?」

「はあ?」

「ほむらちゃんはよくわからないところがあるけど、でも悪い子じゃないと思うの。一人より二人の方が危なくないよね? 戦いだってきっとうまくいく、だから……」

「あんたそれ本気で言ってるの? ふざけないで!」

 

 声を張り上げるさやかの姿に、まどかは思わず身震いした。

 まるでほむらや杏子を前にした時のような目でまどかを睨みつけている。その鋭さにすくんでしまい、喋ろうと思っていた内容もどこかへ飛んでしまった。

 さやかはまどかに詰め寄ってまくし立てるように言った。

 

「あいつも杏子って奴も、ずっとマミさんが死ぬのを待ってたんだ! マミさんがいなくなった縄張りで街のみんなを生贄にして、自分だけいい思いしようとしてるんだよ!? あんたはあたしにそんな奴らと手を組めって言うの!?」

「違う、よ……だけど、ほむらちゃんたちだって、話せばきっと……」

「あいつらと話す事なんて何もない。あたしはこの街を、マミさんが命を懸けて守ろうとしたものを守ってみせる! あたししかいない、あたしがやらなくちゃいけない、あたしは逃げる事なんて許されないんだ!」

 

 何を言ってもさやかは聞き入れてくれそうにない。昨晩はいくらか落ち着いていたようだが、今は激昂して自分の殻に閉じこもってしまっているようだ。

 さやかがこうなってしまった原因は痛いほどに理解している。それだけにまどかはかけるべき言葉が見つからなかった。だが、止められなければさやかは一人で危険な場所へ赴いてしまう。

 まどかは体の震えを止められず、それでも絞り出すような声で言った。

 

「こんなの……さやかちゃんが死んじゃうような事、マミさんだって、きっと……」

「……あんたに、何がわかるのよ」

 

 さやかの声はぞっとするほど低く静かで、冷たかった。先程までの激昂が嘘のように引き、今は能面のような顔でまどかをじっと見ている。

 まどかは初めて本気でさやかを怖い、と思った。

 身体が石のように固まって動かない。そんなまどかを尻目にさやかは歩き始めた。このままパトロールへ行くつもりなのか。まどかは渾身の力で一歩踏み出した。

 さやかは立ち止まり、振り返らずに言った。感情のこもっていない、地の底から響くような声で。

 

「ついて来ないで。……あんたが、あんたさえいなければ、マミさんを殺したあの魔女と最後まで戦えたんだ」

「さやか、ちゃん……」

 

 今度こそまどかは完全に言葉を失った。さやかはそのまま走り出し、どんどん遠ざかっていく。

 追いかけなければいけない。

 だが脚がまるで言う事を聞かなかった。さやかの姿はすぐに見えなくなってしまう。

 まどかは小刻みに震え、その場に立ち尽くした。さやかが消えていった街をただ見つめ続けることしかできない。

 

「私が……ずっと、さやかちゃんの邪魔をしていたの……?」

 

 

 

 


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