優木沙々というイレギュラー   作:SBS

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第10話

 深夜の牧場は静まり返っていた。雲の無い空では月と星が輝き、空気は凛と澄みきっている。

 広大な牧草地に動物の姿は無く、手入れする者がいないのか荒れ始めていた。しかし人がいないというのであれば、何の気兼ねもなく事を起こすことができる。

 ほむらは魔法少女姿で無人の広野を駆けていく。その手には89式小銃が握られていた。予備弾薬やその他の武器は盾の中、異空間収納スペースにしまってある。

 ここが美国織莉子が指定した別荘地である。『拾った』車で県境近くの広大な敷地へとやってきた。

 広い牧場を進むうちに、ほむらは美国織莉子の素性について思い出していた。父は有望な政治家だったというが、汚職疑惑によって自殺している。政治家の一族であればこれほどの土地を所有していても不思議ではない。

 やがて夜空を背景にそびえ立つ洋館が見えてきた。あれこそが美国家の別邸だろう。照明はほとんど落とされているのか、窓から漏れる灯りはごくわずかだった。

 ほむらは身を屈めるように小走りで進み、丘陵に身を隠した。盾から軍用双眼鏡を取り出し、屋敷とその周辺を見渡す。

 こうして見る限り、人の姿は確認できない。美国織莉子と呉キリカは必ずどこかにいるだろうが、私兵の類はいないようだった。

 双眼鏡を戻し、ほむらは再び動き始めた。腰を落とし頭を低くしながら、正面を避け回り込むように早足で進む。傾斜の陰を抜け、やがて屋敷の裏口前にたどり着いた。

 もう一度周りを見回した後、ドアノブに手を伸ばす。鍵はかかっていない。

 不審に思い、ほむらは一瞬ためらった。が、考え直して盾に手を伸ばし、仕掛けを作動させた。敵の罠の真っただ中に乗り込む、それは初めからわかっていたことだ。

 生物と非生物の別なく、すべての景色が静止する。時の流れが止まったことを確認し、ドアを開け屋敷に踏み入る。

 洋館の広い廊下が真っ直ぐ伸びていた。窓から注ぐ月明かりだけが頼りだ。

 ほむらは銃を構えながら、右から左へ視線を素早く走らせる。今は自分だけの時間の中だが相手も魔法少女、何があってもおかしくない。

 仕掛けも待ち伏せも無いことを確かめてから、ほむらは本来の時の流れへと戻った。時間はそう長く止めていられるものではなく、連続使用は激しく魔力を消耗させる。強力だが使いどころを考える必要があった。

 ほむらは盾からTNT爆弾を取り出し、屋敷の柱に仕掛けた。信管はリモコン式、任意のタイミングで起爆させることができる。

 設置を終えるとほむらは歩き始めた。小銃を肩付けしたまま、探るような足取りでゆっくり進む。屋敷の奥へと向かい、しかるべき場所を見定めるたびに爆弾を仕掛ける。

 ほむらは織莉子たちとの交戦を避け、まずまどかを見つけようとしていた。そして彼女を救出次第脱出して、爆弾で屋敷ごと織莉子たちを吹き飛ばす。それがほむらのプランにおいて、最も理想的なパターンだった。

 杏子と沙々も離れてついてきており、今頃は屋敷の外で待機しているだろう。隠密行動のためには人数は少ない方が都合がいい。

 彼女たちの存在は保険だった。状況次第ではほむらが合図を出し、二人が突入することになっている。

 ほむらの脳裏を、ある時間軸での出来事がよぎった。学校を襲撃した織莉子の手でまどかを殺された苦い記憶。あんな事を繰り返させるわけにはいかない。

 いくつかの小さな部屋を経て、屋敷の反対側の廊下へ出た。ここでも月明かりに照らされた青白い通路が伸びている。だがその半ばほどに鬼火のような灯りが浮かんでいた。

 ほむらは警戒を解かず、ゆっくりと進む。廊下の中ほどでは、たった一つだけ壁の照明が煌々と灯っていた。その隣には地下へと降りる階段が続いている。

 誘っているのか、とほむらは思った。

 しばし考え、盾を作動させて時を止める。まどかを見つけられていない以上、不審な場所を無視して進むのもまた危険だった。

 石の階段を下り、薄暗いレンガ造りの地下に出る。しばらく進むと左右に数多くの酒樽が積まれているのが見えてきた。ここはどうやら酒蔵のようだ。

 ゆっくりと進むほむらの目に、檻のような物が見えてきた――その奥で膝を抱えるまどかの姿も。

 ほむらは胸が高鳴るのを感じた。まどかが生きていてくれた、それだけでここまでやってきた苦労など吹き飛んでしまう。思わず目頭が熱くなった。

 どうにか気持ちを落ちつけ、時間停止を解除する。檻の出入り口は南京錠で閉ざされていた。

 こちらに気付いたまどかが弾かれたように駆け寄ってきた。

 

「ほむらちゃん!」

「静かに。いま開けるわ」

 

 ほむらは細いピンを取り出し、南京錠に差し込んで開錠を始めた。この程度の鍵ならそう時間もかからない。

 その間、まどかはじっとこちらの作業を眺めていた。閉じ込められ心細かったのだろう、顔には疲労が色濃かった。

 やがてピンに手応えがあり、U字型の掛け金が外れた。内心の歓喜を抑えながら檻を開け、まどかの手を取る。

 ほむらはまどかを安心させるように、微笑みかけて言った。

 

「もう大丈夫よ。さあ、一緒に帰りましょう」

「ほむらちゃん……」

「行くわよ、ついて来て」

 

 ほむらはまどかの手を引いて歩き始めた。今は一刻も早く、脱出しなければならない。いつまでもまどかを危険地帯に留めておくことなどできなかった。

 脱出を済ませたら屋敷を爆破する。美国織莉子……呉キリカ……、奴らには報いを与えねばならない。その死をもって、自分が触れてはならぬものに触れた事実を思い知らせるのだ。ほむらの報復の意志は固かった。

 地下通路を半ばまで戻った時、ほむらの手が振り払われた。

 思わず振り返る。

 まどかは後ずさり、思い詰めた顔でこちらを見つめていた。

 

「まどか……?」

 

 今はこんなことをしている場合ではない、まどかはどうしたというのか。しかしほむらが一歩近づくと、まどかはもう一歩後ずさってしまった。

 まどかがやがて、震える声で言った。

 

「ほむらちゃんは……魔女になった私が世界を滅ぼすところ、何度も見てきたんだよね?」

「急に何を言い出すの? そんなことより今は脱出を――」

「答えて、ほむらちゃん! 私が死んだり魔女になったりするたびに、何度も同じ一ヶ月を繰り返したっていうのは本当なの!?」

 

 ほむらは言葉を失った。

 今の時間軸において、自分の能力や目的をまどかに話したことなど一度も無い。そのはずなのに、まどかはそれを言い当てている。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、まどかはどこか悲しそうな顔で言った。

 

「やっぱり、そうなんだ……」

「待ってまどか、誰にそんな事を吹き込まれたというの?」

「織莉子ちゃんが全部教えてくれた……。ほむらちゃんが私のために繰り返しているのはわかったよ、だけど知ってるの? 滅びる世界を繰り返すたびに、無関係の人たちを巻き込んでるってこと……ねえ、どうなの!?」

 

 まどかに責めるように問い詰められ、ほむらは胸がざわつくのを感じた。

 ずっと守りたかった相手、それなのにまるでそれを否定するかのような問い。息が苦しくなる。

 だが同時に、ほむらの胸で確信が生まれていた――美国織莉子の狙い、そして自らの中で仮説でしかなかった平行世界の存在、その両方に対して。

 美国織莉子の特異な能力があれば、あるいは交わる事の無い世界を観測できるかもしれない。そうやって得た知識があれば、まどかにほむらの目的を教えることも可能だろう。

 かつて別の世界で織莉子は『救世』と称し、まどかを殺した。その意志を持つ者がほむらの正体と平行世界の存在を知れば、何を考えるか。

 ずっと見えなかった敵の意図をほむらはようやく察した。敵の狙いはほむらとまどか、その抹殺に他ならない。

 ほむらは顔を上げ、強い口調で言った。

 

「あなたの質問には答える。けれど今は脱出を――」

 

 ほむらがそこまで言いかけた時だった。

 突如、ワイン樽の山が音を立てて崩れた。のみならずいくつもの樽が真っ二つになり、中身の液体がぶちまけられる。

 樽を押しのけ、黒い影が飛び出してきた。まっすぐ迫るその影は、呉キリカ。巨大な金属の爪が両手から伸びる。

 ほむらは反射的にまどかを突き飛ばしていた。小さな悲鳴がする。同時に左腕の盾へ手を伸ばす。

 だがほむらは悟ってしまった、能力に頼った無意識の選択が誤りであると。

 すでに呉キリカが目の前にいた。自分の動きに対し、明らかにキリカは速い。立体駐車場で戦った時もそうだった。信じがたいスピードで銃弾をも回避している。

 キリカの右腕が一閃、大きく振り抜かれた。

 刹那の静寂。ややあって、大量の血液が噴き出す。ほむらは首筋――頸動脈を切り裂かれた。

 あまりの速さのためか、痛みはまだ無い。傷口を押し広げる血液の感触だけが不快だった。

 おぼつかぬ足取りで一歩後ずさると、足場が消え失せる。実際には足を滑らせただけだろうが――ほむらはそのまま倒れた。

 まどかの、絹を裂くような悲鳴だけははっきりと聞こえた。

 

 

 

 大量の血が飛び散った。床に広がるワインよりも赤く、かぐわしい返り血がキリカに降りかかる。

 自信はあったが、こうもうまくいくとは思わなかった。

 それも屋敷中に仕掛けた術のおかげだろう。速度低下の陣により、キリカと織莉子以外は全てその動きが鈍くなっている。

 キリカは酔っていた――刃が肉に食い込み引き裂く、殺人の感触に。全身を歓喜と愉悦が駆け巡り、その快楽に震えた。

 首から血をまき散らし、回転を終えた独楽のように崩れ落ちる暁美ほむら。意味をなさない悲鳴ばかりを上げる鹿目まどか。床を広がる血液とワインが混じり合う。

 高揚したキリカには、五感に与えられるあらゆる刺激が心地良かった。そして本能はなおも叫んでいる。もっと切り裂きたい、もっと殺したい。

 

「ほむらちゃん、ほむらちゃん! お願いしっかりして、返事をして!」

 

 気が付けば、まどかがほむらに駆け寄り必死で呼びかけていた。血に汚れることも厭わず、泣きそうな顔で何度も揺り起こそうとしている。

 次はあいつだ――キリカの中で声がした。

 内に潜む獣の声と、織莉子の指令はなんら矛盾しない。暁美ほむらが死んだ今、後は鹿目まどかを殺すだけだ。

 キリカは叫びたい衝動を抑え、しかしこみ上げる愉悦に逆らえず笑いながら言った。

 

「ありがとう、鹿目まどか。君が足を引っ張ってくれたおかげで、簡単に切り裂けたよ。ありがとう、本当にありがとう」

「そんな、どうして……! ほむらちゃんにやめさせるだけだって言ったじゃない、殺すなんて一言も言わなかったじゃない!」

 

 憎しみに燃える目で、まどかがキリカを睨んでいる。今はその視線すら心地良かった。怒りに囚われながらも、同時にまどかは怯えていた。全身が小刻みに震えている。

 そんな彼女を刻んだらきっと楽しいだろう、とキリカは思った。右腕を振り、爪に付着した血を払う。

 

「君は本当に馬鹿だなあ。暁美ほむらがいなくなった今、後は君を殺すだけなんだよ?」

「そんな……!」

 

 恐怖に顔を歪め、それでもまどかは後ずさる。しかしその背は壁にぶつかってしまった。行き止まりだ。

 今度こそまどかの瞳が絶望に染まった。キリカはゆっくりと迫る。一歩踏み出すたびに、まどかはいやいやをするように首を振った。

 己の愚かさを呪い、恐怖と絶望のうちに死んでいく。そんな獲物を追い詰めるのはいつだって楽しい。しかしこの爪を一振りすれば狩りは終わる、キリカは少しだけ名残惜しく思った。

 乾いた音が立て続けに反響し、耳をつんざいた。衝撃がキリカの背から胸へと突きぬける。バランスを崩しそうになり、踏み出しかけた足でどうにかこらえた。

 なんだこれは、とキリカは思った。

 服にどんどん赤い染みが広がっていく。負傷したようだが、針で突き刺した程度の痛みしか感じない。織莉子に教わった痛覚コントロールが機能している。

 ゆっくりと振り返り、そしてキリカは思わず口を開いた。

 

「これは、驚いたな」

 

 確かに殺したはずの暁美ほむらが立ち上がっていた。こちらへ向けたライフルの銃口から硝煙が漂っている。どうやらあれで撃たれたらしい。

 しかしキリカの驚きはそんなものに向けられたものではなかった。

 ほむらの首筋では、キリカが刻んだ傷が大きく口を開いていた。まだ時おり血が溢れ出るが、すでに大量出血の時は終わったようだ。真っ赤な肉や骨が生々しく姿を覗かせている。

 出血が完全に止まった。それのみにとどまらず、こうして見ている前で組織が再生し、盛り上がった肉が癒着し、傷がふさがっていく。

 キリカの後ろでまどかが息を飲むのが聞こえた。

 やがて傷はきれいに消えてしまった。血塗れの魔法少女服がなければ、最初からそんな傷など無かったと思い込んでしまいそうだ。

 ほむらは首の具合を確かめるように捻りながら言った。

 

「お前は美国織莉子から、魔法少女の秘密を教わったんじゃないのかしら?」

「ああ、なるほどね……そういうことか」

 

 それで合点がいった。魔法少女はその魔力が尽きない限り、どれほど傷を負っても戦い続けることができる。織莉子がキリカに教えてくれたことだ。

 そうだとしてもやる事に変わりはない。キリカは両手のクローを構え直し、溢れる闘志に任せて叫んだ。

 

「だけどいつまで魔力が続くかな? 私としては、切り刻む愉しみが増えるから歓迎だけどね!」

「悪いけど、お前と遊んでいる暇なんて無いの。残念だったわね」

 

 ほむらは冷淡に言うと、手にした何かのスイッチを押した。

 直後、頭上で轟音が鳴り響き、辺りが激しく揺れた。

 

「お前、何を!?」

 

 ほむらから返事はなかった。

 ほむらが何か言うより早く、これが答えだと言わんばかりに頭上で天井が崩れる。キリカの視界いっぱいに無数の瓦礫が広がった。

 

 

 

 


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