一人の少女が少女らしい、猫のプリントの施されたシーツに乗る
時計を見ると既に夜の11時になっていた
明日は学校がある
早めに寝なければならない
少女はベットサイドに置いてあるアンティークの写真立てを見る
そこには猫のような癖っ毛で、ガーネットのような瞳をした少女が写されていた
「おやすみ、ミチル・・・・」
その日、浅海サキは「いつものように」一人眠りに就いた
海外出張から帰国する父親を迎えに空港へ行く際に巻き込まれた不幸な交通事故で、彼女の妹である「浅海美幸」はその声を失った
交通事故で怪我を負ったことによる後遺症ではない
同じく、事故に巻き込まれたサキも事故で怪我を負ったが、美幸ほどではない
目の前でなにかが呻き声をあげ、ぐねぐねと踊るような動きをする姿が見えた
サキはそれがなんなのか、はじめはわからなかった
ガソリンの燃える臭いに混じり、独特の臭いが漂ってきた
それは肉の焼ける臭いだった
サキはその「何か」の正体がわかった
「み・・ゆき・・・見ちゃだめだ・・・・」
痛みを堪えて、サキが声を出す
しかし、美幸からの返事はなかった
彼女は目の前で人が焼け死ぬ瞬間を見たことによる、強い精神的なショックで掠れ声すら出せない状態になってしまったのだ
その後、二人と事故に巻き込まれたタクシーの運転手は救助された
幸いなことに三人は命に係わるような怪我は負っていなかった
身体の傷は時間が経てば治るが、心の傷はそうとはいかない
二人の傷が癒えても、美幸は声を出すこともできなかった
いくらサキが彼女に声を掛け、励まそうとしても全て裏目に出てしまった
今思えば、サキは美幸をそうと知らず、彼女を追い詰めていたのだろう
そして、それは美幸のみならずサキ自身をも追い詰めていた・・・
「絶望のスパイラル」、二人をその牢獄から救ってくれたのは、ボランティアで病院や老人ホームを巡って、喜劇や悲劇など様々な無言劇を演じていた「和紗ミチル」だった
彼女の無言劇は美幸の笑顔と声を取り戻してくれた
まさに「奇跡」だった
それ以来、サキはミチルと一緒に規模は小さいながらも、ボランティアとして一緒に無言劇を演じている
演劇、というより「演じる」こと自体が初めてのサキにとって苦難と苦闘の連続だったが、ミチルの励ましと、「演じる」ことの楽しさから今ではミチルと息のあった演技を行えるようにもなった
美幸も道具の搬入や、時には演者として劇団に参加してくれる
そこには「トラウマ」に苛まれて、夜の悪夢にうなされていたかつての「美幸」はいない
「昔」と同じ、優しく笑う美幸がいた
幸せの定義は人の数、存在する
しかし、これが幸せと言わずしてなんと言うのだろう?
愛するべき「妹」と「友人」がいる
そう
ずっと
ずっと
この幸せが永遠に続けばいいのに・・・・
久遠の闇の底にて
「・・・・・」
「どうしたんだい、真?」
「僕らのやっているのは本当にサキさんの為なんだろうか、と思って・・・・」
「確かにそうだね。でも、私達は所詮は夢の傍観者に過ぎないよ。だから、選んでもらわなければならない。永遠の枷から逃れるか、それとも・・・」
「砂糖漬けの夢に溺れるか、ですか?」
「人は等しく、幸福になる権利と不幸になる権利を持っている。選択するのは・・・自分だよ」
~ 永遠の枷から抜け出したくはない? ~
不意に聞き覚えのある声が聞こえた
「?!」
しかし、不思議なことに聞き覚えのある声だが、誰の声だったか思い出すことができなかった
「どうしたのサキ?」
目の前には不安気にこちらを見る「ミチル」
~ そうだ・・・確か、今日はミチルのお勧めの喫茶店で一緒にサンドイッチを食べに来ていたんだ・・・・ ~
現に目の前にはできたてのシュリンプサンドと、その付け合せに自家製ポテトチップを添えた皿が置かれていた
― 白昼夢 ―
霊魂だとか、幻覚ではなく聡明で冷静な彼女は、自らに起きた変調をそう判断した
開店したばかりだからか、店内に人はまばらでサキとミチルの座っている席の周りには彼女達以外に座っている者はいなかった
誰もいないところから、声がするはずがない
そうだ
だから、今は・・・
「この幸せを享受しよう・・・・」
「?」
この店の看板メニューであるローストビーフサンドを満面の笑みで頬張るミチルを見て、サキは優しく微笑んだ
暗い
どこまでも暗い
上を見ても下を見ても、光なんて見えない
幸い、足元には床があるようだ
サキは恐る恐る歩いていく
~ 確か・・・私はいつものようにベットに入って・・・・ ~
サキが自らの手を撫でる
光の全く見えない空間である以上、そうするよりほかなかったが、掌から感じる感触は寝る前にサキが着ていた寝間着と同じ感触だった
~ では寝ている間に拉致された?いや、そんなはずはない。ならこれは・・・ ~
「夢だよ」
不意に投げかけられた声は何処かで聞いたことのある、ハスキーな声だった
その声は喫茶店の声と同じだった
そして、サキは光の中に立っていた
「待っていたよサキさん」
そこに立っていたのは白いマントを翻し、その人物は笑顔を見せた
「君の銀の庭」
聞いていると切なくなる