ここは、腹ペコ杏子ちゃんに試食していただかなければ
『どうしたんだい?』
やっとその言葉を「彼」は発声器官から絞り出した
「彼」は混乱していた
彼の記憶野では自らが担当するセクションで、魔法少女となる資格 ― それなりの素質 ― のある少女に姿を現したところまで追証可能だ
魔法少女との契約を結ぶためだ
しかし、それ以降では全く記憶が残っていない
契約を結んだ記憶すらないのだ
念の為に自らの身体を丹念に調べても何ら異常はなかった
記憶野にも損傷はない
ただナイフで切り取られたかのように、記憶そのものがなかった
そもそも、この「個体」に異常があるのなら、既にスペアへと移行しているはずだ
それが起きなかったのなら、今は「正常」と考えるべきだ
彼は歩き出した
彼に備わった器官が強力な魔法少女になり得る「素質」を感知したからだ
契約を結ぶことこそが彼の存在理由
魔法少女はいくらいても多すぎることはない
多少は「摩耗」してしまうが、彼女たちが一生で稼ぐグリーフ・シードはかなり多い
彼はその「素質」の持ち主のいる場所へと向かった
耳から伸びる触手を揺らしながら・・・・
インキュベーター ― キュウベェ ― は目の前で起きた事態を理解できなかった
いや、そもそも彼は契約対象である「人類」そのものを理解できてはいない
理解する必要はない
彼らにとって、人類は搾取するべき対象以上の存在では全くないのだから
キュウベェの目の前には、先ほど契約を望んだ少女が倒れていた
銃声とともに倒れたことから、恐らくはロングレンジからの狙撃、それも魔力を纏わせた特殊な弾丸か、魔力を使って作られた銃器を使用する魔法少女の手によるものと判断できる
キュウベェが周りを見渡す
なぜなら、この場所には魔獣の結界とも違う魔法少女が生み出す特異な結界が覆い尽くしていた
そんな状態で結界を貫ける弾丸を放つことのできる存在は「魔法少女」しかいない
ではなぜ?
「魔法少女」となるための契約を阻みたいのなら、少女よりも真っ先に彼を狙うはずだ
だが、弾丸はキュウベェではなく、正確に目の前の少女の胸を貫いた
どう考えても理解できない
わざわざ魔法少女が魔獣ではなく、ただの少女を撃ち殺したのだ
ただの少女だ
そのままにしておけば「魔獣」が始末する
無駄な弾も魔力を使う必要のない、もっとも合理的な解決手段だ
ますますもって理解することができない
とはいえ少女が倒れてしまった以上、彼が少女に契約を持ちかけることすらできないことは間違いない
彼は倒れ伏す少女をそこに残し、後ろを向いた
彼が少女を助ける必要はない
一人の少女に固執するよりも、別の少女を探したほうが早く確実だ
ガサッ・・・・・
「けいやくするねがいはいもうとののこしたはながさきつづけること」
彼が振り向く
通常、キュウベェの姿を見ることのできる人間は少ない
幾らスペアがあっても警戒はしている
そこには先ほどまで倒れていた筈の少女「浅海サキ」が立っていた
狙撃されたというのに、彼女の胸には何の損傷も見られず、見た限り、その生体機能にも全く異常はみられなかった
『契約するんだね?』
キュウベェが話しかける
しかし・・・
「けいやくするねがいはいもうとののこしたはながさきつづけること」
焦点の合わない、虚ろな目でサキは繰り返す
明らかに異常な状態ではあるが、契約の意思をサキは現していた
それを拒む理由などない
魔獣は自然に涌くが、それを狩る魔法少女は有限だ
「才能」のある魔法少女でも、10年以上現役で戦える個体が現れるのは非常に稀だ
以前に存在していた、「巻き戻し」の魔法少女のように、魔獣の討伐に使った魔力を「引き戻して」戦い続けられる稀な魔法少女もいるが、しかしそんな彼女でも結局最後には「自分の為」に魔力を使い切ってしまった
『じゃあいいね?』
キュウベェは念入りに契約する意思を確認する
しかし虚ろな表情のサキは同じ言葉を繰り返すだけだった
キュウベェの触腕がサキの胸に差し込まれる
契約の儀式だ
「がッ!!!!!」
サキの顔が歪む
そしてそれと同時に、彼女の胸からモルダバイトを思わせる深緑の宝石「魂の宝石」 ― ソウルジェム ― が飛び出した
『契約は完了したよ』
キュウベェが声をかけるが、契約を行ったサキからの返答はなかった
バサァ・・・・・
「う・・・・・・」
呻きだけを残し、再び彼女は地面に倒れ伏したのだから・・・・・
「契約は完了したのかな?ここじゃ、よくわからないですね」
紗々が魔力を付与したライフルスコープを覗く
契約の瞬間、短い時間だったが、彼女のソウルジェムが放つ微かな緑色の光と魔法少女の魔力を感じた以上、サキが魔法少女になったのは間違いない
「さてと、契約も終わったし、あの邪魔なインキュベーターは処分しないとね。ジュニからもらったカクシアジは準備済みだし」
紗々がナップザックから取り出した手元のガラス瓶を見る
黒い体毛を持つインキュベーターとよく似た生物が眠りについていた
彼女はそれを地面にたたきつけた
パリン!
ガラスが砕けるとともに「ジュウベェ」は目覚めた
そして、そのまま闇の中へと溶け込み消えていった
アンビリの怪談特集もつまんないな