ニニィ   作:個人宇宙

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【03】秘密

 

 

「まず、先に打ち明けると、ニニィは有名な医療一家の末裔なんだ」

 

 突拍子のない発言を聞いて、良央は体を硬直させる。

 カフェでニニィたちと出会った翌日、良央は源二郎の誘いで中野坂上駅近くの居酒屋にやってきた。居酒屋とは言っても大勢で騒ぐような店ではなく、全室個室の落ち着いた雰囲気が漂う店で、源二郎いわく「ここならどんなことも話せる」場所らしい。

 

 そして酒とお通しが運ばれてきた直後に、源二郎が打ち明けたのである。

 良央は梅酒のグラスをいったん置いた。

 

「医療一家の末裔ですか?」

「そうだ。昨日、私はとある大手の貿易商社に所属していると言ったが、具体的に何をやっていたのかと言うと、外国の医薬品を日本に輸入したり、逆に日本の医薬品を外国に輸出するための仕事を行ってきたんだ」

 

 いつの間にか、彼の口調は丁寧ではなくなっていた。

 

「ニニィの祖父母に出会ったのも、その仕事がきっかけだった。もう三十年以上も前のことだな。当時、コルケット家はそこまで名の通った一家ではなかったが、ニニィの両親が難病に効果のある特効薬の開発に成功したことで、コルケット家の地位は急激に上昇したんだ」

「え、ええと……」

「冗談で言っているわけではない。全て本当のことだ」

 

 源二郎は澄ました顔で水を飲む。

 確かに、真面目な性格の彼がこんな所で冗談など言うわけない。

 ふと、ここで昨日のニニィとの会話を思い出した。その時、彼女は「家では家事の他に研究をしている」と確かに言っていた。今、源二郎の言ったことが正しいなら――。

 

「もしかして、ニニィさんも何か研究をしているんですか?」

 

 その答えに源二郎は口元を吊り上げた。

 

「そうだ。ニニィも独自に研究をしている」

「どんなことをしているんですか?」

「両親と同じく、薬学や病気に関する研究を行っている。その成果は論文として、私を介してイギリスの研究所に所属している知り合いに渡している。私もニニィが提出した論文は全て見ているが、専門家の人いわく、どれも十四歳とは思えないほどの見事な出来らしくてな。将来、彼女もコルケット家の名に恥じない研究者になるだろうな」

「あの子……。どれだけ頭が良いんですか」

 

 おとなしい性格の割に、規格外の力を持った女の子のようだった。

 ここで頼んだ物がテーブルにやってきたので、二人はいったん会話を止める。

和食を中心としたメニューで、さすが源二郎が気に入っている店だけあって味はどれも良かった。特に揚げ出し豆腐は、いい感じに餡かけの出汁が効いてて美味しかった。

 

「ニニィは、できるなら家を出た後も研究を続けたいと言っている」

 

 源二郎は水の入ったグラスを置く。

 

「だから、もし面倒を見ることを了承してくれるなら、その部分については、なるべく彼女の意志を尊重してくれるようにして欲しい。薬学の関連書籍だけでもかなりの冊数になるから、部屋の中は本だらけになってしまうが、そこは許してくれないだろうか」

「は、はあ……」

 

 さすが有名な医療一家の末裔と言ったところか。そもそも、八畳一Kの部屋に大量の本なんて置けるスペースなんてあるだろうか。

 そんなことを考えながら、ひょいひょいと良央は料理を食べる。

 今日は源二郎の奢りだし、最近はカップラーメンばっかりの食事だったので、ちょっと遠慮なくいかせてもらおうと決めた矢先だった。

 

「君に一つ、謝らなければいけないことがある」

 

 突然、源二郎が改まった声で口を開いたのだ。

 

「昨日、話した内容で一つだけ君に嘘をついたことがある。私が長期で海外へ行くためにニニィの面倒をお願いしたわけだが、実はそうではないんだ」

 

 良央は箸を止める。

 

「どういうことですか?」

「私の命はあまり長くない。だから、君にニニィをお願いしたのだ」

 

 あまりのことに良央は言葉が出なかった。

 源二郎は自分の胸をトントンと叩く。

 

「詳しい病名は控えるが、先日精密検査を受けたら、私の体に大きな病気があることが判明したんだ。体にある臓器系や循環器系といったあらゆる機能が弱くなっていき、最終的に患者の心臓機能を停止させてしまう難病らしい。今はまだ日常生活に大きな支障はないが、いずれは症状が悪化して、そのまま死に至る可能性が高いとの診断だった」

「そんな……手術とかはしないんですか?」

「つい最近見つかったばかりで、まだ治療法が確立されていない病気らしくてな。対症療法でしかやることがないらしい。先生いわく五年生存率は五十パーセントとのことだった」

「五十パーセント……」

 

 具体的な数値を聞くと、急に現実味が増したような気がした。

 唖然とする良央は対照的に、源二郎は落ち着いた物腰で話を続ける。

 

「今は大きな支障もなく、こうやって良央さんと話していられるが、いずれは他人の介助なしでは生きられなくなってしまうらしい。末期は寝たきりになると先生は言ってたな……。私がこうしてゆったりと外で食べていられるのも、良くてあと一年らしい」

 

 源二郎はグラスの水を飲む。

 

「昨日も言ったが、私は独り身で今日まで生きてきた。親や兄妹はとっくの昔に亡くなっているし、そんな状況でもし私まで死んでしまったら、ニニィはどうなる? また、天涯孤独の身となってしまう。だから私はできる限りの手段を使って、ニニィを預けるにふさわしい人物を探した。そうしたら、君が中野に住んでいることを知ったのだ。姉に孫がいたなんて、君を見つけるまでは全く分からなかったよ」

 

 水のグラスを持ちながら、源二郎は苦笑する。

 ここでようやく、彼が酒を全く頼んでいないことに気付いた。

 料理も軽くつまんでいる程度で、おかしいとは感じていたが、まさかそんな理由だとは予想外だった。

 

「もし、ニニィの面倒を見てくれるのなら、私はいったん中野を離れて、ここから遠い場所にある病院で療養生活を行うつもりだ。もちろん、君たちへの援助は惜しまないつもりでいる。良央さんはすでに働いていて十分な収入はあると思うが、私にできる、せめてもの手助けだ」

「理由は分かりましたが、いつまでもニニィさんに黙っておくわけにはいかないですよね」

「未定ではあるが、いずれは彼女に話すつもりでいる。しかし、今はその時ではない。打ち明けるには、あまりにデメリットが大きすぎるからな」

「デメリット?」

「まだ十四の娘には厳しい話だろう」

「……そうですね」

 

 ここで源二郎は大きく息を吐いた。

 

「言わなければいけないことは全て話した。何か、他に訊きたいことはあるかね?」

「いえ、特には」

「そうか」

 

 そう言った後、源二郎は勢いよく膝を叩いて頭を下げた。

 

「良央さん。改めてお願いします。ニニィ――いや、私の娘のために、どうかこの話を引き受けてくれないでしょうか」

「そ、そんな、急に改まって言われましても……」

「あの子は本当に良い子です。私はあの子に何一つしてやれませんでしたが、あの子はこんな私をまるで実の親のように接してくれて――こう表現すると少し恥ずかしいですが、ニニィのおかげで今の私がいるようなものです。だから、あの子の幸せのために、この体に鞭を打って、こうして良央さんにお願いをしています。もちろん、あなたにも断る権利はあります。しかし、どうかニニィのために、私の頼みを聞いていただけないでしょうか」

 

 グラスの氷がカランと鳴る。

 頭を下げる源二郎の姿を、良央は呆然と見つめることしかできなかった。

 

 ※

 

 食事は一時間半でお開きとなり、良央は部屋に帰ってきた。

 コップの水を一杯飲み、大きく息を吐く。源二郎と食事をする前は、終わったら家の近くにあるお気に入りの銭湯に行こうと考えていたが、結局そのまま帰ってきてしまった。

 

 医療一家の話といい、大叔父の病気の話といい、とにかく驚くことが多かった。

 あまりに驚きすぎて、これは夢なんじゃないかと少し疑っていたりする。

 

 病気の話が終わった後、話題は良央の母――理恵との思い出に終始した。

 源二郎の姉――妙子の子供が理恵であるが、だいぶ昔に結婚のことで妙子と理恵が大きく衝突してしまったらしく、それっきり理恵とは疎遠になってしまった経緯がある。

 

 理恵とほとんど面識のなかった源二郎にとって、良央が話すことの全てが新鮮に聞こえたようだ。けっこう積極的に質問をしてきて、それなりに盛り上がった。

 しかし、その理恵も、良央が大学一年の時に心臓発作でこの世を去ってしまったことを告げると、かなりのショックを受けていた。

 良央にとっても、母親の突然の死についてはあまり思い出したくない出来事だった。

 

 服を洗濯機に放り投げて、良央はキッチンの前にある扉を開ける。

 そこは小さなスペースだが脱衣所があり、左の開き戸の扉がトイレ、右のスライド式の扉が風呂に繋がっている。風呂とトイレを別々にするのは、部屋を選ぶ際に良央が最も優先した事項である。

 風呂場に入った瞬間、あちこちに生えているカビを見て、思わず顔をしかめる。

 ちゃんと掃除しようとは思っているが、面倒でなかなか実行に移せないのが現状だった。風呂に限らず、トイレ、キッチン周り、居間など、部屋のあちこちがかなり汚れている。

 

 一日分の汗を洗い流した良央は、そのまま風呂から出てパジャマを着る。酒を飲む気分にはなれなかったので、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。

 コーヒーの苦みを味わっている最中、脳裏にニニィの顔が蘇ってきた。

 イギリスからやってきた、医療一家の末裔である少女。

 薬学の関連本が部屋を占領してしまうことは気になるが、それ以外は日常生活に大きな支障はなさそうだ。喫茶店で話した感じでは、決して出来の悪そうな印象はなかった。

 

 嫌なら断ってもいい、と源二郎は言ってくれた。

 もし、頼みを断ったら、ニニィたちはどうするだろう。

 源二郎が危惧していた通り、本当に一人で生活することになるんだろうか。それとも、思い切って病気のことをニニィに打ち明けて、そのまま二人で療養生活を始めるのだろうか。

 

 源二郎が、頭を下げた時の光景が蘇ってくる。あの堅物で融通の効かなさそうな大叔父が、あそこまでして血の繋がっていない彼女のために動いているのだ。

 大きく息を吐いて、天井を見上げる。

 お金は源二郎が援助してくれるとのことで、あまり深刻に考える必要はない。

 しかし、こんな八畳の狭い部屋に年頃の少女がやってきたら、いろいろと不便なことは増えるだろう。どのように寝ればいいのか。収納スペースをどう確保すればいいのか。プライベート空間をどう確保すればいいのか。二人分の荷物をどう置けばいいのか。課題は満載である。

 飲み切ったコーヒー缶を流し台に放り投げて、良央は万年床に横になる。

 

 こんな自分にできることがあるなら、やってやろうじゃないかと心に決めた。

 

 


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