白い犬   作:一条 秋

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93 修了試験 前編

 2月28日月曜日午前8時。

 コートの下にスーツ、肩にはカバンと、いつもと同じ出で立ちで出勤した光秋だが、その胸中は緊張と不安が激しく渦巻いていた。

 

―いよいよ来ちゃったなぁ、この日が……昨日さんざん復習したつもりだが…………さて……―

 

 そんなことを思いながらも研修室に向かい、いつも座っている最前列中央席に腰を下ろし、藤岡主任が来るのを待つ。

 

―…………最後の足掻きだ、主任が来るまでノート読み返しとこ―

 

 思うやすぐに足元に置いたカバンに手を伸ばし、ノートをパラパラとめくって今一度ひと通りの内容に目を通す。

 そうして貧乏ゆすりをしながら最後の復習をしていると、ドアが開き、藤岡が現れる。

 

「!おはようございます!」

「おはよう。最後の追い込みか?だが、そろそろノート仕舞えよ」

「はいっ」

 

 手に持ったノートを一瞥されて、光秋は慌ててそれをカバンに戻す。

 今の机の上にあるのはシャープペンシルが1本に消しゴムが1つ、予備の芯が多数入ったケースが1つと、いつでも試験を始められる状態だ。

 

「準備万端なようだな。では、試験について説明する」

「はいっ」

 

 教壇に立ちながら告げる藤岡に、光秋は多分な緊張を乗せた硬い声で応じる。

 

「今から試験用紙2枚を裏にして配る。開始の合図があるまでは絶対に裏返すな。開始時間は9時、終了は1時間後。カンニング等の不正行為は厳禁だ。携帯電話の電話は切っておくように」

「あっ!」

 

 言われて上着のポケットに入れたままだった携帯電話を出して電源を切り、それをカバンに仕舞う。

 それらを行った掌は、薄っすらと汗で湿っている。

 

―ハハッ、やっぱりテスト前はこうだよなっ―

 

 学生の頃から変わらない体質に懐かしさを感じる一方、いよいよ最高潮に達しつつある緊張の所為か、不思議と笑みを浮かべながら、藤岡が差し出してきた用紙2枚を表を見ないよう注意しつつ受け取る。

 それらを机の上に置いてホワイトボードの上の時計を見ると、8時59分、秒針にいたっては間もなく30秒を指そうとしている。

 

「……そろそろだな」

「…………」

 

 自分の腕時計と部屋の時計の両方を見比べて時間を確認する藤岡の呟きに、光秋は意識して息を深く吸って早鐘を打つ心臓をどうにか抑える。

 そして、

 

「始めっ!」

「!」

 

時計の針が9時を指すと同時に発せられた藤岡の号令に、光秋は即座にシャープペンシルを持って用紙を裏返し、真っ先に名前を記入するや解答欄に筆を走らせた。

 

 

 

 

 試験用紙にシャープペンシルを走らせる音以外、ほぼ完全な沈黙が始まって早1時間。

 

「止めっ!」

「…………」

 

 それを破る様に響いた藤岡の声に、制限時間ギリギリまで解答欄の空白を埋めようと頭を捻っていた光秋はシャープペンシルを机に置き、試験用紙2枚を重ねて藤岡に手渡す。

 

「では、これより採点を行う。終わり次第呼び出しをするから、それまで楽にしていてくれ」

 

 そう言って、試験用紙を持った藤岡は退室する。

 ドアが閉まるや、途端に緊張の糸が切れた光秋は、それこそ糸が切れた様に脱力した上体を机に突っ伏せる。

 

「はー…………とりあえず終わったぁ…………」

 

 安堵の息を吐きながら大儀そうに体を起こして呟くと、ドアを開けてESOの制服に身を包んだ曽我が入ってくる。

 

「やり切ったって、そんな顔ね?」

「あぁ、曽我さん。おはようございます……えぇまぁ……解答欄自体はなんとか全部埋めましたから。あとはそこからどれだけ引かれるかだけど…………」

「ま、落ちたとしても、合格するまでやるだけだけどね」

「え?…………そういうもんですか……?」

 

 曽我の言ったことに、光秋は狼狽する。

 

「そりゃそうでしょ。主任として認められない以上、特務部隊主任の仕事はできないんだから」

「…………そういうもんですか……」―まぁ、言われてみれば確かに…………―

 

 曽我の言うことに納得すると、光秋は先程とは質の異なる脱力――拍子抜けを感じる。

 

「もっとも、あまりに不合格が続いて主任就任が滞るようなら、上から何か言われるかもしれないけどね。アタシの予想だけど」

「予想でも、それは嫌ですね…………まぁいいや。今はさっきの試験の結果を待つとして…………っ!」

 

 曽我に応じつつ立ち上がると、光秋は体を思いっ切り伸ばして、緊張で強張っていた筋肉をほぐす。

 

「ふぅ…………しばらく座学と復習で籠り切りだったからなぁ……ちょっと鈍ったかな…………」

「じゃあ結果発表までの時間潰しに、アタシと手合わせしてみる?」

 

 両肩を回しながらほんの独り言のつもりで呟いたことに、曽我が自然な様子で応じる。

 

「え?」

 

 その返事に意表を突かれた光秋は、軽い驚きを覚えながら曽我を見やる。

 

「手合わせって……僕と曽我さんがですか?」

「そうよ?」

「……確かに去年、ニコイ――00に乗った状態で勝負したことはありますけど、今言ったのはそういうことじゃなくて……」

「わかってるわよ。自分自身の体でってことでしょう。アタシだって特エスなんだから、いろいろやってるわよ」

「…………そうなんですか……それもそうか」

 

 曽我の説明に一応納得すると、光秋は少し考える。

 

「…………じゃあ折角ですし、お願いします。どちらでやります?」

「運動場があるわ。ついてきて」

 

 言われて光秋は机の上の筆記用具を仕舞ったカバンを提げ、先を行く曽我の後を追う。

 

 

 

 

 しばらく移動して一本道の通路に差し掛かり、そこをさらに進むと、正面に壁の様に佇む扉が見えてくる。

 先を行く曽我が左右両開きの内右の扉を横にずらして開け、それに続いて入り口をくぐった光秋は、床一面に畳が敷かれた広大な部屋――運動場を目にする。

 

「ここが、運動場……?」

「そうよ」

「……なんか、『道場』って感じですね」

「あながち間違ってないかもね。本部所属の職員、特に実戦部隊員は、たいていここで格闘技の練習をするから」

「へー……」

 

 曽我の説明に感心しつつ、入り口付近で靴を脱いで上がった光秋は、柱のない広々とした運動場内を見回して独特の解放感を覚える。

 

「さ、早く始めましょう」

「その前に、軽く準備運動させてください」

 

 そう曽我に応じると、光秋は肩のカバンと腕に掛けていたコートを運動場の端に置き、腕や脚、体の各部を適度に動かしてほぐし、深呼吸をして調子を整える。

 

「お待たせしました」

 

 言いながら、同じく準備運動を済ませた曽我の許に歩み寄る。

 

「じゃあ早速……と、その前にルール決めておきましょうか」

「ルール……ちなみに、曽我さんは何ができるんです?」

「簡単な格闘技、それも『基本を押さえてる』くらいかしら。ただ、アタシの場合念力の併用が前提だから」

―藤原三佐のレベルを少し下げたくらいか……―

 

 曽我の説明に、光秋は記憶の中の藤原を参考に程度を測る。

 

「なら、まずは様子見ということで、念力は防御以外では使わない、それ以外は寸止めってことでいいですか?」

「了解っ」

 

 曽我が頷くと、2人は適度に距離を取り、互いに向かい合う。

 

「審判は……僕が兼任します」

「ズルするんじゃないわよ」

「しませんよ」

 

 曽我の冗談に応じると、光秋は左半身を前に出して構え、曽我も同じような姿勢になる。

 

「始め!」

 

 自ら号令するや、光秋は一足に間合いを詰め、曽我の顎目掛けて左突きを入れる。

 が、

 

「!?」

 

その拳を曽我は念力で宙に固定し、動揺した光秋の腹に間髪入れずに右蹴りを入れる。

 足先が接触する寸前に止めると、曽我は勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「これで一本かしら?」

「……ですね」

 

 わかりやすい結果を素直に受け入れると、構えを解いた光秋は念力から解放された左手を見据える。

 

―そうだ、超能力者――特にサイコキノにはあぁいう戦い方もできるんだった―

 

 年が明けて間もない頃にやった藤原との組手を思い出し、その時の感覚が鈍っていることに軽い焦りを抱く。

 

―もともと訓練始めてすぐの異動だったから、元の経験もまるで足りてないしな。この上なけなしの分まで失うというのは…………―「すみません。もう一本お願いします」

「何度でもいいわよ!藤岡主任からの呼び出しがあるまでね」

 

 焦りから少しでも経験を積もうと――体を動かそうと意識して頼み込む光秋に、曽我は乗り気で応じてくれる。

 

「では……」

 

 そんな曽我の厚意に応えようと、光秋は適度に距離を開けて再び構える。

 

―落ち着け光秋。確かに鈍ってはいるが、それでも三佐とそこそこやったんだ。あの時のことを思い出して、慎重に…………―「始め!」

 

 内心に言い聞かせて号令を叫ぶと、今度は進んで間合いを詰めることなく、曽我の出方を窺う。

 

「…………」

 

 曽我が少しずつ間合いを詰めようとするや、光秋は同じ分だけ後ろに下がり、横に回り込もうとすれば、反対方向に体を逸らして常に曽我を正面に捉え、付かず離れず、一定の距離を保った睨み合いが続く。

 と、出し抜けに曽我がひと息に間合いを詰め、勢いの乗った左拳を打ち込んでくる。

 

―ここっ!―

 

 反射的に左腕を出してそれを受けるや、光秋は腰に引いた右拳を突き出す。

 が、

 

「!?」

 

曽我の胸、その寸止めの有効距離に届くほんの寸前に、それは再び念力の壁に阻まれ、入れ違いに曽我の右蹴りが光秋の胸を捉える。

 

「…………届かなかった……か……」

「甘いわよ。アタシこれでも反射神経はいいんだから」

 

 反応が追いつく前に叩き込められる、そんな予想が浅はかだったことを噛み締める光秋に、曽我は僅かに冷や汗を掻きながらも再び勝者の笑みを向けてくる。

 

「もう一本お願いしますっ」

 

 その笑みにさらに焦りを抱きながら、光秋は再度頼む。

 

「いいわよ、何度でもね!」

 

 意気揚々とした曽我の返答を聞くや、光秋は速足で距離をとり、自覚している焦りを抑えようと深呼吸する。

 

―落ち着け光秋、焦ってたら勝てるもんも勝てない…………そうだ、こういう時こそ…………―

 

 内心に言い聞かせる中、不意に研修時の記憶が過り、それでいくらか落ち着いた光秋は再度構える。

 

―上手くいくかはわからんが、このままただ負け続けるよりはマシだろうからなっ―「始め!」

 

 胸の内にそう割り切るや号令し、同時に少しずつ曽我との間合いを詰めていく。

 曽我も距離を保とうとはせず、微笑を浮かべて光秋が近付いてくるのを待っている。

 

―余裕の表れか、挑発か……どちらにしろ、やることは一つっ―

 

 その笑みに一抹の不安を抱いたのも一瞬、一気に間合いを詰めた光秋は拳を握った左腕を伸ばす。

 が、それは曽我に届く遥か前ですぐに引き戻され、身構えていた曽我はあからさまに拍子抜けする。フェイントというやつだ。

 そして腕を引き戻しながら光秋は間合いを開け、やや右にずれた上で再度間合いを詰め、またフェイントの左拳を振るい、再び急速に間合いを開ける。

 曽我からの攻めを避けながらこれを何度か繰り返すと、頃合いを察した光秋はこれまで以上に曽我へ向ける目を細くする。

 

―そろそろかな……参る!―

 

 胸中に叫ぶや、この手合わせで最も速く間合いを詰め、曽我にぶつかる勢いで突っ込む。

 

「!」

 

 ひと息に接近するや、光秋はフェイントではない本気の左拳を放つ。が、顎を狙ったそれはすぐに曽我の念力に捕らわれ、がら空きになった胴部に腰に引いた右拳が入れられようとする。

 しかし、

 

「!」

 

曽我が右拳を放つ前――左拳が念力に止められたのと同時に光秋は後ろに伸ばしていた右脚を上げ、倒れんばかりの勢いで蹴りを放つ。

 

「ぐほっ!?」

 

 左拳の拘束、そこからの反撃に意識を向け過ぎていた曽我は咄嗟に対応できず、腹にまともに入った一撃がくぐもった声を吐き出させ、くの字に曲がった体が崩れ落ちる。

 

―やった!―

 

 畳に倒れ込む曽我を見て、ようやく取った一本に光秋は心の中で喝采を上げる。

 が、

 

―いや、待てよ……今って確か、()()()だったよな?…………!!―「曽我さん!?」

 

一瞬後に状況を理解するや途端に血の気が引き、慌てて曽我に駆け寄る。

 

「曽我さん!大丈夫ですか!?」

 

 上体を起こしながら大きな声で呼び掛けると、ぐったりとしていた曽我はゆっくりと目を開け、直後に光秋を睨み付ける。

 

「後で覚えてなさいよっ…………」

「!…………と、とりあえず、医療棟に連絡してきます」

 

 未だ痛みが残る所為か声こそ小さいものの、視線に乗せて発せられた気迫はさっきまでの比ではなく、光秋は震え上がりながら近くの内線に駆け寄り、医療棟へ連絡を入れる。

 少しして数人のスタッフがやって来ると、光秋も本部に来てから目の検査で世話になっている黒澤が調子を診る。

 

「蹴りが腹に当たったと言ったな」

「はい…………」

 

 曽我を診ながら訊く黒澤に、原因たる光秋は気まずさを覚えながら答える。

 ややあってひと通り調べ終えると、黒澤の指示に従って曽我は担架に乗せられ、医療棟へ運ばれていく。

 

―…………ムキになり過ぎてやっまったなぁ……曽我さんじゃないが、覚えておかないと……―

 

 悔やみつつ、曽我の怒りに恐怖しながら、光秋もスタッフたちの後に続く。

 

 

 

 

「本当にすみませんでした!」

 

 診察室の片隅に置かれた簡易ベッド、そこに横たわる曽我に、光秋は深々と頭を下げる。

 医療棟に運ばれるや踏み込んだ検査を受けた曽我は、特に異常は見られなかったものの、様子見のために黒澤の診察室で安静にしているように言われた。

 その様子と、検査の際に聞いた蹴りが当たった所に薄っすらだが痣ができているという情報に、運動場を出た時以上に肩身が狭くなった光秋はただ謝ることしかできず、直角に曲げた上体を石像の如く固めていた。

 

―まさかこんなことになるとは。それに女の人の体に痣って……いろいろ不味いよなぁ…………―

 

 目を固く閉じてそう思いつつ、曽我の次の言葉を黙って待つ。

 しかし、

 

「……………………」

 

いくら待っても曽我の声は聞こえず、沈黙の重圧に耐えかねた光秋は、恐る恐る顔を上げる。

 

「曽我さ――ん?」

 

 直後、目に入ったのは右手で組まれた指鉄砲の先端だった。

 

「ぱんっ!」

「痛って!?」

 

 弱々しくも刺々しい声で曽我が擬音を発すると同時に、額に小石を高速で当てられた様な激痛が走り、光秋は両手を痛みのする辺りに添えながら膝を折って悶絶する。

 

「な、なっ…………!?」

「さっきのお返し」

 

 突然の痛み――おそらく指鉄砲の先から放たれた念の弾によるもの――に困惑の目を向ける光秋に、曽我はしれっと応じる。

 

「ていっても、Eジャマーの影響下だし、アタシ自身まだ痛みで調子出し切れてないから、返済率は3分の2ってとこだけど」

「まだ何かあるんですか?」

 

 具体的な割合を言ってくる曽我に、光秋は残りの分をどうする気なのか戦々恐々となる。

 

「もちろん。ワンちゃんに蹴られた時の痛みはこんなもんじゃなかったんだから」

「それは……まぁ…………」

 

 蹴りの件を持ち出されては光秋に返す言葉はなく、曽我の次の言葉を黙って待つ。

 

「そうねぇ……夕方にはさすがに治まってるだろうから、今日の晩御飯奢ってもらおうかしら」

「そんなんでいいんですか…………?」

 

 どんな無茶を言われるのか内心冷や冷やしていた分、実際の要求に光秋は拍子抜けする。

 

「確か本部の近くに気になるお店があったのよ。前々から入ってみたかったんだけど、予算がねぇ」

「……そういうことですか……承知しました」―どうであれ、財布は“痛く”なるわけか…………―

 

 が、そう続いた曽我の言葉にその意図を察し、さっきまでとは違う方向性で腹を括る。

 その時、耳を貫く様な警報音が辺りに鳴り響く。

 

「「!?」」

 

 本部中に響いているとわかる大音量に、光秋と曽我は反射的に身を硬くし、直後にアナウンスが流れる。

 

(沿岸部工場地帯にてZCとNPの衝突あり。実戦部隊各隊は至急集合せよ)

―沿岸の工場地帯、か…………―

 

 アナウンスにあった区域に、光秋は一昨日春菜と交わした会話を思い出す。

 

―『……あ、そういえば週明けにも取材の仕事があってさ。沿岸部の工場地帯にあるお店なんだけどねぇ』

『面白い所にあるんですね?』

『一応、工員さん向けのお店だからね』…………まさかとは思うが、春菜さん巻き込まれてないよな…………―

 

 思いつつ、戦闘から逃げ惑う春菜の姿が脳裏を過る。

 瞬間、光秋の足は診察室のドアへ向かっていた。

 

「ちょっと、何処行くつもりよっ?」

 

 後ろから掛けられた曽我の声に、辛うじて残っていた冷静な部分が反応したのか、ドアの前で一旦歩を止める。

 

「何処って、現場ですよ。その前に詳しい情報教えてもらわなきゃだけど」

「あなたは今研修中でしょう。正式な主任にもなってない、元の隊に戻ったわけでもない、そんな中途半端な身分の人間に、出動許可が出るわけないでしょう」

「…………」

 

 一時的に失念していた自分の現状を面と向かって言われて、光秋は言葉に困る。

 

「……いや、それでも、僕にはニコ――00があります。戦力的には――」

「いくら強力でも、立場が曖昧な人を現場に出したらいろいろ面倒でしょう。そもそもワンちゃんが本部に来てから今までだって、こんなこと何度かあったじゃない。今回に限ってどうしたのよ?」

「それは…………」

 

 最後の一言に、光秋は今度こそぐうの音も出なくなる。

 

―曽我さんの言う通り、研修中も警報が鳴ることは何度かあった。その度に別の実戦部隊の人たちが出動して事を収めた。今回僕が出たいって思ってるのは、春菜さんが……見知った人が巻き込まれるかもしれないって、そういう恐怖が――エゴがあるからだ。今までは他の人が何とかするくらいにしか思わないで平然と研修を受け続けて、自分のことが少しでも絡むとこれって…………ESO職員としてどうかってのもそうだが、人としても…………これが“今の人”ってことなのか…………―

 

 その理解は、ドアに向かった時から抱いていた「自分が行かなければ」という使命感と「春菜が危ない」という焦りに加えて、身勝手な自分に対する自己嫌悪を覚えさせる。

 

―落ち着け光秋。曽我さんの言う通りだ。今までだって他の隊や警察の人たちが上手く捌いてきた。いざとなれば軍だって出るだろう。立場がはっきりしない奴が行っても現場が混乱するのも確かだ。よしんばそういうことを無視して勝手に出動なんてしたら、主任就任どころじゃなくなる。送り出してくれた藤原三佐や小田一尉、竹田二尉の期待を、1カ月半僕に付き合ってくれた藤岡主任の苦労を、信じてくれた菫さんや桜さんの気持ちを……こんな僕を励まして、確かに支えてくれた法子さんと綾を、一番酷い形で裏切ることになるんじゃ…………―

 

 思う間にも浮かんでくるいくつもの顔。それが一つ浮かぶ度に、先程までは羽の様に軽かった足が鉛の様に重く感じられるようになり、「裏切る」という言葉に全身に悪寒が――恐怖が走る。

 

―…………皮肉だな。1年くらい前は浮かんできた顔たちに無茶を後押ししてもらったけど、今は逆に制されている―

 

 こちら側に来た次の日、京都支部を攻撃するNPにニコイチで突っ込んでいった時のことを思い出しつつ、それからすっかりかけ離れた現状に、思わず苦笑いが漏れる。

 

―でも、仕方ないじゃないか。曽我さんの言うことはもっともだし、顔たちを……法子さんと綾を裏切るなんて――!―

 

 そこまで考え、伊部姉妹の顔が浮かんだその時、不意に伊部母の顔が過る。

 

―『守る為、ですかね。目の前にいる人を、一人でも多く』―

 

 それに合わせる様に、冬に交わした会話――戦う理由が耳の奥に響く。

 

―…………そう……だよな―

 

 ほんの2カ月程前の自分の口が発したその言葉が、今の光秋の気持ちを固めさせる。

 

「曽我さんの言うことはごもっともです。確かに僕はおかしなことをしようとしている」

「だったら、ここで大人しくして――」

「でも、それでも行きます」

 

 ここぞとばかりに畳みかけようとする曽我の言葉を遮り、明瞭な声で告げる。

 

「何でよっ!」

 

 解せない苛立ちに声が荒くなる曽我に、光秋は逸る気持ちを抑えながら述べる。

 

「ここで行かなかったら、行かなかったことを後悔すると思うから。戦う理由を果たせなかったことを……知り合いが巻き込まれるかもしれない時に何もしなかったことを。無論、自分勝手な理由で動こうとしていることは百も承知です。それでも、やっぱり」

 

 そこまで言うと、光秋は踵を返してドアへの歩みを再開する。

 

―もちろん、行ったら行ったで後悔するだろうがな。さっきから頭の中に浮かんでるあれやこれやを……それでも、なっ―

 

 そう自嘲してなけなしの迷いを端に退けると、ドアの取っ手に手を伸ばす。

 が、

 

「!!」

 

触れる前にドアは開き、現れた藤岡に光秋は絶句する。

 

「藤岡……主任……」

「今の話、ドア越しに聞かせてもらったぞ」

 

 どうにかそれだけ言うと、藤岡は診察室に一歩踏み出しながら告げ、光秋は一歩下がる。

 

「曽我が運ばれたと聞いて様子を見に来てみれば……自分の信念に従う者、啖呵を切って飛び出していこうとする奴は嫌いじゃない。が、それと規律違反とは話が別だ」

「…………それでもっ」

 

 さらに一歩踏み出しながら告げる藤岡、その低い声と屈強な体から壁が迫ってくる様な威圧感を感じながらも、光秋はさらに下がりそうになる足を踏み止めて返す。

 

―ははっ、さっきまでの威勢はどこへやら。我ながら情けない声しか出ないな…………だが、やっぱり行かなきゃ。そもそももう腹は決まってんだっ。寧ろ藤岡主任を倒すつもりで行かないでどうする!―

 

 心中に自分を鼓舞すると、縮みがちな身を大きくして藤岡と向かい合う。

 

「それでも、僕は行きますっ。勝手は承知、規律違反も知ってます。それでも――」

「ちょっと待て」

 

 喉に意識を向けて張り上げる言葉を、藤岡の冷静な声が遮る。

 

「頭は悪くないようだが、どうにも変なところで足りんようだな……」

 

 呆れを含んだ声で呟きながら、さらに続ける。

 

「話は最後まで聞け。加藤二曹、お前は今、修了試験の最中だったな?」

「?……最中と言いますか……結果待ち――」

()()()()()()?」

「…………はい」

 

 返答を遮ってより強い語調で訊いてくる藤岡に、光秋は気圧されながらとりあえず頷く。

 

「わかった。では、これより実技試験を行う」

「……え?実技……?」

 

 そうして続いた一言に、一瞬何を言われたのかわからず困惑する。

 

「…………そういうことか」

「ぼさっとするな。行くぞ」

「?」

 

 一方で曽我はどこか納得した顔を浮かべるものの、未だ戸惑う光秋は藤岡に言われるままに診察室を出、後をついていく。

 

「……あの、藤岡主任、実技試験ってどういうことですか?」

「そのままの意味だが。研修で教えたことをきちんと理解しているか、それを実戦で見せてもらう」

「そんなの、研修予定には書いてませんでしたが?」

「なら連絡ミスだな。どうであれ関係ない。やってもらうぞ」

「はぁ…………」

 

 質問しても一方的に進んでいく話に戸惑いを強めながら、光秋はどうにか考えてみる。

 

―連絡ミスって、こんな大事な話が土壇場まで抜けてたなんて、いくらなんでも変だろう?実際、今の今まで『実技試験』の『じ』の字も聞かなかったんだし…………もしかして―

 

 ふとある予想が浮かぶと、駆け足で先を行く藤岡の背中を見る。

 

―藤岡主任、僕が出動できるように“お膳立て”してくれたのか?頭が足りないとかなんとか言ってたし…………ならば―

 半信半疑ながらそう思うと、先を行く広い背中に小さく頭を下げる。

 

 いまいち確信が持てないままに藤岡の後を追って本部内を駆けることしばし。半円屋根の建屋が並ぶ区画に来た光秋は、藤岡に続いてその内の1つに入っていく。

 

―ここって確か……福山主任がニコイチの装備置いてたとこだよな……―

 

 初めてゴーレムを見た日やレールガンの試験をした日の帰りの記憶を頼りに入った建屋を確認すると、案の定中にはN型90ミリキャノン砲と盾が床に敷かれた鉄板の上に置かれている。

 一方、そこにいた思わぬ顔ぶれに光秋は驚嘆する。

 

「!菫さん!?桜さんに、北大路さんも!?」

 

 キャノン砲のそばに並んだESOの制服に身を包んだ3人に思わず声を上げながら、光秋は藤原を追い抜いてその許に駆け寄る。

 

「みんな、どうして……」

「どうしても何も、緊急招集で呼び出されたんだよ。ドッジボールいいとこだったのにさ……」

 

 唖然とする光秋に、桜が不満そうに答える。

 と、追いついた藤岡が述べる。

 

「今からその3人、およびMB‐00を用いて沿岸部の騒動を鎮圧してもらう。任務達成もそうだが、その過程をどうするかによって評価も変わり、それが試験結果にも影響するのでそのつもりで。お前の出せる手札、俺に見せてみろ」

―……やっぱり、そういうことなのか―

 

 最後は挑む様な目で告げる藤岡に、移動中に感じたことが正しかったと半ば確信した光秋は、話に乗ることを意識して問う。

 

「質問があります。00の装備ですが、現在用意されているキャノン砲と盾のみなのでしょうか?」

「いや、それはすぐに用意できる物を出しただけだ。希望があれば言ってくれて構わん。ただし現場への移動を始めてから追って届けることになるが」

「では、試作型レールガンとキャノン砲の弾をひと通り用意してください。あと、4人分の防具一式と通信機、EJC3つを大至急」

 

 藤岡にそう言うと、光秋は桜たちの許に歩み寄り、胸を張ることを意識して告げる。

 

「聞いての通りだ。これより出動する。君らには僕の指揮下で動いてもらう」

「!ちょっと――」

「すぐに防具を装着。準備ができた者から乗り込め!」

 

 途端に目を鋭くした桜の声を掻き消すことも兼ねて、光秋は上着の内ポケットからカプセルを出し、その先を近くの広間に向けてニコイチを出現させるや、有無を言わせぬ号令を上げた。


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