白い犬   作:一条 秋

92 / 119
88 帰路の寄り道

 沈黙が続くことしばらく。それぞれあと数口で食べ終わる頃合いになると、光秋は一旦スプーンを置いて腕時計を見る。

 

「3時45分?いかんな。もうすぐ帰る予定の時間だ」

 

 若干の困惑を含んだ声で呟きながら、涼と菫を見やる。

 

「すまない。話し込んだ所為か、思ったより時間が経ってた。どうする?帰りの時間延ばすか?」

「私は構いませんが。菫さんは?」

「私は…………」

 

 光秋に応じながら訊いてきた涼に、菫はしばし考える顔を浮かべる。

 

「……いえ、やっぱり予定通りで……というか、これ食べ終わったら帰りましょう。予定決めた時、光秋さん言ってたじゃないですか。今は暗くなるの早いからって」

「そうだが……本当にいいのか?僕と涼さんはまだしも、菫さんの行きたい場所には行ってないが?」

「CDショップと本屋さんだけでも充分面白かったですよ……それに、ちょっと考えたいこともできたし……」

「考えたいこと?」

「!その、変な意味じゃなくて、その……なんでもないですっ」

「……」

 

 引っ掛かる一言ではあるものの、本人に強く言い切られてしまっては、光秋にはそれ以上追及することはできない。

 

「とにかく、これ食べ終わったら帰りましょう。あ、ちゃんと送ってくださいね」

「……あぁ、わかった。涼さんもいいかね?」

「はい」

 

 菫と涼、双方の意見を確認すると、光秋はスプーンを持ち直し、残った抹茶アイスを一気に食べていく。

 少しして3人は軽食を終え、コップの水を飲み切った光秋は2人を見る。

 

「じゃあ、今度こそここは僕が持つよ」

「え?いいですよ」

「そうそう。悪いです」

「いいんだよ。僕が勝手に格好付けたいだけなんだから。さ、行こ行こ」

 

 涼と菫に応じながら伝票を取って席を立つと、光秋は2人を急かす様にレジへ向かう。

 3人分の代金を払って店を出ると、出入り口近くで邪魔にならないように先に出ていた菫を涼と合流する。

 

「じゃあ、行くかね」

「はい」

「……はい。お願いします」

 

 菫宅へ向かう号令を告げる光秋に涼が応じ、菫も若干俯きながら返すと、一行はデパートを出て菫先導の下に歩道を歩いていく。

 4時を少し回った現在、日は沈み掛け、街灯や周囲の建物から漏れる光が足元を照らしている。

 

―……日が落ちた所為……もあるが、ずっと暖房が効いた所にいたからかな?デパートに入る前より寒い気がする…………?―

 

 頬を叩く冷風に背筋を震わせながら歩いていると、光秋は向かう先に小さな人だかりを見掛ける。

 

「何でしょう、あれ?」

「ちょっと見ていきます?」

「だな」

 

 同じ疑問を抱いたらしい菫の問い、それを受けた涼の提案に光秋は頷き、3人は人だかりへ歩み寄る。

 近付くにつれ、人だかりの奥からギターの旋律と女性の歌声が聞こえてくるようになる。

 人だかりの外側に着いた光秋が背伸びをすると、背の高い白色系男性の()くギターに合わせて歌う黄色系女性の姿を目にする。

 

「ストリートライブってやつか?実際に見るのは初めてだなぁ……」

 

 目の前の光景の感想を呟きながら、左隣で同じ様に背伸びをして2人の歌に聴き入っている様子の涼を見る。

 

「……聴いていくか?面白そうだし」

「……いい、ですか……?」

 

 自分の提案に遠慮がちに応じながらも、すぐに聴き入る態勢に戻った涼を見届けると、光秋は右隣で人だかりの合間から奥の様子を窺おうとする菫に問う。

 

「菫さんも……て、それじゃ見辛いよな。ちょっと失礼」

「え?――!!」

 

 一言断りを入れるや、光秋は菫を抱きかかえ、突然のことに菫は心臓を跳ね上げる。

 

「あ、あの、えっと……光秋さん……!?」

「見えるか?もう少し上げた方がいいか?」

 

 菫は動揺を乗せた声を掛けるものの、歌と周囲の雑音で上手く聞き取れない光秋は、左腕に腰を掛けさせ、脇から回した右腕で体を固定した菫をより高く上げようとする。

 

「……その……肩車してもらっていいですか?その方が……」

「そうか?じゃあ」

 

 ややあって落ち着きを取り戻した、しかし僅かに恥じらいを含んだ菫の頼みに、光秋はその身を一度降ろし、屈んで首を跨らせた状態でもう一度立ち上がる。

 

「これならよく見えます!」

「そうか?ならよかった」

 

 頭の上で嬉々とした声で応じる菫に、光秋は人一人を乗せたことで変化したバランス感覚に注意しつつ返すと、その間にも流れ続ける歌を聴きながら周囲を見回してみる。

 ざっと見たところ、20人はいるだろうか。暗くてはっきりとは判らないものの、殆どは自分たちと同じ20歳前後の日系のようだが、僅かに白色系や浅黒い肌の者、3、40代くらいの者も混ざっている。

 と、

 

―…………?あれって……―

 

殆どが黒髪、ごく少数が金髪といった顔ぶれの中、光秋は歌い手2人を挟んだ反対側に、赤毛というには特異な、濃いピンク色の長髪をフードの陰から伸ばした女性を見付ける。

 

―やっぱり、昼間喫茶店で見掛けた……?―

 

 顔を隠す様な服装と、何よりも独特の色をした髪に数時間前の記憶が過るものの、周囲の明かりが心許ないために断定を躊躇してしまう。

 

―……まぁ、仮に同じ人だったとしても、こっちが物珍しく感じるだけで、特に用があるわけでもないしな…………―

 

 そんな思いもあってか、それから特に行動を起こすこともなく、光秋は涼と菫と共に初めてのストリートライブに聴き入った。

 

 

 

 

 十数分くらいそうしていただろうか。

 何曲か歌い終えた2人組は姿勢を正すと、周囲を囲む観客たちに向かって深々とお辞儀をする。

 そのまま踵を返して立ち去っていく者もいるが、多くは開け放たれたギターケースに心ばかりの小銭を入れ、快活な拍手を送っている。

 その光景に、周りに混じって拍手をしていた光秋は一旦手を止め、肩の上の菫に声を掛ける。

 

「菫さん、ちょっと降りてもらっていいか」

「……あ、はい」

 

 歌の余韻に浸っていたのか、夢中で手を叩いていた菫はハッとして応じると、屈んだ光秋の肩から降りる。

 十数分ぶりに肩が軽くなると、光秋は立ち上がりながらポケットから財布を出し、小銭を2枚取り出す。

 

「これ、あのケースの中に入れてきてくれ。僕と君の分。涼さんは……」

 

 言いながら左隣に目を向けると、恍惚とした表情を浮かべた涼が、歌い手2人を眺めて固まっている。

 

「涼さん?……涼さんっ?」

「!あ、はい……?」

 

 2度目の呼び掛け、そして肩を揺すっての3度目の呼び掛けでようやく我に返った様子の涼に、光秋はケースを指さす。

 

「小銭、入れてきますか?」

「……そうですね。じゃあ」

 

 言うと涼も財布を取り出し、小銭を1枚取り出す。

 

「じゃあ菫さん、頼む」

「わかりましいた。けど、私の分は私が出しますっ」

「そうか?……じゃあ」

 

 やや強い調子で返してきた菫に、光秋は小銭1枚を財布に戻し、残った1枚を菫に渡すと、涼と一緒に歌い手2人の許に歩み寄っていくその背を見送る。

 

「…………」

 

 不意に湧いた好奇心から周囲を見回してみるものの、ピンク髪のフードの女性の姿はもうない。

 

―帰ったか……―

 

 特に惜しむわけでもなく、目の前の事実を無感情にそう認識すると、菫と涼が戻ってくる。

 

「すみません。ちょっと話し込んでしまって」

「構わんよ。随分熱中してたみたいだしな。菫さんも」

「はいっ!歌って生で聴くとこんなに楽しいんですね!」

「そりゃよかった」

 

 詫びる涼に応じ、少し高揚した顔で告げる菫に頷くと、光秋は気持ちを切り替える。

 

「さて、じゃあ改めて菫さんちに向かうか。大分寒くなってきたし」

「「はい」」

 

 2人分の返答が響くと、3人は再び菫先導の下に歩き出す。

 

 

 

 

 大通り脇の歩道を行き、入った路地を道なりに進むことしばし。

 正面に3階建ての集合住宅らしき建物が見えてくると、菫がそれを指さす。

 

「あれです、私のウチ」

「……マンションか?」

 

 暗がりの中目を凝らしながら、光秋は指さされた建物に観察の目を向ける。外壁に目立った汚れや破損はなく、比較的新しいことがわかる。

 

「ESOが管理してる寮です」

「寮……か……」

 

 その返答にもの寂しいものを感じたものの、声に出すことはなく、光秋は塀の前で涼と共に足を止める。

 

「じゃあ、今日はこの辺で……と、いかんいかん。忘れるとこだったな」

 

 別れの挨拶を告げようと思ったのも束の間、ハッとした光秋はカバンを開け、中から紙袋を取り出す。

 

「昼間買った服。うっかりしてたよ」

「!ありがとうございますっ」

 

 菫の方も失念していたらしい。驚きを浮かべた顔で差し出された紙袋を受け取ると、深く頭を下げる。

 

「じゃあ、この辺で。また本部でな」

「今日はとても楽しかったです。御機嫌よう」

「…………はい」

 

 光秋、涼の言葉に心なしか寂しそうに応じると、菫は寮の入り口に向かい、光秋たちも来た道を戻っていく。

 迎えを頼むためか、コートから携帯電話を取り出した涼を横目に見ながら、光秋は今日のことを菫の姿を中心に振り返ってみる。

 

―服を選んだり、食事をしたり、初めて聴いた歌に感動したり、特エスという前にやっぱり小学生の子供……なんだが、同時にやっぱり特エスなんだよな……―

 

 少し前に見掛けた、「寮」と言った建物に一人で入っていく菫の背中に、光秋は切なさを覚える。

 

―あの様子じゃ、あそこに一人暮らしなんだろうな。菫さんの家庭事情はよく知らないが、10歳の子が一人暮らし……僕が10歳の頃、そんなこと考えられたか?…………でもって、そんな菫さんの上司が僕になるんだよなぁ……―

 

 思案の果てに至った現状認識に、光秋は数分前の肩車の時とは質の異なる“重み”が肩に掛かる様な感覚を覚える。

 

「……どうかしましたか?」

「……あ、いや、なんでも」

 

 重圧感が知らぬ間に顔に出ていたらしい。いつの間にか電話を終えた涼に努めて平静に応じながら、光秋は路地から大通りに出る。

 

「それより、今の迎えの電話?」

「はい。今朝降りた駅に行っていると」

「じゃあ行くか。僕もあそこから電車乗るし」

 

 話題を変えたいこともあって涼に確認をとると、光秋は駅へ向かって歩き出す。

 

「……そのさ、今日はどうだったかな?」

「どう、と言いますと?」

「いや、2人で騒ぐはずが、いろいろ予定外のことがあったし、菫さんの送りにも付き合わせちゃって……て、それは今更か」

 

 言いながら、光秋は気まずさに頭を掻く。

 

「そうですね……確かにいろいろありました。それこそ小学生のグループと一緒に過ごすことになるなんて、予想外も予想外です」

「…………」

 

 淡々と語る涼に、返す言葉が思い付かない光秋は口を閉じているしかない。

 

「当初の予定――といっても、明確に立てていたわけではありませんが、2人で過ごす前提で来た身には、困惑もたくさんありました」

「…………」

「ただ、同時に楽しさもありました」

「……?」

「菫さん――10歳近く歳の離れた子とあちこち歩き回って、好きな歌の話題だったり、懐かしいマンガや給食のことを話したり、ストリートライブに一緒に感銘を受けたり……そういう、予想外の楽しさは、光秋さんがあの時みなさんに声を掛けてくれたからあるんだと思います」

「……確か、午後から一緒に周ったのは菫さんの意志だったと思うんだが……」

「それにしたって、菫さんたちのグループと一緒にいなければ――光秋さんがそうなるようにしてくれなければできませんでした。それに菫さんの送りに付き合ったからこそ、いい歌にも巡り合えましたし」

「……ありがとう」

 

 その時は良かれと思ったものの、時間が経つごとに自分の行動に若干の不安を感じていた光秋にとって、自分のしたことを肯定的に受け止めてくれる涼に他に返す言葉はない。

 

「そういえば、ライブかなり熱中していたよな。菫さんもだが」

「はい!不意にあんないい歌を聴けるなんて……加えて嬉しいかったのは、菫さんのような若い子にもそれがわかったということです!」

「そうか……」

「そうかって……光秋さんにはわからなかったんですか?あの歌の良さが!?」

「いや、ほら、昼間も話したと思うが、もともと音楽全般にはあんまり興味なかったし……よくわかんないし……」

「知識の問題ではありません。感性とでもいうのでしょうか?とにかくどう感じたかという問題です」

「それもそうなんだろうが……肝心の歌詞もよく聴き取れなかったし……ほら、僕耳そんなよくないから」―ピンク髪の人が気になってたのもあるんだがな……―

 

 原因の1つを述べながら、光秋はそれ以上の原因と思えることを胸の中に呟く。

 

「…………それならしょうがないですが……」

 

 そんな返答とは裏腹に、涼は不満気な顔を浮かべる。

 そうして駅の前に着くと、道の脇に停まっている車の運転席の窓が開き、涼曰くの“マネージャー”たる古泉が手招きしてくる。

 それを見て、涼は光秋に向き合う。

 

「光秋さん」

「ん?」

「いろいろありましたが、今日は一日付き合ってくださり、ありがとうございました。また機会があれば是非」

 

 言いながら、涼は深く頭を下げる。

 

「そうだな。その時は、菫さんも誘うか」

「……そう、ですね……」

 

 光秋がなんとなしに思い付いたことを告げると、涼は不満と嬉しさが混ざった様な、なにかに迷っている様な顔を浮かべる。

 

「……では、御機嫌よう」

「あぁ、また」

 

 ややあってその顔を引っ込めると、涼は車の後部席に向かい、光秋の返事を背中に受けながら乗り込む。

 窓越しに古泉が一礼すると車は走り出し、角を曲がって見えなくなるまで見送ると、光秋は構内の出入り口をくぐって券売機へ向かう。

 買った切符を改札機に通し、階段を上がって風の吹くホームに佇むことしばし。やって来た電車に乗り込み、ドア近くの席に座ると、膝の上に置いたカバンが目に入る。

 

―そういや、マンガ買ったんだよな……30分くらい暇だし、読んでみるか―

 

 思うやカバンの口を開け、ビニール袋から菫お勧めの一冊、『ヒーロー候補生』を取り出すと、早速表紙を開いて読んでいく。

 

「……………………」

 

 読み始めて数秒で物語の世界に入り込み、意識の殆どを読むことに割きながらページを捲っていく。

 

「…………!」

 

 時間も忘れて読み進め、最初からもう1度読み直そうとしていると、不意に周囲に向けていた僅かばかりの意識が降りる駅名を告げるアナウンスを聞き取り、慌ててマンガをカバンに戻してドアの前に移動する。

 少しして電車が停まり、開いたドアからホームに降りると、冷風に押される様に改札口へ向かう。

 

―予想以上に面白いな!帰ったらもう1回読もっ!…………と、その前に夕飯どうすっかだなぁ…………―

 

 改札機をくぐりながらそう思いつつ、光秋はこの近くの飲食店をひと通り思い浮かべてみる。

 その時、携帯電話の振動音を聞き取る。

 

「電話?……法子さん?」

 

 画面に表示された名前に喜んだのも一瞬、すぐに通話ボタンを押して左耳に当てる。

 

「はい?」

(…………お楽しみもほどほどにね)

「…………あ、はいっ……すみません…………」

 

 洞窟の奥から聞こえてくる様な仄暗い声に、光秋は反射的に頭を下げる。

 それっきり向こうから通話は切れ、規則的に鳴り続ける電子音に、冷風とは異質な寒さを覚える。

 

―えっと……今の雰囲気からして綾だよな?……『お楽しみ』って?『ほどほど』って何が!?―

 

 十中八九ある程度の怒りを含んでいた一言に、その意図を測りかねる光秋は、夕飯もマンガのことも忘れてしばらく困惑することになる。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。