白い犬   作:一条 秋

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86 ご近所めぐり 中編

 しばらく歩き、デパートが見えてくると、光秋は右に並んで歩く柿崎に目を向けながら、ふと思ったことを問う。

 

「そういえば柿崎さんたち、デパートの何処に行くつもりだったんだ?」

「今更それ訊くかよ?」

「……」

 

 後ろから柏独り言にしては大きな柏崎の呆れた声が聞こえるものの、自分でもそう思っていた光秋に返す言葉はなく、黙って柿崎たちが答えるのを待つ。

 

「一応、服を見にです。ただ、他にも見て回ろうって」

「なるほどな」

 

 少女一同を代表する様に答えた此方に応じると、光秋は左に目を向け、歩き出して以降どこか表情が優れない涼を見る。

 

「涼さん?」

「……あ、はい?」

「さっきから顔色優れないけど、大丈夫か?デパート入ったらどっかで休むか?」

「あ、いえ……具合が悪いわけじゃないんです。心配かけてすみません」

「ならいいんだが……」

 

 努めて笑顔で応じる涼に返すと、光秋は別のことに考えが及ぶ。

 

「……もしかして、デパート行きたくなかったか?無理強いさせちゃったかね?」

「いいえ。そういうことじゃないんです」

「……なら、いいんだが……」

 

 それっきり黙ってしまった涼にそれ以上追及する気になれず、その間にも一行はデパート入り口の自動ドアをくぐる。

 

「それで、服売り場って何処なんだ?」

「え?光秋さんこのデパート初めてですか?」

「あぁ……あ、いや、この間この辺歩いた時に見掛けた気はする……かな?」

 

 柿崎の問いに、光秋は出勤の道のり確認のために本部を訪れた後、研修で使うノート購入を兼ねて周囲を散策した時のことを思い出しながら、うろ覚えな記憶を頼りに応じる。

 その間にも、此方が一行の先頭に進み出る。

 

「確かこっち。ついてきて」

 

 そう言って歩き出した此方に続く形で、一行は服売り場を目指す。

 少し歩いてエスカレーターに乗ると、最後尾に立つ光秋は柏崎たちを挟んで彼方と共に先頭の段に立つ此方を感心の目で見上げる。

 

「えっと、ツインテールの方がお姉さんの此方さん、だったよな?リーダーシップがあるというのか、あの歳頃にしてはかなりしっかりしてるよなぁ」

「そうですね。私が10歳くらいの時は、どうだったかなぁ…………?」

 

 思わず口を突いて出た光秋の此方に対する感想に、左隣の涼が遠くを見る目をしながら返す。

 と、光秋たちの1つ前の段に1人で佇む柿崎が顔を向けてくる。

 

「加藤さん、此方のことは名前で呼ぶんですね」

「ん?あぁ、まぁ。『(キム)さん』だと2人いるからな」

「……それに、鷹野さんのことも」

「ん?……あぁ……」

 

 言われて光秋は、今の様なくだけた口調になって以降、涼――涼子のことをずっと「涼さん」と呼んでいたことを改めて自覚する。

 同時に、そうしたやり取りから柿崎が言わんとすることを自分なりに察してみる。

 

「なんだ?柿崎さんも名前で呼んでほしいのか?」

「はい……!あ、いえ、その……その方が親しみが湧くというか、仲よくなれそうというか…………その代わり、私も『光秋さん』って呼んでいいですか?」

 

 消え入りそうな声で答えたかと思うや、柿崎は急に慌てた様子で補足し、やや緊迫した視線で訊いてくる。

 

「まぁ確かにな……あ、でも、今はまだいいが、仕事が本格的に始まって、上下のメリハリをつけなきゃいけなくなった時――要するに仕事中はダメだぞ。それが守れるなら、好きに呼んでくれていいよ。()()()

「!……はいっ、()()()()っ!」

 

 釘を刺しながら了承する光秋に、柿崎――菫は満面の笑みを浮かべる。

 

「おっと、前、前」

「!……」

 

 ちょうどそこでエスカレーターの終点に差し掛かり、後ろを見ていた菫を注意しつつ光秋も涼と共に段を降りると、先を行く此方に続いて別のエスカレーターに乗り換える。

 と、再び左隣についた涼が、いつもの様に明るい、しかし心なしか優れない顔を向けてくる。

 

「光秋さん、慕われてるんですね」

「かきざ――菫さんにはね……」―問題は残りの2人なんだが…………―

 

 菫を挟んでさらに前の段に並んで佇む柏崎と北大路の背中を見やりながら、光秋は再び不安を覚えてしまう。

 そうして一行は目的の階に着き、此方先導の下にしばし歩くと、中規模の服屋に入る。

 

「で?どんなの買うんだ?」

 

 多種多様な衣服が所狭しと並ぶ店内を見回しながら、光秋は少女たちに問う。

 

「春物の服を」

「光秋さんも一緒に選んでくださいよっ」

「僕?僕そういうセンス疎いよ……?」

 

 此方の回答に菫がやや高揚した声で続くと、光秋は不安を覚えながらも菫に袖を引かれるまま店の奥へついていく。

 少し進むと菫は光秋を離し、壁伝いのハンガーラックに吊るされた色とりどりの上着を見ていく。

 

「これなんてどうです?」

「ん?あぁ、いいんじゃないか?」

 

 おもむろに取った服を示す菫に、光秋は深く考えずに返す。

 途端に、菫は頬を膨らませる。

 

「もうっ!ちゃんと考えて言ってください」

「あ、あぁ……」

 

 言いながらその服をラックに戻して別の服を選ぶ菫を見、近くで同じ様に服選びに精を出す金姉妹や柏崎、北大路を確認した光秋は、その光景に昔聞きかじったことを思い出す。

 

「女は男より精神年齢が高いなんていうが、本当みたいだなぁ……」

「……なんです?」

「あ、いや、こっちの話」

 

 知らぬ間に出ていた声に反応した菫に応じながら、光秋は少しだけ気持ちを切り替える。

 

―僕が10歳くらいの頃は、こんなふうにオシャレに気を遣うなんて考えたこともなかったような……?もちろん人によりけりだろうが。なら、真剣に服を選ぶ菫さんに、僕も少しは真剣に付き合いますかっ―

 

 胸中に小さく気合いを入れると、光秋は菫のそばに歩み寄り、ラックに並んだ服を見渡してみる。

 

「…………これなんてどうだろうか?」

 

 そう言って目に付いた一着を手に取り、菫に示す。濃い青色のシャツだ。

 

「青、ですか?」

「あくまでも僕の感じたことなんだがね。菫さんってこういう色が似合いそうな気がするんだよ。青とか、他の色が混ざった黒系とか」

 

 示された服を眺めながら問う菫に応じながら、光秋はシャツを菫の前に重ねてみる。

 

「普段よく話すからっていうのもあるんだろが、僕の中では菫さんって“大人”って印象なんだよな。ちょっと空回りすることもあるが他人(ひと)に気を遣えたり、受け答えも整然としてたり。もちろん、入間隊の他の2人や此方さんたちと比べればだがね。で、そんな“大人”な印象を与えてくる菫さんには、色合いもデザインもシンプルな服が似合うかなと思って、とりあえず目に入ったこれを勧めてみたんだが……どうだろうか?」

 

 選んだ理由を思ったままに伝えつつ、最後の方は不安を覚えながら反応を窺うと、菫は薄っすらと頬を赤くする。

 

「……『大人』、ですか……?私が……?」

「あぁ……あ、もっと正確に言うと、『落ち着きがある』とか、『考え方が筋道立ってる』とか、そういうことだったんだが……やっぱり、女の子が着るには地味だったかな?」

 

 若干回りの悪い舌で訊いてくる菫により具体的な説明を返しながら、薄々感じていたことを声に出した光秋は、そのままシャツをラックに戻そうとする。

 が、その手は菫によってすぐに止められる。

 

「そんなことありません!私も落ち着いてていいかなぁって思ってたので!……それに、折角光秋さんが選んでくれたんですし……」

「落ち着いてる……そうか。そう言えばよかったな」

 

 最後の方はより赤みを増した顔を逸らしながら告げる菫に、光秋はその表現に感心しつつ改めてシャツを示す。

 

「じゃあどうする?とりあえず試着してみる?サイズは大丈夫だと思うが」

「はいっ!」

 

 即答するや菫はシャツを受け取って最寄りの試着室へ向かい、光秋もそれについて行く。

 シャツごとカーテンの向こうに消える菫を見送ると、光秋は試着室の近くに立ってなんとなしに辺りを見回す。

 と、涼がこちらに歩み寄ってくる。

 

「本当に慕われてますね、光秋さん」

「菫さんにはね……」

 

 優れない表情の涼にエスカレーターの時と同じ返答をしつつ、光秋は離れた場所で服選びをしている柏崎と北大路を見る。

 

「菫さんはいいんだよ。今はどうにかして、あの2人からの信用というか、信頼というか、とにかくそういうものを作りたいところなんだが……そうしないと、この先上手くいかないだろうし、僕も居心地悪いし……」

「赤毛の子って、確かパーティーで光秋さんに注意されてた子ですよね?」

「あぁ」

「あの時は、彼女が一番光秋さんと親しいように感じましたけど……」

「親しいかどうかはともかく、あの時点で3人の中では一番距離感が近かったのは確かだろうな。ただ、あれからいろいろあったからさ……それこそこういう時にひと声掛けて、関わるきっかけを作っていくべきなんだろうが、『いろいろ』の所為でその勇気も湧かないし…………すまない。完全に愚痴だな」

 

 言ってみて、自身の弱さを涼に押し付けている自分が恥ずかしくなる。

 一方、涼は先程よりも心なしか顔色が優れてくる。

 

「いいえ、いいんですよ。なんというか……嬉しいですっ。私に対して、そういう弱いところを見せてくれるの」

「あ、そう……?」

 

 薄っすら笑みを浮かべて言う涼。その言葉の意図がいまいち理解できない光秋は、首を傾げて返すのがやっとだ。

 

「……それに」

「?……」

 

 言いながら涼は柏崎と北大路の方を見やり、光秋もその視線を追うと、慌てて顔を逸らす柏崎を認める。

 

「光秋さんが菫さんと服を選んでる間から、何度も顔を向けてたんです。少なくとも、あの子との距離はそんなには開いてないと思いますよ」

「そう、なのか…………」

 

 涼の言葉と、自分で実際に目にした光景から、光秋は自身の中に微かな望みが生じるのを自覚する。

 と、試着室のカーテンが開いて、光秋お勧めの青いシャツに着替えた菫が現れる。

 

「どうですか光秋さん?似合いますか?」

 

 訊きながら、菫はその場で一回転して前後左右からの眺めを見せてくる。

 

「あぁ、やっぱりいいと思う……が……」

 

 それを見て自分の見立てが合っていたことに満足感を覚える一方、光秋は体の輪郭がくっきり浮き出る程薄いシャツの厚さに見落としを実感する。

 

「すまない、これじゃ薄過ぎだな。今は暖房が効いてる所にいるからいいが、今の時期は寒いか……」

 

 言いながら、右手で頭を掻く。

 

「あ、大丈夫ですよ。さっき此方が言ってたけど、今回買うのは春物の服ですから。これくらいでも充分……それにほら、寒ければこの上にもう1枚羽織ればいいんですし」

「……そうだっけな?ならよかった」

 

 少々慌て気味な菫の説明を聞いて、光秋は小さく安堵する。

 

「本当に、よく似合ってますよ」

「!……ありがとうございますっ!」

 

 それに続く様にかけられた涼の微笑みの一言に、菫は一瞬面喰いながらもハツラツとした表情で応じる。

 その時、此方と彼方、柏崎、北大路が試着室の許に集まってくる。

 

「菫はもう決まったの――て、いい物見付けたじゃん!似合ってる」

「ふふっ!光秋さんに選んでもらったの!」

 

 此方の称賛に、菫は誇らしげな笑顔で応じる。

 その傍らでは、柏崎がそっぽを向きながら、非常に小さな声で呟いていた。

 

「……いいな」

 

 と、

 

「?……桜ちゃん?」

「!そ、その……菫の服いいなって!」

 

それを辛うじて聞き取ったらしい彼方に強い語調で慌てて返すと、そのまま光秋を睨み付ける。

 

「言っとくけど、あんたの服のセンスを認めただけだからな!それだけだからなっ!勘違いすんなよっ!」

「あ、あぁ……」―僕、何も言ってないんだが…………―

 

 藪から棒に怒られたことに釈然としないものを感じながらも、目くじらを立てた柏崎に、光秋は無暗に刺激しない方がいいと断じて口をつぐむ。

 と、シャツ姿の菫を見回していた北大路が、思い出した様に口を開く。

 

「でも、これだと薄過ぎない?春先用といっても冷える時は冷えるだろうから、これに合う上着もあった方が……」

「それも、光秋さん選んでくれませんか?」

 

 そんな北大路の言葉を受けて、菫は期待の籠った目を光秋に向けてくる。

 

「ん?あぁ。さっきみたいな要領でよければ……いや、折角集まったんだ。みんなの意見も取り入れてみたらどうだ?涼さんも」

「……私も、ですか?」

 

 急に話を振られてか、涼は一瞬戸惑った顔を浮かべる。

 

「あぁ。知恵……というより、センス貸してくれ…………扇子(せんす)のセンス、か……フフッ!」

「フッ……!!」

 

 自分で言った洒落に光秋は自分で吹き出し、涼も口元を隠して笑いを溢す。

 

「「「…………」」」

 

 ただ、少女たちの間には、暖房が効いた屋内にも関わらず、外と大差ない冷気が流れる。

 

「…………早く上着選びませんか?」

 

 鳥肌の浮かんだ両腕を薄手のシャツ越しに撫でながら、菫が渇望する様に告げた。

 

 

 

 

 しばらくすると、それぞれ服の入った紙袋をいくつか提げた少女5人と、光秋と涼が服屋から出てくる。

 出入り口から少し離れると、光秋は腕時計を確認する。

 

―もう12時か。けっこういたもんなぁ……―「ちょうどお昼だけど、どっかで食事にするか?」

「賛成です」

「そうしましょう」

「お(なか)ペコペコ……」

 

 光秋の提案に、菫、此方、彼方がそれぞれ応じ、涼、柏崎、北大路も首肯を返す。

 

「そうなると……みんな何が食べたい?」

「あ、このデパート、ファミレスありますからそこ行きましょうよ。こっちです」

 

 さらに訊ねる光秋に、此方は応じながら歩き出して一行を先導する。

 

「……此方さん、このデパート詳しいようだが、よく来るのか?」

「はい。家の近所ですから。必要な物はだいたいここで揃えますよ。下のスーパーなんかも、お母さんと一緒によく来るし」

「ということは、彼方さんも?」

「!……あ、はい……でも私、何処に何があるか今もよくわかんなくて……お姉ちゃんがいないと、すぐ迷子になっちゃって……」

「なるほどな……でも、初めて来る分には道案内が1人いると安心かもな。いろいろあり過ぎて確かに迷子になりそうだ」

 

 此方と彼方に思い付いたことを投げ掛けながら、光秋は同じ階でも多様な店が並ぶ周囲を見回し、少し不安を覚える。

 その間にも、一行は此方先導の下にファミレスに着き、店員に案内されて奥に2つ並んだ4人席に通される。

 

「4人席が2組――8人掛けか。こっちは7人だが、どう分ける?」

 

 言いながら、光秋は一行を見回す。

 

「……私は、光秋さんと同じ席が……」

「私も、お姉ちゃんと一緒で……」

 

 菫と彼方が控えめに申し出ると、此方が柏崎、北大路、涼を見やる。

 

「じゃあ、私と彼方、菫と加藤さんで4人分決定ね。桜たちは?」

「アタシは……それなら此方たちと同じテーブルにしようかな」

「私も」

 

 柏崎に続いて北大路も応じるや、2人はすぐに並んで席に着き、金姉妹もその向かい側に腰を下ろす。

 それでテーブル1つが埋まるや、光秋は涼を見やる。

 

「じゃあ、涼さんは僕と菫さんと一緒ってことで。いいかな?」

「はい」

 

 一応の確認を取ると、3人ももう1つのテーブルに座る。壁を右手にして光秋が奥に着き、その左隣に菫、テーブルの向こう側に涼という席順だ。ちなみに光秋と菫の後ろ、長椅子の背もたれを挟んだ向かいには、金姉妹が座っている。

 席が埋まるやそれぞれのテーブルではメニュー表が広げられ、各自注文したい物を選んでいく。

 ややあってテーブル脇のボタンを押し、やって来た店員に各々注文を告げ終えると、菫がふと声をかけてくる。

 

「そういえば光秋さん、さっきから気になってたんですけど……そのカバン、なんですか?」

「ん?」

 

 言われて光秋は、右脇と壁の間に挟む様に置いたカバンを見る。

 

「なにって、いつも使ってるカバンだが?こういうの1つ持ってくとなにかと便利なんだよ、両手空いて」

「あ、いえ、そういうことじゃなくて……なにか入ってるんですか?」

「ん?まぁ……一応な……」

 

 菫に答えつつ、光秋は涼を見やり、少女たちと合流前の喫茶店でのやり取り、その失敗したという感覚を思い出して少し気まずくなる。

 

―でもまぁ、菫さんにいちいち隠すようなことでもないか?……それに、折角持ってきたんだし…………―

 

 一方で横尾ノートの話題を共有したいという欲求も思い出し、しばしの逡巡の末、光秋はカバンを開けてノートをテーブルの上に出す。

 

「先日知り合いからいただいた物で、“次の人”って考え方に関する考察が書かれたノートだ」

「“次の人”……この間話してましたよね?」

「あぁ、そういえば菫さんにはちょっと話したんだけ……」

 

 言われてスフィンクスと模擬戦を行う数日前のやり取りを思い出した光秋は、そっとノートを菫の許に寄せると、ほんの僅かに期待を抱きながら問い掛ける。

 

「よかったら、ちょっと読んでみるか?」

「いいんですか?」

 

 予想外とでも言いたげに目を丸くする菫に、光秋の方がかえって意表を突かれると同時に、この話題に興味を持ってくれたことへの嬉しさを覚えずにいられなくなる。

 

「あぁ、どうぞ!あ、汚さないように気を付けてな。こっちは僕なりに読み取ったことを整理したノートだから、参考程度に」

「ありがとうございます!」

 

 自分でも弾んでいるとわかる声で応じつつ、ちょっと注意もすると、菫は横尾ノートを開きながらそれに返す。

 

「…………」

 

 そうしてノートを読むことに集中し出した菫を見届けると、光秋は軽い満足感を覚えながら右の大窓越しに外の景色を眺める。

 都市部だけあってか数十階建ての高層ビルが目立つ一方、その合間には集合住宅らしき比較的低身長なビルや一軒家もちらほら確認できる。下を見れば多種多様な自動車が途切れることなく道路を行き交い、その両端に設けられた歩道にも人が絶えず歩いている。

 

―…………ここに人の生活が――暮らしがある、か……()()()()()

 

 おもむろにそんな言葉が浮かぶや、何故か年末に伊部母と交わした会話を思い出す。

 

―『光秋さんがESO、それも実戦部隊にいる理由……端的に言えば、戦う理由はなんですか?』

『……戦う理由……守る為、ですかね。目の前にいる人を、一人でも多く』

『守る為……』

『僕、もともと臆病者で、暴力とか争いごととかが昔から苦手だったんです。ちょっとした怪我でもすぐ泣くような子供でした。でも、だからこそ他人の痛みに敏感になったのかな。怪我をした人を見ると、こっちもで痛いと感じて。子供の頃の平和教育なんかも、怪我をして痛いだろうな、そんな痛いことをする戦争嫌だなって感じで受けてたと思います。だから、ESOに入った今、そうした傷付く人を一人でも減らしたい、その為に精一杯頑張りたい、その為の“力”はもらったから…………上手く言えたかわかりませんが、それが僕の戦う理由です。青臭いと笑われるかもしれませんが、自分の気持ちを正直に表した結果です!』…………―

 

 我ながら鮮明に思い出せた伊部母とのやり取りに懐かしさを抱く一方、胸の中がざわつく感覚を覚える。

 

―なんだろう?景色の感想といい、奥さんとの思い出といい……何か、繋がるような…………―

「……どうかしましたか?」

「!」

 

 涼の呼び掛けに、光秋はハッとしつつ思考の世界から帰ってくる。

 

「いや、こうやって街の景色を眺めるのも久しぶりだなぁって……眺めてたら、ついいろいろ考えちゃって……」

 

 涼に応じつつ、光秋は眉間に皺を寄せて横尾ノートと睨めっこをしている菫を見る。

 

「菫さん」

「……あ、はい?」

「やっぱり、ちょっと難しかったかね?」

「いえ、難しいというか…………字がその……達筆で…………」

「なるほど。『達筆』ときたか」

 

 遠慮がちに告げる菫に、光秋は初めて横尾ノートを読んだ時のことを思い出すと共に、菫なりの表現に少し可笑しくなる。

 

「わかるわかる。僕も初めて読んだ時、すらすら読めるようになるのに時間掛かったからなぁ…………と」

 

 何度も頷いて共感の気持ちを述べていると、先程頼んだ料理が順次運ばれてくる。

 いくらも掛からず全員分の料理が2つのテーブルに並ぶと、一行はそれぞれ食事を始め、光秋もカツ丼セットに箸をつけた。


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