白い犬   作:一条 秋

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85 ご近所めぐり 前編

 2月13日日曜日午前8時20分。

 黒いチェック柄の上着に緑のズボン、上に茶色のコートを羽織った光秋は、普段に比べていくらか人が少ない電車に乗り込むと、扉近くの棒を掴む。

 直後に走り出した電車の揺れを脚を踏ん張ってやり過ごすと、右肩に斜め掛けしたカバン、その中に部屋を出る直前に入れた横尾主任と自分のノートを見やる。

 

―咄嗟に持ってきてしまったが……でもまぁ、機会があれは話のタネにしてみるのも面白いか―

 

 そう思いながら30分程揺られると目的の駅に着き、普段の出勤の要領でホームから階段を下りて改札口を通る。

 周りを見回して涼の姿がないのを確認すると、そこであることに気付く。

 

―そういえば、駅で待ち合わせといったものの、具体的にどの辺りとは決めなかったなぁ……ま、改札口の近くで待ってればわかるだろう―

 

 思うや近くの柱を背にして改札口に向かい合い、涼が来るのを待つ。

 しかし、

 

「…………遅いなぁ」

 

左手首の腕時計で時間を確認し、9時5分になっても現れない涼に、光秋は僅かながらの苛立ちと、それ以上の不安を覚える。

 

―何かあったか?それとも涼さんって時間にルーズなのかな……?―

 

 いくつかの憶測が頭の中を行き交う中、ズボンのポケットから携帯電話を出し、メールを開いて約束の時間と場所が間違っていないことを確認すると、そのまま涼に電話を掛ける。

 呼び出し音が数回鳴るや、すぐに電話は繋がる。

 

(光秋さん?よかった、今連絡しようと思ってたんです。今どちらですか?)

「もう駅だけど?涼さんこそ何処にいるんだ?」

 

 まさに今自分が訊こうとしていたことを安堵を含んだ声で訊いてくる涼に答えつつ、光秋も訊き返す。

 

(え?私も駅にいますけど……?)

「えっ?」

 

 返ってきた答えに一瞬意表を突かれながらも、すぐに仕切りのない大広間となっている改札口付近を柱の裏側の含めて見回すものの、涼らしき人影を見付けるにはいたらない。

 

「何処だ?姿が見えないが……」

(出入り口の前ですが……)

「出入り口?」

 

 聞くや光秋は出入り口へ向かい、その端で佇んでいる癖のある茶髪――のウィッグ――に伊達メガネを掛けた涼をようやく見付ける。

 

「ここいいたかぁ……すまない、改札口の前で待ってたんだが、あそこからじゃ見えなくて……」

 

 言いながら切った携帯電話をポケットに戻すと、軽く頭を下げる。

 

「わ、私もすみません!車で送ってもらって、そのままここに立って待ってたもので…………」

「車かぁ……」

 

 少々狼狽えながら言ってくる涼に返しながら、光秋は出入り口前を走る2車線道路を見る。

 

「それは考えてなかったなぁ…………」―『駅で待ち合わせするから電車で来る』って、そう思ってた――思い込んでた。あるいは、『涼さんも電車で来る』って…………これもまた“先入観”――『自分の価値基準でものを見た』ってことか?―

 

 昨夜の“自習”から一晩経て早速見付けてしまった自分の“今の人”な部分、そしてそれに起因する失敗に、光秋は気まずさに頭を掻く。

 

「……私の方こそ、すみません……そうですよね。『駅で待ち合わせる』っていえば、電車で来るのが普通だし、その上で見付かりやすい所にいる方が…………」

「いや、僕の方も考えが足りなくて……というか、今回のすれ違いは、具体的に駅の()()()待ち合わせるかをちゃんと決めてなかったのが原因だろうな。次からはお互い、その辺も気を付けよう」

 

 意気消沈に頭を下げる涼に、光秋は頭にやっていた手を下ろしながら、今回の失敗の原因と、そこから得た反省を述べる。

 と、

 

「はい…………て、次、ですか……!?」

 

同意の言葉を返した数瞬後、涼は先程とは違う狼狽えを見せる。

 

「そりゃあ、今回1回だけっていうのはね。少なくとも、僕が東京にいる間は定期的にこういう機会を作ってくれるとありがたい。もちろん、互いに都合が合えばだけど……もしかして、涼さんはそういの嫌だったかな?」

 

 そんな涼の様子を見て、光秋はまたも自分の基準でものを言ってしまったかと――その所為で涼を困らせてしまったかと不安になる。

 

「い、嫌ではありませんっ!」

「……それならいいんだが……」

 

 途端に興奮気味な顔でその不安を否定してくる涼に少し圧倒されながらも、光秋は内心安堵する。

 

「……じゃあ、とにかく出発しようや。ただでさえ時間押しちゃったし、これ以上は時間が勿体ない」

「……ですね」

 

 半ば押し切る様に告げた光秋に頷くと、涼はおもむろに歩き出し、光秋もその右隣に並んでついていく。

 

「それで、どこ見て回る?」

「光秋さんはどこに行きたいですか?」

「僕かぁ……」

 

 質問に質問で返してきた涼に、光秋は少し考える。

 

「どこに行きたいとか考えてなかったからなぁ…………それなら、この辺テキトーに歩いてみるのもいいかもなぁ。正直越してきてから職場か、寮の近くのスーパーくらにしか出かけないから、せっかくだし土地勘つけたい。ガイド頼める?」

「……いえ、そのぉ…………」

 

 光秋の質問に、涼は気まずそうな顔を浮かべて足を止める。

 

「……私もこの辺はあまり詳しくなくて……」

「そうなのか?」

「ESO本部にはときどき行きますが、それにしたって車で送迎してもらいますし、普段出歩く場所からは離れていて……」

「そうか……ならなおのこと、2人で行きたい方向をテキトーに決めて進んでみないか?最近何度かやったが、けっこう面白いぞ」

「では、それで……」

 

 光秋の提案に涼が応じると、2人は歩みを再開する。

 

 

 

 

 線路を載せた陸橋の下を通る道路に沿って歩くことしばらく。

 不意に涼は足を止め、それに倣った光秋はその視線を追って車道を挟んだ反対側に建つ建物を見やる。看板を見るに、ペットショップのようだ。

 

「あの店が気になるんで?」

「えぇまぁ、ちょっと……でも、反対側の道ですし……」

 

 光秋の問いに、涼は控えめに答える。

 

「なら、次の横断歩道で向こう側に渡って、そこから戻って入ってみればいい」

「いえ、そんな……そこまでしなくても」

「いいじゃないか。特に目的地があるわけでもなし。興味持った所に行ってみようや」

「……では」

 

 控えめな、しかし明らかな喜色を浮かべた顔で涼が応じるや、2人は最寄りの横断歩道を渡って駅の方へ戻り、先程見付けた店の前で止まる。

 道路側に面した大窓からは、囲の中で戯れる多種多様な仔犬たちの様子が窺える。

 

―…………サブ―

 

 思い思いに駆けたりじゃれたりしている仔犬たちを眺めていると、光秋の脳裏に向こう側の家に残してきた飼い犬の顔が浮かび、胸の辺りに風が過ぎる様な寒さを感じる。

 

「……どうかしましたか?」

 

 心なしか表情も険しくなっていたらしい。涼が不安そうに訊いてくる。

 

「もしかして、動物嫌いでした?」

「あ、いや、そうじゃない。寧ろ動物は……特に犬は好きだ。ただ、じゃれてる犬見てたら、家の犬のこと思い出しちゃって……」

 

 言いながら、光秋は涼を不安にさせてしまったことにバツの悪さを覚える。

 

「あぁ、犬飼ってるんですか…………寂しくなりましたか?」

「寂しい……そうだろうな。最後に会ったのが去年の3月で、今が2月だから、かれこれ1年近く会ってないことになる……」―同時に、それは僕がこっちに来て1年近くってことか…………―

 

 遠慮がちに訊く涼に答えながら、光秋は不意に抱いた理解に再び寒いものを感じる。

 

「……そんなことはいいんだ。せっかく来たんだ。中に入ってみよう」

 

 それを追いやる様に意識して表情を緩めながら言うと、大窓の横のドアを開けて店に入り、涼も後を追う。

 天気こそ曇りだったものの、2月の風はまだ肌寒く、店内から吹き付ける緩やかな温風が心地よく感じる。

 と、光秋を追い抜いた涼は傍らの囲に歩み寄り、駆け寄ってきた仔犬たちに手を伸ばす。その表情は、ガラス越しに眺めていた時以上に嬉々としたものだ。

 

「涼さんも犬好きなのか?」

 

 そんな涼を見て先程の寂しさもいくらか緩和すると、光秋はその隣に歩み寄り、一緒に囲の中の仔犬たちを眺めながら問う。

 

「はい。犬もそうですが、猫なんかも好きですよ」

「猫かぁ……」

「……光秋さんは嫌いですか?」

「いや、嫌いって程じゃないが……犬に比べてわかりづらいっていうのかな?なにかと気を遣う」

 

 たまに猫に接する時のことを思い出しながら、頭を撫でるのすら遠慮がちな手探りな交流に、我ながら苦笑いが浮かぶ。

 

―交流といえば……付き合い始まって間もないとはいえ、涼さんのあんな顔初めて見るなぁ―

 

 思いつつ、やって来る仔犬たちを次から次へと撫でる涼の綻び切った穏やかな顔に、光秋は祝賀パーティーで初めて会った時に抱いたどこか超然とした美しさとも違う、もっと身近な愛らしさとでもいうような印象を感じる。

 

―高貴さだけが涼さんじゃなかったか…………―

 

 その理解は、光秋の気持ちをとても楽にさせる。

 

 

 

 

 ペットショップ内を見て回ることしばらく。

 名残惜しむ様子を浮かべた涼を引き連れて外に出た光秋は、腕時計で時刻を確認する。

 

―10時10分。けっこういたなぁ……―「たまにはこういうとこもいいもんだな。入ってよかった」

 

 そもそもは涼の興味から入店することになったことを思い出しながら、満ち足りた気分を表すつもりで告げる。

 

「私も、久しぶりに来ましたけど、やっぱり楽しいです!」

 

 名残惜しみを追いやる様に、涼も喜色を浮かべて応じる。

 

「……ただ、はしゃぎ過ぎちゃったかな?少し疲れました」

「じゃあ、どっかで休憩するか。近くに喫茶店かなにかあるかね……?」

 

 涼に応じると、光秋は周囲を見回しながら歩き出す。

 涼も後からついてくるのを確認すると、ふと浮かんだことを訊ねる。

 

「ところで今、久しぶりにペットショップに来たって言ってたが、よく来るんで?」

「たまにです。こんなふうに散策してる時、目に入るとどうしても入りたくなっちゃって」

「分野は違うが、気持ちはなんとなくわかるな……動物が好きなんだな」

 

 涼の返答に、光秋は本屋を見付けるとどうしても入りたくなってしまう自分の姿を重ね、若干の共感を抱く。

 その間にも周囲を見回して喫茶店を探していると、また別の疑問が浮かぶ。

 

「話は変わるが、今日は御付きの人はいないんで?」

「古泉さんですか?車から降りてからは見てませんけど……でも、離れた所で感知はしてると思います。あの人千里眼ですから」

「そういえばそんなこと言ってたな……でも、四六時中監視されるのって、それはそれで窮屈じゃないか?」

「どうでしょう?確かにそう思うこともありますが……私の場合、小さい頃から常に誰かしらに観られていたようなものですから……たまに鬱陶しいと思うこともありますけど、基本は気にならない、そんなところでしょうか?」

「……そういうもんか」

 

 涼――涼子自身考えを整理しながら述べた返答に、光秋は育ってきた環境の違いを意識させられながら短く応じる。

 と、ようやく1件の喫茶店を見付ける。

 

「あ、あった。とりあえずあそこでいいかね?」

 

 涼が頷くと、光秋は店のドアを開け、ドアベルの音を伴って中へ入る。

 ぽつぽつと席が埋まっている店内、その奥から駆けてきた店員の先導についていくと、2人は長椅子を備えたテーブル席に通される。

 テーブルを挟んで向かい合って座り、端に立て掛けてあるメニュー表を広げた時、

 

「……?」

 

ふと光秋は視界の端に隣のテーブル席で談笑する男女、その女の人の長髪に目が行ってしまう。

 

―あれって……―

 

 顔付きや髪形の全容はしっかり被ったフードに隠れて見えないものの、その陰から覗く胸の辺りにまで届きそうな長髪は赤毛――というよりも濃いピンク色をしている。

 

「……光秋さん?」

「!あぁ、ごめん……」

 

 首を傾げながら声を掛けた涼に我に返ると、光秋はメニューに目を走らせてすぐに飲みたい物を決める。

 

「涼さんは決めた?」

「はい」

「じゃあ」

 

 確認すると呼び出しボタンを鳴らし、少ししてやって来た店員にそれぞれ注文を告げる。

 店員が立ち去るのに合わせる様に隣の男女も席を立ち、光秋はもう一度だけ女の人、その独特な髪の色を本人に気付かれないよう注意しつつ凝視する。

 

「…………」

「……あの人たちがどうかしましたか?」

「あ、いやぁ……」

 

 男女が会計を済ませて店を出るちょうどその時、再び声を掛けてきた涼に、光秋は顔の向きを戻しながら応じる。

 

「あの女の人の髪、自然にはないピンク色だったから、ちょっと物珍しくて、ついな……ちょっとはしたなかったよな…………」

 

 言いながらさっきまでの自分の仕草を振り返って、少し恥じらいを覚える。

 

「髪?」

「ほら、隣のテーブルに座ってた2人組、フード被ってた人。はみ出てた髪が不自然なピンク色でさ、染めてたのかな?」

「……すみません。私その時メニュー見ていて周りに気が向かなくて……」

「いや、謝らなくていいんだよ。僕が勝手に気になっただけで」

 

 そう光秋が返すと、涼は少し表情を曇らせる。

 

「その女の方が気になった、ですか……」

「変な意味じゃないぞ。ただ独特な髪の色が気になっただけだから」

 

 内面を引き写した様に沈んだ声音で呟く涼に、光秋は内心焦りつつも努めて冷静に訂正を入れる。

 

「……もっとも、髪の色くらいで物珍しいなんて思う辺り、僕もまだまだ田舎者ってことなのかな?考えてみればここは東京――日本の州都、それこそいろんな人がいるからな。オシャレで独特な色に髪を染めてる人がいてもおかしくない、と考えるべきだったか…………」

 

 一方で一連の自分の言動を改めて振り返って、そんな反省を覚える。

 と、先程注文した飲み物が運ばれてくる。

 光秋は抹茶ラテを、涼はカプチーノをそれぞれ受け取り、薄っすら湯気を上げるそれを各々一口飲む。

 

―熱っ!―

 

 予想以上の熱さに束の間悶絶し、冷めるまで待った方がいいと判断すると、光秋は先程までの話題を変えようと、横に置いていたカバンに手を入れる。

 

「そうだ涼さん、ちょっと話は変わるが……」

「はい?」

 

 言いながら、カバンから横尾ノートの1冊と自分のノートを取り出し、それらを涼の前に並べて置く。

 

「実は先日、知り合いから気になる話を聞いてな……“次の人”って知ってるかね?」

「『次の人』……?」

 

 予想通り、涼は首を傾げる。

 

「地球合衆国という新しい時代に合わせた人の在り様といったところなんだが、それについて個人的に考察してた人がいて、先日その研究ノートを譲ってもらったんだが…………」

 

 やや興奮気味にそこまで語ると、光秋はメガネのレンズ越しに遠い目をした涼を認める。

 

「……ごめん。いきなりこんなこと聞かされても困るよな」

 

 それを見て自分の世界に入り過ぎていたこと、涼が楽しめない話をしてしまったことを実感し、意気消沈しながらノート2冊を自分の方へ引き寄せる。

 

「すまない。なかなか面白いアイデアで……といっても僕自身まだ完全に把握し切れてるわけじゃないんだが……とにかくそれを知り合いの一人でも多く共有したいと思って、つい…………」

「!あ、謝らないでください!光秋さんが折角楽しそうに話してくださったのに、それをちゃんと聞けなかった私の方が……」

「いや、僕も急ぎ過ぎたんだ。この話はこれでお仕舞にしよう。機会があれば、また別の時に」

 

 涼は涼で罪悪感に顔を歪める傍ら、断じた光秋はノートをカバンに戻し、気分転換に抹茶ラテを慎重に一口飲む。

 

―いかんな。少しはしゃぎ過ぎたかも…………そういえば……―

 

 カップを置いて自己反省しつつ、光秋はふとあることを思い出す。

 

「涼さんって、大学生なんだっけ?」

「え?あ、はい」

「学科は?何の勉強してる?」

「民俗学を」

「ほぉ?また面白そうな分野だなぁ」

 

 涼の返答に、光秋は好奇心が刺激されるのを自覚しながら応じる。

 

「具体的にどんなことを学ぶんだ?」

「そうですね……現在、私たちが当たり前に感じている習慣や風俗といったもの、その起源を伝承を頼りに探っていく……こんなところでしょうか?」

「習慣の起源ねぇ……またすごそうな分野に飛び込んだけど、なんかきっかけってあったのか?」

「いえ、きっかけという程明確なものは……ただ、小さい頃からそういう話に興味があって、そうした興味から学びに行った、そんな感じです」

 

 おそらくは入学する前のことを思い出しているのだろう。天井を向いて話す涼に、光秋は多分な共感を覚える。

 

「興味から、かぁ……僕と同じだな」

「……同じ、ですか?」

「僕もさ、ESOに入る前は大学、それも哲学科への入学目指してたんだよ。それこそ涼さんが言うように興味からな」

「哲学、ですか……」

「もっとも、事情で進学を諦めて、こうしてESOで働いてるんだけど」

 

 言いながら、光秋は自虐的な笑みを浮かべる。

 

「……ちなみに、その事情というのは?」

「悪いな、それは言えない。機密ってやつでね」

「!すみません……」

「謝らなくていいって。当然訊きたくなるよな」

 

 バツの悪い顔を浮かべる涼をなだめながら、その心境を察する。

 

「でも、こればっかりは部外者には話せない。そこはわかってほしい。でないと僕の首が飛ぶかなら」

「……」

「……すまない。今の冗談というか、ふざけて言っただけなんだが……流石に文脈上わかりにくかったよな……」

「いえ……そのぉ…………」

 

 完全にすべった発言に、光秋は続く言葉に詰まってしまい、涼も返事に困ってしまう。

 

「…………まぁその、なんだ」

 

 再び抹茶ラテを飲んで気を取り直すと、光秋は話を再開する。

 

「つまりだ、興味があることを勉強できるのは楽しいよなって、そう言いたかったんだよ。僕は事情で大学こそ行き損ねたが、こうして新しい興味を得た」

 

 言いながらカバンを叩いて、中のノートを示す。

 

「それを勉強するのは楽しい、そしてその楽しさを誰かと――身近な人と共有したかったって、さっきのはそういうことだったんだ」

「……そう、ですか……?」

「そう。だから、あんまり気に病まないで……て、お仕舞って言っといてこれもないよなぁ……」

 

 言ってから気付いた自分の言動の矛盾に、光秋は思わず右手を頭に添える。

 と、それを見た涼が、どこか力の抜けた笑みを浮かべて言ってくる。

 

「…………光秋さんって、意外と不器用ですね」

「意外?いやいやぁ、元から不器用な方だと思うが?現に今も会話踏んだり蹴ったりだし」

 

 その微笑みにつられて光秋も頬を緩ませながら、今度は気持ちの切り替えではなく、単純に味わうために抹茶ラテをすする。

 

―……これだこれ。この甘苦さがいいんだ!―

 

 程よく冷めたこともあってか、四口目にしてようやく好みの味に舌を楽しませることができた。

 

 

 

 

 その後は大した会話もなく、それぞれ注文した飲み物で味覚を楽しませ、互いに飲み終えたのを確認すると、光秋と涼は席を立ってレジへ向かう。

 

「あ、涼さん、ここは僕が持つから」

「そんな、悪いですよ」

「いいんだよ。いつかの本部の時と同じ。僕に格好つけさせてくれ」

 

 遠慮がちに言う涼にやや強く返しながら、光秋は2人分の代金を払い、ドアベルの音を伴って店を出る。

 少し歩いた所で止まると、左隣の涼を見る。

 

「さて、次は何処行くか?」

「……引き続き、この辺りを適当に歩いてみますか?それで面白そうな所があったらそこに行くということで」

「それがいいか」

 

 応じると、光秋は歩みを再開し、涼もそれに続く。

 

「ところで涼さん、さっきのカプチーノどうだった?」

「美味しかったですよ。光秋さんは抹茶ラテ頼んでましたが、好きなんですか?」

「抹茶風味は好きだな。そういうチョコ菓子とかけっこう買うよ」

「そうなんですかぁ……」

 

 一連の他愛無い会話を重ねながら、光秋は喫茶店での空回りな会話とつい比べてしまう。

 

―あぁいう席でこそ、こういうなんでもない、でも楽しい話ができればよかったんだよなぁ……涼さんは『意外』なんて言ってたが、どっこい、やっぱり不器用じゃないか…………―

 

 胸中に軽い悔いを覚えつつ、光秋は面白そうな場所はないかと辺りを見回す。

 その時、

 

「?……あれって……」

 

車道を挟んだ向かいの歩道に、見覚えのある長い黒髪の少女を捉える。よく見ればその周囲にはこれも見覚えのある赤毛と癖のある茶髪、そして知らない黒髪の少女が2人おり、5人でまとまって光秋たちと同じ方向に向かっている。

 

「どうしました?」

「いや、反対側に知り合いがいたような……あの5人でまとまってる子たち」

 

 涼の問いに、もともと視力に自信がない光秋は不安そうに少女たちを指さす。

 と、それに合わせるように黒髪の少女がこちらを向き、そのメガネを掛けた顔に、光秋は相手が柿崎だと確信する。

 

「柿崎さん!」「加藤さん!」

 

 同時に呼び合うや、2人は互いの連れを伴って最寄りの横断歩道へ向かい、先に達した光秋が涼と共に向かいの歩道へ渡る。

 

「やっぱり、柿崎さんだ」

「奇遇ですね!なにしてるんですか?こんな所で」

 

 近くで改めて確認する光秋に、白いコートを着込んだ柿崎は嬉しそうな顔を浮かべて訊いてくる。

 

「ん?知り合いと周囲の散策に」

 

 答えつつ、光秋は傍らの涼を示す。

 

「涼さん、こちら僕の知り合いの……」

「柿崎菫です」

「鷹ノ――鷹野涼です……光秋さん、ちょっと」

 

 互いに自己紹介を交わすと、涼は光秋の左耳に口を寄せる。

 

「彼女……というより、あの赤毛の子と茶髪の子もですけど、もしかして祝賀パーティーに来てた……?」

「お察しの通り。ただ、特エスの身分はデリケートだから、あまり大きな声で言わないでくれ」

 

 確信の声で訊いてくる涼に、光秋は祝賀パーティー襲撃事件で入間主任が負傷した際に柿崎らと顔を合わせていることを思い出しながら、制す声を返す。

 

「わかっています。私も“デリケートな身分”ですから」

 

 “さる家系の親戚筋”という自身の立場を言っているのだろう。涼は自虐的な微笑を浮かべながら応じる。

 

「……あの、加藤さん?」

「あぁすまない。どうした?」

 

 控えめに声を掛けてくる柿崎に応じつつ、光秋は涼から顔を離す。

 

「えっと……前に好きな人がいるって言ってましたよね?」

「え?…………あぁ、言ったな。それが?」

 

 遠慮がちな柿崎の質問に、光秋は入間の見舞いに行った後でそんな会話をしたことを思い出す。

 

「その……その好きな人って、もしかしてその人ですか?」

 

 さらに歯切れ悪く続けながら、柿崎は涼を見据える。

 

「……えっ?」

 

 ややあってその視線に気付くや、涼は軽い動揺を浮かべる。

 

「いや、違う。涼さんとは仕事というか……とにかく東京に来てから知り合った仲で、なにかと仲よくしてもらってるんだよ」

「……!そ、そうなんです。光秋さんにはなにかとよくしていただいて……」

 

 それに対して光秋ははっきりと答え、動揺から立ち直った涼もそれに続く。

 

「……そう、なんですか…………」

 

 そんな2人の答えに、柿崎はどこか安心したような、落胆したような、見ただけでは判断がつかない顔を浮かべる。

 と、それまで柿崎の後ろに控えていた光秋が知らない2人の少女の内、長い黒髪を両側に1本ずつ、いわゆるツインテールにまとめた薄い紫色のコートを羽織った子が前に出てくる。

 

「ねぇ菫、お話中悪いんだけど、この人たち結局誰?桜たちに訊いても教えてくれないんだけど?」

「あぁ、ごめんね此方(コナタ)

 

 ツインテールの少女に応じつつ、柿崎は光秋と涼を示す。

 

「こっちの男の人が加藤さん。ESOの職員さんで、この間本部の方に転属になったんだって」

「加藤光秋といいます。そちらは柿崎さんたちの友達?」

 

 柿崎の紹介に続く形で、光秋は少女に問い掛ける。

 

(キム)此方(コナタ)です。菫たちと同じ学校に通ってます。こっちは妹の彼方(カナタ)

「……はじめまして。金彼方です……菫ちゃんたちと同じクラスです……」

 

 ツインテールの少女――此方の紹介に、姉の陰に隠れる様に立っていたお揃いの薄紫色のコートを着た短い髪の少女――彼方が控えめ、というよりも恥ずかしそうに頭を下げてくる。

 

「えーっと、お姉さんがコナタさん、妹さんがカナタさんね……もしかして双子?」

「二卵性です」

 

 歳の違いがある姉妹にしては伸長が大して変わらないことから試しに訊いてみた光秋に、此方がすぐに応じる。

 

「やっぱり。それにキムって……もしかして半島の方の?」

「お父さんがソウル出身で、私たちも生まれはそっちです。5歳の頃にこっちに越してきました。加藤さんは?さっき菫が最近本部に来たって言ってましたけど?」

「前は京都の方に勤めてた。ちなみに出身は新潟」

「新潟かぁ……」

「…………」

 

 互いに質問と返答を交わす光秋と此方の横で、彼方が関心のある、しかし自分からはやり取りに入っていくことができず足踏みしている様子を見せる。

 

―社交的な姉と、消極的な妹。髪型こそ違えど顔付きはどことなく似ているが、中身は正反対だなぁ……もっとも、僕んとこもこんな感じだった気がするな―

 

 並んだ金姉妹の様子にそんな印象を抱きながら、光秋はふと家のことに思いを馳せる。

 と、そこで涼が会話の外に置かれてしまっていることに思い至る。

 

「あ、それでこちらは、鷹野涼さん。僕の知り合いだ」

「はじめまして」

 

 すぐに紹介する光秋に続いて、涼は金姉妹、そして鉢合わせ以降ずっと離れた所で黙り込んでいる赤毛と茶髪――赤いコートを羽織った柏崎と灰色のコートを着込んだ北大路に一礼する。

 

「はじめまして」

「……はじめまして」

「…………」

「…………」

「……あー、それでみんな、何処行こうとしてたんだ?見たとこ同じ方向に向かってたみたいだが?」

 

 それに此方と彼方が返す傍ら、沈黙を通す柏崎と北大路に気まずさを覚えた光秋は、それを誤魔化すことも兼ねて気になったことを訊いてみる。

 

「この近くのデパートに買い物に。光秋さんたちは?」

「僕等は……強いて言えば散策だな。その辺テキトーに歩いてたんだが……デパートかぁ…………」

 

 答えると同時に訊き返した柿崎に、光秋は少し考え、涼を見やる。

 

「僕等もそこ行くか?ちょうど次何処行こうか考えてたところだし」

「いいかもしれませんね。いろいろ見て回れそう」

 

 頷く涼の返事を聞くと、今度は柿崎たちを見やる。

 

「というわけなんだが、どうだろう?せっかくだし、一緒に行かないか?」

「えっ!?」

「えっ……?」

 

 少女たちを見て提案する光秋に、柿崎は意表を突かれたとばかりに動揺を浮かべ、涼は予想外な展開に狼狽する。

 

「あの、光秋さん、一緒に行くって……」

「いや、目的地一緒だし、知り合いとこんな所でばったり会ったんだから、せっかくだし一緒に見て回ろうかなぁって。もちろん、柿崎さんたちがよければだけど……」

 

 涼の問いに、光秋は先程考えた通りのことを答えながら、少し不安そうに少女たちを見る。

 

「私は……光秋さんたちがそう言うなら……みんなは?」

 

 真っ先に柿崎が嬉しそうな顔を浮かべながら答え、他の4人の意見を伺うと、姉の陰から顔を出した彼方がおどおどと言ってくる。

 

「え、でも……お母さんや先生から、『知らない人について行っちゃいけません』って……」

「いや、彼方、それ本当に知らない人のことだから。加藤さんは菫たちの知り合いだから。ただ……」

 

 妹の認識に訂正を入れつつ、此方も表情を曇らせる。

 

「そうか……」―まぁ、そうだよなぁ……―

 

 そんな金姉妹の様子に、いくら友達の知り合いとはいえ、今会ったばかりの知らない大人と行動を共にすることに対する抵抗感を察した光秋は、そのまま同行を断念しようかと考える。

 が、そんな考えを遮る様に、柿崎のやや緊迫した声が響く。

 

「い、いやでも!大人がいればなにかと安心じゃない?此方も出発前言ってたじゃん。『近所のデパートとはいえ、子供だけで大丈夫かな?』って!」

「……いや、確かに言ったけど……」

 

 おそらくは此方にとってもあまり見ない光景なのだろう。普段の物静かな印象とは裏腹に強く迫ってくる柿崎に、若干気圧されている。

 

「だったら、ここはついてきてもらった方がいいじゃん!光秋さんもいいんですよね!?」

「あ?……あぁ……」

 

 さっき真っ先に返答した時の消極的な態度から一転、こちらを引き留めようとする意志が直に伝わってくる様な柿崎の強い眼差しに、光秋も思わず圧倒される。

 

―柿崎さんって、こんな顔もするんだな……―

「……でも、まぁ、確かに菫の言うこともね…………そういうことなら、私も別にいいけど」

 

 そんな感想を抱く傍ら、此方も逡巡の末に賛成票を投じる。

 

「……お姉ちゃんがそう言うなら……私も……」

 

 それを聞いて彼方も自分の意見を告げたのを見ると、光秋は未だに黙ったままの柏崎と北大路を見る。

 

「あー……柏崎さんと北大路さんはどうかな?一緒に行ってもいいか?」

「3人の返事聞いてなかったの?5人の内もう3人が賛成してるんじゃ、多数決で一緒に行くしかないでしょ」

「同じく」

「あー……まぁな……」

 

 投げやりな柏崎と壁の様な態度の北大路に、光秋はそう返すだけで精一杯になってしまう。

 

―どうも転属して最初に会って以来、この2人との関係が難しくなったな。柿崎さんこそ好意的でいてくれるものの…………―

 

 そんな2人の様子に、光秋は居心地の悪さと漠然とした不安を覚える。

 

「……じゃあまぁ、行こうか」

「はいっ」

 

 気まずさに耐えかねて告げた光秋に柿崎が喜色を浮かべて応じると、一行はデパートへ向かう。


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