白い犬   作:一条 秋

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75 別れの前に 中編

 持参したおにぎりを全て平らげると、光秋と伊部姉妹はおにぎりの包みをカバンに片付け、お茶を飲んで口をさっぱりさせると、満腹時独特の心地いい頭の鈍さを感じながらその場でひと休みする。

―!……やっぱこの時期、外に長居はできんか?―

 もっとも、光秋の感じる通り外の気温は低く、たまに吹き付ける氷でも含んでいる様な強風に、今一つ心は休まらない。

 と、

「寒ければこうすればいいよ」

言うやいなや、綾が左腕に――というよりも左半身全体に体を押し付けてくる。

「……お前さん、また心読んだな?」

「そうだけど……あたしにその気がなくても、どうしても伝わってくることがあるんだよ。いいじゃん、寒くなくて」

「そりゃあ、確かにいくらかマシになったけど……」

 密着することで寒さが和らいだのは事実。しかし同時に、周囲、特に左横のバス乗り場に佇む人々の視線を意識してしまう。

「…………やっぱり場所移そう。飯も食ったし。あんまこんな所に長くいると、それこそ風邪ひくかもしれないし」

「えー!?」

 言うや光秋はカバンを斜め掛けして立ち上がり、綾は密着が解けたことに不満を顕わにしながらも、手を引かれるままに中央口へ向かってついていく。

「せっかくいい感じだったのに……」

「そう膨れるな……周りの視線が痛いんだよ……」

 口を尖らせる綾に応じつつ中央口をくぐると、光秋は近くの案内板を見やる。

「悪い、ちょっとトイレ行ってくる。ここで待ってて」

 そう言って飲みかけのお茶を綾に預けると、案内板の矢印に従って最寄りのトイレへ速足で向かう。

―……さーて、午後からどうしたもんか…………―

 用を足しながらこれからの予定について考えるものの、明確な案は浮かばず、結局なにも思い付かないまま伊部姉妹の許へ戻る。

「お待たせ……それで、これからどうするか?」

「そうだね…………」

 結局は伊部姉妹に意見を求め、法子が辺りを見回しながら思案していると、

「あたし、あそこ行きたい」

交代した綾が中央口の真向かいにある9階建てのビル、その上に佇む白い塔を指さす。

「京都タワーか……まぁ、いいんじゃないか?法子さんは?」

「私も。そうなると久しぶりだから、なんかワクワクしてきたなぁ!……じゃあ行こ!」

 遥か上空の頂を眺めながら消極的に賛成する光秋に、打って変わって法子が和気藹々に続くと、綾は手を引いて一目散にタワー下のビルへ向かう。

「そんな急ぐなって。危ないから……」

 弱々しく注意しながら、光秋は綾に引っ張られるままについていく。

 横断歩道を渡ってビルに入ると、中には菓子類や工芸品など、多種多様な商品が並んでいる。

「土産物売り場、ですか?」

「こっちだね。行こ」

 店内を見回している光秋の手を引いて、法子は棚の合間を縫って店の奥へ向かう。向かう場所がわかっている確かな足取りは来慣れていることを示し、心なしか弾みながらも落ち着いた歩幅は、先程の綾のはしゃいだ様子とは月とスッポンの差だ。

―やっぱ、こういう所で違いが出るのか……―

 手を引かれるままにその様子を眺めながら、光秋は同じようで違う二人のあり様を改めて実感する。

 少し歩いてエレベーターの前に着くと、光秋は一旦足を止め、法子も引き摺られる様に止まる。

「……やっぱり、上行きますか……」

「展望台ね。外から見た時出っ張ってたとこ……もしかして、怖い?」

「ちょっとだけ……」

 法子の問いに、光秋は正直に答える。元来高い所は苦手な質だ。

「……でもまぁ、ちゃんと壁ありますしね……よし!行きましょう!」

 そう声に出して自分に言い聞かせ、引き気味な腰をどうにか正すと、光秋は若干汗ばむ手で伊部姉妹を引いてエレベーターに乗り込む。

 扉が閉まるやエレベーターはすぐに上昇を始め、一緒に乗り込んだ人々を途中の階で三々五々降ろしていく。

 そしてビル部分の最上階たる11階に着くと扉が開き、光秋たちも他の人々に続いてエレベーターを降り、タワー部分に続くエレベーターの受付へ向かう。

「…………」

 もっとも、受付へ向かう光秋の手はだらだらと汗ばまみ、膝は笑いが止まらないありさまだ。伊部姉妹と繋いだ手にも知らない間に力が入る。

「……ねぇ、本当に大丈夫?」

「えぇ……なんとか……」

 その様子にただならぬものを感じてか、法子が顔を覗き込んでくが、光秋は努めて気丈に、明るく応える。顔はだいぶ引きつっているが。

 その間にも一行は受付のそばまで近付き、少し離れた所で一度立ち止まると、光秋は何度か深呼吸して昂っていた気持ちを落ち着ける。

「よし!もう大丈夫」

「ホントに?……ダメなら今からでも引き返すけど?」

 周りに配慮して静かに気合いを入れる光秋に、法子は不安の残る顔で乗ってきたエレベーターを勧める。

「いいえ、大丈夫です。それにここまで来たら逃げも隠れもしません。さぁ!連れて行ってください!」

 応じつつ、光秋は右手を差し出す。

「そこまで張り切られもねぇ……」

 そんな光秋の妙な高揚に困りつつも、法子は差し出された手を左手で握って受付へ向かう。

 光秋が2人分の代金を払って入場券を受け取ると、一行は他の乗客と共に正面のエレベーターに乗り込み、タワー部分の展望室を備えた階へ向かう。

 少しして扉が開き、エレベーターを降りると、法子の先導の下、正面全体がガラス張りになっている展望室に入る。

「…………高いですね」

 壁に背中を預けつつ、足の裏が急激に湿る感触を覚えながら、光秋は窓から見える景色――いずれも数十メートルはあろうビルの屋上をさらに上から見下ろし、その合間に延びる道路を走る車が掌に収まるくらいの大きさに見える光景――にそれだけ呟く。

「確かここ、地上から100メートルの高さだって」

「…………」

 法子の告げた具体的な数字に、光秋の足の裏はますます湿る。

「……本当に大丈夫?」

「大丈夫です……そりゃあ、やっぱり少し怖いけど、どうしようもないって程じゃないし……少しずつ慣れてもきたし……」

 法子の再三の問いに応じると、いくらか落ち着いた光秋は壁から離れて窓側に寄ってみる。

 法子もその左隣に歩み寄ると、そろって眼下に広がる街並みを俯瞰する。

「ニコイチじゃもっと高いとこ飛んでるのに、それでもダメなの?」

「自分で動かしてる分には平気なんですよ。今みたいに立ってるだけとか、飛行機に乗ってるだけとか……自分の力の及ばない形で地上から離れるのが怖い……とでも言えばいいのか?」

「自分で動かす分には、ねぇ……わからなくはないけど」

 光秋の恐怖の基準説明に一応の理解を示すと、法子はタワーの下を見下ろす。

―……遠くを見るようにすればいいんだよな。遠くを…………そもそもさんざん言ってるように、ちゃんとガラスだってあるんだし……―

 自分に言い聞かせるようにして極力上の方に視線を向けながら、光秋は右手をゆっくりと伸ばし、きちんと壁があるという実感を得ようと窓に触れようとする。

 その時、

「えいっ!」

「ウォオッ!!……綾っ!」

いつの間にか背後に移動していた綾に背中を押され、独特の緊張感に張り詰めていた光秋は驚愕の声を上げながら振り返りざまに怒鳴り付ける。

 一瞬後に我に返って周りを見ると、突然大きな声を出した所為か、他の客たちから怪訝な目を向けられる。

「あ…………すみません……」

 その視線の圧力にすぐに落ち着きを取り戻すと周囲に頭を下げ、怒鳴って以降縮こまってしまった綾に向き直る。

「怒鳴ったりしてごめん。僕もビックリしたもんで……驚かせちゃったか?」

「ちょっとだけ……」

 小声で応じると、綾は目の端に浮き出ていた涙を拭う。

「あたしの方こそごめん。ちょっとイタズラしただけのつもりだったんだけど……そんなに高いとこ苦手だったなんて……」

「こればっかしは冗談抜きでダメなんだよ……まぁやっちまったもんは仕方ないから、今後気を付けてくれ」

「うん」

 それだけは真剣に答える光秋に、綾は素直に頭を下げる。

 それを待っていたかの様に、交代した法子が明るく呼び掛ける。

「じゃあ気を取り直して、続きといこう。あっちに面白いものあるから」

「はい……面白いもの?」

 応じると、光秋は手を繋ぎ直した法子の後をついていく。

―……怖かったとはいえ、あれくらいで声を荒げてしまうとは…………僕もまだまだだな……―

 怒鳴ったことに改めて恥じらいを覚えていると、法子が足を止め、視線を追って目の前に佇んでいる物を見る。

「これ、双眼鏡ですか?高い所の観光地の定番の」

「そう。けっこう遠くまでよく見えるよ」

「でもこういうのって、小銭入れないと動かないんじゃ?」

「ここのは無料なの。試しに覗いてみてよ」

「はぁ……」

 法子に促されるまま、光秋は固定式の双眼鏡に顔を近付ける。

「わぁホントだ……!自力じゃ細々したものがあることしか判らなかったけど、これだと民家の1件1件までよく見えますね!」

レンズを介して広がる鮮明な視界に、思わず感動の声を上げる。

「……あれ?こっちって今住んでるとこじゃ……あぁ!あの白いの京都支部だ!綾も見てみろって!」

「うん」

 気分が高じて少しはしゃぎながら勧めると、光秋は綾と交代する。

「わぁすごい!よく見える!……あ!あれアキの住んでる寮かな?」

「どれ?……」

 こちらもはしゃぎながら訊いてくる綾に、光秋はレンズの向きを動かさないように退いてもらって再度双眼鏡を覗き込む。

「んー……ごちゃごちゃしてて僕にはわからんなぁ……あ、あれ法子さんの寮じゃ?」

「どれ?……あ、ホントだ!」

 言いながら向きを固定して双眼鏡を譲ると、それを覗き込んだ法子も楽しそうな声を上げる。

―たかが双眼鏡と思ったけど、久しぶりに見るとなかなか面白いもんだな!―

 法子と綾の様子と自分自身の興奮を振り返りながら、光秋は双眼鏡による景色観賞をしばらく満喫する。

 

 展望室全ての双眼鏡を巡り、1台ごとに舐める様に景色を見渡し、時間を忘れて展望室を一周すると、光秋は左手首の腕時計を見る。

「2時半か。結構いたな」

「双眼鏡、意外と面白かったもんね!」

 時間の早さに感じ入る光秋に、法子が楽しそうに応じる。

「……今度は、直接上がって見てみる?」

「それだけは勘弁してくれ」

 その表情を引き継いで笑顔で問う綾に半ば本気で怯えながら即答すると、光秋はすっかり汗の引いた手を繋いで、順路案内に従って展望室を出る。

 エレベーターの前に移動して下りのボタンを押すと、扉が開くのを待つ間、光秋は次のことについて考える。

「次どうしましょう?まだ結構時間あるけど」

「少しはしゃぎ過ぎて疲れたからねぇ。どっかでひと休みしたいな……あたしも」

「じゃあ、また喫茶店でも入りますか……」

 法子と綾に応じると、光秋は近くにいい店がないか記憶を探る。

 その間に到着したエレベーターに乗り込み、光秋がタワー部分1階のボタンを押すと、法子が思い出した様に言う。

「そういえば、前にフミと遊びに来た時、八条側に小さなお店があったんだよね」

「じゃあ、そこ行ってみます?」

「私はいいけど、お昼前に入ったとこと違ってコーヒーしかないよ?光秋くんそれでいい?」

「僕だってコーヒーくらい飲みますよ。どっちかっていうと加糖派だけど……加藤だけに」

「……」

 咄嗟に思い付いた一言に、エレベーター内が妙な沈黙に包まれる。

「そんなあからさまに困った顔しなくても……まぁいいや。とにかく、コーヒーもそれなりに好きですよ。あとは綾だけど……」

「あたしは何処でもいいよ……じゃあ決まりだね。そこ行こう」

「はい」

 一行の総意がまとまる間にもエレベーターは1階に着き、今度はビル部分のエレベーターへ向かう。

 

 エレベーターを降り、ビルを出た一行は、来た道を戻る形で京都駅中央口へ向かう。

 構内を突っ切って八条側へ出ると、法子先導の下、最寄りの横断歩道を渡って道路の反対側に佇む小さな喫茶店に入る。

「……ここが、横尾中尉と入った店ですか……」

 2人掛けのテーブル席が4組にカウンター席が8つという、昼前に入った駅構内の店以上に「小さい」という印象を与えてくる店内を見回しながら、光秋は法子に引かれるままにカウンターに歩み寄り、カバンを足元に置いて椅子に腰を下ろす。

 一行と男性店員1人以外誰もいない、静かな店内だ。

「なににする?」

 言いながら左隣に座る法子がメニュー表を差し出し、光秋はメガネを前にずらしてそれに目を通す。

「…………法子さんはどうします?」

「私は……エスプレッソにしようかな」

「じゃあ、僕もそれで」

「いいの?」

「正直、コーヒーなんててんでわかりませんから。エスプレッソだのカフェ・ラテだの、トルコだのモカだのブルーマウンテンだの、名前見ただけじゃなんのことかわかりませんし……」

 確認する法子に、光秋はお手上げといった様子で応じる。

「それなら、同じものを一緒に飲んだ方が楽しいでしょう」

「そう?なら……すみませーん!」

 付け加えを聞くや、法子はカウンター奥の店員を呼んで2人分のエスプレッソを注文する。

「コーヒー、詳しくないの?」

「飲むのといったら自動販売機の缶か、スーパーで買ってくるペットボトル入りのやつくらいですね。家で淹れる機会も殆どないし」

 意外そうな顔をする法子に、光秋はコーヒーに関する日頃の様子を振り返りながら答える。

「こういう店に来る機会も大してないし、来たとしても甘いか苦いかを気にするくらいで、こんなふうにいろんな種類のことなんて考えませんでしたから……法子さんは違うんですか?」

 先程のメニュー表を指さしながら続けると、今度は光秋が問う。

「私もそんなに詳しいわけじゃないんだけどね。ハルちゃんの影響でちょっとだけ知ってるっていうか」

「なるほど……日高さん食通でしたもんね」

 言われて光秋は日高の特徴を、年末に家でご馳走になった紅茶のことを中心に思い出す。

 その間にもカウンター奥でコンロにかけられたコーヒーの独特の香りが店内に広がり、ややあって専用のポットから注がれたエスプレッソが2つ運ばれてくる。

「……この香りはいいものですね」

 コーヒーカップを持って鼻に近付け、改めてその香りを楽しむと、光秋はもくもくと湯気を立てる薄茶色の液体をそっと口に入れる。

「……濃いですね」

「エスプレッソだからね……」

舌の上に広がるやや強い苦みに感じたままを呟くと、カップを両手で抱く様に持った法子がすすりながら返す。

 満足そうな顔を浮かべて味を楽しんでいる姿を横目に見つつ、光秋はテーブルに備え置きされている容器を取って、小さじ3杯程の砂糖を加える。

「そんなに入れるの?」

「甘めが好きなんですよ」

「……『甘め』っていうか……」

 若干目を丸くしてなにか言いたげな顔をする法子を意識しながら、光秋は加糖エスプレッソを改めて口にする。

「……うん。これだ」

 コーヒー本来の苦みと砂糖の甘味が好みの具合に混ざったことに満足すると、カップをソーサーに置いて視線を上に向ける。

「柵のとこでの続きじゃないけど……なんかやっぱり、不思議な気分です」

「なにが?」

 遠い目で上を眺める光秋の呟きに、法子もカップをソーサーに置いて訊いてくる。

「年明け早々、NPと、ZCなんて新興のテログループの襲撃があったと思ったら、京都に戻ってくるや特務隊主任やれっていわれて、その別れの前の楽しみに騒ぎに来たらこうしてお茶飲んで……大事件に遭遇したと思ったらデートって、我ながら波瀾万丈だなぁって……」

 年明けから今日までの慌ただしい日々を振り返りつつ、光秋はコーヒーを一口すする。やや苦みの勝る甘苦さが、今は妙に口に馴染む。

「……おまけに、パーティーではお姫様といい感じになったしねぇ?」

「誤解を招く様な言い方するな」

 少し棘のある視線を向けてくる綾に、光秋はきっぱりと反論する。

「……まぁでも、涼子様との出会いも確かに波瀾万丈かもな。あんな人と御近付きになれる機会なんてそうないし……」

 言いながら、光秋は涼子の協力の下、共に入間主任の応急処置をしたことを思い出す。

―……そういえば、涼子様は僕の名前知ってるんだよな。あの時は勢いに負けて教えちゃったが……大丈夫かな?―

別れ際のことが脳裏を過ると、改めて不安を覚える。

 が、それも今更と割り切ってコーヒーと一緒に飲み込んでしまう。

「もっとも、もう会うこともないだろうがなぁ……あぁいうのを『一期一会』っていうのかな……」

「イチゴ……?」

「『一期一会(いちごいちえ)』。一生に一度の出会いってことだよ。だから出会った人のことは大切にしなさいって」

 首を傾げる綾に、大まかな意味を説明する。

―……下手したら、綾との出会いもそれで終わってたかもしれないもんな―

 自らが呟いた四字熟語に、光秋は綾と過ごした日々、その別れの時を思い出す。一時期は今生の別れと思っていた、あの瞬間を。

 そして、

―あの時は、これで最後だと、心底そう思ってたからこそ、“あんなこと”もできたけど…………今思い返すと恥ずかしいっ!!―

“あんなこと”――篤い口付けを交わした瞬間を思い出し、光秋の体温がコーヒーや暖房とは無関係に急上昇する。

「……アキ?……どうしたの?顔赤いような……?」

「いえ。何でも……」

 綾と法子、二人分の心配の視線に目を逸らしながら応じると、光秋はとりあえずコーヒーをすする。

―思い出すんじゃなかった……今は2人と顔合わせられないよ…………―

そんな後悔を覚えながら飲むコーヒーは、今度は何故か甘く感じた。

 

 しばらくして気恥ずかしい後悔から立ち直った光秋は、すっかり(ぬる)くなったコーヒーを飲み干し、伊部姉妹も飲み終えたのを確認すると、口の中に残る甘苦さを感じながら腕時計で時刻を確認する。

「3時15分か……次何処行きましょう?」

「そうだなぁ…………」

 光秋の問いに、法子は上を見やりながら考える。

「この間みたいに、この辺テキトーに歩いてみる?ジャンケンで行く方向決めてさ」

「あれか……でも面白そうですね。それでそのままぶらぶらするもよし、行った先に面白いものがあれば寄るもよし。綾は?」

「あたしもそれでいいよ」

「じゃあ行きましょう」

 先週のことを思い出しながら賛同し、綾の合意も得ると、光秋はカバンを提げて椅子を立ち、店員を呼んで2人分の会計を済ませる。

 綾の手を引いて店を出、店の前から少し離れると、早速ジャンケンを交わす。光秋がグー、綾がパーだ。

「綾の勝ちか。じゃあ左だな」

 それでどっちに向かうかが決まると、光秋は綾の手を引いて店から見て左、方角でいうと西へ向かって歩道を進む。

 しばらく歩いて横断歩道が見えてくると再びジャンケンをし、綾が勝ったので前進を続ける。

 次も、その次も、そのさらに次も綾が勝ち続け、前身か直進を繰り返す中、交代した法子が呆然とした顔を光秋に向けてくる。

「光秋くん……ジャンケン弱いね」

「いや、こんなの運でしょ?たまたま綾の方に運が向いてただけですよ……」

 法子の単刀直入な言いように反論していると、一行は再び十字路に差し掛かる。

「じゃあ、今度は私とやってみよう」

「いいですよ。先日は五分五分ってところだったけど……」

 先週の戦績を曖昧に思い出しつつ、光秋は法子とジャンケンをする。

 光秋がチョキ、法子がパーだ。

「あちゃー。私に代わった途端負けちゃった」

「今後は僕に運が向いてきましたかね……というわけで、右行きましょう」

 法子に応じつつ、光秋はその手を引いて右に曲がる。

 しばらく歩くと、中規模の書店が見えてくる。

―本屋か……いや……―

 一瞬入りたい衝動に駆られるものの、それで先週一緒いる時間を削ってしまった“失敗”を思い出し、光秋は目を逸らして先を行こうとする。

 その矢先、足を止めた法子が傍らの書店を見やる。

「本屋か……せっかくだし、ちょっと入ってみる?」

「え!?」

 降って湧いた甘い誘惑に、しかし光秋はついさっき考えたことを思い出して抵抗を試みる。

「いや、でも……この間、それで時間潰しちゃったし、こういうとこは今回の主旨に反するというか……」

「んー……確かにねぇ。それこそ本や音楽は人それぞれ好みがあるから、みんなじゃ回れないか…………あたしも入ってみたいけど、アキの言う通りだしね……」

「……」

 法子と綾の名残惜しい顔に、光秋はそれはそれで歯痒い気持ちを抱く。

 と、不意にあることが思い浮かぶ。

「……ところで、先週2人は代わり番こに店内回ってたんだよな?」

「うん。法子の読んでたのも面白かったから、あれはあれで楽しかったけど」

「代わり番こか……」

 綾の返答に、光秋は束の間思案する。

「じゃあ、3人で回るか?それぞれが行きたいコーナーにみんなで行って、そこを見て回る、それを繰り返すってことで」

「それいいかも!面白そう!……なるほどね。やるじゃん!」

「いえ。2人の話聞いてたら、そういうのもありかなって……じゃあ、早速行きましょう!」

 自身の提案に嬉々として賛成してくれる綾と法子。その笑顔を見て光秋も気分を高揚させながら、一行は書店の自動ドアをくぐる。

「さて、まずは誰のから回るか……」

 本が満載された棚、それが所狭しと並ぶ店内を見回すと、光秋は伊部姉妹を見やる。

「光秋くん先でいいよ」

「いいえ。僕は最後でいいです。法子さんか綾、どっちを先に回るか決めてください」

「そう?じゃあお言葉に甘えて……」

 法子の勧めを断る光秋。それに応じる様に、法子は目をつむって自身の中に意識を集中する。

「それじゃあ、まずあたしから!」

 姉妹の話し合いの結果を告げるや、綾は光秋の手を引いて店の奥へ速足で向かう。

「おいおい、そんなに急ぐなって、危ないから……」

「うん」

 他の客や店員との衝突を心配する光秋をよそに、綾は看板を見ながら自分の好きなコーナーを探す。

 そして、

「あった!」

少し歩いた所で嬉しそうな声を上げると、綾は光秋を引っ張って本棚の合間に入っていく。

「恋愛小説か……お前さんこういうの好きだよな」

 棚の上の看板と、先日の買い物の様子を思い出しながら呟くと、光秋は目に付いた1冊の文庫本を手に取ってみる。裏のあらすじを読むに、難病を患った女子高生と、その恋人たる男子高校生の物語のようだ。

―…………「限られた時間」、か……―

ページをパラパラと捲って目に入ったその一言に夏の一件を思い出し、懐かしさとも切なさとも、恥ずかしさともつかない気持ちを持て余すと、その本をそっと本棚に戻す。

―少なくとも僕は、()()()()()()()()()()()んだよな…………―

 嬉しさと気恥ずかしさがない交ぜになった胸中を自覚しつつ、左隣で立ち読みを続ける綾を見やる。

 その視線に気付いたのか、綾は文庫本から顔を上げる。

「なに……?」

「いや……」

 顔を向けてきた綾に咄嗟に返事が浮かばず、光秋は口籠ってしまう。

「……今、アキの中ざわざわしてたけど、なんかあった?」

「……だーから、勝手に読むんじゃないよー……」

「だから、勝手に伝わってくるんだって。それに細かいことは読んでないよー」

 すっかり定番となったやり取りに、綾は口を尖らせて反論する。

「……ちょっとな、いろいろ考えちゃったんだよ……それはいいんだ。ところで、お前さんさっきからなに読んでんだ?」

 一応の返答の後、話題を変えることも兼ねて綾の持っている本に興味を向ける。

 向けられた表紙には、『愛性(あいしょう)――五組の例』と書かれている。

「何組かの恋人たちの話を別々に綴ったの」

「オムニバスってやつか。ちょっといいか?」

「どうぞ」

 断りを入れて綾から本を受け取ると、光秋は目次を開く。タイトルの通り、5つの短編が収められているようだ。

 次にページをパラパラと捲って、大雑把に流し読みしてみる。

「ほー……!さっと見た感じ、なかなか面白そうじゃないか。ラブコメから本格的な純愛までってとこか。『相性』と『愛性』にかけてるんだな……買ってみようかな」

 流し読みの感想を呟くや、すっかりその本に購買意欲が湧いた光秋は、持ってた分を綾に返して本棚から同じ本を手に取る。

「それなら、これなんかもどう?」

 言うや綾は違う本を取って勧め、光秋はそれにも目を通す。

 

 そんなやり取りを繰り返すこと十数分。

 最終的に文庫本3冊を脇に抱えることになった光秋は、綾と交代した法子に引かれて次のコーナーへ向かう。

 途中でしばしの熟考を挟んだ末に入った本棚、その上の看板には「SF小説」とある。

「……ここですか?」

「普段はいろいろ見て回るんだけど、今回は3人分見て回るわけだからね。強いて一つに絞ったらここになった」

 確認の目を向ける光秋に応じると、法子は綾の時に購入を決めた文庫本2冊を左脇に挟み、おもむろに取った本を立ち読みする。

「持ってますよ。読み辛いでしょ」

「そう?ありがと」

 光秋の申し出にすぐに応じると、法子は脇の本を渡して立ち読みを再開する。

 受け取った本を手持ちの分とまとめると、光秋も本棚の前を右、左と行き来する。

―……!これ、こっちにもあるんだなぁ……―

 不意に目に入り込んできた、光秋が元いた世界では映画にもなった――というよりも映画としての知名度が高い――タイトルに、思わず手に取って裏のあらすじを読み、数ページ捲ってみる。作品が書かれた当時は未だ未来だった2001年、突如発見された謎の板に促されて人類が宇宙を旅する話だ。

―……流石に内容は若干違うようだが……―

 光秋自身は映画すらきちんと観たことはなかったものの、聞きかじりの情報では登場人物は皆この世界でいうところのノーマルだった。それに対し、目の前の本では超能力者が何人も普通に出てくるという差異に、軽いカルチャーショックを覚えずにいられない。

―今までは、こんなふうに向こうとこっちで同一の作品に出会う機会がなかったが……やっぱり、違う世界で書かれたものだと思い知らされるな……―

 そう思うことで心中の衝撃を噛み締めると、光秋はその文庫本を棚に戻し、その9年後を書いた2作目、そのさらに51年後を書いた3作目、1作目から1000年後を書いた4作目を指で追っていく。

―まぁ、多少記憶と違っても、やっぱり読んでみたいからねぇ。しかし、4作全部読むのは流石に大変だよなぁ…………―

 1作ごとにそれなりの厚さを誇る4冊の文庫本に、しばし迷いが生じる。

 そして、

―とりあえず、今はこれにしよ!―

断じるや、4作目を取って脇の本の束に加える。

 それが見えたのか、本から顔を上げた法子が訊いてくる。

「なに選んだの?」

「これです」

応じながら、光秋は今選んだ本を見せる。

「また名作選んだねぇ」

「前から興味あったんで」―内容は微妙に違うようですが……―

「てことは、他のも持ってるの?」

「いいえ。このシリーズはこれが初めてです」

「え?……でもそれ、最終作じゃあ……」

「自分でも変な順番かと思いましたけど、どうもこれが読みたくなって」

「……まぁ、そういうのは人それぞれだからね」

「そういう法子さんは、さっきからなに読んでるんです?」

 言いながら、光秋は法子が持つ文庫本に顔を寄せる。これも過去に映画化された、ロボット三原則に反した行動をとった個体の謎を追う物語、その原作だ。

「法子さんはこういうの読むんですか」

「こういうのっていうか、前にこれを原作にした映画がやってたからさ、どんなのかなぁって」

「あ、こっちにもあの映画あるんだ」

「『こっちにも』って、光秋くんの方も?」

「はい……ていっても、僕はテレビで観た口ですけど」

「私も」

 当時のことを思い出しながら語る光秋に、法子も笑って応じる。

 

 互いが手に取る作品に関するやり取りを挟みつつ、さらに十数分が過ぎた頃。

 最後に自分の番となった光秋は、全員分の本を右脇に抱え、左手で伊部姉妹を引きながら行きたいコーナーを目指す。

―SFはもう一通り見たしなぁ……―

 そう思いながら足を運んだ先は、ホラー小説のコーナーだ。

「そういえば光秋くん、こういうの好きだったよねぇ。休憩時間なんかによく読んでたし……あたしにもよく買ってきてくれたしね」

「そうだっけ?……確かに、不思議な話には興味があるがさ……」

 法子と綾の指摘にいまいち実感が持てないながら、光秋は本棚を指で追っていく。

「……おっ!」

贔屓にしている作家の作品を見付けるや、手に取ってさっと読んでみる。

 と、

「あ、これも映画になったよねぇ」

言いながら、法子が文庫本を差し出してくる。恨みを抱いて死んだ女性によって呪われた家、それに関わった人々をめぐる物語だ。

「これもこっちにあるんだ……これは前にも観たかな……?」

「私も観たよ。高校生くらいだったかな……?」

「映画館で?」

「ううん。テレビで。公開された1、2年くらい後の夏休みに、ハルちゃんと、あと友達の何人かで観てたかな」

「僕もテレビですね。録画して、明るい内に観てた記憶が」

「いや、明るい内に観たら怖さ半減じゃん!」

「僕はそれくらいがちょうどいいんですよ。夜中に観ようもんなら、それこそトイレにも行けなくなるってやつで……」

 面白くないと言わんばかりの法子に、光秋は口にした状況を想像して一瞬震えながら応じると、購入を決めた贔屓作家の本を脇に加えて、再び本棚を眺める。

「……あ。これもこっちにもあるんだ……」

 目に入ったその作品も映画化されたものであり、映画が公開された当時、――光秋が元いた世界では――社会的ブームにもなった、呪いのビデオテープの物語だ。

 好奇心から手に取ってページを捲っていると、タイトルを見た法子が怪訝な顔をする。

「あぁ、それも光秋くんの側にあるんだ……」

「はい。これも映画化されるくらいのヒット作でしたよ」

「映画化……あぁ、そうか……光秋くんの方は、超能力者いないんだっけ……」

「?……何か?」

 怪訝ながらもどこか納得した様子で呟く法子に、光秋はその意図を図りかねて首を傾げる。

「この小説、主要人物に超能力者が出てくるんだけどね、その表現が超能力者差別じゃないかって批判が出て……作者はきっぱり否定したんだけど、超能力者やその擁護団体が抗議活動を起こして、内容よりもその騒ぎで話題になっちゃんたんだよね……」

「超能力者……?」

 法子の説明に唖然としつつ、光秋はページの中程を開いて斜め読みしてみる。

「……本当だ……これは流石に……」

 該当箇所の記述に、光秋もそうした団体が声を上げることに薄々納得してしまう。元いた世界の同作は未読なために一概に比較はできないが、超能力者を怪物然とした様子で表現するそのシナリオは、――それがホラー小説の要たる「恐怖」を醸し出してもいるのだが――確かにこちら側では一部の人々の顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうかもしれない。

―僕の世界の方は読んだことないからなんともいえんが……―「これも世界の違いですかねぇ……当然映画化は……」

「されてないねぇ。今は流石に落ち着いて、あくまでも表現の一種、ホラー小説の1つとしてこうして販売自体は続けられてるけど……」

 作品に対する世の反応と、法子の答えに再びカルチャーショックを覚えつつ、光秋はその本をそっと元の位置に戻す。

 思わぬ所で世界の違い、それも激しい例を示されて呆然としていると、法子と交代した綾が1冊の本を手に取る。

「……『百物語』?」

「あぁ、それもこっちにもあるんだ」

 厚い文庫本の表紙に書かれているタイトルを首を傾げて読み上げる綾に、カルチャーショックから立ち直った光秋は感心を覚えながら応じる。

「ちょっと貸して」

 そう綾に断って本を受け取ると、『怪奇百物語』と題されたその目次に目を通す。

「……やっぱり。100話収めた短編集か」

「ねぇ、百物語って何?」

 目次を眺めながら断じていると、綾が当初の問いを訊いてくる。

「あぁ、百物語っていうのはさ……なんていうかな……そういう遊びみたいなもんだよ。夜中に大勢で集まって、怖い話や不思議な話を100話語るっていう」

「怖い話?」

「一種の肝試しみたいなもんだろう。100話語り終えると本当に不思議なことが起こるっていわれてるけど、あくまで噂…………でもないかな……?」

 言いかけて、光秋は今日まで自分が体験してきたことの数々を振り返り、思わず言い淀んでしまう。

「この1年足らずでさんざん不思議というか、非常識――少なくともこっちに来るまではその範疇だったものを見せられ続けたからなぁ……百物語の怪異も、今なら本当に起こりそうな気がするよ……」―常識と非常識の境界が曖昧になってきてるんだなぁ……―

 自身の置かれた現状を意識して、光秋は困った顔を浮かべつつも、それを少しだけ楽しんでいるとも自覚する。命が脅かされるのは御免被りたいものの、不思議なもの、自分たちの理解を超えたものへの好奇心は、未だ心の広範囲を占めている。

「ならさ、今度やってみる?」

「百物語をか?」

 提案してくる綾に、光秋はしばし思案する。

「…………いいかもな!夏にでもやってみるか」

「面白そうじゃない!お盆休みにでもハルちゃんちに行ってやる?」

「いいですね!日高さんち雰囲気あるし」

 話に乗ってきた法子を交えつつ、3人は百物語会開催について盛り上がる。

 

 一通り語り合ったところで各々落ち着くと、光秋は腕時計を見る。

「4時半……喋ってたのもあるけど、またけっこういましたねぇ」

「だねぇ……もう少し……5時くらいが帰り時かな?」

 応じつつ、法子はどこか寂しそうな顔を浮かべ、一行の間に気まずさが漂う。

「……そろそろ出ますか。本もかなり溜まったし」

 そんな雰囲気を変えようと、光秋は脇に抱えた3人分の本の束を示す。

「そうだね。そろそろ会計した方がいいか……次何処行く?」

「出てから決めよう。なんならまたジャンケンでも」

 法子が意識してその意図に乗り、光秋が綾の問いに答えながらレジへ先導すると、それぞれ自分の本の代金を払って店を出る。

「そっちの袋貸して。まとめて入れとく」

「ありがと」

 応じながら、綾は自分と法子の本が入ったビニール袋を差し出し、光秋はそれと自分の分をまとめてカバンに仕舞う。

「じゃあ……」

 チャックを閉めるや、光秋は握った手を示し、それを見て心得た綾とジャンケンを交わす。光秋がチョキ、綾がパーだ。

「あーっ!お店入るまでは勝ってたのにぃ!」

「今度は僕に運が向いてきたな。というわけでこっちだ」

 パーの形をした自分の手を憎々しげに眺めつつ、悔しそうな声を上げる綾。それに薄っすら嬉しそうに返すと、光秋は伊部姉妹の手を引いて右へ向かう。

 

 曲がり角に突き当たるたびにジャンケンを交わし、勝った方の側に曲がるを繰り返すこと20分少々。

 すっかり日が落ちた空を見て、光秋は一旦足を止め、伊部姉妹もそれに倣う。

「そろそろ駅に戻りますか。帰りのバスでまたそこそこ時間掛かるだろうし」

「そうだね……暗くなってきたしね」

 法子と綾の返答を聞くや、光秋はその手を引き、手近な道を曲がって大通りへ出る。

 街灯と、周囲の建物から漏れる明かりやネオンの光に照らされた道を京都駅へ向かって歩く傍ら、左隣を行く伊部姉妹の顔に陰が浮かぶものの、光秋は敢えて指摘せずに先を急ぐ。

 しばらく歩いて駅の八条側に着き、最寄りの出入り口から構内に入って中を突っ切る。中央口から外に出ると、正面のバス乗り場へ向かう。

「行きが確か西回りだったから、帰りは東回りに乗る?」

「そうしますか。京都市一周ってね。そうなると……こっちですね」

 法子の提案に賛同するや、光秋は案内板で目的のバス停の位置を確認し、それに従って伊部姉妹を先導する。京都駅から各方面へ向かういくつものバス停の脇を抜け、少しして目的のバス停にたどり着く。

 すでにできている数人の列の最後尾に並んで待つことしばし。やってきたバスに吸い込まれる様にして乗り込むと、一行は後部左側の2人席に並んで座る。

 ややあってバスが走り出すと、光秋は左側の窓に顔を向ける。

 が、

―……ハハァ、流石にこの暗さじゃな……―

周囲の明かりが辛うじて映るだけのほぼ真っ暗な車窓に、予想はしていたものの景色観賞を断念させられて苦笑を漏らす。

―……ま、いっか―

 しかしそれも束の間で、気を取り直して窓に向けていた視線を伊部姉妹に向け直す。

「どうだった今日は?」

「楽しかったよ!高いとこからあっちこっち見回したり、一緒に美味しいもの食べたり。コーヒーはあたしにはちょっと苦かった気もするけど、あのお店の雰囲気はよかったし……3人で巡る本屋も楽しかったよね」

「本屋か……」

 嬉々として返す綾に続いて言った法子に、光秋は膝上のカバンを見やり、そこに入れた購入した本数冊を幻視する。

「あの本ですけどね……ほら、超能力者差別じゃないかって問題になったやつ」

「うん」

 そこから面白さとは違う理由で印象に残ってしまった作品のことを思い出し、法子が短く応じたのを聞くやさらに続ける。

「さっと読んで騒ぎが起こってしまったことに納得してしまったけど、それってあくまでもここ数カ月のことがあったからじゃないかなぁって……」

 言いながら、光秋の脳裏にこちらに来てからの数々の光景が過る。NPとの抗争、綾と過ごした夏、パーティー襲撃事件でのZCの活動、先日の巷のケンカ。

「その所為で、僕も初めて読んだ時、この手の話に少し過敏になってたような気がして。思い返してみれば、超能力には素人の僕でも誇張だってわかる部分がいくつもあったし、怖い目に遭う人の中には超能力者の登場人物もいた、それが物語――怖い話としての面白さを引き出していたとも感じます。なにより、こっちに来ることなく、向こうで一フィクションとして普通に手に取っていたら、こんな気持ちにはならなかったかも……」

 そこで言葉を切ると、光秋は背もたれに体を預けてバスの天井を見る。

―あの本が出版された時期は知らないが、少なくとも僕がこっちに来た頃にはもうあった……来るよりずっと前にはあったんだよな。それを法子さん……否、おそらく僕の周りの多くの人は知っていて、当然騒ぎのことも知っていた。僕だけが今まで知らなかった……今はそれを知って、なんか釈然としない気分になってる……―

 そうして、胸中に不定形に渦巻いていた気持ちを整理していく中で、光秋の中にある言葉が浮かんでくる。

「……変わったのは周りじゃなくて、僕――僕の認識か」

「え……?」

「あぁ……本のことについて考えてたら、そんなこと思っちゃって……」

 知らぬ間に声に出ていたらしい。唐突な呟きに首を傾げる法子に、光秋は独り言を聞かれたことへの若干の恥じらいを感じながら応じる。

 と、交代した綾が懐かしむ顔を浮かべる。

「前にも、そんなこと言ってたよね」

「前……?」

「ほら、戸松先生のとこでしてた、お皿の話」

「……あぁ!」

 言われて光秋は、町で揉めた後に戸松教授の診察室に運び込まれたこと、そこで綾に語って聞かせたものの見方のことを思い出す。

「『同じモノでも、見方を変えることで違って見える』……確かに言ったなぁ」

「『変わったのはモノじゃなくて見方』、『自分が見方を変えたから違って見えた』、なんか似てるね……似てるというか、言いたいことは同じみたいだね」

「みたいというか、そうなんでしょうね……」

 交代した法子に応じつつ、光秋は感心の目を綾に向ける。

「にしても綾、お前さんよくそんなこと覚えてたな?僕も今の今まで忘れてたよ」

「えー?あたしはしっかり覚えてたのにぃ!」

「悪い悪い、あれからいろいろあったしさ……」

 膨れる綾をなだめつつ、光秋も懐かしい気持ちになる。

―そうだ。そんなことも言ったなぁ……柵の思い出といい、今日はこういう話に縁があるなぁ…………―


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