白い犬   作:一条 秋

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71 久方の京都小旅行 前編

 1月9日日曜日。

 緑のズボンに赤チェックのワイシャツ、その上に茶色いコートを着込んだ光秋は、京都支部正門を背にして右肩に斜め掛けした灰色のカバンの帯を弄びながら、伊部姉妹が来るのを待つ。

―……約束の時間そろそろだよな?―

 思いながら左手首の腕時計を確認すると、間もなく9時を指そうとしている。

 と、

「ごめん!待った?」

知っている声に右を向くと、綾が速足で駆け寄ってくる。

「いや。少し前に来たばかりだ……そのスカート、早速使ってくれたんだな」

少し上がった息を整えている綾に応じつつ、光秋はその服装を確認する。

 下は昨日買った白フリルの付いた赤いロングスカート、上は羽織った青コートの下から白いワイシャツが覗き、左手首には赤フリルのシュシュが巻かれている。青コートの有無こそあるものの、下ろした髪と相まって、どことなく夏に綾がよくしていた服装を連想させる。

「もちろん!アキがせっかく買ってくれたんだし、この方があたしっぽいでしょ」

「まぁ、夏出かける時よくそんな服装だったもんな。髪も結んでないし」

「法子はそうでもないみたいだけど、あたしはこの方がしっくりくるからね。それより早く行こ!あたし八坂神社行きたい!」

「八坂神社か。僕も初めて行くな……」

「道はあたしが調べてあるから大丈夫。さっ!行こ行こ!」

 右肩に提げていた小ぶりのカバンからメモを取り出すや、綾は光秋の左腕を引いて最寄りのバス停へ向かう。

 

 少し歩いてバス停に着くと、目的のバスはすぐにやってくる。

 日曜日とあってか利用者はそれなりに多く、やや混んでいる車内に乗ると2人は後部左側の席に並んで座る。

 それを待っていた様にバスが走り出すと、光秋は左隣に顔を向け、過ぎていく窓の景色に少しはしゃいでいる綾に気になっていたことを問う。

「ところで、なんで八坂神社なんだ?」

「別にあたしもどうしてもってわけじゃないんだけど……法子とは金閣寺に行ったんでしょ。だから、とにかくそれ以外の有名な所に行きたくって、ネットで調べたらそこが目に入ったから」

「またなんとも大雑把だねぇ……」

「いいでしょ!」

光秋の率直な感想に、綾は頬を膨らませる。

「……ホントはさ、場所なんて何処でもいいんだよ。少しでもアキと一緒にいられて、少しでも()()()()()思い出を作れればさ……」

「……それもそうだ」

 機嫌を直して断じる様に綾に、光秋も深く頷いて合意する。

 

 バスに揺られることしばらく。

 目的地である八坂神社前のバス停に着くと、2人はそれぞれ運賃を払って下車する。

 他の歩行者の邪魔にならないよう注意しつつも、例によって綾が光秋の左腕に抱き着く形で歩くと、少しして右手に「八坂神社」と大きく掘られた石柱と、特徴的な朱色の門が見えてくる。

「ここだよな?確か」

「うん。あれ西楼門(にしろうもん)っていうんだよ」

「そうなのか?よく知ってたな」

「一通り調べてきたからね」

「そりゃあ頼りになる。僕はさっぱりだからな……せっかくだ。門を背景に記念写真撮ろう」

「うん!」

 頷くと、綾は速足で階段を駆け上がって門の左側に立ち、光秋はズボンのポケットから出した携帯電話のカメラを作動させて画面を覗く。

―これなら、ちゃんとしたカメラ持ってくればよかったなぁ……―

 自室の押し入れに仕舞ったままのデジタルカメラを思い出して軽い後悔を覚えつつ、綾を中心にしながらもどうにか門全体を画面に収めてシャッターを切る。

「よし。撮れたぞ」

「じゃあ今度はあたしが」

「いいよー」

「あたしが撮りたいの!」

 言いながらカバンから携帯電話を出した綾と入れ替わる形で光秋は門の前に立ち、それまで背にしていた左右に所狭しと店が並ぶ大通り――四条通を臨む。

―こうして見ると、周りもけっこう賑やかだな。後で回ってみるのも面白いか……―

「アキー!撮るよ!」

「あぁ」

 綾の呼び掛けに気を取り直してカメラに視線を向けると、直後にフラッシュが輝き、撮った画像の確認をする綾の許に歩み寄る。

「よく撮れてるじゃないか」

「そうかなぁ?アキちょっと見辛くない?」

「こんなもんだろ。さ、行こう」

 映り具合をやや不安がる綾に応じながら、光秋は右手を引いて階段を上り、西楼門をくぐる。

「?……今日は祭りでもやってるのか?」

 八坂神社の敷地に入ってすぐに縁日に並んでいる様な数件の屋台が目に入り、綾を見やりながら訊ねる。

「ううん。ここはいつも何件かこういうお店が出てるみたい……と、まずは手を洗わないと」

 応じると綾は光秋を連れて左の手水舎に歩み寄り、2人そろって手を洗い、口を漱ぐ。

「こっちこっち」

 言いながら綾は両脇に屋台が並ぶ道を進み、光秋も左手を引かれながらそれに付いていく。

 少し歩いた先の階段を上ってもう1つの門をくぐり、その先にまた数件並んでいる屋台の間を通ると、大きな舞殿が目に付く広い境内に出る。

「下鴨神社もそうだが、こういう大きな神社の境内ってやっぱり壮観だなぁ。舞台が圧巻だ」

「……そういうもん?」

 目の前の光景に素直な感想を漏らす光秋に、“自身”のその手の経験が乏しい綾は首を傾げる。

「僕の中の『神社』っていうのが、家の近くの山の中にある鳥居と本殿だけみたいなのや、鳥居から本殿まで一本道が真っ直ぐ延びてる様なのだからな。こういう広々したものを見るとギャップがさ……もっとも、系統が違うのかもしれんが。日本の『神様』はややこしいんだよ」

「ふーん……?」

「……とりあえずその話はまたの機会にして、まずはお参りしてこよう」

「うん」

 光秋の提案に綾が頷くと、2人は左前に佇む本殿へ向かう。

 白壁に朱色の柱が特徴的な本殿、その正面中央に設けられた巨大な賽銭箱の前に延びる行列に並ぶと、光秋はズボンのポケットから財布を取り出し、そこから出した2枚の十円玉の一方を綾に渡す。

「2回お辞儀して、2回手を叩く。願い事があればこの時にする。最後にもう1回お辞儀。この間気になって調べたらそうだって」

「ややこしいね」

「そういうもんらしい。あんまり拘ることもないみたいだけどな」

 綾の感想に返している間に順番が回ってくると、光秋は自分の分の小銭を賽銭箱に投げ入れ、綾も入れたのを見ると3つある内の一番左の鐘を鳴らす。説明通り二拝二柏手を行い、手を合わせながら横で綾が同じようにしているのを確認する。

 少しして手合わせを解くと、一礼して左腕に綾を伴いながら賽銭箱を離れる。

「アキはなにお願いしたの?」

「なにも。特にそういうのなかったし」

「えー?つまんないのー。あたしはさ――」

「ストップ」

 自分の願い事を言おうとする綾を、光秋は素早く遮る。

「こういうのは、話すと効果がなくなるっていわれてるんだよ」

「……そういえば、法子にもそんなこと言ってたね」

「……まぁな」

 不意に出てきた法子の名前に、2人の間にやや重い沈黙が横たわる。

 と、それを払う様に綾がなにかを思い付いた顔をする。

「あ……“話さ”なきゃいいんだよね?」

「?」

 突然の問いに光秋が首を傾げていると、頭の中に声が響いてくる。

―あたしのお願いはね、アキが無事に戻ってきてくれることだよ―

「……お前ねぇ……」

「“話して”はいないもん!」

 しょうもないことにテレパシーを用いたことに光秋は呆れるものの、綾はそんなことは気にせず堂々と胸を張る。

「……まぁいい。お参りも済んだし、少し回るか」

「うん……あ、そうだ。あたし行きたい所あったんだ」

「何処?」

「こっち」

 言うや綾は光秋を引いて来た道を引き返そうとするが、絶える様子のない賽銭の行列にすぐに振り返り、舞殿を時計回りに迂回して2つ目の門の近くへ向かう。

 少し前で立ち止まった綾の視線を追うと、光秋は石造りの鳥居と、その奥の小じんまりした社を目にする。

「『縁結びの神』?……そういうことか」

「そう。大国主社(おおくにぬししゃ)っていうんだよ」

 右横の看板を読んで光秋は綾の意図を察し、綾は応じながら光秋を連れて鳥居をくぐって社の前に立つ。

「……ここは賽銭箱なさそうだな……とりあえず手ぇ合わせていくか」

「うん」

 光秋の提案に頷くと、綾は本殿の時と同じ要領で二拝二柏手一拝を行い、光秋も手を合わせて頭を下げる。

―……流れでこんな所にお参りしてしまったが……法子さんに悪かったかな?―

 思いつつ、光秋は横目で合掌中の綾を見る。

 光秋の意識としては、単純に綾の行きたい所に付き合って行っているだけなのだが、縁結びの神社に参拝しているという現状だけを見ると、どうしても他意があるように見えてしまって軽い罪悪感を覚えてしまう。

 そうして悶々としている間に、綾は手を解いて一礼し、光秋もそれに続いて振り返ると、綾が看板の前に設置されている人と兎の石造を指さす。

「そういえばさ、あの像なんだろう?」

「えーっと……『大国さまと白うさぎ』?……あぁ、あの話か」

 台座に書かれている字と兎の像、大国主社という名前から、光秋はある話を思い出す。

「大昔、大国主っていう神様がいて、海辺を歩いてたら皮を剥がされた兎を見付けたんだよ。で、事情を訊いてどうしたらよくなるかを教えてあげたって……確かそんな話だったかな?僕もうろ覚えだからなぁ……」

「ふーん?……それを表した像ってこと?」

「そういうことなんだろう」

 我ながら頼りない説明を述べながら、光秋は綾を連れて八坂神社の境内に戻り、他の観光客に混ざってしばらく周囲を歩いて回る。といっても、殆ど綾に引っ張られるままについていくだけだが。

 本殿の右脇に延びる通路を抜けて裏に回り込み、鬱蒼と茂る樹々の間を歩いていくと、入ってきた西楼門の前に戻ってくる。

「あぁ、一周したんだな……どうする?ここから出る?」

「うんうん。もう一つ見ておきたい所があるの」

 言うと綾は光秋を引き、入った時は気付かなかった樹々の中に佇む石鳥居、その中に建つ朱色の社の前に歩み寄る。

疫神社(えきじんじゃ)っていって、病気の神様がいるんだって」

「『エキジンジャ』?……あぁ、『疫病』の『疫』か。なるほどな」

 聞き慣れない単語に首を傾げていると、綾から伝わってきた「疫」のイメージに、光秋は手を打って合点する。

「東京行ってる間、アキが元気でいられるようにと思って」

「なるほどな……ここも賽銭箱はなしか……じゃあさっきと同じ、手だけ合わせていくか」

「うん」

 応じると綾は手を合わせ、光秋もそれに倣う。

 ややあって合掌を解いて一礼すると、2人は並んで鳥居を出る。

「どうする?元の場所に戻ってきたけど……そこから出るか?」

「うんうん。どうせならこっちから出よう」

 西楼門を見やる光秋に首を横に振ると、綾は左腕を引いて境内へ向かう。

「あっちから出よう。南楼門(みなみろうもん)っていうの」

「南もあるのか……」

 言いながら綾は右側に佇む朱色の門を指さし、率直な感想を漏らした光秋を伴ってそこをくぐる。

 敷地を出て少し歩いた先に建つ石造りの鳥居を抜けると、光秋は一度足を止めて後ろを振り返る。

「鳥居がここにあるってことは……こっちが正面だったのか……」

「え?西楼門から入るんじゃないの?」

「神社は基本的に鳥居がある方から入るもんなんだよ。西門の存在感に僕も忘れてたが……こりゃ迂闊だった」

綾に応じながら右手を頭に当てると、光秋は大通りに出て右に曲がり、西楼門前に――四条通と東大路通というそれぞれ片側2車線の大動脈がぶつかる広いT字路に向かう。

「さて、元の場所に戻ってきたわけだが……もうすぐ11時か。これからどうする?」

 左手首の腕時計を確認しながら、光秋は綾を見やる。

「僕はこの辺の商店街を回ってみたいんだが、綾はどうする?法子さんも」

「あたしもそれでいいよ。法子もいいって」

「じゃあ、テキトーにぶらつくか」

 綾の返答を得ると、光秋は手の繋がりを確認し、信号が青に変わるや目の前の横断歩道を渡る。

広いT字路を横切って西楼門から見て右側の歩道に渡ると、目の前の土産物屋が目に入る。

「ちょっと入ってみるか?食べ物もあるみたいだし」

「うん」

 頷く綾を左に伴って、光秋は一枚ガラスのドアを開けて店内に入る。

 簪に扇子、手拭、箸など、いかにも京都らしいデザインの品々が並ぶ中、ひと際存在感を放っているのが菓子類だ。

「やっぱり京都というか、八ツ橋が目立つな」

「京都のご当地お菓子なんでしょ?」

「あぁ。中学の修学旅行で買っていったっけ……」

 綾に応じつつ、光秋はその頃に思いを馳せる。

 そうすると、無性に八ツ橋が食べたくなってくる。

「せっかくだし、1つ買っていくか。()()()()()初めてだろう?」

「うん。法子が何度か食べたことあるから知ってはいるけど……美味しそうだしね。どれにしよっか」

 綾が応じると、2人は大小色とりどりの箱の中から、一通りの味を収めた一番小さい物を選んでレジに持っていく。

 光秋が袋を受け取ると2人は店を出て、アーケード付きの四条通の歩道に繰り出す。

「適当な所で座る場所見付けて食べよう。早く食べないと悪くなるしな」

「うん」

 右手の袋を示しながら言う光秋に綾が頷くと、互いに場所探しも兼ねて辺りを見回す。

「なんていうか、いかにも観光地だな。土産物屋が目に付く」

「大きなビルもたくさんあるよ」

 そうして感想を言い合いながらキョロキョロしている様子は、あからさまな田舎者といったところか。

 その時、

「!?」

行き過ぎようとしていた路地から人が飛び出してくるのを見て、光秋は咄嗟に綾を後ろに隠す様にして後退る。

―……いや、今のは飛び出したというより……―

 目の前の路面で仰向けに倒れている若い男――明らかに染めた金髪と、多数付けた金色のピアスやブレスレットなどのアクセサリーが相まって派手な印象を抱かせる――が後ろ向きに吹き飛ぶ様に倒れてきたのを思い出していると、男は怒りの形相を浮かべて立ち上がり、

「テメェ、超能力者が!調子に乗ってんじゃねぇぞぉ!」

路地に向かって怒声を飛ばしながら駆け出していく。

「超能力者?」

 男の発言に首を傾げつつ、光秋も周囲の野次馬に漏れず路地の先を見やる。

 店と店の間、車2台がすれ違えるくらいの幅がある単なる「通り道」といっていいそこでは、メガネを掛けた細身の男が派手な男に詰め寄られ、その後ろでは長い黒髪の若い女がその様子を困った様に眺め、周囲に助けを求める視線を寄こしている。

「ケンカか……」―正直面倒だが、立場上そういうわけにもいかないし……メガネの人は超能力者っぽいしな―「ちょっと行ってくる。ここで待ってて」

 そう言って綾に八ツ橋の袋を預けると、光秋は常に携帯しているESOの手帳をズボンのポケットに確認しながら3人の許に速足で向かう。

 距離を詰めてよく見ると、殴り掛かろうとしている派手な男をメガネの男が念で押さえ付けているのがわかる。

「テメェ!念力なんて卑怯だろぉ!」

「突き飛ばしたのは悪かったです……でも、あなたがこの人にしつこいから……」

「どうかしましたか?」

 興奮気味の派手と狼狽しているメガネの口論に負けない声で呼び掛けると、光秋は2人の間に割って入る。

「何だよあんた!?」

「こういう者です。とりあえず、一度念力解いてください」

「は、はぁ……」

 噛み付く派手にESOの手帳を示しつつ指示を出し、メガネがそれに渋々従って念から派手を開放する。

「!……コノォ!」

「待って!待って!」

 途端に手を上げようとする派手の前に立ちはだかって抑えつつ、光秋は双方に問う。

「一旦落ち着いて、まず何があったのか話してください。まずはそう……あなた、金髪のあなたから」

「何がって、そこの女に話し掛けてたら、そのメガネが突然念力で突き飛ばしてきたんだよ!」

 応じつつ、派手は光秋の背後のメガネと女を睨む。

「突然も何も、この人が嫌がってたから……注意してもやめないから、その……つい……」

 対するメガネも、派手に非難の目を向けつつ女を指さして反論するが、自分のしたことに後ろめたい思いがあるのか、あまり強く主張しない。

「なるほど。つまり、あなたが女の人に話し掛けてたんだけど、女の人は迷惑そうにしていた。そこにメガネの方がやって来て注意したんだけど聞かず、メガネの方はかっとなってつい念力を使ってしまった、と?そこの女の方もそれで間違いないですか?」

「……はい」

「……そうです」

 2人の主張をまとめて確認する光秋に、メガネと女は小さく頷く。

「そういうことなら、お互い非があったってことでこの場は治めましょうよ。無理強いした金髪の方も悪かったけど、暴力に訴えてしまったメガネの方も悪かった、両成敗ということで」

「いや、ちょっと待てよ」

 2人の顔を交互に見ながら言う光秋に、派手が不満そうに眉を寄せる。

「俺はただ話し掛けただけなんだぜ。それで突き飛ばされてケガしそうになって、それでこのメガネは何もなしって、そんな話が通るのかよ!」

「いやでも、それはあなたにも非があったわけですし、突き飛ばしたことに関してはこの人も悪いと思ってるわけですから」

「悪いと思っただけで済めば警察もESOもいらねぇだろうが!こいつは超能力で善良な一般市民を攻撃しいたんだぜ。この間迎賓館襲ったナントカってテロリストみてぇによ!そんな連中野放しにしてていいのかよ。え?ESOの人!」

―なんとも話が飛ぶなぁ……興奮状態なら仕方ないか?―

 飛躍した理屈を唾を飛ばす勢いで述べる派手に内心面倒臭いと思いながらも、光秋はESO職員の義務感から根気よく話し合いと続けようとする。

 しかし、

「ちょっと待った」

それまで派手から距離を取ろうとしていたメガネが、突然目を鋭くして詰め寄ってくる。

「流石にテロリスト呼ばわりはないでしょう!こっちはただ注意しただけなのに。そもそもはそれを聞き入れなかったあなたが悪いんじゃないか!だいたい、あなたのいうZCの所為でこっちだって迷惑してるんだ!あぁいう連中が超能力者ってことを前面に押し出して暴れるもんだから、ぼくみたいに関係ない人間まで超能力者ってだけで警戒されて。そもそもあなたの反超能力者発言、それこそテロリストのNP寄りなんじゃないのか?」

「何だとテメェ!」

「ちょっと!ストップッ!」

 メガネの反論に派手は激昂して右拳を上げ、光秋は体全体でどうにかそれを押し止める。

 その時、

「やめなさい!」

「「!?」」

鋭い声が路地に響き渡り、一瞬硬直した派手とメガネが表通りの方を見やると、一同の許に1人の警官が駆け寄ってくる。

―そういや、八坂神社のそばに交番があったな。誰かが通報したのか?-

 ここまで来る途中に道路を挟んだ向かい側に1件あったことを思い出しつつ、派手がとりあえず大人しくなったのを確認した光秋は、再び手帳を示して警官に歩み寄る。

「ESOの加藤二曹です」

「京都府警の涼宮巡査長です」

 中年くらいの警官が応じると、光秋は現状を手短に説明する。

「……なるほど。とりあえずこの人の言う通り、ここは両成敗ってことでお開きにしましょうよ。幸いケガ人も出てませんしね。もっとも、まだ続けたいと言うなら、然るべき所でやってもらいますが?」

「い、いや……」

「もう結構です……」

 やんわりと、それでいて有無を言わせない中年警官の仲裁にそれぞれ応じると、派手は表通りへ、メガネは路地の奥へ心なしか速足で向かい、隅で狼狽していた女もほっとした様子で一礼して路地の奥へ歩き出す。

 3人の姿が見えなくなると、光秋は深々と頭を下げる。

「どうもありがとうございました」

「いいえ。わたしらはこれが仕事ですから……ただね、二曹」

「はい?」

「非番中だったとはいえ、あなたもESOなんだから、これくらいの揉めごと、一人で抑えられなきゃダメですよ」

「……はい……」

「それでは」

 耳に痛いことを言われて消沈する光秋に応じると、中年警官は表通りに停めてある自転車に跨って八坂神社の方向へ走っていく。

―確かになぁ……まぁ、沈んでる理由はもう1つあるのだが……―

 中年警官の指摘に嘆息を漏らす一方、先程の派手とメガネのやり取りを思い出しながら、光秋は表通りで待っている綾の許へ向かう。

「すまん。待たせた」

「うん……」

 応じると、綾は浮かない顔を俯ける。

「……どうした?」

「……アキが困ってる時、あたし何もできなかった……ケンカ止めるの手伝わなきゃって思っても、足が竦んじゃって……法子が代わるように言ってた気がするけど、その時は上手く聞こえなくて……通報するようにっていうのは聞こえたけど……」

「あぁ。さっきのお巡りさん呼んでくれたのお前さんか。それだけでも充分助かったよ。ありがとう」

「うん……」

 礼を言う光秋に応じるものの、綾の表情は優れない。

「あんま気にすんな。お前さんがあぁいうの苦手なこと、知ってるからさ。過ぎたことを悔やんでも仕方ないよ……それより、早く適当な場所見付けて八ツ橋食べよう」

「うん……」

 言いながら光秋は八ツ橋の袋を持ち直し、未だ引き摺っている様子の綾を左手で引いて見物を再開する。

―もっとも、僕もお巡りさんの注意気にしてるんだけどな……それより―

 気分を変えることも兼ねて、光秋は先程の口論の一部を思い出す。

―巷のケンカレベルでさえNPやZCの名前が出るなんて。この間の事件の影響は思った以上に強いようだな……あんなふうに“壁”を造り合う言動こそ、こういう事態を一層悪化させるかもしれないのに…………と、偉そうなことをいいつつ、そうなるきっかけたる事件を防げなかった僕たちESOや警察にも責任はあるんだが…………―

 

 俯き加減で歩き続けていると、2人は幅広の橋の許に差し掛かる。

「……川か」

「鴨川だね」

 仲裁の件の反省以降ぼんやりしていた光秋が辺りを見回すと、綾が知った様子で応じる。

「……この下は歩けるのか」

 橋の手前で立ち止まって下を見下ろすと、光秋はそこに寮近くの川の様な河川敷を認める。

「せっかくだし、こっち行ってみるか?そこでベンチかなにか見付けてさ、川見ながら八ツ橋食べよう」

「いいね。行こ」

 河川敷を眺めていて浮かんだ案に綾が応じると、2人は右の脇道に逸れて坂を下り、左手に鴨川を眺めながら上流側へ向かって歩みを再開する。

 少し進んだ所にベンチを見付けると、2人は並んで腰を下ろし、光秋は袋から出した八ツ橋の箱を開いて2人の間に置く。

「綾から先選びな。好きなのどうぞ」

「それじゃあ……まずこれかな」

 勧める光秋に応じると、綾はあんこ味、抹茶味、チョコレート味がそれぞれ2個ずつ入っている中からあんこ味を選び、それを見た光秋もチョコレート味を手に取る。

「じゃあ、いただきます」

「いただきます」

 光秋に続いて言うと、綾は手に取った八ツ橋を一口かじる。

「うん!甘くて美味しぃ!」

「こっちも。チョコもなかなかいけるな。ところで、それこしあん?」

「こしあん?」

 自分の分を食べ切って問う光秋に、綾は言葉の意味がわからず訊き返す。

「あんこの原材料、つまり小豆の形が残ってないあんのことだよ。ちなみに、残ってるのは粒あんな」

「……残ってないけど」

「じゃあこしあんだ。そっちの方が好みなんだよ」

 さらに一口かじって中身を確認する綾に応じると、光秋は笑みを浮かべてあんこ味に手を伸ばす。

 と、

「あ、待って!」

「?」

突然の綾の制止に反射的に手を止めると、綾は八ツ橋の残りを食べ切り、光秋が手を付けようとしていたあんこ味を取って、

「はい、あーん!」

言いながら、左手を手皿にして差し出してくる。

「……お前さん、またそんな……」

「いいじゃん。あーん!」

「……あ」

 呆れながらも大人しく口を開け、八ツ橋を入れてもらうと、光秋は一口で口に含み切ったそれを咀嚼する。

「……うん。チョコもいいが、典型的なあんこもなかなか」

「じゃあ次は」

「……りょーかい。どっちがいい?」

 もの欲しそうな目を向ける綾の意図を理解すると、光秋は八ツ橋に手を伸ばす。

「チョコ」

「ん」

 返答を聞くとチョコ味を手に取り、行き過ぎる周りの人たちの視線を若干意識しながら、光秋は腹を決めてそれを差し出す。

「はい、あーん……」

「……うん!美味しいね!」

 一口に食べ切り、咀嚼すると、綾は顔一杯に笑みを浮かべる。

 単純に八ツ橋の味だけを言ったわけではないだろうと思いつつ、光秋は残り2つになった箱の中身を見る。

「あとは抹茶味が2つか……」

 言いながら、その内の1つに手を伸ばす。

「ちょっと待って」

「?」

「最後は食べさせ合いっこしよ」

「……そうくるか」

 綾の提案に呆れ顔をさらに濃くし、しかしどこか納得もしながら、光秋は返事代わりに途中で止めていた手で八ツ橋を取る。

 綾も最後の1つを取ったのを見ると、これが最後と割り切って声を合わせて差し出し合う。

「はい、あーん……」「はい、あーん!」

 光秋は普段と変わらず、綾は嬉々として言いながら、互いの口に八ツ橋を入れ合う。

「……うん!これも美味しい!」

「……まぁな。抹茶風味ってなんか美味いよな」

「だから、そういうことじゃないんだけどなぁ……」

 よく味わった上で率直な感想を漏らす光秋に、綾は不満そうな顔を浮かべる。

 

 食べ終わった箱を袋に片付けてしばらく、2人は特になにをするわけでもなく、周囲の景色――目の前を流れる川、河川敷を疎らに行き交う人々、土手の上を走る車――を呆然と感じる。

「…………そういえば、夏もこんなふうに河川敷でぼーっとしてたよな」

 川を眺めて呟きながら、光秋はその時のことを思い出す。

「あの後だよな、NPの蜂起事件があったの。そこで綾がニコイチのこと知って、ちょっと動揺して……」

「あの時は……ごめん」

 入室拒否したことに罪悪感を覚えたのか、綾は顔を俯ける。

「いや、ちゃんと説明しなかった僕も悪いんだし……そもそもそれはもういいんだよ……で、その後陸軍に追われて、お前さんが眠っちゃって、合同演習でツァーングと戦ってる時にちょっとだけ出てきてくれて、それからいくらも経たずに黒球さんが来て、ナイガーと戦って、またお前さんが出てきてくれて……秋田での戦いでも助けられた気がするしな」

「?……黒い人型の時は、あたしなにもしてなかったと思うよ。そもそも今みたいにちゃんと起きてたわけじゃないし」

「いや、坂本さんの乗ったヘリを捕まえる時、いい具合に頭を冷やしてくれた気がしてさ」

「?」

 身に覚えのないことに綾は首を傾げるが、光秋はかわまず続ける。

「その後法子さんの家に行って、そこでお前さんがちゃんと起きて、今みたいに話せるようになって、その後この間の襲撃事件、僕の転属騒動、さっきのケンカに今さっきの八ツ橋の食べさせ合いっこ……半年にも満たない間にいろいろあったというか……波瀾万丈ってやつかね」

 思い出一つ一つが脳裏を過り、その内容のあまりの多様さに、感慨深く呟く。

「……来週には行っちゃうんだよね。東京……」

「……あぁ」

 一度は上がった顔を再び俯けながら呟く綾に、光秋は小さく返す。

「……あたしと法子のことを考えるって言った矢先にこれだ」

「それは、不可抗力とはいえすまないと思ってる。僕自身、奥さんとの約束を果たせなくなるのは気分がいいもんじゃない。でも、ESOの職員として暮らしてる以上、さっきのケンカの仲裁と同じ様に、指示には従わなければならない…………」―結局はパターンしか言えず、か……―

 もっと違うことが言いたいはずなのに、結局は当たり前のことしか言えない自分に、光秋は憤りを覚える。

 と、俯きから立ち直った綾が、なにか思い出した様な顔をする。

「東京っていえばさ……この間の事件でアキが助けたあの人もいるんだよね?」

「涼子様?あぁ、いるんじゃないか?」―”さる御方”って言ってたし、やっぱり東京に家があるのかな?―

 応じつつ、多少の憶測を交えながら、光秋はパーティーで会った黒い長髪美女を思い出す。

―ホント美人だったよなぁ。アジアンビューティーっていうのか……―「あの、痛いです綾さん……」

 迎賓館裏で初めて会った時の物静かな美しさを思い浮かべていると、綾に念力で髪を引っ張られる。

「光秋、またあの人のこと考えてたでしょ」

「……まぁ、ちょっと」

隠しても無駄だと思って正直に答えると、綾は頬を膨らませてそっぽを向く。

 が、それも束の間。すぐに表情を陰らせる。

「……東京行ったら、あの人と会う機会増えるでしょ……光秋が言うみたいに、あの人綺麗だったし……」

「いや、それはない」

「?」

 すぐに否定を返す光秋に、綾はついさっき聞こえてきた思惟とは違う発言に思わず顔を向ける。

「今『美人だ』って思ってたでしょ?」

「いや、それはそうだけど……会う機会が増えるってことはないって言ったんだよ。見たとこ僕と大して歳変わらなかったし、さる立場ならたぶん大学通いだろう。それに対して僕は本部で仕事。そもそもあぁいう人がESOにしょっちゅう用があるなんてないし、会ったとしてもパーティーの時みたいに遠くから警護するくらいだよ。襲撃の時の距離感がおかしかったんだ」

「……そうなのかな?」

「だろうと思うよ……お前さんが何を不安がってるかは察しがつくが……少なくとも、僕の方から目移りすることはないよ。お前さんと法子さんの問題を解決しない限り、進むも退くもできないんだ」

 半分は自分に言い聞かせる様に告げながら、光秋は綾の目をしっかりと見据える。

「……そっか……そうだよねぇ……それならいいや」

 その様子に安心したのか、昔話を始めて以降どこか暗かった綾の顔に、ようやく微笑みが浮かぶ。

 それを見て光秋も安堵すると、左手首の腕時計を確認する。

「12時か。ちょうどいい。昼にするか……て、流石に何処も混んでるかな?のんびりしすぎたか?……まぁいいや。綾は何処に行きたい?なにか食べたい物あるか?」

「えっ……と……ね……?……」

「綾?……法子さん?何か?」

 綾が応じようとしている途中に交代した法子に、光秋はなにごとか問う。

「別に。昨日私と交代したのが今頃だったから、そろそろ代わってって」

「あぁ」

 簡潔に応える法子に、光秋は納得して頷く。

「でもいいんですか?なんか中途半端なタイミングだったけど」

「私たちには私たちの取り決めがあるの。気にしないで」

「……そういうもんですか」

「そういうもんです」

 あっさり答えながら、法子は左手首に巻いていたシュシュで髪を1本に束ねる。服装は変わらないのに、それだけで途端に“法子らしく”なる。

「それより、お昼食べに行くんでしょ」

「えぇ。何処か行きたいとこあります?」

「鴨川のそばはいろいろ並んでるからね。ちょっと歩いて見てみよ」

「わかりました」

 応じると、光秋は袋片手に立ち上がり、左隣に法子を伴って土手の上に続いている最寄りの坂へ向かう。

 と、歩き始めてすぐに、法子は光秋の左手を右手で握ってくる。それだけなら昨日の移動と同じなのだが、

「……あの、法子さん?」

互いの指を絡める様な握り方に、光秋は少し戸惑ってしまう。

「なに?これくらいどうってことないでしょ。綾は腕に抱き着いてるんだよ?」

「そうですけど……なんと言うか……普段の法子さんだと考えられないというか、大胆というか……」

「私だってこういう手の繋ぎ方くらいするよ。綾とイチャイチャしてるの見てて妬けちゃったのもあるしね」

「はぁ……」

 顔は穏やかだが何故か険を感じさせる法子に、光秋は若干押され気味に応じる。


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