白い犬   作:一条 秋

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65 新年祝賀パーティー

 1月3日月曜日早朝。

 携帯電話のアラーム音に起こされた光秋は、ほぼ同時に起きた藤原三佐たちと身支度を整え、部屋を出て法子と合流すると朝食を摂りに食堂へ向かう。

 いずれも警護へ向かう人たちだろうか、8割程埋まっている席で掻き込む様に食事を済ませると、一行は事前に連絡があったワゴン車に乗り込み、小田の運転でパーティ会場へ向かう。

―いよいよ来ちゃったねぇ……何も起こらないといいが……-

 緊張から冴えた頭で淡い期待を抱きながら、光秋は竹田、法子と共に後ろに積まれている装備品の点検を行う。

 迎賓館から少し離れた場所に設けられた検問に差し掛かり、小田が身分証明を見せて通る。

 それから少し走ると目的地――赤坂迎賓館に着き、西門から入った車は、現在警備本部となっている赤坂署の近くで停まる。

―着いたか……今何時だ?―

 停車の感覚に手を休めると、光秋は左手首の腕時計を見る。

―9時か……―「三佐、パーティーの開始って何時でしたっけ?」

「10時からだ。終わりは2時だな」

「ありがとうございます」―あと1時間か……―

 藤原に礼を言いながら、光秋は生唾を飲む。

 

 午前10時。

 装備品一式――防弾ベストと各部防具、拳銃――を身に着けた光秋は、藤原隊の待機室代わりになっているワゴン車の中からおぼろげに聞こえてくる開会式の宣言に耳を傾ける。

「いよいよ始まりましたね……」

「だね……」

 左隣に座る同じく装備品一式に身を固めた法子に呟くと、各装備を再度点検し、内ポケットのカプセルと右腰の拳銃に意識を向ける。

―拳銃も一応練習してるんだが、相変わらず的をかすればいい方なんだよな……やっぱ僕の最後の手段は、ニコイチか―

 と、助手席に座っている藤原が顔を向けてくる。

「せっかくだ。パーティーの様子を見てきてもいいぞ」

「え?……いいんですか?待機してなくて」

 予想外の申し出に、光秋は面食らって思わず訊き返す。

「ずっと狭い車内にいても仕方ないだろう。気分転換にちょっと見てきてもいいぞ。もしもの時は連絡する」

「あ……はぁ……」

 光秋の左耳を指さして言う藤原に、光秋はそこに着けてあるニコイチの通信機を意識しつつ、尚も迷いを含んだ返事をする。

「でも……」

「少し硬くなり過ぎている。それではいざという時柔軟に対処できん。リラックスも仕事の内と思って行ってこい」

「!」

 薄々自覚していたことを指摘されて、思わずハッとする。

「……でも、この格好で大丈夫ですか?」

「あくまでも遠くから眺めるだけだ。和やかな光景を見て()()()緊張をほぐしてこい」

「……わかりました」

 光秋自身、本音を言えばパーティーには興味があったので、最後に残った懸案を解決すると車を降り、心なしか弾んだ歩調で正門側へ向かう。

 太い道に沿って少し歩くと、装備品で身を固めたESO一般部隊や警察の人垣が見えてくる。

 その許に近づき、邪魔にならないくらいの距離をとって背伸びすると、人垣越しに大勢の人を見る。

 緑色の屋根と白を基調した洋風2階建ての造りに、2体の日本甲冑を(かたど)った屋根飾りが特徴の迎賓館、その正面に広がる主庭には晴天が降り注ぎ、会食用に並べられたテーブルの合間を燕尾服やドレス――気温があまり上がらないのでなにかしらを羽織っているが――といった豪勢な衣服を纏った人々が行き交い、ときに談笑している。そうした場所から少し離れた所には報道陣が詰め寄せ、無数のカメラやマイクが向けられて散発的にフラッシュが光る。

―ニュースや映画で観る光景そのままだな。流石に真っ只中にいるのは場違いといか、気圧されそうだけど、このくらいの距離間ならなかなか面白そうだ―

 前方に広がる光景に、光秋は圧倒されながらも飽きることなく視線を向け続ける。

「すっごいねこれ。各界や各州の大物が勢揃いだよ」

「そうですね……て、えぇ!?」

 唐突に掛けられた声に慌てて顔を向けると、左隣に法子が立っていることに気付く。あまりに自然だったので、反応が一瞬遅れてしまった。

「法子さん?なんで……」

「私も見にきたの。車の中にいても退屈だしね。パーティーにも興味あったし」

「……僕と同じですね」

法子の返答に感想を返すと、光秋は改めてパーティーに視線を向ける。

 と、

「……あれ?ホウちゃん!コウちゃん!」

「!……ハルちゃん!」

「日高さん?」

突然の呼び掛けに顔を廻らせると、2人は人垣の向こうから速足で近づいてくる日高を見つける。

 途中で人垣――警備の人たちに止められるものの、歩み寄った法子が知り合いだと説明して道を開けてもらう。

「すっごい偶然!どうしたの?」

「まさか、日高さんもパーティに?」

 周囲のESO職員や警官たちが場違いさに眉を寄せるくらい嬉しそうに問う法子に続く形で、光秋はすぐに浮かんだことを述べる。

「違う違う。仕事。パーティーで出される料理の取材にね」

 言いながら、日高は首から提げているカメラを抱えて示す。

 よく見れば着ている服は正装用ではなくビジネス向けの黒いスーツであり、動き易さを重視してか下はズボンだ。

「だいたい、いくら実家がアレだからって、こんな盛大な場所に呼ばれるような身分じゃないよ。親戚にはそんな人も少しはいるみたいだけどね」

「……あぁ、まぁ……そうですね……」―にしてもなぁ……―

 日高の返事に一応の納得を返しながらも、先日訪れた日高家の様子と、目の前の日高本人の雰囲気に、光秋は万が一というものを捨て切れない。

 ビジネススーツでさえ、日高が着れば周囲の客人たちに負けない気品を醸し出すのだから、やはりその手の素質があるのだろう。

「で、そっちは?見たとこ仕事中みたいだけど」

「パーティーの警護。て言っても予備だけどね」

「あ、なるほど」

「ん、んんっ!」

 日高の質問に法子が答えていると、傍らの男性警官が咳払いをしつつ視線を向けてくる。

「……じゃあ、そろそろ行くね」

「……それがいいね」

 その視線の意図を察した日高に法子が応じると、日高は後退る様に人垣から離れていく。

「2人が警護にいるなら心強いよ。わたしも自分の仕事に集中できる。じゃ、そっちも頑張ってね!」

「ありがとうございます」

「そっちもね」

 本音とも社交辞令とも取れることを言ってパーティーに戻る日高の背に、光秋と法子はそれぞれ返事を送る。

「……私たちもそろそろ戻ろうか」

「ですね。それがいい」

 周りの視線に痛みを感じながら応じると、光秋は法子と共にワゴン車へ戻る。

「……やっぱり僕、もう少しその辺歩いてきます。パーティーや警備の邪魔にならない範囲で」

「わかった。なんかあれば連絡するね」

「お願いします」

 ワゴン車に着く手前で法子に言い置くと、光秋は赤坂署の前を通り過ぎ、迎賓館を右に迂回する形で庭の反対側へ向かう。

―……東京のど真ん中だっていうのに、凄い数の木だなぁ……―「向こうなんて最早“森”だな」

 道の両側と正面の先に生い茂る木々に圧倒されながら、一人感想を呟く。

―……そういえば、この中でもパーティー開かれてるんだよなぁ。外よりすごいのかな?―

 左側に佇む迎賓館、その中の様子に思いを馳せながら、主庭の反対側の広間に出る。

―こっちは静かだな―

 主庭と違ってこれといった飾り気がない、比較的殺風景な広間に意外な印象を受ける。警備も数人配置されているのだが、主庭側とは対照的に一定間隔に離れて周囲を巡回しているだけのようだ。来賓に至っては1人もいない。

―いや、あれは……―

 そう思った矢先、光秋は迎賓館の端に佇む人影を見付ける。少し距離があるためにここからはよくわからないが、青いドレスを着た女性だ。肌の露出こそ控えめだが、コートの類は着けていないようだ。

―ちょっと抜けて休憩か?でも、今日天気はいいが気温低めだしな……寒くないかな?―

 そう思う間にも、光秋は相手の許へ歩み寄っていく。

 少し歩いて距離を詰めると、相手の女性に呼び掛ける。

「あの、すみませーん」

「…………はい?」

 やや周囲を見回して光秋に気付くと、女性は首を傾げる。

―思ったより若いな。僕と大して変わらないんじゃ……?―

 それが女性に対する光秋の第一印象だ。このような催しに参加している以上、どんなに若くても30代前後を想像していたのだが、目の前の女性は20代前半、否、二十歳(はたち)にも達していないように見える。

 160センチ程の細身の体型に真っ直ぐに伸びた黒髪、目立った染みのない白い肌と、青一色の装飾が控えめなドレス――ローブ・モンタントというらしいが、光秋にそんな衣服の知識はない――と合わさって、日系的美女を体現した様な清楚な美しさを備えている。

―……また綺麗な人だなぁ……法子さんみたいな活発そうな美しさもいいが、こういう静かな美しさもまた…………―

「あの、どうかされましたか?」

「!」

 女性に呼び掛けられて、束の間見惚れていた光秋は現実に戻される。その呼び掛けさえも、どこか高貴な印象を抱かせる。

―若そう……本当に若いんだとしても、こんな所にいる以上それなりの立場ってことか……と、いかんいかん―「あ、すみません……そこ寒くありませんか?なにか羽織る物は?」

 再び何処かへ行きそうな意識を引き留めると、見掛けた時から気になっていることを問う。

「あぁ、大丈夫ですよ。館内が暑かったので、ちょっと涼みに来ただけですから」

「それならいいのですが。今日は気温が低いようなので気を付けてください。失礼しました」

「お気遣いありがとうございます」

 女性が笑顔で頭を下げると、光秋は一礼してワゴン車へ戻る。

―お礼の笑顔一つとっても品があるなぁ。曽我さんの猫被りとはまた違って……やっぱり、それなりの人なのかな?―

 来た道を戻りながら、さっきの柔らかな笑顔を思い出す。

 しばらく歩くと、

「…………?」

前方に小柄な人影が佇んでいるのが目に入り、光秋は距離を詰めながら目を凝らして観察する。

 と、

「…………あ!あんた……」

「柏崎さん?」

足音に気付いてこちらに顔を向けた人影――先日のサン教ベース制圧作戦の際に会った東京本部所属の特エス・柏崎桜に、光秋は意表を突かれる。

 その許まで速足で歩み寄って改めて確認するが、やはり柏崎だ。短い赤毛が特徴的な顔は、今日もどこか不機嫌そうに歪んでいる。

「この前以来ですね……今日も仕事?」

「他に何があるんだよ」

 先日の作戦の際に垣間見た彼女の事情を思い出して遠慮がちに訊くと、案の定仏頂面の回答が返ってくる。

「……そういうそっちは?」

「仕事。パーティーの警護。ただし予備だけどね」

「じゃあ、アタシと丸っきし同じじゃん」

「そうなのか?……まぁ、サン教の一件の後だしな」

 柏崎に応じつつ、光秋は藤原が初めて警備の連絡をしてきた時のことを――特に口外にDDシリーズへの警戒も含めていたことを――思い出す。

―使えるものは何でも使う、か……理屈はわかるが、こんな年頃の子をこうも立て続けにな…………―

 強力な超能力者を控えさせておく必要性を理解しながらも、10代になるかならないかの子供がクリスマスに家族と過ごす時間を奪われ、正月早々またも駆り出されていることに、漠然とした憤りを感じてしまう。

「……ところで、こんな所でなにしてたんだ?入間主任たちは?」

「別に。ちょっと外の空気吸いたくなって出てきただけだよ。みんななら赤坂署の待機室じゃない?その前で別れたから」

「その辺も僕と似たようなもんか」

「……そうなの?」

 光秋が漏らした感想に、柏崎は少しだけ感心を寄せる。

「こんなとこ滅多にこないからな。少し見物してきた。あとは、リラックスかな。どうも変な緊張をしてしまって」

「……大人のくせにそんなことあんの?」

「大人でもあるんだよ」―厳密には僕まだ未成年だけどね―「ただ、そろそろ戻ろうと思って。柏崎さんは?」

「…………アタシもそろそろ戻ろうかな。少し寒くなってきたし」

「そっか……」

 柏崎の応答に短く返すと、光秋はワゴン車への歩みを再開する。その後を柏崎がとぼとぼとついてくる。

 互いにそれ以上会話のないまま、しかし気まずさを感じるわけでもない雰囲気で赤坂署の前に差し掛かると、光秋は一旦足を止めて柏崎の方に振り返る。

「こんなことを言うのは、年上として情けないことかもしれないけど…………柏崎さんみたいな強力な超能力者が――味方がいてくれるとすごく心強く感じる。おかげでこっちの緊張もいくらかマシになったよ」

「アタシの念力が効かないロボットに乗ってる奴がよく言うよ……」

「あー……アレはちょっと特別というか……訳アリでね」

 口を尖らせて言われる柏崎の指摘に、光秋は苦笑いを浮かべて返す。

「訳アリねぇ……アタシの方こそ、オッサンに期待してんだからね」

「え?」

「!ちょっとだけだぞ!ほんっっっのちょっとだけ!突然現れた黒いロボット倒したような奴が同じ現場にいれば、アタシもちょっとは楽できるって思っただけだから!たったそれだけだからな!勘違いすんなよ!」

 自分の言ったことにハッとするや矢継ぎ早に言い切ると、柏崎は返事を待たずに署内へ駆け足で入っていく。

「期待か…………」―大人が子供に縋るのは少し考えなきゃいけないのかもしれないが、一応はお互いさまってことか―

 そう考えると先程感じた憤り、それによって重くなっていた気持ちが少しだけ軽くなる。

 それを表す様に、光秋は少しだけ軽くなった足取りでワゴン車への歩みを再開する。

 少し歩いてワゴン車が見える所までくると、こちらに気付いたのか、法子が車から降りて出迎えに来てくれる。

 が、

「……!?」

法子――否、綾から放出される険のある雰囲気に、光秋の緩みかけていた気持ちが否応なしに引き締まる。

「……あのー、綾……さん?なにか……?」

 思わず敬語になる。

「光秋、さっき女の人にデレデレしてたでしょ」

「女の人って……あ」

 古井戸の底の様な暗い目で睨み付けられ、毬栗(いがぐり)を投げ付ける様に棘のある問いを掛けられて、光秋は先程の青いドレスの女性を思い浮かべる。

「別にデレデレなんてしてないぞ。寒そうだったからちょっと声を掛けただけで……そもそもこの辺一帯はEジャマーが効いてるだろう。何でそんなこと知ってるんだ?テレパシーなんて……」

「それは知ってるし、実際使おうとしても靄みたいなのが掛かる感じがしてあんまりわかんないよ。でも、光秋のことはときどきわかる……うんうん、感じるんだよ。あ、今女の人にいい顔してるなって」

「……女の勘ってやつか?」

 綾の言い分に半ば呆れる一方、表現はともかく実際事実関係は合っていたので、綾の持つ不可思議な“力”に若干戦慄する。

「……とにかく、別にいい顔したとかそんなんじゃないよ。お前さんが心配するようなことは何もない」

「本当?」

 心なしか強い調子で否定する光秋に、綾は尚も探る様な視線を寄こす。

「僕の目を見ろ。それでも不安だって言うなら、そのことについて心を読めばいい。Eジャマーの影響下でも、この距離で集中すれば嘘かどうかくらいは判るだろう?」

 言いながら、光秋は左右の手で綾の両手を握り、2つの目で綾の両目をしっかりと見据える。

「…………わかった。じゃあ信じる」

「読まなくていいのか?」

「光秋が……アキがそこまで言うなら信じる」

「そうか?……そりゃよかった……」

 どうにか険な雰囲気を収めてくれた綾に、光秋はひとまず安堵する。

「じゃあ、車に戻ろう。そろそろさ」

「うん」

 綾の返事を聞くと、光秋は左手で綾の右手を掴んだまま先を行く。

―パーティーを垣間見れて、迎賓館も少し見物できて、柏崎さんに会って、綾に怒られて。短い時間にいろいろあったが…………結果的に緊張のほぐしと引き締め直しが程よくできたから……いっか―

 程よい均衡を取ることができた心持ちをそう断じると、光秋は車のドアを開け、綾の手を引いて乗り込む。


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