しばらく進むと、光秋、伊部、曽我の3人は先程作戦説明が行われた建物に入る。
「えーっと、休憩室みたいなとこは……」
呟きつつ、伊部は右の人さし指を伸ばして地図を探る。
「……ここみたいだね。行こ」
「はい」
応じると光秋は伊部の後を追い、曽我もそれに続く。
「そう言えば、さっき三佐から聞いたんだけど、一尉、ゴレタンの操作にだいぶ苦戦してるみたい」
「そうなんですか?」
思い出した様に言う伊部に、光秋は意外に思いながら返す。
「でも、一度やってたのに」
「そうなんだけどね……やっぱり時間が空くとダメみたい。特に腕の操作とか、前例ないしね」
「あぁ、そうか……確かに、今までの機械とは違いますからね」
「あのー、さっきから話の中心になってるそのゴレタンって?」
「あぁ、ここに来る途中にあった――」
話に加わった曽我に光秋が説明を始めようとした、その時、
「!?」「あぁ!」
光秋の左脚に何かが当たり、同時に小さい悲鳴が響く。
「!」
慌てて悲鳴がした辺りを見ると、緑の制服にコートを羽織った短い赤毛の少女を見る。
「あぁ、ごめんなさい……」―子供?小学生?………特エスか?―
反射的に謝りつつも、180センチ近くの身長がある自分の腰辺りにやっと届くくらいの背丈の子供がESOの制服を着ていることに驚く一方、冷静な部分で東京本部で見た光景を思い出して推測してみる。
と、
「ごめんじゃないよ!これどうしてくれんのさ、オッサン!」
「?」
突然怒り出した少女が右手を前に出し、光秋はその手にオレンジ色の液体が入った紙コップが掴まれているのを見る。
「?」
「アタシのオレンジジュースどうしてくれんのさって言ってんだよ!まだちょっとしか飲んでなかったのに!」
言われて光秋は、コップの中身が半分以上なくなっていることに気付く。同時に、
―!……あぁ……―
ハッとして左手でコートを触ってみると、左ポケットの周囲が濡れていることに気付く。
「弁償しろよ!あんた二曹ってことは、アタシより下だろ。命令したっていいだ!」
「はぁ…………」
唾を飛ばす勢いで怒る少女に、光秋は思わず圧倒される。
と、
「
少女の背後――通路の奥から、女物のスーツの上に緑のコートを羽織った東洋系の女性が、長く伸びた黒髪を揺らしながら駆け寄ってくる。
「すみません!ウチの子が失礼なことを」
一行の許に着くや、女性は光秋に向って深く頭を下げる。
「あぁいえ、こっちもちょっと前方不注意があったので、別に……」
突然の謝罪に戸惑いつつも、光秋はすぐにそう返す。
「いいえ、本当にすみいません。さぁ桜、こっち来な」
「でもコイツが……」
「コイツなんて言わないの。ジュースならまた買ってあげるから。それに、来年は5年生なんだから、いつまでもそんなことでいちいち怒らないの」
「……」
女性の言葉にムッとしつつも、「桜」と呼ばれた少女は女性の後に続いて光秋たちが来た方へ歩いて行く。
「ふぅー…………」
2人の姿が見えなくなると、光秋は思わず安堵の息を漏らす。
「なんか、すごい嬢ちゃんでしたね……でも何であんな子供が?」
「特エスよ。本部所属の
光秋の発言に渋い顔をしつつ、曽我が説明する。
「それより光秋くん、コート大丈夫?」
「あぁ……」
伊部の指摘に、光秋はジュースがかかった左ポケットの中のリストを手探りする。
「とりあえず、リストは無事ですね。でも外側べた付くな……」
「洗ってきたら。染みになっちゃう」
「いやでも、そうすると休憩室に行けなくなるから、後でいいですよ」
「私はこの辺で待ってるよ。曽我さんは?」
「アタシも別にかまいませんよ」
「……それなら、ちょっと水盤のあるとこ探してきます」
言うと光秋は、正面の通路を速足で歩き出す。
少し歩いた所にトイレを見付けると、そこに入って水盤で水をかける様にしてコートを洗う。
「……こんなところかな?」
一通り洗い終えると、ハンカチで水気を拭く。
―それにしても、さっきは思わず圧倒されてしまったな。迫力があったのは確かだが、子供相手にさすがにビビり過ぎだったか?……『男でしょ!情けない』、とか言われそうだ…………―
曽我の顔を浮かべて苦笑いすると、光秋は2人の許へ戻る。
「お待たせしました」
「どう?落ちた?」
「なんとか」
移動を再開しながらの伊部の問いに、光秋は未だ水気が残っている辺りを擦りながら答える。
―後は自然に乾くの待つしかないか…………―
光秋がそんなことを思いながら歩くと、3人は休憩室となっている多目的室に入る。
いくつかの長テーブルとパイプイスが並んでいる室内には緑や青の制服を着た人々が疎らにおり、3人は入口近くのテーブルに座る。
「さて、では……」
呟くと、光秋は右手をコートの右ポケットに伸ばし、先程洗う際に入れ替えておいたリストを取り出す。
「えー……徹甲弾、散弾、あとは……よくもこういろいろと…………」
読み慣れない字が羅列されたリストを遠い目で眺めつつ呟き、左隣の伊部と正面の曽我に手伝ってもらいつつ、弾の名称や特性の記憶を行う。
しばらくして一通り覚える頃には、光秋は重い頭痛を感じる。
「はぁー……こりゃ、早く始めて正解でしたね」―そうでなきゃ、明日どうなってたかわかったもんじゃない。今だって不安だが…………―
痛む頭に左手を添えつつ、嘆息混じりに呟く。
「あんなロボット扱えるえるくせに、こういうのはダメなの?」
「いろいろあるんですよ。僕にも……」
曽我の問いに、光秋は半ば投げやりに返す。
と、頭の疲れを癒すことも兼ねてふと思ったことを訊いてみる。
「…………話は変わりますけど、曽我さん、さっきのことあんまり言いませんね」
「さっき?」
「ほら、来る途中でジュースかけられて子供に怒られた件。我ながら、子供相手にあそこまで圧倒されたことに少し情けないと思ってたんですよ。曽我さんなら、なにか言ってくるかと思ってたけど……」
「まぁ、普通の子供ならね……でも、相手は特エス、それも入間隊の子だから……」
「?……どういうことです?」
曽我の言わんとすることがわからない光秋は、素直に首を傾げる。
「……まさか、知らないの?」
「あぁそっか、光秋くん知らないんだ」
それを見て曽我は少し戸惑った顔をし、伊部が思い出した様に言う。
「なんです?」
「入間隊って、日ESOでもけっこう有名なんだけどね。その理由っていうのが、所属してる特エスが全員レベル9ってことなの。というか、レベル9の超能力者を一つに集めたのが入間隊なんだけどね」
「?……それって…………」
「つまりあなたは、最高レベルの超能力者、それもかなり興奮してた子の相手をしてたってこと」
「……あぁ!」―下手すりゃ怪我してたかもしれなかったってことか……―
伊部の説明と曽我の補足に、光秋は以前戸松教授が壁に叩き付けられていた光景を思い出し、先程自分が置かれていた状況を理解する。
「さっきも言ったけど、入間隊は態度が悪いことで有名でね。それに確かサイコキノがいるって聞いたし、下手したら吹き飛ばされてたかもしれないわね。冗談抜きで」
「ははぁ……」
正に今思ったことを曽我が口に出し、光秋は苦笑いを漏らす。
「……まぁ入間隊に限らず、子供の特エスはちょっとツッパッてる子が多いのは確かなんだけどね……アタシも
「……もしかして曽我さんも?」
2人から目を逸らす様に言う曽我に、伊部が問う。
「えぇまぁ……今でこそ
―『少し気が強い』?―
苦笑い混じりに応じる曽我に、光秋は京都支部で初めて会った時の若干高圧的な態度、DD‐01に突っ込んで行った際の猛進な姿、東京本部でニコイチの見学をやや強引に頼んできた時のことを思い出しつつ、少しだけ首を傾げる。
「何か?」
「いえ、何も」
若干棘のある視線で睨み付ける曽我に、光秋は短く即答する。
と、
「お!ジャップ」
「……タッカー中尉」
後ろから呼び掛けられて振り向くと、光秋は入口の前に青服一式の上に青いコートを羽織ったタッカー中尉を見る。
「伊部二尉もお揃いで……こちらの女性は?」
光秋の右隣に歩み寄りながら、タッカーは曽我を見て問う。
「東京本部所属の特エスの曽我さんです。曽我さん、こちらタッカー中尉。空軍のパイロットです」
タッカーの問いに答えつつ、光秋は曽我にタッカーを紹介する。
「曽我ガイアと言います。よろしく」
「アレク・タッカーです。こちらこそ、こんな美人と知り合えて光栄です」
「フフ。お上手ですね?」
曽我は光秋と初めて会った時の様な品のある感じで、タッカーは制帽を取った右手を胸の前に持ってきてやや腰を低くして自己紹介する。
―……なんか、いつもと違うような……?―
そんなタッカーの振る舞いに、光秋は軽い違和感を覚える。
と、
「……ん?どうしたジャップ?」
光秋の視線に気付いたタッカーが、制帽を被り直しながら訊いてくる。
「いえ、中尉、なんかいつもと違うなぁと思って……」
「あぁ、私もそう思ってた」
光秋の返事に伊部も続く。
「なんていうか……いつもの勇ましさが薄まってるっていうか……紳士的?」
「あぁ、そんな感じですね」
伊部の迷いながらの感想に、光秋は納得しながら続く。
「そりゃあ、俺は士官、それも一兵卒じゃなく学校出の方だから。レディの前でそういうふうに振る舞うのは当然だ。学校で教官に散々言われたしな。『戦時においてはともかく、平時においては士官たる者紳士であれ』ってな」
「紳士、ですか……」―そういえば士官学校出って言ったら、いわゆるエリート――社会的地位の高い人だからなぁ……そういうもんなのかなぁ……―
「でも中尉、私と接する時は普通ですよね?」
光秋が感慨に耽っている横で、伊部は若干棘のある語調で問う。
「伊部二尉はほら…………いろいろ……主にジャップのことで関係があったからさ、士官としての振る舞いよりも、親愛の情を優先してさ」
「随分都合のいい紳士だことで……ま、堅苦しいのは嫌だからいいんですけどね」
少し困りながら答えるタッカーに、伊部は束の間膨れつつもすぐに微笑んで応じる。
―……どの道エリートとは縁のない僕が考えても、しょうがないんだけどさ……―
そんな2人のやり取りを眺めつつ、光秋は割り切った様にそう思う。
「……ところで、みんなでなにやってるんだ?」
少々の居心地の悪さに話題を変えたいこともあって、タッカーは気になっていたことを訊く。
「ニコイチが使える弾の種類が増えたので、その確認を。中尉は?」
リストを示しながら答えつつ、光秋は訊き返す。
「俺はさっき明日の打ち合わせが終わったんだが、基地に帰るためのテレポーターの手配が遅れるって言うで、ちょっと休憩に」
「基地に帰る?……基地ってここじゃあ…………」
タッカーの言葉の意味が解らず、光秋は首を傾げる。
「空軍の基地だよ。こんな山の中の滑走路もない様な所じゃ、戦闘機なんて運用できないだろう」
「あぁ、そっか」
「ちょぅとしっかりしてよ?白い犬さん?」
タッカーの説明に納得する光秋を見つつ、曽我はからかう様な笑みを浮かべる。
「それなら、リストの確認も一通り済んだことだし、私たちも少し休憩しません?中尉も一緒に、お茶でもどうです?」
「そうしますか。正直、頭から煙が出そうだったんだ。冷たい物が欲しいです」
伊部の提案に、光秋はリストをコートの左ポケットに仕舞いつつ、頭の疲れを思い出しながら応じる。
「それっじゃあ、俺もお言葉に甘えようかな」
「アタシもいいんですか?」
タッカーが賛成する横で、曽我は遠慮がちに問う。
「いいでしょう。大勢の方が楽しいでしょうし」
「そう?……じゃあ」
光秋が応じると、曽我は嬉しそうな顔をする。
「じゃあ、なにか買って来ますね。曽我さん、一緒に来て」
「それなら僕が」
イスから立ち上がりながら言う伊部に、光秋は腰を浮かせて申し出る。
「いいから。光秋くんは中尉といて。曽我さんお願い」
「わかりました」
伊部に応じながら曽我も立ち上がると、2人は休憩室を出ていく。
「……」
残された光秋はタッカーを見やり、タッカーは光秋の正面に座る。
「……それにしても、よかったんですかね?」
「なにが?」
光秋の主語のない問いに、タッカーは訊き返す。
「女の人2人にお茶用意させたことです。こういう時こそ男が率先してやるべきなんじゃないかと、思ったんですが……」
「さっき話してたことに当てはめれば、確かにな。でも、やると言っていることを止めるのもどうかと思うし、別にいいんじゃないか」
「まぁ……確かに男とか女とか、必要以上に拘るのもどうかと思いますし…………それこそさっきの話で感じたことを言えば、紳士とかエリートとか、僕には縁がないですからね……」
「そうなのか?」
「家は普通の……中流の家庭ですよ。豪勢じゃないけど、食うには困らない。先祖代々そんな感じです。その時代その時代の、中流というか、庶民というか、そういう位の家でしたから。僕自身、立身出世よりも生活していく力を持てるかの方が、こうやって実際に仕事に就くまでの命題でしたから……もっともこれには家柄というよりも、体のことの方が大きいんですが……」
「体?」
「あれ、言ってませんでしたっけ?僕、生まれ付き目と耳が悪くて」
「あぁ、だからメガネか」
「はい……だから、就ける仕事が少ないことへの不安とか、就いたらどんな仕事であろうとまず精一杯やろうとか、そういう思いがあったんですが…………実際、危ないことも多いけどかなりいい仕事に就けたし、ニコイチや周りの力を借りながらですけど、なんとかこなせてるからいいんですが…………」―そうして尽くせるようになった力を向けらる家は――家族は、ここにはいないんだよな…………―
その心中の呟きは、光秋にどうしようもない虚しさを覚えさせる。
「なに急に
顔に出たのか、タッカーが微笑みを浮かべて言う。
「いえ…………仕事に就けたのはいいけど、尽くせる人はここにはいないなと思って……」
「尽くす?」
「給料をもらっても、こっちにいる限りは全部自分のために使わざるを得ません。もちろん自分のために稼ぐ、自分の生活を立てるために稼ぐのは前提ですが、そうじゃなくて……家――家族のために役立てることができない、そうできる相手が、こっちにはいないなって…………」
改めて言葉にしてみて、光秋は再び気が沈む感じを覚える。
と、
「……こっちには家族や、家族に代わる様な人間がいないってか?バカ言うな」
「!?」
タッカーの若干強い語調に、光秋は少し驚く。
「家族みたいな奴なら、もういるだろう。ひと夏一緒に過ごした奴がよ」
「……綾のことですか?」
「あぁ。もう消えちまったのかもしれないが、それでも――」
「いえ、綾は消えてません。まだ伊部さんの中にいます。前みたいにはいかないけど、ときどき出てくるみたいです」
タッカーの言葉を遮ると、光秋は一気に説明する。
「そうなのか?なら好都合じゃねぇか。家族とまた会えるかもしれねぇんだがらよ……それに、上杉から聞いたが、伊部二尉ともけっこう仲よくやってんだろう?」
「えぇ、まぁ……それなりによくしてくれてますが…………」
言いながらタッカーは顔をニヤケさせ、光秋は少し困った顔をする。
「だったら、その関係をもっと大事にすればいいさ。それにアヤも消えてないってんなら、尚のこといいじゃねぇか」
「……そうですね」
「それに、ちょうど姫君2人のお帰りだ」
「!」
タッカーの言葉にハッとしつつ、光秋は視線を追って入り口を見やると、両手に飲み物を持った伊部と曽我が歩み寄ってくる。
「お待たせ。はい」
「あぁいえ……ありがとうございます」
伊部が差し出した缶入りのお茶を受け取りつつ、光秋は礼を言う。
―…………金の話が心の問題の話に変わっちまった気もするが……でも、タッカー中尉の言う通りだよな。今の僕には、伊部さんがいる。僕のことを弟分って言ってくれる人が……それに、綾とだってまたいつか、前みたいにまとまった時間一緒にいられる機会が来るかもしれない。その時こそ、精一杯尽くしてやればいい!なにより、家に帰るまでは死ねない!何が何でも生き抜いて、また自分の家に帰ってやる…………その時は伊部さんと……綾と一緒に行けたら…………―
「光秋くん?」
「……え!?はい……?」
突然の伊部の呼び掛けに驚きつつ、光秋は左隣に座った伊部の顔を凝視していたことに気付く。
「さっきから私のことじーっと見て、どうしたの?」
「あぁいえ、何でも」
若干狼狽を覚えながら返すと、光秋は急いで缶のフタを開け、冷たいお茶を流し込む様に飲み始める。
「「……」」
その行動に、タッカーと、その右隣に座る曽我はは微笑みを浮かべる。
―とにかく!明日の作戦はヘマをしないように気を付ける。それが今一番大事なことだ。しばらくはそのことに集中する。それでいいだろう!―
一気に缶の半分程を飲み干したところで口を離すと、光秋は心中にそう断言する。
「……それにしても、突然こんなことになっちゃうなんて……本当なら、明日中尉たちと模擬戦だったのに…………」
缶を傾けてお茶を飲みながら、伊部は溜め息混じりに呟く。
「そう落ち込まなくても……整理戦争が終わった今となっちゃ、実戦は貴重な機会なんだから。ま、戦闘になるって決まったわけでもないが」
「それはそうですけどね…………」
―『戦争』……『実戦』……『戦闘』…………―
タッカーと伊部のやり取りを聞き、光秋はその言葉を苦い物を噛む様に心の中に復唱してみる。
「……どうしたの加藤君?難しい顔して」
光秋の表情に気付いた曽我が、缶コーヒーを飲みながら訊いてくる。
「あぁいえ……中尉の話聞いてたら、なんか複雑な気持ちになっちゃって……」
「俺の話がなんだよ?」
缶コーヒーを飲みながらタッカーも訊いてくる。
「戦争とか、実戦とか、そういうのを聞いてると、なんか嫌な気持ちになっちゃって。僕らが参加するっていうんなら尚のこと……ただ、僕らはそれが仕事なわけだから、そうも言ってられない。仕事ならちゃんとしなくちゃって思いもあって…………すみません。自分の中でも整理がつかなくて…………」
歯切れの悪さを自覚しながら応じると、光秋はテーブルの上のお茶の缶に視線を落とす。
「……要するに、お前は戦争……と言うか、争いごとが嫌いってことか?」
「まぁ……そうなりますね」
確認するタッカーに、光秋顔を上げて納得しつつ応じる。
「……と言うか、争いが嫌いじゃない人なんていますか?」
「今回相手をするサン教が正にそうだろう。あと超能力者排斥団体のNPとか……あとはスケールが小さいところでは、町のゴロツキとかな」
「あと、直接戦うわけじゃないけど、兵器メーカーとかね。ま、そっちは好き嫌いじゃなくて、戦争があればお金になるってことなんだろうけど」
「それはそうでしょうけど…………」
タッカーと曽我の答えに、光秋は口籠ってしまう。
「私は、光秋くんが言う様なこと嫌いだな」
その横で、伊部がお茶をすすりながら応じる。
「俺だって好きってわけじゃないさ。ただ事実としてそういう連中もいるって言っただけで」
「アタシも、何も戦争が好きってわけじゃ……ただ中尉が言った様に、現実はさっき言った通りでしょう?」
「…………だから、変えていかなくちゃいけないんでしょ」
タッカーと曽我の言葉に、光秋は静かだが強い調子で返す。
「変えるって言ってもな……」
タッカーが戸惑った顔をする。
「伊部さん、ありがとうございます。せっかくですから、もう少し話させてください」
「別に構わないぜ。今はフリートーキングなんだから」
タッカーの返事を聞くと、伊部のおかげで調子を得た光秋は話し始める。
「確かに中尉たちの言っていることも一理あります。そういう人――争いを好む人たちもいるのが現実です。でも、現実をただ現実として受け入れるだけが人間じゃないでしょ?例えば……そう、川を楽に渡りたいと思ったから橋を掛けるし、山を楽に越えたいと思ったからトンネルを掘る。肌の色で差別されるのはおかしいと思ったからそれを是正する運動が起こって、性別で扱いに違いがあるのはおかしいと思ったから男女平等って考えが生まれ、浸透してきた。そうやって周囲――世界に働きかけて少しずつ変えていく、変えられないまでもなにかしらの影響を与えていくのもまた人間でしょ。少し話に飛躍があったかもしれませんが、僕が言いたいこともそういうことです」
言っている間に、光秋は夏に綾と過ごした時のことを思い出す。
―あの時も、そういえばこんなふうに僕の考えてることを話したっけ…………あの時もう少し上手く伝えてあげてれば……否、今はよそう。言っても仕方ない―
束の間の後悔を隅に押しやると、話を続ける。
「……さっき、おかしいから変えるって言い方をしましたが、僕の場合はもう一つ、すごく感情的なことですが…………僕はとにかく、争いが嫌いなんです……だから、争いを克服した世界を創りたいって思うんです」
「……どうしてそんなに嫌なの?」
曽我の問いに、光秋はお茶を一口飲んで応じる。
「どうしてと言われても……感情の問題ですから、嫌なものは嫌なんだとしか言えませんね……ただ、例えば
「それはアタシの時もあったなぁ……ていうか、ここにるみんな整理戦争世代だから、そういうことはみんなやってたんじゃない?中尉はどうです?」
「……どうだったかなぁ」
―そういうのとはまた違うんだがな……でもまぁ、曽我さん僕のこと知らないから仕方ないか。迂闊に喋れないし―
昔を懐かしむ顔でタッカーに尋ねる曽我を見ながら、光秋は心の中で口をつぐむ。
「…………あぁそうだ、もう一つ。たぶん、祖父の影響があるんだと思います」
「お祖父さん?」
「ジャップの祖父さん、戦争に行ったのか?」
「いいえ」
曽我とタッカーの質問に、光秋はすぐに応じる。
「祖父が徴兵された時は、もう戦争が終わる頃でしたから、戦場には行ってません。せいぜい地元近くの訓練所に集められて、訓練だけして終戦を迎えました。その前は、飛行機なんかに使う燃料の工場に勤めてたそうですけど……ただ、当時の思い出話とか、その前の戦争に行った身内の話とか聞いてると、戦争嫌だなって、自然に思うようになるんです…………」
言いながら、光秋の脳裏にはいくつかのことが思い浮かぶ。
まだ家にいた頃、祖父に見せてもらった両脇に薄い紙製の御守がぎっしりと詰まった小さな
―『戦争しに行ったのか殴られに行ったのかわからなかった』って言ってたよな……―
戦後の暮らし。家の庭に祖父が設けた地蔵、その両脇に納めてある戦場跡から持って来たという石。小田一尉の朝鮮内戦時の体験談と、左腕の火傷の痕。
―祖父ちゃんの話が過去なら、一尉の話は今なんだよな……今でも、あぁいうことはあるんだよな。向こうでもこっちでも……―
そして、綾のこと。
―『いいね、へーワ』…………あいつも、そんなこと言ってたっけ…………―
心の中にふと呟くと、先程から頷きながら話を聞いている伊部を一見する。
「あとは、それこそこっちに来ていろいろありましたから……あとはまぁ、生来の臆病な性格もあるんでしょうが…………そんなことが、争い――避けられ得る衝突を嫌う理由ですかね」
自嘲を浮かべながら言うと、光秋はまた一口お茶を飲む。
「『避けられ得る衝突』?」
光秋が最後に言った言葉を返しつつ、曽我が首を傾げる。
「あぁ、僕の中での言葉の使い分けです。生きている以上どうしても避けられない、必然的に起ってしまう衝突が『戦い』。努力……工夫次第で避けられ得るものが『争い』」
「……具体的にどう違うんだ?」
タッカーが問う。
「『戦い』は、もう少し言えば命を繋ぐために起る衝突ですね。生きるためには食べなければいけないけど、それにしたって、肉なら食べられる側と戦って得なければいけないし、野菜なら天候とか、野生の動物とか、そういうものから守りながら育てなければならないし、いずれにせよ、食べ物一つ得るためにも何かと衝突しなければいけないわけでしょ」
「まぁな」
タッカーが頷く。
「他にも、ただ生きてるだけもいろんなものと衝突する……身を守る必要が生じてくるでしょう。洪水や地震なんかの自然災害とか、熊や蜂なんかの危険な生き物とか。そういうのから身を守るために……生き残るために生じる、生きる以上避けられない衝突のことを、僕の中では『戦う』って言うんです。逆に『争う』は、主に人災に対して使いますね。さっきまで話してた戦争とか、人が起す衝突って、工夫やちょっとした我慢なんかで避けられ得るでしょ。そういう、避けられ得るけど起ってしまう衝突が『争い』…………と、ここまで殆ど一人で喋ってしまいましたが……僕が言いたいこと解りましたか?」
3人を見回しながら控え目に問うと、光秋はお茶を一口飲む。
「……えぇ……なんていうか…………」
「お前の平和主義者っぷりは充分伝わってきたよ。さすがジャパニーズだな……」
「そういうのとはまた違うんですけどね……」―この光景、前に食堂でパラレルワールドの話をした時……あと、伊部さん相手に宗教の話した時みたいだな…………―
曽我とタッカーが歯切れ悪く応じる様子に、光秋はその時のことを思い出す。
と、
「ふっ……この前もこんなことあったっけ。光秋くんが珍しくよく話して、みんなポカーンってしてること」
「えぇ、確か……」―伊部さんも憶えてたか―
微笑みながら言う伊部に、光秋は少し嬉しく思いながら返す。
「あの時とこの間は、私もポカーンとしてたなぁ……でも、今回の話は少し解るかも」
「アタシも解らないわけじゃないですけど……」
曽我が困った顔で応じる傍ら、伊部は話を続ける。
「さっきも言った様に、私も争いごとは嫌い。光秋くんが言う様に、不快とか怖いっていうのもあるけど……戦争は、私の大事な人たちを奪ったから…………」
―!……伊部さん―
その一言に、光秋は伊部が言おうとしていることを察してしまう。
「……どういうことです?」
先程までと違った雰囲気を感じてか、曽我が恐る恐る問う。
「私、戦災孤児だから」
「!」
「え?でも、『伊部』って……『法子』って…………」
しれっと答える伊部に、曽我は驚きを浮かべ、タッカーが戸惑いながら問う。
「それは養子先で付けてもらった名前。物心つく前だったから、自分じゃ名前わからなかったし……でも、今では『伊部法子』が私の本当の名前なんだって思ってるから。私はあくまでも日本人で、今の両親が本当の両親なんだって思ってるようにね」
「……確か、その御両親の気持ちに応えたくてESOに入ったんですよね」
「なんだジャップ。お前は知ってたのか?」
以前聞いた話を思い出した光秋に、タッカーが訊いてくる。
「えぇ。前に今の様な話をしてもらって……というか、曽我さんは殆ど会ったばっかりだから知らなかったとして、中尉は今までわからなかったんですか?その…………伊部さんの肌の色とか……」―この言い方はちょっと不味かったかな?―
言いながら、光秋は図らずとも伊部を傷付けてしまったのではないかと不安になる。
「いや、イエロー……黄色人種の中にも黒っぽい色合いの奴はいるから、伊部二尉もそうなのかと……あと、名前が日系だったから尚のことさ……」
「私は、てっきり昔ギャルだったのかと……」
「あー……そう言えば高校時代、よくそういう人に間違えられたっけ」
曽我に応じながら、伊部は昔を懐かしむ顔を浮かべる。
「でも、間違える方の気持ちもわからなくもないんだよねぇ。私ずっと岩手に住んでて、出身のアフリカと比べて紫外線そんなに強くないから、どうしても中途半端な色になっちゃって……て、沖縄以外なら日本中どこにいても大して変わんないだろうけど……」
―……とりあえず、大丈夫か?……感じ過ぎだったか…………―
笑みを浮かべて話す伊部を見て、光秋は先程の言葉を気にしていない様子に安堵する。
「…………話が逸れちゃったけど……さっき言った様に、今の両親を本当の両親と思って大事にしてるつもり。でも、顔も知らないとは言え、やっぱり生みの親がいたことも忘れたくない。そして……生みの親を奪った戦争を赦すわけにはいかない。だから理由はどうあれ、光秋くんが言った様な戦争を避けようって話には賛同する」
「ありがとうございます…………もう少し上手く言えればいいんですけどね……」
同意してくれる伊部に、光秋は嘆息を漏らしながら返す。
「それでも、自分の考えをまとめて言えることはすごいと思う。前に言った様に、やっぱり『光秋先生』だね」
「やめてください……先生なんて言われる様な人間じゃありませんよ、僕は…………」
思い出した様に言う伊部に、光秋は苦笑いを浮かべながら返す。
「『光秋先生』?」
好奇心の顔で訊き返す曽我に、伊部は光秋が風邪で休んだ時のことを話しながら説明する。
と、タッカーが2人の様子に注意しつつ、顔を寄せて光秋に訊いてくる。
「確かに、さっきまで情けない顔してた奴が途端に饒舌になったよな……向こう側で何かやってたのか?」
「いえ、大したことは……ただ、もともとものを考えるのが好きだったところはあります。それが高じてというのか、高校を卒業してからは哲学科のある大学に入る予定でしたから」―その途中でこっちに来ちゃったんだけどなぁ……それにしても、そんなに情けない顔だったのか……?―
光秋も2人――というより曽我に注意しつつ、タッカーの言葉を気にしながら応じる。
「哲学科かぁ……でも、合ってるかもな」
「なんです?」
タッカーの呟きに、曽我が伊部との会話を中断して訊いてくる。
「こいつ、ハイスクール出た後哲学科のある大学入るつもりだったんだそうだ」
「哲学科?」
タッカーの答えに、曽我は意外そうな顔をする。
「また難しそうな所を……」
「あ、でも、光秋くん確かに合ってるかも」
「……そんなに合ってる様に見えます?」
曽我の呟きに続いて言った伊部に、光秋は首を傾げながら返す。
「うん。さっきみたいに自分の考えを整理して話せるところとか」
「どうも……あんまり上手くなかった気もしますけど…………」
応じる伊部に先程と同じことを言いつつ、光秋は褒められたことを喜んでいいのか迷った顔をする。
「まぁ伊部さんが言うことも確かですよねぇ……じゃあ、なんで大学行かずにESOに入ったの?」
「!」
曽我の質問に、光秋は思わず心臓を跳ね上げる。
―進学の引っ越しの時にこっち側に来てしまって……なんて口が裂けても言えんよな。どうする……?―
内心動揺しつつも何とか上手い理由を探そうと伊部とタッカーを見やるが、2人の顔にも僅かだが動揺が浮かんでいる。
「えーっと……家庭の事情で、やむを得ず進学を諦めたんです。あんまり詳しく訊かないでください……ちょっと複雑な事情が…………」
「はいはい。また機密だとか言うんでしょ」
「えぇ、まぁ…………」―とりあえず、納得してくれたか……―
歯切れの悪い回答を遮る様に曽我は応じ、光秋は心中に安堵の息を漏らす。
と、携帯電話の着信音が響き、タッカーが上着の右ポケットから出したそれを右耳に当てる。
「はい?……了解です。すぐに……テレポーターの準備が整ったから、俺はもう行く。なかなか面白い時間だったぞ」
切った電話を仕舞いながら言うと、タッカーは空になったコーヒーの缶を持って立ち上がる。
「とりあえずお前の考え、わからんでもない。ただ、明日の作戦はしっかりな」
「それはそうです。やるべきことはしっかりやります」
一応合意してくれるタッカーに、光秋はその目を見返しながら返す。
「それならいいんだ。じゃあな。伊部二尉と曽我さんも、明日はよろしく」
「こちらこそ」
「期待してますよ」
伊部と曽我の返事を聞くと、タッカーは右手に空き缶を持って部屋を出ていく。
「そう言えば、今何時?」
伊部の問いに、光秋は左手首の時計を見る。
「5時50分ですね」
「三佐たちの方、そろそろ終わったかな?」
「さぁ……」
呟く様に訊く伊部に、光秋は残ってるお茶を飲み干しながら返す。
「アタシもそろそろ行きます。主任からメールが来たので」
携帯電話を見ながら言うと曽我は席を立ち、空き缶を持って部屋を出ていく。
「……私たちも行く?夕飯にしよっか」
「そうですね。時間もいいし」
言うと伊部と光秋も立ち上がり、光秋はコートの左ポケットにリストが入っていることを確認する。
空き缶を持って部屋を出ると、2人はそれを最寄りのゴミ箱に捨て、伊部の記憶を頼りに食堂へ向かう。