白い犬   作:一条 秋

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39 一夜明けて

「……」

「?…………」

 覚醒に向かいつつある意識の隅で、光秋は誰かに呼ばれたような気を感じる。

 が、未だに強い睡魔が、そんな感覚を呆気なく退けてしまう。

「……!」

「…………」

「加藤!」

「!?」

 大声で呼ばれながら強く揺すられ、ハッと目を覚ますと、先程までの強烈な睡魔が嘘の様に消えてしまう。

「……小田一尉?」

左側に腰を下ろして自分を見下ろすワイシャツ姿の小田を認めつつ、光秋はゆっくりと上体を起こす。

「おはようございます……」

「おはよう。かなりよく寝てたな」

「はい……」

 欠伸混じりに返しつつ、光秋は背後から射す薄っすらとした光に照らされる部屋を眺める。

―…………?……電気点いてないよな?……てことは!?―

 電灯が点いていないのにそこそこ部屋が明るいことを理解して一気に意識が覚醒するや、すぐに振り返ってカーテンを挟んで射す弱い朝日を見、次いでメガネを掛けて携帯電話を取って開く。

「!…………」

画面には「アラーム時間が過ぎました」と表示され、すぐにそれを消して時計を見ると、「10/30 Sat 5:30」と表示されている。

―しまったぁ!…………―

 アラーム音に全く気付かなかったことと、5時間以上も寝てしまったことに、光秋は思わず顔を俯ける。

「……すみません。寝過ぎました……」

「いや、俺も今起きたとこだぞ」

「え?……」

 小田の返しに、光秋は顔を上げる。

「お前が出ていってから三佐や伊部たちの報告も聞いて、報告書まとめて出したら、三佐が俺たちもしばらく寝た方がいいって言って解散したんだ」

「そう、ですか……」

小田の説明に、光秋は安堵する。

「それはともかく、飯食いに行くか?これから偉いさんたちに根掘り葉掘り訊かれるから体力付けとかんと」

「はい……あぁ、ちょっと」

 小田の誘いに答えると、光秋はカバンから髭剃り機を出して髭を剃り、小田に続いて布団を押し入れに仕舞う。

「そういえば、通信機と懐中電灯渡したままだったよな。出してくれ」

「あぁ、はい」

小田の指示に、それらのことをすっかり忘れていた光秋は、上着を取り上げてポケットを探り、通信機を出して小田に渡す。

 と、

「……?……あれ?」

「どうした?」

「懐中電灯が見当たらなくて……」

小田に答えつつ、光秋は上着の中を探すが、懐中電灯は出てこない。

「……あ!」―まさか、あの時落としたか?―

 ハッとしつつ、医療棟で人型の拳から逃れるために伊部に駆け寄った際、無意識に懐中電灯を手放したと察する。

―おそらくそうだろう。その後懐中電灯の記憶なんてないもん……―

「今度はなんだ?」

若干狼狽を浮かべる光秋に、小田が問う。

「……一尉、懐中電灯、医療棟に落としてきたかもしれません……」

「な!上着の中にないのか?」

「はい……それによく考えたら、医療棟から脱出してから懐中電灯使いませんでしたし……」

小田の確認に、光秋は申しわけない思いで答える。

「んー……まぁ、事情が事情だし、しょうがないか。医療棟なら、現場検証か修理の時に見付かるだろうし」

「瓦礫に潰れて壊れてる可能性大ですが……」

小田の言葉に、光秋は付け加える様に言う。

「その時はその時だ。とりあえず、事情は俺が説明しておくから」

「すみません……」

小田に応じながら、光秋は深々と頭を下げる。

「……とりあえず、そのことは一度置いといて、飯食いに行こうぜ」

「はい……」―それもそうだ……事情が事情なんだし、やっちまったもんは仕方ないか……―

 小田の言葉を追う様に無理やり納得すると、光秋は小田と共に上着を羽織り、制帽を被って、それぞれ荷物を持って部屋を出る。

「みんなまだ寝てるみたいだから、伊部を呼んできてくれ。俺は三佐と竹田を」

「わかりました」

 小田の指示に答えると、光秋は3号室へ向かい、ドアを2回ノックする。

「伊部さん?光秋です。一尉が朝食にしようって」

「…………」

―……寝てるのかな?―

 返事がないことにそう思いつつ、光秋はドアノブを試しに回してみる。

―!開いてるじゃないのよ……―「不用心だなぁ……」

思わず呟くと、ドアをゆっくりと引いて室内を見る。

 2号室同様にカーテン越しの昇り始めた朝日に照らされてはいるものの、中の様子を知るにはまだ不充分な明るさである。

「伊部さん?……」

 呼び掛けつつ、光秋は玄関まで進んでみる。

「……すぅー……すぅー……」

―寝てるのか……―「伊部さん!」

微かな寝息を聞き、少し大きい声で言う。

 が、

「……すぅー……すぅー……」

―ダメか……―

伊部が起きる気配はなく、光秋は渋々制靴を脱ぎ、薄暗い中で足元に注意しつつ布団に歩み寄り、その右脇に屈んで伊部の肩を揺する。

「伊部さん。伊部さん」

「……んー?……」

ようやく反応を見せると、伊部はゆっくりと目を開けて光秋を見る。

 と、

「!?光秋くん?」

「!」

驚きの声を上げてすぐに上体を起こし、その反応を見て光秋も驚く。

「何で?鍵は……」

「開いてましたよ?」

「え?……あ!」

 光秋の戸惑いつつの返答に、伊部は思い出した顔をして頭に右手を置く。

「そうだ。仕事終わった後どっと疲れが出て、掛けるの忘れたまま寝ちゃったんだ……」

「はぁ……」

曖昧な返事をしつつ、光秋はボタンが3つ外れたワイシャツに解けた長髪の伊部が頭を抱えるのを見る。

「……ところで、朝早くからなにか?」

「あぁ、一尉が朝食にしようって。それで呼んできてくれと頼まれたんです」

 右手を下ろした伊部の問いに、光秋が応じると、

「朝食か……」

返しつつ、伊部は枕元の携帯電話を取って画面を見る。

「わかった。部屋片付けていくから、ちょっと待ってて」

「はい」

 伊部に返すと、光秋は制靴を履いて外に出る。

―……起こすためとはいえ、女の人の部屋に勝手に入ったのは迂闊だったか?―

ドアの前で待ちながら、光秋は今更ながら考えてしまう。

 少しして、髪を一本に束ねて制服の上着を着、カバンを左肩に提げた伊部が出てくる。

「お待たせ」

「じゃあ、行きますか」

「うん」

光秋の言葉に伊部が頷くと、2人は階段の方へ歩き出す。

 同時に1号室から小田、藤原三佐、竹田二尉、上杉が出てくる。

「「おはようございます」」

「「おはよう」」

「うーっす……」

「おはようございます……痛てて……」

光秋と伊部の挨拶に、制服姿の藤原と小田が同時に、襟元が開いた竹田が欠伸混じりに、白衣を羽織った上杉が左手で頭を撫でながら応じる。

「二日酔いだな」

「ですね……ちょっと下のトイレ行ってきていいですか?」

様子を見て言う小田に応じながら、、上杉は優れない顔で訊く。

「かまわんぞ」

「あぁ、僕も」

藤原が応じると光秋もそれ続き、一行は階段を下りて1階へ向かう。

 上杉に続いて光秋もトイレに入り、右端に立つと、小田が左隣に並んで立つ。

「……そういえば、夜に伊部から聞いたが、夏の間もけっこう大変だったんだな」

「はい……」

小田の言葉に、光秋は一瞬綾の顔を思い浮かべて応じる。

「俺や三佐には療養中としか聞かされてなかったが……まさかな……」

「……」

 小田の呟きになんと返していいかわからず、光秋はことを済ませるとすぐに水盤へ向かい、手洗いと口漱ぎ、顔洗いをしてハンカチで各部を拭きながら外へ出る。

「?……」

 その光秋の一連の行動を、上杉は左端で眺めながら首を傾げる。

 光秋は外で待っていた藤原と、竹田、伊部の許に歩み寄り、トイレから出てきた小田と上杉もそれに加わる。

「よし。それじゃあ、食堂に行くか」

藤原がそう言って歩き出すと、一行はそれに続いて食堂へ向かう。

 

 本舎の食堂に着くと、藤原隊一行はそれぞれ朝食を注文して1つのテーブルにまとまって座り、食事を始める。

 一行以外にも何人か食事をしている人がいるが、皆心なしか寝むそうな顔をしている。

―僕が寝た後も、いろいろ大変だったんだな……―

白飯を口に運びつつ周りの表情を見て、光秋はそんなことを思う。

 と、光秋の左前に座る藤原が声を掛ける。

「そうだ加藤」

「はい?」

「小田たちは昨日聞いたんだが、今日の10時に昨日のことの詳しい聴取が行われる。状況から言ってお前が重点的に訊かれるだろうから、そのつもりでな」

「はい」―『聴取』……物々しい言葉だな―

ニュースくらいでしか聞かない言葉に、一瞬背筋に悪寒が走る。

「?……加藤、昨日なんかやったんですか?」

「……ひょっとして上杉さん、昨日のこと何にも覚えてないんですか?」

 藤原の右隣に座る上杉が首を傾げて訊き、そんな上杉の様子に光秋はまさかと思いながら尋ねる。

 と、

「こいつなら昨日、オレたちが仕事終えて部屋戻った時、ぐっすりと熟睡してやがったよ」

上杉の正面に座る竹田が口を尖らせて言う。

「診察室から1号室に連れていってすぐ寝て、そん時とあんまり変わってなかったから、多分騒ぎの間もグースカ寝てたと思うぜ」

「はぁ……」―よっぽど酔い潰れてたのか、あの状況でも寝れる程の大物なのか?……―

続けて話す竹田に、光秋は後半は冗談と自覚しつつそう思う。

「……結局、なにがあったんです?」

「戦闘だよ」

「戦闘!?」

「あぁ」

竹田の返答に上杉は驚きの声を上げ、さらに詳しいことを説明する竹田に顔を近付ける。

 と、携帯電話の振動音が響きく。

「儂か?……支部長?……」

言いながら、藤原は上着のポケットから携帯電話を出して右耳に当てる。

「もしもし?……はい?……本部で……?了解です……」

「どうかしましたか?」

 戸惑いながら電話を切った藤原に、光秋の正面に座る小田が訊く。

「それが、今加藤に話した聴取なんだが、12時に東京本部でやることなった」

「えぇ!?」

藤原の返答に、光秋の左隣に座る伊部が声を上げる。

「どうして突然?」

「それはわからん。とりあえず、10時に迎えのヘリが来るから、それに間に合うように準備するようにとのことだ」

「ヘリ、ですか……」

藤原の返答に、伊部は呟く様に言う。

―……ことがことだから、中央で対処したいのか?……東京か……どうであれ、タフな時間になりそうだ……―

 漠然とそんなことを考えつつ、光秋はみそ汁を一口すする。

 

 食事を終えると、上杉は医療棟へ、藤原隊一行は待機室へ向かい、各々のロッカーに拳銃とガンベルトを仕舞って一度解散する。

 光秋は寮の自室に戻ると、昨日の下着類とワイシャツを洗濯機に入れ、上着を椅子の背もたれに掛け、ワイシャツを着替えて椅子に腰を下ろして一息つく。

―…………東京ってことは、局長も聴取に顔を出すのかな?演習の時の富野大佐みたいに……―

思いつつ、演習時の聴取のことを思い出す。

―東京かぁ……どうも苦手なんだよな…………にしても、だいぶ寒くなってきたな。そろそろコタツ出すか……―

 薄っすらと感じる肌寒さに、こんな状況でも季節は移り変わっていくのだと感じる。

―……そういえば、三佐にいつ帰るのか訊かなかったな……まぁ、聴取だけやってとんぼ返りってことだとは思うが……念のため着替えだけ持っていくか?―

そう思うと椅子から立ち上がって箪笥に歩み寄り、下着一式と予備のハンカチを出してカバンに入れる。

 再び椅子に腰を下ろすと、光秋は足元にある今日の新聞を取り、一面に目を通す。

 と、

「!…………もうか?……」

左下に「ESO京都支部またも襲撃か?」という小さな見出しを見つけ、予想以上の早さで昨夜のことが新聞に載ったことに驚きつつ、その記事を読む。

『昨夜十一時頃、ESO(超能力者支援機構)京都支部において複数の轟音が響き渡り、当支部の職員が一斉に駆け付ける騒ぎがあった。ESOからの公式な発表はまだ出ていないが、付近の住民の話しでは大きな人型の影が二つ飛び回っていたとの証言もあり、超能力関係でのトラブルがあったことが予想される』

「……どうなることか…………」

聴取に対して強くなった不安を呟くと、光秋は他の記事にも目を通す。

 しばらくして新聞を読み終えると、机の上の時計を見る。

―7時半か……9時半までに集合と言われたが……行くか。部屋に籠っててもしょうがないし―

 そう思うと椅子から立ち上がり、背もたれに掛けてある上着を着て手荷物を確認し、カバンを右肩に斜め掛けして制帽を被り、玄関で制靴を履いて京都支部へ向かう。

 

―……そういえば、昨日は暗くてわからなかったが、どうなってるんだろう?―

 支部の正門をくぐったところで、光秋は昨夜の戦闘跡に軽い好奇心を覚え、本舎を左に迂回してグラウンド側へ向かい、周りを見回してみる。

「…………」

置きっぱなしになっている大型の照明や、僅かだが所々抉れているグラウンド、最上階に大穴が空き所々傷付いた医療棟に、束の間呆然とする。

 と、

「…………」

医療棟の本舎側に向いて空いている穴――昨夜人型から逃れる際に綾が空けたもの――が目に入り、光秋はその光景に既視感を覚える。

―なんだ?…………あぁ、あれだ―

 少し考えて、綾と初めて会った時のことを思い出し、思わず微笑んでしまう。

「光秋くん」

「……伊部さん」

 呼び掛けられて後ろを振り向くと、カバンを左肩に提げた伊部が歩み寄ってくる。

「早いですね」

「そっちこそ。まだ2時間くらいあるのに、どうしたの?」

「寮でじっとしてても仕方ないと思って。あと、この辺の様子が気になって……伊部さんは?」

「光秋くんと同じ。特にこの辺の様子、今まで暗くてわからなかったから、明るくなったら見てみようと思って」

「なるほど……」

 応じると、光秋は医療棟の穴に視線を戻す。

「……なに見てるの?」

光秋の左隣に立った伊部が、光秋の見ている辺りを見ながら訊いてくる。

「あの医療棟の、本舎側に空いてる穴ありますよね」

「うん」

光秋が穴を指さし、伊部がそれを追って応じる。

「あれ、昨日綾が空けたんですよ。人型から逃げるために」

「そうなの?」

 驚きの表情を浮かべる伊部に、今度は光秋が、その答えを察しつつも訊いてみる。

「……その時のこと、憶えてませんか?」

「うーん…………なんとなく、かな?……人型の手が迫ってきた時までははっきり憶えてるんだけど、その後地上で光秋くんに話し掛けられるまでが曖昧で」

「そうですか……」

 ほぼ予想通りの答えに、光秋は静かに納得する。

「まぁ、それでですね、ちょっと懐かしいこと思い出しちゃって」

「なに?」

「綾と初めて会った時のことです。あの時も高い所の壁に大穴を開けて僕の所に来ましたから……壁に穴を開けるのが好きな奴だなぁって……」

「そう」

「……言っときますけど、最後のは冗談ですよ。最初の時は分別がなかったからで、昨日のは緊急退避のためで、どっちも不可抗力みたいなものだったんですから」

「わかってるよ」

 光秋の几帳面な補足に、伊部は微笑んで返す。

「…………そういえば、綾で思い出しまたけど、昨日は三佐たちになんて報告したんです?」

「この前光秋くんが私に話してくれたことを話した。私のもう一つの人格ってこととか、光秋くんが教育係だったってこととか……あと、UKD-02を倒した時にも現れたこととかね」

「なるほど…………!」

 伊部の答えに応じると、光秋は昨夜の戦闘の中で伊部がニコイチに飛び込んできたことを思い出す。

「そういえば昨日、ニコイチに飛び込んできた時に『綾が手伝ってくれた』って……どういうことです?」

「あぁ……なんて言えばいいのかなぁ?……声がしたの」

「声?……なんて言ったんです」

「『行かなきゃ』って。そしたら体がふわっと浮いて、気付いたらニコイチを見下ろす高さにいた。その後に光秋くんが受け止めてくれて……」

「『受け止めた』って言いますか?……」

応じつつ、光秋は伊部が落ちる様に膝の上に乗ってきたことを思い出す。

「ちょうど私も、光秋くんの近くに行ってあげたいって思っててね……あの声、やっぱり綾だった気がする」

「……それで、『綾が手伝ってくれた』と?」

「うん…………そういえば、その前にも綾の声を聞いた気がするんだよね」

「前にも?」

 付け加える伊部に、光秋はオウム返しに訊く。

「うん。巡回終わって、寄宿舎に帰ろうとしてたのね。そしたらいきなり、『アキ!』って緊迫した声が聞こえて。それと一緒に光秋くんが危ないって強く感じて……あとはもう直感的に、医療棟の最上階まで駆け上がってた……そしたら本当に光秋くん、危険そうな何かと一緒にいて……」

「……あぁ!だからあの時来てくれたんですね」

 言われて光秋は、今更ながら昨夜伊部が都合よく自分の許に来てくれたことを不自然だと理解すると同時に、そうなった理由に納得する。

「……あの時も、綾が何か感じたのかな?」

「……でしょうね……前にも話しましたが、あれはテレパス、それもかなりレベルが高いみたいだったから……あの黒い球体――黒球(くろだま)のただならぬ気配を感じたのかもしれない」

 言いながら、光秋は昨夜黒球と対峙した時に感じた威圧感と、それによって生じた恐怖心を思い出す。

「……あるいは、光秋くんと繋がってたからかもね」

「え?……」

 伊部の唐突な言葉に、光秋は顔を向ける。

「どういうことです?」

「光秋くんと綾、精神的に強く繋がったことがことがあるんだよね?」

「はい……」

「それが今も続いてて、光秋くんを介して感じた危機感を私の中の綾が感じた、てことも考えられるかも……もちろん、半分は私の予想。超能力関係にはそんなに明るくない私のね」

「いえ、例え予想でも……なんて言うのかな……気分のいい話しではあります」―僕の中に綾が……その一部みたいなものだけでもあるっていう考えは、悪くない……いや、むしろ嬉しい!―

 伊部の説明に、光秋は率直な感想を言いつつそう思う。

「……とりあえず、僕はそろそろ待機室に行きます。伊部さんは?」

「私も、そろそろ行こうかな……」

光秋の問いに伊部が応じると、2人は本舎へ歩き出す。

 

 待機室に入ると、光秋と伊部はドアに近い側の椅子にテーブルを挟んで向かい合って座る。

 しばらくして、カバンを右肩に提げた小田が入ってくる。

「2人とも、もう来てたのか」

「はい。寮でじっとしててもしょうがなくて」

「私も」

光秋と伊部の返事を聞きつつ、小田は光秋の右隣に座る。

―……そういえば、今は一尉も綾のこと知ってるんだよな―

 小田の顔を視界の端に見つつ、光秋は今更ながらそんなことを思う。

 と、

「…………どうした?」

「!」

視線に気付いたのか、顔を向けて話し掛ける小田に少し驚く。

「『どうした』、と言いますと?……」

「いや、さっきから俺のこと見てるから」

「あぁいや…………『そういえば一尉は、綾のこと知ってるんだよなー』と、思いまして……」

「あぁ。伊部のもう一つの人格で、強力なサイコキノ。加えて、夏に俺と三佐が突然呼び出された原因になった人物のことな……伊部から聞いた話しじゃ、確かお前その教育係だったんだろう?」

「はい」

「自宅待機中は寮でゆっくり休んでるかと思っていたが、そんなことに巻き込まれてたとはな……」

「…………」

 淡々と事実だけを語る小田に、光秋は返事に困る。

「…………話は変わりますが、一尉ご出身は?」

 沈黙に耐えかねて、光秋は咄嗟に浮かんだことを訊いてみる。

「俺は千葉。加藤は確か新潟だったよな?」

「はい。こちらのとはまた違いますが……伊部さんは?」

「私は岩手。実家が電気屋なのは、前に話したっけ?」

「はい」

「新潟か……行ったことはないが、酒が美味いって印象があるんだよな……お前がいた方もそうだろう?」

「あー……」

 小田の質問に、光秋は再び返事に困る。

「僕は酒についてはよくわかりません……」

「あぁ、そうか。未成年だったな」

「はい…………」―いかん。会話が続かん……―

 再度の沈黙に、光秋は気まずさを感じる。

「私もお酒の話は……ちょっとねぇ……」

と、少し表情を曇らせた伊部が呟く。

 と、

「なんだ?みんなもう来てたのか」

左肩にカバンを提げた藤原が部屋に入ってくる。

 それを見て光秋は小田たちと一緒に一礼しつつ、

―よかった……―

と、沈黙から救われたと感じる。

―前から思ってたことではあるが……話し下手だなぁ…………―

 伊部の左隣に座る藤原を見ながら、光秋は苦い物を噛む様にそう思う。

 

 しばらくして、

「うーっす」

欠伸混じりに言いながら、左肩にカバンを提げた竹田が部屋に入ってくる。

 光秋はそれに一礼しつつ、左手の腕時計を見る。

―8時10分か……―

 寝むそうな顔をした竹田は藤原の左隣に座ると、大きく口を開けて欠伸をする。

「んーん……やっぱ中途半端に寝るもんじゃねえな……」

「帰ってからまた寝たのか?」

 竹田の独り言に、小田が問う。

「小言ならかんべんしてくださいよ。昨日たいして寝られなかったんだから、別にいいでしょう?……」

言いながら、竹田はまた大きな欠伸をする。

 

 しばらくして、光秋は腕時計を見る。

―9時か……―「三佐、迎えのヘリが来るのは何時でしたっけ?」

「10時だ。今何時だ?」

「9時です」

「あと1時間か」

「はい……」

呟く様に言った藤原に、光秋は短く応じる。

「……」

 同時に、ヘリに乗るという緊張から、掌が若干汗ばむのを感じる。

 

 9時45分。

「よし。そろそろ屋上行くぞ」

「「「「はい」」」」

 左手の腕時計を見て言った藤原に一同たちは答え、光秋以外の4人はロッカーを開けて制帽を取り出して各々のカバンに入れる。

 光秋も右肩にカバンを斜め掛けすると、藤原を先頭にした一行に続いて最寄りのエレベーターへ向かう。

 最後尾の光秋が乗り込むのを確認すると小田が10階のボタンを押し、ドアが閉まるとエレベーターは上昇を始める。

 しばらくして10階に着くと、一行は藤原を先頭にエレベーターを降り、少し歩いた所にある階段を上って突き当たりのドアを開け、正面にヘリポートがある本舎の屋上に出る。

 最後に屋上に出てドアを閉めた光秋は、不意に初めてニコイチに乗った時のことを思い出す。

―そういえば初めてニコイチで浮いた時、ここまで上がったんだよなぁ……―

思うと少し前に進み、左のグラウンド側から右の駐車場側へと顔を動かしてみる。

 と、駐車場側のフェンスの近くに立つ伊部が目に入る。

―そういえばあの時も、伊部さんと一緒だったな……―

初めてニコイチを起動させた時のことを思い出しながら、床一杯に赤く「H」と書かれたヘリポートへ歩み寄る。

 その際光秋は、極力遠くを見ることと、フェンスに近づかないことを心掛ける。

 

 10時ちょうど。

 本舎屋上のヘリポートに緑色のヘリ――UH-1Yヴェノムが着陸すると、

「乗り込め!」

回りっぱなしのローター音に負けない藤原の号令が飛び、一行はヘリに乗り込む。

 光秋はカバンを足元に置いて後部座席の右端に座ると、

-このヘリ、こっちに初めて来た日に乗せられたやつかな?-

と、うろ覚えに考えつつ、若干の緊張と恐怖を覚える。

―飛び始めたら寝よう!―

 心中にそう断じた直後、最後に乗り込んだ藤原がドアを閉め、操縦席に向かって何か言うと、ヘリはゆっくりと上昇を始める。

 光秋はすぐに左隣に座る伊部の右肩を左手で軽く叩き、顔を近付けると、

「少し寝ます。着いたら教えてください」

と手短に言うや、返事を待たずに目を閉じる。

「?……」

 その行動に伊部は首を傾げるが、光秋の知ることではない。

 当の光秋は、

―早く着いてくれ!―

と、瞼越しに伝わってくる振動を感じつつ、心中に絶叫することで精一杯である。


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