白い犬   作:一条 秋

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 今回はタイトル通りの回です。詳しくは読んで確認してください。
 では、どうぞ!


26 話題は「ニコイチ」

 10月1日金曜日午前5時。

「……!」

携帯電話のアラーム音で目覚めた光秋は、すぐにベッドから出ると食事や着替えなどを心なしか焦って済ませ、注し終えた目薬3つを灰色のカバンに入れ、荷物の確認をする。

「着替え、よし。ハンカチ、よし。髭剃りと、クシ、鏡、目薬は今入れたし……あと入れっぱなしの歯ブラシと歯磨き粉、ちり紙……いいな」

断じると、左手首に腕時計と数珠を巻き、上着のポケットに財布と携帯電話、ニコイチのマニュアル、胸ポケットにカプセル、ズボンのポケットにハンカチと部屋の鍵を入れる。

 机の上の時計に目をやると、6時10分である。

―そろそろ……と、その前に―

用を足し、風呂場で口を漱いで顔を洗うと、気合い入れに突きの練習を15本行う。

 制帽を被ってカバンを右肩に斜め掛けし、戸締りと荷物の確認をすると、制靴を履き、ドアの鍵を閉めて鍵をズボンの左ポケットに入れ、京都支部へ向かう。

 

 支部の正門前に着いた光秋は、周囲に伊部がいないと見ると、門を背に敷地の外で待つことにする。

 6時半。

「加藤くん!」

「!」

名前を呼ばれた辺りを見回すと、制帽を被り、左肩に大き目のカバンを提げた伊部が右から速足で寄ってくるのを見つける。

「ごめん!待った?」

「いえ……じゃあ、行きますか」

そう返すと、光秋は胸ポケットからカプセルを取り出し、先端を本舎前の駐車場に向け、左膝を着いたニコイチを出現させる。

 リフトに歩み寄り、カバンを提げている分いつもと調子が違うために注意してコクピットまで上がり、カバンを操縦席の正面の床に置く。席に着き、カプセルを右の肘掛に納め、制帽を膝の上に置いて認証を済ませると、伊部の許にニコイチの右手を差し出し、ハッチを開けて機外へ出る。

 伊部が掌に乗って体を安定させるのを見ると、その間にシートベルトを締めた光秋は手を慎重にハッチの上に置き、伊部がコクピットに移ると席を機内に下ろしてハッチを閉める。

 ニコイチを直立させると、左パネルの地図に従って門の方を向いているニコイチを右に向け、右ペダルを踏んで一気に上昇する。

「じゃあ、行きます」

「どうぞ」

左隣に立つ伊部の返事を聞くと、光秋は右の操縦桿を前に倒してニコイチを前進させる。

 と、

「!」

左耳に通信機を付けた直後、忘れ物を思い出す。

―予備のメガネ……まいっか―

すぐに割り切ると、心なしかペダルを深く踏み込む。

 

 薄暗い空の下、ニコイチが前進を始めて少しすると、光秋は正面を見つつ伊部に意識を向ける。

「目的地までしばらくかかりますが、脚大丈夫ですか?」

「大丈夫」

 言うと伊部は、床に置いてあるカバンからビニールシートと小さめのクッションを取り出し、シートを床に敷き、その上にクッションを置いて操縦席の左側を背もたれにして腰を下ろす。

「スペースがあるのはいいんですが……予備の椅子がないからなぁ……」

「修学旅行のバスじゃないんだから」

光秋の呟きに、伊部は微笑を含んだ声を返す。

「……そういえば、ニコイチってなにで動いてるんだっけ?」

「?……どうしたんです?突然」

伊部の思いがけない質問に、光秋は思わず訊き返す。

「ちょっとした興味だよ。私の実家、電気屋でね。そのせいか、他人(ひと)より機械に興味があって」

「なるほど……あれ?でもこの前、マニピュレーターの意味が解からなかったような?」

「あぁいう専門的なのはダメだけど、家電くらいならだいたいはね。で、結局なにで動いてるの?」

「燃料ってことですか?」

「そう」

「……」

 伊部の質問に、光秋は春に行われたニコイチの調査の記憶と、ESO入隊前後にマニュアルを斜め読みした時の記憶を思い出す。

「それが……大河原主任のチームが調べた時、外からは給油口とか充電器みたいなものは発見できなかったそうです。僕もマニュアルでちょっと見てみたんですが……」

言うと左手を上着の左のポケットに伸ばしてマニュアルを取り出し、開いて右の人さし指で何度か画面を触れる。

「!ちょっと!手ぇ離して大丈夫なの?あと、前見てないと……」

操縦桿とモニターから手と目を離した光秋を見て、伊部は驚きの声を上げる。

「大丈夫ですよ」

言いながら光秋は伊部の方に上体を向け、右手で上部を持ったマニュアルの画面を見せる。

「単純な動作なら、人間、というよりも生き物の反射の様に意識せず勝手にやってくれます。一度動きが軌道に乗ればなおのこと。なにか近づいてくれば、避けられれば自動で避けるし、どうしてもダメなら警報なり寒気なりで教えてくれますよ」

「そう?……」

不安そうに応じながら、伊部はマニュアルに目をやる。

 マニュアルには、ニコイチの内部構造を簡単に示した概略図と、その合間を縫う様に書かれた説明文が、左右両画面に渡って表示されている。

「ここを見てください」

言うと光秋は、ニコイチの全体図の胸周りを指で突き、コクピットとその周囲を左から見た断面図を表示させる。全体図の時にはあった詳細な説明文はなく、コクピットとその真後ろにある大型の円柱形の部品―おそらくは飛行時に背中の円形の隙間から洩れる光の光源となっているそれ―が大きく映し出され、図の合間に部品の名称が小さく書かれている。

「ニコイチは基本的に電気で動いてるらしいんですが……」

「じゃあ、コクピットの後ろのコレが発電機?」

光秋の言葉を受けて、伊部は円柱形の部品を指す。

「いえ、よく見てください。ソレは蓄電器です」

「え?」

光秋の言葉に、伊部は目を凝らして部品の名称を見る。確かに「蓄電器」と書かれている。

「蓄電器って……」

「えぇ、あくまでもソレは電気を溜めるだけで、発電しているわけじゃありません。厳密には大元のエネルギー源を電気に変える変換機と、各所に電気を振り分ける送電機の機能を兼ねてるみたいですが。つまり、外にエネルギーを得るための器官がなく、内にもそれらしい物がない。火力発電で言うところの石油や、原子力発電で言うところのウランにあたるものがニコイチの場合なんなのか、未だに解からないんです」

「……」

光秋の説明に、伊部は口を噤む。

「ただ、ちょっとここを見てください」

「?」

言われて伊部は光秋が指した操縦席の真下と蓄電器とを繋ぐS字状の管を見る。

「コレって……電気を送る配線でしょう?」

「おそらく、そうなんでしょうが……」

伊部の言葉に、光秋は一瞬迷った顔をするが、

―……いや、二尉ならいいだろう。言おう!―

すぐに考えを決め、続きを話す。

「僕が考えるに、ニコイチの燃料って、僕なんじゃないかって思うんです」

「?……どういうこと?」

「こっちに来る前に本で読んだことがあるんですが……曰く、感情をエネルギーにするって」

「……」

「もちろん、なにかの論文なんかじゃなく、小説のフィクションですがね。特殊な機器で意思を感知して、それを他のエネルギーに変換するっていう。つまりこのS字の管は、コクピットで得た僕の意思を変換装置に送るための物じゃないかって……もう少し解かり易く言えば、ニコイチを肉体として、僕はその魂にあたるといったところか。ただ僕は、こういう心身の二分化という考えがあまり好きでないので、すごく馴染み合ってる時に限っていえば、体の延長、義手・義足なんて表現を借りて『義体(ぎたい)』って考えてるんですが……」

周りを意識の外に置いて一気に持論を言うと、光秋は伊部にゆっくりと意識を向ける。

「……」

伊部はなにも言わず、ただ遠くを見る目を寄こす。

「……当初の質問と少しズレてしまったみたいですが……要するに、ニコイチのエネルギー源は僕かもしれないってことです。ちょうどイスの頭掛けにも脳波を撮る為の腕がありますし、感情が高ぶった時に圧倒的に強くなったこともありますし……もちろん、厳密に調べたわけじゃないですが……」

「……」

補足を言っても遠い目を向けるだけの伊部に、光秋は漠然とした不安を覚える。

「……二尉からすれば、例え仮説でも、僕の言ってることなんて子供の空想にしか聞こえないんでしょうが……」

重く感じる沈黙に、光秋は思わず明文化された不安を呟いてしまう。

 と、

「!……別に、そういうことじゃなくて……ちょっと、理解が追い付かなかったっていうか……」

「はぁ……」

伊部は慌てて応じるものの、光秋はパッとしない返事をする。

「……」

 少し迷ってから、光秋はさらに続けることにする。

「ただ、どんなに現実離れしたことでも、『あり得ない』とは、少なくとも言い切ることはできないでしょう?現に僕からすれば、異世界の存在や超能力の実在なんて、ついこの間までフィクションでしかなかったんですから。同じ理屈……とも言えませんでしょうが、本で読んだ様な感情をエネルギーにする機関が実在するかもしれない。そもそも人間が『知っていること』と、『知らないこと』の数を比べた時、どっちが多いと思います?」

「……知らないこと?」

「でしょ!一見不可思議に見える現象でも、それはあくまでも人間がそれを説明する知識を持っていないだけのことでしかない。もちろん、調査を続ければいずれは『解かること』になるんでしょうが……だから、いくら非理屈的に思えることでも、頭ごなしに『あり得ない』とするのは、どうかと思うんです」

「……まぁ、一理あるよね」

光秋の少し熱のこもった話に、伊部はやや消極的な相槌を打つ。

「……ところで、そのこと大河原主任には話したの?」

「いいえ」

伊部の質問に、光秋はすぐに答える。

「さすがに、専門家に話す程の勇気は……」

と、先程までの熱が抜けた弱々しい声で続ける。

「主任、というよりも調査班の人に話したことといえば、振動対策と基本構造くらいですかね」

「歩いても殆ど揺れない訳?」

「えぇ……」

 言うと光秋は、マニュアルの概略図のコクピット部分を触れて拡大させる。

「ここを見てください」

「?……」

言いながら拡大図のコクピット正面を指さし、伊部はその部分に目を凝らす。

「表面との間に隙間がある?」

「えぇ。コクピットそのものが1つの箱になっていて、周りの部品から少し離れてるんです」

「反発した磁石が宙に浮いてる様な感じ?」

「おそらく。ただ、これが磁力によるものかどうかは解かりませんが。こうすることで、歩いたり被弾した時の振動を伝わり難くしてるんですね。それでもときどき揺れるのは、さっきのS字管みたいに、どうしてもコクピットに繋がなきゃいけない部品から伝わってくるんでしょう」

「なるほど……振動を起き難くするんじゃなくて、伝わり難くしたのか」

「えぇ」

「で、基本構造っていうのは?」

「ちょっと待ってください……」

 伊部の言葉に、光秋はマニュアルの映像を全体図に戻し、新たにニコイチ全体の正面からの断面図を表示させる。

 コクピットを中心に赤い骨組みが末梢に向かって1本ずつ伸びており、腹部はそれが左右3つずつに割れていて腹筋を想起させる。頭部には箱状の部品があり、それらを覆う形で外側を白い装甲が取り囲んでいる。

「ご覧の通り、けっこうシンプルな造りなんです。マニュアルによると、この赤い骨組みがコクピットで拾った僕の意思を適所に伝えて、よくやるイメージ操作を可能にしてるんです。頭のこの箱は、モニターや通信機、あと空調なんかの管理をしてるそうで、これらを守るのが、ニコイチの特徴である白い装甲ですね。もっとも、装甲の限界まではマニュアルにはありませんでした……さっきの『義体』の話に当てはめれば、箱は脳みそ、骨組みは骨格兼神経、装甲は皮膚にも見えますよね」

「確かに、言われてみればねぇ……一応、機械の映像見てるってわかってるんだけど……ちょっと気持ち悪くなってきた…………」

光秋の説明に、伊部はマニュアルから目を逸らしながら応じる。

「……」

 そんな伊部の様子を見て、光秋は上体を前に向け直してマニュアルを自分の許に寄せ、その画面を項目の一覧に戻して左の肘掛に納める。

「僕は勝手に、頭の箱を『Nブレイン』、骨組みを『Nフレーム』、装甲を『Nメタル』と呼んでるんですがね」

「ふーん?……」

「ついでに、背中の円形の飛行装置を『Nクラフト』と呼んでるんですが……ある意味でコイツは、擬似エスパーマシーンですよ。感覚の強化や、推力らしい推力なしに空を飛んで。超能力者が備えてるものを機械的に付け加えた様な感じがします」

「確かにねぇ……」

正面を向いた光秋の補足と感想に、伊部は操縦席の左側に背中をもたれ掛けて応じる。

―……7時か。少しのんびりしすぎたな―

 左手の腕時計で時刻を確認した光秋は、両手を操縦桿に置くと、右ペダルを少し深く踏んでニコイチの速度を上げる。

 

 しばらくして、ニコイチは演習場付近の上空にさしかかる。

―7時50分。なんとか間に合ったか……―

腕時計で時刻を確認しながら、光秋はホッと安心する。

 直後、

「「!」」

機内に接近警報が鳴り響き、伊部は身構え、光秋は警報と同時に左から来る寒気を感じ、すぐにニコイチを静止させてモニターに目を巡らす。

 と、

「!」

ニコイチの正面間近を1機の黒い飛行機が左から右へと高速で横切っていく。

「「?……」」

突然のことに、光秋と伊部に緊張が走る。

 と、

(驚いたか?ジャップ。俺だよ!)

「その声!……タッカー中尉!」

左耳の通信機越しの嬉しそうな声色に、光秋は白色系の肌に短い金髪、青い目をしたアレク・タッカー合空軍中尉の顔を思い浮かべる。元来耳に自信がない光秋であるが、すぐ耳元で声を聞いたことと、自分のことを「ジャップ」と呼ぶ人はタッカーしかいないことからそう確信する。

「タッカー中尉?」

「えぇ」

顔を寄せた伊部の問いに答えつつ、光秋は右パネルのレーダー表示に目をやってタッカー機の影を探す。

 が、

―レーダーの範囲内いると思うんだが……見当たらない?ステルス機か?―

そう思ってすぐに、正面側に漠然とした気配を感じる。

―……こっちか―

 その気配に従ってニコイチを少し前進させると、右前方に向こうからも近づいてくる黒い戦闘機を見つける。

―あれか―

そう思うと、通信機にタッカーの声が響く。

(お前にしちゃあ遅いんで、ちょっと心配したぜ)

 伊部が通信機に右耳を近づけるのを視界の端に見つつ、光秋はマイクに吹き込む。

「それは……どうもすみません」

(ま、伊部二尉とのフライトなら、時間も掛かるか?)

「?……中尉、なんで二尉が一緒乗ってるって知ってるんです?」

(さっきの会話が無線から聞こえたんだよ)

「あぁ、そうか……」

(とりあえず、今はここまで。また後で下で会おう)

通信機越しにそう言うと、正面の戦闘機―タッカー機が比較的ゆっくりとした速度でニコイチの右横を通り過ぎていく。

 光秋はそれを追う様にニコイチを振り返らせると、

「はい。そちらも気を付けて」

と、タッカー機の背に向かって返し、振り返って着地予定地へ向かう。




 いかがでしたか。
 ニコイチについて物語の中で説明したいと思って書いたエピソードでした。興味を持っていただけたでしょうか?
 次回もお楽しみに。

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