白い犬   作:一条 秋

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 想い人編も今回で完結です。
 迫る危機を光秋たちはどう乗り切るのか?そして綾の運命は?
 では、どうぞ!


21 別れと再会、そして前へ

 光秋にもたれ掛った綾は、少しも動かず、何も話そうとしない。

「…………綾?」

と、光秋が体を少し前に動かすと、綾はそのまま背後に向かって倒れていく。その拍子に綾の帽子が脱げる。

「!」

咄嗟に両腕を伸ばして受け止めると、その上体を右腕に預けて左膝を着き、左手で綾の右頬を軽く叩きながら、

「綾!あーや!」

と呼び掛けてみるが、

「…………」

綾は全く反応しない。

「…………!……まさか!」

光秋はすぐに左手を綾の首に当てる。

「…………脈は……あるか!」

次に左耳を綾の鼻に近づけ、耳を澄ます。

「…………呼吸も、してる…………どうなってるんだ?」

 直後、

「!…………」

光秋は自分たちの許に近づいてくる車のエンジン音を聞く。

―迎えか!これで…………否!違う!―

近づいてくるエンジン音はやけに大きく、耳に自信のない光秋でさえ複数の車が来ると判る。

 少し間を置いて、光秋の左前方にある車道から10台の黒い乗用車が次々と現れ、光秋と綾の前に間を置きながらも、2人を囲む様に停車していく。

―何だ?この人たち…………―

 目前の異様な事態に若干の恐怖を覚えながらそう考えた直後、車のドアが一斉に開き、車内から黒いスーツにサングラスを掛けた男たちが現れる。

「どうかなさいましたか?」

光秋たちの一番近くにいる黒服が優しげな声で歩み寄ってくるが、その言葉と周囲の状況からくる押し潰される様な雰囲気との落差が、かえって光秋の恐怖心を増長させる。

「…………」

 男たちに対して直感的に危険を感じた光秋は、

「何者です!あなたたちは!」

と、大した効果は期待できないと知りつつ、威嚇の強い声を出し、上目づかいに男を睨みつける。

「我々は合軍の戸松教授の支援者です。教授からの頼みで彼女を迎えにきたのですよ」

歩み寄った男は足を止め、事務的な口調で応じる。

「何の頼みです?」

「機密事項です。我々にお話しする権限はありません」

「教授からの連絡は聞いていませんが?」

「緊急のことで連絡がいってなかったのでしょう」

「では今から確認してもよろしいでしょうか?」

「えぇ、どうぞ」

 光秋は左の脚ポケットから携帯電話を出し、戸松教授にかける。

 が、

―……!?繋がらない?―

左耳から離して画面をよく見ると圏外になっている。

「どうしました加藤三曹?早くご確認を」

男は少し嘲笑う様な声で言う。

「くっ…………」―こうなったら!―

光秋は電話をポケットに戻すと、そのまま左手でカプセルを掴む。

 が、

「およしなさい」

男は刺す様な声で言う。

「あなたがUKD‐01に乗り込んで我々を踏み潰すより……」

男たちは右手を上着の内ポケットに伸ばす。

「我々があなたを蜂の巣にする方が遥かに早い」

「…………」

その言葉に、光秋の体が固まる。

「こちらも手荒なマネはしたくありません。むしろあなたが彼女を寝かし付けてくれたおかげで、予定よりだいぶ穏便に済ませられそうなのですよ?」

「…………」

男の声を聞きながら、光秋は周囲に目を走らせて状況打開の道を探ろうとする。

―確かに、ニコイチに乗るには時間が掛かる。かといって素手で仕掛けても、勝てる見込みはない!向こうが銃を持っているのもそうだが、多勢に無勢。囲まれて逃げ道がない。何よりこいつらは、()()()!NPやサン教なんかの寄せ集めとは違う!恐らく丸腰の1対1でも僕の方が圧倒的に不利だ。普通の喧嘩にさえ勝った記憶のない僕には……―

 と、男たちは内ポケットに手を伸ばしたまま光秋たちとの距離を詰めてくる。

「さぁ、彼女を引き渡してください。心配なさらずとも、彼女にもあなたにも、言う通りにすれば危害は加えません」

―……仮にそれが本当でも、こんな連中に綾を渡すわけには…………しかし、どうすれば……―

打開の道が見出せず、光秋はせめてと言わんばかりに綾を抱く両腕に力を込める。

 その間にも男たちは、光秋と綾との間合いを詰めてくる。

―…………ここまでか…………―「クッ!…………」

そう理解しつつも、光秋は綾を抱く腕に一層力を込める。

 と、直後、

「よく言うぜ!」

―!?上杉さん?―

光秋は聞き覚えのある声の叫びを聞き、声のした方―左前方を見る。

 と、黒の大型車が1台、光秋たちの方へ真っ直ぐに突っ込んで来る。

「!?」

光秋が突然の事態に動揺している間に、大型車は男たちの車を撥ねる様に退かし、男たちが慌てて避けるのを傍らに光秋と綾の前で急停止する。

 直後に右後部のスライドドアが開き、車内から半身を出したタッカー中尉が急かす声で言う。

「ジャップ!乗れ!」

「?……あ!ハイ!」

 活路が開いたと直感した光秋は綾を抱えて車に駆け寄ると、綾を投げる様に中央列に寝かせ、自身も転がる様に車に乗り込む。

「上杉!出せ!」

ドアを閉めながら間を置かずにタッカーが叫ぶと、運転席に着く上杉は返事をするのも惜しんですぐに車を後退させ、開け放たれた右の窓に向かって、

「教授!後は頼みます!」

と叫ぶと、そのまま左折して敷地内の草原を一直線に疾走する。

―教授が?―

光秋は一瞬気になったが、床に伏せる様に座っている体勢では確認のしようがない。

 その間にも車は速度を上げ、男たちとの距離を離していく。

 

 「了解だ!」

上杉の呼び掛けに応じた戸松教授は、光秋たちと男たちの間を分断させる様な位置に車を停めさせ、男たちの側に面した右後部のドアから降りると、大きく張った胸の前で両腕を組み、白衣姿を仁王立ちさせる。

「ここから先は、この私が通さん!」

「戸松教授ぅ!……」

男の中の1人が唸る様に言う。

「いいえ、通していただきますよ!いくらプロジェクトの中心人物である教授でも、邪魔をするなら!」

別の1人が怒りを押し殺した声で言うと、男たちは一斉に内ポケットから拳銃を出し、全員がそれを戸松に向ける。

 が、

「ほぉう?やるかね?」

戸松は臆する様子のなく言う。

「あんなことをしてしまったマッドサイエンティストの辞書にも一応、『良心』という文字はあってね!」

 と、戸松は急に男たちの背後に目を凝らす。

「お!来たな」

「?」

その言葉に男たちが振り返ると、自分たちも通って来た車道から1台の緑の軍用車が現れ、男たちのすぐ後ろに停車する。

 と、車の左前部の窓が開き、竹田二尉が身を乗り出す。

「三佐!あの髭の人です。連絡したの」

「?」

男たちが再び戸松に目をやると、

「では藤原三佐!後は頼みますよ!」

と、戸松は右手を口の横に添えて叫ぶ。

「?……」

 男たちが再び振り返ると、

「了解した!」

と、軍用車から多分なな怒りを含んだ声が響き、右後部のドアが開くと、白い道着に身を包み、腰に黒帯を締め、顔一杯に怒りを刻んだ藤原三佐が現れる。

「貴様等かぁ!儂の部下に付きまとう変質者は!」

藤原から雷の様な絶叫が発する。

「へ、変質者?」「?」「……?」

 男たちが動揺する中、1人が上着の胸ポケットから手帳を出し、左手に持ったそれの身分証明のページを開いて藤原に見せる。

「我々は陸軍の特殊部隊の者だ!ESOの連中か?任務の邪魔だ!すぐに立ち去―!」

身分証明の男は言い終わらないうちに顔面に殴られた様な衝撃を受け、そのまま地面に崩れ落ちる。

「!…………」

 男たちが倒れた男から藤原に視線を向けると、右正拳が突き出されている。

「小悪党風情が軍の名を出すとは、笑止千万!儂らは部下から、そちらの髭の方から部下2人が変質者の集団に追い回されていると言う通報があったと言う話を聞いて駆け付けてきたのだ!」

「…………」

 藤原の言葉に男たちは、再三教授を見やる。

「……」

教授は、歯を見せている。

「クソッ!おい!Eジャマーだ!」

「はい!」

男の1人が1台の後部トランクに駆け寄り、中から2つのスーツケースの様な物を出して地面に置き、フタを開けて藤原の方に向ける。内側には上下に2つずつ、Eジャマー特有の緑の円盤が設けられており、すでに電源が入っている。

「よし!こいつらも片付け―!…………」

男の指示が終わらないうちに、藤原はその男に瞬時に駆け寄って鳩尾に渾身の左突きを入れ、男は仰向けに倒れる。

「フン!超能力を封じれば儂を殺せると思ったか!残念だが、儂は竹田に呼ばれるまで支部で格闘戦の自主訓練をしていてなぁ。体は温まっとるんだ!」

「…………」

銃を向けながらも、男たちの顔から一斉に血の気が失せていく。

「さてと…………ここからが訓練本番だぁ!」

そう叫ぶと、藤原は男たちの中に突っ込んで行く。

 男たちは何とか銃口を合わせようとするが、その前に藤原の丸太の様な手足が跳び、1人また1人と地面に崩れ落ちていく。

「ハァ!まだまだ終わらんぞぉ!」

 藤原が雄叫びを上げる傍ら、軍用車の前で棒立ちする竹田は、

「一尉、オレたち手伝わなくていいんすかねぇ?」

と、答えがわかっている口調で右隣に立つ白いTシャツに青いジーンズを着た小田一尉に訊く。

「手伝いたきゃ手伝えばいいが、そうすると()()()ボコボコにされるぞ?」

「そーすねぇ…………」

竹田が応じると、2人はそれ以上何も言わず、藤原に襲われている男たちに若干憐れみを含んだ視線を向ける。

 戸松は目の前の様子を見て、

「フッ!見たか!私のコネクションを」

と、勝ち誇った笑みを浮かべている。

 

 男たちとの距離をだいぶ開けた光秋たちは、森林の下に車を停め、綾の様子を診ている。

「…………体の方は、特に異常はないが?」

左のスライドドアを開けて立つ上杉が、光秋の膝を枕にして眠る綾の額から右手を離して言う。

「お前らオレたちが来る前、いったい何してたんだ?」

「……綾には、テレパシーの能力があったみたいなんです」

上杉の質問に、カバンを外して足元に置いた光秋は綾の顔を見ながら答える。

「僕に対して気になることがあったようで、試しに能力を使ってみたら、こんなことに…………」

「それなら、まだ加藤君の中に入ったままなんじゃない?」

前部左席に着く横尾中尉が、光秋の方に顔を向けて言う。

「どうなんだジャップ?何か感じるか?」

上杉に代わって運転席に座るタッカーに訊かれて、光秋は自分の中に意識を集中してみる。

「…………いえ、特に変わった感じは……」

「どっちにしろ、寝たきりの人間を抱えたままいつまでも逃げられませんよ。アヤちゃんを起してあいつら撃退するか、すぐに伊部二尉に戻して奴らの追う理由をなくすかしないと」

「……だな」

上杉の言葉にタッカーが応じる。

「一度敷地から出て、教授の研究所に向かうか?そこなら、どっちの選択肢も可能だろう」

 が、

「待って!」

横尾の制す声が響く。

「……そんな余裕はなさそう!」

「「!…………」」

横尾が窓を開けて耳を澄ましながら言うと、タッカーと上杉もそれに倣う。

―…………何だ?―

光秋も耳を澄ますが、季節特有の蝉の音くらいしか聞こえない。

 と、

「…………最低でも、5機?」

「それもけっこう近い!」

上杉がささやく様に言い、横尾も同様の声で応じる。

「何です?」

「ヘリだよ」

光秋の問いに上杉が応じる。

「段々近づいてる」

 直後、

(森の中に隠れている者たちに告ぐ!)

蝉の音をかき消す拡声器の声が響く。

(いるのはわかっている。大人しく彼女を引き渡せ!言う通りにすれば君たちに危害は加えない。ただし!抵抗すれば容赦しない)

―…………ここまでか…………―

 光秋はそう思うと、1回大きく深呼吸をする。

「…………中尉たちは、逃げてください」

「「「?」」」

静かに放たれた声に、3人の顔が一斉に光秋に向けられる。

「ここは僕がニコイチで引き受けます。その間に綾を連れて、遠くへ」

「いや、それはまずい!」

タッカーが言う。

「この辺の樹の背丈じゃあ、ニコイチは隠せない。出した途端に樹の間から出て、お前が乗り込む前にやられるぞ!」

「……それでも、他に方法はないでしょう?」

「…………」

光秋の返事に、タッカーは口籠ってしまう。

「では、さっそく」

と、光秋は立ち上がろうとする。

 が、

「!」

車の正面にある木々の合間に黒いヘリが1機降下し、開いた左右のドアから自動小銃の銃口が光秋たちに向けられる。左右と後ろにもヘリは降下し、車は5機のヘリに囲まれてしまう。

「…………」

(これが最後だ。彼女を引き渡せ!)

ローター音に負けない拡声器の声が響く。

「…………」

光秋は周りを見回すが、3人は金縛りに遭った様に動かない。

(…………了解した。実力を以て対処する)

 直後、5方向から2列ずつの銃弾が車に殺到する。

「!」

光秋は目を固く閉じ、上体を綾に被せる。

「………………?…………」―弾が、当たらない?―

不思議に思った光秋は目を開け、ゆっくりと上体を起こし、正面を見る。

 と、

「!」

フロントガラスを埋め尽くす程の銃弾がガラスの少し前で宙に浮いて止まっているのである。

 光秋は急いで首を回すと、左右の銃弾も同じ様に宙に浮いて止まっているのを見る。

「…………なっ!?」

上杉が前に出した腕の合間からその光景を見て声を上げると、タッカーと横尾も腕を下ろす。

「「!」」

 直後、止まっていた銃弾が後ろに弾き飛び、同時に5機のヘリも玩具の様にその場から遠くへ弾き飛ばされてしまう。

「……念力!?」

光秋は半ば当てずっぽうに呟くと、顔を膝の上の綾に向ける。

 と、

「……?…………」

突然意識が遠くなり、綾に顔を向けたまま自失していく。

 

 「…………!」

気が付くと光秋は、白く輝く広大な空間に、左腕で両脚を抱いて座っている。

 目の前には、白の半袖のワイシャツに赤チェックのロングスカートを着た綾が、膝を折って光秋と目線を合わせて座っている。

 光秋は服装こそ白い半袖シャツに薄黄色の長ズボンであるが、サイズがやけに小さく、それを着る体も小学校低学年程の背丈になっている。

―何だ?これは…………―

そう疑問を抱く一方で、光秋の意識にはちょうどこれくらいの背丈の頃の、そして、未だに内面の奥に巣食う、自身にとってあまり気分のよくない価値観が湧き上がってくる。

 幼い光秋は顔を俯け、右手を目の前の車の玩具に伸ばし、それを飽きずに前後に動かしている。

―なにしてるの?―

綾が静かに訊く。

―遊んでる―

幼い光秋は顔を上げず、車を動かす手を休めずに短く答える。

―独りで?みんなと遊ばないの?―

―……僕は、みんなと違うから―

―違う?―

―うん。みんなと同じ様に遊べないから、独りで遊んでる―

―……あたしが、一緒に遊んでもいい?―

―いいよ。独りがいい。独りなら自分の好きにできるし、誰にも迷惑かけないし―

―迷惑って?―

―みんなが僕と一緒に遊ぶと、迷惑する…………うんうん、遊びだけじゃなくて、なにをやっても僕がみんなと同じにできなくて、邪魔になって迷惑する。独りなら、そんなの気にしなくていいから―

―気にならない、のかな?―

―うん…………いっそ僕なんか、このままここで独りでいればいいんだ―

―え?―

―そうすれば、誰にも迷惑かけない。誰の邪魔にも……ならない。僕なんて…………ここでじっとしてた方が…………―

言いながら、幼い光秋は車を持つ手を微かに震わせ、眼頭を熱くさせる。

 と、

―結局、あの光がなんだったのかわからなかったけど…………―

綾はそう呟くと、両腕を幼い光秋に伸ばす。

 幼い光秋は両脇に腕を通されると、車から手を離し、立ち上がった綾の胸の中に強く抱きかかえられる。

―アキ、自分がいることが迷惑だなんて言わないで―

両目を閉じた綾は、幼い光秋の左耳に顔を近づけ、優しい声で言う。

―みんなと違ってたっていい。アキは、アキだからこそできることだってある。元の世界にもそうだけど、この世界にだって、アキを大切に想ってくれている人が絶対にいる。あたしが、その1人なんだから!―

―…………―

幼い光秋の目に、涙が溢れ出る。

―だから、こんな所で独りでいるのはやめて。世界は広い、1人の知感(ちかん)には限界がある。だからこそ、自分から進んで行く。それを教えてくれたのは、アキでしょう?―

―…………あぁ!…………―

光秋は両腕を綾の首に回し、力一杯涙を流す。

 綾は光秋を抱える腕に力を込め、光秋の想いを受け止める様に強く抱きしめる。

 

 ―………………?…………涙?―

気付けば光秋は、両目から大粒の涙を流している。

 と、

「…………アキ…………」

「!綾!」

膝の上で目を覚ました綾を、光秋は両腕で自分の胸に力一杯に抱きしめる。急いで抱き寄せたために少々乱暴な動作になってしまったが、光秋は綾を認識した途端、自分と綾の間に僅かでも空間があることが許せなかったのである。

「…………どうしたのアキ?泣いたりして」

「……よく、わからないけど……お前がそばにいてくれることが、どうしようもなく嬉しい!」

背に両手を回しながら微笑んで訊く綾に、光秋は涙声だがはっきりと応じる。

「ありがとう……僕に出会ってくれて……僕を好いてくれて…………」―何で、僕と綾は別人なんだ?どんなに強く抱きしめたって、結局は違う体同士。完全に1つになることは、できない!今は、その事実が、すごく悔しい!…………―

綾を抱く光秋の腕に一層力が込もる。

 と、

「おい、ジャップ…………」

タッカーの困惑した声に、光秋は綾を抱く腕を少し緩め、自失から回復して初めて周りを見回してみる。

 と、タッカーと横尾、上杉が、唖然とした顔を光秋と綾に向けている。

「大丈夫か?魂が抜けた様な顔したと思ったら、急に泣き出して……挙句アヤに泣きついて……」

「ていうかアヤちゃん、何したんだ?」

タッカーに続いて、上杉が問う。

「あたしはただ、アキに精一杯優しくしてあげただけだけど?」

上杉の方を向いた綾は、当たり前のことを説明する様な調子で言う。

「アキの中でおしゃべりしてただけ。それだけで、アキ、すっきりしたから……ただ……」

「?…………!」

 少し暗い表情に、光秋は綾の言おうとすることを察してしまう。

「イベさんが、そろそろ起きるみたい」

「…………」

光秋は、自身の心中が重くなるのを感じる。

「あとどれくらい?」

「わからないけど……そんなに時間ない。でも……あたしは、アキのこといろいろ知れて、おしゃべりもできて、もう、満足だから…………」

言うと綾は、光秋に満面の笑みを向ける。

―…………いつかはこうなるって、わかってたのに……僕だって、綾のことをどんどん好きになってるって自覚してたのに……伊部二尉のことと一緒くたに考えて、ちゃんと向き合おうとしなかったから!―「僕は、遅すぎた…………」

光秋は小声で弱々しく呟くと、再び綾を抱き寄せ、左耳に口を寄せる。

「……ごめん、綾…………」

 と、

「ジャップ!さっき使おうとしたもの、今が本当に使い時だろう?」

「?…………!」

タッカーの言葉に、光秋は急いで左の脚ポケットからニコイチのカプセルを取り出し、綾と共にソレを見つめる

「…………」

「後始末は俺たちがやっておくからよ、悪いと思ってるならせめて、最後の一瞬まで、2人っきりでいてやれよ」

「タッカー中尉…………ありがとうございます!」

言うと光秋は、綾と一度離れて車正面の木々の合間に駆け寄る。

 左手に持ったカプセルを前に向け、レバーを「入」から「出」に切り替え、ボタンを押すと、先端から放たれた光が人型に膨らみ、目の前に左膝を着いたニコイチが現れる。

 光秋はすぐにニコイチに駆け寄り、リフトを掴んでコクピットに上がると、リフトをハッチに仕舞い、操縦席に着き、カプセルを右の肘掛に仕舞い、帽子を脱いで膝の上に置く。機内に下りながら認証を済ませると、ハッチを開けて機外に出、その間にニコイチの前に移動していた綾の許にニコイチの右手を差し出す。

 綾が手に乗ると、光秋は逸る気持ちを抑えて手を慎重にハッチの上に置き、綾が操縦席の左側に移動して背もたれにしっかり掴まるのを確認すると、ニコイチの右手を下ろして直立させる。

「上杉さん!横尾中尉も!ありがとうございます!」

眼下に並んだ3人にそう叫びかけると、光秋は急いでシートベルトを締め、右ペダルを軽く踏んで、ゆっくりとニコイチを上昇させる。

 

 「バーカ。遅くなんかねぇよ……」

「え?」

左隣に立つ上杉の呟きに、横尾が顔を向ける。

 上杉は徐々に小さくなるニコイチを見上げながら、

「いえね、加藤が小声で言ったんですよ、『僕は遅すぎた』って。でも、どんないすごい能力や才能を持ってたって、誰か1人をあんなふうに、とことん好きになるなんて、めったにできることじゃないし、そういうのに、早いも遅いもないだろうって」

と答える。

「……気付いたその時が、Just(ジャスト) time(タイム)、か…………」

横尾の右隣に立つタッカーが、呟く様に言う。

「さて!センチメンタルはここまでだ。そろそろ後始末にかかろう」

「……そうね」

「ですね」

タッカーの言葉に、3人は振り返って車に向かう。

「とりあえず陸軍が関わってるなら、横尾中尉だ。頼む」

「そんな一方的に振られてもねー…………」

と、タッカーと横尾が話しながら歩き、上杉は2人の後を付いていく。

 

 高度を一定まで上げると、ニコイチは前方に向かって水平飛行を始める。

 光秋がコクピットを機内に下ろさないのは、その時間を惜しんでのことでもあるが、それ以上に、

―せめて最後まで、綾に、直に世界を感じさせてあげたい!―

 少し進むと、ニコイチは前進をやめ、滞空に入る。

 と、

「…………!……綾…………」

左側に控えていた綾が操縦席の正面に移動し、パネルを左右に退けて光秋に抱きついてくる。

「…………最後まで、こうしてていい?」

左耳に口を寄せてささやかれた問いに、光秋も操縦桿から離した両手を綾の背に回し、

「いい。むしろ、そうしていてくれ」

と、綾を抱き寄せ、回した腕に力を込めて言う。

「あと…………もう1つお願い」

「ん?」

「…………」

綾は両目を閉じ、口を半開きにする。

「…………」

光秋も目を閉じ、口を半開きにすると、顔を近づけて口と口を合わせる。

 光秋と綾は、互いの舌を撫で、互いを抱く腕に力を込め、互いの温もりを感じ、互いの体臭で鼻をくすぐる。

―…………いや、別人だからこそ、こうやって抱き合うことができる!自分自身を恋人にすることはできないが、他者がいるからこそ…………綾…………―

そう思った光秋は口を一層強く当て、両腕に一層力を込める。

 と、

「…………!?」

光秋は綾の口が離れるのを感じ、急いで目を開けると、目を閉じて後ろに倒れ掛かっている綾を見る。

「…………綾?…………」

 光秋が静かに呼び掛けると、綾はゆっくりと目を開ける。

「…………加藤くん?…………」

「…………気が付きましたか?伊部二尉…………」

言いながら光秋は、背中に回していた両手を操縦桿に掛ける。

 伊部二尉も光秋から体を離し、床に立つと、寝起き間もない様な顔で辺りを見回してみる。

「…………ここどこ?あと私たち、なんでニコイチに乗ってるの?」

「…………ちょっと問題が起こったんですが、もう解決しました。とりあえず、戸松教授の許に案内します」

「……?なんで加藤くん、戸松教授のこと知ってるの?」

「…………実験の協力で呼ばれたんです。詳しいことは、教授に直接訊いてください」

「…………そう?…………」

光秋の適当な受け答えに、伊部は腑に落ちないといった顔を向ける。

「とりあえず、席を下ろしますので、椅子に掴まってください」

「うん……?」

光秋の事務的な言葉に、伊部二尉は首を傾げながら応じ、背もたれの左側に掴まる。

 それを確認した光秋は、左の肘掛のレバーを下ろし、操縦席を機内へ下ろす。

―……もう、直接見せる必要もないんだ…………―

ハッチを閉めると左パネルの地図で現在地を確認し、ニコイチをやや左に向けて前進する。

 

 少しして白い小屋の上空に着くと、光秋はモニター越しに眼下の様子を見る。

 黒服の男たちの車と姿はすでになく、小屋の前で道着を着た藤原と白衣を羽織った戸松がなにごとか話し合い、藤原の右後ろに停まっている軍用車の前部に小田と竹田がおっかかって2人の会話を眺める光景がある。

 と、ニコイチに気付いた竹田が上を向いて右腕を大きく振り、それを合図に光秋はゆっくりと降下を始める。

 着地すると、光秋はニコイチに左膝を着かせ、ハッチを開いて操縦席を機外へ上げ、ニコイチの右手をハッチの上に置き、伊部がそれに乗ると、手を慎重に地面に下ろす。

 手から降りた伊部が、

「藤原三佐!小田一尉!竹田二尉まで!いったいどうしたんです?」

と、驚きの声を上げるのを、光秋は微かに聞きながらシートベルトを外し、右の肘掛からカプセルを取って左の脚ポケットに入れ、席から立ち上がる。伊部に藤原たちが駆け寄るのを視界の端に見ながら、リフトを出し、下へ下りる。

 光秋が地面に着くと、後ろから来た上杉の車がニコイチの左前に停車する。

 車から上杉たちが降りてくるのを見、伊部は再び、

「上杉君にフミ!それにタッカー中尉も!三佐たちといい、どうしたんです?」

と、驚きの声を上げる。

「あー、オレら教授に呼ばれて……」

と、上杉が歯切れ悪く言いながら横尾と共に伊部に歩み寄っていく傍ら、タッカーは光秋の許に歩み寄ってくる。

「…………戻ったんだな」

「……はい…………」

タッカーの言葉に、光秋は短く応じる。

 と、タッカーは光秋の左肩に右手を置き、顔を合わせる。

「お前は、自分の行動が遅すぎたって言ったようだが、上杉が言ってたぜ。どんなにすごい能力があったって、誰か1人をとことん好きになるなんて、なかなかできることじゃないって。そういうのに、早いも遅いもないってな」

「…………」

「あと、これは俺の言葉だが、気付いたその時こそ、Just timeなんじゃないか?」

「気付いたその時こそ、ジャスト・タイム?……」

「あぁ。お前は気付いて、最後の最後に行動を起こした。それでいいじゃないか」

「…………」

 その言葉に光秋は、胸の内が軽くなる感じを覚える。

「タッカー中尉、ありがとうございます。おかげで、綾との思い出が、悲しい思い出にならなくて済みそうです」

「そうか…………」

言うとタッカーは、後ろを振り向く。

「…………」

光秋もその視線を追い、大勢に囲まれている伊部を見る。

 

 その後、タッカーたちの尽力と、なによりも確保の対象である伊部が元に戻ったことで、光秋たちが軍の特殊部隊に追われることはなくなった。

 

 9月1日水曜日。

 光秋は伊部と共にESOに復帰し、訓練漬けの日々を送っている。

 

 そして、9月8日水曜日午前10時。

 ESOの緑の制服を着た光秋は、制帽を膝の上に置き、ニコイチのコクピットに納まっている。ニコイチの白い巨体が雲の少ない青空の下を駆け、眼下には視界一杯に緑が広がっている。

 と、

「…………!」

光秋は視界の右端に、そこだけ土が剥きだしになって長方形を描いている箇所を見る。少し前まで、綾と過ごした場所である。

―騒動のあった翌日には、取り壊されちゃったもんな…………―

 光秋は、家の跡に目を合わる。

―写真も、撮らなかったからな。僕の写真をあんまり好まない質が、仇になったか……あの跡でさえ、時間が経てば草に覆われる…………綾と過ごした時間の証が、どんどんなくなっていく…………―

 と、直後、

(加藤くん!)

伊部のよく通る声が、光秋の左耳の通信機から響く。

(定時連絡、遅れてる!訓練だからって、もう少し気を引き締めて!…………それとも、どこか調子悪い?)

「いいえ!ちょっと考えごとをしてただけです。以後、気を付けます!」

伊部の心配した声に、光秋は元気に答える。

 同時に、先程までの考えを頭の隅に追いやる。

―くよくよしててもしょうがない!証は残らなくても、思い出は残るさね。なにより……こんなことじゃ、綾に合わせる顔がない!―「よし!」

光秋は気合いを入れると、右ペダルを少し深く踏み込む。

 少し速度を上げたニコイチが、青空と緑の山々の間を駆けてゆく。




 いかがでしたか。
 結局綾とはあんな形になってしまったけど、それさえも糧にして前に進もうとする光秋を上手く表現できたでしょうか?
 想い人編はこれで終わりますが、『白い犬』はまだまだ続きます!
 復帰後の、少し変わった光秋の今後にご期待ください。
 では、また次回。

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